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2024-12-11 46:13

何か起きてほしくないことがあったのか?【1105】

精神病とは防衛の表現かもしれない。
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00:05
働くメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャスト1105回をお送りします。
12月11日水曜日7時40分です。
びっくり寒くなりましたけれども、
だいたいこう、いつも通りの展開というか、時間にこれを放送できてますね。
今日はちょっとあれです。
タスク集と手帳を郵送するという作業が余裕にあったので、
ほぼ1日それにかかりきりで、これはお休みさせてもらいました。
やろうと思えば、この時間にねじ込むこともできたんですけれども、
既にラベル印刷というやつの準備に取り掛かっておりましたので、
後から考えれば、ここで1時間取っておいても別になんてことはなかったんですが、
その他もろもろ準備があったので、パスしました。
今週はやっぱりですね、タスク集と総決算が土曜日にありまして、
こちらの準備にやっぱりかなり精力的に襲いでいるので、
いろんなところが食い込んできて、いろいろ交通整理が結構大変な状態なわけですけれども、
別にですね、なんていうのかな、てんやおんやになってるってほどではないんで、
私はそこまで日頃働いてませんから、働くメンタルはあるんですよ。
そういうことが言いたいわけだけれども、働いているかいないかといえば、
そんなに働いてるわけじゃないんで、
そんなにこのぐらい忙しくなってもなんとかならないわけじゃないんだなっていう、
これがずっと1年中続くとダメな気がしますけどね。
そんな感じで、お知らせ兼告知兼緊急報告みたいなもので、
この流れで入っていくと思うんですけど、
今日はですね、どっちかというと何を話すかを考えてないというよりは、
話したいことがいろいろあってよくわからなくなっちゃってる状態なわけですね。
この波が定期的に行ったり来たりするんですよね。
波なんで行ったり来たりするんですけどね。
どこから行けばいいのかがちょっと…。
つまりどこから行っても…。
じゃあ1つここから行きましょう。
ブキタ君という漫画があります。
これは私かなりですね、なぜかあんまり…。
もしかすると1回もこの番組で取り上げてませんでしたね。
この漫画を忘れたことはないんですけれども、
女性が書いているコミックで、ひもて系の話なんですよ、男の子のね。
いや実によく書けていて、女性が書いているというのにしてはですね、
03:05
なかなかこうえぐってきていいなと思ったんで、
愛読していた。いつぐらいに愛読してたのかな。
大学時代だった気がしますけど、大学卒業後かもしれませんね。
ちょっと曖昧なんですよ。
僕からすると大学時代ってもうすでに20年以上昔の話の話ですから、しょうがない。
で、このブキタ君というのは不気味な男の子で、だからブキタ君なので、
非常に安直なというのかドストレートな作品で、
まるで自分のことが描かれているようだと思いました。
実に不気味な男の子で、大体モテなさそうなことなら何でもやるという。
でも彼女が欲しくて仕方がないっていう、そういう真理が実によく描かれているんですよね。
こういう人でも、私少しこの作品を読んで救われた部分があって、
こういう人好きな女の子っていそうだなって思ったんですよ。
私があそこまで不気味なのか、それともあれよりはマシなのかは微妙なところではありますが、
あれで悪いのは一般的にあれじゃダメだと思うんですけど、
あれ好きになる子はいるだろうって感じが畳からはするんですね。
自分だとわかんなくなっちゃうんですけどね、その辺が。
で、非常に後で探そうと思ってるんですけど、とてもいいシーンに胸に穴が開いてるシーンがあるんですよ。
よく言うじゃないですか、胸に冷たい風が吹くようなみたいな。
これはアレゴリーってやつですね。
ところがこの漫画家さんはそういうところがあるんだけど、本当に胸に穴開いちゃうんですよ。
で、しかしその穴があまりにも気化学的な穴なので変なんですよ。
肉体に穴が開いているというのでは全くないわけですよね。
どっちかっていうと、なんていうのかな、芸術的な表現の一つみたいになっていくわけですね。
人体に別次元が登場しちゃったみたいな穴なんですよ。
ああいうのを多分手塚治虫さんなんか描かせれば、あんな風には絶対描かないと思うんですけど、
何しろこの作家さんは、ズキタ君というタイトルからしてそうなように、
技巧を凝らさないというのか凝らせないというのかわからないんですけど、
まるで土管のような穴が開いちゃってるわけですね、胸にね。
だから血も流れなければ肉の欠片も見えず、ただただ穴だけがボンと開いてるわけですよ。
壁に穴が開いてるように、しかもそれが切り取ったような、
せいえんの穴が開いちゃってるわけですよ。
これこそまさに具体象徴というのに何かふたわしいのではないかと僕は思うんですね。
ひゅうでしょ?胸に穴が開いて寂しいとか、風穴が開いて冷たい風が吹くようだとかいうのはひゅうじゃないですか。
ちょっと詩的な表現ってやつですよね。ポエムですよね。
06:01
穴が本当に開いててひゅうとか言ってるわけじゃないわけですよ。
だけど言っちゃってると。これが具体象徴というものなんですよね。
象徴、具体じゃないんですよね。本当に胸に穴が開いてるわけではないわけですよ。
それだったら下下手術みたいな方向に向かなければいけない。
あくまでもこれは心の話をしてるんだけど、具体的になってしまってるというか具体的に描写してしまってる。
あれは具体象徴。象徴と歌舞伝ってのはこういう線、同じじゃないかもしれませんけど、こういうラインで考えていくものなんだと思うんですね。
で、このストーカーはするし、町中の花屋さんに行って花買い集めてきて振られるし、
やってることがとてもずれてるわけですけど、
これ思い出したのはというか、忘れたことはないけどこの作品は。
この作品を強く思い出したのはですね、この辺全意識から意識なんでしょうね。
思い出そうと思えば思い出せるところにあったものが、
強烈にこう意識の中心にワッと飛び出してくるのが、私は個人セッションにやっててもすごくよぎったとかいう表現をなんていうんですかね。
目の前を横切っていく感じがあるんですよね。
全意識にあったものが意識の正面に出てきてこれこれですよっていうシグナルを送ってくるみたいな。
それが相手に相手のつまりセッションやってるわけだから相手の方がいらっしゃるんですけど、
言うのがですね、はばかられるというか、なんでこんなことなんていうのかな。
目の前をよぎったものは大したもんじゃないですよね。
例えて言うならば運転中にカラスが横切りましたみたいな感じなんですよ。
これについてわざわざ言及するほどのことなのっていう感じなんだけど、
よぎっちゃったからなという感じで、なんかね黙ってようかなと思うんですけれども黙ってよと思うと今度は、
いやこれ黙ってちゃダメなんじゃないのみたいなのがよぎってくるわけなんですよ。
これが2回3回ときたらもう言うしかないんですよね。
なんか今私はこういう連想したんですけどみたいな、いかにも精神分析でやってそうなことですが本当にやってるかは知りませんが、
そういうことを言ってみるとだいたい何か話の展開が変わっていくんですよね。
そしてそれはだいたい大事な展開につながっていきやすいんですよ。
ただ偶然のような感じしかしないんですよねこれね。
いろんなものの本に書いてあるんですよこういうことが。
だけどもなかなかこれをね体験しても信じきれないんですよね。
それくらいなんかこうなんてことはないんですよ。
電柱に鳩が止まってる感じみたいな。電柱に雀が止まってる感じ。
それはなんだっていうんだっていう感じの話をしていくと展開が変わっていくってことがあるんですよね。
だからこの物思いだとか自由連想だとかいうのはすごい馬鹿にならないなと思いつつ、
09:01
なんかこうこれを取り扱うというのが難しいのは最もだなとも思いますね。
まあいずれにしても武田くんが言う切ってこれは全然なんてかなんてことじゃないって話ではないと思うんだけど。
今オグデンの生を取り戻すを読んでるんですけどそこに男の人を追いかけてしまう女の人が登場するんですね。
まあ普通に考えてこれはヒステリー的というか父親転移的というかオグデンもまずその線で解釈を伝えると相手の女の人が怒り出すと。
まあほぼお決まりのパターンだなって感じがするんですよね。
そんなねステレオタイプな教科書に書いてあるようなことを言っても多分ダメだろうというふうにオグデンは思いながらも一番あまりにもそれがピッタリしちゃうんで。
それについて口にすると案の定というか女の人は怒り出すと。つまり患者さんは怒り出す。
つまりそういうステレオタイプなことを言うなって言うんですけどこのステレオタイプなことを言うってのが大事なんですよね。
話がすごいややこしいんですけどね。
でもこれは後から見るとやっぱりミステリーの真相究明的なところがあるんですよ。
いずれにしてもその女の人は男の人を車のセールスマンってねアメリカではですねイケメンなんですよ。
イケメンの人についフラフラと話に乗ってると後でイカツイ奴が出てきてもう絶対買わせるからねみたいな感じで変なこう個室みたいなところに連れて行かれて。
なんか怖そうなお兄ちゃんが後ろに立てたりして本当にどういうことだよアメリカって思うんですけれども。
なんかもうこの車は最初言ってたイケメンのお兄ちゃんは28万大丈夫大丈夫買える買えるみたいなこと言ってるんだけどなんか気が付くと70何万円とかになってて本当どういうことだよって思うぐらい。
それはあれとそっくりじゃないでしょうかっていう気がするんだけどまぁその話は一旦置いておきましてこれに時々はめられていて後で一生懸命交渉している留学生がアジア人でちょいちょいいらっしゃいます。
日本人だけじゃないです。
だってあれやってること本当にすごいなんか本当に典型的でベタだけど車ないと困るんですよアメリカってね。
でアジア人は外してまっすぐ走る車に乗りたいですからアメリカで普通に適当な中古車買うとまっすぐは走らないんでね。
今は知りませんよ今は知りませんけど僕が行った頃は2000年代はそうだったんですよ微妙に曲がってくるんですよね。
あれ本当にやめてほしいんですけど道まっすぐなんでアメリカの道はすっごいわかるんですよ微妙に曲がっていくのが勘弁してくれよって思うんだけどまぁそうなんですよね。
はい何の話をしているかというとですねつまりそういうセールスマンに恋愛感情にすぐ入ってしまうと。
まあこれ典型的に父親転移のようなんだけどそれを言うと怒るんでもう言わなくなったとオグデンはね。
でこの人はお父さんに昔捨てられてましたとこれも典型的だろうというこの解釈のどこがいけないんだよと思うぐらい典型的ですよお父さんが2歳の時に出てっちゃったと。
12:08
それ以来お父さんを追っかけるわけですよね。
お父さんを追っかけるからイケメンのカーディーラーがやってくるとそれがお父さんだと思ってついでに若い男だと思って恋に落ちると。
でもカーディーラーなんでね来た人来た人にみんなにいい顔をすると。
こいつはとんでもない嘘つきでプレイボーイだと思うと。
もうその考え方自体があれだろって感じなんだけどそう思うんだからしょうがないですよね。
真的現実の中ではそう見えると言った話なように見えるわけですよ。
だけどそうじゃないんですよね。
でこの時に私は自分がどうしてブキタ君にあんなに惹かれたんだろうと考えるわけです。
やっぱり同じことはないですよ。
うちの母が2歳の時に出てったことなんかないけど同じようなことがあったんではないだろうかと考えて叱るべきだと思うんですよね。
なんで道行く女の子に次から次へと恋愛モードに入っていくのかと私はね。
現実には渋谷の街で声かけたって絶対意味ないだろうなっていう人に次から次へと声をかけていたという時期があったわけですよ。
私がおよそやりそうなことではないし私がやってうまくいきそうなことでもないんですよ。
でもやってたんですよ私はね。
オグデンがエルさん、エルという女性に言うんですけれども。
匿名ってことですよ。
あなたが男の人を追っかけるというのが最初に来た時の首相だったけど、
そしてそれに困っていて屈辱的で恥ずかしいという話だったけど、
僕はその気持ちはよくわかる気がするんですよ。
屈辱的で恥ずかしいんですよこんなことやってるのは。
だけども、それをやめられないというあなたのその部分こそあなたにとって一番健康的な部分なんだっていう解釈を言うんですね。
ここから話が展開していくんですけど、そうなんですよ。
私についてもそんなことが言えるだろうかって考えてたわけですね私は読みながら。
この女の人にとってはそうなんですよ。
つまるところ男の人を追っかけるのをやめられないというのは一般社会的に見ると恥ずかしいことかもしれないけど、
あなたお父さん探しているんじゃないですかっていうことなんですよね。
それは2歳の女の子がお父さんが行っちゃったらですね、追いかけようと思うのが健康的だということにならないかと。
情緒的な話ですよ。
追いかけ、いなくなっちゃった。
あー残念だわっていうんではおかしいじゃないですか。
そんな風に割り切れるはずないですよねっていうことをまず言ってるわけですよね。
まず言ってるわけですよ。
で私が思うにですね、武田くんがそうだったと思うんですよ。
武田くんの行動はギャグ化されてしまいますよね。
私福光さんの漫画とかひもての品格の本とか読んでてもどうしても男の人はですね、
15:03
この自分が女の人に相手にされずに一生終わるんじゃないだろうかと思っている人はですね、
みんなこれを性愛か恋愛の話、あるいは恋愛でモテるかモテないかだけの話に閉じ込めてしまって、
ギャグのようにしちゃうわけですよ。
ギャグにするのは至って簡単なんですよ。
笑えるよねこういう人ってっていうのは。
まあまあ恥ずかしいしね。
自分でも自分を笑っておくという。
私もやっちゃいますけれど、やっちゃうんですよ。
だから屈辱的だっていうのはなんかこうあれですよね。
ピエゴみたいなもんだってことなんですよ。
まあこの表現をとってみるとドステフスキーを連想しちゃうんですけれども、
まあまあそういうことなんですよ。
ドステフスキーもそういうギガ化したというかピエロ化した男性みたいなのをすっごくこう自虐的に描く。
彼自身のことだと思うんだけれども、やっちゃうんですよ。
やっちゃうんだけれども、これはそういうなんか物悲しいじゃないですか。
そうは言っても笑えるかもしれないけど。
これはですね、つまり昔のやっぱりお父さんを諦められないエルのように、
この種の男の人たち、私もそうでしたが、お母さんを諦められないって考えると物悲しさの方にはるかに傾くんですよね。
もはや笑えなくなってくるわけ。
笑えた方がいいのかもしれないんだけど、もはや笑えなくなってくるわけですよ。
この時何をしたんだろうと言っても思い出せない。
ここに問題があるわけですよね。
何をしたっていう何かが起きたような気がする。
これが今回のオグデンの性を取り戻すの実はキーセンテンスになるんです。
何かが起きたのかもしれない。
何かあったのかもしれないっていうやつなんですね。
何かあったのかもしれないって言ってもどうしようもないじゃないですか。
しかも何かあったかもしれない。
そういうことがあったのかもしれませんねってなんか重要な話になり得なさそうじゃないですか。
でもオグデンはウィニコットを引きながらこれは重要なんだよって言ってるわけですよ。
これ以上重要なことは多分ないんだよと。
この何かがあったというのはですね、それを破綻というわけですけども破綻があったってことなんですよ。
破綻があったというのはその時に大地震が起きたとか、強盗がやってきたとか、ものすごく殴られたとかそういうことはなかったんですよ。
でも覚えてないだろうけど何かがあった。
そしてそれは客観的には何もなかったというレベルだったかもしれないけどあなたにとっては重大な何かがあった。
お父さんが出て行っちゃうっていうのは重大ですよね。
客観的にはありふれた話かもしれないけど特にアメリカでは。
でもやっぱり重大ですよね。
これより悪いことはないぐらい重大ですよね。
だから破綻というわけですよ。
破綻というようなことが起きないようにしてしまったんですよ。
つまり何が起きたかというと、その時起きたことを認識しないようにしたんですよ。
これを精神病と呼ぶんだっていうのが今読んでいるオグデンの本のここまで読んだ中のね、私が理解した範囲でいうところの一番大事なポイントなんですね。
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武田君もそういうことをきっとやったんですよ。
ギャグにしちゃっていますけれども、彼もきっとですね、幼い頃に何かがあったんですよ。
ただそれは何もなかったことに彼はこれを否認というんですが、昔の古典的な精神分析では否認してるわけですが、要するに何もなかったことにしてしまったわけです。
それを体験しなかったっていう言い方をするんですよね。
生きなかったと言ってもいいんだけれども、いずれにしてもそれはもうなかったことにしてしまっている。
なかったことにしてしまったので覚えていないのは当然のことながら、覚えてない以前なんですよね。
つまりそんな事実はなかったわけです。
例えばなんですけど、エルがやったことは代わりのものを作っちゃったわけですよ。
お父さんはいなくなった。
しかし私には、例えばいい家庭とか、いいお母さんとか、いい子供時代とか、いい友達とかがいたことにしたわけです。
いたことにするということは、それは全部お父さんを追い隠すための便宜というのか、嘘なんですよ、一つの。
本当はお父さんがいないのが悲しいということなんだけれども、
あるいはお父さんがいなくなって欲しくどうしてもなかったんだけどいなくなってしまったということなんだけど、
それだとこの現実はエルにとってはもうどうしようもないものになってしまうじゃないですか。
この現実は良いものにはできないですよね。
絶対起きて欲しくないことが起きてしまったんだから、これはもう最悪の現実になってしまう。
でもエルはそれは嫌。つまりそれが破綻なんで。
それは嫌だったので、そうではないことにしたわけですね。
この世の中は良い世の中なんだということにした。
代わりのものを作り出したというわけなんですよ。
代わりのものを作り出すと言っても、友達を作ったりじゃないですよ。
ただお父さんがいなくても大丈夫なだけ素晴らしい友達とか、お父さんがいなくても大丈夫なだけの良いお母さんとか、そういうものをエルは心の中で作り出したわけです。
お母さんはリアルなお母さんなんだけど、
このお父さんがいなくてもいいだけの素晴らしいお母さんとかはリアルではないんですよ。
だからエルは偽物の世界に生きることになったんだっていうのがオグデンの言ってることなんですね。
アンリアルって言うんですけれど。
ちなみにそのアンリアルなあるいはノンリアルな世界というものに精神分析が入ったわけですよ。
オグデンとのこの会話は偽物になってしまってるわけです。
だからさっきのような父親転移で父親を探しているんですね。
お父さんがいないから寂しいからディーラーをお父さんに見立ててる。
私のこともお父さんに見立ててる。
だから私とのセッションが終わった後も寂しくなるというアンリアルなすっごく本物チックな顔をしている精神分析としては極めてよくできた精神分析のような雰囲気をまとっている
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嘘っぱちなものを作り出しているっていうことが起きているわけですよ。
ここに精神分析の場にこれが今ここの転移ってやつなんですね。
でそれに対してエルは激怒する。
つまりそれはそういうことではないんだというということでそこで無理をしていやヒステリーなんだよ。
あなたがやってるのはっていうふうにあれを父親を探している父親転移なんだよっていうふうに押していくと嘘嘘なものがまたそこに一つ出現するんだけど。
オグデンは聡明な人なんでそこで黙ったわけですね。
間違いなくこの解釈な気がするんだが黙ったわけですよ。
つまりオグデンの表現の中ではですねここが一番私は非常に真実らしくていいと思うんですけど。
エルが助けてくれる形で私はこの解釈をやめることにしたみたいな表現があるんですけど。
エルが助けてくれる形でっていうのがつまり自分一人だとどうしてもこの解釈以外は考えつかないんだけど。
エルは怒るからやめておこうという形でこの解釈に固執せずに済んだっていう表現になってるわけですね。
これは私はとってもいい展開なんだろうなと思ったんですよ。
武田君も同じなんですよ。
これはギャグにしてしまっていてはいけないわけですね。
彼がやったことは何か深刻なことなんですよ結構。
お母さんがいないという寂しさを恋愛で埋めようとしちゃダメなわけですね。
ここを恋愛で埋めようとすると嘘っぱちになってしまう。
だから彼はですね、2歳児の頃の胸に風が吹いているようだというのがまだ比喩として理解できるに至らないような年齢の時代の胸に本当に穴が開いちゃうようになってしまうという
そういう時代の情緒のまま思春期を迎えているから非常に厳しいことが起きているわけですよ。
本人はいたってまともな人なのかもしれないけど行動が全然まともにならないのはですね、それが2歳児の頃にお母さんを追いかけるように女の子を追いかけていくとそういうことが起こるってことなんですよね。
だから私はこのハラスメントとかストーカーとかいう表現が好きになれないわけです。
そういうことが現実にはそういう事態が進行しているとは思えないということなんですね。
で、ここまで来てみて考えることはですね、ユイちゃんのことなんですよ今度は。
ヤングケアラーのですね、私だけ年を取っているみたいなのコミックに出てくる主人公ですね。
つまりですね、私たちはこれは私はその生を取り戻すの。
オグデンの中でもとびきり重要な、おそらくその何かあったに違いないについで重要なセンテンスとして、私たちは防衛って言うんですけど防衛ってのは要するに何か代わりのことをやることで最悪の事態というか最悪の気持ちに落ち込むことを防ぐっていうのが防衛って意味だと思うんですけど。
精神病になるのが怖いから防衛する。防衛ってのは結局ですね、予防なんですよね。
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例えばそうですね、一問なしになって路頭に迷うというのがあまりにも恐ろしいからお金を貯めるというのがある種の防衛なんですよ。精神分析の防衛ってのはそういう使い方に近いんですね。
何か大変起きてはまずい事態、しかもそれは心理的にまずい事態が起きるのを、あまりにも恐れているためにこういうことをやっておく。その行動はおかしな行動なんだけど、これはグッドワイブスみたいですね。
クラソンのケイトさん。おかしな行動なんだけど、おかしな行動でも何でもやっておかないと気が済まないからやる。
だからそれは気が済まないというのは脅迫的な表現ですけれども、脅迫ってのは至る所に出てくるわけです。脅迫神経症という症状があるというよりはあらゆる精神的な防衛はだいたい脅迫的な雰囲気と形式をとりがちなんですよ。
やっぱり絶対あり得ないことなんだけども、家が火事になってニュースに載ったりするのがあまりにも恐ろしいから何回も何回も家を出てから電車に乗り遅れることは確実で、あるいは相手を2時間も3時間も待たせててもしょうがないから火を消したかどうかを100回も200回も確かめに行くっていうのが防衛なんですよ。
何が怖いのかというと私たちは発狂が怖いっていうのが普通になんとなくあったわけですよね。でもそうじゃないというのがこの本で強調されている部分なんですね。発狂が怖いんじゃなくて発狂は何かが怖いから発狂するしかないから精神病というものに防衛手段として精神病を使うんだと。確かにこの方が僕も納得感は高いなと思うんですね。
まるで火を止めに行くっていうのが一つの神経症的な行動ですよね。それを繰り返すというか。でもそれは神経症になるのが怖いからやってるわけじゃないですよね。神経症になることにむしろよって神経症になることによって火事とかいうそういう破綻を防ごうと頑張ってるわけですよ。
要するに僕らが怖いのは破綻なのであって病気なんじゃないんですよね。で破綻ってが何なのかというと破綻というのがまたここがややこしいんですけど本当に破綻というのが実にややこしくて、それが起きるのが嫌だったからそれは起きなかったことにしたことが破綻なんですよ。つまり破綻って体験してないんです。体験していないことが破綻なんですね。破綻を体験しないために僕らは精神病になる。
でユイちゃんのことを何で思い出すかというとユイちゃんは自分はロボットになったから殴られても痛くないんだ。これは否認ですけれどもこれこそまさに精神病的なやり方じゃないですか。事実上理人化改良を生み出しそうですよね。もう私ロボットだからお母さんがどんなに殴っても痛くないしみたいなこれって既に正気を明らかに欠いている感じがするじゃないですか。
27:00
でも至って真っ当な考え方のような気もするじゃないですか。何しろ幼いんでユイちゃんは。そしてお母さんを理不尽に殴ってくるって。こういう考え方ってやむを得ないよなって感じがしますよね。
これはユイちゃんが恐れているのは精神病ではないんですよ。乖離とか殴られても痛くない。自分の体は自分の体じゃないというような乖離的なあるいは理人的なやり方というのはそれ自体精神病的なんだけどこれは防衛なんですね。何から防衛するかありますよね2つ。
1つはそんなお母さんのケアを私がしてあげるというこの状態を正当化することができる。しかもこれをやってて辛くないと思わなければいけない。これをあまりにも辛いとお母さんのケアなんてやってられないってことになる。そうするとお母さんのケアを捨てることになってしまう。こっちの方がユイちゃんは怖いわけですよね。
つまりユイちゃんとしてはこの家族はちゃんとまだ家族であってほしいと。少々お母さんおかしいがいつかちゃんとなってくれるだろうと。お母さんが好きでもいたいと。お母さんのことを嫌いになりたくないっていうのがあるわけですよ。だから嫌いにならないためには殴られてめちゃくちゃ辛いとか殴られてめちゃくちゃ痛いとか嫌いになるんで私がロボットだということにしてしまえばケアもするし痛くもない。
お母さんのケアもできると。これはつまり愛情をつないだままでも全く普通の状況ではいられないので異常な状態をそこに作り出すことによって愛情関係の方は救い出すっていうことなんだと思うんですよね。
つまり愛情関係が途切れてしまうことの方がユイちゃんは恐れていたわけですよね。あの段階では少なく。
でも非常にそれが普通のやり方では立ち行かなくなっているのでこの時代は何とかするためにはやっぱりこう理人的な専門的な言葉を使えば私はロボットだっていうのが子供らしい表現なんだけどやってることの深刻さは相当なもので私はやっぱりあそこがここは一つの分岐点だろうなって感じはしたんですよね。
私はロボットだっていうのは相当なもんだと。で、話を戻すんですよ。
武田くんはこれに相当することが起きたんですよ。家のお母さんは武田くん家は多分ユイちゃん家のようではないでしょうから、生きるのその事態そのものを否認しなければならないレベルではなかったかもしれないけどそれでも何かがあったんですよきっと。
その事態を否認まではしなくても十分嫌なことがあったはずなんですよね。破綻するのに近いぐらいここを何とか乗り切らないとまずいっていうことはあったんだと思うんですよね。
お父さんがいなくなったというのに相当するお母さんがいなくはならなかったかもしれないが、例えばお母さんがある意味全く相手にしてくれないとか全く相手にしてくれないってことはないにしても何かある条件それも当時の武田くんにしてみれば極めて厳しい条件を飲まない限りは普通には向き合ってくれないとかそういうことがあってもおかしくはなかったと思うんですよね。
30:15
おそらくそれぐらいのことはあっただろうと。そういうふうに考えるとその時のお母さんとの関係を維持するためにはですね、やっぱり相当のことを武田くん側はしなきゃいけなかったと思うんですよ。
街中の花屋から花を買い占めるぐらいのことをお母さんにしないとダメだって思った可能性はあると思うんですよね。こういう極めて厳しい現実というものを乗り切って初めて法治の2歳児としての恋愛感情というものを満たすことができるというのをついに満たすことができなかったんじゃないかと思うんですよね。
そのためにそれが恋愛というような一般的形式を16、7歳で取るようになってみると不意な行動になって現れるんだろうと。そういうふうに思うとですね、この感情というのは至って健康的だと思うんですよ。
つまりそれはエルが言われた通りだと思うんですね。男の人をつい追いかけるのは屈辱的かもしれないけど、これを諦めないあなたは諦めてしまうよりはずっと健康的なんだっていうのがオグデンの言い方なんですよね。
で、この先にあるのがですね、この先なのか並行してあるのか、でもそうは言ってもストーカー問題じゃないですかっていう考え方もあるわけじゃないですか。
つまりですね、私は社会問題というふうに、これは社会問題化するかメンタル問題にするかっていう一つの分かれ道になると思うんですが、このポッドキャストではしばしばこの話題は話題にしていますけれども、
さっきストーカーとかハラスメントって言葉は僕は好かないと言ったんですが、つまりリベラルなって言ったらいいのかな。リベラルな理想というものはですね、に対してよくネトウヨーみたいな言い方するじゃないですか。
ただイチャモモつけてるだけのように見えるっていうそういう独特の対立がありますよね。佐々木敏直さんが割りべとか言ったりするんですけど、性リベラルとか言うんですけど、僕はやっぱりそういう話じゃないんじゃないかなと思ってしまうんですよね。
メンタル寄りにものを見ているんで、どうしても。つまり人間って結構よくやってるよねって言ってるのがどちらかというと右寄りの人の感覚なんだと思うんですよ。
ネトウヨーって人はそれを極端な形で言ってる感じがするんですよね。いわゆるリベラルな人は人間もっとやれるでしょって言ってるように聞こえるんですよ。
で、この2つで考えてみるとそこはすっごい僕はですね、みんなここアンビバレントだと思うんだけど、僕はどっちかというと実は心情的には右に寄りやすいんですよ。
33:02
なぜかというと人間結構頑張ってるじゃんって思ってしまうんですよ。だからここはですね価値観の差だって思うところはあるんですけれども、どうしても怒りを覚えるとか社会的な観点を取りたくなるというのはですね、もっとやれるでしょうっていう感じになるんですよね。
でも私は無理だろうって感じがどっちかというとしやすいわけですね。自分が無理だったっていう過去もあるわけですよ。
自分がブキタ君と大して変わらないというかおそらく相当よく似た行動を取った人間として感じることは、人間というのは考える力はあるかもしれないけれども、それは決してそんなにすごいもんではない気がするんですね。
ここを2つに分けられないんですよ私は。不審相談とかアポロに乗るような人たちはすごく考えられるが、先の能力は乏しすぎたんだって考えるしかなくなるんですが、それは私が可哀想だと言いたいんではなくてですね、いやそうは思えないなって感じがするんですよ。
彼らはすごく結果を出しているように見えるが、宇宙飛行士とか将棋指しとかなんでもいいんですけど、でもそうは思えないなって感じがするんですよね。あんま変わらないんじゃないんだろうかと。
どうしても私は今回の韓国の大統領とかプーチンさんとかですね、もっと考えられるでしょうって言いたくなる気持ちもよくわかるんだけど、すっごい難しいんじゃないんだろうかというのが、考える能力においてって意味ですよ。
すごい難しいんじゃないんだろうかと思っているところがあるわけですね。ユイちゃんのお母さんはもっと考えられたんじゃないかって考えるんだけど、無理じゃないかなって考えるんですよね。ユイちゃんはロボットになることで乗り切ろうとした。
それは幼いからしょうがないけれども、だからユイちゃんは頑張ってる。お母さんがもっと頑張るべきだっていうのはそうなんですよ。そうなんですが、じゃあユイちゃんがあのままああやってすっごい難しい家庭に育ったユイちゃんが大人になったとき、お母さんのようになってしまう可能性はとても高いと思うんですよね。
その時にはお母さんならもっと考えられるでしょうっていうのは、何か急にそこをねじ曲げてる感じがするんですよ。ユイちゃんに考えられなかったそのユイちゃんがお母さんになったときに、考えたからロボットになったんですよ。それはでも浅はかかもしれないんだけれども、たぶんしょうがないとみんな思うんですよ。
だったらユイちゃんが30になってもあまり自体は変化しないんじゃないかなと僕は思うんですよね。やっぱりユイちゃんの考える最大量からしてロボットになって乗り切るに近いレベルなんじゃないんだろうかと。そんなに人間急にあの育ち方をしても急速になんて言うんですかね。
オグデンのように考えられるようになるだろうかと。オグデンだって最初にエルの話を聞いたとき、やっぱりヒステリーという線で行ったわけですよ。非常に安易なものを選んだわけですね。選ばされてるわけですけれども、安易なものを選ぶことによってエルが作り出すノンリアルな世界の実現というものに片方を担いこうとしてるわけですよ。
36:20
それがつまりウィニコットの言う程よい失敗に相当するんだけど、ウィニコットが程よい失敗というのはですね、人間というのはそういうものなんだってことだと思うんですよね。ある意味では。限界があるだろうと。その限界は想像されてるよりずっと低いだろうと。だから私はその割に人間ってよくやってんじゃないかと思うんですよね。
あの新幹線走ってるしなぁみたいな。僕が思うにやっぱりこう辛いことがあったらロボットになって乗り切るぐらいしか考えつかないのが人間ってもんだと思うんですよ。ただそれがどういうわけか相当うまくいってこんな世界を作り出せてるんだけど、それはなんつーんだろうな。
多分そのぐらいの乏しい能力でできることなんだけど、能力そのものはやっぱ乏しいんじゃないんだろうかって思う。あるいは逆にこのロボットになって乗り切るというのを考えつくのがすごいんじゃないんだろうか。どっちかにするしかないんじゃないかなって感じがしてます。
だからやっぱりイブキタ君のようになっちゃうんですよ。あの状況が状況だとですね。切実なんですよこの問題は結構。しょうがないんじゃないかなっていうふうに私は思うんですよ。
どうしてもだからつまりネトウヨと言ってる人がイチャモンつけてるだけのように見えるのは多分にそうなんですけどそれは人間の能力を高く買いすぎてるよねと言ってるにすぎないと思うんですよね。
ちょっと考えれば悲惨なこと起きるんだから戦争を止めるのは当たり前でしょっていう感じにリベラルな人はなりやすいと思うんですよ。
でもちょっと考えるんではとても無理でだいぶ考えてもやっぱり無理なんじゃないんだろうかっていうあんまりいいタイトルだとは僕は思わないんですけどその綾子さん。
この人は多分左右寄りの人だと思いますが人間の文在って本を書いてますねこういうことなんだと思いますよね。そんなに人間思想性の高いことはできないんじゃないか。
でやろうと思うんだったらばもっと相当考えないとならないんじゃないかなと無理に無理に無理を重ねるぐらいのことまで行かなきゃいけないんじゃないかなと思うんですよね。
その時に一番最初に待っているのが僕は欲打つだと思うんですよ。だから松木さんが正しいとここは思ってるんですね。
自分には何もできんっていうところに行き着くしかないんじゃないかと思うんですよね。容易にできることであればもはやとっくに容易になされているような気がします。
誰が考えたってですねやっぱりこの土地のために核打つとかっておかしいじゃないですか。土地のために原発を攻撃するとかもおかしいと思うんですよ。
それをやらなきゃなんなくなっちゃうというところに限界があるんだけどこの限界というものをものすごく真剣に考えてみても解けないとなった時に人は欲打つに陥ると思うんですよね。
39:09
ユイちゃん実際に最初に落ちたのが欲打つだったんですよね。結局限界に立ちた時に浮き上がれなくなるみたいな。つまり無理じゃんもうっていうことなんですよね。こんなに一生懸命やったけど無駄だったと。
端から見ればもっといろいろ考えることはできたかもしれないけど私はどだいぶ無理だろうって感じがするんですよ。自分だけだと。つまり自分が考えて解決できる犯刑の中だと。
私だってなんでもっとちゃんと考えてですね。私が欲しているのは女の子じゃなくてお母さんなんだと。お前20にもなって考えられなかったのかと。
サインコサインとかでわかるようになって考えられなかったのかと言われても考えられなかったんですよね。これが考えられるようになったの。ようやく40でその前に完全に欲打つ状態に入ってるんですよ。
無理だもうっていう。そもそも彼女作るのも無理だし。それについて考えるなんて全然考えつかなかったんですよ。考えればいいってことすらね。私がしたいのは恋愛だと思ってたんですよ。それについて何の疑問も持たなかったんですね。
頭が悪すぎるって言われるかもしれないけどそれに対して僕はどっちかというとその彩子さんに近いですよね。人間の文在なんだよと。少なくとも佐々木賞吾ってその程度だよなっていう。ここで松木さんの気持ちに僕は重なるんですよね。絶望するんですよ。他にできることないんですよね。
私は絶望したって松木さん書くんですけれども。つまりそういうことなんですよね。患者は中断してなんかどっか恋愛とか言っちゃうわけですよね。つまり自分の本当は自分で抱えておかなければいけない苦痛とか自分自身が直面しなければいけない自分の不十分さとか自己愛とかいうものに向き合ってくださいねっていう風に頑張るんだけど。
まあ向き合いませんよね。松木さんの患者さんでは。酒とかに走ったり、彼女作りとかに行っちゃうわけですよ。彼女作りをしてこういう時に簡単に彼女が作れる人が僕は不思議なんだけど、作れる人は作れるわけですよね。いやあなた全然いけるわよみたいなことを言ってくれるわけでしょ彼女が。
そうすると自分自身のダメさとか限界とか育ちがすごく苦しかったことに全然向き合わなくなってしまうわけです。そしてどっか行ってしまうというか治療は中断する。そして松木さんが絶望する。この絶望はその患者さんが本来持っていた絶望なんですよね。松木さんは結局カウンセラーがこんなに親身になってもですね。変異だとか言ってもですね。同英同一化だとか言っても一個も伝わらずに恋愛に行って患者さんは来ない。
そして松木さんがやることといったら絶望するんですよ。僕ここに至るしかないんじゃないかとまず思うんですよね。もっとできるはずだろうみたいに思うっていうのはつまり誰がもっとできることなのかわからないんですけど、僕は無理があるっていうふうにはどうしても感じるんですよ。無理だと無理だから絶望するんですよ。で絶望したところが欲打つポジションの最初の一歩なんですよ。
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ここから考えるんですよ。より人は真剣に。だから私はあんまり人に勧めにくい話なんだよなと思うんですよね。これを考えろっていうのってコクじゃんって思うんですよね。松木さんは考えるんだけど、私も一応考えるようになった慣れたんですけれども、ここ考えるってコクなんですよね。
だからここ考えるためには、こういう時に僕はgood5sをいきなり使い始めるんですけど、いきなり持ってくるんですけど、底抜け、全く無条件の信頼みたいなものがいるって思うんですよね。全く底抜けで無条件の楽観みたいなものがいる。でも全部うまくいくだろうみたいな。でも全部うまくいってるだろうというかなんて言えばいいんですかね。
絶望的なんだけど、絶望するんだけど、でも我々は価値マックスで愛に満ちた存在でお互いが信頼にあふれているのがデフォルトなんだっていきなり持ってきちゃうわけですよ。
これを持っておかないと正気を欠くんだと僕は思うんですよね。正気でいたいと思ったら、つまりパターン恐怖というものに飲み込まれたくなかったら、最終的にはこれを信用しておくしかないと思うんですよ。だから分けちゃいけないと思うんですよね。
正気でいていい時はこうこうで、あるいは怒らずにいられるのはここまででとかいう線はないと思うんですよ。その線を作ってしまったら、もう絶望してるんだから怒るしかないし、諦めるしかないんですよ。
こういうところまでは諦めずに済むとか、せめて老後のお金だけは残しておくとか、そういうことに期待をかけてはまずいと思うんですよね、私は。そういうことは一切期待しない。どういう状態になっても、これはベストなんだっていうのは正気とは思えないレベルでもいいから持っておいて、で一旦絶望するんですよ。
そしたら、でもこの状態がなおベストだというなら、これから何か考えることによって解決できる糸口みたいなものは見つかるかもしれないですよ。どこにもないように見えますが、でも見つかるかもしれないですよ。他の人の手を借りると実は簡単な話なのかもしれないんですよ。
それはわからないんですけれども、とにかく絶望は一旦するんですよね。自分の動力には限界がある。それもはっきり言って相当低いところに限界がある。考えつくことといったら渋谷でただ女の人に声をかけるぐらいしかない。だって何も他に考えつかないんですから。もっとマシな服を着るとかせいぜいその程度。島村を辞めてユニクロ着るとかそういう程度なんですよ。
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それって全然妙案でもなければグッドアイディアでもなんでもないですよ。すっげーしょうもないことしか考えつかないんですよね。あれですよ。なんかこう、なんかよくわからない記号でいっぱい満ち溢れている数式が並んでいて、答えろって書いてあって、しょうがないから3って書いておくんですよ。
で、でですよ。僕が言った途中でね。精神分析でも個人セッションでもそうなんですけど、この3って書いたその3ってのは何なんだってことなんですよ。3って書いたのは苦し紛れなんだけど、これが意外な結果に転がっていってくれることがある。
だから頭をよぎった小さなことは意外に馬鹿にならずに、前、目の前にいる人と一緒になって、ただただ困っているこの私がですね、頭の中によぎった電線にスズメが止まっていますねって言ってみたりするのは大事なんですよ。これは空欄に3ってとりあえず書いておくのとよく似てるんですよ。2じゃなくて3って書いたことに意味があるんですよ。
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