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2020-11-10 44:12

【GMV250】読むセラピー❶のテーマはイリュージョン

イリュージョンを投影できるなら、引き戻すこともできるはずで、それだけで幸せに近づけるのではないだろうか。
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
今日はですね、昨日発売になった私の新刊である
「読むセラピー」という本の紹介をさせていただきます。
あの、読むセラピーは3巻シリーズにする予定で、少なくとも3巻は出す予定で、
3巻を合わせると10冊の本が紹介されているという形式になっています。
今回、昨日出たのが第1巻で、4冊収録されています。
冒頭がですね、
暴力から逃れるための15章という本の、
海底侵犯が出てるんですね。そちらの本の紹介になっています。
海底侵犯の方のタイトルは私ちょっと、なかなか覚えられなくて、9番の方、ずっと手元に
割とボロボロになるまで存在している紙の本、9番でして、あの本はですね、私が留学に行く前に確か買った本なんですよ。
その時ちょうど勤めていたドコモサービス埼玉料金センターという、
多分今存在してない気がするんですが、大宮の方の書店で買ったんですね。
まあ多分アメリカに行くということを恐れてですね、そういう自主社会アメリカの
対処術みたいなものを買おうと思って買って、その意味ではほぼ大して役に立った気がしないんですが、
まあその本を買って、それを今紹介しているという不思議な巡り合わせの本ですね。
で、あとの3冊がファクトフルです。
これはもうすごい今売れに売れてて話題になってますよね。多分どこの書店さん行ってもちょっと大きめならベスト10に入っているぐらいな本で、
要するに今の世の中、世界の全体としての数勢は、今回コロナがあるからちょっと変わったんだけれども、
良くなっていますよという本なんですよね。世の中の貧困もぐっと減っていて、人間の生活水準も上がっていて、
紛れもなく上がっていて、しかも
人口爆発とか、言われている問題のいくつかはおそらく
現実のものとはならないで解消されるだろうという内容の本なんです。 で、ほんの一部しか私は紹介していないけれども、こう思っていない人がいかに多いかという、
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この本がベストセラーになっている段階で既にそうですよね。 世の中が良くなっているとみんなが思っているということを書いている本であれば、多分売れてないと思うんです。
イメージしているのと逆であるからこそ売れた本だと思うんですね。 そういう意味でこの本も全然一冊目の暴力から逃れるための15章とは違うけれども、
私たちがいかにイリュージョンというか幻想を世界に押し付けているかということを書いている本で、それを私もテーマとして取り上げています。
この著者はですね、世界的なパンデミックの流行が起こると、この世界が良くなる流れに大いに邪魔になるので気をつけようみたいなことも書いてたんですよ。
今まさにそうなっちゃってるんですけどね。 その辺の話、気をつけるべきことは
ずっと貧困が続くとかそういうことではなしに、パンデミックの流行とか世界戦争とか、世界同時株安とかそういうものなんだという話も後半出てきます。
そっちはあんまり今回は私は取り扱ってないですが。
3冊目だと思うんですけど、
平気で嘘をつく人たちという、これもだいぶ昔にベストセラーになった精神科医の書いた本です。あれは精神分析の本だと思うんですけれども、
超正当派のフロイト主義者とは到底言えなくてですね、邪悪な真理というものを
あえて訴状に載せて、真理の中に邪悪性が潜むケースというのを取り扱うのがいいんではないかと提唱しています。
多分ですね、正当派のフロイト主義の人たちから見るとすごいナンセンスな感じもする話なんですよ、これは。
アメリカらしいなって感じがします。でも、とても力量のあるというのも変なんですけど、
そういうカウンセラーで、邪悪性っていうですね、まるでサイコパスの先取りみたいな話なんですけど、
本当に後ろの方へ行けば行くほどサイコパスっぽい人がどんどん出てきて、アメリカだなって感じがします。
ですが、実はですね、扱った人はたった一人なんですけど、どの人をとっても大変イリュージョンなんですね。
どっぷりという感じなんですよ。
で、ヨーロッパの方の非常に伝統的なフロイトの精神分析の人たちもやっぱりイリュージョンなんですよ、その患者さんというのはね。
もちろんその、なんて言いますか、
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要育歴、概ね要育歴を問題にしますけれども、に問題があったり、PTSDであったりと様々あるんだけれども、
イリュージョンに原因があることは間違いなくて、人によってはですね、何が原因でイリュージョンに入るというよりは、
イリュージョンに入ることが原因でイリュージョンに入っていくみたいな、そういうことってすごくあるんですね。
全然話が関係ないようなんですけど、暴力から逃れるための15章もまさにテーマはイリュージョンでして、
著者はですね、あくまでもセキュリティの人で、セキュリティの専門家で、精神分析とか精神科医とかではないんですが、
やっぱりですね、問題にする視点の置きどころは常に要育歴なんですね。
重度の犯罪を犯す人たちの要育歴というものを、やっぱり目を向けざるを得ないといいますか、
そしてやっぱりものの考え方は大変フロイド的でして、決して精神分析まっしぐらでは、もちろんセキュリティの専門家だからないですけど、
やってることは明らかに精神分析だなという感じなんですね。
そして私たちが多くの場合、不安に駆られて、恐怖に対してですね、あるいは暴力に対して間違った対応してしまうのも、
基本的には怖さから来るイリュージョンを頭の中でどんどん膨らませていくからだという話がほとんどなんです。
で、みんな同じことを言うんですけれども、特にやっちゃいけないのは近未来のシミュレーション。
この電車が遅れて、その遅れたせいで誰それが不機嫌になって、その挙句には会社についても嫌な思いをしてみたいな、そういうですね。
私たちこういうふうに言葉で追わない人も多いと思うんですけど、私もこうやって言葉で追うわけじゃないんですけど、
すぐこのストーリーをこしらえるんですね。
で、みんな同じことを言ったんですよ。この3人ですね。
ファクトフルネスの中でも言われてるし、暴力から飲まれる15章の中でも言われてるし、
スポットベックさんは特に、平気で嘘をつくた人たちの著者は特に言ってますけれども、これをとにかくやめましょうと。
根拠もないのに勝手にどんどん未来の出来事を予知するなということなんですね。
予知してあげく不安になって、その不安に備えるために人生設計をし始めるというのは何の役にも立たない。この3人ともそう言うんですよ。
たぶん、私たちってなんとなくですけど、この自分を中心に自分の時間軸で未来予測をしているくせにですね、
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それで世界全体の予測も一緒に出来ている気になっているという気がするんですね。
例えば今、10時10分前なんですが、私の今日の1日みたいなのを想像するときって、私が中心になっているわけですよ。
他の人の想像って絶対そうなっているはずないんだけど、私の今日1日の想像は私中心になっているんですよね。
空間は自分の住んでいる街なんですよ。
大体においてそれよりも狭くて、自分のその中にいる家なんですよね。
だから家の中で出来る出来事だけが私の未来予測というものになっていて、その他は大体昨日と全く同じものをただバックグラウンドのようにしてですね、動かしているだけなんですよね。
これで未来予測をやっているつもりになっているというのはすごくおかしいんですけど、
なんかですね、この予測は特に1年ほど前はそうだったんですけど、当たるような気がしてたんですよね。
概ね当たっているような気がしてたんですよ。
で、今まさにここ1ヶ月ぐらいなんですけど、ようやくですね、この予測をほぼ、ほぼですけど完璧に読められるようになりつつあるんですね。
本当に数分先も読まないっていうことが出来つつあるんですよ。
そうするとですね、特に人間関係なんですけど、めちゃくちゃ良くなるんだなということが、これはどう伝えればいいんですかね。
すごい簡単なことなんですけどね、本当に。
すごくスピリチュアルになるし、スピリチュアルなんでしょうけどね、なんて言うんですかね。
例えば、うちの場合、私の場合は奥さんと会うことが、会うというか四六時中顔合わせているからどうしてもそうなるんだけど、
妻の機嫌を予測すると妻の機嫌は悪くなるんですよ。
これがですね、イリュージョンでなく、これってごく当然のことなんだけれども、これをやっている人は誰もこのことを受け入れてくれないんですね。
しかもこれが大変難しいことだと思ってしまうんです。
私もそう思ってたんですよ。
だって妻の機嫌はいつも悪いんだもん、みたいに思うんですよ。
だけれども、それを救っているのは僕なんだっていうことを気づくというよりは、本当に確実にそうしているんだと思えればですね、
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思えればというのがやっぱり気づくになるんだろうな。
要するにでもとにかく、普通は東映同一誌で説明するんですよ。
この言葉が既にややこしすぎるんですよね。
これはフロイトの言葉じゃないけど、フロイトファンの言葉なんですけど、フロイトの言葉かな。
東映同一誌っていう、違うな、フロイトの言葉ではない。
専門用語があるんですけど、それなんですけれどもね、からくりは。
でも、とにかくそのような言葉を使うほど難しい事柄ではなくて、すごい簡単なことなんですね。
イリュージョンを脳内で作り出して、作り出してというか想像して、イマジンですね、イマジネーションです。
して、それを現実に当てはめてしまうと、現実がその通りになっていくという現象が起こるんですよ。
で、これを、ある種のスピリチュアリティでは、それだったら良い東映をして現実を良くしようって発想になるんですけど、
グッドワイブスでどうかっていうことよりも、私はですね、そんな難しいことはできないので、できないんですよ。
私、イマジナリーの能力が低いんですよ、東映すぐするくせに。
ネガティブにするのは簡単にできるんだけど、ポジティブにするのって得意じゃないんですよ。
で、私の直感ですけど、何にもしないのが一番良い結果を生むような気がします。
何かく妻の起源について、1秒先の予測もしない。
これ、1秒先であってもダメな気がするんですよね。
これ、一瞬で何か起こってしまうので、しないというのが一番良いんです。
で、この実は、やらなくなるとわかるんですけど、やるのはスキルとエネルギーを要してるんです。
一瞬でやってしまってるからわかんないんだけれども、気づきにくいんですけれども、スキルとエネルギーを要してるんですよ。
やめると楽になる。
まず、やめると相手の機嫌が良くなろうと悪くなろうと関係なく楽になるんです。
なぜならば、努力をしなくなりますからね。
で、この投影をしているにもかかわらず予想をしているつもりになっているんですが、どっちもいけないんだけど、
私たちは予想をしつつ投影せずにいることができないので、投影をやめなければ予想もやめるしかなくてですね。
この話をすると、どうしても例えば雨の投影をすれば天気が悪くなるのかみたいな話になりそうなんですけど、そうはならないです。
たぶんですね、なんでならないかというと、
なんだろう、規模が違いすぎるからだな。
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これはですね、自分の子供とかにも簡単にできるんですけれども、
やっぱり、なんか量子力学みたいな話なんですよね。
相手が小さいと私の規模感からして、この投影というものが現実に反映するってことが起こるんですけれども、
相手がでかかったり、私の影響を被りにくい存在だと、例えば車とか、車とかは無理です。
だいたいですね、現実的な予測が全然できていないときは投影になってないんですよ。
だから投影できるかどうかも大事なんです。
なんか天気がすごい良いところで、雨がザーザー降っている投影って、本当にできると多少は何かの影響があるのかもしれないけど、
私は全然できないんで無理なんですね。そういう予測になってない予測って実現しないんですよ。
やっぱり妻の機嫌を予測しちゃうから妻の機嫌が悪くなるんです。
多分良くなるという予測がリアリティを持ってできれば良くなるでしょうね。
ただ私はそれをあんまり良いことのような気がしなくなったので、何もしないのが一番、何しろこれをするのはそれなりのスキルが必要なんですよね。
無意識のうちに繰り出しちゃってるからスキルが必要な気がしないんですけれども、スキル使ってるんですよ。
スキル使って相手の機嫌をわざわざ悪くしてるんですよ。
これをやめることは実に簡単なんですよ、本当に。何にもしなければいいんです。
なんでやめられないのかというと、これも実に簡単で怖いからなんですね。
これをやって予測をしておけば自分の身を守れると僕らは本気で思ってるんですよ。
で私、このイリュージョン。このイリュージョンをやめようというのが第一巻の読むセラピーのメインテーマなんですね。
もう少し分かりやすく、今みたいなスピッポくん一切ない書き方をしましたけれども、基本的に言いたかったことはこういうことなんです。
えーっとですね。
これも何かの恐怖症を持って、恐怖症はいらないな、恐怖感をちょっと抱いているものを想像してもらうといいんですが、
例えばゴキブリのいる部屋じゃ寝られないとかいう人って、ゴキブリがいることを覚えておこうとしてますでしょう。
えーっと、私ゴキブリのいる部屋でも寝られるんですよ。というのはどういうことかというと、いることを忘れられてしまうんですね。
怖いでしょう。ゴキブリを真剣に恐れている人はそういうことできないと思うんですよ。
よくクモのいる部屋で寝られるねって言われたことがあるんですけど、そんなことは簡単なんですよ。すぐ忘れますから、僕は。そんなことは。どうでもいいことだと思ってるんで。
でも怖いでしょう、たぶん。クモが怖い人は。で、クモが怖い人はクモのことを覚えてるんですよ。
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覚えてるってことはですね、クモがどこかにいるぞという、その部屋におけるほんの一瞬の近未来を予測してしまってるんですよ。
で、それがクモに影響を与えはしないと僕は思います。僕がただ言いたいことはですね、その予測しておくことは、自分の身を守ることだというのはこういうからくりなんですよ。
身構えてるってやつなんですね。で、身構えることにメリットは私の感じではないんですよ。
クモのことを忘れていても覚えていても、クモが襲ってくる確率ってたぶんどっちでもゼロなんですね。
クモって人を襲いたいと思ってませんからね。
それと近いことがですね、私は雷でいつもやっていて不思議なんですよ、自分でも。
雷の、雷が、私雷って苦手なんです。電気系といったの全て苦手なんですが、雷って非常に嫌いなんですよ。
で、雷が鳴り始めると次に雷が鳴るという瞬間を身構えちゃうんですね。
身構えるメリットないじゃないですか。
雷のことを私が覚えていようと忘れていようと雷に、落雷に遭遇する確率って変わらないですよね、おそらく。
だけれども、怖いと忘れないんですよ。
必ず次に雷が鳴ることを意識してるんですね。
意識してるってことは予測してるってことと、この場合は同じなんですよ。
ちなみに予測してるから雷撃が起こる可能性が上がるとか、そんなことはないと思いますよ。
そんなことはないんですけれども、これをやめるということが、自分を楽にするってことがまずあります。
だってこれをやっているからといって、雷から身は守れないですよね。
何のためにこれをやるのかというのが、よくわからないんだけどやっちゃうんですね。
で、奥さんの機嫌についても私がやってることはよく似てたんですよ。
先に予測しておけば怒られても少しは平気な気がするっていう変な心理があって、これをやることによって機嫌を悪化させてるんですね。
厳密に言うと機嫌を悪化させてるというのとはちょっと違う気がするんだけれども、とにかくやめさえすれば、このイリュージョンからは解放され、しかも他人の機嫌は良くなります。
それが最近私が確信しつつあることで、人の機嫌はそれで良くなるんですよ。
よーく考えてみれば当たり前なんですよ。
自分が子供だという時のことを思い出せばすぐわかるんですよ。
いつも親にいろんなことを心配されたり、ちょっと眠そうにしているといろいろ気を使われたりしたら、たぶん嫌だと思うんですね。
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親戚の家とかに行ったらそういうことが起こるんじゃないですかね。
私そういうことがしばしば起こって鬱陶しいなと思っていた記憶がある。
これをやっちゃうんですね。人の機嫌を恐れているときって。
恐れようと恐れまいと雷が落ちる可能性変わらないので、恐れていれば下がるということはないので、
やっぱりこういう言い方しか今僕はできていませんけれども、
イリュージョンというものが私たちに対して破壊的に働くと。
ちょっと前のアメリカ大統領選なんかがイリュージョンまみれになっていると一触即発感が出てきますよね。
今見てみると一触即発感とかどっか行っちゃうじゃないですか。
あれは結局集団心理ってみんな言いますけど、集団心理というのは集団でイリュージョンを形成していく感じなので、
それが現実のものとなったときが暴動ってことになるんだと思うんですけれども、
怒らずに終わってみるとですね、実体はどこにあったんだろうって感じすらしてきますよね。
だからそれがやっぱりイリュージョンの凄さなんだと思うんですよ。
このことが一番ですね、個人の力に働くとどうなるのかを取り扱ったのが暴力から逃れるための15章、一番最初の本ですね。
だけれども世界の現実についてのイリュージョンだろうと、平気で嘘をつく、つまりサイコパスのイリュージョンであろうと、
あるいは脅迫神経症にかかった人のイリュージョン、もう脅迫神経症は完全にイリュージョンの世界なんですけれども、だろうと、
その後クラスノケイゾーさんのグッドバイブスからそのままイリュージョンの部分をピックアップしたんですけど、
この4つの話にはいずれもイリュージョンという共通点で取り上げた、それをまとめたのが今回の読むセラピーという本です。
目論みとしては、一読していただければそれぞれの本のなんとなくのイメージがつかめて、かつなんとなく癒されるというのが狙ったところではあります。
よりライフハック的に言うならば、とにかくイリュージョンを停止させましょうというか、イリュージョンのメリットのなさということを認識して、
あと普段から私たちはイリュージョンをあちらこちらで繰り出しているんだけれども、それをやめるのは、全面的にやめるのは無理ですけれども、
ところどころ私たちに対して有害な部分について停止させるのは、停止させること自体はいたって簡単で、しかもそこから得られるものはとても大きいという話です。
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本当にですね、がらっと変わるんですよ、不思議なことにね。やっぱりこれが不思議な感じがしちゃうんですよね、私も。
予測して生きているんですけれども、私たちは、その予測に意味があるケースもあるんですよ。5分後に電車が来るとかいう、人工的でかつ機械的で、しかもほぼ間違いがなくて、
その上そのことに頼らないと生きていくのがかなり困難になるような予測について。
この種の予測の共通点はですね、不安から始めるものじゃないってことが大事なんですね。電車が5分後に来るだろうっていう予測に、不安から始まってないじゃないですか。
本当に来るかなとか、この電車で間に合うかなっていうのは違う不安ですよね。5分後に来るかどうかについての予測には、不安という動機はないですよね。
もし不安があるとすれば、それは異なる事例、異なるテーマについて不安に思っているわけですよ。
本当に電車が来るのだろうかとか、それはサービスについての不安だし、これで間に合うのかっていうのは、
違う待ち合わせ場所についての不安ですよね。違う約束についての不安。そういうことはあるんですけども、
極機械的な予測についての予測っていうのは、基本的には不安はないはずなんですね。そういうものが当たる可能性が高い予測だと思うんですよ。
台風が来るかどうか、来そうな不安があるって言われるんですけど、台風は機械じゃないんで、100%予測することはそもそもできない類のものじゃないですか。
この種の予測で不安になるということと、この種の予測を確実に当てようとすることは、そもそも無理があるんですよ。
人間関係はこの遥か上を行く無理のある予測で、しかも僕らはそれを平気でやるんですよね。
しかも平気でそれが100%に近いものだと思ってるんですよ。台風が7割っていうのは、知ってて損がない、僕は知識だと思います。
あれほど何度も何度も予測をしてあって、基本的に自分の動きについて意思はなく、しかも基本的には西から東に動く、南から北へ向かうということが決まっていて、
その上、AIとか国家の省庁とかが一生懸命予測をするものの、当たる可能性が70%いくかいかないかなんですよ。
果たして、だから自分で他人の微妙な機嫌の変化とかが70%以上の高確率で当てられると思うというのに、そもそも本当は無理があるはずなんですよね。
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しかもその場合は台風と違って投影が入るんですよ、絶対に。つまり予測だけじゃ済まないんですね。
機嫌が悪くなるだろうと予測したら、相手の機嫌を悪くするような、何か私たちの身振りだったり言動だったりの変化が起こる。
だってそうならないとおかしいですよね。相手の機嫌がものすごい悪くなるということを予測しておきながら、自分はそのことは全くなかったように振る舞ったらおかしな人じゃないですか。
むしろ警戒して、相手がもし暴力的に出てくる可能性があるなら特に警戒して振る舞う方が自然ですよね。
警戒されていると思っていい気持ちになる人っていないので、それはあなたの機嫌が悪くなるのはいけないんでしょって人は言うんですよね。
このように言われても喜ぶ人ってやっぱりいないので、つまり機嫌が悪くなるだろうという予測をするということは、相手の機嫌を悪くするための努力も一緒にするんですよね。
この種のこと、すべてをやめるということが、なんて言うんですかね、スピリチュアルっぽく聞こえるかもしれないんですけれども、実は子供でも知っているような話で、しかもメリットはとても大きいです。
これだけだと家庭内の人間関係の話で終始している感じになるんですけど、そのようなテーマはほぼ取り上げていないです。
今回取り上げたかったのは、特に第2と第3なんですけど、ファクトフルネスと平気で嘘をつく人たちのイリュージョンを作り出すというこのからくりなんですよ。
先へ先へと進んでしまうんですね。特に脅迫神経症の人のイリュージョンがそうなんですけれども、怖いというイリュージョンが最初にあり、死ぬのとか事故に遭うのとか人を引いちゃうということが怖いという、
それがですね、手を洗うのをやめられないのと同じような症状なんですけれども、自分は本当は人を引いてなかったんだろうかとか、この橋は本当は渡っても大丈夫なんだろうかと確かめられないですよね。
確かめようとして橋から落っこったら大変なんで確かめられないですよね。そういう神経症なんですけれども、自分の心の不安というものが外の世界に投影されるわけです。
奥さんの機嫌どころではないわけですよね。自分が死ぬんじゃないかという不安、その不安は自分の心の中にあるわけですよね。自分の心の中が悪ければ頭の中にあるわけです。
これを外部の世界に投影すると、そうすると例えばどんなに頑丈そうな柱を見ても今にも崩れるんではないかという無測を始めてしまうわけですね。
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このことを描きたかったんですよ。この種のイリュージョンは最初にこうやって始まり、少しずつ先へと進んでいくわけです。
それをどうにかする方法って、どうにかする考え方というのはどういうものなのかと。
世界が悪くなっていくというイリュージョンも同じじゃないですか。今回の選挙でもそうだったし、前回、我が国の政権とかでもそうだけど、どんどん酷くなっていくという予測を立てている人も結構いるでしょう。
あれも同じことになると思うんですね。どんどん進んでいくんですよ、脳内では。
現実がどうなっているかということによって修正されるためには、自分が投影しているんですけれども、その投影がどのように進行していくかということを意識しない限りは、この投影って戻っていかないと思うんです。
現にカウンセリングもそうですし、薬を飲むという、つまり投薬の両方もあるんですけれども、他の人が言っても無駄じゃないですか、一般的には。
いや、そんな現実はないからって言ったり、トランプが大統領になっても大丈夫だからって言うと、話が一気にこじれますよね。
ここにイリュージョンというものが、単なる意見ではないという点が大事なんです。現実と一体化しているんですよ。
うちの奥さんの機嫌が悪いっていうのは、基本的にはその人の意見だったり主観だったりなんですけれども、私の個人的なものの見方だったりするんですけど、本人はそういうふうには絶対に感じていないんですね。
何か客観的事実なんですよ、それは。他の人は知らないんだっていうことなんですよ。そういうふうに言うじゃないですか、強くイリュージョンの中にいる人は。
他の人は分かっていなくて、自分は分かっているんですよ、その事実をですね。
あの、そうだな。私なんかであれば、編集さんと待ち合わせをする今日の3時からですっていうことになってて、それをすっぽかされた時に、このイリュージョンにしがみつき始めるんですね。
客観的に自分は酷い目にあったって思うようになるんですよ。それは個人的な事情と、総統領のイリュージョンを組み合わせて投入しているにもかかわらず、
だから最初に言った通り、スキルとエネルギーがそこに投入されているんだけれども、そうは全然感じないんですね。
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何とかしてその編集さんに、何かこう、一心報いたいみたいな、あるいは思い知らせたいみたいな、そういうイリュージョンならではの感情というものはセットになってやってきて、
しかも他の人がどうそれについて、どういう意見を持っているかとか、どういう考えをしているかということは一切受け付けたくなくなるんですよね。
その感じが、非常に極端なケースでは脅迫神経症であってみたりするという話なんですよ。
例えばですけれども、すっぽかされたのに対して、何も思うところなく普通に家に帰ってきたとするじゃないですか。
その人はすごく損をしているというふうに、イリュージョンに乗っかる人もいますよね。
そのような、すごく損をしているという、何て言うんですかね、価値の判断の仕方ってあるではないですか。
つまり、ある程度その話は単なる主観とか妄想ではなくて、逆感的事実のように語ることもできますよね。
ひどい目に遭ったんだと、あざわざ大船まで行ったのに、ただ行って戻ってきた、無駄足だったよというと通るじゃないですか。
この言葉は意味を成しますよね。他人と共有することができます。つまり、ある程度現実ですよね。
なんですけれども、これはイリュージョンなのです。これがイリュージョンだというのは、私がその現実、行って戻ってきたということに対して意味付けをしたり、投影をしたりしなければですね、そういうエネルギーを用いなければ。
用いられませんよね。子供だったらそういうことはできない。で、戻ってくるということで楽しめる子供もいるわけですよね。
つまりそこに客観的現実とはないんですけれども、そこにそういうものを投入することができるんです。
しかもそれは、ある程度他人と共有することすらできてしまう。
こうやって、この事実それ自体はですね、なんてことはないんですよ。
で、どっちが正しいかも分からないんです。だから私はこういうことが起こった時は、もう人に対して何も喋らないことにしてるんですよ。
現実には何も起きてなかったということにしておくんですね。そうしないと、そこに同じような現実を見なければいけないと思う人はですね、
私が例えば和歌を見たと思ってなければ腹が立つはずなんです。
あるいは私がその平気でいられるというふうにしていると、嘘をついていると考えるはずなんですよ。
つまり人はですね、私たちは同じ現実が見たいんですね。
もうちょっと言うと、同じ価値判断をするように現実を共有していたいんですね。
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私はこれが最大のイリュージョンのからくりなんだと思うんですよ。
吉本隆さんあたりが言っていたこととほとんど同じではありますね。
ただここでも共同原始とか共同幻想とかいう言葉じゃない方がいいような気はするんです。
子供でもやっていることだし、むしろ子供はよくやることでもあるんですよね。
同じ現実を見たいんですよ、私たちは。決して同じ現実を見ていないんですけれども。
この同じ現実を見たいという気持ちが特に損失と関係すると、イリュージョンとして、イリュージョンが力を持ち始めるんですね。
現実のものになろうとするんですよ。
さっき途中お話ししたけれども、大統領選がもしあれで暴動でも起きれば、それはもうイリュージョンではないんですよね。現実なんですよ。
こうなる前に引き戻したいんですよね。現実を新しいイリュージョンで追っかぶせて、新しい現実にしてしまうというのは、私はなんかですね、一番我々が幸福から遠のく確実な道のような気がする。
私はだから必ずしも悪いことだとは思わないんですけど、奥さんの起源について予測をしない、投影もしないというのが良いという気がするんですね。
良い起源になるという投影をするのは多分効果が出るんですけど、私としてはあんまりやりたくないんですよ。
結局こうイリュージョンをかぶせて現実を作り出すという、一部自己啓発にはある考え方だし、機能すると今なら思うんです。
悪い方が機能するんですから、良い方だって機能するはずなんですが、なんか怖いものを感じます。
これも一種のイリュージョンかもしれないですけども、今回の第1巻のヨームセラピーで、とにかく言いたかったのはですね、
イリュージョンを投影する能力が私たちにあるならば、それを引き戻す能力があって良いはずだというのが一番ポイントになっているところです。
投影の逆ですね、そういう言葉はないんですけど、引き戻すって感じが一番強いんですよ。
これを私たちはしたくないものだから、温度差を認めたくないとか、自分の投影したイリュージョンがそれほど世の中的に受け入れがたくないものであるならば、他の人もそのイリュージョンを共有するべきだということを他人に強いるんですね。
私もこれをやられてみて、これ困るよなって本当に思ったんです。でも私はこれをやられてみて、やっぱりこれに付き合えるのがカウンセラーだなっていうふうにも思いました。
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これでただ困っているというのは普通の人として困るんですけど、私もですね、例えばこの家はコロナ禁で蔓延しているから何とかしろって奥さんが思い始めれば奥さんの方が私よりそういうイリュージョンは持ちやすい人なんで、
付き合って一緒に持つしかなくなっていくところがあるわけですよね。持たずにそこら辺で適当に飲み食いすると多分発狂するでしょうね、そういうケースの場合にも。
こういうことは現に今いろんなところで起こっていると思うんです。
トランプさんがいいのかバイネンさんがいいのかっていうのも、要は自分のイリュージョンに対して乗ってくれるのか乗ってくれないのかという、どっちもイリュージョンであることに違いはないと思うので、
乗ってくれるのか乗ってくれないのかっていう話ですよね。そしてこの種の話になると殺し合いになりかねないところがあるわけですけれども、
殺し合いになっちゃうと現実になってしまうので、その前に人はだいたいどっかで堪えようとしているんですよね。
この堪えようとする努力というのは、つまりイリュージョンに価値を認めなければ認めないほど、この努力は簡単に達成できると思うんです。
一番いいのは、日頃から引き戻すということの価値の方が高いと思っていることだと思うんですね。
追っかぶせるほどダメなんですよ、多分。無自覚に追っかぶせるほどダメだというのは、ほぼ全ての心理カウンセリングの中で共有されてきつつあることなので、
多分ですね、これって要するにイリュージョンをかけてない現実は悪いものじゃないという前提に立っているじゃないですか。
もしイリュージョンをかぶせておいた方がベターになるというなら、現実はそれほどいいものじゃないという、だから私はファクトフルネスを取り上げたわけですね。
現実はそれほど悪いものじゃないという、ここは一つの価値観ですよね。ニュートラルって話になっていないので。
途中いろいろお話ししましたけど、要は時間をすっぽかされるとか、お金がなくなるという全てのイリュージョンを少なくとも他人と共有しないというのが大事だと思うんです。
この段階ですでに引き戻っていますよね。自分だけのものにしているわけだから。
他人と共有しないということ、あるいは他人に共有をしないみたいなこと、他人と共有できるということは現実に近づくということだと思うので、
他人とイリュージョンを共有しなくていいと思う、しなくていい程度のものだと思えるということは、現実にイリュージョンを編み掛けしなくていいはずだと。
42:10
ここまで来られれば、多分だいぶイリュージョンというものの使用頻度が下がっていって、その分その人は多分僕の感じではリラックスできて幸福に近づくんじゃないかというふうに思っています。
これが今回の第1巻の趣旨ですね。
長くなってしまったんですけど、第2、第3巻も出す予定で、ただこれ書いていくうちに変わっていっちゃうんで、
今ここで軽く触れますけれども、多分確定じゃない可能性が高いです。
第2巻ではですね、ノープランかな、ノープランではないな、与えた途端に与えられるっていうようなテーマを扱いたいなと思っています。
特に私は第2巻で言いたいのは、取り上げたいのは、わかんないですけどね、この通りになるかは、
与えられないときにどうするのかと、与えるものが自分に何もないよっていう話というか、そういう自分には何もないんだという感覚のときにどうするのかっていう話を第2巻の3冊では共通テーマにしたいかなと思っています。
第3巻で導かれるというか、導かれるというのは非常に宗教的な雰囲気があるので導かれるなんですけれども、
ノープランですね、計画していないところに出たときに人は一番いいところに行けるみたいな話を第3巻でまとめたいかなと思っています。
長くなりましたが、そんな感じです。
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