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2021-02-08 41:01

【GMV 314】何者かになることと個性的であること違うということ

猿のボスは芸ができなかった
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
えーと、間もなくですね、告知されると思うんですけれども、3月6日にグッドバイブス勉強会というものを、第2回をですね、予定しています。
で、えっと、第1回の方が、あのー、動画ですね。
えーと、動画が有料ですけれども、えー、販売になりましたので、えーと、
こちらよろしければ、えーと、1回目に、えー、ご参加いただいていなくて、興味あるという方は、ご覧いただけるといいかなと思います。
あのー、うーん、
まあの、あれですね、人工的なものとそうでないもの、でいう、
切り口で、えー、倉田の圭同さんがお話になった、
会なんですけれども、多分、これは、えーと、テーマとしては、あのー、しばらく、えー、続くんではないかなというふうに、考えています。
で、えーと、今日のお話は、その、それを受けてはいませんけれども、えーと、
ロングスリーパーさんがですね、ツイートで、大谷問題というふうに、大谷翔平選手のことだと思うんですけど、
えー、
メジャーリーガーのですね、まあ、大谷翔平さんは有名だから、こんなところで、もう使われていてびっくりだと思うんですけど、すごい全く関係ないといえば関係ない文脈なんで、えー、
大谷問題と、まあ、これはあれですよ、あのー、
何者かになりたい問題です。 何者かといえば、
まあ、藤井聡太とかでもいいわけですが、大谷翔平というようなビッグネームはですね、まさに何者かですよね。
そこに自分の名前を並べると、なんか落ち込むわけです。 大谷翔平っていう名前の横に、自分の名前が
あると。 えーと、なんて自分は人生を無駄にしているんだろうと極端な場合には思うかもしれないわけです。
一つですね、この、まあ、何者かになれる、なれないっていうのは、えーと、本当に
あちこちで話題になるわけですけれども、
これと関連して僕が一つ思い出したんですよ。 最近、非常にこう、よく昔のことを思い出すんですが、
これを年を取ったというのかどうかわかんないんですけど、えーと、
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上野動物園の、多分、まあテレビで見たんですけれども、
ドキュメンタリーみたいなやつかな、ちょっと違うかもしれないですね。 違う動物園、何せを動物園の猿山の話なんですよ。
で、その猿山の、まあ猿山ってボスっていうのがいるんですけど、あれ実は1ボス2ボス3ボスみたいに、
まあ群れの規模にもよるんですが序列があります。 それはいいんですが、
で、割とその動物園では伝説的なボスがですね、
いて、 そのボスというのが
落雷星だったんだっていう話なんですよ。 話をしてたんですね。
まあボスが、そのボスが非常に統率的で、動物園の猿山でも、
まあ、歴史に残るぐらい、
なんていうんですかね、規模を大きく統率していたっていう、あの、ボスの力が十分でないと2派にも3派にも分かれるんですね、山がですね。
それを、多分力が合わればあるほど、
範囲が広くなっていくというのかな。 群れの規模がでかくなるんだと思うんですね。
で、 なんだけれどもその
伝説的なボスがですね、あの落雷星だったと。 落雷星ってどういう意味かというと、要するにあれですね、動物園なんで、
ショーの時の芸が下手ってことだと思うんです。 あの、やりますよね。あの、猿とかは特にすごいんで、芸結構何でもできちゃうじゃないですか。
仕込めば竹馬とかに乗れてしまいますからね。 ああいう能力としては全くダメだったという話だと思うんですが、
あれを話していたという、あのドキュメンタリーの中で、
なんでなんでしょうねっていうふうに、リポーターの人が聞いて、 飼育員の人がちょっと考えて、なんでなんでしょうねって言っててですね。
あの、結局人間の言うことを聞いているようじゃ、ボスにはなれないってことなんでしょうねっていうふうに答えてたんですよ。
私あれ見たのが中学だか高校だったと思うんですけど、 非常にこう、なるほどなぁと思った記憶が、
先日記憶が戻ってきたわけです。
それは常にそんな法則が成り立つというわけでもないんでしょうけれど、
人の言うことっていうのはつまり、猿じゃないわけですよね。 人だから。
で、人の言うことを聞くようでは、猿の仲間からでは、
ボスだとは見なされないというのは、
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とってもこう、人間社会的だなとも思うんですよ。
まあこれも、人間社会の場合は人の言うことを聞く人と、
人のボスはある意味、同じ人なので相手が、 ちょっと簡単に同列しはできないんですが、
この大谷問題と言ってもいいですけれども、
何者かになりたいという場合には、
どっちかと言うと、やっぱりですね、
ボスのようでないとダメな気がするんですね。
芸能できる猿のようであっては、
やっぱりですね、きっとそれは人の言うことを聞いている感じの方がはるかに強い気がするんですよ。
人の言うことを聞いていて、何者かになるって難しいんじゃないかなっていうような気がします。
ただ一方で、さっきも言いましたけど、
猿の場合は人の言うことを聞くっていうのは同じ種じゃないですから、
違う種ですからね。
ボスって何を意味するのかっていうのも、
ボスは何者かなのかっていうのも曖昧なんですが、
ただ、猿に関して言うとですね、
何者かになるというのが芸の上手い猿になるっていう意味じゃなさそうだなって感じはしますよね。
これはなんか私はそういう感じがするんですよ。
何者かになると言った時に、
すごく芸が達者の猿になるっていう感じはしないんですよね。
やっぱりボスになるっていう方が何者かになっている感じが、
猿に限定して言うとしますね。
で、僕がその話を結局思い出したのはですね、
これと関連して、今ではやってないんですけど、
大橋哲夫さんと一緒にですね、
今はタスク管理系に、仕事術系にもっぱら集中していますが、
私と一緒にやらせていただいているのはね、
もう一つのコースがあったんですよ。
OSっていう名前だったんですけど、
OSってiOSみたいな感じですけど、
オウンスタイルの略称で、
オウンだから私自身のスタイルみたいな感じなんですね。
で、これ要するにどういうものかというと、
必ずしもどれに限定するっていうことではないんだけど、
やっぱりこう、なんとなくフリーランスを施行するみたいなニュアンスはありますよね。
独立して個人でやっていくスタイルを追求しましょうみたいな。
そういう意味では大橋さんって、
もう僕が留学した頃からその路線に向かっていた人なんで、
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非常にそういうコースというのかな、
そういうことをするには打手付けって感じがありましたんで、
やってたんですよ。
まあ今亡くなっちゃったというのは、
コロナは大きかったんですけどね。
やっぱりこう、なんて言えばいいのか分かりませんが、
ちょっとそれもイリュージョンかもですが、
オンラインではやや伝えにくいところなのかなという気もしなくもないです。
まあでもそれは分かりませんが。
で、このオウンスタイルでですね、
私がいつもここにこの話を帰着しがちだし、
しかもどうしてこの出だしのところから逆を向いているはずだったのに、
ここに戻ってくるんだろうっていうふうに、
やってもやっても不思議だったことが一つありまして、
何をしたらいいのかっていう問題になっちゃうということなんですね。
まさにそれを、それが何て言うんですかね、
猿のボスと芸の達者な猿っていうことだと思うんですよね。
何をしたらいいのかは、
芸が達者になるためには明らかなわけですよ。
人の言うことを聞けばいいわけですよね。
そうすれば何をしたらいいのかというのは、
すぐ答えが得られるわけです。
それが嫌だからOSなわけですよね。
それでいいならば絶対OSっていうのはオウンスタイルですからおかしいわけですよ。
何をしたらいいのかという疑問ほど、
OS的でない疑問はないんじゃないかと、
私はこれを聞くたびにここに戻ってくる不思議さを考えさせられてたんですね。
このロングスリーパーさんのツイートにもストイックにって書いてあったんですけど、
ストイックっていうのは僕の感覚ではですね、
つまりそれは芸が上手くなるっていう印象を受けるわけですよ。
大谷翔平さんはストイックにやってるでしょうけど、
それはどうでもいいことですよね。
要するに藤井壮太さんもそうですが、
藤井壮太さんのような将棋冊って特にそうだと思うんですけど、
あれストイックにやろうがやるまいが勝てばいいわけですよね。
あれほど将棋に勝てばいい話はないと思うんですよ。
でもストイックになってしまうのは勝ちたいからであって、
ストイックになるということ自体はとてもどうでもいいことだと思うんですね。
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100%どうでもいいことなんじゃないかと。
ストイックにやらないでも勝てるんだったらその方がいいと思うんですよ。
ストイックにやって勝てないぐらいだったら。
つまりそれは100%手段に近いと思うんですね。
あの世界におけるストイックさなどというものを。
ストイックさ自体が目的になるということは多分ないと思うんですね。
それはつまり目的が全くそこにないんだけどストイックであるということになってくると、
それはもうストイックかどうかを測りようがないので、
多分ストイックとは言わないと思うんです。
で、オンスタイルっていうことを考えて、
オンスタイルを考えるんじゃない。
オンスタイルで私が、つまりオスになりたいのかどうかはともかくといたしましてですね、
ゲイが達者になるという方向を目指すのが嫌であったか、
もうそらく嫌であったんだと思うんですよね。
ゲイが達者であることを目指すということは、
会社にいる、会社なら会社にいて、
言われることを徹底的にやるというのが一番ベストだと思うんですよね。
人の言うことを聞くっていうことになるので。
で、これもこれでまたグッドバイオス的には難しいんですけど、
あの時はオンスタイルだったんで、
私がこう受けた質問の中で一番こう、今でもはっきり覚えている、
しかしこの種の質問は確かによく聞くっていうのを一つにですね、
私は今はそうやって大橋さんともやってるし、
ビジネス著作家として認識されているから、
オンスタイルでやるのは難しくないだろうと。
ところが全く裸一貫にされてしまって、
どこか見たことも聞いたこともないようなところなんですかね、
中国東北部とかですかね、
のウイングル自治区とかでもいいんですけどに、
ポンと放り出されて、
何にもなかったらどうやっていくかっていう、
この質問はね、僕は象徴的だなと思ったんですよ。
多分、期待されている答えは、
そこでも能力を使ってどうにかするってことだと思うんですね。
私はどう考えてもそういうイメージを自分に持てないんですよ。
裸い、服ぐらいは着ているとして、
お金はない、言葉も通じないとなったら、
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できることがないような気がしたんですね。
だから私はその時には、大変困るだろうなという答えなんですよ。
なんかですね、何と言ったらいいのかわかんないんですが、
大変困る以外に答えが出てこなかったんですよ。
そしてこの質問って、
全くOS的でないなって思ったんです。
これもいつもよく思うことなんですけど、
世の中の今の考え方って、
とてもOS的でないところが大きいんですよね。
つまり、次に何をするかっていう答えが、
あるって感じがあるんですよ。
オンスタイルというからには、
次に何をするべきかという答えは、
どこにもないということになるはずなんですね。
で、どうしたらいいのかというのは、
そもそもおかしいと思うんですけど、
どうしてもいいわけじゃないですか。
どうしてもいいのがいいから、OSが良いわけですよね。
どうしてもいいのがいいから、
人の言う言葉聞きたくない訳ですよ。
どうしてもいいんじゃなければですね、
人の言うことをひたすら聞けばいいことになる訳ですよ。
そうするとOSじゃなくなるわけです。
私があだかん者になってどこかに放り出された時には
もうどうにもしようがないと思うんです
私が 今もそうですが
何らかの形でやっていけるのは 要するにイササキ生後だからなんですよ
これが大谷翔平だからとか 何者であるからとかではないと思うんですね
何にもないのにそこにいきなり放り出された人って いないと思うんですよ
よっこど運が悪くなければ そんな人はいないと思うんですね
つながってるはずなんですよ 自分がそこにいるということには
これがどうしてゼロに見えるんだろう
何者かでない人はゼロなんだろうか ゼロのわけはないんですよね
処置金とかがあるはずで 親もいるはずで 助けてくれる人もいるはずで
そもそもなんで処置金があるのかって 考えてみるべきだと思うんですよ
なぜ処置金を持っているのか それが全部ないまま放り出されるという異常自体は
異常じゃないですか どう考えてもそんなことって起きませんよね
この話 甘えるって話に 僕は直結してると思ってるんですけど
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赤ちゃんは何にもないところに いきなり放り出されてないはずなんですね
そうするとたちまち死んでしまうだろうって 言ったのがマイケル・バリントさんなんです
精神分析家の
だから当然世話してくれて当然でしょうと思ってるっていうのが
受け身的対象愛とは彼が名付けたものなんです これが日本語では甘えと言うんだけれども
世話してくれて当然でしょうというのは 別に赤ちゃんが考えることじゃないですけど
世話してくれて当然なわけです ここからスタートするはずなのに
どうしてそれよりマイナスのところに 自分が置かれた場合でもやれるかどうかっていう話になるだろうと
なぜこの質問がこの質問は質問者の方だけが発しているというより 私は社会全体からいつも問われているような気がするんです
いろんな人がこの質問を発している つまり
何にもないと仮定した時にも上手くやれる方法とは何でしょうとか
何にもないと仮定した時でも上手くやれる能力を育てる必要が
育てるにはどうしたらいいんでしょうと
そういう能力を持っている人が大谷翔平という人だったり 藤井壮太という人であったり
羽生譲るという人だったりするってんでしょう そしてそういう能力を持たずに生まれてきちゃったのがつまり何者でもない私ですって
いうわけじゃないですか そういうふうに考える
そういうふうに考えるのはとても無理があるし多分そういう事実はないはずなんですね
そういう事実があるのはテレビの中だけだと思うんです
あの どうして冒頭で猿山のボスの話になっているかというと
この何にもないと思えば思うほど ボスにはなれないわけですよ
ボスがどう思っているとか猿では多分考えないと思うんですけど
ボスになれる猿と芸が上手い猿との多分違いは 自分であることにこだわっている程度だと思うんですね
もちろんそんなことを猿が意識するわけがないんですがでも 自然の中でそれが起こるんだと思うんです
芸している猿は 自分どこか捨ててますよね
猿じゃなくなってるじゃないですか そういう認識はないでしょうけども
人に喜ばれる方に近づく何かがあるはずなんですよ それはそれで非常に面白い現象だと思うんですけど
だから猿ってきっと面白いんですよね ボスである猿は猿であることに酷くこだわってますよね きっと
そういうこだわりもないでしょうけれども でも人にして当てはめて考えるとそれをやっぱりこだわりっていうふうになって思うんですね
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このこだわりがオーンスタイルってものだと思うんですよ こだわりの仕方を人に教えてもらうということほど
矛盾する話はなくて それは絶対解けないパズルみたいなものになっちゃっている気がします
こだわらないんでいいならば つまり会社でまさに言われた通りにやる方がはるかにいいと思うんですね
楽だし
こだわるん OSというほどにまでこだわるのであれば
これ 結局はそれは突き詰めると自分らしさということになると思うんですね
いかに自分らしく生きるために大谷翔平さんを手本にするかっていうふうに考えるとなると
自分はよっぽど大谷翔平そっくりであるっていうケースだけしか当てはまらないような気がするんですよ
実際には どれほど誰かに似ていてもその人を手本にしてぴったりそれに沿ってやるっていうのは
その人からほど遠くなっていくとしか思えないんですね
大橋さんがオーンスタイルでやってきたわけで それが大橋哲夫っていう人じゃないですか
それを私がそっくり真似をしていってもちっとも大橋哲夫にならないわけですよね
だって本人はその自分らしく生きているだけなのに
その人らしく生きるように他の人がやったらですね ちっともその人らしくはないわけですよね
私が大橋さんの真似をして1から10までやったら
相当
大橋さんらしくもなければ佐々木らしくもない人間が出来上がってしまう日がするんですよ
これほど不毛なことってないと思うんですね
もともと目指しているものがどっちかなのにどっちでもないものになるべく一生懸命頑張るっていうことになったら
なってしまう
ということからしてもですね その条件 その人に与えられた状況なり条件なり環境から独立した能力ってないと思うんです
つまりどこに行っても大丈夫ならばその秘訣を教えてくださいと
その能力をつける方法を考えてみてくださいっていう話なんだと思うんですけど
それは無理ですよね 私は私であることを最大限に活用するわけですよ
他の人もみんな同じだと思うんです その人がその人である所持金やら
親やら人脈やら何ならばコネやら ありとあらゆるものを使って
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その人らしくやるってことになる これはつまり
与えられた場所で咲かせなさいっていう話ととってもよく似てると思うんですけれども ある程度はそういうことだと思うんですね
特にこの世の中で何者かになるという話になってくれば 与えられた場所じゃないところに行ったら余計不利になるじゃないですか
こういう話であるならば 与えられてない場所に行っても花を咲かせる方法を考えましょうということほど
無理のあることはないと思うんです さっきの猿の話にしてもですね
いるじゃないですか 猿回しって人が あの猿回しと一緒にいる猿だったらボスになるとかそういうことはありえないですよ
もう芸使える猿になるしかないわけですよね つまり所有の条件ってすごく大事だと思うんです
山もあるからボスになれるんであって 他の猿いないところだったらもう
猿山のボスになるとかありえなくて意味もないわけです どっちも選べるとなったら多分猿であることにこだわりが強い方がボスになる
それはいわゆる猿の群れで評価されるってことですから
ついでに私が思うことなんですけど じゃあボス以外の猿に価値がないのかってなると人の目から見るとそうじゃないじゃないですか
ボスであろうと2番目のボスであろうと猿は猿でしょう その価値がボスの方がぐっと高いようには人の目には見えないと思うんですね
私は我ながらにして価値マックスってのはこういうことであって ある
ルールの中あるいは条件の上では 価値の上下みたいなものは一時的には発生するんですけど
その伝説のボスもいつしかボスじゃなくなってなんか一平率になってまた戦ったりしてましたからね
一時的には価値の上下って発生するんですが その外にまあこの話は先週散々しましたけど
その枠が外れてしまえば同じだということですよね そして
芸を仕込まれた時にはその価値はまた大きく変わるわけです ボスが落題性だったようにですね
条件が変われば当然ですよね 大谷さんが将棋指しになれば
まあ同じようにはならないですよ この部分を
持って
裸一貫になってもっていう話の無理があると思うんです 野球やってるから彼は何者かなんですよ
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それはもうなんか喋ってるのが恥ずかしくなるぐらいくだらないことじゃないですか くだらないというのはつまり当たり前のことじゃないですか
今私は喋って後悔したんですよ いやいやだって野球やってるから彼がすごいっていうのは言うまでもない
なんでこれをオールマイティーにしようとしちゃうのか だから
どこへ行っても通用する人になるとかってそういう
言葉遊びですよね言ってみれば ただそういうことを
言ってみているだけみたいな感じがします 人間の頭というのはそれくらい抽象的なんだなというふうにも思わなきゃないですね
どこへ行っても通用するとか何をしても彼だったら一流だとか つまらない話ですよね非常に少なくともこれのどこにも
御運スタイルがないですよね それは全くオールマイティースタイルじゃないですか
まさにオールマイティースタイルを作り出すために 学校というものがあるわけです
うちの子も行っていて 全法院において評価を受けます
どうしたってあそこに子供を入れれば 全部をAにするとかABCじゃないですけどそういう思考回路になっちゃいますよね
体育も音楽も家庭科も道徳もですよ 4教科だけに絞ったってずいぶんオールマイティー感が高いのにそして決まってですね
学校の評価の仕方というものは それこそABCなので
それは4教科ができて運動能力が高い子はあとは何とかしますよね 音楽だの道徳だの家庭科だのは
あるいは図工だのは よっぽどそれが苦手というんでない限りはどうすれば上手い評価が得られるのかは即分かるんで
そりゃそういう子は何でもAですし当然逆の子はいますよね ほとんど全部目も当てられないような
でそういう人が今はそういうのは難しいかもわかんないですけど 猿山ではボスになるわけですしょうがないですよねこれは
で そう思うとですね
学校というものがすでにあるのに このオールマイティーの能力を育む機関を私と橋さんと2人で作ったってしょうがないじゃないですか
os とか称してえっと学校 なんかこう学校と重複するような塾みたいなものを作るということほど
虚しいことはないと思うんですよ多分そんなんだったら 人はどうかなわかんないですけどね
でも私はそれをやりたいとはもう全くこれほどそういうものばっかりの世の中なのに 8
ユーキャンとか見るとよく感じません 学校でこういう好まれそうなことをさらにこう
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社会人として身につける技能教習みたいなところに 敷衍してガッと広げていく本当に重要があるんだと思うんですよこういうものは
本当にあらゆる人が こういう風にしたいと思っていらっしゃる
それはもう 圧倒的だと僕は思うんですね
ここでそれに対して何かこうそうじゃない方向を模索するというのは なんかこう
本当に小さな小さなムーブメントから始まるに違いないと思うんです 8
ちょっとやそっとではこういうものが あっています牛耳っていると言ったら言い過ぎかもしれませんけどでもとにかく圧倒的だと
私は思っているんです だってほとんど全国民が学校に行ってるわけですから
でえっとこれも是非を論じるとかじゃないんですよ 是非論じる価値ないじゃないですかこんなに圧倒しているのに
8 それよりも考えたいと思うのですね
つまりオンスタイルというのは前オールマイティーではちっともないということ なんですそして
オールマイティーで ある必要も全くないという風に
なんて言うんですかね
まあ行ってみれば再発見すればいい話なんです
私は本当によく思うんですけど 小学校に上がる前
は つくづく自分は自分らしかったなって思うんですよ
私は学校ではよくできた子っていうやつだったんで
ことごとく なんて言えばいいんですかね調節しちゃったんですよね
でも そうすると自分らしいってこと自体にコンプレックスを持つようになるんですよ
私が持ちがちなコンプレックスはそれなんですよ これについて社会に抗議してもしょうがないなって思うんですさっき言ったとおりで
圧倒的なん だから
コンプレックス とか
いい子ちゃんを作るというようなことについては自分は何も思わないようにしたん ですねそれ自体が小学校時代の話です
モンスタイルとかやり出す頃の話じゃないですよ 小学校時代にもうそう思ったんですよ
ほとんど調節しようとでもこれは自分じゃないんだっていうそういう感じですよ あのよく
学校の弊害というのかな いい子ちゃんの弊害みたいなの
書かれてるし言われてるじゃないですかそういう漫画もしょっちゅう見ますよね 遊び
どんな漫画でも出てきますよ特に少女漫画には多い気がします 遊びたいのに遊べなくてなんかリストカットしちゃう少年とかですねなんかいい子ちゃんは
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だいたい少女漫画では男の子なんですよね あんなのは織り込み済みじゃないですか
私はあんなのは織り込み済みだと思ってました小学校も2年の時にそう思ってました えっということばっかり聞いていたらフラストレーションがたまると
そんな問題ではないんですよ そんな問題では全然ないと私は思うんですね
そんなフラストレーションなどというものは何とでもします ただ調節をかけていき結局最終的には
いい子ちゃんがいいわけじゃなくてもないということを織り込んで行動したとしても いい子ちゃんに向かうんですよ
評価がかかってくるわけですからね しかも今ではそうは感じなくなったけどその評価に
生活がかかってくるわけですから それだって小学校5、6年の頃には少なくとも中学受験するような
子供の間では本当は彼らは私も含めて当時全く分かってないんだけど これがいかに生活に直結しているかって話も当時からも何度も議論もしてたんですよ
塾とかでね 今だったらもっと先を子供が行ってると僕は思います だって小学校6年生とかでビジネスとかやり出す子もいるわけじゃないですか
本当にこれは徹底されていると僕は思うんですよね その何て言うんだろう
スキルというものを使って生きていくっていう方向性ってのはもう徹底的にあると思います だからこそその
こんな話をしているわけでもあるし そのみんながみんながと言っていいと思うんですけど9割方の人は何者かになることを目指す
9割方の人が何者かになることを目指すんだから 何者かになれる人はその中でほんの一握りの結果になるということも
なれそうな人はみんな織り込み済みだと思うんですよ私は これが分からずにこれをやる人ってそうはいないはずだと
で結局競争ですから
そのコミュニティに よほどなんていうのかな興味を持っている人でない限りここにも大きな何か
イリュージョンがある気がするんですけどね
何者か減る一方なわけです だって野球に興味のない人ほど大谷翔平と一郎しか知らなかったりするじゃないですか
あとダルビッシュとかミスターとかしか知らなかったりするわけじゃないですか 野球に興味がある人だからこそ
今話題になってしまった千葉ロッテの清田選手とかいう人まで知っていたりするわけですよ これもすごい大事なあのイリュージョンだと私思うんですけどね何者かというものが
興味がない人にとってほど少ないという現実があるっていうこと なんか今日はとっちらかっているんだけれども
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えっと
多分私たちの時代に生きる もうちょっと前よりは楽になっているんですけれども
人にしてみるとこの何者にもなれなくても何も
問題はないっていうのって多分たっかんとかって言われてしまうんですよね 私がそうじゃないと思うのは
なんかですねお釈迦様が悟るとか そういうレベルにほど遠いからなんですね
この程度のことはみんなできるはずだって思うんですよ だけれども
何者かに慣れそうだっていう人には特にそうなのかもしれませんが慣れそうだった とかですね
これを諦めるということはでも厳しいと でもやっぱり絶対にモハメットが刑事を受けたレベルにはほど遠いですよ
何者にもなれなくても何にも 幸せが減るわけじゃないっていうのは
そんなことがわかった程度では悟りはしないです それはもう本当に
織り込み済みって申しましたけれども小学校2年の頃でさえそのある種のそこにまつわる 嘘ふくささと不毛さって意識するものです
私一度やったんですよ小学校4年だったと思います わかんないなちょっと記憶にないですけど
当時結構12年の頃って頭が回りさえすれば 何とかかんとか面目が保てるんですけど
4年ともなってくると男子とか運動できるとか 体育
喧嘩強いとかもう含まれないと結構なんて言うんですかね その
スクールカースト的な話ですか昔はもっとずっと素朴なものだったけどそれでもちょっと 困難を覚えるんですよ
だから私はその4年の頃だったと思うんですけど テストで全て満点とってやろうっていうふうに思ったことがあるんですね
そういうことは得意だったから そういうことによって精神を自分の精神
あれですよ私はお前らとは違うんです それも
一段自分にこうそれこそストイックに化して そこでこう
なんて言うんですかね自分の精神を高揚させるようなことをしたかったんですね はっきりそういうことをした覚えがあります
で1回もう1学期の最初の段階で99だったことがあって その時受けたショックが絶大だったんですよ
ものすっごくこう嫌だったんですよね っていうほどどういう時に感じたんですよ
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あの なんか自分すごいアホなことやってるなぁと思ったんですよ
これに意味を見出そうとしているのは自分一人ですし テストの成績といわゆる通知表の評価で言うと100と99は全く同じ扱いになっちゃうじゃないですか
だからそれはもちろんわかってたんですけどあの時に知ったんですね これは本当は実は何かすごく
いかがわしいものがここにあるんだなって感じがしたんですよ なぜならば自分は何も手に入れてないのに
手に入るような感じがして失った時の衝撃を受けたわけじゃないですか ここにはなんかすごく人間ってのはそういう
ものを 作り出すんだなっていう感じを受けたんですね
なんかその後もだからずっとそういうようなことは繰り返し繰り返しやることになるんだ けれどもなんかすごくこう
こここれは不毛なものが あったわけですまあ端的に言うとですね
なんだろうなあれですよね狐にバカされたって感じ なんかすごい豪華な
親城の中でお屋敷の中で食事をしていると思っていたら全部葉っぱだったみたいな あんな感じですよね
そういうものを あれにはあるんですよやっぱり
だから
学校は学校じゃないですか そして今は存在しないんですがOSはOSなんですよ
で私たちは 結局はOSで生きているわけじゃないですか
オンスタイルで だからこう
その自分が どんな境遇であってもうまくいくとか
能力を発揮できるとか そんなことを考えることは何にもないと思う
思います
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