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2024-01-25 35:44

お金とライフハックの微妙な関係【GMV924】

「あるがままでいい」を、理解するには手間も暇もかかる。

サマリー

28日の負のループから抜け出すタスクシュートとGoodBIOSの掛け合わせみたいなテーマで話が進んでいます。Good Vibesとライファクは論争の種になりやすいが、モチベーションの低下が衰退を引き起こすと考えています。ゲーミフィケーションとお金儲けの関係について考察をし、締め切りや恐怖を金と関連づけることができるのか、ライフハックの役割についても検討しています。お金2.0とライフハックの関係について考察し、その結果お金を儲ける競争が広がっていることを指摘しています。お金とライフハックの関係について、社会適応度や精神的な良心の働きによるジレンマ、お金2.0の提供、著者の裕福化などが話題になっています。また、ウツパンの成功や名刺交換による絶望についても触れられています。

タスクシュートとGoodBIOS
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
1月25日、木曜日。いよいよ1月も終わりそうですが、それにしても今日も寒い。
ただ、昨日に比べると、実は3度ほどここの二宮は上がっていて、
昨日は氷点下ですからね、珍しい氷点下なので、
だいぶマシにはなりましたけど、相変わらずちょっと寒いですね、このぐらいの気温だと。
すいません。
28日に、オンラインになってから一段とお申し込みの方が急に発生するタイミングとそうでないタイミングの落差がすごい大きくなって、
なんかあるんだろうなって思うんですけど、これはただ僕の小規模な関係なので、
法則性みたいなものを言うところではないんですけど、なんかでも主催者としては感じるものがありますね。
ずっと1だったけど朝起きたら11になってたみたいなね、そういうことが起こるんですよね。
それがちょっとびっくりなものなんですけども、
でもまた、だからといってそれが100になるとかはなくて、やっぱりずっとしばらく10台を続けるみたいな、そういうのはあります。
まあ、それはいいとして、16、15時からですね、28日、日曜日の15時から、負のループから抜け出すと。
負のループって言われるものがですね、表現としてありますよね。
負のループって何だろうと思わなくもないですが、そういうタイトルなんで、
ここから抜け出すタスクシュートとGoodBIOSの掛け合わせみたいなテーマでいこうと思います。
割とどっちの、こういうのも変だけど、どっち側のアプローチとしてもこれは得意分野なんじゃないかと思うんですよ。
まあ、その2つ掛け合わせたやつを使っても抜け出せませんでしたって言われると困るんですけれども、
これは僕はですね、いける方なんじゃないかなっていうふうに思います。
タスクシュートにもやっぱり得意分野っていうのは絶対あります。守備範囲ってやつですよね。
これやれば、やらないよりは、この点については絶対有利だろうっていうようなのがあります。
有利ってのは勝利の確定であるっていう話ではないんですけれども、不利ではないみたいなね。
統計的な話に最終的にはやっぱりならざるを得ないんですけれどもね。
まああれですよ。すごく簡単に言うと、
布団かけずに寝るよりはかけて寝た方が健康ですよねみたいなことなら言えるでしょうと。
それだとあまりにもつまらないので、もう少しは遥かにマシなことをやってはいると思うんだけれども、
でもそれは絶対じゃないですよね。
布団かけて寝ても僕のようにあっさり風邪をひくやつもいれば、腹丸出しなんだけど全然ピンピンしてる人は当然いるわけで、
だから統計的って話にならざるを得ないと思うんですよ。
タスクシュートというのは、僕はこれがもちろん使えないという人はそれはいらっしゃると思います。
例えばもうすごい極端に言うと4歳児は大概無理ですよ。
すごい時々そういう独特の人もいて、4歳でも使いちゃいますみたいな人もいると思うんだけど、
だからやっぱりこれもう統計なんですよね。
統計的な話にならざるを得ない。
それが面白くなくてもそこはもうしょうがないとは思うんですけど。
Good Vibesもそういう意味では多分同じで、
相性っていう風に人は言うんですが、他の言葉がないですからね。
相性と言えば相性なんでしょうねっていう話にはなるんですけれども。
あんたは相性よかったんでしょうよって言われれば、それはそうです。
例えば今私は、この話から入っていこうと思うんですけど、
28日よろしくお願いしますということで、
私がなんでGood Vibesを広めるサポート活動に突っ走って見えるかもしれないんですけど、
突っ走って見える人には突っ走っているのはどうしてなのかというと、
どこから遡るといいんですかね。
どこまで遡るといいのかってことですね。
ライファクとの関係
先日東京ライファク研究会に山崎隆明さんをお招きしたのも、
趣旨としては少し変ではありますよね。
お前の趣味だろうと言われれば、そうとも言えます。
つまりライファクというのは、そもそも的に言うと、
これは私の感覚も当然手伝っているけど、
おそらくは少なくともあれを発足させた頃、
僕が発足させたわけではないんですけどね、
北信也さんが発足した旗振り役の人で、
僕は彼はそういう意味でやっぱりこう、
活動能力の高さってあるなって思うんですけど、
行動的ってことですが、
当時はさらにそのちょっと前からそうだったけど、
別にあれが新自由主義と結びつくとか、
うんうんみたいなものは、
意識されては全然いなかったわけですよ。
まあ非常に簡単に言ってしまうと、
ちょっとノートをデコったりするのは楽しいよねみたいな、
ある意味そういう世界から始まったもんだったと思うんですよね。
ソニーから当時はまだ間髪に出ていた。
今思うと、一体あれがあんなのに何万円とかかけてたら、
何だったんだろうっていうようなガジェットも、
割と元気に発売されていて、
日本はすでに高経験限界が来ているよみたいな話から、
僕のようにすごくそっち系疎くても、
昔みたいじゃないのは分かった、分かってたけど、
でも結構元気にやってたわけですよ。
もちろんそれは格差みたいな話をすればですね、
どこに行っても全然元気じゃない世界と、
でもだからといってそこがあっちゅんですかね。
要するに今はそういう話がすごく取り沙汰されていて、
それは大事な話だと思うんだけれども、
それは今がものすごく貧乏になったからではないような気がするんですよね。
そんなにある種のパフォーマンスは大きく変わったんでしょうけどね、もちろん。
昔の人はみんな車買ってましたしね、
どういうつもりだか知りませんけれども。
今はそうじゃないっていうような話が、
でもそれは昔の方がどうかしてたと思うんですよ。
どう考えても別にそんなに車が必要だったとは思えないけれども、
みんな買ってるみたいな。
こういうのってなんていうのかな、
すごくその人の個人個人の特性ってあるじゃないですか。
例えば私の実家、どっちの実家もですね、
妻の方も私の方も実家に行くとやたらテレビがあるんですよね。
テレビ何台もあるわけですよ。
買おうと思えばテレビって今の時代買えるじゃないですか。
うちの父なんてこの話はよく私もネタとして取ってあるんですけど、
私が10歳までテレビ買わない教育奉仕になったくせに、
お前今ほとんどの時間テレビ見て過ごしてるじゃんみたいなね、
そういうことになってるんだけど、
それは例えば僕がスマホにかける時間というものを、
彼は全くかけないからなんですよ。
基本的にポケットにスマホを持って歩かない人間なんですよ。
絶対入れといてほしい年になってきたんだけど、
入れるという習慣はないですね。
実にしてみると携帯電話というのは、
自分がかけるときだけに必要なツールなわけですよ。
人からかかってくるってことは何とも思ってないというか、
ほぼ無視しているんですね。
非常に使い方が間違ってると思うんだけど、
彼にとってはやっぱり車とテレビなわけですよ。
そしてそれなんか多分僕がネットとスマホにかけてるのは、
彼から見るとほぼ無駄な時間なんだと思うんですよね。
この種のことってもう決定的に何かがあって、
無知ってことは当然あるんですよ。
しゃあないわけですよね。
そこに個人の思考ってものが偶然現れるわけだと思うんですね。
長々と遠回りしてきたんだけど、
ライフワークの衰退
ライブハックというのは思考だったんですよ。
要するにスタート時点ではね。
僕はそこが実用と橋渡しされればちょうどいいんじゃないかと思ってたんですね。
これが思いっきり仕事の役に立つというイメージは当時はなかったですね。
今はもうその先に行っちゃってる感じがありますが、
当時はなかったですね。
ノート術とかが本当に勉強とか仕事の役に立つというよりは、
ノートを使いたくなる気持ちがある程度それで刺激されれば十分なんじゃないかというような感覚で、
僕は少なくとも言いました。
だからまさかですね、これ抜きでは仕事は回らないんだよ、論みたいなのが進行し、
さらにその先へ行って、これで金を儲けるんですよっていう話が、
まさかね、だからつまりライフワークやってる人っていうのは新自由主義者なんですよみたいな話をされることになるとはですね、
そんな話をして、それが笑い話以外のものでもあり得るとは僕は考えなかったわけですよ。
考えてなかった人の方が普通に多かったと思うんですよ。
だからいつの間にかそういう話を誰かがしても割と真剣に聞かれてしまうという状態があって、
それはある種の分野にある種の世界の深刻さを反映してるなぁとは思うんですね。
と同時に、だからこそ一見したところそれってライフワークってものがですね、
ものすごく有用なほとんど錬金術ぐらいな勢いになってくるわけですけど、
だからこそライフワークがうまく扱わないと衰退していく。
ここに来ても金儲けはできないんだなって思うと、
そういう文脈に入り組み込まれつつある段階では多分衰退していくと思うんですよ。
でもこれは衰退しているのはそれだけが理由では全然ないんですけどね。
でも、こういうのってですね、論争の種になりやすいんですけれども、
私はむしろ単純にモチベーションの低下だけを引き起こすだろうと思うんです。
ある種の人にしてみれば。
だいたいそもそも金儲けっていうのはですね、金がよっぽど好きでないと面白いもんではないんですよ、おそらく。
だって金儲けっていうのは、ある種の緊張感をものすごく持ってなければ、
およそモチベーションを維持するのは難しい作業ばっかりですよ。
ゲーミフィケーションとお金儲け
これがですね、ゲーミフィケーションと呼ばれるものに僕はすぐ限界を感じてしまう理由なんですよね。
ゲームっていうのは、さまざまな工夫を凝らすことによってですね、
ある緊張感の位置づけがすごくこう…
名人芸だと思うんですよね、あれは一種の。
もともと、お金儲けはそれよりは分かりやすいにせよ、
同じ実は問題を抱えていると思うんですけども、
お金はすごく大事で、僕はお金大好きですっていうのを、
ある意味、扇動のようにしておかないとダメなんだと思うんですよ。
お金を儲けるっていうことは、とにかくいいことなんだっていう風に考えておかないと、
だいたいすごくお金を儲けている人の中にはですね、
全然贅沢したくない人っているんですよ。
あるいは贅沢っていうものがこの人は、
たぶん全然理解できてないなって感じの人って大勢いらっしゃるんですよ。
それはたぶん僕はですね、
お金は物と変えられて初めて価値が持つんだろうけども、
あるいは権力を持てるとかね、
でも権力にも物にも大して興味ないけど、
お金にだけ興味いっぱいありますって人は結構いるじゃないですか。
非常に面白いんですけど、
それは要するに欠乏感の問題だと思うんだけど、
でもこの欠乏感というのはですね、
ほとんど罪悪感なんですよ。
つまりここから先の問いはないんですね、この種の人にとっては。
時間の欠乏ってのが一番これに僕は該当すると思うんだけど、
時間ではなくならないじゃないですか。
その人は多分案にする寿命とか締め切りとか勝手に取り替えてるんだと思うんだけど、
寿命というものはそもそもわからないし、
いつ死ぬかがわからない以上、
これについてあーだこーだ手を打つっていうのは、
相当割に合わない仕事だなって僕はよく思うんですよ。
でもこれが割に合うと思う人にとっては、
なんかそこに自分は見通す能力があるんだと、
かなりの程度信じられるんだと思うんですけど、
僕はやっぱりないなーっていうのを、
最近いろんなものを見ても実感するんですよ。
でもまあこれはいくら喋ってても無駄なんで先へ行きますが、
次に締め切りなんですけど、
この締め切りっていうのは結局お金と関係があるはずなんですよ。
なければ、締め切りが恐怖に変わるはずはやっぱないと思うんですよね。
締め切りが恐怖に変わるというのは、
つまり貧乏に恐怖を感じているっていうのの言い換えだと思って、
これは時間の欠乏感じゃなくて、
お金の欠乏感なんだろうなと思うんです。
締め切りがとにかく怖いから仕事してますという、
100%そうですっていう人は、
一生苦に困らない状態になったら、
締め切りに何の恐怖も覚えなくなると思うんですよ。
その場合、
それってすなわち足りてないのは時間じゃなくて金なんですよ、
っていう話でしかないんですね。
締め切りと恐怖の関係
ここまで踏まえて考えてみるとですね、
僕はゲームというものと、
ゲームとお金儲けっていうのは実によく似てると思うんですよね。
その人が実は欲してもいないもののために必死になって、
それ自体にはモチベーションがおそらく湧かないである作業を一生懸命している。
私が今念頭に置いているのは、
例えばロールプレイングゲームの経験値集めみたいなやつですよ。
あれは実に名人芸なんですよね。
ある種のストレスが生じる状態というものを
擬似的に作り出して、
非常に簡単に言うと主人公がモンスターにグエーってやられるのが、
あれがストレスにならないと絶対レベルアップって意味ないと思うんですよね。
あれがストレスになるというのはどういうことかというと、
キャラクターに自分を投影している以外の何者でもないですよね。
だってキャラクターが真っ赤になって死のうが何しようが、
自分に痛くも痒くもないはずであり、
それが心にせよ何にせよ、
ピクミンというゲームをやっていて面白いなといつも僕は思うんですけど、
ピクミンが食われると悲しいんですよね。
でもピクミンというのは私じゃないわけで、
もちろん生物でもなく存在もしていないんだから、
ピクミンが食われると悲しいということほど、
人間の投影能力の高さを物語っているものはないと思うんですよ。
もう投影100%投影ですよね。完全にイリュージョン。
なんだけど、これができるんでなければ、
人間は何やってても面白くないでしょうから、
人間の活動なんてほとんどがこれですからね。
だからゲーミフィケーションか、
ゲーム要素を持ち込めば仕事が楽しくやれるみたいな、
理屈もしょっちゅう上がってくるんですけど、
これが耐性した試しが僕はないような気がするのはですね、
結局大事なのはどんなゲームをやっても面白いわけじゃないっていう、
この点を突っ飛ばしちゃダメだと思うんですよね。
ゲームっていうのは仕事をゲーム化するよりも、
遥かにややこしいことをゲームそれ自体でやっている。
最近もうすごいですもんね。
私も驚いたんですけど、スイッチでマリオを娘がやってるのを見て、
もうこれ完全にファンタジーの世界に完全に入り込める、
一歩手前のところまでも既に来ちゃっていて、
たぶんその気になればお金かければってことですけど、
入れるだろうなって思うんですよね。
そしたらそれはもうこっちに世界ができたってことになるじゃないですか。
ということはあそこにかけているエネルギーは、
仕事をゲーム化するレベルの比ではないと思うんですよね。
だから面白いんですよ、結局は。
それは我々がやっぱり投影能力がいかに高くてもですね、
ピクミンがよっぽどうまくできていない限り、
ピクミン食われても痛くも痒くもないわけですよ。
本当に痛くも痒くもなければ、
あのゲームが面白い要素はほぼ全滅するわけですよね。
痛い、痒いと思って初めて、
それを回避するために力を尽くす気になるわけですよ。
大概モチベーションというのはこういうふうに作られているんです。
今私の言っている文脈は、
ライフハックの役割
フットバイオスと逆ですよ、完全に逆な方向です。
つまり恐れと不安こそ大事だって話なんですよ、この場合は。
ここに恐れと不安がゼロでは、
ゲームにおける努力ってものはほとんど意味を失う。
他でもかなりの部分そうなんですよ。
よっぽど何か真っ当な精神の持ち主でない場合、
お金が大金が欲しいというのは、
将来生まれるであろうストレスを
万能的に回避させてくれる力が金にあると信じられているから。
これは嘘だと僕は思うんですけどね。
僕自身は歯医者に行った経験一つ取っても、
そうはいかないって思うんですよ。
大金を積めば積むほど、
歯がどんなに虫歯になってもOKだってことにならないじゃないですか。
どっちかというと甘いものを食べないとかね。
そういう方が有効だったりしますよ。
金を儲けるなんてことより。
非常にこの辺って大雑把に考えられていて、
人間の脳に訴える訴え方っていうのは、
そんなもので十分なんですよね。
一見したところお金いっぱい持って、
これはお金が全然ない人と比較するとそうなんですよ。
歯医者にも行かれないみたいなね。
そういう現実はありますからね。
それに比べると名医にかかれば、
麻酔のやり方も上手いしって話にどんどんなってくるんだけど、
でもですね、なおさも甘いものを控えておけば、
こうはなりにくいわけですよ、やっぱり。
そうすると甘いもの控えるってお金いらないじゃないですか。
こういう風には僕らはあんまり考えようとしないんですよね。
でもそういうことも僕らは実際は考えますから、
あんまり考えたくなくたって考えますから、
結局は健康増進法みたいな方向に割と走るわけですよ。
で、だんだんこう考えていくとですね、
ライフアップというものは単純ですかね、
突き詰めて考えすぎたんだと思うんですよね。
新自由主義云々みたいな話になっていくというのは。
でも僕らは多分、いわゆる日本でいうと、
失われた30年的な世界もあるし、
本当に新自由主義みたいなのが世の中で、
世界でってことですけど、進行したこともあるし。
で、だんだんですね、何でもかんでもそういう風に、
組み込むか考えるかっていう話に進んでいった気がするんですよ。
ビジネス書の流星見てると本当感じました。
一方ではお金2.0とかそういう方向でしたもんね。
僕はこれのよしよしを喋ってるわけではないんですよ。
この話もすぐよしよしになりやすいんですけど、
やっぱりライフよりお金でしょうっていうことなんですよ、あれは。
あるいはビジネス書よりお金の教科書でしょうっていう話なんですよ、結局。
確かにExcelでVBAを使ってタスクをうまく並べ替える、
いかにそれを素早くやるかなんてことよりも、
100億円儲けてしまえばそもそも働かなくてよくないってことを、
あれは言ってたわけですよね。
私はそれは今言ったような事情を持って、
すっごく途中はすっ飛ばされたんだよなと思うんだけど、
そういうふうにどんどんどんどん言われてくればですね、
つまりその都度問われてるのは、ライフハックって役に立たなくない?
役に立たなくない?っていう話なんですよ。
そう言われればライフハックやってた人たちは面白くないから、
いや、こう役に立つんですよ。
お金2.0とライフハックの関係
役に立つんでしょって頑張るでしょ。
そうやって頑張っていて、これは役に立たないから、
もうこれはやめようみたいな。
エヴァノートはダメだから、
ちゃんと役に立つようなやつを、
ちゃんと役に立つように使うようにしようと。
一見この方向は健全なんだけど、
これをずっとやっていくとつまり、
お金2.0とライフハックを戦わせるという形になってって、
しかもその戦いの土俵ってのは、
お金儲けの土俵になってくわけ。
これが多分ですね、
ありとはいろんな分野で可能な限りの分野で広がった結果が、
人事不主義的世界ってやつなんだろうなと。
すべてがお金を儲ける競争というものに、
作り変えられていったんでしょうね。
多くの場合、いろんなやり方があるんですけれども、
やっぱり比較的難しくない方法としては、
あれなんですよね。
誰でも同じことになるんでしょうけれども、
お金持ちからお金をいただく方が、
はるかに無理がないっていうことが、
どうしてもそういうのは商売って出てくるんだなというのを、
僕もこのいわゆる失われた30年とか言われてるものに付き合ってるうちに、
実感させられるようになったんですよね。
好き嫌いの問題とはまた別にですね、
やりやすいんですよ、この方が。
なぜならば当然なんですよ、それは。
お金を持ってる人というのは、もちろんさっき言ったように、
お金そのものが大好きですっていうか、
お金を儲けることが大好きですっていう人は別としても、
お金がある人っていうのは結局、
お金を使うということに対して、
いろんな意味で抵抗が少なく、
失うということについてもいろんな意味で抵抗が少ない。
これはさっき冒頭で言ったように統計的な話ですよ。
みんながみんなそうなわけでは全然ない。
1円でも失うことに対して気が切れないって人もいっぱいいらっしゃるからね。
でもそうなんですよ。
そうすると、
大概の人はお金が欲しいと思えば、
お金持ってる人からっていう話になっていきます。
そういう人の方がお客さんとしてだいたい、
まぁあれですよね、儒教的な話ですよ。
職銃たりて礼節を知るんですよ。
だからやりやすいんですね、結局ね。
お金に困ってる人からお金をいただくという話になってくると、
些細なことでもトラブルになりやすい。
でもですね、やっぱりお金を持ってない人の方が
世の中圧倒的に多いわけだから、
お金を儲けるって話になってくれば、
二極化していくわけですよね。
肩や単価を偉く高くする世界が始まり、
肩や単価をなだら下げる世界が始まるわけですよね。
二極化していく。
なんかいろんな分野で起きたような気がします。
もともとあったに決まってるんですけど、極端になったなーって感じはするんですよね。
いい人って漫画がどこの連盛だったか忘れたし、
一時ドラマ化もされたんですけど、
百貨店にスポーツメーカーが入っていく過程みたいなのとか、
そういうプロセスを漫画化している。
全部が全部そうかわかんないですけどね。
ライテックスとかいう言葉が出てきて、
お金の持ち方による二極化
かなりリアリズムだなこれと思ったんですけど、
その中でこの路線をずっと続けていると、
百貨店は二カ店になってしまうんですよみたいなセリフが出てきて、
ていうかもうなったなーみたいに思ったんですよ。
二カ店っていうのはつまり、
金持ちとお金のない人をターゲットにしていくから、
お金持ちが好きそうな商品と、
あとはコモニティ化を進めていく商品の中間が何もないお店になるよね、
ていう話だと思うんですよ。
ライフハックっていうのはどっちなのかというと、
全然お金がない方に最初は向かってたわけですよね。
どう考えたって。
コモディティの世界だと思うんですよ、あれは。
お金持ちが問題を解決しようとしたら、
ああはやらないじゃないですか。
結局ある種のライフハックっていうのは、
例えば昔がそうだったんですけど、
フロッピーディスクっていうしょうもない記録媒体、
しょうもなくはないんだけど、
容量的にはしょうもない記録媒体があるわけですよね。
容量がでかいやつが高かったわけですよ。
何を始めるかというと、
ファイルを圧縮するという話が始まるわけですよね。
これがライフハックですよね。
つまり金をかけないで済ませる方法はないだろうかっていう話。
そこに様々な無理くりな工夫がもう呆然と行われるわけですよね。
だからライフハックというのは、
そういう意図は別にないんだけど、
あるがままを肯定するみたいな部分もあるわけですよ、結局は。
あなた無理しなくてもいいんですっていうか、
そこで無理するんだけど、
あなたはあなたのままで大丈夫っていう、
お金いっぱい儲けなくても、
ファイルをジップすれば大丈夫ですっていうような話。
だけどお金あるんだったら、
そういうことは考えないで、
いやMを買えばいいじゃんってことになるはずなんですよね。
だから二極化するんですよ。
で、そのライフハックがですね、
お金2.0と張り合い始めるっていうのは、
自己矛盾も甚だしくて、
だんだん崩壊していきますよね。
というかついていけなくなる。
つまりそれは結局、
実際にお金でことを解決しようとすれば、
速度とかその他すべてでも、
Appleで一番最上位機を全部買ってくれば、
こと足りるわけですよ。
それはどういうライフハックをやるよりは、
有効であるというか、
圧倒できるっていうのは、
当然確かな話なんですよね。
先日山崎さん、
お招きした山崎さんもよくその話されますよね。
東大に入った子の親の年収は、
平均の年収を遥かに上回るという、
この面白くもなんともないような話が、
でも現実としてはあるわけですよね。
勉強の工夫とか、
いろいろやるっていう、
そういうことも含めて、
結局はお金がある人が、
お金を使った上でそういう工夫をすると、
工夫だけやろうと、
そもそも工夫もしないけど、
工夫だけやろうとしてる人は、
その土俵でやる限り、
かでっこないっていう話に、
だんだんなっていくと思うんですよ。
だから、
あそこにライフハックというところにですね、
ガウンセリングの話を持ち込むというのは、
僕は実はすごく倒作しているようで、
そうではないと思ってるんです。
どうしてかっていうと、
本当はガウンセリングっていうのは、
お金の話に持ち込んでしまうと、
ナンセンスのものになっていく気がするからなんです。
ところが、
実際にはガウンセリングには、
あれは人件費だからお金がかかると、
こういうジレンマがですね、
不思議もなんですけれども、
怒られるかもしれませんけど、
似てるなって思うんですよね。
ガウンセリングやってる人というのは、
どちらかっていうと要するに、
僕はリベラル多いなって思うんですよ。
その気持ちはよくわかるような気がするんですよね。
できれば無料でやりたいぐらいに
思ってるんじゃないかなっていう人も、
少なからずいるように思うんですよ。
でもあれを無料でできるわけがないですよね。
国がお金の面倒を見ればいいのかというと、
ことはそんなに簡単な話ではなくなっていきます。
けれども、
あれを実費で全部やるとなると完全に、
精神分析なんか特にそうですけど、
金持ちのものになっていきます。
もともとそういう商売で始まったものでもありますが、
この辺っていうのがだから、
歴史ってあるなって思うんですけれども、
つまりそこにややこしさがあるなって思うんですよ。
最初からジレンマ抱えてるよねっていう気もするんですよね。
安くカウンセリングをやってたんでは、
カウンセラー自体が潰れてしまうという恐れは、
多分にある気がします。
LIFACはそうでもないですけどね。
LIFACっていうのはその点では、
そもそも本業でない人がほとんどなんで、
僕みたいに、
一時の私みたいにLIFACの本書いてくってますなどという、
危うい生き方をしている人は、
そういうものではない。
だからLIFACはこの問題を、
本業ではないところでやるっていうやり方で、
切り抜けてきた気がする。
精神分析とかカウンセリングは、
そうは、でも結局それに近いんですよ。
彼らはスクールカウンセラーとかね、
産業カウンセリングとか、
あるいは大学に行って、
カウンセリング的な臨床心理みたいな授業をするとか、
そういう方向で結局食べるという、
意外とですね、
だから本業というものだけで食べるっていうのが難しい。
この辺もよく似てるんですよ。
つまり話がそもそも分裂してるんですよね。
金がないとできないようなことを提供しているくせに、
できるだけ多くの人に、
できるだけ安価に提供したいという気持ちの人たちが、
むしろ努いやすい内容のものになっている。
LIFACは多分そうです。
そして精神分析も、
少なくともカウンセリングっていうのはそういうもんだと思うんですよ。
お金と社会適応度
なんつーんですかね。
社会適応度が高くない良い人。
いい加減ですけどね、この言い方は。
でも社会適応度が、
結局のところ、
ある種の精神的な良心の働きによって、
社会適応度が十分に良くはなれないという人向けにしたい、
っていう部分があるんだと思うんです。
あるがままでいいっていうことですよね。
だからあるがままでいいっていうのをしかし、
提供するとなると意外に高くついてしまう。
それで、
ジレンマに陥る。
なるべく安く、
たくさんの人にこれを提供しようとすると、
提供者側が潰れやすい。
しかも言っている内容が意外にややこしくて、
少なくとも分かりやすくないんですよね。
それに比べると、
お金2.0ですと、
100億を設ければ全ての問題解決するんですよって、
ズバッとストレートに言われる方が、
多くの人には実は響く。
そして、これもまたすごくねじれるんですけれども、
そういう話って、
何か金持ち向けっぽいじゃないですか。
お金の教科書
お金を設ける話が読んでいる人たちが、
みんな貧乏だったら、
いかにも嘘くさいじゃないですか。
しかしですね、
ライフハックのセミナーに行くよりも、
特に精神分析なんか受けたり、
カウンセリング受けるよりも、
はるかにお金2.0の本を読む方が、
安くつくんですよね。
そして飛ぶように売れると何が起きるかというと、
著者は裕福になれるという。
なんかこの構造っていうのは、
僕は避けがたいなっていう風に、
いつも思うんですよ。
これを何かちゃんとした形っていうのか知りませんけれども、
これがやっぱりあるがままの形に、
どうしても近いんじゃないだろうかなっていう風に思うんですね。
これと今のような話は、
非常に今回もグダグダ回ではありましたけれども、
ウツパンに出てくるんですよ。
ウツパンというのは、今回東京ライフハック研究会でも紹介した、
ウツの人の騎士年齢と戦いながら頑張って生きている、
ウツの人の主人公がパンダになっていて、
お母さんもパンダになっているからウツパンなんですけれども、
あの中にやっぱり成功して、
この人生を何とかしようということで、
あのパンダさんはすごくその辺が率直で、
まさにこういう人にとってこそお金の教科書なんだろうなっていう、
顔をキリッとさせてですね、
名刺をエリートっぽい有名な人と交換するっていうシーンが出てくるわけですよ。
これで何とかしようみたいな。
それじゃ何とかならないだろうとは思いますけれども、
難しく考えるというのは難しいですよね。
僕はやっぱりこのウツパンのような人にとって必要なのは、
カウンセリングとしか思えない。
できれば精神分析だけど、
どっちも確かに沿道そうなのはわかる。
絶望と名刺交換
せめてエリートと名刺交換するぐらいなら、
ライファックの回の方がまだだいぶマシだけど、
どうしてマシなんだというのを説明するのは難しいですよ。
実に難しいです。
そんなの何の役に立つのと言われると大変困る。
大変困るんだけど、
ウツパンさん自身がそうであったように書かれていますが、
この名刺交換は彼を絶望させるだけだ。
でもどうして絶望したのかもわからないんですけどね。
漫画の中ではわからない。
多分わからないことなんだろうとは思うんですよ。
35:44

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