タスクシュート総決算の概要
おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト、第1103回をお送りします。特別編となります。
どう特別かと言いますと、すみません、今日の日時は12月8日日曜日、日曜日ですね。日曜日は普段はお休みさせていただいているんですが、
今日は特別編ということで、タスクシュート総決算2024、私が2024ですね、失礼。今年ですからね。
2024の最後に総決算をするということで、これの時に私が何を話すかを、ちょっと前哨戦ではありませんけど、お知らせ、告知を含めましてお話しさせてもらおうと思います。
お申し込みに関しましては、サイトを検索していただいたり、私のXやJ松崎さんなど、あるいはタスクシュートの認定トレーナーさんも盛り上がって告知していただいておりますから、
こちらのほうを見ていただければすぐにでも見つかると思います。もし申し込みたくなったらということですね。
私が話すのは、午前中に大橋哲夫さんと相当久しぶりに掛け合い、ワンザイやってるわけじゃないんですけど、一応コンビで仕事をしてきてますからね、掛け合いをするという時間をもらっておりますが、
その前に短めにね、私のほうで話すことがあるので、その話の今日はそこでは多分話し切れないんじゃないかというふうに思うのと、従ってですね、少々前段をはしょっていく必要があるので、前段にあたる部分を今日お話ししながらもって告知とさせていただきたいと思ったわけですね。
前段でどんな話をしておけばいいんですけど、それするとやっぱり1時間まるまるぐらいは必要になっちゃうかもしれないので、1時間を大幅に切っていこうと実は思っているんですよ。
もちろんトータルでいろんな話を島に分けてみたりするので、登壇の時間だけではないところでいろんな話ができると思うんですけれども、登壇の時間そのものでは2人で掛け合いをするという時間を確保しておく必要がありますので、こっちがどっちかというとメインになりますからね。
私のレクチャーはその呼び水としてのレクチャーになりますが、その内容のさらに前段をお話ししておきたいと、こういうのが今日の趣旨です。
今日はその日はタスクシュートをどちらかというとメンタル寄りで使うというのは一体どういうことなのかというお話をしたいんですが、私がメンタル寄りということを言うとき必ず意識するのはそこのアンチテーゼとしての身体寄りというものがあります。
フィジカルですね。
フィジカルとメンタルが私の頭の中で一つの対になっていて、常にフィジカル寄りの感覚とはどういうものだったろうというのを考えながらメンタル寄りというのを、あるいはメンタルの話とか、このポッドキャストでも冒頭もしかして僕タイトリングしょっちゅう間違えてる気がするんですけど、働くメンタルを取り戻すと言ってますね。
働くフィジカルは取り戻せませんね。
こういう話を聞いたからと言って。
メンタルとフィジカルはつながってますけれども、そのつながっている中でもフィジカル寄りとメンタル寄りがあって、私は現代社会というものは、いわゆる科学の勝利っていうね、この鉄腕アトムみたいな昭和な概念なのかもしれないんだけど、それにしても科学は勝利したわけですよ。
例えば電気を通すプラスチックとかも開発できたり、半導体というすごいものが出てきたりですね。
とにかく物に関する人類の知識と操作能力はもう絶大に上がってますよね。
信じられないレベルと言っていいと思うんですよ。
ほとんど魔法だよねって。
当然ですね、ここまで科学が勝利すればですね、メンタルの話もフィジカルに寄っていった方がいいんじゃないのっていう風になるわけですよ。
これがつまりメンタルの不調を起きたした時には、体に対してヘアを行っていこうという発想に自然とつながってるわけですね。
一番有名なところで脳ですね。心はもう脳に置き換えられる。脳とは身体ですから。
で、心の不調というものではなくて、それは身体である脳の不調であり、その脳というものの不調とは何かを定義して、そこに薬なり、あるいは、
例えここにですね、行動療法だとしてもですね、例えば日の光をたくさん浴びるとか、昼夜逆転しないとか、なんかわかりませんけどその他にもですね、
様々な脳に良いとされることをすれば、心は黙っていてもっていうのは変だけど、心も心がと言われていたものの不調も自然と解消に向かうであろうみたいなところがあるわけですね。
これは実際のところすごく身体の病気を治療するときの考え方とほとんど変わらないわけです。
私たちが歯医者に行くのは、これはもう完全にフィジカルよりですよね。
歯医者さんがメンタルよりだと思ってる人は多分メンタルが傷つくかもしれないし、覚悟いるかもしれませんが、でも基本的に行われる治療は完全にフィジカルよりなわけです。
歯は物ですから。無質ですからね。
いくら心のケアをしてあげても歯が痛いのは治らないわけですよ。
痛くないですよとかっていうのも、それはメンタルよりの理由でやってるんじゃなくて、実際には痛がる人が多いからああいうことを言うわけじゃないですか。
何よりも私がそこでフィジカルよりだなと思うのは、表面に現れている症状を見ればその治療はできるという風に考えられていて、
現にできるということがフィジカルよりなわけですよ。
虫歯があるというのは写真にも映る。つまり物の現象でありますから。
そこに虫歯菌というか、それはすごいざっくりした言い方だと思うんだけど、菌を掘ったり削ったり薬入れたりして絶滅させるというのが目指されている。
これ完全に物よりの考え。
そういう時に、実は我々は原因について言及はされますが、実はほとんど問題になっていない。
治療が重要だから、原因はある意味どうでもいいわけですよ。
例えば、飴玉ばかり舐めているんではないかとかって、昔のそれでも歯医者さんは結構そういうことでお説教したんですけど、最近はしないですよ、あんまり。
歯ちゃんと磨いているのかと。歯ちゃんと磨いてても虫歯にはなるしね。
だから、その原因に言及しなくなっていくというのも、このフィジカルよりの重要な特徴なんですね。
そんな風に虫歯がたくさんあるというのは、実はお母さんとの関係がまずいじゃないのとかっていう話にならないはずなんですよね。
聞いたことないんじゃないですかね、最近の人は、そんな話。
昔の歯医者さんにはそういう人いたんだけど、今いなくなりましたよね。
だってそんなことはわかんないわけだから。
お母さんとの関係は良好かもしれないけど虫歯増える人はいるわけですよね。
だからちゃんとご飯食べているのかとかね。
非常に心理よりになっていくと、ある意味おせっかいになっていくように聞こえるわけですよ。
つまり踏み込んでくる感じになるわけですね。
身体よりになるということは、ある意味非常にドライになるわけですよ。
だから身体よりというのは、お説教とかおせっかいとかがないという意味では、
精々してフットワーク軽くて、カラッとしていて気持ちいいかもしれないけど、
これがどちらかというとメンタルの方面に侵食するというのが、
勢力として乗せてくれば乗せてくるほど、扱い用によってはですね、
ものすごくドライに扱われている感じというものがするはずなんですね。
精神的アプローチの考察
こういうことを私はタスクシュート運用にするにあたってですね、
いつもいつも考えています。
つまり自分はメンタルよりに考えてこのタスクに入っているのか、
フィジカルよりに考えてこのタスクに入っているのかと。
欲打つ気味になったという、これはもう病気じゃないですけど、
誰だって落ち込んだり、眠れなくなったり、つらいなと思ったりすることはありますね。
この時に私たちがXとかインターネットとかでべき義検索すると思うんですけど、
そこで書いてあることというのは、
普通にパッと人がこれは納得いくなと思ったりするのは、
基本最近は一気にフィジカルよりになってきました。
うつっていかにも心の病とされてきましたけれども、
うつ病九弾の本でうつ病になった九弾の千崎学さん、千崎だったと思うんですけど、
千崎さんという九弾のめっちゃ強い騎士がいらっしゃるんですけど、
うつになってお兄さんが、お医者さんなんですね。
お兄さんが怒るっていうシーンがあるんですよ。
未だに心の病なんて言われている。
脳の病気なのにって言って怒るんですよ。
これが現代ではもはや常識になろうとしているわけです。
うつというのは脳を治すものなんですよ。
脳というのは歯と同じように、
このプロセスなり構造なりが完全に把握できれば、
脳に薬を当てればうつは治るわけですよ。
一方で私のような、時代遅れっちゃ時代遅れなのかもしれないけど、
メンタル寄りの人間はですね、
運とここをメンタルに寄せて考えようとするので、
どうしても精神分析ってところに行くしかなくなるんですね。
もうだから心理カウンセリングみたいな世界でもですね、
思いっきりメンタルに寄っているっていうのは、
フロイドとかユングとかいう世界しか、
ある意味残ってないとも言えるんですね。
多分人によってはね、
あれら絶滅させろと思っている方もいらっしゃると思いますよ。
まして僕みたいに、
専門家でもないのにそこにこだわってる奴とか、
本当とんでもない奴らだという、
頭が悪すぎるぐらいに思われていると思うんですけど、
ここはね、しゃあないんですよ。
ここには2つのものの見方が、
真摯に言言論なんですけど、
絶対に僕はあると思うんですね。
片方がなくなっちゃうことはありえないと思うんです。
どんなに気に食わないとかありえないとか思われていても、
どうしようもないことだと思うんですよ。
学校に行かれません。
学校はやめよう。
あまり皆さんに直近ではないから。
どんな例でも同じなんですけどね。
廃棄に出ようとするたびに体調を崩します、
という人がいるとしますよね。
これを、最近忙しかったからね。
それにあの人ちょっと飲みすぎてるよね。
年末だから。
これがフィジカルより。
常識的じゃないですか。
廃棄にあいつまた今日もちょっと会議遅くくるよねと。
なんかお腹の具合悪いと言ってたよ。
でも飲みすぎだよね。
っていうこれは非常にフィジカルよりであり、
常識的ですよね。
ちゃんとビオヘルミン飲んでるのかっていう話になってくるとですね。
これは完全に体にビオヘルミンだからね。
胃腸が問題なのであって、胃腸が快活になれば、
この人は会議に出てこられるというふうに考える。
でも私は絶対そうは考えない。
この人会議に出たくないんだろうなと考えます。
これがメンタルよりです。
一つにこの考え方が批判されるのはですね。
何の根拠があってそれを言うんだってことになりますよね。
何の根拠もないんです。
メンタルの重要性
私はメンタルよりにものを見るという習慣が身についている上に、
そうした方がいいはずだと思ってるからそうしてるに過ぎない。
わかりますよもちろん。
お腹の調子が悪い。
ビオヘルミン飲む。
私だって飲むし。
そのお腹の調子が悪いのはアルコールを通院したせいである。
それはもう非常にわかりやすいし、
当たり前に考えられることではありますが、
私は第一環としてそっちは働かないんですよ。
正直言って。
また働かせたいともまるで思わなくなっているんですね。
もともと思ってなかったけど、
著しく思わなくなったんですよ。
常に私は会議に出たくないんだろうって考える習性があるんですね。
これがメンタルよりです。
もう一つメンタルよりがよく批判される理由。
甘いということです。
フェジカルよりというのはさっき途中でドライと申し上げた通り、
お腹が快活になれば、もちろん出られるよね。
ここで出たくないとか、
うじうじして痛いっていうのは問題じゃないよねっていうニュアンスがあるんですよ。
ここには。
そうは考えていらっしゃらないだろうけれども、
現代という時代がじわりじわりとドライになっていっているように感じられるのは偶然じゃないんですよ。
メンタルっていうのはそこに意思を見ますね。
だから私は時々精神分析のことを精神力動と言って、
先日もそのことがちょっと話題になったんですけど、
力動っていうのは古臭い言い方なんですよ。
サイコダイナミックスの訳なんですけれども、
でも力がかかってくるっていうふうに僕は感じるんですね。
会社に行きたくない、会議に出たくない、プレッシャーみたいなプレッシャーとは圧力ですよね。
そして自分の心の中に行かずに済ませられないだろうかという思いが、
これは本人の中で力となってネガティブなブレーキ、抑止力になって抑止力ですよ。
働き始める。
だからトイレにこもっちゃう。
そうすると会議に遅刻するっていうのが僕が感じるんですよ。
僕はこういうふうに。
なぜならその人は嫌なんだろうなと。
何が嫌なんだろうって考える。
それは甘いんですよ。
確かに。
僕はそのような世の中の方がいいと思ってるから常にこっちに寄せます。
例外をなくしてます。
あいつほんと甘ったれてるよねとは絶対思わないようにしてます。
なんか訳があるはずだって思うんですよ。
これはどういうことかというと、
自分だってその状態に置かれたらものすごく甘ったれな行動を取るだろうと。
ものすごく甘ったれな行動を取るからと言って非難されたらたまったもんじゃないと思うんです、私は。
ものすごく甘ったれてるからピオヘルミン飲んで出てこいって言われるのは嫌だと思ってるんです、私は。
だから絶対ここを私は自分に対してそんな過酷なことを課すつもりはないし、
他の人に対しても従って課すことはできないだろうと。
腹を立ててしまうことはありますよ。
腹を立てるということがすでに甘えなんだけど腹を立ててしまうということはあります。
でも後ほど考え直すようにするんですよ。
そのためにはメンタル寄りっていうのが第一環として、そのためにはじゃないな。
そうなる私の心理的な基盤にはメンタル寄りが第一環として働きやすいという傾向があるんです。
ここがですねタスクシュートに結びついていくわけですよ。
タスクシュートの意義
結びついていくじゃないですか。
あるタスクができません。
いやそれは甘えだっていう風に切る。
ここで切るか切らないかの問題なんですよ。
タスクを分解する。
それはタスクをやりたくないという気持ちは私から見ると無視されている感じがするんですね。
5分間のタイマーかけてダッシュする。
これもやりたくないという気持ちが無視されているように感じられるんです。
私には。
これらは行動に訴えています。
タスクを分解するというのは行為を分解していく。
あるいは5分タイマーかける。
これはもう完全に行動に向かってますよね。
行動すなわち物質世界ですよね。
物が動くわけ。
私が物のように動くっていうことを意味しています。
これがフィジカル要義です。
意志というよりは動きなんですよ。
物の動きなんです。
これを私は避けたいと考えている。
私は物のように動く気はない。
私はあくまでも自分の意志とメンタルで動いているものでありたいと思うし、
他の全ての人がそうであった方がいいと思っている。
仕事の質問を必ずそっちの方が上がると思っているんですよ。
したがって私は時間短縮という考え方を採用しない。
これはどれほど細かいケースであっても原則的に採用はいたしませんということなんです。
なぜならば時間短縮と効率化というのは細かいちょっとした出来事に関しても
それをしたくないという気持ちの方が
私はしたくないんだったら優先されるべきであると考えるからなんですよ。
ワードのファイルをセーブするにあたって
コントロールSを覚えろよと。
でも私はマウスでやりたいんだと。
コントロールS大変なんだ私にはという人にコントロールSは進めたくない。
ショートカットというものを進めたくないんです。
その気になれないのであればですね。
その気になれないのであればマウスでセーブすればいいと思うんですよ。
時間はかかりますし手間もかかりますけれども
そして何がその方が楽なのかは僕には分かりませんが
しかしそこでやり方を変えさせるということはですね。
やっぱりその人が何か私の意識下に置かれる物質になってしまう気がするんですね。
私がそれを進めた場合の話ですね。
私のオーダーに従って動くものになってしまう感じがする。
それをとことん私は避けたいんですよ。
なぜなら自分がそれをとことんやりたくないから。
やりたくないと思っている時にやりたくないやり方を選択しない自由が人には常にあると私は思うんですね。
これは相当原理主義的です。
そこにはもっと妥協の余地があるはずだというのはもちろんです。
私が私に対して妥協をしないことに決めているに過ぎない。
ここに異論がいっぱいあるのはもう重々承知しています。
私が今まで言ってきたことと比べても逆です。
だから私自身がこれを非難されるのは当然だろうと思っています。
当然だろうと思うんだけれども、でも私はこれを徹底することによって一つには腰痛が消えたんですよ。
これは私は小さくないと思っているんですよ。
25年に及ぶ腰痛が消えたんでね。
で、40年に及ぶアトピーも消えたんですよ。
これを徹底することによってですね。
この話前段なんです。残念ながら。
もちろんこの話と被る話も当日しますよ。
これ聞いた人が全員いらっしゃるとか、
タスク州と総決算2024にいらっしゃる全員がこれを聞いているとは思いませんので、
あくまでもこれはCMであり、いわゆる前哨戦です。
つまり、告知ですよ。映画で言うところの予告編です。
これと被る話はいたしますけれども、この話をもう少し今節丁寧にと言いますか、
一応僕今もそれなりに丁寧に説明してきたつもりなんですけれども、
いずれにしても私はモノでありたくはないということですね。
だからフィジカル寄りのモノの見方はできる半径では必ず避けたいと。
絶対に避けられるわけでは全然ありません。
なぜなら私は実際モノですから。肉体とはモノですからね。
目で触れたり写真に写したり簡単にできますから。
その側面を無視することはできないし、
基本的にはそっち寄りになるように作り出されているのが現代文明というものなんで、
この中で生きていて、ここで便宜を表示している以上、
今も例えば部屋が寒いのでストーブつけているので、
これはモノの処置じゃないですか、完全に。
部屋でもありますが、基本的に私がモノだから、
タンパク質だから、タンパク質には適正な温度というものがあるので、
そこの部屋の室温をなるべく24度に近づけるというような措置が測られるわけですよ。
25度かな。
そういうことがあるから0度とかではあまり収録したくないわけですよ。
0度だって収録はできるわけですけどね。
そういう意味ではモノなんですよ。
モノなんですけれども、できればモノであるという側面では、
自由意志と効率化
両方で見る必要が出てきたときには、
基本はメンタルという方を優先して私は見ます。
だから私は反対はしませんけれどもPDCAというものをしないんですよ。
さっき言ったようにPDCAというのはですね、
行動の習慣を変更すること、つまり行動変容を促しているわけです。
私は行動変容はメンタルが変容した結果でありたいと思うんですね。
自然とそっちが取れるようになったときにやるべきことであって、
さっきのコントロールSと同じですよ。
コマンドSでもいいですが、Macだったら。
マウスからキーボード操作に手を切り替えるということは、
行動変容を促しているじゃないですか。
その気になったときにその人がやったらいいと思うんですよね。
多分知らないってことはないと思うんで、そういうものがあるってことはですね。
すっごくやりたいときにはやるようになると思うんですよ。
別にやってもやらなくてもいいときはやらないんだと思うんですよ。
コントロールSだって今は昔みたいに頻繁に押さなくったって、
なんとどっかに自動でクラウドに残してくれますから、
ある程度長い文章を書けば大抵のソフトは気が利いているんで。
タスクシュートクラウド2でもそういう機能ありますから。
オートセーブされますからね。
マウスかショートカットかなどというのは大した問題じゃないんだと僕は思うんですよ。
実際めちゃくちゃ効率的に文章を書く人が、
僕よりたくさんの原稿を排出できるわけではないんですよ実際に。
僕よりたくさんの原稿を排出することが、
僕よりたくさんの原稿を売り出せるということにもつながらないし、
僕よりたくさんの原稿を売り出したという人が、
僕より幸せに生きられるということも意味しないし、
仮にこれらが全部間違ってて、
私よりたくさん書く人が私よりたくさん稼ぎ、
私よりたくさん稼ぐ人は私よりもずっと幸せだとしても、
メンタルの重要性
私自身が同じことをやったら今より幸せになれるという必然性は別にないと思うんですね。
保証はというべきなのかな。
だから結局私はそういうことはしたくないと思うんですよ。
別に。
してもしなくても変わらないようなことを、
メンタルに逆らってまで、
フィジカルな方面から働きかけていきたいとは、
全然思わないというお話を、
今週の土曜日、
12月14日、
2024年の12月14日に、
タスクシュート総決算の中でもっと、
今しゃべったことはある意味言ったんですので、
お話ししたいと思います。
予告したことのすべてが、
時間内に入り切るかどうかは確実じゃないんですが、
なるべく全部話せるようなトピックを見つけ出して盛り込んでいって、
あとは岡瀬総さんとの掛け合いの中でお話しできればと、
そういうふうに思っています。
でですね、
詳しくはやっぱり、
総決算のですね、
ジェイマー・スザキさんが用意してくれたレターの方に、
かなりこみ入ったことが書いてありますし、
またきちっとまとまっていて、
すごいんですよね。
私、ああいうものが作れないんですよ。
作れるとやっぱり有利だよなとは思いますね。
作り出す努力をするかというと結構しないんですけど、
これもメンタル寄りなんですよ。
メンタル寄りというのは別に、
怠惰という意味ではないんですよ。
私には私のやり方とやることがあるってことなんです。
これを皆さん、土にしてみてもらいたいんです。
もしここの今の表現、
私には私のやり方とやることがあるっていう表現に、
何か抵抗やら、一歩間違うと不安とか恐怖まで覚えるようであれば、
それはですね、やはりどこか何かに強く押しつぶされてます。
はっきり言って。
私には私のやることとやり方があるっていうのは、
個々のやり方の違い
誰が言っても当然のセリフだと私は思うんです。
ましてこんな自由な世の中であればですね。
これを言うのもはばかられる。
そんなことを言うのは何か傲慢な気がするとか、
自信がないっていうのであれば、
よっぽど何かを強圧的に取り締まるっていう、
取り締まるっていうべきなのかな。
私は超自我的なポリスって言いたくなるんですけれども、
そういうものを相手にしちゃっていると思います。
私はこれを言うのに何の抵抗もないです。
はっきり言って。
それは私が何かをこうなり、何かを成し遂げたってわけじゃないんですよ。
私はこれを5歳児が言ったって全然構わないと今では思う。
困ったことにはならないはずだと。
これまで私がずっといろいろ、
人生で覚えている限り意識できている限り、
やってきたことを考えてみてもですね、
人に徹底的なコントロール下に置かれる、
そういうお話を3ヶ月チャレンジなり、
以前のですね、グッドバイブスファクトリー、
クラゾーのけいぞんさんとやってた時に、
こういうことを絶え間なく訴えてこられる方も結構いらっしゃるんですよ。
世の中厳しいというか、
世の中家庭に入ると無茶になっちゃうもんだんだなとよく思うんですけど、
親が非常に先制的で、子供のありとあらゆる、
それこそ一挙手一投足って言葉がありますけれども、
勉強の仕方から計算の仕方にまでコントロールを汚してくる。
子供が私は私のやることとやり方があるっていうことを
一切理解しようとしない人って、
実は親御さんには結構いらっしゃる。
で、そのことが悩みになる。
その人にとって私のやり方とやることってのはないんですよ。
でもその生き方はものすごく苦しいだけでなく、
全然パフォーマンスが上がってこないんですよ。
やっぱり計算のやり方一つとっても、
筆算のやり方を習った上で、
例えば繰り上がりの位置をどのくらいどの位置に、
どういう大きさでどう書くかっていうのは、
人によって全然違うじゃないですか。
これだけ世の中に人間がいて全く同じですって人は、
多分2人といないんですよ。
これを統一させてしまおうと思えば思うほど、
このパフォーマンスは下がるんだと僕は思うんですね。
コントロールSでセーブできた方が早いかもしれないけど、
マウスでやりたい人にそれを強要しても、
書く文章よくはならないっていうのが、
非常に非禁な例としてはこういうことが言えると思うんです。
私はこれが見つけ出せないというのであれば、
見つけ出すしかないと思うんですね。
そうしないと自分の人生の、最近言いますよねQOLと、
質というものに対して、
自分が全然責任を負えなくなってしまうんじゃないかと思うんですね。
これが私のタスクシュートの使い方というものに、
ユーザーさんにはぜひ反映させてほしいと。
私には私のやり方とやることがあるんだっていうことを、
自分のタスクシュートに徹底して反映させてほしいかなと思って、
総決算の日にお話しします。