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おはようございます。働くメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャスト第1106回をお送りします。
12月12日木曜日。もう12日なんですね。朝7時33分です。
一つ衝撃的な、全然衝撃的でもなんでもありませんが、ことがありまして、このスタンドFMで今私収録しているんですけどね、配信元も従ってスタFなんですが、フォロワーさんが一人減ったんですよ。
このね、100に満たないうちに減るっていうのは、どんだけ不快なことを喋ってるんだろうと、我ながらちょっと呆れますが、減らないですよね。
この15とか16とかいう数字が15が14になりましたみたいな、起こらないじゃないですか。
何か1100何とかになるとか1万とかになれば減るでしょうけど、2桁で減るっていうね、なんかやっぱり難しいものでございますね。
まあちょっと何かに気をつけようと、何に気をつければいいんだかわかりませんが、何かには気をつけようと、なんかこう反省。
何かこれが不快ですって言ってくれればまだ下なんですが、あまりにも僕は1100回ですからね。
しかも1回あたりほぼ絶対30分は突破してるんで、それもすごいよね。
500時間は言うに超えているわけですが、500時間喋ってるわけですよね。
もっと全然喋ってますよね。
1000時間ぐらい喋ってるんじゃないかと思うんですけど、その中のどこかが不快でしたっていうのは非常に大変難しいことなので、
諦めますか。諦めるより他ないですからね、諦めますけど。
ちょっとなかなかの出来事で、でも実はBotでしたみたいなことをありうるのがこのフォロワーの難しいところなので、何も考えないことに結局するんですけどね。
はい、明後日、明後日タスクシュート総決算やります。
申し込みは多分明日いっぱいぐらいだと思いますので、この辺でですね、悩んでる方はちょっと意を決していただくより他ないかなと思います。
当日とか無理ですからね、当日の申し込みに対応できないので、規模的に。
私のやるやつだったら全然始まる直前でもOKですみたいな、何なら始まってからでもOKですみたいになっちゃうんですけど、規模が全然違うんでさすがに。
ぜひ今日でちょっと決めてください。
お値段がお値段だとか、長さが長すぎるとか、いろいろサクッと決められない事情はあると思いますけれども、僕だって多分これだったらサクッとは決められないなと思いますが、今日も決めていただくより他ありませんから、明後日ですから一つよろしくお願いいたします。
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スタイフのフォロワーさんだけだとしてもですね、全員申し込んでいただくとかなりの数になりますので、これSpotifyで聞かれている数全員は一応フォロワーさんの数を考えると全員は上限に達すると思うので、申し込みいただけませんからね。
聞いてる方全員が申し込むってことはないですけど、そんなのあったら怖いですからね。
とりあえず話を聞くと思っていただければありがたいかなと思います。
今日するような話と当日する話は多分告示してます。
明日はもっと告示するかもしれません。
これね、ネタバレになるじゃんって思われるかもしれませんが、今回3ヶ月チャレンジ新しい方結構お申し込みいただいたんですけど、3ヶ月チャレンジの参加者さんはどこにも聞いたことがない話だって方が多くいらっしゃるんですよ。
この私の今やってる精神分析の話とかそういった話ですね。
なぜなら簡単なんですよ。精神分析学というものは日本では実質ないはずなので、この大学に行ったってまず聞くことはないはずで、普通の方は全然どこに行っても聞きません。
高校行っても大学行ってもこんな話はない。そして一般的なビジネス書の中にも出てこない。こんな話はつまり出てこないわけですよ。
ビヨンなんて人はこの界隈ではめちゃくちゃ有名。
もうアインシュタイン級だけど日本でビヨンなんて聞いたことないじゃないですか。
ビヨンの本なんてまずないですよ。
あの普通の街角にあったいわゆる本屋さんにビヨンの本なんて絶対ないですからね。
あのそれだって書名…なんていうのかな、あのすっごい画術的な本がないかって言ったらそんなことはないと思いますよね。
原始仏教みたいな本か中村玄みたいなね、はじめさんか。
あのあったりしますよね。
それはそれよりは多分今時普通なんですよ、世界でビヨンの本とか。でもないですよ。
まずビヨンのビの字も聞かないみたいなそういう世界だと思う。
クラインだって聞かないじゃないですかね、普通はね。
フロイトは全然違う知名度があると思うんですよね。哲学の世界でも知名有名だけど。
クライン、ウィニコット、ビヨンなんてね、あのなんだそれはっていう世界ですよ、絶対。
だって大学にそれを教える課がないんですから。
大学で教えられないと僕は思いますが、でもなんかそのいわゆる一般教養の中に精神分析はあってもいいだろうと思うんですけど。
精神分析論って言葉は多分聞いたことも見たこともないと思うんですよね。
国際コミュニケーション論ってありますからね、世の中には少なくとも僕の大学にあった。
そのうちあれ国際コミュニケーション学になるんじゃないかと思う、なってるかもしれませんね。
精神分析論も精神分析学も。
学って言葉を使う人はいらっしゃいますけど、実質ないと思いますね。
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精神分析学を教えてる大学教授ですなんて人は聞いたこともない。
それは臨床心理師さんだったりするんでしょうね、もしそういうものを教える人がいらっしゃるとすれば。
で、精神科のお医者さんは、それはお医者さんですから、精神科医ですからね、医学部とか行けばいらっしゃるでしょうけど。
そしてそういう方がこういう話はするでしょうけれども、一般の人は医学部に行ってないわけですから、ほとんどの場合。
医学部行きたくて困ってる人はたくさんいらっしゃるじゃないですか。
でも医学部は行ってる人っていうのはそうそういるもんじゃないんで。
あの人文系の方で精神分析って人文系だと思うんですけど、系と無理やりするな。
人文系で精神分析学やりましたって人はまあいないと思いますね。
僕みたいに全然違いそうなね、英米文学で先生が趣味でフロイト読んでたからフロイトの話がいっぱい出てきましたっていうことになっちゃうんですよ。
そういうところで偶発的に聞くしかないんですよ。
でもあの先生の口からフラインって言葉が出てきたことが多分ない。
あんなフロイトだったら1000回は喋ってたと思うんだけど、クラインは、Mクラインは1回もないと思うんですね。
つまりこれは臨床の話はしてないってことなんですよ。
でも私は臨床の話をしないわけにいかないと思っているんで、しょうがなくやってるんですよ、ある意味。
これが臨床じゃなくて済むなら臨床じゃない話をしたいんですよ。
だけれどもこの種の話をしようと思うと臨床になっちゃうんですよね。
これ3ヶ月チャレンジのグループセッションで、私がこれを喋る目的は何なんだって言われたことがあるんですけど、目的ではなく手段だったなって思うんですよね。
すっごいわかりいい話をするならば、不登校っていうのが今盛んに問題になってますね。
で、不登校とは何なのかと。不登校って体の病気では多分ない。体の病気であるならばそれは不登校とは言わないと思うんですよ。病気って言うと思うんですね。
学校行くにはちょっとお腹が痛すぎるとか、体が弱いとか、それはあり得ます。
それはだから体の病気なんですよ。
でも不登校はそうじゃない。体を調べても問題はない、でも学校に行くことができない、行く意欲が異常なほどないみたいな感じ。
行く気が全くしないとか様々ありますが、これは心因ですよね。
で、今心因は症例診断っていうことにまずなるわけですよ。で、症例診断した後に出てくるのはお薬なわけです。
だけれども不登校の子に抗鬱剤飲ませるとか抗不安薬飲ませるっていうのは、僕は今は分かりませんよ、どういう工夫になっているのか全く知りませんが、果たしてそれが普通に行われるだろうかと。
みんながそれに同意できるだろうかってなってくると結構難しいと思うんですね。
そこで学校にはスクールカウンセラーという人がいるんですよ。
この仕事に相当するものが私は社会人にあるべきだと思うんだけど、実はないと思ってるんですね。
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ここをやろうとする精神力度みたいな精神分析みたいな話がないと思ってるんですよ。
3ヶ月チャレンジは社会人向けのスクールカウンセラーみたいな話なんですよ。
言ってしまうとこれが民間ですっごく行われていて、正規の人がみんな不快に思っていらっしゃるのかな。
わかんないけどそういう可能性はありますよね。
正規使ってよってことなんですよ。
皆さんぜひ正規使いましょうね。
もしそういうことであるならば。
私は正規使うのは全然大賛成で、反対する気は全くなくて。
何なら3チャレンの方がそういうことについてお話いただいた場合には、基本的にそれに反対することはまずないと思いますね、私は。
聞かれなきゃ言いませんよ、わざわざ。
正規使いましょうねみたいな。
私は別に正規使おうキャンペーンやってるわけじゃないんで、そういう一大ムーブメントを起こすぜみたいな気はないんで。
そんなことはしませんし、大体私その種のムーブメントするのは得意じゃないんでね。
あんまりそんなことをしようと、そんなことをするんだったらタスクシュート使おうぜキャンペーンをお前立場上しろよってことになると思うんで。
それすら十分に機能ができてると思えないのに、なぜ正規使おうキャンペーンを俺がするのかっていうとそんなことはしませんけど、
使うこと自体には全然賛成ですよ。
だってスクールカウンセラーってあった方がいいと僕は思ってますもん。
スクールカウンセラーというのは正規のカウンセラーがやってますもん。
公認心理師か臨床心理師がおそらくやってるはずです。
私のような3ヶ月チャレンジからスクールカウンセラー来ましたみたいなのは多分、
よっぽど物好きな私立の先生が何らかの方法でねじ込んでくれるも別でしょうけど、そんなことはないんで。
私はそういうところに行けるとは思えないし、行く資格も何もないと思いますから。
3ヶ月チャレンジというのはただいわゆる正規のカウンセリングよりは、
これは良きにつけ和式につけというべきなんでしょうけど、安いんです。
正規の方が多分ちゃんとやれば高くなるはずです。
だってそれらの人たちはそれで生きていらっしゃるわけでしょ。
僕はそれだけで生きてるわけじゃないですからね。
タスク修道の方がありますから仕事として。
だからそんなに値段設定を上げていく必要がある意味ないわけですよ。
だからギリギリ下げるところまで下げられるっていうことがあります。
これ自体があまり愉快なことじゃないかもしれませんね。
でもそれはしょうがないと思うんですね。
値段は折り合いの問題だとも思うんで。
市場原理に必ず左右されるんで。
公式だから市場原理に左右されないってことは僕はありえないと思うんですよね。
国鉄だって市鉄とちゃんと値段張り合うじゃないですか。
JRは国鉄じゃないですけどね。旧国鉄ですけどね。
まあいいやそういう話は。
何を僕が持ってこようとしてるかというと、
これしかアプローチがないんですよね残念ながら。
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精神分析しか僕が見るところアプローチがないんですよ。
メンタルの問題に今やフィジカルで対応するのが常識になってしまったので、
でも僕はそれが有効だとどうしても信じられない。
僕の皮質の問題。
だから有効だと信じられない方が3カ月チャレンジなりを
覗いてみたりされるってことが起こらざるを得ないと思うんですよね。
さっき言った不登校の子に交通罪とか交付案約、
うんとマイルドなものだとしてもね、
処方することにみんなが納得いくかって言うとどうだろうって感じなんですよ。
でも例えばですよ。
よく言われているように、
ちゃんと体内時計を正しましょうみたいな。
子供もゲームばっかりやって夜更かしするんじゃなくて、
それは良いことだと思いますよ。
良いことだと思うけど、
日光、お日様の光を朝早く浴びましょうみたいなね。
良いことだと思うんだけど、
それと学校行けるかどうかはあんま関係ないと思うんですよね。
はっきり言ってしまうと。
例えばうちの子とか夜更かししてゲームばっかりやってるけど、
ほとんど怪奇現象に限りなく学校近いですからね。
で朝、早く起きちゃうけれども、
朝早く日の光を浴びたいとか別に全然彼女は思ってない。
だけれども学校には行けますよ。
多分学校に行くことと体内時計のリズムっていうのは相関があるにしてもですね、
そう信じたいと思っているほど、
そう信じられる話ではないと私は思うんですよね。
これは体へのアプローチですよ。
日の光を体内に浴びせるなどというものは。
だって明らかに体に向かっていってる話じゃないですか。
心どこにも出てきてないじゃないですか。
それが心にも効いたらいいねみたいなノリでしかないじゃないですか。ある意味。
どんなにエビデンスをここに積み上げようとしてみたところで、
私は来日、いわゆる体内時計みたいなもので、
学校に行けるかっていうと微妙だと思うんですよね。
これをまんま会社員に向けようとしちゃうんですよね。
だから日の光を浴びましょうみたいな。
他にアイデアがないんじゃないのかと言いたくなるぐらいこういうのが不快なのかな。
他にアイデアがないんじゃないかと思えるぐらい
心にアプローチしねえなっていうのが非常に引っかかってくるんですよね。
いわゆる眼球運動の方法論にしてもそうですし、
肉体にアプローチしようと頑張る。
あえて心は回避するぐらいな勢いを感じるんですよ。
日の光もそうだし、習慣化もそうです。
習慣化って行動ですよね。行動は肉体がとるものですよね。
散歩をする習慣とかいいと思いますよ。断然。
日の光を浴びた方がいいと思うし、夜更かしいない方がいいと思うし、
ゲーム少ない方がいいと思うし、散歩した方がいいと思うし、
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眼球運動は知らんけど、マインドフルネスの呼吸法もいいと思いますけど、
全部体に向かってることは確かですよ。心に向かってはいないですよね。
そして、いいと思うけどこれ全部やれたとしても、
学校にはいけないってことはあり得ると僕は、いくらもあり得ると思うんですよね。
まして会社に行けないなんて当然じゃないだろうかと。
だって学校は、基本行くことがいいことということになってるじゃないですか。
これが問題の大きな一端だと思いますが、100%行くっていう、
学校も100%来てねじゃないですか。会社ってそうじゃないじゃないですか。
誰もが100%来てねではないじゃないですか。採用するかしないかを会社の方で決めるじゃないですか。
1、勢い行きにくいじゃないですか。どっちかと言えばですよ。
どっちの方が行きにくいかは難しいところもありますが、
でもどっちかというと多分学校。学校ってのはとにかく行けばいいんですよ。
入学が許可されていればですね。会社ってのは必ずしもそうじゃないんで、
会社、学校に行くことがすらままならなくなるようなアプローチで、
会社に社会人が行くとなるとですね、なんかやっぱりもっといるだろうって感じが、
もっともっともっといるだろうって感じがするんですよね。
それはつまりどういうことかというと、一般向けの話では済まないだろうなって感じがする。
この人にカスタマイズされた方法しかないだろうと。
カスタマイズされた方法ってワンワンの形式取るしかないだろうと。
ワンワンの形式取るってことは一番最初にそれをやり始めたのはフロイトなんですよ、やっぱり。
かなりカチッとした方法できっちり。
その前になると教会の懺悔みたいな話になっちゃうんですよね。
それもいいと思うんだけど、そうじゃないだろうなって思うんですよね。やっぱりね。
だから私はここにアプローチする。
要するにこの知見借りてくるより他仕方ないじゃないかと。
この知見を参考にしないんだったら他に何を参考にする。
あとはもう本当に呼吸法みたいな方法論の方を、
そっちはそれこそ正規も心霊内科もいろんなものが現実にあるわけですから、
私なんかがやるんじゃなくてそっちの方にお任せしとけばいいような気がするんですね。
民間が流行るのは現状当たり前なんですよ。
力動が精神分析が流行ったとしてもなお民間は残るぐらいだろうと僕は思うので、
この形式外の形式を使いたいっていうニーズが絶対発生すると思いますから。
でも民間、今のような状況であればですね、民間が流行るのは当たり前だろうなって感じがするんですよ。
だってビヨンのビの字も出てこないんですから世の中一般では。
急に何をやるのかわからないところではビヨンとかクライーンが出てきてみたり、
いきなりそれに対してほとんど役割に近いですよね。
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スキナーとかエリスとかそっちの人たちの主導の話をするって人がいるかもしれない。
どっちが登場するのかわからない両方を知っているということになってるのかな、
のカウンセラーさんというところに行って、
でもどっちをやるんだかわかんないし、
その2つの派閥が考えていることはほとんど真逆ですからね。
だってエリスは書いてましたからね。
認知行動療法じゃなくて認知療法の素の人は、
いかに要するに精神分析ではダメかってことを書いてましたからね。
でどっちでもいいですっていう話に乗るってなると、
しかしそれを我々は何も知らずに乗るってなると、
著しく難しいじゃないですか。
そういう話って認知に行くのか精神分析に行くのかっていうのは、
思想は真逆のことを言ってるわけですよ。
精神分析なんかダメだみたいな。
でこの両方のことを知っている人のところに行って、
何が始まるのかよくわかんないんだけど行って、
そんなに安いとは言えないお金を払って、
心にアプローチするっていうもののみが正式正規だっていう状態にある状況で、
正規に行くって勇気がいるなって感じがするんですよ。
そういう話をアツさんって方とできればいいかなと思ってるんだけど、
今日この話をしていてもしょうがないので、
今日はあさっての予告編をしようと思って、
逸脱してこういう話がビローンと伸びてるわけですね。
それが今ここです。
私よくボーダーラインをまず書くわけです。
それより一応最初重力とされてたのが精神病。
でそれよりは現状に近いとされてたのが神経症。
間にあるのが境界線だからボーダーライン。
このボーダーライン自体が病気なので、
当然ですよね、神経症と精神病の間なんだから病気だとみなされるので、
ボーダーラインというものはどうやって扱うかっていうのが割と昔はっていうのかな、
ある時それが主題となっていた時代も特にアメリカではあった気がするんですね。
でも神経症だろうとボーダーラインだろうと精神病だろうと大変なんで、
社会適応が特に難しくなってくると大変なんで、
それを対応するのが精神分析だったり臨床心理だったりするわけです。
今それと同時に並行して精神科ってものが存在するということになってるわけですね。
でこの3つどうやって分けてるのかという時に、
Beyondの心のモデルってのが僕やっぱり一番分かりやすいなって思うんですよね。
コンテナーってものとして心というのは抱えるもの、
抱え込むものとして偽人化してるのかな。
母親なんだけど、母親というものが私たちに内在していくと、
私たちが母親をインストールすると、
21:00
ないしはお母さん的な機能をインストールすると、
そいつが心ってものになるよねと。
心ってものがやるのは例えば見たものを概念に変えるとかですね。
目に入ってきていて緑のがいっぱい付いていて、
地面から生えてるのは木だみたいにこういうことをやる。
これが一つですね。
大きな機能の一つ。
あとは辛いことがあったら大丈夫大丈夫っていうふうに頑張る。
我慢するみたいなことも含めてね。
抱え込むっていうこういうのがコンテナー、
つまり母親機能みたいなものがやることなわけですよ。
あるいはその中で夢を見る。
自分だけの夢を見るみたいなね。
他の人には見えないものもそこで見ちゃうみたいな。
これはよしよしあるのかもしれないけどでもやりますよね。
やりやすると思うんですよ。
こういう恋愛がしてみたいとか幼い頃からやると思うんですよね。
恋愛の夢を。
これは他の人には見えない。
心のコンテナーの中で行われてることだから。
ってことは心のコンテナーの中にあるものなのか、
外にあるものなのかをはっきりさせるっていう。
例えば触れもしないし、
存在があるっても言い難いようなものだと。
虹とかね。
でも虹というのは他の人も見える。
僕ら分かってますよね。
これは自分の心が作り出したものではないということがなぜか分かります。
心の中に今ここにいる私の今心の中にいませんが、
いる女の子とか男の子は心の中にしかいないってのは私たち分かってますよね。
でも虹はどこにあるとは言えないのに、
これはみんなに見えるんだっていうのも分かってますよね。
こういうことを区別するのも心の機能ですね。
んで、自分にしか見えないはずのものなのに、
他の人にも見えるぐらいありありと見えてしまうというのが、
精神病水準の一つのポイントで、
これが他の人にも見えているんだと思い込み始めると、
精神病ということになっていく。
このコンテナーの考え方、
つまりコンテナの機能がかなり壊れてしまっているっていう状態か、
やや壊れてしまっているっていう状態か、
例えばどっちにしてもですね、
暴走を始めていて見えすぎるっていうのが一つの問題になってるんだと思うんですよ。
あるいは抱えきれないっていう問題、そういう問題なんだと思うんですね。
会社で私のことを悪く言う人がいるっていうだけであれば、
これは心の中で推測しているって知っているんで、
概ね神経症水準って言っていいと思うんですね。
心の中の出来事だってことが分かってる。
でも会社で私のことを悪く言う人の声が聞こえるとなってきた場合、
これは他の人にも聞こえるはずなので、
本当にそれが喋られているんであれば大丈夫なんだけど、
それがその人の思い込みであるという状態なのに、
その人にしてみると声は聞こえてしまったら、
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結構ボーダーラインよりも上かスレスレの状態っていう感じになってくるわけですよ。
これはだからコンテナーがきちんと機能していない、
暴走し始めているか全く機能できなくなっているか、
いずれにしてもコンテナーの問題っていうふうに考えるわけですね。
逆に神経症というのは間違いなく私の妄想だと分かってるんだけど、
これは外にあるものじゃないって分かってるんだけれども、
どうしても行動としてはついていけなくなっていくっていうのを神経症水準っていうわけですね。
例えばだから火は消したはずなのに家に戻ってしまうとかね。
これ心の中にあることだって本人大体分かってるんですよね。
火は消えていると。他の人についている火は見えないはずだと。
でも私の心の中ではどうもついてるかもしれないという警告を発し続けていて、
気になって気になってしょうがないから家に戻る。
これは外と内はちゃんと分けられていて、内側で起きてるんだよっていうことが認識できているようなんだけど、
行動が伴ってないっていう意味で神経症水準っていうことになるんですよね。
コンテナーが抱えきれていないとか不安を抱えきれていないんですよね。
迎えて大丈夫大丈夫っていう風にやってくれるお母さんのこの大丈夫がまるで信じられなくなっている子供みたいな。
そういう感じなわけです。
これコンテナー側から説明する説明の仕方なんですが、
最近私がとかく話題にしている2人で1つの夢を見るってやつ。
2人で1つの夢を見るって不思議な話じゃないと思うんですよ。
でと言って、なぜ映画を2人で見るのかというと、これはまさに2人で1つの夢を見るためなんですよ。
こういう時にですね、夢を見るっていう概念で今の精神病、ボーダーライン、神経症というものを説明するならばですね、
明らかに自分で見ている夢のはずなのに、他の人ももう見ちゃっているような気がするぐらいありありと見る。
つまりですね、2人で1つの夢を見るのが正常なんです。
人間の正常な在り方なんです。
2人で映画を見るとか、2人で野球を見るとか、信号が赤になったら横切る方の車は止まるとか、
これは夢が見られて初めてできることなんです。
ただこの夢というのは、空想、完全な空想とは違って、私が1人で見ているものじゃないんです。
他の人も見ている。
だから虹っていうのはみんなで見る夢なんですよ。
ハブ。
で、虹っていうのは光そのものを見ているだけではないですよね。
それに虹って名前つけてますもんね。
赤信号っていうのも赤い色の光を見ているだけではないですよね。
必ずメッセージを受け止めてますよね。
言葉っていうのは完全に夢なんですよ。
だから言葉にはルールがあるじゃないですか。
文法があるじゃないですか。
ルール、完全に無視して言葉を連ねることはできますけれども、それは意味通らないですよね。
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そういうのは言葉とは見なされがたいですよね。
だからそれは夢見てることにはならないわけです。
で、自分1人しか見ていない夢をですね、他の人も見ているように見てしまう。
これが多分精神病水準っていうものなんだと思うんですよね。
だからさっき言ったように、職場で私の悪口を言っている人の声が聞こえる。
これはその人の夢なんだけれども、1人で見てる夢なんだけど、
もう声があまりにもはっきり聞こえちゃうんで、他の人もその夢を見えるに違いない。
見えないですよね絶対。
私が見ている夢を他の人も見えるに違いないってだったら、それはもう完全に現実的とは言いがたいので、
これは精神病水準ってことになると思うんですよ。
神経症水準の夢というのは実はいっぱいありますよね。
まずこのボーダーラインではあえて夢を見るわけです。
俺1人の夢を見るぜみたいな。
だから例えば映画館に行って寝るとかね。
非常にものすごく眠ければ別ですよ。
だけれども映画館に行って即座に俺は寝るぞみたいになるとか、映画館に行ってひたすらスマホを見てるとか、
これはボーダーラインなんですよある意味。
この場合ボーダーラインとは言わず、人格障害と多分言うと思うんですよね。
行動の病って言うんだけれども、あえて俺1人の夢を見る。
この人は精神病の人みたいに分かってなくはないんですよね。
分かってはいる。
みんなにはこれは見えない。
みんなには自分1人の夢は見えていない。
自分1人でこれは見てるんだという意味では分かっている。
コンテナの言い方をするならば、抱えてはいる。
抱えてはいるんだけれども、抱える気はないというやつなんですね。
私は私の夢を見るぞと。
現実でみんなと一緒に見る夢とかは無視しますっていう、そういう態度っていうのかな。
態度みたいに人には見えてしまうんだけど、そういう行為なんですね。
だから、あえて夢を見るために現実は邪魔だと思うので酒をいっぱい飲むとか、
酒をいっぱい飲むことによって朦朧とすることによって自分の夢を見やすくするように心を調整する。
つまり分かってやっているわけですよ、ある意味では。
いろんなやり方がありますが、とにかく引きこもりがちだってことです。
自分1人の夢に引きこもりがち。
つまりさっきのコンテナーで抱えるみたいなモデルはやっぱりBeyondらしいモデルなんですね。
今の夢みたいなモデルを使ってみると、今の事象はウィニコットらしい説明になっていく感じがしますね。
だからウィニコットが好きなっていうか、ウィニコット的に考えるとすぐ出てくるのがママゴトなんですよ。
ママゴトって夢を2人で見ているじゃないですか。2人でやればですね。
1人でママゴト遊びに熱中するって子もいますよね。
これはだからボーダーライン的なやり方なんです。
私1人の夢になるべく頑張ると、なるべく入り込めるようにすると。
これをどの程度肯定的に見るか、良いと見るか、良くないと見るかですね。
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みんなの夢ばっかりに付き合うっていうのは問題じゃないですか。
あんまりそれやってると、これもウィニコット流に言うと夢が見られなくなる。
1人で夢が見られなくなるってのはどういうことかっていうと、スミンってことになるわけですよ。
眠るというのは精神分析的には1人で夢を見るための行いなので。
徹底的に1人で夢を見るための行いなので。
これをやるために周囲の協力がいるってところに逆説があるんですけどね。
夢を見ている最中にあれなんですか。最近の闇バイトとかに襲われると困るじゃないですか。
だから治安がいいってのは周囲の協力体制が整っているっていう意味で、
私1人の夢を見るんですよって言ったときに、
分かりましたお休みなさいと言ってくれる世界というのはいい世界なわけですよ。
これはウィニコット的にいい世界なわけです。
1人の夢を見る時間も必要なんですよ。枯れ龍に言うと。
みんなで夢を見る時間も必要だし、1人で夢を見る時間も必要なんですよ。
みんなで夢を見れなければいけないときに、自分1人の夢につけてしまうというのが、
ウィニコット的な世界でこの夢的なモデルを見たところのボーダーラインに近いでしょうね。
例えば信号が赤だというのに寝てるとかね。そうすると事故るわけですよ。
だからこの事故るというのはですね、自分1人で夢に入っていてはいけないときに入っちゃうっていうことなんですね。
この場合の神経症水準というのは、自分1人ではいけないんだがなっていうことが分かっていながらもやめられない。
夢が暴走し始めるわけですね。
つまり、鍵は閉めたはずなんだけれども、自分の心の中ではなぜか閉め忘れたとか、閉めたという夢が見られなくなってしまっているわけ。
だからまた戻っていくと。行動としておかしいわけです。認識は正しいんだけど、行動としておかしいわけです。
人と一緒にいるときはこういう人はだいたい大丈夫なんだけど、自分1人になったときが怪しくなってくるわけです。
だからこういう1人の夢の暴走みたいなのっていうのは、あえてやると人格障害的だし、やめたくてもやめられなくなると神経症的になるんで、もはやどっちが重いとか軽いとはとても言えなくなる。
精神病の方が重そうなのは確かなんですよ。
精神病の場合はもうこの自分1人で夢を見てるっていう状態なのに他の人も見てるっていうふうに考えてしまうので、
だってあれ見えるじゃん、見えないのあなたにはみたいなことになりかねないので、そうなってくると精神病水準になるんですけれども、
分かってやってる場合は、分かってあえてやりますっていう人と、分かっているからやめたいんだけどやめられませんっていう人。
そういうのってあるじゃないですか。
例えば、お酒で自分1人の夢見るのは良くないのは分かってるんだけどもうやめられないんだよっていう場合と、
自分1人の夢を見たいからお酒を飲みまくるんだよっていう場合と、区別するのは難しくなってきますよね。
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これは異性との、言ってしまえばセックスも同じですよね。
だってしょうがないじゃん、セックスするには他に相手いないんだから1人で頑張るんだよっていう場合と、
これはどちらかというとパーソナリティ障害的に見えるっていうか、これが同コストですね。
あるいは、いやもうやめたいんだけどこの方は問題ですよねこの場合は。
やめたくてやめたくて仕方ないんだけどやっぱりやめられないんですよねみたいなそういう場合とありますよね。
どっちの場合も、自分1人で自分の夢を見ているということは分かってる。
という意味では、現実見当はついているわけです。
で、このアプローチの説明を何でしているのかというと、この種のことがやっぱり私はつまり1人夢の暴走みたいなものがですね。
夢は1人で見るもんだろうと思われるかもしれませんが、ウィニー・コットンに言わせると違うわけ。
私たち人間というものは常に人と一緒に夢を見て活動するんですが、1人夢の暴走を許していると、2人で夢を見るという能力を欠くようになっていく。
そうすると働くメンタルが損なわれるって言うともう僕の言い回しになっちゃうんですけど、僕が言うのはそういうことです。
だからこの説明が背景としているんですよ。
こういう説明されないんで。
1人夢の暴走に関してはあるんですよ。
引きこもりってあるじゃないですか。社会問題にもなっていますよね。
あるいはそれを打つとみなすっていう考え方ありますよね。
自分が1人夢にこもっているうちに体が動かなくなったり、気力が全く耐えてしまったり、活動に静止がかかってしまうということは起きますから。
それもコンテナの説明とか夢の説明を私たちだったら持ち込みたいんだけど、持ち込まずに症状としてそう見えるということがありますから。
その1人夢の暴走を停止させるために薬を飲みましょうっていう。
これはつまり脳に働きかけましょうって話で身体よりなんですよ。
今はそれが至って常識的な方法論の1つになったんで、これを選択してもうまくいきません。
あるいは選択したくありませんという人に向けて、さっき言った社会人向けのスクールカウンセラーみたいなものが流行るようになっていると僕は思っています。
そのうちの1つに3カ月チャレンジみたいなものがありますと私は思っているわけです。
だからこの説明いるんです。
この説明をするってこと自体が1人夢の暴走みたいなものに、言ってみれば2人で夢を見るということの擬似体験あるいは実質体験かな。
それをやっていただく場が3カ月チャレンジなんですよ。
私が提供しているのは2人以上で1つの夢を見るということの時間をとにかく増やすという増やすためにこうしましょうあしましょう言ってみたり、そもそもそれをこうしましょうあしましょう言うってこと自体がそういう体験ですよねっていう話なわけです。
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1人の自分1人の夢に引きこもることがいけないわけではないんです。
ただそれしかできなくなるということは多分社会生活を行う上では不利益になる、なりやすいとは思う。
2人以上で夢を見るっていうのはごくごく当たり前でそこら中にあったんですよ。
今でもいっぱいあるんですが、1つにはあれですよね。
ごく簡単に言ってIT時代には2人で1つの夢を見る機会が減るのは確かですよね。
そういう時間が。
だってコンピューターが相手してくれますからねゲームだって。
そのうち会話もAIが相手してくれることになることになってるじゃないですか。
どんどん1人で夢を見る方向に向かっているじゃないですか。
人間が2人以上必要になるのは煩わしいので減らしましょうってことになってますよね。
そういう機会。
だから減っていくんですよ。
でも仕事というのは結局は2人以上で、例えばお医者さんの仕事というのは、
お医者さんなんかは特にそうだと思うんだけど、
2人で1つの夢を見るんでしょう、あれは。
把握を直すという夢を患者と医者とで共有して、
その現実を作り出していくっていう話じゃないですか。
車の運転も全くそうですよね。
運転やっててつくづく思います。
これが夢でなければ何を夢と言うんだって。
80って書いてあると私たちは時速を80キロにセットするんですよ。
そうやって走るんですよ。
こっちにしか走っちゃいけませんという道では、そっちしか走んないという夢の中に入り込むんですよ。
だから逆走してくる車とかがあったらものすごい恐怖に襲われるじゃないですか。
でも現実なんだから、本当は逆走してくる車というものがあり得るわけですよね。
現にありますからね。
なぜなのか知りませんけれども、逆走してくる車、高速道路ですよ。
だから時速200キロでこっちに向かってくるわけですよね。
しかも向かってくるとは誰も思ってない中で向かってきちゃうわけですよ。
それが現実ですよね。
だからウィニコットは現実があるとトラウマになるって言ったわけですよ。
我々人間は。
人間は夢を見て生きていく生き物であって、現実というものに直面しちゃダメなわけですよ。
現実というものには極力直面しないようにしないように世界は作り出されていて、
その世界を作り出すことを仕事をするっていうわけですよ、私たちは。
だから仕事っていうのは常に複数の人が同一の夢を見られるように扱えていくその扱いにあるわけですよね。
世の中に服とか自然に発生するはずないじゃないですか。
だから体に葉っぱつけるみたいなことをギャートルズの時代はやってたわけですよね。
服を着るっていうのは完全に夢見てるわけですよ。
人前では服着ているものなんだっていう僕らは夢を見てるわけですよ。
だからあそこに昨日やってたんですよね。びっくりしました。
39:00
びっくりしたっていうのはそれに驚く驚き方がすごい。
あそこに裸の男の人がいますみたいな。
それを聞いてる人は警察官なわけですよ。
交番に飛び込んで行って裸の男の人がいますみたいな。
それでみんなが走って行くわけですよ。
不思議じゃないですか。
動物が裸でいるからといってイカツイ格好をしたポリスが走っていかなきゃいけないわけですよ。
僕らみんな夢を見てるからね。
そういうふうになってるわけ。
もちろん警察って仕事をしているわけですからね。
でもこれはとても不思議なことですよ。
どう考えたって。
それ多分かいつまんで本当にきっちりチンパンジー科なんかに教えたら
チンパンジーはさぞ不思議な顔をすると思うんですけどね、私はね。
でも実際には彼らにはそういうことはわからないので幸いにも。
人間だけがこういう非常に驚くべき世界を作ってその中で生きていて
あんまり不思議には思ってないわけですよ。
むしろ裸の男がいるとめちゃくちゃみんながびっくりするっていうことになってるわけですよね。
これは私たちの世界の生き方なんですよね。
これしかない、私たちは今のところは。
みんなこれをやる。
そして娯楽とは全て完全にこれだけを意味するわけです。
じゃなきゃ音楽聞くって意味わかんないじゃないですか。
映画を見るのも全然意味わかんないですよね。
映画というのはやっぱり途中言いました通り
みんなで一つの夢を見るためのあれは装置だ。
映画館というのは思いっきりそういうもんですが
作ってる方は完全にそうじゃないですか。
あれほど夢を見るために徹底的な人力とスキルを徹底して用意したもの
人間が演技をして機械いっぱい使って
効果をフルに発揮させるようにして
大きなスクリーンでそれ以外が見えないようにして
この間は時計とかを見るのも全部ルール違反なわけですよ。
スマホを電源切るか飛行機モードにして
そして夢の世界に没頭しましょう。
なぜそんなことをするのかと。
それが人は楽しいと思ってるからですよね。
こういうことの妨げになるんですよ。
私一人だけの夢が暴走し始めるというのは。
夢の暴走の形は実に様々ありますよね。
お酒を飲むということによって夢を見る場合もあれば
さっき言ったようにひもとの消し忘れをしているという夢を見るという場合もあるし
体が悪くなったという夢を
これは神奇症ですけど
見るという人もいますし
人が私の悪口を言ってるという夢を見る人もいます。
夢を見ている人に向かって
それは夢ですと言うと大体怒られます。
現実はトラウマになるんですよ。
いや、誰も悪口は言ってません。
って言うと多分ムキになって否定されます。
だってココココココココっていっぱい出てくるはずです。
42:01
あなたのうちのお父さんは毒耕屋でしたっていう夢もあります。
事実ひどかったかどうかの話はしてないですからね。
事実はひどかった可能性は十分ありますよ。
水風呂つけるとかね。
非常にありえないだろっていうのはありますよ。
ありますが毒耕屋だったという夢はまたそれとは別です。
あくまでもそれは夢なんで。
他の人には見えませんしね。
決して。
そのことは分かってるんですよ。
だからそのように伝えようとするわけ。
コミュニケーションというのは
同一の夢を見るための手段なんで。
だから同一の夢を見てもらえないっていうのは
その人にとっては屈辱的なことなので
普通において怒られます。
それをある程度
トラウマとか心の傷を残さない形で
でも結構際どいことを伝えるっていうのが
カウンセリングの一つの技法ですけど
それを大きめの目で言えば結局のところ
二人で一つの夢を見る時間を確実に確保する手法なんだなって感じがします。
いやそれは何の意味があるんですかっていう問いには弱いですよ。
この種のものって。
明らかにどう考えたって。
薬で治るんだったら薬で治しましょうよってなるのが
当たり前だと思いますね。
だって本当に二人で一つの夢見てるのって
ことにすら答えられないじゃないですか。
そういう証拠は出せないわけです。
二人で一つの夢を見ました。
一時間。
っていうのは本人たちにしか決してわからないことですから。
一つ目。
二つ目にそれをしたからといって
例えばうつなりが良くなるというのは何なんだって。
それを一言で説明できるのかって言ったら絶対無理ですよね。
それだったら二人で映画二時間見れば
そういう習慣をずっと見てればうつ治るのか。
私は良くなる可能性は
もしそれがかなり親しい関係であればね
相当にあるとは思います。
特にその映画について後ほど二人で語り合うとかすると一層いいと思います。
これはほとんど精神分析の解釈に限りなく近づくと思うんですけどね。
それを定常的にやっていけば
いろんな神経症水準には絶対他いい効果あると思うんだけれども
しかしその証拠出せって言われたらすごい困りますよね。
全然出せないです。
ただ映画見てただけですっていうしか他にないです。
あれはとってもいい文化だと僕は思うんですけど
僕やんない割にはね。
二人で一つの映画を見てその後喫茶店でそれについて喋る。
あんまり関係ないことも喋る。
それを定期的に持つ。
非常にいいと思うんだけど少なくともメンタルには。
明らかにそうじゃない方向に世の中は向かうじゃないですか。
今タブレットで映画見るわけじゃないですか。一人で。
でその後にわざわざ家の中にいるのに喫茶店行かないじゃないですか。
他の人と語らないじゃないですか。
いっぱい映画を見てるんだけれども
あの週に一回日曜日にやるというようなワンパターンで
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なんか多分当時としては他にアイデア工夫のない人間のやることだと思われたと思うんですけど
絶対あれはいいと思うんですよね。
気をてらったデートをするよりは。
めちゃくちゃ有効だったと思うんだけれども
あの私もやんないんでね。
今日のことは言えないんですけれども
世の中からは衰退してるよなぁとは思いますね。
なぜこれをやっといた方が良かったかというのは
今日目いっぱい喋ったような気がしますが
そして世の中には喫茶店とか映画館というのは
仕事としてあるってことですよ。