WBCの話
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
3月17日、金曜日の朝10時43分ですね。
昨日はイタリア戦圧勝でしたね。
イタリア戦は勝つんじゃないだろうかとは思ってたけど、
見ていると意外に危なかったなと。
最後のスコアは?
今回の大会は全部日本、JAPANはそういう感じで、
野球の話ですね、WBCの。
大差が最後はついてるけど、途中は結構大きい。
微妙だなっていう展開が、特に序盤に来てますよね。
あそこで何かがあったらこんな風ではなかったんじゃないだろうか的なのが、
何回か見ている気がします。
余計なことを喋っていて、
今日は時間に限りがこの後出かけなければならないので、
本題に行こうと思うんですけれども。
グッドワイブスと行動パターン
私、グッドワイブスの実践をしていて、
いろんなワークをですね、グラザのけいぞうさんが毎日出してくださるんですよ。
今日のワークみたいな感じで。
これに取り組むというのも面白くて、
グッドワイブスファクトリーでもやっているんですけれども、
大体ですね、私は絶対このワークだけは毎日書かせてはならないというのがあるんですよ。
それも時々忘れるんだけど、タスクシュートに入れとけよって話かもしれないんですけどね。
僕はグッドワイブスに関することは、タスクシュートと直結させないという、
これはかなり言葛義みたいな感じなんですけど、
直結させないっていうのが私の中でちょっとありまして、
別にいいんですけどね、書いておいても。
そのうち書いておこうかなとも思ってるんですけど、
書かないと忘れてしまうようになったらそのワークいらないんじゃないかなとも思うんですね。
これが直結させない理由なんですよ。
で、書かないと忘れてダメになってしまうようであったら、そのワークじゃダメなんじゃないかなとも思うんですね。
この辺ちょっと話しながらにしますけれども。
私は、これはクラゾンさんにちょいちょい指摘されるんですけれども、
これでもあらゆる人がそうだとも思うんですけどね。
グッドバイブスを実行するにあたって、実行すると自分にとって困難なチャレンジと、
そう無理はないということに分かれるんですね。
で、例えば最初から私にとってそう無理はなかったものとして、
そう無理はないやつほど思い出しにくいので、
実は後になるとそう無理はあったんじゃないかってことにもなりかねないんだけど、
攻撃したくないと思うのは無理はなかったんですよ。
なぜなら僕は人を攻撃する返り撃ちがめちゃくちゃ怖い人間だから、
どっちにしてもこれ怖がらないからしないとかではないんだけど、
少なくとも攻撃しないというのを守ろうとするのはそう無理はないんですね。
他にも少しいい例があった気がするんだけど思い出せないので先に行きますか。
一方で愛するとかになってくると途端に難しくなるわけですよ。
許すとかも、許すはですね、やっぱり攻撃との兼ね合いで、
愛するよりははるかにやりやすいなと思ってたんだけど、
愛すると許すは実は完全にイコールなんですけどね。
これは最初に話を聞いた時から完全にイコールだから、
どちらでも本当はどっちかができてどっちかができないというのはおかしいはずだと思ってたんですよ。
息をするのと呼吸をするのは分けてるみたいな話で、
ほとんど全く同じだっていうのか、
あるいは完全に等しいものの違う側面を取ってるって感じなんですよね。
だからなんつーんですかね、
息をすると呼吸をするじゃ完全に同じですもんね。
言ってるだけになってしまう。
これもちょっと今日は時間の問題で先へ行きます。
愛すると許すと信頼する。
この3つでもですね、僕には違って響くんですよ。
愛するは実はまだマシなんだということが分かったんですね。
一番難しいのは信頼するんですね、私にとっては。
で、これはどうしてなのかということを考えていくうちに、
自分のGood Vibesで私が基本的にここを外してはならないっていうのがあってですね。
そしてこれがおそらく完全にできるようになれば、
Good Vibesは黙ってても実現している。
ま、黙ってても実現してるんですけどね。
倉園さんの定義によるとそうだと僕は思っているんですが、
とはいえ忘れちゃうってことが問題ですからね、Good Vibesにおいては。
例えば一つであるということを忘れるというのが問題なんで、
一つであることを忘れてバラバラ意識になっても、
一つではなくなるってことでは本当はないですから。
一つではあるんだけど、それを忘れるってことですからね。
で、その信頼するがどうして難しいのかというと、
僕はこれはですね、
反省しちゃうからだということに気づいたんですよ。
で、倉園さんが反省しないという話をされたときに、
すごくこう、そういうふうにもちろんなるよねっていう感じになったんですね。
つまり僕は信頼できないのは反省してしまうからね。
これはもう僕の行動パターンだったんですね。
で、この行動パターンってやつが大きな問題なんですよ。
非常にクセものなんですね。
私は基本的にはGood Vibesもその他どういう方法論でも、
この行動パターンというやつが出てくるというのが、
それを台無しにするというか、実行できない鍵になると思うんですよ。
だってこれは当然ですよね。
例えばダイエットをダメにするのは、ついストレスで食べてしまうとかいう行動パターンによるものじゃないですか。
その行動パターンというのはどうでもいいようなものなんですよ。
これをどうでもいいって言うと角が立つんですよね。
でもどうでもいいようなものなんですよ。
その人にしてみると絶対それは避けられないんだってことになってるんだけど、
そうではないってことに気づかないと話が始まらないんですね。
だけれども割とこれを気づいてさえしまえば、あとはどうにでもなるっていうところがあって、
ここが多分最初で最後の関門みたいになるんですよね。
結局だからこれはカウンセリングでも同じ話をしているってことです。
反復強迫
だからフロイトが反復強迫と言ったとき、
あんたはその行動を繰り返してるんですよと。
問題なのは2つあって、
1つはそれを指摘すると相手が怒り出しちゃうということ。
もう1つはそれをやめさせると相手が正気を保ってるのをむすら難しくなるケースでは、
取り上げるわけにはいかないということですよね。
要するにいつまでもおしゃぶりを話さない子供も、
おしゃぶりを取り上げればことは早そうなんだけど、
それ以外の手段で自ら手放してもらう。
だから手放すって言葉はやっぱり鍵になるわけですよ。
自ら手放してもらう。
でも絶対それを手放したくないんだって言ってる相手に、
自らそれを手放してもらうのは難しいから、
ここでメソッドが出てくるということになるわけですね。
私は信頼できないわけですが、
それは反省するからだったということに気づいたんですよ。
でもこれがやめられないんですね。
なんで反省しちゃうんだろうと思ったんですね。
まずこれを最初に私は解決するべくライフハックに走ったんですよ。
ライフハックって反省大好きだから。
反省して修正して行動を正す。
それによって悪い行動パターンから抜けていくという。
私はそれにそうはいかないよなと思ったんですよ。
これもここでディスカッションしてもしょうがないですよ。
そううまくいってる時はそれでいいはずなんですよ。
そううまくいかなくなった時に違う方法がいるんですよね。
私は反省するというライフハックらしい行動そのものが
私にとってがんになってしまっているから
少なくともこれをライフハックで何とかしようというのは
無謀だと思ったんですね。
なぜ信頼できないのかというと
信頼できないのはそもそも前提に立ってるから反省しちゃうんですけどね。
なんで反省なのっていう話になるじゃないですか。
なんで反省するのかというと失敗するからなんですよ。
失敗っていうのはその失敗の定義が実はあるはずなんだけど
そこをすっ飛ばすんですね僕の場合。
失敗したと打ち止めされるわけですよ。
そして強く反省して二度とこういうことのないようにしようって考えると。
一見これはですねただこれだけを聞いていると
私もつい最近もライフハックっぽい会合で
何だったかちょっと軽いやつなんですよね取材会なんかかな
繰り返しここに食い下がって来られた人がいて
反省して改善するんじゃないかみたいな
私そこでグッドバイオスの話するつもりはなかったし
タスク修道の話すらするつもりにはなれなかったんで
いやそういう風には僕は思いませんぐらいな感じで流してたんですね。
勘違いからくる失敗と反省について
時間もあんまりなかったんですよ。
でその食い下がられた時にやっぱりこの問題になってくるのは
でも後から考えてたんですけど失敗なんだよなと思ったんですよ。
例えばそうですね
私こういう本を書いてみたいんですっていうことを
あんまり親しくもない出版の編集者さんに
立職パーティーかなんかでもらった名刺にあるアドレスとかに出したとするじゃないですか。
いい感じで盛り上がったからちょっと今度こういう企画をみたいな
よくあることなんですよ。
最近全然ないですけど昔はよくあったんですよ。
色々に返事をいただけることももちろんあるんですけど
なきゃ僕はこういうことを繰り返せない人間ですから
この辺に信頼感の無さがあるんですけどね。
時々ねやっぱりこうちょっと話ならないで
なんでそんなメールをよこしてくるんだっていうニュアンスで返ってくるわけですよ。
結構これが打ちのめされるんですよ。
東橋さんならこういう目には合わないんですよ。
ここ割と大事なポイントですよ。
僕はこういうことをやる人間なんですよ。
こういう時になぜ打ちのめされるんでしょうってことが
どうしてここで打ちのめされなければいけないんだろう
私はそうも少しは考えるんだけど
ここでいろんなイリュージョンをやっちゃうんですね。
気がついたらやってるんですよ。
例えばいやいやそんな本当の意味で
本当の意味でって分かんないんだけど
親しくなってないうちにね
例えばこれは今ちょっと考えついたことをしゃべってるんで
もうちょっとこうイリュージョンは細かく精密に行われてるんですけど
慣れ慣れしくメールを出して
物欲しげに本を書こうっていうメールを出すからいけないんだよみたいなことを
最もらしい顔をした人に
誰だか分からないですよ
ちょっと母親臭いんだけど
どこか父親臭くもあって
特定しにくいんですよねその人の顔って
これを対象と呼ぶんだと思うんだけど
そういう人が言ってくるわけですよ
それですっごい気分悪くなっていくんですね
恥ずかしさもあるんだけど
なんかね私らしい失敗のような気がするんですよ
いかにもお前がやりそうだっていう感じの
攻め立てられ方をしている気がするんですよ
でそうかもう二度とこういうことはいたしませんと反省するわけで
こういう流れなんですね
失敗に対するライフハックと反省リストの効果について
これを僕はライフハックでやってたっていうのはどういうことかというと
今みたいにこうつらく恥ずかしい日記を書くわけですよ
そしてこういう恥ずかしい日記リストを作っておいて
エヴァノートとかにそれを読み返して
こういう失敗を二度としないようにしないと
もうなんか体をかきむしりたくなる
この話も後ほどしたほうがいいんですけど
今日は時間があまりない
これを全部やってるとまた60分を突破しますからね
そういうことなんですよ
かきむしりたくなるようなミスをしたくなければ
ここにある反省リストにあるようなことを全部やめろという風になっていくわけですね
これはどう思いますかね
最もらしい良い方法に思えるか
相当しょうもない方法に思えるか
人によってすごい違うと思うんですね
僕はこういうことを金輪際やっちゃダメだなと思っているんですね
これが僕の中で一つGood Vibesで日々欠かさないワーク
日記書く方じゃないですよ
書かない方ですからね
投影と反省
Good Vibesで絶対にやんないのは
この反省しないということなんですね
この種の反省は特に絶対誤発
なぜならば人を嫌いになるから
この種の反省をするということは
もうこの種のことをした自分はダメなやつなんです
これもねもちろん倉園さんが
罪悪感という言葉の通りなんだけど
僕の中ではですね
この…
なんかうまい言葉ないですかね
本当にこうね
えーっと
なんちゅんですかね
歪性なっていうかね
もうちょっときつい言葉を
僕は自分に当ててるんですね
ひわいなって表現を僕は当ててるんですよ
これに実は
印象ですね
極めて悪い意味で
ひわいな感じがするんですよ
だからここに性的なものが絡んでるってことですね
で、えーっと
なんでそういうことを思ってしまうのかも
なんとなく知ってるんだけど
今日はその話はですね
ちょっと黒すぎるんで避けさせてくださいね
時間の問題じゃなくて
今僕こういうの喋るのは平気なんだけど
聞くほうが嫌だっていう人は絶対いると思うんで
そこまで喋んなくても大丈夫だと
ひわいだって感じがするんですよね
これには
で、えーっと
ひわいだということを反省によって
僕は覆い隠しちゃうんですね
これがだから布なんですよ
覆い隠すっていうのはいい言葉だと思うんだけど
えーっと見えなくなるでしょ
ひわいな感じが
それがもう必須だっていう風に
僕は思ってたんですね
そこが僕のライフハックで
なかなか重要な意味を持って
これが全部じゃないですよ
でも重要な意味を持ってたんですね
で、Good Vibesで
考えるようになったのはですね
まあ失敗の定義もいいんだけど
大事なんですけれども
この反省の前に投影があるんですね
この投影がもう全部の鍵なんですね
この場合の投影というのは
定義にほぼ沿った精神分析の用語で
要するに投影っていうのは
僕はいい意味では一切使ってないつもりなんですよ
稀にそういうのが混ざってたら
僕のミスです
投影というのは僕にとって基本悪い意味であって
何をやってるかっていうと
人にうんこを投げつけてるんですよ
自分の中の問題点を
人に投げちゃって投げるんですね
これを投影というんです
で、これの
無意識にやってることです
で、投影と投影同一化って問題があって
最近ずっと考えてたんですけど
投影と投影同一化は同じだろうって
思うように最近なってきたんですけど
この話もしているとややこしくなるので
今日は単純にいくんですが
投影してしまうんですね
でもそれは無意識にやるんですよ
えーと
問題7
さっきの編集さんから戻ってきた
メールの方なんです
僕脚色してるじゃないですか
えーとその内容は
厳しい内容だっていう風に
僕は最初に判断したんですけど
その判断はですね
誰がやっても同じだっていう風に
考えちゃってしまってるんですよ
だからこういう手紙をもらいましたってことを
人に見せられないんですね恥ずかしくて
これおかしいじゃないですか
見た人も同じ
僕と同じように判断するかどうか
わからないですよね
いやこれはお前を責めてるメールだっていう風に
他者を思いやる
大概の人がそう思うメールも
あるんでしょうけれども
実は半々だっていうケースもないわけじゃないような
気がするんですよね
よーく考えてみると
それに私はそういう風に判断して勝手に反省したときには
決して
相手の人の事情というものを
考えてないんですよ
例えばこの人はこれを書いてるとき
たまたますげえ腹を立ててたのかもしれない
そういうことはあり得ますからね
えーと私が
うちの奥さんに責められているとき
さらわったときみたいにね
それは畳から見ると
仕事に持ち込むようなことじゃないかもしれませんけれども
持ち込むでしょう
そんなものは
ものすっごくその人が落ち込んで
ほとんど欲渦状態になっているときに
不意にこんな本書きたいですっていう著者に
これ幸いと
攻撃してもおかしくはないじゃないですか
つまりそれが全部私のせいだったかどうか
わかんないのに
勝手に反省するのはあかんないもんですよね
でもそこは問題じゃないんですよ
問題なのは
私が投影してるってことなんですよ
投影しないんだったら
反省してないぐらい投影してるんですね
というかここが大きなポイントなんですけど
反省するために投影してるんですよ
だからこの投影は
必ず私の反省を
促す結末になるに決まってるんですよ
なぜならば
投影の素材
反省するために投影してる
わけですから
目的がそもそもの反省にあるわけだから
その目的を達成するために
するような投影が
いいものであるわけがないんですね
このよくも絶対ないもの
さっきうんこってわざわざ
言ったんだけど
何でできてるという
話なのかと
ここのポイントは
投影の素材は何か
ということですね
これは言うまでもなくスプリットした
悪いものですよね
私の中で
私の中でいいものと悪いもの認定した
だからこの原始的な
一番原始的な話で
いいおっぱいと悪いおっぱいの
悪いおっぱい要素とは
片目で作って
それを相手のメールの上に
塗りたくっていくんですよ
これがね投影の話でまた脱線してますけど
精神分析では
上になのか中になのか
どっちなのかは大事だぞっていう指摘があるんだけど
今日は上にと言っておきます
投影とイリュージョンについて
メールの中に
なるほどなって気もするんですけどね
投影は相手の人の中に
押し込めていくのか
人の上に塗っていくのかっていうのは違うよ
っていう話があって
非常に細かいんですけどね
でいずれにしてもイリュージョン
ですね
でも悪いイリュージョンですね
何しろ卑猥なんだから
ここにポイントがあるわけですよ
悪いおっぱいって卑猥でしょ
これは何とも言えませんけどね別にね
定義があるわけでも何でもない
私が言いたいのは
人が嫌だなと思っているような部分
をも含んで
そのメールの上に
私が当てて
そして私がそう言われているような
気になってとても嫌な
気持ちになっているということは
これは私の中の
差別感情なんですよ実は
差別感情っていうものがこの世で
よく言われているじゃないですか
例えば同性愛とか
いろいろと
自分の中で一番自分が
これは嫌だな
耐えがたいなと思っているものを
作り出すことができるという
普段それがあるとは限らないということですよ
つまり
良い要素と悪い要素っていうのは
所詮要素ですから
例えば私が
たまたまですけどね一例として
ピンク色が嫌いだとするじゃないですか
そうした場合
ピンク中のピンクって色は
ものすごい嫌ですよね
例えば私がそうですね
あんまりピンとこないんだけど
スカンクの
匂いが嫌いだとするじゃないですか
そしたらスカンクの匂いの
抽出した要素みたいなものは
すごく嫌な匂いですよね
当然そんなものは自然界にないんだけど
作り出すことはきっとできますよね
今のような技術なら
例えばそのピンク中の
ピンクの色をしたすごい嫌な
匂いをしたものだけで作り出したものって
めちゃくちゃ嫌じゃないですか
作り出したものはこの世にないんですけどね
つまり作り出したものはこの世にないんだけど
その作り出された
すごい嫌なものだけで
構成されている
諸要素のかき集めみたいなものは
考えられるという
そして僕は
投影による嫌悪感の生成と反省の必要性
それを使って
人のメールに投影するんですよ
それは嫌に決まってるわけですよ
しかもそれはお前だって言われてるわけですよ
ある意味僕なんですけどね
なぜなら僕が嫌いな要素だけで
作り出されたものが
僕でないとは言えないじゃないですか
僕が作ったものなんだから
これが投影の
からくりで
こうして僕は反省するわけですよ
この反省って何を意味してるかというと
このとても嫌なものは
ものすごく嫌なものだから
このようなものが
自分の中に入ってくるのを
許容するわけにはいかないという
意味での反省なんですよ
それはそうですよねさっき言った通りですよね
ピンク中のピンクで
僕は別にピンク色は
嫌いなわけじゃないけど
そういう形状も
オブジェクトの形もものすごく
僕が嫌いなもので
そして匂いもものすごく
僕の嫌な
ホラーに出てきそうなものですよね
そういう所要素で作り上げたものを
投影するんだから
それは嫌に決まっている上に
これを私に
見せつけて反省しろって
言っているということは
さらにこれを嫌になろうという
努力なんですよこれは
こういうことが
グッドバイブスでは話されていて
私的特性および眼科の話
反省しないという
僕はそのマークの上にある
意味はこういう風に捉えたんですね
だから
絶対反省しちゃダメだと
反省すればするほどこの事態を
より悪化させた形で
次回以降必ず
同じような目に合うはずなんですよ
何かしら嫌な
私が何かしら
自分がこういう目に
あったりこういうもの
自分に投げつけられては
まずいって思っているものを
わざわざ心の中で強化しておいて
一旦それを
遠くに話すことができるんだけれども
いずれすればまた
投げつけられる機会がやってくるわけじゃないですか
何らかのきっかけで
必ずやってきますよね
だって投影なんだから
私が何かに対して
これを投げて
無意識なんですけど投げればいいやと
というかそうじゃないな
これはそのようなものだ
決めた時にこの2つに
何かスイッチが入って
リンクして活性化して
で私の前に登場するわけですよ
再び
同じものがただ再度やってきているだけなんですよ
だから反復強迫なのであって
私はなぜかこういう目に
合うんですって話が
聞かれるんですけどそれは当然なんですよ
自分がこうなんつうんですかね
投げ縄をやっている
その縄が持っていて
その投げ縄を持っている
縄の先にあるものが
自分に降り注いでくるんです
っていうような訴えとあんまり変わらないんですよ
だから
えーと反省しない
この
3つなんですね
投影しない反省しない
罪悪感を持たない
投影から始まるんですよね
これが私の場合は
私はスキゾイド的な人間だから
すごく投影しまくっているよ
っていうのはもう
そこら中の本に書いてあることです
だから投影は得意なんですよ
得意ってどういうことかというと
無意識にやっちゃうということです
先日すごい面白い発見があって
眼科に行ってきたんですけどね近くの
でその眼科に行ったとき
佐々木さんは卵子なんだけど
僕90度と180度の間くらいに
ある卵子なんですが
その卵子は眼球が
外に寄っていく
ことで起こっているんです
投影と関係性
それを見せてもらうんですよ
ぐーっと寄ってくるんですよね
僕はよく分かってないし
それを止めることはできないんです
止めることができれば卵子にならないはずなんで
できないんですよ
寄っちゃうんですよね少し外寄り
っていうらしいんですけど
それを補正するための
チカチカ見せてもらうと疲れるんですよ
それをずっと補正してると
すっごい
僕は気づいたんだけど
自分が投影を始めているときは
これが起きるんですよね
目が眼球が動いていくんです
これ誤解しないでほしいんですけど
眼球を動かしている間は
常に投影しているって意味ではないですよ
投影をしているときには
常に眼球が動いているってことです
逆も真ではないです
だからそれに気づいてからは
投影をしそうになったら
目を何かの焦点を当てて
極力卵子
卵子ってやっぱり
ダブらせないように頑張れば
少しは補正が効くんで
ダブらないように
物が二重にならないように頑張っていると
投影止まるんですよね
こういうことってさも難しいことのように
思われるかもしれませんが
そんなことはないです
なんかですね
何かの縄抜けをするとか
そういうのではないので
自分がやるある種の空想を
止めるっていうこと
そもそも空想って全部止めておけばいいんだけども
特に私はこの投影する
という形の空想は
私にとって最悪の事態を招くので
必ず
この結末としてはですね
このメールをくれた人が嫌いになり
二度とこういうメールを出さないように
少なくともその人には出さないように
がんじがらめにしていくんですよ
でも私は
その可能性についての恐怖感って
拭えなくませんから
だってこれは自分がやることですからね
拭えないために
人を信頼しないという結論を
持つことになるんですよ
反省した結論が人を信頼しない
というのは実に不思議な展開ですが
私の中では
こうやってしっかりロジカルに
繋がっちゃってるんですね
だから投影するということは
信頼しないということなんですよ
私にとっては
でもこれは感覚的には非常に
分かりやすいことです
記録するってあるじゃないですか
僕あんまりあれには
苦しんだ覚えはないんですけど
というのは多分私が恋愛で
一番苦しんでた頃に
LINEがそもそもなかったから
LINEどころかですね
メールはあったにせよ
使われだしたばっかりで
記録するかどうかなんていうのが
分かるような感じになってなかった
気がするんですよね
どうせそんなにすぐに返事をくれる
という文化じゃなかったような気がします
人にもよるのかもしれないけど
記録するの時に人がやってるのは
投影ですよね
もしそれで疑心暗鬼になって
気分が悪くなるなら
いやあいつはどっかに行って
浮気しているに違いない
その人の気持ちの中における
悪い悪いというのは
その人の性格が悪いという意味ではないです
結局そうなるのかもしれないけど
その場合悪い想像をしたり
悪いイメージを持つという
その心の機能が
発動して
記録するをしている
お相手の顔の上なり
あるいは心の中なりに
それをぶち込むんですよ
要するに
それが投影
投影は僕らみんなやっていること
なんじゃないかと思いますし
気分が他人に対して
相対していない
タイミングで
気分を悪くするような
ことがあるならば
多分それは投影を
やっている結果です
投影をやるというのが
信頼できなくなるというのは
今の話だったら非常に単純じゃないですか
明らかにパートナーを信頼していない時に
投影していますよね
だからこれは
はっきりと関係があるんですよ
この
出来事の後に
すぐに別れてしまえば別かもしれないけど
すぐに別れたとしても
この人が自分が投影している
という事実に無自覚なまま
相手を悪者にして
反省と路線
関係を断ち切れば
多くの場合反省します
二つの反省の方向があって
一つは
振ったということや
自体についての反省
寂しくなって反省する
もう一つは
そんな相手と付き合ってしまった
自分の
見る目の無さみたいなのが反省する
という反省の仕方もあります
いずれにしてもこの場合
投影と反省と不信
というのはセットなんですよ
スキゾイドの人にも
言うのは
これをすっごくよくやってるんですよ
これをすっごくよくやってるんだけど
ほとんど自覚をしないという
場合には
繰り返し繰り返し
反省していて繰り返し繰り返し
今度こそ見る目をつけて
あるいは関係を壊さないように
人との関係を
大切にしてしかも
ちゃんと自分を裏切らない
人を探そうという風になっているんですよ
心の中ではね
でもこの路線って
私今の説明からすると
思うんですが
かなり的外れな路線だと思います
この路線でうまくいくはずはないじゃないですか
反省していること
内容がそもそも
的外れです
一つにはそれは関係を大事にしなかったから
その他の考察
壊れたとは
かなり言い難い
相手が浮気をしていたに違いない
と思ったから振ったのに
もっと優しくしておけばよかった
そういうことを人は思うんですけどね
優しくしなかったから浮気したんだみたいに
そもそも浮気してないだろう
って話が一つね
もう一つは
裏切らないっていうやつ
裏切らないやつを見抜く
これは自分に不信感がある以上
およそ無理です
ここを僕ら逆に考えるんですけどね
不信感を持っていれば持っているほど
裏切る相手を避けることができる
生きてないから
そういう人と付き合ってるはずなんだけど
見る目を育てる
っていう発想になりやすいんですよ
だからこの不信
不信感を持つということと
反省するということは
実は多くのバイセットになっていて
その一番
起点になるのが投影なんですよね
ただこの投影が無意識に起こり
行われます
なぜ無意識がこれをするかというと
やっぱり痛い目に会いたくないから
なんだと思うし
子供の頃に本当につまり
乳幼児の頃に獲得したスキル
だからというのは先日
お話しした通りですけど
ほぼ確実にそうなんだとは思います
乳幼児の頃に獲得したスキルのことは
私たちは
言語化あんまりできないし
自覚もそれほどしない
簡単に言うと
寝返りどうやって打ってますかってことですよね
赤ちゃんは寝返り打てませんからね
寝返りが打てるようになれば
一つのスキルの獲得だから
でも我々は寝返りをどう打ってるのかを
言語化なんてしないじゃないですか
箸どうやって持ってますかは
もう少し後だから
言語化できる人もいるでしょうけども
大抵の人は別に言語化なんかせずとも
箸を持てますよね
しかも
この種の言語化は
間違ってることが多いんですよ
箸の持ち方みたいなのは
アメリカに行くと英語で書いてあるんですけど
その通りにやろうと頑張ってるアメリカ人は
だいたいできてないですから
だからつまり言語化では限界があるんですよね
そういう無意識で獲得しているスキルは
残念ながら
投入って無意識で獲得しているスキルなんですよ
これができるようにならないと
トイレトレーニングって不可能なんで
やっぱりやっちゃうんですけれども
言語化はできない
ほとんど意識もしない
その中で勝手に自分が
こういう人間
こういう対応
こういう態度
あるいはこういう文章を書くってこと
あるいはそういうことを言うってことは
遠ざけておかなければいけない
自分からは
出だしとしてはおかしくないんですよ
それを全部やるよりは
やんないほうがいいんだろうけれども
それをされたときに
この人間も遠ざけなければならないと考える
だけれども問題なのは
相手がそれを本当に
やってるのかどうかは
相当疑わしいってことです
私たちは
嫌な思いをしたときに
無意識のスキルと言語化の限界
自分の心の中にある
こういう投影ということができちゃうので
実際に相手が
したのかどうか
十分吟味する手間ってのは
だいたい省いてですね
相手がしてきたことは
誰が見ても明らかだという
嘘をつくんですよ自分に
これをですね
やめると
というのが私のGood Vibesで一番
欠かさず日々一応
やってるワークなんですよ
だいぶ
たまにそれが紅葉を発揮したときに
このワークやってたな
自分っていうのに気づくんです
ここは面白いですよね
忘れかける瞬間があるということですよ
無意識にやってるからなんですよ
無意識にやってるから
だからつい最近そういうような
やや妙によっては
かなり厳しめのメールを
いただいたわけですよ
でも
なんていうのかな
一瞬そういう風になりかけたんだけれども
止まったんですね
止まったときに気づくんですよ
これはあれなんだと
だからワークやっている
日々この投影しないという
意識を持ってるから
ここで止まったんだと
止まると気づくんですよ
していたということ
それまで
なんて言えばいいのか
わからないですけど
真昼間でも真っ暗になっていくような
そういう感じの
心理状態に
入りかけたんだけど
そこでピタッと時間が
停止したように止まるんですよ
そして
止めてみて
一旦間置いてメールを読んでみると
とても好意的な文章が
書いてあるってわけではないですが
さっき見ていたのは
なんだったんだろうと思うようなことは
多々あるんですね
実際そういう風になったんですよ
さっきは何を自分は
見たんだろうと思ったんですよ
自分の心の中にあるものを見たんですよ
じゃなければ文章の上に
あるはずですから
そして
一つ避けることができる
ものがあるんですね
その人との関係を完全に
その前に深い反省というのを
まず避けることができます
そして深い反省をしないんだから
その人との関係は
若干の何かは
残るかもしれないんだけど
基本的には前と同じように
接することが
そのメールを何の気なしに
出したときのその心境のまま
ほぼ行くことができる
わけですね
そうするとつまり信頼ができている
じゃないですか多少とも
不信感というのが
結局不信感というのは
そういう意味では
僕の心の
裏表なんだけれども
裏を
その人に当てずに
済むっていう感じなんですよね
あるいはその人の
私の心の裏側にあるものを
その人の心の裏側にあるんだ
って思わずに済むっていうのが
その差は非常に大きいですよね
私はそっちはあんまり
困らない方なんだけど
質問をすると
バカだと思われる問題っていうのは
バカだと思われる問題
全く基本は同じですよね
でそのバカだと思われる
っていうのの一番の問題は
この人の
バカだと思われた時に
感じる感じ方の
暗さみたいなものを
人の心に投影しているってことなんですよ
こんなに難しいこと言うほどの
話ではないですが
だから相手の人が結局のところ
後ろくらい心を持ってる
っていう話になって
当然信頼はできるはずがない
っていう結論になるんですよね
不信と反省と投影と罪悪感
この3つは
だからこそ私は
そのような質問をしないように
反省しようっていう
この不信と反省と投影と罪悪感って
いつもセットなように
思います
特にスキゾイド的な
心理状態に陥った時には
そういう風になっていますよね