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おはようございます。ライフハック時代の精神分析第1318回をお送りします。
2月17日火曜日7時51分です。なんかこう、ちょっと久しぶりな感じがするんですよね。
前にね、あの上げ損ねたものがあったんですよ。それを先日、たまたまなぜかうまく上がっていてですね。
というわけで、なんとなく繋がってるようなんだけど、先週結構できなかったんですよね。
まあ様々なことが私なりにあるわけですよ、やっぱりね。
で、まあどうしようかなと思ってるわけですけれども、何をどうしようと思って。
いろいろなことをどうしようかと思ってるわけですけれども、何も新しいこと言ってないですね。
まあまあ最近、わけあって、いろんなわけもありまして、なんだかんだ美音ばかり読んでいるようになっているんですけど。
今、松木くんさんの天意を覚え書きという本をですね、1回目に読んだ時はほぼさっぱり理解できなかったんですけど、今読むとよくわかるんですよね。
まあよくわかってないところはあるにせよ、少なくとも読んでられるレベルに入ったんですよ。
この読んでられるレベルに入る、読んで面白いと思えるレベルに入れるというのが、精神分析で本当の意味でわかるとかわからないとかいう話を始めちゃうと目安がなくなるわけですね。
目安がなくなるのは大変よろしくないと思うんですね。
本当はわかってないんだよとか言われたら、何を持って自分が楽しんだり興味を持っておけばいいのかがわからなくなってしまいますよね。
こういうのって本当に私は昔から良くないなと思って、いつ良くないと思ったかというと、大学時代にシェイクスピアが本当にわかっている奴はほとんどいないみたいなことをやだら言う大学院生の人とか、
僕からすると、僕は大学に行ってないから先輩に相当するんですけど、これを言われると、だってシェイクスピアは小学生が読んだって面白かったアレですよね。
私、ベニスの少人読んだのは、まあね、議局じゃない形式で読んだんですけど、小説形式になっているジュニア文庫みたいなのを読んで、十分、めちゃくちゃ面白かったんですよね。
だから本当にわかってないとか言い出すと意味不明なことになってしまうんで、これうちの先生がよくね、そういうことを聞くとその大学生にめちゃくちゃ怒るみたいな、
そういう、うちの先生も面白いことをやってるなと思ってたんですけど、そういうことをやってたわけなんですね。そういうこともあったわけですよ。
まあ、そんなことはどうでもいいんですが、だから、わかるわからないっていうのは、面白ければわかったことにしようみたいな、そういう、
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結局のところ、誰かのお墨付きをもらうっていうのは、やっぱこの場合おかしいんで、誰かのお墨付きが必要ってことは結局自分がわかってるかわかってないかの判定はできないことになるじゃないですか。
それは大変不健全だなと思うんで、わかってるかわかってないかの基準は自分が持つことにしたほうがいいなと。
その時に私が思うのは、本を読んで、その本を読んでられればわかったことにするっていう、そういうことにしてるわけですね。
すいません、急激に寒くなって外に、なぜか小雪まで降っていたもんですから、時々お湯をすすっております。
今日はそういうお湯をすすってるのでもわかる通り、わかるわからないか、多分相当わかりにくい話になると思います。
わからないまましゃべるってやつをやるんで、ここのところ、びょん読んでるためにそれが置きざるを得ないんですね。
全部はわかんないんですよ、読んでても。
だからわかんないままいくぞっていう、この番組の一つの特徴で、これを聞いてる方はましてよくわかんないと思うんです。
それは理解力のことも全く関係ないとは思わないんですけど、理解力よりも何よりも、しゃべってる人がそもそもわからずにしゃべってるわけだから、
それがわかるっていうのはある意味おかしいわけですよ。
何をわかればいいのか、もちろん、だからこれを聞いていて、なるほどそれはそうかって思った人は僕よりわかってるってことになります。
非常に原理的に意味がよくわかんないことになっておりますが、
そのびょんをですね、理解しなきゃなと思うのは、言っておかないとわかんなくなっちゃうから言っておきますと、
びょんが関わっていたような人に、3ヶ月チャレンジで私が関わるということはないんですよ。
これは言い切れるんです。原理的にないんですね。
なぜならびょんは薬を投薬されていない精神病の人を見てたから、主に統合視聴症ですね。
今そういう人っていないはずなんですよ。
世の中に普通に出ていて統合視聴症です、しかし投薬は全くなされていませんということは、
普通に考えるとないはずなんですね。
もちろん極めて例外的なケースってあると思うんですけど、
私の考えでは、そういう人が3ヶ月こういうものに取り組むために、
7万円以上のお金を払うということにならない気がするんですね。
がいして、これは私の憎しみもそうですけど、
そもそも今統合視聴症と診断されたということは、
すでに投薬が開始されるということになるので、
びょんは特殊なんですね。
彼はまだその薬が開発される前に精神分析をやったから、
そんなことが起こったわけですよ。
今だと精神分析やってる人だとしても、
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統合視聴症だと正式に精神科の人が判断したということは、
投薬されてるというふうに考えるのが常識であって、
特にリファーとかされれば絶対そうだと考えられるので、
3ヶ月チャレンジでまして、そんなことは起こらないんです、原理的に。
だから精神病水準統合視聴症であるという状況にない、
遭遇しないことになっている私たちでは、
びょんを読まねばならない理由ってないわけですね、ある意味。
しかし、何がどうしかしなのかよくわかんないですけどね。
しかし、にもかかわらずそういうことは起きてしまうということは起こるんですよ。
起きてはいけないことなんですね。
でも起こそうとするのはナンセンスなんですよ。
起こそうとすることができるはずがない。
これはびょんが言った逆転医は使えないって言ったのと全く同じで、
逆転医というのを使うっていうのは、
びょんぐらい精密に物を考える人からすると、語彙上の矛盾があるわけです。
何でかっていうと、転医というのはそもそも無意識だから起きることなんです。
無意識というのは意識できないから無意識なんですよ。
無意識っていうのはつまりこの世にないものとその人からすればなっているものなわけですね。
転医ってそこら中で起きてますから、はっきり言って。
我々無意識にそれをやってるということなんですね。
転医が無意識でありながら逆転医は意識できる。
なぜなら私は専門家だからとか言うのは本当にダメなんですよ。
びょんぐらいの人に言わせると本当ダメなわけです。
逆転医というのは転医がクライアントさんに意識できないということは、
逆転医は精神分析科には意識できないわけです。
つまり逆転は無意識に起こるものわけですね。
なので逆転医を使うということは、意識的に使うということは、
理論上おかしいわけですよ。
そこには例の権力購買みたいなもの、ちょっと違うと思うんだけど、
専門家の方が分かってるぜっていうことに対する極端な万能感があるわけです。
分かっていないからそういうことを言うんだってことになっちゃうんでしょうけどね。
でもそういう言動っていうのはあくまでもこれはびょんの言う話であり、
私はびょんに逆らうとかはないんで私の中では。
だしこれは言ってる通りだなと僕なんか思うんで。
転医というのがクライアントの持ち込んだ無意識の考えられていない思考の行動家ですって言うんなら、
逆転医は当然その逆なわけだから、分析科が持ち込んだわけじゃないんだけど、
分析科が持ち込まれることによって無意識に発動した行動家なわけですよ。
だからそれを意図的に使うとか言うことは、無意識を意識的に使うっていうのは
言葉の矛盾じゃないですか。意識的に使ってるんだったら無意識じゃないってことになりますよね。
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これはその通りだと思うので、だから無意識、逆転医というのは使えないわけですよ。
逆転医である以上は使うことはできないわけです。
逆転医って新聞的化にしか起きないことになってるわけですからね。
で、私はそれに基本沿っていくわけですけれども、そもそもそんなに難しいことを
私は立場上しなくていいはずなわけで、なぜならそういう人は来ないんで。
しかしですね、ウェニコットの言う失敗と、美音が言う逆転医に近い現象って
おそらく同じようなことを意味しているはずなんですね。
彼らは結局のところ対象表彰を持たない転移を扱おうとしているわけです。
でも何言ってるのかよく分からないじゃないですか。
僕も何言ってるのかよく分からず言ってるわけですよ。
でもこれ多分対象表彰を持たないというのは、クラインはそういうことを認めなかったわけですよね。
クラインは生後間もなくから赤ちゃんは対象を持つんだと考えたわけです。
ウェニコットはそれに意を唱えて、事実上波紋されているわけですけど、意を唱えているわけですよね。
その前段階があるだろうってことなんだとこれは思うんです。
つまり対象表彰なんか持てない段階があるだろうと。
しかもウェニコットに寄せるとPSポジションというのは無いから、
無くはないんだけどそれはトラウマの産物みたいなもんだから、
この辺がまた非常に難しい議論になっていくんだと思うんですけどね。
そもそもでもビオンに寄せるとβ要素に遭遇することになるから、
それがトラウマなのかというとちょっとまた難しい問題なんですけど、
いきなりβ要素に遭遇しちゃうことになっているので、
怪とか欲動とか、怪不怪原則とかそういうことをあんまり言わないわけですよね。
いきなりβ要素に遭遇しちゃうわけですよね。
そして私たちもみんなそうなんだっていうような考え方を取ってる気がするんですよね。
で、こういうふうに対象表彰を持たないということはつまり、
意味不明だってことですよね。
しかし、確かに言われてみるとですね、
僕、例えば僕ね、そうだな、
うちの母って運転下手なんですよ。
何を言い出すのかと思われるかもしれないけど、
私青森県に住んでた時代がありまして、
その時、お母さん大好きだった時代なんですよ。
多分、多分ですよ。
2歳か3歳なんですよね。
対象表彰持ってますよ、もちろん持ってますけど、
その辺のことってやっぱり完全には覚えてないじゃないですか。
確かに何かこう母が運転してたんですよ。
珍しいなと思って。
で、私母大好き人間なんで、後ろの後部座席で立ってたんです。
当時って誰もシートベルトってしてないんですよ。
後部座席なんか言うに及ばずなわけですよ。
助手席だって運転手だってシートベルトなんかしてなかった時代なんですよ。
昭和52年くらいかな。
4歳か私、3歳。
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2歳だとすると昭和50年ってことになって、
まあ、うちの妹生まれてない可能性がありますね。
っていうか、生まれてませんね。
いなかった気がするもんね、妹ね。
そうだ、2歳かも。
で、後部座席で僕立ってたんですよ。
まあ、多分立ってた。
で、後部座席で立つなんてとんでもないじゃないですか。
ぶつかったらすっとんでって即死ですよね。
まあ、そういう時代だったわけだけど。
で、なんか言ったんですよ、親父が。
なんか言ったら、もう次の瞬間私頭に激痛が走って、
なんか、車が血まみれになったということがどうやらあったらしいんですね。
私はその激痛だけをかすかに覚えてるんですよね。
これがギリギリ対象表情を持ってる記憶なんですよね。
だから何が起きたかの説明は過労死でできてるじゃないですか。
でもこれを0歳以上の時体験してたら、
多分全く覚えてないってことになるわけですよ。
しかしその経験は頭に激痛だからなくならないわけです。
多分おでこに穴がいたとかなんですよね。
なんかね、そういう体験って、
つまりこれを環境供給の失敗、
チブサがないみたいな言い方、
あるいはムチブサですね、ノーブレストですね。
ムチブサって他の訳しようがないのかって感じなんだけど、
要は環境によって何かが常に供給されていて、
ようやく生きていられる0歳児は、
環境供給、何かが血まみれとかになっちゃいかんわけですよ。
でも血まみれとかになっちゃうことはあるわけですよね。
これを失敗というわけですよね。
これを情緒的にこういう失敗をされてしまうと、
それは当然精神的な外傷体験になると。
この種の外傷体験を、
それがつまり統合主張症とか、
非常に重度の境界例とか、
そういう話に繋がっていくわけですが、
それはお医者さんの領域だとして、
3ヶ月チャレンジでそういうことに遭遇絶対しないと言えるかというと、
だって私のような人間でさえ、
親は別に意図的に何をしたわけじゃないけど、
おでこに穴開いたわけですから、
それは親の失敗じゃないですか、ある意味。
後部座席で立ってるお前が悪いんですけど、
多分ね、昔の車って後部座席の方に、
シートの上にはさすがにないですけど、
足元に金具とかがちょっとした出っ張りがあったりしたわけですよね。
目じゃなくてほんと良かったよね。
目の上なんですよ、多分。
それは覚えてないんですよ。
痛みはね、走った記憶が漠然とある。
痛みは思い出せませんけどね。
つまりほとんど何も思い出せてないじゃないですか。
こういうのがエピソードとしてすら残っていないような、
外傷的体験というやつを遭遇してしまうと、
そいつに意味を持たせない限り、
思い出すことができないわけですね。
思い出すことができないものは、
過去のことではないわけですよ。
ではそれはどうなるかというと、
これがウィニコットが上手い言い方するんですよね。
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未来の不安として過去の体験を思い出す、
みたいな言い方するんですよ。
つまりそれは、絶望的な恐怖というものが不安に化けて、
それが未来のいつかに起こるであろうと、
勝手に思ってしまうわけですよ。
だってそういう体験をしてるから。
でも本人はそういう体験の記憶が一切ないので、
この体験は過去のものとして再現すること、
記憶として掘り起こすことは不可能なわけですよね。
これはもう自鳴ですよね。
だってそれを記憶になってない、
言葉にもなってない、
イメージすらないのに思い出せるわけがないじゃないですか。
これは対照表彰っていうわけじゃないですか。
誰それさんと会いました。
その人のイメージを我々は思い浮かべたり、
その人の声とか名前とかを思い浮かべる。
すべて記号の表彰であったり、
イメージ表彰であったり、
音声の表彰であったりするわけですよね。
それはつまり知覚化されるわけですよね。
部分的にとはいえ。
その知覚化するということが表彰ということですよね。
ところがこの知覚化ということができないわけですよ。
表彰がないわけだから。
表彰がないものはつまり存在しないわけですよね。
しかしそういう体験を厳粋にしたものだから、
そういう記憶が全くないわけではなく、
つまり要するにあれですよね。
思い出せない記憶。
よくトラウマで言われるやつですよ。
これはどういうものになるかというと
未来の記憶という言い方をする。
未来はまだ起きてないことだから、
当然それを思い出すことは不可能です。
思い出すことは不可能なんだけれども、
それは体験としては、
体験したことあるわけだから、
完全に消え去ることはないわけで、
いつかこれと同じようなことが
起こるのではないのだろうかという、
しかしこれとは何なのかは全然わからない
ということが不安なわけです。
未来の不安という言い方をする。
ビヨンが言っているのかな。
ビヨンとウィニコットはここら辺の件で
めちゃくちゃ近いことを言っているわけですよ。
だからコンテイニングとか
ホールディングとか言っているのは、
ビヨンがコンテインで、
ウィニコットがホールディングなんですけど、
極めて近いわけですよね。
私はようやくそれで、
そういう用語が何のために出てきていたのか
ということを何となくわかったわけですよ。
これはつまり、
対象表情を持たない記憶を再現するときに、
精神分析、
ウィニコットが言うところの分析化は失敗すると。
私でもいいんですよ、この場合。
失敗するんですよ。
この失敗をすることによって、
未来の不安というのが
現実のものになるわけですよね。
やっぱり予想通りこういうことは起きたと。
こういうことが起きるんじゃないかと
心配してたんだよって、
そういうことってどういうことなのかは
その人は知らないし、
そういう心配をしていたということも
知らないんだけれども、
しかし心配はあるんですよね。
こういう不安が的中するわけですね。
やっぱりこういうことって起きるんだと
いうことになるわけです。
このときに非常に大事なのは、
18:00
一番いいのはホールディングが
成立することで、
これによってホールディングが
解けてしまうと、
つまり赤ちゃんが怒って、
私が後部雑誌から怒ったみたいに
外傷体験としてまた怒るので、
最悪なんですけど、
ここで頑張ってホールディングすればですね、
だから構造が大事なんですよね。
そこでカウチが必要だとか、
スーパーバイザーがいるんだとか、
時間を守んなきゃいけないんだとか、
料金も守んなきゃいけないんだとか、
週に1回で同じ曜日の
同じ日に徹底しないとダメなんだという、
そういう構造が必要なわけです。
さらに私の外には、
バッグには精神分析組みが付いてるぜっていう、
こういうことが言えることによって、
ホールディングしやすくなるわけですよね。
私これいずれも言えないんで、
非常に困ったことになりやすいわけですね。
だから3カ月チャレンジという枠を、
何とかして、
枠がただ堅ければいいってことじゃないですよね。
枠が堅ければいいのは、
今まで守ってきた場合はそうなんですけど、
3カ月チャレンジになって、
今まですらないので、
僕は立場だけはフロイトと同じなわけですよ。
あんな能力はないけど、
非常に困るわけです。
私がオリジナルというものを非常に重視するのは、
そういうことなんですよね。
オリジナルやってる人は、
めちゃめちゃ大変なんですよ。
構造も営業も枠も、
全部自分でやらなきゃならないんで。
広めようと思ったらね。
それはそれとして、
そしてオリジナルというのは、
めちゃくちゃ叩かれるんですよ。
構造も枠も、営業も全部自分でやっていて、
全部得意な人っていないんでね、
大体において。
だからあの人は、
営業をあえてやれればねとかって言うんですけど、
それは枠を持っている人の言い分なわけですよ。
非常に簡単なんですよ。
頭で考えてやる分にはですね。
実際にやってみるのとはちょっと違うんですよ。
まあそれはいいんですけど、
これは私タスクシュート教会について
喋ってるわけですね。
あれはあれで、オリジナルな枠なんで。
私のオリジナルじゃなくて、
私は今ホッとしてるわけですけど。
フロイトだってね、
スーパーバイザーなんかいないわけですよ、
フロイトにとっては。
自分が全部考え出さなきゃならなかったから。
店員だって彼が考え出したわけですからね。
それに彼は、
松木さんが店員覚え書きで書いてるのを読むと、
そうだ、確かにそうだわと。
私はあの論文読んだのし、
あの論文は確かに短くてすごいんですよね。
あの、
お好みさんが徹底操作って書いちゃったやつですね。
ワーキングスルーのやつですね。
あれ本当にいい論文で。
で、あれを読むと、
なるほどフロイトは100年先行ってんだなっていうのが
よくわかるんですよね。
オリジナルっていうのはやっぱすごいなって思います。
ビオンがやったことは、
ある意味フロイトはちゃんと
予言しているみたいになってるわけですよね。
ウィニコットとビオンの仕事ですよね。
つまり、
21:00
最早期における
環境供給の、要するに
ないちぶさですよ。
ないちぶさというものに遭遇してしまう赤ちゃんは、
外傷体験を持つと、
落っことされるとか、
いろいろ起きるわけですね。
で、問題なのはそれは、
表情を持たない体験なので、
全く何もない恐怖になってしまうわけですね。
何もないわけです。
記憶もない。
当然意識されることもなく、
何か悪いことが起きるに違いないぐらいな、
よくわからないものになってしまうわけです。
しかしそれが起きて、
ウィニコット流に言うと、
しかしここは分析室なので、
その言い方に
無理があるんだけど、
分析室なので、
むちぶさにはならないっていう
考え方をとるわけですね。
なぜならば、
ホールディングはされるのであるってことですよね。
ということになれば、
結局フロイトが
転移神経症って言ったのと、
それよりはずっと重大な問題、
重篤な問題になっていくわけですけど、
フロイトの言ったのは、
神経症水準の転移だから転移神経症。
だからウィニコットは、
転移の二水準っていう、
割と有名な論文だと思うんですけどね。
そういうところがすごいですよね。
要するに神経症水準の転移と、
これがフロイトが発見した転移ですけど、
精神病水準の転移があるんですよ、
っていうことですよね。
その転移、精神病水準の転移は、
完全に無意識下で行われるものだから、
事実上というか、
逆転移も無意識のうちに行われるから、
何が起きているのかさっぱりわからないまま、
環境供給には失敗すると。
しかしそれが起きたということは、
そういう記憶、記憶ではないんだが、
記憶未満の何かが体験として、
クライアントにあったはずである、
っていうそういう理屈なんですよね。
そこで失敗するということにもかかわらず、
分析は継続することによって、
この失敗には今度は対象表彰が成立すると。
なぜならそれは、今の人は、
今それを体験したクライアントや
分析家はそれを目撃し、
覚えてもいるから。
それはそうですよね。
何が起きたのかの記述もできてしまうから。
それもそうですよね。
つまりこれは、
前に起きたこと、
対象表彰のなかった体験に対する表彰を
与えることになるんだ、
っていうことが、
私のオリジナルの考えって、
何もないですからね。
私はただ、
パクってるだけなんで、
パクっているのとは違うんでね。
なぞってるだけなんで。
ただこれを喋ってるだけなんで。
誰もこれを喋ってるっていう形跡を
私は見たことがないですからね。
専門家からすらも。
これもまた不思議な現象なんだよな。
精神分析的世界ならではですよね。
あんなにすごい話が、
誰も研究しないまま、
本としてはバッチリあるぜみたいな。
そういう、
何を目的としているのかが
24:00
よくわかんないですよね。
対象読者は誰なんだよっていう。
だって絶対に門外不出で、
人読むなって言うんだったら、
出さなきゃいいわけじゃないですか。
本屋さんに置いてあるっていうのは、
おかしいわけですよね。
仲間うちだけで見るっていうことにしておけば、
あのね、
精神分析を誰かが真似て、
そういう怪しいことをやって、
外科手術に相当することを、
私みたいな素人が手を出して、
大事件を起こすっていう、
そういうことを未然に防ぐことができるわけですよ。
専門家の人たちが読まなきゃいけないって言うんだったら、
仲間うちで回し読みするっていう手は、
あるわけじゃないですか。
ところが、
本として出版されています。
しかしこれは、
読んでも理解できないし、やってもいけません。
どういう意味なんだろうこれって、
毎回僕は、
精神分析的ミステリーだなって思うんですよね。
非常にこう、
私というのに惹かれるというところがあるんですよ。
要するに。
だからもう、どうせね、
ノーセカンドライフの、
橘武さんの話じゃないですけど、
昔散々聞かされた、
私そういうセミナーに出たことも、
何回かありますからね。
二度ない人生だからね。
何を叩かれてもいいや、みたいな。
そういう、ちょっとどこか草的に、
強引になってみたりして、
喋る分には全然、
別にね、これが炎上するっていうことは、
なんでもないですから。
蚊に刺されるようなもんで。
ただ、やっていてどうのこうのってことになってくると、
さすがにそこは、
やや責任的な話になってくると思うんで。
で、
意図的にはできないんですよ。
いずれにせよ。
だって、意図的にできるはずがないんですよ。
お互いが何であるかを知らないことを、
意図的に引き起こせないじゃないですか。
でも、起きることはあり得るわけです。
その人が統合失調症でなくても、
そのために美音を読むということは、
つまり、
読んでおくってことなんですよね。
読んでおくことによって、
それが起きて、それに対応するために、
読むのではないんですよ。
そんなことは不可能な。
これはつまり、思い出せない未来の記憶っていう言い方と、
全く同じで、
起こり得ない現実への予防なんですよ。
でも、起こり得ないんだけれども、
原理的には。
しかし、
起こり得るわけですよ。
それは誰にもわからないことなんですね。
この外傷体験というものに対して、
名前というか、
名前は付けられないにしても、
それはどういうことでありましたということを、
少なくとも2人の人間が、
それについて言及できるようになるということ、
それ自体が、
もはや未来の記憶ではなくなるわけですよね。
過去のものにそれをすることができる。
実際に何が起きたのかは、
究極的にはわからんわけですよ。
しかし、
それと同型のものは、
我々は知っているよっていうことが、
言えるようになるわけですね。
ウィニコットの世界では。
そういう臨床例が出ていて、
なるほどなって思うわけですよ。
そういうことなんだと。
確かにそれはそういうことだよねと。
でも、
ビヨンはもう少し先に行ってるような感じが、
27:01
やっぱりビヨンは長生きしましたからね。
長生き大事よね、こういうことは。
ウィニコットが、
ビヨンに言ったとか言わないとかされている、
あなたが言ったことは、
私がクラインと一生懸命戦って
言ってたことそのもので、
私は嬉しいよ、
みたいな感じのことを言ってるんだけど、
松木さんは厳しくて、
その辺も。
でもウィニコットが言ったのは、
この辺が物足らんみたいな、
そういう書き方をしていて、
やっぱりビヨンほどは徹底できてないっていう。
で、そのことをクラインが生きてたら、
必ず指摘したに違いない。
多分そうなんだろうなって思うんですよね。
でもクラインからすると、
どっちにしっちり
納得のいかない話だと思うんですよ。
これも松木さんの本に書いてあったことだと思うんですけど、
ビヨンがある大事なことを、
クラインの大事な話に言及しなくて、
クラインがセミナーを泣いてたみたいな話が、
どっかに書いてあったりして、
この世界、非常に、
生々しいよなと。
しかもそのすごい話が、
深刻になりがちだよなというのは、
非常に感じますね。
これじゃあ、なかなかやっぱり、
生前では言えないことって、
いっぱい出てきてしまう。
先日、
Xで、
いきなりまた話飛ぶようですけど、
小澤さんがオーラルヒストリーを、
カイコロクですね。
絶対それ残した方がいいよなって、
私も思うんですよね。
知ってることいっぱいある。
まずいから、やっぱり多くの人が、
まだいらっしゃる間は、
言えないと思うんですけどね。
野田さんとかまだ全然現役ですしね。
そういうような、
話はそれとしてですね。
過去のことに、
広井とか言った、
だましい状態にありますが、
ありきたりの不幸にも、
直すことができて、
それだけでも多くのことが得られるっていう、
これの拡大版ですよね。
ありきたりであろうとなかろうと、
まずそれを、
過去のことにできるということが、
必須なんだっていう話ですよね。
で、
過去のことにできなければ、
痛ましい状態ってのは、
現在あなたは痛ましい状態にありますがって、
まさにそうフロイトが言ったんだけど、
そうじゃなくて、
過去のことにできない、思い出すこともできない、
表彰すらないものは、表彰というのは、
現れるに、象徴の象ですよ。
表彰にすらならないものは、
未来のことになってしまうんですよね。
そうすると、
お先に、
お先真っ暗みたいな話ですけども、
非常に恐ろしいことですよね。
つまり、未来はものすごく、
破滅的な未来が待っている。
しかしそれはなんだか全然意識できない。
そういう話になってしまうわけですよ。
考えてみると、
非常に重度の鬱の人が、
時々おっしゃるという、
世界で起きている破滅的なことは、
全て私に責任があります。
あれに限りなく近い話。
30:03
現在から未来にかけての悪は、
全て私の過去の行為と関係があります。
そういう因果律が、
情緒の世界では成立してしまっている。
これもまた、
未来の記憶という話と、
とてもよく似ている。
全ての時系列が、
何か特殊な形で、
ねじれてしまっている。
というようなものを、
考えさせられるわけです。
マテ・ブランコが言いましたよね。
そもそも無意識の世界に、
整然とした時系列なんかないんだ。
それとよく似ていますよね。
クラインの話ですら、
そうじゃないですか。
つまり良いおっぱいと悪いおっぱいが、
同時にありますというのは、
一つのおっぱいしかない世界では、
あり得ないことですよね。
同時に二つのものが、
一つの中にあるというのは、
四次元の世界では、
絶対無理なわけですよね。
良いものが悪いものになると、
話は分かるけど、
良いものと悪いものが、
同時に成立しますというのは、
それはやっぱりおかしいわけですよね。
それは、あと良いものが、
死と再生ですけど、
簡単に再生されてしまう、
万能空想の世界ですが、
要するに、悪いおっぱいになったはずなのに、
良いおっぱいを破壊したはずなのに、
良いおっぱいがまた戻ってきますみたいな、
これも非常におかしいわけですよね。
破壊されたものは、
回復はしないわけです。
この文脈で考えている限りは、
この、なんていうのかな、
まあ、
これもユニコットの方が先を行ったなって感じで、
結局はしちゃうんですけども、
連続した事故という考えは、
成り立たなくなりますよね。
アイデンティティみたいな。
悪いものと良いものが、
同居し得る世界とか、
その良いものと悪いものが、
一旦良いものが破壊されて、
悪いものになったが、
良いものが何かいつの間にか復活してます。
夢の中ってそういうこと起きますけども。
これもだから、
時系列という因果関係がないわけですよね。
ここにも。
それは多分、やっぱり、
その連続性というものが
寸断され過ぎたから、
ある程度寸断されちゃうと思うんですよ。
赤ちゃんは。
その記憶が繋がっていく、
以前の段階だから。
だから寝ている時叩き起こされ、
起きてると思ったらみんなが寝ているみたいな、
そういう世界ばっかりが展開してしまうと、
自分、自我のアイデンティティ、
自我の連続性みたいなものというものを
成り立たせる基盤が、
なかなか出来上がらないですよね。
だから非常にこう、
少なくとも、
気持ちの安定みたいな
話になった時に、
そういう基盤が、
なんていうのかな、
分厚くないみたいな振り益は、
小麦うると思うんです。
しかしこれは、あくまでもPSポジションの
話から、
まだ進んでなくて、
さっき言ったような、
ウェニコットだの、ビヨンだのが想定していた、
33:02
もっと前の段階、
表彰以前の段階、
クラインに言わせると、
表彰、対象表彰から、
始まってるんですよ。
対象表彰はあるんですよね。
心の中に。
これはだから難しい問題なんですよね。
タブララスみたいな問題と絡んでくるんで。
デビットヒウムでしたっけ?
とにかく、
白い石板みたいなものとして、
赤ちゃんが生まれて来ないと、
ある意味クラインは言ってるわけですよ。
わからなくもないような、
気もするんですよね。
ただ、ほとんどのことについて、
赤ちゃんは何も知らないというのも、
事実だとは思うんで。
ピアジェが、
見えない崖の前にすると、
赤ちゃんは立ちすくむんだっていう。
要するに、落下は勝手にしていかないんだ。
とはいえ、
高いところから落下しがちですからね。
だから、この辺って、
非常に難しいと思うんですよね。
心の中に、
この世界が最初から、
ある程度はある、
全くないわけではないというのが、
今のコンセンサスとしてあるんだと思うんですけど、
とはいえ、
ほとんどないに等しいというのも、
また事実だと思うんで。
だからやっぱり、
ミニコットとかビオンが、
あの二人だけなんですよね。
クラインが染み付けてた面もあると思うんですけど、
あの二人だけが、
対象表彰以前の世界というものを想定し、
そこでの外傷を受けると、
その人の人生のその後に、
それがどういう姿で現れてくるか、
非常に難しいじゃないですか。
じゃあ、あのあなたの、
この頃の生育歴では、
こういうことがあったんですねって、
言える部分はいいですが、
そんなところについて言えるはずはないんで、
ゼロ歳児の時こう思いましたかみたいな、
ないわけですよね、そんなのはね。
だからそこに問題が、
仮にあったとするならば、
それは多分、
非常に扱う上で、
困難を極めるでしょうし、
それはだから、
ミヨンはそのようなことについてばっかり書いてるから、
読んでもよくわかんないわけですね、私には。
だからこれは分からずに喋ってる話なわけですよ。
で、
その、
ミヨンのブエノスアイレスか、
有名ですよね、
セミナーで言っていた話だったと思うんですけど、
あの、
彼はよく言う通り、
その不安というものは、
形もなければ匂いもないんだみたいな、
そして逆転医は使うことはできないんだっていう、
そういう中で、
で、実際の臨床は、
じゃあ結局それってどうやるんだろうって、
感じがするんですけど、
すごい話があるわけですよね。
精神病性のあれは、
教会入れ特性みたいな話だったと思うんですけども、
とにかくそれは性的なことを、
ガーッと叫ぶように言う、
みたいな話の中で、
中でじゃなかったか、
その外でなのか、
とにかく、
中座もするような感じだし、
カウチに座ってられないような感じの話があって、
で、
その病が解釈をするというか、
36:01
まあ、
たぶんなんですけど、
ガーッとのなっているわけだから、
大声で言っちゃうみたいな、
そういう話もあって、
これやっぱりでも、
これが精神分析の強みなんだろうなと思うんですけど、
週4回だの、5回だの、
そういう人ともやっていて、
ほぼ毎日のように会ってて、
その人の世界、
まあ、だから、
ビカミング王みたいな話って、
つまり王になる、その人になるみたいな話って、
結局、
慣れるみたいな感触を持って、
初めて言えることのように思うんですよ。
週1回だの、各週だので、
相手になれるはずない気がするんですよね。
バウナリー相当緩めたからといっても、
なかなか相手になれるっていうわけにいかない感じがします。
で、
そのビヨンがやっているような
ビカミング王みたいな話になったときに、
ただ、これは、
私は経験が全くないわけじゃないんで、
少しわかるところはあるんですよね。
あなたは幻聴を聞きました、
みたいな、
そういう、
なんていうんですかね、
解釈なんでしょうね。
あなたは幻聴を聞きましたっていうのは解釈ですもんね。
結局これは、
そういう風な体験を、
自分はしたなという、
つまり、
なんていうのかな、
定義的にビヨンが、
そこの登場人物にされたということになってくると、
自分が喋ったのは幻聴である、
みたいな言い方に近いですよね。
これはね、
多分そういうようなことなんだと思う。
いや、意味わかんないし、
そんなことできないし、
そんなこと言えないですけど、
とてもじゃないけど、
ただ、わかるような気がするところは、
全くないわけじゃないですよ、
私の経験ではですね。
私はその、
統合主張者の方と喋った経験というのが、
何名かとあるわけなんですよ。
で、その時のその体験というのが、
実に、
非常に愉快でない上に、
非常に複雑怪奇で、
なんかこう、
身内だから、
わかるところもなくはないが、
みたいな感じなんですよね。
お腹に触ると、
なんかこう、
それが何かのサインみたいに、
受け止められて、
全部がサインになってしまうんですけど、
ただ、その中で、
やっていて、
今この人は、
私に、
厳密に言うと、母親?父親か?
父親を見ていて、
怒ってるんだなっていう、
私はもういなくなったんだな、
っていう感じがする時って、
やっぱあるんですよね。
この人から見ると、
もう私は存在してないんだな、
今はっていうのが、
あるんですよ。
で、こういう時に解釈をするってことは、
確かにあり得るわけですよね。
その時、その瞬間は無理ですよ。
その瞬間は無理なんだけど、
だって相手めちゃくちゃ怒ってるし、
とてもじゃないけど、
何かを言えるような雰囲気はもうない。
何を言っても、
なんか多分、
39:01
私がすっごい悪者で、
なんかこう、
犯罪でも犯そうとしているぐらいな、
印象なんでしょうね。
襲いかかってくるとかね。
だから、僕は、
身構えてはいないけれども、
でも身の危険は感じてるわけなんですよ。
だって戦ってるわけですから、
相手の中では私と。
で、これを解釈するんでしょうね。
やっぱりね。
で、あなたは
言調聞いています。
言調聞きました、みたいなことを言うと、
断定的に言っておくと、
いうことをすると、
これを権力購買って言うのって、
やっぱおかしい気がするんですよね。
だってこれを、
で、美音がこれを言って、
すごいやっぱ表現が独特なんですよね。
私はいささか驚いた、
みたいなこと。つまりこれは、
自分が喋ってることに驚いているのか、
そういうことが言えた自分に驚いているのか、
まあでも、
怖いことは、
素人的にはね、
素人的にはめちゃくちゃ怖いですよね。
ただ、私が怖いのは、
分析機器じゃないからってこともあるわけですよ。
ちょっと手を伸ばせば、
ハサミが手に届くところにあるから、
みたいなこともあるわけですよ。
だって部屋なんでね。
だから怖いわけですよ。
で、その、
ただ私、傷つけられたことは直接的にはないので、
いわゆる自傷多害ってやつなんですけど、
その、
正気じゃないから人を傷つけるというのは、
非常に短絡的なので、
そんなことはないんで別に。
ただ、怒れば、
やっぱり分かんないわけですよね。
向こうは恐怖に、
まみれているって部分がありますので、
マスキさんが書いてましたよね。
なんかこう、
怒りでボタボタにするみたいなことを言われて、
自分なんか弱いから、
すぐボタボタにされてしまうだろうみたいな。
やっぱそういう恐怖ってありますよね。
それは統合主張書の話じゃなかったと思うんだけど。
ボタボタって言わないなって、
ボコボコって言う気がするなって思うんだけど。
それは、
それとしてですね。
この、
破綻恐怖って言えばいいんですかね。
その、
表情のない記憶に揺さぶられていて、
その、
私の身内はね、
そういう記憶がないはずだと
僕なんか思うんですけど、
それは分かんないことなんですよね。
ゼロ歳だった時に、
そんなにひどい目に、
誰かが合わせるとしたら、
親しかいないわけですけど、
ちょっと信じられないなっていうのは、
あるんだけれども、
そういう文脈で見なくても別に、
幻覚を見るってことは、
強いプレッシャー、
これもよく分かんないんですね。
そんなに強いプレッシャーが与えられていた気が、
しないんですけどね。
っていう感じなんですけど、
とても怒ってはいらっしゃるんで、
多分、
ひどい目に合わされたのかな。
そこがよく分かんないんですけどね。
でもまあ、
そうやって考えてみると、
あなたは幻聴聞いています。
42:00
だからこれ、
断定的に言うしかないですよね。
これを説明的に言うことほど、
おかしなことはないと思うんですよ。
だって、
説明的に言っちゃうと、
フロイドのドラ少年になっちゃうと思うんですよね。
あなたがそうやって、
けびょうを使っているのは、
病気になるのはお父さんが、
っていうのは正しいですけど、
それってフロイドが、
劇の外から、
劇の説明をしちゃってるじゃないですか。
でも間違いなくビオンは、
劇の中の人間に組み込まれているのに、
あなたは幻聴聞いています。
っていうのが、
一番適切だと思うんですよね。
あなたは幻聴聞いていますね。だと。
あるいは、あなたは幻聴聞いたんですね。
とかだと。
ビオンは、
私はこの空間の外にいますよ。
っていう表現になっちゃいますよね。
それは、
相手からすると、
非常にダメですよね。
あんた気が狂ってるんだよって言われてるのと、
何にも変わらなくなっちゃうじゃないですか。
そうすると、
断定的だから対等なんだって、
むしろ思うわけですよ。
これは、
ちょっと違う話なんですけど、
私は、
タスク管理とかの話でよく出てくる、
タスク管理の話でしかなくて、
すまんのですけど、しょうがないですよね。
私の仕事そうだったから。
その、
タスク管理とかで、
佐々木さんが言うことが正しいのか、
みたいな話になるんですけど、
そうじゃないだろうって思うんですよね。
絶対自分が正しいって主張をしていないと、
なんて言うんだろう。
対等じゃないじゃんって、僕は思うんですよ。
私が間違っている、
あなたが正しいかもしれないし、
私が絶対正しいってわけじゃない。
そういう言い方もしますけどね、
そういう時もありますけど、
私が正しいってわけじゃなくて、
私はこう思うんですよって、
すごく私はマウント取ってるなって、
むしろ思うんですよね。
なんでそういう言い方ができるんだろうかと。
自分が絶対正しいと思うことを、
とりあえず言っとけよと。
あなたが間違っている可能性は、
どうせあるんだよっていうのが、
対等ってもんじゃないかなって、
私は思うんですよね。
だからこう、なんて言うんだろう。
政治家は評論家やってちゃダメだと思うんですよ。
やっぱり。
与党は絶対間違っているんだ。
このままだと戦争になるんだっていうのが、
私は間違っているかもしれないけど、
私の意見としてはそうで、とかいう、
絶対的に客観的なことが
見えるかのような立場に立ったら、
おかしいと思うんですよね。
私は。
ビヨンの立たされている立場っていうのは、
話がコロコロに入れ替わってますけど、
その中から出られないっていう、
人の大変さと、
実は全く同じところにいるんですよ。
多分。
登場人物にさせられてるわけですよね。
で、その最後に、
その女性が、
ほらね、あなたがそうやって正しい解釈をしてくれれば、
それでよかったのよっていう、
すごい話だなって、
私は思うんですよね。
これが。
ついさっきまでの興奮状態は、
45:00
何だったんだっていうような、
話になっている。
それが何を意味するのかは、
やっぱりよく私にはわかんないんですけど、
こういうことは、
できないなとは思うんですけれども、
ただ、そういうことができなくても、
それを読んでおく必要はやっぱり、
あるような気がするんですよね。
そういうことが起きないとしても、
原理的には、
そういうことが起きないという前提で
あったとしても、
やっぱり読んでおく、
知っておくっていうことが、
これがつまり、
一つの心の地図なんですよ。
クラインが描いた地図とは、
あからさまに絶対違うわけですよね。
やっぱりこっちの方が、
より真相へと向かっているわけじゃないですか。
対象が存在しますよって言ってるってことは、
やっぱり一歳から一歳半ぐらいな感じって、
ありますけど、
しませんよっていう段階も、
やっぱり想定されると、
こういう特殊な状況における解釈っていうのを、
可能にする感じがあるので、
ウィニゴットが先鞭をつけた世界だと思うんですけど、
環境としての母親っていうことですよね。
対象じゃないわけですよね、それはね。
だから環境としての母親が環境供給に失敗すると、
そういう状態を作り出すために、
クライアントは対抗しなければいけないっていう、
独特の表現が出てくるわけですよね。
環境供給に失敗すると、
クライアントが対抗しなければならないというよりは、
この話を聞いていると、
そもそも、
分析化も巻き込まれて、
定義状況を丸ごと対抗しなければならないと言うんですかね。
そういう言い方をするならば。
そういう話になっているような感じがします。
でもここまで行くと、
はっきり言って、
私には完全に、
なんて言うんだろうな。
雲を掴むような話と言いますか、
分からない高等数学の教科書を、
無理やり読んでいる小学生みたいな気分になっていくわけですよ。
はっきり言って。
せいぜい中学1,2年生で、
自分がやっているのは、
何ですかね。
約数とかなのに、
ひぼなっち数列とかが出てきちゃってるっていう感じなわけですよ。
でも、
しゃあないんですよ。
と、私は思うんですよね。
しゃあないんだと。
将来こういうものもあり得る、
ないことを祈るが、
祈るがって、
別に祈ってはいないんだけど、
そういうことはあり得ることなんだっていう、
この世の現実としてっていう、
ような話ですよね。
私はそもそもそういうのに、
家族的な世界で遭遇しちゃってるんで、
あることはよく知ってるんですよ。
あるというだけであれば、
対応も対処も全くできてないですけど、
存在は知ってるっていうのは、
知ってるわけですよ。
ごく身近にね。
ただそれは、
48:00
私がまた仕事場でやることなのか、
どうなのかっていうと、
話はちょっと違ってくるし、
ただ対応策がこの世にあるっていうのは、
やっぱ知っておくっていうのも、
とてもいいことなんですよね。
シャドービームの時、
これが困ったんで、正規の医者が治してくれない、
こういう皮膚病は、
本人結構厳しいんでね。
結局ビュアノハエキスとかね、
そういうものをつけていくんだけど、
悪化したりするわけですよ。
別にビュアノハにケチをつけてるわけじゃないですよ。
私の場合はね、
私あれ心身症だったんで、
そもそもアトピーだったかどうかが疑わしいんで、
同じことやってもだめなわけですよね。
でも様々な良好はあるわけですよ。
温泉は結構良かった。
だからやっぱ合う合わないってあるんですよね。
温泉が良かったっていうのは、
やっぱり私の支給会議願望で説明した方が、
話テッドリ早かったなって気はしますけどね。
だからこういうこともそうなんですけど、
結局対応策があるのとないのとじゃ全然違うんで、
ヨーグルトが良いですとかね、
いろいろあるんだけど、
でもやっぱり結局は、
松木さんの本でとどめを指してますから、
私は自分のアトピーも。
そういう意味では、
わかんないことを知っておくっていうことの意味みたいな感じですかね。
今やっているのは、
私藤山直樹さんの方がミニコットわかりやすいって絶対思うんですけど、
松木さんのミニコット論と藤山さんのミニコット論を一々往復して、
言ってることが全然違うんですよ。
違うように聞こえるんですよ。
違わないんだけど、
最初読んだときは、
同じ人間についてこれ喋ってるかみたいな、
なんかヨハン・シュトラウスみたいなもんで、
違う人について喋ってるんじゃないこれっていう、
そういう感じがしちゃったりするんだけど、
そんなことはないんですよね。
ミニコットっていうのは対象関係論の世界では一人しかいないんで、
ミニコット二世とかはいないんで、
同じ人について喋ってる、書いてるわけですよね。
それがそもそもわかるようになったというだけで、
そこに疑いを挿し挟まなくなったというだけでも、
やっぱりこう、読めるようにはなってるわけですよね。
わかるようになっていないにしてもですね。
だからすごくミニコットとビオンを行ったり来たりするっていうのが、
まあいいんだろうなと。
サンチャレにとってですね、ミニコットって人の存在は、
やっぱり結構大きいんですよね。
ビオンとは全然ある意味違うんですよね。
ミニコットのようなことの言い方ならば、
こういうことは普通にビジネスの世界でもあると思って間違いはないって思える。
彼の書き方は少々詩的で、直感的なんですよ。
そして結局ビオンが詰めたところから比べると、
松木くにろさんに寄せれば多分やや雑なんでしょうね。
そしてそういうのは結構厳しく書かれるんで。
51:02
でもこの雑さがある意味いいんですよね。
やっぱりね。
パッと思い出した時、どっちの方が思い出しやすいかっていうと、
今のところやっぱりミニコットの方が思い出しやすいんですよね。
ホールディングの方がそもそもコンテイニングよりも、
なんとなく私は実感に近い感じってどっかあるような気がするんですよね。
ホールディングってある意味強すぎるなって感じはしますけどね。
今日ベリージュセフの話しようと珍しく思ったんだけど、聞き及しなかった。
やっぱり難しいんですよね。話を様々なところに振っておくっていうのはね。