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2023-05-01 44:54

【778】グッドバイブス編 余計なことは何もしない

特にストレスを動機づけにしないように気をつける
忘れつつあるもの
おはようございます。グッドモーニング・ボイスです。 今日はグッドバイブス編をお送りします。第778回ですね。
前回がちょうど777回で、フラゾのケイゾーさんとの対談ですね。いかがでしたでしょうか。
これ自体もグッドバイブス編そのものなので、 今日は別の回にしてもよかったような気がするんだけど、毎週月曜日をグッドバイブス編としていて、
おそらく火曜日、ないし水曜日を100チャレ編としていて、 後の日はフリートークにしているんですね。今のところそういう形にしています。
フリートークを2、3回使って、
5、60分にして、つまり20分かける2加算にするというのがいいかなと、ちょっと先週考えてみてですね、今週それをやってみようかなと思ったりもしています。
まだどうなるかわかんない。 それがそもそもできるかどうかもわかんないですね。
それから今日から5月になりました。4月の30日に3ヶ月チャレンジという
第2期をスタートさせて、昨日ちょうど新宿でやってきたんですね。 その時に使ったこのスピーカーがとても便利だったので、今それを使って収録しています。
Ankerの平べったいお皿みたいなやつなんですよね。
無指向性のマイクで、360度というやつで、何にも自分が身に着けないで喋るんだったらそれが一番楽だなというふうに、どこにいても一応いいので、今これを試しています。
前はもう本当昔はですね、この番組収録してた当時はiPhoneに向かって一生懸命喋ってたんですよ。
しかも音が良くない問題もずっと言われてきていたので、徐々に徐々に変えてきているんですけど、ようやく何となくいくつかの場所で録る方法を身に着けつつあるといった感じです。
要は体勢とか体の姿勢ですね、向きとかになるべく左右されない方が喋っていられるということですね。当たり前なんですけどね。
それで3ヶ月チャレンジもやっていて、問題は枕言葉かなと今はちょっと考えるようになりました。
わかんないですけどね。つまり吹き送りしないとか夢を叶えるとかいろいろ考えているんですけれども、この枕をどうやって変えるかというのがこの企画のPRポイントにできるかどうかが決まってくるかなというふうに思っていて、
この3ヶ月ないし6ヶ月、今年の秋ぐらいまでにいろいろ試していきたいと思っています。
ようやくね、妻の実家のお話の方もいろいろまだまだありそうですけれども、一段落は過ぎ始めたので、そして冬も越しましたので、東北で冬を越すというのがどういうことかというのが少しだけわかったんですが、
まあ大変ですよね。ましてずっと関東に住んじゃってますからね、私はね。体が慣れないなっていうのがよくわかりました。慣れないんだけど慣れてみる、慣れていくんですね。
それでもやっぱり結局、家の中で物が凍りそうなっていうか、家の中で物が凍るんだけど、中でも体は慣れていくというのが不思議だなと思っていましたけれども、その変動も少なくとも尽きつつあるので、
これを機会にいろいろ、ここまででテンやワイヤーになったのがまた違った状態になっているので、それを使ってですね、いろいろ試してみようと。
ちょうどたまたまですけれども、本当にたまたまなんですけど、そのテンやワイヤーが一段落しつつある今、コロナもずいぶん緩くなって帰省が、結構外で会うっていう人が増えてきた感じがします。
その割にリアルのセミナーというものがなかなかうまくいかないのですけれども、それはそれでまた考えていくとして、リアルで人と会うということが以前よりもずっと増えつつあるので、これもやっぱりちょうど重なるようなタイミングでそうなっているので、
これも機会にですね、いろいろとリアルで会ってみる人とまたコラボしてみたり、いろいろしていこうかなと。そんなことを連休中は考えていきたいと思っています。
で、今日はグッドワイブス編ですから、グッドワイブスでですね、最近私はいろいろなことを忘れつつあるというのを、この777の対談でも話したことなんですが、本当に急速に忘れつつあるというので、
これはいけなくは全然なくていいことづくめなんだけど、ひとつあると、ひとつ困ったところ、困ってはいないんだけど、僕自身は困ったところがあるなというのは、前にはこんなことで苦しんでいたはずだというのをですね、もっと話していかなければと思っているんですね。
アトピーもそのひとつですよ。アトピーっていうのは本当に、人間って厳禁なものでして、それで自分があんまり困らなくなってくると、なんとですね、もうかつてそうだったことを忘れかけるというね、事実としては忘れていないんだけど、あれどういう感じだったんだっけみたいになっちゃうんですね。
Good Vibesがケアした問題
私、繰り返し繰り返し大学時代、彼女が欲しかったということを申し上げてますけれども、あれは中にはですね、うっとうしいとか、もういい加減にって思われるかもしれないんですけど、言っておかないと忘れてしまってるんですよ、実はもう。
今別に彼女欲しいとかは実はさらさら思ってないので、これ厳禁なもんなんですよね、本当に。過去の自分はどこへ行ったんだぐらいな感じなんですが、さらさら思わなくなってしまうと、そういう悩みを自分も抱えていたということをややもすると忘れちゃうんですよ。
忘れても、私は本当にさっき言った通り何にも困ることはないんだけど、そういうことも悩んでいて、そういうところに彼女が欲しい問題にGood Vibesがケアしたというにはちょっと年数立ちすぎてたんですけど、本当は20代中盤にしておくと一番良かったんですけど、
20代中盤の時には、倉賀のけぞさんはまだインプレスとかに多分いていらして、僕が20代中盤、インプレスにいらしたのかな、そこすら微妙でよくわかんないんだけど、私インターネットマガジンは毎月買ってましたから、あれもう一冊残らず無くなってるというのが一体どこに行ったんだろうって思うぐらいなんですけど、もはや実家に行っても一冊残らず無くなってしまってるんですよ、信じられないですよね。
多分何冊持ってたんだろうな、本当に箱詰めにしてましたからね、あれ分厚いんで困るんですよね。でも分厚くなくても週刊アスキーってあるじゃないですか、あれもう毎週火曜と月曜に出てみたり火曜に出てみたりしてたんですけどね、毎週毎週買っていて、あれもう箱詰めになってたわけですよ。あれ一冊も無くなってるのに、一冊ぐらいは手元にあるかな、びっくりなんですけどね。
まあそういうわけで、何の話をしてるのか分からなかったんですけど、インターネットマガジンを読んでいるという意味で浦園さんと間接的には繋がってたと思うんですけど、そこにグッドバイとか書いてなかったんで、あれをくまなく読んでも、流石にあれをくまなく僕は読めなかったんですけど、くまなく読んだとしても当時は悩みを全く解決してなかっただろうなとは思うんですけどね。
そういう悩みを長らく抱えてきた人間としては、それにそういうようなことにグッドバイブスがどうケアしているのかを喋るという時に、実感が持っていた方、まだ実感が残っているうちに喋らないといけないなというのがあってですね、いろいろ思い出しては喋っているわけです。
もう本当に、それで悩んでいるとは言えないんですよね。それでは悩んでいないなという。
だからいろいろとですね、人によっていろいろなお悩み相談なり人生相談なり等々あると思うんですけど、本当にそれは人の数だけあると思うので、自分としては結局自分の問題を喋るしかないんだけど、自分の問題を忘れていくというね、つまり悩まなくなると、それについては忘れちゃうんですね、人に。
それを忘れる前に喋らないというふうに今思っております。書き付けておいてもダメで、結局さっきも言いましたけど、別に事実としては覚えているんですよ。アトピーだったとか、彼女が欲しかったというのは事実として覚えているんですよ。
それはどんな感触だったのかを忘れてしまうんですね。残肢みたいなのはありますよ。肌痒かったみたいなのはあるんだけど、あの切実さを忘れるんですよ。切実じゃないから。実感を伴ってないからですね、結局。
そもそも彼女が欲しかったというのは、すっごいそれで切実に悩んでいるということ自体が少しおかしいじゃないですか。そのおかしさを当人は意識しているものなんですよね。
当人は意識しているからこそ、ますます大変なんだけど、そういうおかしいのにこれが読められないという苦しみみたいなものがわからなくなってしまうんですよ。そこまで悩んでいないので。
そうすると、あの頃はそうだったなみたいなのでは、これにどうケアしていく必要があったのかというのを、すべてを掘り起こすのはかなり困難になってくるので、そこをなんとかね。
いまいまでそこまで切実で困っていることなんてある意味ないから、その時代の残肢っていうのかな、残りかすみたいなものですね。
これを扱うことで、手当てしていくのに有効ですよというお話をしようとしているわけですね。
この2つが今日のテーマなんですが、つまりアトピーと彼女が欲しかったんですけど、くっついてるんですよね。
これ後からわかるんですよ。
アトピーの方が長らく大引きましたから。
アトピーと治療法
アトピーの方は、まずは医者に行きますよね。
ここでまず1つ目のショックを受けるわけです。
医者に行っても治らない。
それまで私はいろんな病気を抱えてきたけど、医者に行けば治ったわけじゃないですか。
例えば一番重かったやつで、症候熱っていうのかな。
たぶん同じ病気じゃないのかもしれませんが、幼齢菌感染症という、あれが僕は記憶している限り最もつらい病気でした。
が、治るんですよね。
たぶんあれで命を落とすということも、昔はたたあったと思うんですけど。
当時というか、今は昭和だったけど、治るんですよ。
若干の後遺症も残ったにせよ、私は割とカチッと治ったんで。
つまり、医者に絶大な信頼を受けますよね、そうなると。
ちょうど小学校、おそらく2年の時だったと思うんですけどね、幼齢菌感染症がかかったのは。
治って、もう医者なしでは生きていけない感覚みたいなのを子供ながらに持つわけですね。
その医者にアトピーは治してもらえない、この絶望感が出てきたんですよ。
成績とアトピーに影響を与えるストレス
それが出たのは中学校の頃だったと思うんですよね。
思えばですね、アトピーだったのは小学校を通してずっとだったのに、
深刻な問題になったのは中学になってからであるというのを考えると、
あれは最初、その段階ですでに疑うべきだった。
ストレスの重さによって相当レベルが変わってくるというのを意識するべきだったんですよね。
皮膚だけの問題にせず。
だけど私は薬で病気を治してもらうというのにあまりにもなりにいってたから、
やっぱり心理的な方はほぼ死がにもかけないというのかな。
これも変なもんなんですけどね。
そういう心理的な話がやたら好きだった。
当時もそうだったんだけど、当時もカワイハイを読んでましたから。
読んでたにもかかわらず、そういうのを全部身体と心理をバチッと分けていたという、
この辺がですね、私のこう、奇妙な感じのところなんです。
まあ中学生ですからね。
それで、まあ酷かったわけですよ。
中学、高校の時代が一番酷かったわけですよ。
これがまた、今思えばなんですけど、完全にオーバーラップしてるなと思うのが、
中学、高校の頃の成績も酷いものだったわけですよ。
この成績の酷さとアトピーの酷さが比例はしませんけどね、
連動は間違いなくしていて、本当にあの時代はですね、よろしくなかったわけですね。
で、僕は順番が逆だなと今から思うと思うんだけど、
ちょうど大学に入った頃に食事療法を見つけて、見つけてくれたのは妹なんですけどね、
妹との関係がまた非常に僕の中では作想していまして、今でもしていまして、
考えさせられることがいっぱいあるんですよ。
実は私、母なんかよりも妹との関係について、
遥かに頭を使ってるなといろんな意味でですね、情緒も使ってるなと思うことが多いんですけれども、
まあこれはですね、そうそう、
本人の方が大変な問題は本当のところ悩みとは言えないんですよね。
つまり私妹との関係で今言いましたけど、妹が大変なのであって、私が大変なんじゃないんですよ。
アトピーの治療と糖質制限
そういう意識が入ってくる人のことはですね、
たとえ解決ができないことであったとしても、
それについて悩むって本当におかしいんだよな、
アトピーについて私が悩むんだったら、それは当然ありじゃないですか。
人が悩んでいることについて、その悩みを私が共有しているかのように言っても、
結局のところそれっていうのは、ある意味手放そうと思えば手放せてしまうものなので、
そういうアプローチじゃないなっていうのをよく考えるときが、
自分が悩んだところでどうにもならないんだよなっていうことですよね。
人が病気であることに同情したりすることはできますけれども、
それだけじゃ治せないですよね。そういうような意味ですね。
アトピーは、つまり先に糖質制限で治したんですね。
今思えば何が逆っていうのは、ストレスを減らすほうが先であるべきだったなってことなんですね。
当時の私の糖質摂取量は過剰だったんですよ。
糖尿の意識の中ではそういうのはないんですけど、
当時まだそんなに砂糖は良くないみたいなことはちょうど言われ始めていた程度のことで、
それもある意味体重とかBMI値との兼ね合いで言われている話であって、
あんまり皮膚のこととかでそれについて言われている時代ではなかったんですね。
だから私はストレスで過剰に糖分を摂取してたんですけど、
しかも太らなかったから、痩せたまんまだったんで、
いくらでも摂れるみたいなところがあったわけですね。
本当にいくらでも摂っても太らないんですよ、そんなに別に。
いや、というかどっちかというと肉がつかないんですね。
これもすごく心理的なものだなと思うんですけどね、今は。
でもとにかく肉はつかなかったわけですよ。
ガリガリに近かったんですね。今より痩せてました。
それで、これがですね、ピタリと治るんですね。恐ろしいくらいピタリ。
代わりにやったことは厳密でした。
果物も摂らないようにしたし、お菓子は一切摂らないようにしたし、
一番僕がでもその時最後まで自分は不走なんだなと思ったのは酒がやめられなかったんですよね。
この後この問題は引っかかってくるんだけど、とにかくやめるのは砂糖とか果物は実は簡単だったんですよ。
何が大変かって酒なんですよね。酒をゼロにするっていうのは当時非常に困難で、
大学2年の頃だったと思うんですけども、僕はその頃は夕方には飲んでましたからね。
やめておいてよかったなと思います。
タバコと違って酒というのは難しいんですよね。
永田神さんの読んでてよくわかります。ああいう感じになるんですよね。
僕はそこまでなってなかったけど、レズ風俗を書いた人の方が水蔵が壊れたらという漫画を書いてますけれども、
感覚的にはわかる気がします。
ただ私はそういう病棟とかに行ったことは実際にはないので、
あの体験期みたいなものはないんですけれども、でも感覚としては、気持ちとしてはすごくよくわかります。
そして何よりも面白いのが、最後に僕が頑張ったのが糖分を一切ゼロにするから酒は飲むみたいなね。
この酒への異様な固執がですね、自分の中にあるんだというのを大学2年の時に思い知りました。
これは結構大変なことにその後なるんですよ。
一旦やめるんですよ。やめないと皮膚絶対良くならなかったので当時はぴったりやめたんですよね。
そしたらですね、皮膚は完璧に綺麗になって、自分の肌じゃないみたいになっていくんだと。
酒はね、また飲んだんですよね。そうすると肌がまた荒れていくんだけど、
その時はもうわかってやってるんで、構わず飲んでいくんですよね。
そしてこう、なんつうんだろうな、何とかして他の糖をギリギリまで絞り切ることで、
例えばご飯とかも一切食べないから酒だけは飲んで肌は良くしようみたいな、そういう発想になったんですよね。
ストレスと糖分摂取の関係
それぐらい僕はお酒って好きなんですよ、実際のところ。
今はやっぱりその感覚がもう薄れ始めておりまして、
飲んでみると時々飲むんですよね、今はね。
でも好きだなーみたいなのはわかるんだけど、
あの時ほど、とにかくご飯は食べなくてもいいから酒は飲むぞみたいな、
そういう発想ってよくわからなかったんですよね。
糖分をとにかく出し切りたいわけじゃないですか。
出し切りたいっていうのかな?
使い切りたいわけですよ、だからアホみたいに運動するんですよね。
ものすごく体に悪いですよね。
酒だけ飲んで運動めちゃくちゃするみたいな感じなんですよ。
で、サウナとかもガンガン入るわけですね。
そうすることによって代謝を極端に早めて、
糖分は酒以外にはギリギリまで絞ってやっていて、肌はですね、そこそこ落ち着くんですよね。
多分僕はあの当時思うにですね、十分心理的に歪んでる人だなって今喋ってても思うんですけど、
当時はその苦しみのカチューにいるんで、なんつうんですかね、大変だったなっていうふうに思います。
で、これでもですね、当時の私に対してでもなかったですけど、
グッドバイブスっていうのは間違いなく効果があっただろうと思うんですよ。
僕はそのグッドバイブスがなくて、当然グッドバイブスのイメージももちろんないから、
病気に対する心理的影響
今の話はそうだな、ジャスト20くらいの話ですかね、20、21くらいですね。
本当に思い出すのも嫌な時代みたいな、別に思い出すのは全然嫌じゃないんだけど、楽しいこともいっぱいありましたしね。
思い出すことはいいんですが、ああはもう二度となりたくないなっていうのはありますね。
そして、でもアトピーはだいぶそれで落ち着いていたんだけれども、これは何を意味するかということですね。
これは面白いんですよね。ストレスから糖分を摂取しているんですよ。
ストレスがあるから酒がやめられないんだけど、糖分をやめていくことでストレスが減っていくんですね。
ここに大きなポイントがあるんです。これは不思議じゃないですか。
ストレスが糖分を欲しているんだから糖分をやめたところでストレスが減る理由って全然ないようなんだけど、
でもやっぱりですね、これが万能空想なんだけど、ストレスをなくすという空想はイリュージョンなんですよ。
お酒でストレスがなくなるわけではないので、ストレスをなくすというイリュージョンはですね、ものすごく快感なんですね。
これ自体がいわゆる習慣化していくんですよ。
私はこれがあるから今習慣化というものになかなか推奨はできないんですね。
どのような習慣であっても、そこに刺激的なものって多分加わってくるので、
僕の考えではできるだけ習慣化は避けた方がいいというのが今の私の思っている考え方です。
これは当然グッダワイブスから来ている。
これはぶっちゃけ相談というYouTubeのどこかで言っていたことだと思うんですけど、
寺野さんが波というもの、あるいはパターンというもの、要するに甲府町の波って言うじゃないですか。
ああいうものがないっていう話をされたときに、私がある種の確信を持った話なんですね。
つまりバイオリズムみたいなやつ言うじゃないですか。陰陽とか。
ああいうものって僕らはなんかこう、この番組で何度かお話してますけど、なんかこう賢くなったような気がするじゃないですか。
校長のときでもこの分の底を意識しておける人は賢人みたいな雰囲気ってあるじゃないですか。
僕はそういうものに弱いので、すごくそういうものを持ってたんですね。
だから陰陽みたいなもの好きだったんですよ。
大学の頃に駅に来たことがあるんです。
大体こういうの大学なんだよね、僕はね。
タロットカードについて詳しく知ったのも大学生だったので。
しかも僕はそういうのにむやみに来る人間なんで、意識持ってました。
ダイアルカのやつで、100倍くらいあるんですよね、カードがね。
あれも陰陽とすごくよく似てるんですよ、カラバみたいな考え方って。
それはいいんだけど、つまりですね、そういうものっていうのはあるにせよないにせよ必ずパターンってものを生むわけだから。
というかパターンってものについて言及してるわけだから。
パターンっていうものを意識するということは、人の行動としては習慣化ってものを生み出していくんですね。
必ずそういうふうになっていくと思うんです。
宇宙のリズムみたいなことを言っても、我々は億年単位で生きてるわけじゃないので、万年単位で生きてるわけじゃないので、
パターンはすごく小雛に来てるわけじゃないですか、宇宙的に見ればですね。
もう本当に細かいパターンを刻んでるわけですよね、心臓の鼓動みたいなやつですよね、早いわけですよ。
そういうものに乗っかって日常に生きてるわけだから、長くって1年ですよね。
最大で一番見ても季節ってやつだと思うんですよ。
そういうのを陰陽みたいなものを意識しないのであれば、僕は極端なんで、
この倉園さんのお話を伺った時に陰陽みたいなものとかバイオリズムみたいなものを私が意識しなくなるということであれば、
当然習慣化というものは無視してかかるべきだというふうに思ったわけですよ。
これは皆さんにそういう話をするって話じゃないですよ。
僕がお勧めしないと言ってるのは、習慣化というものをお勧めはしないと言ってるだけで、
習慣化はやめましょうって言ってるわけじゃないですよ。
ここはいつも思うんですけどね、こういう番組を聞いてすぐに納得しないでほしいんですよ。
陰陽とパターン
こういう番組っていうのは僕が好き勝手喋ってるものなのだから、大いに疑ってかかるべきだと思います。
精神分析なんて何度もエクスキューズ入れてるけどそのまんまですよね。
あれをそのまま信用してはいけないんですよ。
それに大体言ってる人によってあれは内容変わってますからね。
その話とこの話は基本同じです。
習慣化というのを私は取り入れない。
なぜかというと習慣化は必ずストレスというものと関係があると思うんですよ。
ストレスというものを消去できる、リレーズできるわけですね。
その時の快感はでかいということです。
だから酒の力でなぜアトピーの時ってアトピーになりやすいんですけど、
ストレスに糖を入れちゃうかというと、糖を含むことでやっぱりレモネードとかでもそうですよね。
レモネードなんてぬるいんですけど、それこそスコッチとか入れると的面にストレスって消えるんですよ。
その酒はもちろん旨いから、旨い酒ならね。
旨さとストレスが消せるっていうのがダブルでかかってきて、あっという間に習慣化するんです。
私はそれはそれよりは遥かに体にはいいとしてもですね、早朝のランニングであろうと早朝の読書であろうと、
基本変わらない影響を私には必ず与えているというのを意識させられてきたのでやめようと思っています。
どういうことかというと、サウナって気持ちいいわけですよ結局。
寒い時に入ると特に気持ちいい。
そこに持ってきてストレスもなくなってくれる。
そして体にいいっていう話になるじゃないですか。
そうすると繰り返しやりたくなりますよね。
でもそこには紙幣的なものが、つまりストレスゼロで生きていくってことが困難である以上、紙幣的なものが入ってきちゃってるんですよね。
で、仮にですね、ここがグッドワイブ素敵なんだけど、仮にストレスがゼロだとすると、そういう過程には乗っかれませんって方もいらっしゃると思いますが、
習慣化とストレス
とりあえず過程なので乗っかってみてください。
自分のストレスがゼロだったとすると、サウナ入るかって話なんですよ。
それでも入るって言うならば全然いいと思うんですよ。
僕は自分のストレスがゼロになったと、ゼロになってなくてもですね、ゼロに入りなく近づいている今、どうなったかって言うと温泉に行きたいとか思わないんですよね。
で、朝の早朝何とかをしたいとも全く思わない。
つまりストレスがゼロならしないことだったら、しない方がいいと思うんですよね、最初から。
っていうのが今の私のその習慣化について考えてることなんですよ。
だから習慣化というのは、ストレスをなんとかできるっていうときに最も早く進行するものなので、
良いものであれ、悪いとされているものであれですね。
だからそれについて自分にはやらせようとは思わない。
そしてそう考えていくとですね、そう考えていくまでもなくなんだけど、
当時私がグッドバイクスの代わりに欲しがっていたのが感情ってことになるわけですよね。
これは死壁してたわけです。
もう要するに良いおっぱいなわけですね。
死壁、文字通りじゃないですか。
大学生が欲しがる良いおっぱいになっていったら。
思いっきり死壁してたわけですよ。
死壁する、ただ対象が全然良い顔してくれないから腹を立ててたわけですね。
これは悪いおっぱいですよ、つまり。
先進王分析ではしばしば不在の母親の存在みたいな言い方をするんだけど、
それとぴったり同じ文脈じゃない気もしますが、
当時の私の心境にはぴったりだなっていう言葉のような気がします。
不在の母親の存在みたいなのは。
点々ここにいるべきなのにいないみたいな。
それが悪いという意味になっていくんですよね。
ここにいるべきだとか言ってるってことは、まさにイリュージョンを見てるわけじゃないですか。
ここにいるべきなのにいないっていうことに対して腹を立てて。
そしてここにいてくれれば自分がこのもろもろのストレスを一掃しすることができるから、
アトピーも治るような気がしていた。
これは大きな間違いなんですよね。
何が大きな間違いかというと、
彼女ができようと何をしようとアトピーはちっとも良くなってなかったという現実が介護にもあったんですよね。
だから刺激じゃダメなんですよね、結局のところ。
刺激によって体への負担とか、あるいは体からのですね、
フロイターゲー号って書いてましたけど、あれドイツ語では何なんですかね。
つまりこういうことですよね。
学校に行きたくないですと、
今日熱があったらいいのにって思ったら体がゲー号してくれて熱を出してくれるんですよ。
フロイトに言わせればこれこそがヒステリーなんです。
まさにヒステリー。
少霊ドーラのドーラちゃんがなったのがこれなんですよ。
嫌だなと思ったことを何とかするのは体の病気であるならば、
体が病気になっちゃえばいいのにと思ったら体が病気になってくれるっていう形でゲー号してくれるんですよ。
私はそういうものに思いっきりはまってたんで、
いろんなパターンで病気を随時呼び出してたわけですよ。
もちろん無意識ですよ。
私は病気になりたかったわけじゃないし、
治そう治そうとしてた。
ここが分裂的なんですよね。
治そう治そうと意識の上ではするんだけど、
体はどんどん病気を用意してくれるわけですよ。
それで僕は非常にいい目を見ていたからですよね、ゲー号。
ヒステリーってそういうことなんですよね。
体が乖離してしまう。ある部分ではですね。
でも日常生活における何らかのメリットというものを提供してもいるから、
その病気はなかなかいなくなってくれないんですよね。
なんか貧乏神に取り憑かれてる。
そういう話にも似てるような感じ。
そして、これが一つあるんですよ。
ウッドバイブスを実践するにあたって、
一つのネックというのは変なんだけど、
ネックになるのはですね、
この種の病気を振り払ってしまうということに対するメリットを手放すことになるじゃないですか。
ドラもフライトに何度も言われてますよね。
その病気になってしまうということによって、
あなたがメリットを得れば得るほどあなたは不幸になりますみたいなことを繰り返し言われてるんだけど、
ついに彼女はそれを受け入れる気になれなかったわけですよね。
やっぱりその病気であるメリットというものは完全にイリュージョンなんだけれども、
彼女にしてみれば手放しがたいものだったわけですね。
万能感とストレスのコントロール
そんなことをする必要は、そんなことをしてもいいことはないんだけれども、
彼女もそれは分かってないわけじゃなかったんだけど、
やっぱり究極的には分かってないわけですね。
私もそうだったわけですよ。
結局、アトピーでいるということ、ここがまた難しい。
私にだけ適応したいんですね、この言葉は。
アトピーでいるということは、私にはメリットがあるから、
私はアトピーでいるということを選択したんですよ。
別にこれは全ての病気、全ての病気になっている人に
同じことが当てはまるわけではないんです。
だからここは要注意点なんですね。
ここもお前だけの話だと思って聞いておいてほしいんですよ。
佐々木だけの話だと。
つまり、全ての病気がそういう心理的な選択の結果とは限らない
というのは言うまでもないということです。
そういう心身症みたいなものもこの世の中にはあるんですけれども、
全部が全部そうだと言えるわけではないんです。
だから本当に胃のままにならないから病気になっちゃうということは
当然あるわけで、私の場合もそうですね。
ニオレンキン感染症に関してはこのままであれになったわけでは
決してないわけですよ。
大変な病気だし、知りもしれませんでしたし、
ただアトピーに関しては必ずしもそうではない部分があった。
やはりストレスをなくす幸せみたいなものはあったし、
病気によるメリット
ストレスというものがなくなるものだというふうには
全く思えてなかった。
ストレスをなくすということが私にとっての万能感だったわけですよね。
この種の万能感というのはひどくて、
少し前で言えばですよ、
うちの奥さんと喧嘩して家を飛び出すみたいな、
この時に私はそういう空想をするだけで
強烈な万能感を得ちゃうんですよね。
だからそういうことってやめられなくなる感じがするんですよ。
昨日3セブン、昨日じゃない、前回この番組は3セブンでしたけど、
3セブンのお話も、
3セブンのお話をしてたわけじゃないけど、
多分ああいう現象というのかな、
遊びの中にはすっごくストレスを洗い流してくれるような、
もっとそれ以上なのかな、わからないんだけど、
そういう何かがあるんだ、
なければああいうものにあれほど多くの人が凶じている、
理由が全然説明できるようになるような気がする。
人によってそれは様々な形を取るわけだけれども、
何かとにかくあるんですよ。
そして僕が一番問題になるのが、
ストレスというものを何とかするという形で
ストレスに取り組んでいると、
どこかに負担がかかる。
一番簡単に負担がかかりやすいのが体で、
この負担がかかっていた体にとっての対処、対応、
対応があって、
表現が、つまりアトピーという形を取っていたんだろうなと、
今ならわかるんですよ。
ストレスがなくなりつつあるから。
だけれども、当時はわからないわけですよ。
ストレスにまみれている。
ストレスがまさかですね、
まさかというのも変なんだけど、
自分が作り出しているものだというのがわからないんですよ。
自分の頭部に取ることによって、
無事被害的な問題も出てくるんだけど、
酒なんかまさにそうなんですけど、
無事被害的な問題も出てくるんですけど、
最初はつまり、誰かに何かを言われるとか、
そういうことがストレスになって思っちゃうじゃないですか。
思っていたわけですね。
子供にもれず、私も。
奥さんが嫌味を言うのがストレスだと思っていたわけですよ。
自分がそれに、要は言ってみれば、
意味を付けてですね。
意味を付けるというプロセスの中で、
自分自身にもストレスを植え付けていくという、
そういう心理的な流れみたいなものをですね、
自分の中で起きていることなんだけど、
全く把握していなかったと。
最近思うんですけど、
把握し損ねたと思っていたんですけどね。
把握し損ねたと思っていたんですけどね。
把握し損ねたと思っていたんですけどね。
把握しそびれているとか、し損ねていると思っていたのに、
そうでは本当はなくて、
把握する気がなかったんですね。
見て見ぬふりっていうのに近いんだけれども、
とにかく自分の中で起きているんだけど、
そこには注意を一切向けないので、
何にも自分が引き起こしている件について、
グッドライブスとストレス
興味を持たないようにしていた。
そんな感じが、そんなことだったんです。
そんな感じが、そんなことだったんです。
だから、結局グッドライブスっていうのは、
それを言ってくる話だから、
最初聞いた時は、
私はなぜか聞き心地が良かったんだけど、
聞き心地が悪いっていう人がいらっしゃるのは、
無理はないと思うし、
それを言ってくるから、
その嫌味を言われるとかによって、
ストレスが引き起こされていると思うのは当然ですよね。
その嫌味を言われるとかによって、
ストレスが引き起こされていると思うのは当然ですよね。
第一原因っていうのかな、
初動みたいなものがそこにあるわけだから。
でも、確かにそれは、
嫌味を言われなければ起こらないことだったかもしれないけど、
言われたとしても、
ストレスはないんですよ。
それはただの音声で終わるんですね。
これと同じことを倉島恵都さんもおっしゃってますけれども、
なんとなくここは、
僕は受け入れたんだけど、
受け入れがたいと言われれば、
受け入れがたいよなとは思うんですよ。
それでも1回はともかくとして、
1000回言われてみろと言われると困っちゃうんですよ。
言った人にしてみれば、
そういう解釈を選択せざるを得ないという心理には、
その人なりの最もな理由があるわけじゃないですか。
それこそ、
それまでどういう人生を送ってきたかとか、
今どういう状況にあるかといったようなことですよね。
だから、
その人なりの最もな理由があるわけじゃないですか。
それこそ、
その人その人なんですよ、結局ね。
自分は、
この方が楽だと思うんですね。
外で何が起きても、
何が起きてもって言われてもいかないですよ。
何度もこれも言ってますけれども、
ヒアリに襲われたとか、そういうことでもOKかって言われると、
そうじゃないんだけど、
今起きそうなことであれば、
自分が作り出して膨らませて、
それこそ糖を入れて、
二次災害みたいなものまで引き起こさなければ大丈夫って言う風にしていた方が
楽だよねっていうことなんです。
一旦、
自分で作り出さないという話と、
ストレスを除去する、
なんて言うんですかね、
甘味さって言うんですよ。
みたいなものの味を締めなければ、
味を締めるって言いますよね。
これを排しておくことは、
日常生活から排除しておくことは、
そう難しいことではないんですね。
例えば、今私は結構眠いんですよ。
多分そのことが、この番組に反映されていると思ってるんだけど、
それは、その方が今日はいいかなと思って喋ってるんですよ。
眠いんですね。
眠いというのもそうで、
眠くない方がいいんですよ。
眠いとしても、別に眠いだけにしておけば、
この眠さを私の中だけに留めておき、
これによって、
これによる不都合について、
あれこれ考えたり、
これに対する対応というものをあれこれやろうとしなければ、
別に大したストレスではないんですよ。
ストレスの増幅
ストレスが全くないわけじゃないんだけど、
大したストレスではない。
ほぼ無視できるレベルなんですよ。
僕は以前、つまり大学、
それこそ20、21だった頃が一番悪かったんだけど、
こうなると、まず彼女が欲しくなる。
本当にこれおかしいと思うんですけれども、
そうだったんですよ。
いいおっぱいと一緒に寝られたらどんなに気持ちいいだろうって考えるんですよ。
ただ寝ればいい話なのに、
ここに余計なものを付け加え、
そこに不在の母親の存在みたいなものを意識するから、
ストレスを得るわけですね。
そうすると次に例えば、スタバにでも行って、
甘いカフェラテみたいなものを飲んだりするわけですよ。
甘いのがいいんですよ、こういう時はね。
甘美茶ってやつですね。
そうするとそれを入れることで、
こういうストレスが少し緩和されたような気がして、
とても気持ちがいい。
当然カフェラテ自体が香りもいいし甘いしね、
こってりと甘いしね。
そうして二次被害を、つまり後でこれが肌に来るという、
体への負担を追加しているわけですね。
最初は寝不かっただけなんですよ。
さらに寝不足になぜなるのかということについて、
考えたりも当時はしてたわけですね。
そもそも寝不足になったのは、
父親のいびきがうるさかったからだとか考えるわけですよ。
そうすると、この眠気をそもそも作り出して、
感情が自分にできない苦しみまで存在しているのは、
父親が悪いのではないだろうかみたいに。
これは東映なんで。
今言ったように考えたわけじゃないですよ。
ただ当時の私なら別にこう考えても不思議なことではない。
こういう風に何か自分の問題の原因みたいなものを、
さらに検討して追加することによって、
この検討と追加は現に起こったことかもしれないけれども、
その時は起きたわけじゃないことじゃないですか。
スタバに行ってカフェラテ飲んでる時に
いびきがうるさかったのは夜の話ですよね。
これを脳内に追加することによって、
一段とストレスを高めるわけですよ。
だからカフェラテを2杯欲しくなったりするわけですよ。
そうすると体への負担は2倍になるわけですよね。
もともとなかったわけじゃないですか。
飲みに行かなきゃないわけだから。
こういう風に僕らはいろんなことを考えて、
いろんなことをすることによって、
いろんな負担を自分に敷いていくんですね。
重ねていくんです。
僕は今何もしないって話をよくするんですけど、
これも倉園さんの受け売りなんだけど、
でもタスクシュートとかでもそうなんですよ。
これは百チャレの時によくしたくなるんです。
何もしないってことは、
つまり何も考えずに何も対策を打たないってことは、
自分に余計な負担を増やさないという観点で見ると、
すっごくいいことだし、
大事なことだと思うんですね。
今私がやってることは、
つまりこの眠いときも何もしないんですよ。
シャワーを浴びるとかコーヒー飲むとかもしない。
そうすれば体に余計な負担が増えないじゃないですか。
眠いだけで事足りるってことですよね。
眠いだけで済む。
このストレスをただ持っておくだけにしておく限り、
このストレスは大した量じゃないんですよ。
ここから増やしていくわけです、僕らは。
何とか例みたいなの飲むわけじゃないですか。
あれだと負担増えるんですよ、やっぱりね。
飲んでてよくわかります。
何もしないことの大切さ
で、いろんな原因について考えるじゃないですか。
昨日の夜にあったことだから、
夜にどうして眠り不足になったのかみたいなのも考えるじゃないですか。
僕はそれを考えなくなったから、
思い出す能力が低下しているわけですね。
話を最初の方に戻ってるんだけど。
だから昨日の晩何があったからこんなに今眠いのかっていうのを
ほぼ思い出せないし、思い出さない方がいいと思うんですよ。
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