チャレンジの紹介とコミュニティについて
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
6月8日の木曜日、朝8時17分です。
昨日、一昨日、昨日か、昨日なぜか落としましたですね。
そんな予定ではなかったんですけど、
今日は100日チャレンジ編をお送りしようと思っております。
なぜか昨日はですね、寝てしまったんですね。
なぜかって眠かったんだと思うんだけど、
気がついたら即出発時間みたいになって、
これはもう、というかもうその時には、
一昨日も同じようなことを言ってましたが、
その時にはもう100チャレをやってる場合じゃねえっていう、
100チャレじゃなくて、
ポドキャストやってる場合じゃないということになって、
早々に家を出たという感じです。
そうなるはずはなかったんですけどね、
まあそうなっていたと。
最近やっぱりこう、
何をしていても気持ちが良いために寝るのも早いんですよ。
あっという間に寝てるみたいな。
そしていろいろなことをその時、
昨日忘れたのは、要はアラームをかけ忘れていて、
気がついたら大変なことになる。
でもそこまでやっぱり僕は、
寝て5時間経つみたいなことはないんですよね、
二度寝した場合は。
トイレに置きがちなんで、
まあそんな感じでした。
そして今日はですね、
今日も実は7時に撮るつもりが、
もう気がついたら8時になってるわけですよ。
そのくらい、
様々なことがですね、
あっという間に過ぎ去ってるんですね、
僕の中では今のところ、最近。
という感じで、
今も寝起きで、
やばい収録撮らなきゃみたいな、
今日もちょっと用事がありまして、
やばい収録を撮って、
即出かけるという感じでしてね。
何にも考えてないんですよ。
百チャレ編だぞってことに、
書いてあるから百チャレ編って言っただけみたいな、
そういう感じなわけですね。
コミュニティの違いとアプローチ方法
CMを今からしなきゃいけないな、
ということを思い出しまして、
来週の土曜日早々にですね、
読書会をやります。
これはですね、
セルフコンセリングのための読書会ということで、
本、ピックアップする本は大体決めてるんですが、
これを皆さんにお話ししながら、
どうやってこれが
カウンセリング的なものに活用できるかという、
つまり自分がちょっと悩んじゃったときに、
本読んで何とか、
ならないケースも多いんですけど、
何とかするということを僕はするんでですね、
どうやるのかということをお伝えしたいということです。
で、オンラインでもリアル参加でも、
リアルは有楽町のほうでやるんですけど、
これはぜひ有楽町に来ていただいて、
懇親会とかもやろうよと言いたいんですけど、
最近はもうですね、
両方でやる場合はほぼオンラインに行かれるということが、
普通になってきておりますんで、
それは分からないでもないんでね、
どちらでもいいかなと思っております。
それで、
これはですね、
3カ月チャレンジというものを、
ご参加いただいている方も、
こちらにご参加いただくことができます、
ということになっているやつで、
一般参加の方も、
公募していると、
そういう内容になっているわけですね。
その、
3カ月チャレンジもそうなんだけれども、
母がやっぱりちゃんと働いていませんで、
寝て起きたばっかりということもあって、
今ですね、
倉田のけいどうさんとやっている
グッドバイブスファクトリーと、
あと、
J松崎さんとやっている100日チャレンジも、
全部オンラインコミュニティなんですね。
これをですね、
ぜひこう、
今はちょっと、
皆さんにいろいろ、
気に入ったやつにですね、
参加いただくというのが、
私としてはいいかなと、
今思っています。
というのはですね、
そういうことが変わるわけではないんだけど、
お伝えの仕方とか、
今手帳編というのもやっておりますが、
使う媒体というんですかね、
何を開催させるかみたいなことが、
時と場合によって変わってくるわけですよ。
なので、
言っていることは最終的に同じになるんだけど、
それが、
100日チャレンジでは手帳で喋るとか、
タスクシュートで喋るとか、
ファクトリーだったらグッドバイブスを
グラズモンさんがお話になるとか、
3ヶ月チャレンジだと、
精神分析がすごく話のホットトピックになっているんだけど、
こういうふうに変わるんですよ。
だから、
お好みに合わせてみたいなところがありますよね。
で、3ヶ月チャレンジは例えばちょっとお高くなってますが、
代わりに少数で、
結構こう、
かなり濃いコミュニティを
少数運営でやっていて、
私と毎週セッションさせていただけると。
私としてはね。
これはもちろん受ける方のためのものなんだけど、
私としても毎週毎週同じ方とお話しすることで、
個別コミュニティのアプローチ方法
なんていうんですかね、
その人にカスタマイズするとはどういうことかというのはですね、
もう、
ありとあらゆる感覚から
分かってくる感じがするんですね。
これは、
鉄点を多く持たないと、
なかなかこう、
話はいつも同じ方向を向いてるんだけど、
やっぱりその人ならではのご事情というものもあり、
それがどういう関係を結んでいくのかが分からないと、
出てこない話ってやっぱりあるんですよね。
それが出てくるので、
いいかなと思っています。
ただ、100日チャレンジでは、
もっと多くの方がご参加されてるから、
そんなにお一人お一人の、
それこそ可愛い人用に全部知っていくなんてわけにはいかないじゃないですか。
生育歴まで細かに、
毎週毎週やってたら大変なことになっちゃいますから、
7で割ったって100ですから、
チャレンジ編の意義と参加方法
8人の方を毎日お話し聞かなきゃならなくて、
多分僕は頭が混乱して終わっちゃうと思うんですよね。
もっとも、100人ご参加いただくというケースでは、
不思議なことに、
100人の方が平等にコミットされてくるってことは起こらないんですよね。
ものすごく参加される方もいらっしゃれば、
ほぼお申し込みをいただいて以来、
おとさたはなくなるみたいな方もいらっしゃるというぐらいに、
100人ということになるとばらけるんですよね。
これが5人っていうことだと、そうはならないんですよ。
お値段のことある。
そういうふうにいろんな参加の仕方ができるというのも、
一つの魅力かなと思いますので、
よろしければ検討いただくといいと思います。
こういうのはお話しした後で必ず言われることがあるわけですね。
私、ビジネス書を書いててもこの点よく言われるんですよ。
これに参加するとどんな意味がある?
どんないいことがあるのか?
それをもっと明らかにしないと、
参加できないよというお話ですね。
これですね。
私はかつてなかなか明らかにできた試しが自分はないなって思うんですよ。
ダスクシュートでさえそうなんですよね。
ダスクシュートなのというのは、
言おうと思えばやるメリというのは簡単な話なんですね。
逆にチャレンジ編に入ってますよ。
ダスクシュートの話でもいいですし、
今、100チャレ編は第4期の手帳編で参加されている方が、
これを聞かれている方にも半数いると思いたいわけですが、
手帳編、何がいいことがあるのって話をしろと言われると思うんですよね。
それはですね、当然そういう話をしなければいけないし、
セミナーのコンサルみたいな方にそう言われると、
その通りだと思いますし、
編集さんにそう言われると、VNS書いててですね、
その通りだと思うんだけど、
僕はそれをなかなか明らかにできないわけですね。
それはどうしてかというとですね、
そこがはっきりしなくなるということが、
先送り0を目指すとJさんがおっしゃっている、
この目的に僕は合致すると思っているからですよ。
私は最近のJさんの提案されている内容が、
すでにそういう方向を向いてきていると思っています。
先送りしたくないというか、
先送りしたくないというか、
先送りしたくないというか、
どうしてもやりたいことを1日で3つあげましょうって、
Jさんの提案されてますよね。
しかもそれに1分でも着手したら、
先送りしなかったことにしましょうと、
彼は言ってますよね。
それに対して多分多くの人が、
絶対やりたいと思っていることを3つ、
たかだか3つあげて、
しかも各1分ずつ、
語尾訳の示し方と反省の大切さ
合わせて3分しかやらないといけないので、
毎日繰り返して、
ディスコードに投稿したところで、
それがどんな意味があるんですかって、
この言葉が出るじゃないですか。
それをもっと明らかにしてくれなきゃ困るよと。
しかもですね、
私なんかは特にコメントで、
1つもできませんでした。
いいんですよ、それでって言っちゃうわけですよ。
思うんですよ、別に。
1個も1分も着手できなかった。
しかも、
1分も着手しなくてもいい。
とにかくディスコードには投稿しろと。
それに何の意味があるのかと、
言われると思うんですよね。
で、
僕はそれについて何にも言ってないわけですよ。
これをですね、
言いたくないんですよね。
で、
セミナーをするなり、
本を書くなりしたとき、
その、
セミナーをするなり、
本を書くなりしたとき、
その、
なんていうんですかね、
語尾訳ですよね。
示せということだと思うんですよ。
で、Jさんはどんな語尾訳を示されるのかは、
示されないのかも含めて、
僕は、
もう知らないことにしてました。
で、私に関してはですね、
その語尾訳というものを、
どう示すかというのを、
いつも考え込んでは、
考え込んで、
考え込んだところで、
困るわけですね。
そして皆さんは、
語尾訳が知りたいと、
いうことだと思うんですよね。
で、
少なくとも一つ、
僕が言うのは、
一つも手が付けられませんでした。
だから、たった三つの、
やりたいと思ってたことに、
一つも手がけられなかったというところで、
えーと、
それに何の意味があるのかというのは、
答えてないとしてもですね、
必ず言うコメントがあるんですよね。
ネガティブな気持ちに陥らないために
反省だけはしないようにしましょうと。
これはGood Vibesで、
倉澤平野さんがおっしゃる意味と、
僕はほとんど同じだと思っているか、
全く同じだと思っているんだけど、
とにかく、
反省だけはしないようにしてほしい、
というのはあるんですよね。
語尾訳は、
ともかくとして、
どんな意味があるのかもともかくとして、
反省するのは、
えーと、
この取り組みを
ネガティブなものにしちゃうと、
思うんですよ。
たった三つ、
しかも一分ずつすらできないとなると、
人はどうしても、
ネガティブな気持ちを持つと思うんですよね。
でも、
できないということは、
怒っちゃうんですよね。
このことにまず、
僕は意味があると思って、
あえて、
どんな意味があって言われるのならば、
僕らの想定というのは、
想定の甘さとか、
これもよく言われるんですよね。
見積もりが甘かったとか、
想定が甘かったとか、
計画が無謀だったとか、
これを言えなくするために、
特定の方法に拘らない挑戦
Jさんはああいう提案をされていると、
僕は思っているんですね。
無謀とは絶対思えないじゃないですか。
だって三つですからね。
しかも一分ずつですからね。
これすらできないとは、
思わないですよね、私たちは。
でも、我々はどういう風になっていくかは、
一応知ってはいるんだけど、
でも、
一人一人の立場に立ってみれば、
100日チャレンジというものに
参加されていて、
たった三つのこと、
しかも一分ずつ、
手掛けさえすればいいというのを、
できないという風には、
思われないと思うんですよ。
ここがまず一つのポイントなんですよ。
いや、計画が無謀だったとか、
理想を見過ぎたと、
言えない仕組みになっているんですよ。
また、提案として、
昔、マニアナの法則という、
これもビジネス書なんだけど、
これも彼も、
いわゆる仕事術コンサルタントみたいな人で、
マーク・フォースターさんが
提案している内容なんですよ。
朝起きてすぐ5分、
一番大事なことをしろと、
これをファーストタスクと手掛けゆえと、
言っているんですよね。
これも同じなんですよ、
彼が言っていることもほとんど。
5分すら時間が取れませんでしたとは、
言わせないってことなんですよ。
ちょっとニュアンス違うんだけどね。
でも、同じことなんですよ、原則。
それすらできないとは思えないまま、
手が突入していくわけですよ。
そして、できないんですよね、
これがまた。
面白いことに、
たった5分が取れませんということが、
実際に起きちゃうわけですよ。
だから、私たちは、
計画が無謀だとか、
理想を見過ぎているという理由ではなく、
想定が間違っているということが起きているよ、
ということにまず、
目を向けましょうねと言っているんですよ、
これもね。
私たちの提案も同じです。
さらに、さらに時間を短くしているわけですよ。
1分にしちゃっているわけです。
極端に言うと、
1分、1つでもいいんですよ。
1つも手がけられませんっていうことは、
0分×0じゃないですか。
この事態を招くのをやめましょうという話なんだけど、
しかし、
招いてもいいですって言っちゃうんですよ。
ただし、
意味を発見するための挑戦
ディスコードにそのことを投稿しましょうねと言うんですよね。
反省をしたり、
そこのことに残念だとか、
自分ダメだと思うと、
ディスコードに投稿すらできなくなりますよね。
したくなくなりますよね。
その時に、
もう1つ、
格好の理由が出てくると思うんですよ。
それが、
こんなことをしても意味ないじゃんって言葉なんだと思うんですよ。
だから、
こんなことをしても意味ないじゃんって言葉なんだと思うんですよ。
これを封じたいんですよね。
そうするとどうなるかというと、
こんなことをする意味は、
あるのかないのか分からないということになってしまいますよね。
ここで僕は、
普通だったらば、
言わないとダメだよと言われている、
それを言いたくないわけですよ。
これをする意味を明らかにしてください。
これを言っちゃうと、
それを信じるか信じないかという話になってしまうんですよね。
私が、
定義した、
功能がきなり、
ご利益なりを、
信じるか信じないのかの話に
持ってかれてしまうと思うんですよね。
私はそこに持ってきたくないんですよね。
ここは皆さん、
自由にしておきたいんですよ。
完全に。
完全に自由に、
やってもやらなくてもよく、
どんな意味をそこに認めてもよくて、
認めなくてもよくて、
しかも、
持続的な挑戦
やろうとして、
できないはずは決してないことが
提示されていて、
ただそれをやったかやらなかっただけの
報告をしましょうって話に
しているんですよ。
もう少しジェインさんは、
少しドラマティックに言ってるけど、
僕は言ってる内容はこういうことだと、
私はそう解釈しているんですね。
そして、
なんでこういう風にしているかというと、
それは私の経験と
一致するからなんですよ。
こう思っておけば、
やれるからなんですよ。
そういう経験と、
もう一つ一致するのは、
こう思わないとやれなくなるからなんですよ。
多くの、
私も経験してきたんですよね。
そのご利益なり、
意味なり、功能なりを実施して、
1日5分やりましたよ。
マークフォースターさんの
ファーストタスクで、
やらなくなるんですよ。
やれなくなるというのかな。
このグッドモーニングボイスなんて、
何の意味があるのかは、
未だによくわからないですよ。
そういう意味を、
今、
認めつつある意味もありますけど、
最初からその意味を知っていたわけではないですし、
未だに、
例えば、
今、聞いてくださる100人の方に
喋っているんですと、
そういう意味を、
今、
認めつつある意味を、
認めつつある意味を、
認めつつある意味を、
認めつつある意味を、
今、聞いてくださる100人の方に
喋っているんです、
というわけでもない。
だけではない。
だから、意味は、
私の方で考えれば、
今はいくらもつくんだけど、
これは700何回もやってきたからそうなんであって、
じゃあ、どうやれば700何回もやることができるんですか?
それは何の意味があるんですか?
という問いには、
初めの意味のあること
最初は答えられっこなかったと思うんですよね。
毎日朝5分じゃないですし、
1分でもないですし、
唯一やるべきことがこれだったわけでは、
決してないですし、
これが一体何になるのかという話は、
今ならば、
いくらも答えられるけれども、
最初からそれが明らかだったわけではないんですよ。
つまり、その意味は、
ある意味ではね、
自分で考えていくしかないというか、
自分で見つけていくって言えるし、
ある意味、
自分でデッチ上げていくとも言えるんですよ。
こういう話は、
ビジネス上にはそぐわないのかもしれないとは思いますね。
もっとシンプルで分かりやすい、
あるいは私のスキル不足で分かりやすい話に
できてないのかもしれないんだけど、
僕はでもやっぱり分かりやすい話にならないなとも思うんですよね。
もっともっと年数と経験を積めば、
もう少しうまく言えるんだろうと、
思うんだけど、
うまく言ったところで、
そんなにそれこそ意味あるかなとも思うんですよ。
意味がなくはないと思うんだけれども、
ないとも言える気がするんですね。
そして、
私たちは意味のないことはやれないっていうのに
慣れすぎているというか、
そういうふうに自分をしつけすぎているというか、
ある意味で、
慣れすぎているというか、
ある意味って言葉ばっかりですね、今日はね。
でも、怖がりすぎているんですよ。
意味のないことをするってこと。
意味のないことかどうかが分かっているわけではないのに、
意味がないかもしれないことをするのが怖いんですよ。
もうそれがとっても怖いんだと思うんですよね。
それだから意味のあること、意味のあることで、
意味があるかどうかが信じられない場合には、
Jさんなり私なりに意味をはっきりさせるというか、
信じられる意味を見せてくれという話になっちゃうわけですよ。
で、その感情を持っている限りは、
やりにくいだろうなと私は思うんですよね。
私がポッドキャストを続けたりというか、
これを始めた時、そんな感覚を持ってなかったからできたと、
私はそう思ってますからね。
ディスコードに投稿も同じで、
意味のないこととの戦い
そういう感覚を持ってない方ができるだろうなと。
大体の場合にそれが逆だと思われているので、
確かにセミナーに参加いただくときには、
意味をビシッと提示できている方が、
人が来ているんだろうとは思うんですよ。
でも、その方々は、
その意味を信じてその行為を続けられるかなというか、
その意味をそもそも信じてその行動を取ったのかなということすら、
私は実は疑わしいと思うんですね。
ビジネス書ってよくあるじゃないですか。
口納書きいっぱいありますよね。
全部やれるかというと、そんなことはないですよね。
本を買って読むことはできるかもしれないけど、
意味を信じるということによって。
それで、書いてあることができるかというと、
そんなことはないと思うんですよ。
あれは、どんな場合でもそうですけど、
書いてあることって簡単そうだけど、
簡単そうに書きますからね。
そうはなかなかいかないじゃないですか。
書いてある通りにやるなんて。
それこそ、書いてある通りにやるなんてことは、
一日に一番大事なことを三つ挙げて一分ずつって、
書いてある通りにやるのは簡単そうじゃないですか。
それすらできないじゃないですか。
私たちは、ああのこうの言うじゃないですか。
意味をはっきりさせろとか、
口納をしっかり立てろとか、
そうしないとやらないぞっていう話になっちゃうじゃないですか。
だから、もっとこう、
なんていうんですかね。
それこそ、意味をはっきりさせろとか、
なんていうんですかね。
それこそ、意味ありげに見せる必要が出てくるわけですよ。
でも、そうすると、
一気にハードルは極端に上がるじゃないですか。
意味が十分見出せるぐらいに、
例えば、筋トレだったらですね、
一日30分、できれば3セットみたいな話にすぐなるじゃないですか。
うちでですね、
うちの奥様が、
ルームランナーというものを買ってしまったわけですよ。
これは色々と、
色々なことを彼女が考えて、
思われたわけですよ。
毎日3キロずつ歩くことになってるんですけど、
歩けっこないじゃないですか。
部屋の中で3キロもですね、
これから梅雨も来るから、
外をふらふらするより、
家の中を歩いてる方が、
雨降ってる日とかも、歩けるって言うんですけどね。
私はそうは、実際、内心では思わないんですよ。
そんなことは、間違っても言わないですけどね。
お金払ったのは私なんだけどね。
私は、歩かないだろうな、決して、と思っているわけですよ。
歩きますよ。
歩いた時は、その目の前で。
でも、雨が降ってたとしても、
私は傘さして、外散歩した方が気分いいです。
で、外を歩く方が、
中を歩いているより、意味があるのかというと、
それは疑わしいと、僕は思っているんですよ。
どっちにしたって、疑わしいと思ってるんですけど、
意味づけの落とし穴
そういうこの手、人は動いてないなって思うんですよね。
でも、我々は、そういうふうに、しつけられてきたんですよね。
英語の勉強をするなりすると、
外国人と話せるようになって楽しいですよとか、
収入アップしますよとか、
これは大きな意味づけですよ。
大きな意味づけだとは思うけど、
それではできないという人の方が、普通だと思うんです。
つまり、僕らは、そういう理由では、
行動していないと思うんですよ、通常。
だから、私は、その百茶礼編で、
これは他の方よりも強く、僕は言うんですよね、
Jさんとか大橋さんよりも強調するのが、
やらざるを得ないことだけをしましょうね、
と言っているわけですよ。
やらざるを得ないことというのは、
何か意味があってするのか、それ以前なんですよ。
でも、お風呂に入らざるを得ないと思っている人たちは、
お風呂に入るわけです。
お風呂が大好きかとか、血行を良くするかとか、
そんなこと関係なくですよね。
理由はありますよ、そりゃあね。
例えば、食事なんかも、
僕はやらざるを得ないことだと思うんだけれども、
たとえ嫌いでもね、
僕は大好きだから、嫌いな人の気持ちはよく分かりませんが、
でも、給食を残す子供っていっぱいいらっしゃいましたよね。
私、六花年で、ほとんど一食しか残したことがない、
六花年ですよ。
一食しか残したことがないぐらい、
昔から食べるの大好き人間だったので、
分からないんだけど、
でも、たとえ食べるのが大嫌いだったら、
ほとんど給食に手をつけないって子もいるじゃないですか。
すげえ大金持ちで、下に合わないのかなと思ってたんだけど、
別にそんなことはないわけですよ。
でも、食べられないと。
でも、その子だって食べてるわけでしょ。
食べざるを得ないから。
で、食べることにはもちろん意味はありますよね。
栄養を補給するとか。
でも、僕らそんなこと考えて食べてるわけじゃないじゃないですか。
意味は、後から割り出すことはできますが、
意味に向かって何か行動をする、
意味に向かって何か行動を起こしてるわけではないんですよ。
ここ急に自分にとって大事なことだからといって、
逆転させられないというふうに自分は思うんですね。
単純に、ごく単純にです。
やらざるを得ないことはやるでしょうと。
私、昔面白かったんですよ。
テニスって絶対やってたんですよね。
週に2度も。
時間全然なくてお金もないのに、
テニススクールには理事に通ってて、
それ結構奥さんと、
揉める種になりやすかったんですよ。
今行ってないんですけど。
これもまた不思議ですけど。
もうその、絶対行くもんだったんですよ。
腕痛くても、腰痛くても行くんですよ。
行かざるを得ないことだったんですよ。
これ、行かざるを得ない理由何もないじゃないですか。
今行ってないんだから。
行かなくたって生きていけるんですよ。
行かないほうが生きやすいかもしれない。
でも行かざるを得なかったんですよ。
それで僕は15年くらいテニス行ってましたからね。
で、今ぱったり行かない。
行かなくなっている。
だから行かざるを得ない時には行かざるを得ないし、
そうでなくなれば行かなくなるんですよ。
そういう風にちょっと考えてほしいなっていうのが、
百チャレ等、僕がタスクシュートの時に常に意識することなんですね。
やらざるを得ないことしか僕らはやらないと、
僕はもう今思ってるんですよね。
やらざるを得ないことをさっさと片付けて、
空いた時間でやるべきことをやるっていう観念が
全然機能しないように思うんですね。
僕これ観念だと思ってますからね。
やらざるを得ないことっていうとあれですよね。
トイレとか睡眠とかそういう本当に絶対やらざるを得ないことを
僕が言ってるように聞こえると思うんですけど、
僕らは意味付けを使ってやらざるを得ないことっていうものを作り出しています。
例えば、どんなに急いでいて、
もう1分を争うというかもはや30秒を争うんですよっていう時でも、
車の中で赤信号を見たら止まらざるを得ないでしょ。
僕はそこで減速もしない車って実は僕は生涯でそれを2回見たことがあるんですけど、
恐ろしいですよね。
違法ドラッグでもやってるのかって言いたくなるぐらい
無茶苦茶な行為ですよね。
赤信号で減速もしないですよ。
いわゆる黄色から赤に変わった時にしょうがない、行っちゃえじゃないですよね。
もう対抗するクロスしている側が青であることは
100%明らかな時にビョーンって行っちゃうんですよ。
僕それ2回だけ見たことがあるんですよね、日本でですけどね。
衝撃的な光景ですよね。
それぐらい僕らは赤信号の意味を強く認めているんですよね。
止まらざるを得ないんですよ、あそこにかかったら。
30秒を争う時であったとしても。
好きで止まってるわけでは決してないですよね。
止まらざるを得ないから止まってる。
でもそれって意味付けじゃないですか。
ポイントはちょっと違うと思うんですよ。
どうしてもせざるを得ないって言ったって、
生理的にそれを求められてるわけでは決してない。
まあ危ないしね、絶対にダメだし、一歩押すと自分死んじゃいますけれども、
とはいえ、あれはあくまでも意味付けです。
間違いなく赤に止まれという意味をつけたにすぎない。
世界中でそうだと思うけど、
でも異なる文化圏に行って実は青が止まれ、赤は進めですっていうところだったら、
そういう風になりますよね。
今の世界ではなってないと思いますけれども、
あくまでもコミュニケーションのサインですから、信号ですから。
そういう意味で僕らは意味付けを信じているし、
その中でやらざるを得ないことっていうのは、
やらないから死ぬとかそういうわけじゃなくたって、
やらざるを得ないことはやらざるを得ないことなんですよ。
そうならないとやらなくなると自分は思うんですよ。
そういう行動でなければ。
そういう風に意味をある意味つけると言いますか、
つけているからやるんですよ。
もしその行動にそういう意味がつかないのだったら、
あるいはつけられないんだったら、
それはやらなくていいことなんですよ。
コンテクストと意味
どんなにこれをやった方がいいと思っても、
これが僕は3つだけピックアップして1分ずつの意味だと思うんですね。
それにやらざるを得ないという意味を踏み出せるようになったら、
自然とそれはやり続ける行動になっていきますよっていう話だと。
もちろんどこかでやらなくなるかもしれませんけど。
このポッドフェストもそうですよ。
結局私はいろんなここに意味を認めますけれども、
要は今私の中ではこれはやらざるを得ないことになっています。
そういう位置についてなんですよね。
位置についてですね。
なぜなのかって言われると、
つまりその意味を明らかにしなさいって言われると、
むしろしぼむんですよ。
もっと大きな意味がある気がする。
つまり睡眠っていうのは僕はやっぱりもっと大きな意味があると思うんですよ。
やらざるを得ないというかですね。
単なる永期を養うとかそんなことではないと思ってるんです。
だから毎日毎日7時間もの時間をそこに投入しても欲しいと思わないんですね。
それは永期を養うとか、
夢見によって心の状態を平穏に保つとかだけではないんですよ。
体を休めるとかね。
多分もっと違う意味もいっぱいあって、
それらを明らかにすることなんかできないんです。
だからそれの効能なりご利益なりをはっきりさせましょうねっていうのは、
私は逆だと思うんですよね。
はっきりさせられる程度では、
僕らはそれをできないと僕は思っていて、
はっきりさせられないところまでそれぐらい意味が大きくなってきて、
初めてそれを続けるとか、
それを必ずやるときがくればやるとか、
特にこっちですね。
やるときがくればやる。
だからやれなかったときは、
それはやるときじゃなかったと思うべきなんですよ。
思うべきと言えないかもしれないけど、
でも思ったほうがいいと思うんですよね。
やれなかったときに、
自分はダメだからだと反省するというのは、
僕はこの感覚からしてすごく筋ないな感じがするので、
そういうものを人に求めたくはないし、
その観点でいく限りは、
たった1分であったとしても手がつけられないという、
だからここがおかしいんですよね。
1分であったとしても手がつけられないのではなくて、
それはやるべきときではなかったというふうに思うんですよね。
もう少し大きな観点でこれを捉えたいというふうに思うわけです。
手がけることの体験
うんと小さな、学校のスクール的なコンテクストだったら、
1時間目なんだからこれをやれと。
やれない奴はダメな奴だという、
そういう非常にある意味ではですね、
ちょっと何ですかね、
狭いんですよね、その世界っていうのは。
非常に限定されていて、
何かこう、賄賞なというのかな、
そういう感じがするんですよ。
すごくせせこましい世界というのは、
限定的な意味を充てると。
私はビジネス書ってあんまりそういう意味で、
高く買われていないのかもしれないんだけど、
私は自分がやってきた生もあると思いますが、
結構高く買ってるんだと思うんですね。
もっと大きな話ができるだろうというふうに思うんですよ。
だからそういう非常に限定された世界の、
はっきり見えるようなビジネスライクだというのから、
ビジネスライクでもないと思うけど、
いわゆるビジネス書が、
下げ積まれている文脈におけるご利益みたいなものを
提示したいとは思わないという感じがするんです。
これがですね、100日チャレンジでも同じなんですよ。
せっかくJさんが、
3つ、1分ずつでいいという話をしていて、
しかもそれをしなかったとしても構わないという、
わざわざそれをですね、
そんな1分ずつで何の意味があるのかという、
例のですね、スクールコンテクストみたいな感じ、
しかも受験をする塾みたいな感じ、
ひたすらご利益だけに誘導線を持っていって、
自分を誘導するようなコンテクストに、
落としめたくないというのかな、
そういう感じが私の中にはあるんですよね。
もう少し彼の言っている意味は大きめだと思う。
なので、
1分でもいいからというよりは、
手がけるということを、
手がけないということを、
手がけないことを、
ある意味、体験してみてですよね。
体験してみて、
手がけないということも体験してみて、
なるべくそこを気持ちよくって言うんですかね。
それもちょっと違う気がするんですけれどもね。
1分やっていれば、
そのうち30分やりましょうか、
という感じで、
自分という人は、
それをやらざるを得ない人というのかな、
非常に大きな話をするならば、
米東弁で作曲をせざるを得ないじゃないですか、
しない米東弁っておかしいじゃないですか。
そういう感じに持っていけるかどうか、
みたいな感じで、
私はそのように考えています。
はい。
自然体の形
コンテクストに関してはですね、
ベートヴェンは、
そういう感じに持っていけるかどうかみたいな話に接近させた方がいいということなんですよ。
毎朝1キロジョギングすると体にいいよねという、そこから始めてもいいんですけどね。
なんというのかな、これはその人にとって不自然じゃない形っていう意味が見いだせるはずだって思うんです。
ベトベトの作曲ほどだと私は自分のポッドキャストを持っているわけじゃないんだけど、
私にとってこれやっぱりやるのが今は極めて自然な形っていう感じなんですよね。
もうちょっと違う感じで言うと、いつもいつもこのおじさんが6月のこの時期になると釣りやってるなみたいな人っていたりするじゃないですか。
ここで釣りしてるなみたいな。
その人がもう釣りをするとその風景に溶け込んでるなみたいなそういう人っているじゃないですか。
ああいう感じなんですよね。
そこに釣りをするとどんなご利益があるんですかっていうそういうことをそのおじさんに聞くのはおかしなことだと思うんですよ。
もちろんその人は釣り名人とかいうわけじゃないかもしれないけど、
藤沢太さんにとっての将棋っていうことじゃないかもしれないけど、
でも文脈としては受験で頑張っているために塾に行くっていうよりはそのおじさんが釣りをするっていうのはですね、
天職っていうのはおかしいし天命というのもおかしいんだけども、
そこにしっかり巻き込む感じがするということなんですよね。
そのおじさんがたまたま来ませんでしたっていうそういう時って心配になったりしますけど、
その時にいやダメな人だよねとは思わないじゃないですか。
これがそのやらなかった時の私たちの解釈に近いものと思うんですよね。
やれなかったからダメでしたっていうのはおかしいと思うんです。
やっぱりその日に来なかったというのは来ないほうがいいというふうに、
その日は釣りをしないほうがいいっていうふうになるのが自然だと思うんですね。
こうやって持っていけば持っていくほど僕は物事がうまくいくんじゃないかなと思っているってことですね。