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2020-08-20 37:51

【GMV208】元に戻すと言うイリュージョン

家事にはイリュージョンが紛れこみやすい
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
8月の20日ですね。 私の聞いたところでは、本日
倉園圭造さんとの協調。 不安ゼロで生きる技術
人生100年時代とか
安心力でっていうサブタイが入ってますけど、まあ不安ゼロっていうのが多分一番
検索かけても、本を見てもパッと目に飛び込んでくるワードだと思うので、
これをちょっとここでまた
CMさせてください。 知的生き方文庫の
というレーベルですね。 三笠書房さんからの文庫です。
昨日一通りですね、また何度目なのかよくわかんないんだが、読み直してみたんですけれども
どこから読んでもいいように作ったので、どこから読んでも大丈夫だと、あと通読するとですね
それにしても一定の流れはあるんですよ。 その辺を感じ取っていただけたらと思います。
文庫なんで、もちろんKindleで、私でも多分これが人の本ならほぼ確実にKindleで読むんですよ。
Kindleのいいところって、引用するときにハイライトをつけておくと、ブラウザー上にそこの部分が全部残ってくれるんですね。
Kindleのノートという機能があってですね。 全文は残らないんですよね。
上限に達してしまうんで、でも結構本によってこれ分量違うんですけど、残せるんですよ結構。
なので、Kindleでハイライトしておいたところを引用してブログ記事に起こすとかしていただくと大変ありがたかったりします。
ちなみにこれですね私、みんなもっとやったらいいのにと、いつも自分ももっとやったらいいのにと思うんですよね。
本の紹介とかってブログではありきたりだと思われると思うんですけど、人がどんな本を読んでるかを気になることっていっぱいありまして、
人がどんな本のどんなところをどう読んだのかっていうのは重要な情報だと思うんですよね。
それでビジネスできるのかっていうとまただいぶ違うんですが、大変興味深いのでみんなもっとやったらいいのにと。
ブログが埋もれるって言うんですけど、私みたいにKindleハイライトとかブログ行動を一生懸命、
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常に検索でサーチをかけているという人間がいるんですよ現実。
こういう人間はいるんですよ世の中に。 だから全然読まれないってことはないんです。
ビジネスにはならないでしょうけど、そこから本アソシエイトとかで買うんですよ。
特にアンリミだったらですね、全く悩まずに即読むんですよ。結構ですね。そういう人間もいるんでやってみたらいかがだろうかと思います。
今日はですね、先日ツイッターで流れてきた、あるカジの文章に関する漫画がありまして、
その中でちょっといくつか非常に興味深いことが、漫画で書かれてたんですよね。2ページぐらい。
非常にあれいいなと思うんですよね。ああいうのが書けたら、これも全くイリュージョンですが、
SNSとかブログとかでもっと自分も情報発信いっぱいしたいんだけどとかって思っちゃうんですが、非常にいい漫画でした。
2ページぐらい。
その中でですね、奥様が旦那さんとカジに対する考え方が違うと。
一つがですね、カジというのはマイナスをゼロに戻す行為で、タスクのように独立していないので、
夫のようにタスクを処理していくという考え方と馴染まない気がするっていう感じのニュアンスがあったんですよ。
これ、タスク管理部門からするといろいろと言いたいことが出てきちゃうんですけど、それよりもですね、
私が気になったのはマイナスをゼロにするという部分なんですね。
これ別にカジに限ったことではなく、いろんな実はライフハックの手法でマイナスをゼロにするみたいな考え方があるんですが、
大きなイリュージョンなんですね。
ゼロっていうのは、昔このGood Morning Vibesでも損失参照点という言い方をしたんですけど、
要するに株価を、株を100万円で買ったと、そうするとその株が上がって110万円とかになったらいいんですけど、
99万円とかになっちゃうかもしれないじゃないですか。
下がった時、人はですね、せめて100万円にならないと売れないなって思う。
その気持ちが大変強いんですね。このゼロを損失参照点というんです。
でもこれはあれです。投資の世界でもすでにイリュージョンだというように、イリュージョンなんですよ。
なぜそこにゼロ、プラスマイナスゼロがその点にあると言えるのか。
自分で勝手にただそう決めているに過ぎないわけですよね。
100万円の価値というものそのものが変動いたしますし、
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そもそも時間が経って100万円が100万円になったことが果たしてゼロと言えるのかと。
今金利ゼロみたいなもんですけれども、そうは言っても銀行に預けておくとほんのわずかにしても利子がつくわけじゃないですか。
つまり、ゼロであるっていうその考え方というのは一つのイリュージョンで、そこに意味をつけているだけなわけですよ。
お金ですらそうなんですね。
まして仕事についてはですね、何をもってゼロとするのか。
マイナスをゼロにするっていう言い方は、
例えば食器を片付ける。
今まで食器がなかったところに食器を出して戻す。これがゼロだという考え方もあるでしょう。
そうするとじゃあ食器がテーブルに出ている状態はマイナスなのかと。
なんでマイナスなのかと。食器が増えているのにマイナスというのは、つまりどういう意味なんでしょう。
ゼロというのは、つまり食器がなくなった状態をゼロとみなすのかと。
そうすると例えばですね、食事の支度ということをとってみても、お腹が空いた状態がマイナスで満腹なのがゼロなんですかね。
そうすると食事を作って食事を食べ終わると、お腹がゼロになると。
でもそうすると今度は食器というものが残っている状態がマイナスなので、この食器を片付けた状態によってゼロにすると。
そうやって考えてみると、いかにこのゼロはですね、適当な理由によって見出されているゼロであるかというのは、
あちこちにゼロを作っているんでしょうけれども、その都度その都度何をもってマイナスとするかというのを、
意識的に決めてますよね。何よりもあれなのはですね、
例えば床が汚れている状態がマイナスで、床の掃除をするとゼロになる。ゼロにはならないですよね。
どう考えても、元に完全に戻るはずはないので、そしたら家って引っ越した状態がゼロで、
住んでいる状態は常にマイナスということになるじゃないですか。家には物を置くからですね。
何かが、余計なものが追加された状態がマイナスで、それがなくなったらゼロである。食器の片付けがそうでしたよね。
ということであればですね、引っ越したての家、建てたばっかりの家がゼロなんですよ。
そうすると絶対僕たちはその家をゼロに戻すことはできなくなるわけですよね。生きている限りは。
もしかすると、そもそも家がない状態にゼロなのかもしれない。土地だけの状態ですね。私土地買いましたから。
しかしですね、そしたら家が建っちゃったらずっとマイナスなわけじゃないですか。おかしいわけですよね。そんなに厳密に考えようとすると。
だからこのマイナスとゼロという考え方は、実はすごくいっぱい意味をつけて、いっぱいイリュージョンを作っておかないと成立しないんですよ。
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私、ちょうどですね、1日1箱という本を書いたことがあるんですね。
箱を詰め込んで空っぽにしたら仕事が終わったことにしようと。
1日分の仕事を全部1箱に詰めるように、タスクという箱を、タスクのボックスを作ってそこにタスクを詰めるという、今ではあまり提唱したくはない。
これでもいいからやった方がいいよという人もいるので、この本自体を全否定するつもりはないんですけど、自分の本だしね。
この考え方は割と似てるんですよ。ただ僕はマイナスをゼロにするというよりはプラスをゼロにするという感覚でおりました。
ここにもイリュージョンがあるわけですよ。
なぜ人は何かをマイナスとみなしたりプラスとみなしたりするのかといえば、ゼロがあるからなんですけど。
早速質問が現に来たんですよね。あの1日1箱が結構売れて3円ずりまで行ったのかな。
で質問が来たんですよ。何をもってゼロというのかと。例えばメールでも、メールは私の場合はもう絶え間なく来るんです。
ゼロにならないんですと。ある1日のって言うけど、その1日で箱に蓋をするって私は費用を使ったんですけど、
蓋をするって費用はいいんですが、朝の9時に蓋をすればいいのか。
それとも退社の時に蓋をすればいいのか。あるいはお昼の時間に蓋をする。結局そういうことなんですよね。
どこで蓋をするかによって、いつゼロにするべきかは変わるわけじゃないですか。
で、そんなにメールが頻繁に来て、メールの処理が仕事であるという人のメールがゼロになるはずないですよね。
それはもう常識的にゼロになるはずはない。毎分少なくとも3通ずつ来ますみたいなメールがですね、どこで蓋をしようと、そんなもんゼロになるわけがない。
蓋をする直前に飛び込んでくるものもあるかもしれない。で、私はプラスをゼロにするって考え方を持ってたんですね。
タスクなので、これを部屋の片付けに適応してもいいんですよと書いたんですよね。
今日やるべき片付けるものを箱の中に全部入れて、その箱を空っぽにすると。
だけどそれはあくまでも目安であって、箱の中に入れたものを全部捨てるわけじゃない。
それだったら箱はゴミ箱でいいわけですから、マイナスをゼロにするわけでもプラスをゼロにするわけでも本当はないわけですよ。
現にゴミ箱ってそうですよね。
可燃ゴミの火に、水気がある地区はですけどゼロにするわけじゃないですか。
僕はゴミが溜まった状態をマイナスとみなすのは、私の物理的常識が邪魔をするので、これはプラスとみなすしかないんですけど、プラスをゼロにすると。
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この話はすべてだからですね。
何をもってゼロというのが自分で勝手に決めているという意味では、イリュージョンと意味付けを必要とするやり方なんですよね。
だからマイナスをゼロにするという家事は基本的に楽しくないしモチベーションが湧かないと書かれているんですけど、
これはやっぱり一つの、家事が大変だという意味では全く同意なんですけど、
一つの意味付けであって、マイナスをゼロにするからモチベーションが湧かないわけじゃないと思うんですよ。
何でかというと私はプラスをゼロにするのにモチベーションが湧くんですよね。
おかしいじゃないですか。プラスをゼロにするならモチベーションが湧くけど、マイナスをゼロにするんだとモチベーションが湧かない。
逆であっても良さそうな話である上に、理由にはなってないですよね、別に。
私はそういう感覚が好きで受信トレイがゼロになるとか、ゴミ箱が空っぽになるとか、何でもいいんですけど、
ゼロになるというのはすごい気分が良くなるんですよね。
だからプラスがゼロになる、すごい良い感じがするわけですよ。
これは意味付けなんですよね、完全に。ゼロにはなんないわけですよ、どう考えたって。
同じことの繰り返しだからモチベーションが湧かないんですっていうお話も、現実に私は1日1箱でいただいたんですね。
当時はやる気クエスト的なのとかMPみたいな考え方をしてたんで、そっち方面からアプローチしてみたんですけど、
違うんですね、違う気がするんですよ。
でも読者の方全てに来た質問、全部に全部答えられたかというと、それもまた別の問題なんですけど、
なるべくお答えしたいんですけれども、英語差には限界がある気がするんですよね。
TwitterとかFacebook、特にFacebookの英語差はある意味難しいなと、エアリップみたいになってしまった場合には。
ブログもそうなんですよね、完全には拾いきれてない気がするんですけど、まあまあそれはともかくとして。
あとAmazonのレビューとかに答えるっていうのはちょっと私はキーな感じがするんで、やりたくないんでやらないんですけれども。
新しくなる部分って絶対あるわけじゃないですか。元に戻るわけではない。
地球の時点とか光点もそうですけど、宇宙の完全に同じ場所に戻ってくるわけじゃない。
春夏秋冬もありますけれども、毎年以降全く小読み通りに同じ気温、同じ天気になったらおかしいわけで、
繰り返しってのはあくまでも見た目上の問題であってですね、繰り返して完全に同じことが繰り返されてるというのは
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それこそ完全に記憶に騙されてるわけですよね。元に戻らないわけですよ。当たり前なんですけれども。
だからネットワイプスの本、かなり冒頭の方に出てくる、新しい、例えば部屋をきれいにしたらきれいな部屋を創造するっていうのは
私読んだ時は大変奇妙な感じを受けたんですけど、もしですね、部屋をマイナスをゼロにするというのがリアリズムだというならば、これが現実だというならば、
でもそこにはやっぱり嘘が含まれてるわけですよね。だって元に完全に戻ってないのに元に戻してると、ゼロに戻ったと、
それが現実だと言ってるわけだけど、現実じゃないわけですよね。完全に元に戻るというのはリアルだというわけではないわけです。
それはあくまでも自分の脳内で作り上げたゼロという世界、それはイリュージョンなんだけど、そこに戻ったと錯覚してるだけなんですよ。
ある意味では全く新しいものを作り出したという風に考えた方が、むしろ現実的なぐらいなんですよね。なぜならば、多分完全に元に戻ってないから。
子育てなんかは特にそうですけど、子供って例えば泣いている子が泣き止むようにするとか、熱が出た子が平熱に戻るとかいう風に考えますけれども、マイナスがゼロになるのが繰り返した。
でも子供は成長しますからね。絶対元には戻りません。
たまに妻が言うんですよ。言葉も話せなかったショワショワとか言ってた頃が可愛いと。絶対今頃になってショワショワ言いませんからね。
何しろ妻に練習率の3.1415の出し方を公式で教えろとか言ってくるわけで、答えられないわけですよね。
私はなんとか答えられなくはないんだけど、それを答えるにはうちの娘のまだ知識が不足していてやっぱり答えられない。
で、ショワショワしてないわけですよ。だからマイナスをゼロに戻してるわけじゃないんですよね。前に進んじゃうわけです。
絶対元には戻らないわけですよね。いくらショワショワ気が良くてもダメなわけですよね。
あんまり言うと娘がショワショワとか言ってくれるんですけど、それは元に戻ったことにはならないわけですよね。
この辺があるなと。あるなというのは、ゼロとか元に戻すとかいうのはそれ自体がイリュージョンなので、それが理由にモチベーションが湧きませんというのは、
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もしそんなことがあるんだとすると記憶に騙されております。そもそも損失参照点という点はイリュージョンなので、
そこの点を元に植えかしたかで得か損かという理屈を述べ立てるのは経済学的に見てもダメですと。そういう話あります。
で、もう一つですね。20分が迫ってきたんだけど気にしつつ喋ってるんですね。私はある程度。不思議だな。
前はあんま気にしてなかったんですけどね。これがイリュージョンなんですよね。20分という設定してないわけですから。
もう一つ進んじゃいますが、いちいち言ってられないよというセリフがその漫画になって、これなんですよね。
本当はこっちを最初にテーマにしたかったのに喋ってるうちに進んじゃったんですけど、いちいち言ってられない。
これは何なんだろう。いちいち言うべきなんですよ。この話また後日にもしたいと思うんですけども、これ絶対ですね。
グッドバイブス以前ですよ。タスク管理の原則でいちいち記録をとる。いちいち手順を書き、いちいち手順を部下なり夫なり奥さんなり伝える。
必須ですよね。ここのいちいちがいちいち言ってらんないよって言ってめんどくさがってるとめちゃくちゃめんどくさいことに自分がなっていくんです。
昔、これは先送り本である社長がですね、部下にいちいち指導なんかしている暇はないんだと言ってるうちに潰れちゃった会社があったんですけど、
そのぐらいいちいち言わない。いちいち言わなきゃわかんないじゃないですか。このいちいち言わないことによって言う回数が多分1000倍ぐらいに増えるんですよ。
ルールとかってよく言うんですけど、ルールっていうのも一つのイリュージョンで、ルールなどというものを、何て言うんですかね。
ごくごく大雑把に決めることができてもですね、実際に決まらないんですよね。
なぜかですね、一時うちの奥さんが、ネット内職的なもので採点というものをしてたんですね。中学校の全国公開模試みたいなやつ。
そこにはルールがあるじゃないですか。一応。例えば指定語句の漢字の間違いは不可っていうルールがあるんですよ。
例えば応仁の乱というのが答えだとしたら、応仁の乱というのをひらがなで全部書いたらダメ。
そんなことありえないだろうと思われるかもしれませんが、仁の字が間違ってたらダメなんです。いっぱいいるんですよ、実は。
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問題となってくるのは、実に驚くべきことだと思ったんですけど、のなんですよ。
のはひらがなじゃないですか。果たしてこれを、のをひらがなで書くのは当然いいんですよ。
のが間違ってたらどうするのかっていう問題があるんですよ、現実にも。
これもそんなことはありえないだろうと思われるかもしれませんが、のを漢字で書く人もいるんですよね。
なぜなのかはわかんないけど。
昔、お相撲さんのでのってカクカクっとしたののひらがなの元になったのっていう漢字があるじゃないですか。
あれを書くっていう人がいるわけですね。およぶの一本足りないやつみたいな。
しかもそのおよぶを書いちゃう人もいるんですよ、これが応仁およぶ乱みたいな。
指定語句の漢字の間違いは不可なんですが、ひらがなの間違いはどうするのかと想定されてないわけですね。
指定語句のひらがなの間違いは不可っていうルールはないわけですよ。
じゃあそれはバツなのか三角なのか丸なのか。
ルールはいちいち聞かなきゃわからない。これ誰かが決めないわけにいかないんですからね。
多分依頼している会社の誰かが決めるんでしょうね。
いろんな不統一な見解が出ちゃうわけですよ。
ネットで内職してるわけですからね。三角にする人多いと思うんですけど。
でも三角にしとけばいいって話でもないような感じがするじゃないですか。応仁およぶ乱は何なんだ。
で、バツにするっていう、昔自分が中核受験とかで厳しい思いをしてきた人はバツにするんでしょうね。
バツにしないでくださいっていうメールが来たりするわけですよ。
ちゃんと統一ルールを読みましょう。どこをどう読んでも書いちゃいないんですよ。
あらゆるルールが想定できると思うのはもうリュージョンですよね、完全に。
私たちの想像もできないようなことが現実は起こるわけですね。
っていうことを多分採点ってものをしたことがある人はすぐわかると思うんですよね。
想像もできないような回答って出てくるんですよ。
そしてこれをバツにしていいのか丸にしていいのか三角にしていいのか、
多分厳密なルールがあったらそれを決めることができないっていうことって世の中にあるわけですよね、いくらも。
昔、ルイと同時はセーフだとかアウトだとかいう野球でも話題になりましたが、
どこにも同時はセーフだとかアウトだとかルールブックには書いちゃいない。
それを書けば書いたで、非常にまた面倒くさいことになるというか困ったことが起こるんですよ。
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野球は現実ですからね。ルールはイリュージョンだけど。
火事なんていうのは本当そうで、あるコップを家では奥さんによればシンクの上に置いちゃいけないんですよ。
でも夜そのコップを使った場合はシンクの中に置かないと腹が立つらしいんですよ。
でもじゃあ夕方はどうするのかというかそれどころかですね、
実際にはですね、これは現に直に奥さんから聞いたんですけど、
私の気持ちとしてシンクに置いて欲しいときは置くのがルールであり、
気持ちとして置いて欲しくないときには上に置くのがルールということになるわけです。
これはもうルールとは言えないですよね。
でもルールというのはあらゆる現実を想定できない以上はそういうものになるしかないです。
この問題解決するにはいちいち聞くしかないですよね。
いちいち言ってられなかったら間違いなくどっちか間違ったところに置かれる日がいつかやってきます。
私はこの種のルールを昔は厳密に記録をしていて、厳密に記録をするとわかることがあるんです。
イリュージョンだということがわかる。
ルールの現実は想定されないというのは当然で、なぜならば夜とかいうものはないからですよね。
何時以降とかはなかないんだけど、
どうにしても夏の6時と真冬の6時は全然違うじゃないですか。
6時以降とか言うだけでは全く意味がないわけですよね。
そうすると何月何日の6時以降とか言う。
このくだらないことをしたければいいんでしょうけれども、
赤いコップは下地付近の6時以降にはシンクの中に置きとか、
そういうルールを決めるのが、そうすれば本当に効率的だと思うならいいでしょうけれども、
非現実的ですよね。
つまり現実というのはルールによって規定できないので、
ルール次第で決まるというやり方をしていても、
いずれは必ず無理が来るし、
一番ここで変な問題はですね、
いちいち言うことは不可能だという、
そのモチベーションの温存。
実際私たちが面倒だという時はいつもそれを間違ったやり方で使っちゃってます。
つまり今エネルギーを節約すれば何か良いことがある。
今時間を節約していちいち言う0.5秒ぐらいを節約すると後で良いことがある。
一個もない。
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これはGoodVibes以前から言えます。
例えば手順を人に教えないとか、
明らかに何度も何度も繰り返している、
その通りにやればいいってもんじゃないでしょうけれども、
手順書を作っておけば済む話なのに、
それを作る時間と手間を惜しむ。
まず一個も良いことは起こらない気がします。
私が今までそのことでは、
なぜかですね、やっちゃうんですよね。
応仁の乱なんですよね。
いちいち言う手間を省いたり、いちいち教えたりする手間を省く。
現にこの応仁の乱ののとかの件は、奥さんは私に聞くわけです。
私に聞いても答えは分からないというか、出てきやしない。
でも聞くわけですよ。
舵についていちいち聞かれるのはうるさがるけれども、
こういうのは私に聞いておけば答えが出るとでも思っちゃう。
私はいちいち答えるんですよ。
これが一番早いし、何秒の節約にもならないわけですよね。
私に聞いても分からないよと言っても意味ないわけですよ。
だからこれはグッドワイプスになるんですけど、
手を抜かない。
なんでなのかは難しいんですけどもね。
手を抜きたくなる理由の方ですよね。
でも手を抜かないことによって失うものはないんですよね。
もし時間を持って本当に思うならば測ってみるべきなんですよ。
何秒失ったのかと。
私なら測れますからね。やろうと思えば。
でも大概の人はここで言うわけですよね。
タスクシュートにいちいち記録はしていられませんと。
どこまで言ってもこの問題は考えては答えが出ないんですよね。
そんな時間はもったいないです。
タスクシュートに記録をする時間が一体どのくらいの時間なのかをご存じないはずですよね。
大体私ほど知ってる人って少ないんですよ、非常に。
私ほど知ってる人はやってるんですよね、残念なことに。
分かるんですよ。
いちいち記録をしていられない。
いちいち言っていられない。
いちいち答えてはいられないし。
いちいち教えてはいられない。
全部そこはセーブしたい。
でも何をセーブできるんでしょう?
多分セーブした気になれるっていうだけなんですよね。
時間って止まらないので。
そこのところで何かを温存してみたところで
その温存したものが保存されるわけでは決してない。
お金ならまだしも保存されるはずなんですよね、使わなかった分は。
30:02
でも時間と気力は、体力もそこで使わなかったからといって
後々急に元気になってくるとか
後々時間の流れがゆっくりになるとか
絶対そういうことは起こらないので
ここにこだわる意味は多分ないんですよね。
だから過時ってイリュージョンを生むんだなとは思うんです。
一見したところ、リピートタスクっていう表現も取りますが
一見したところ同じことの繰り返しのように見えるし
何個も何個も細かいことを繰り返しているような感じがするので
細かいことを少しでもしないと何か得ができるんじゃないかという気がしちゃう。
でも私はチェックリストもタスクは独立していないから
過時はタスク管理に馴染まないというのは
あれも今日はそれについては言及しませんが
私は自分がやっていることについては全部タスク化しているので
この総数を出してみることもできるわけですよね。
チェックリストとかを最大値やっていた時代があったわけですよ。
最大やっていた頃はチェックリストとタスクリストと合わせて200くらいなんです。
たった200ですよ。
多いって思われると思うんですよね。
でもたった200ですよ。
200個の工程なんてなんてことはないですよ。
なんてことはないというのは楽だという意味ではないですよ。
200個の管理というものが難しいということはあり得ない。
小学生だって200個ぐらいの項目の物事は管理しています。
大人が真剣にやって200のタスク管理ができないはずはないです。
どんなやり方をしようとも。
問題なのはいちいちっていった時に感じている
無限な感じっていうのは
なろうことならば
その一つ一つにはエネルギーゼロ
時間をゼロでやろうとするからなんですよ。
ゼロで割ったら微分なんですよ。
上が1であっても無限になっちゃう。
1割るゼロはエラーですけど
ゼロに近づければ近づくほど上はでかく感じられるっていう話でしかなくて
細かくいっぱいいろんなことがあるように思っても
せいぜい最大に積もって200なんです。
その200って時にはもう私のチェックリストにありますけど
バターを出すとかいうのが1項目になっているケースの200ですからね。
バターを出すとかバターの蓋を閉めるとか
そんなのまで入れて200ですから。
1秒であれば70ぐらいしかない。
70の項目比率でいちいち言ったからといって
33:04
かかる時間って多分70×5秒ぐらいですよ。
言うことに関してはやったらそうはいかないですよ。
やったら20時間かかりますが。
言えば350秒がいいところ。
長くたって700秒ですよ。
つまり10分あればこと足りるんですよね。
これをいちいち言うだけで10分って考えるとあれですが
言うことが24時間の中に入ってくるわけなんで
1個あたりにかかる時間は数秒。
タスク集の記録が現にそうなんですよね。
超厳密につけてた頃にしても
多分タスク集と自体にかかっている時間って
1日トータル10分いくことはまずない。
これも言われたことがあるんですよ、セミナーで。
その10分を節約したいんです。
嘘ですよ。それはない。
だってその質問をされる方は
割と平気で10分ぐらいは無駄にしそうなことをなさいますもん。
だってそれはしますよ。
その有効活用って何を意味するのかと。
代わりにその10分で何かよっぽどすごいことをするのか。
それはないですよね、そんなことは。
合衆国大統領なら知りませんけどね。
普通はないです。
しかもその10分はまとめては来ないので
分散されておりますから。
1個あたりにかかる時間とか手間っていうのは本当に
この議論、実はですね、今しゃべってても
不毛なんですよね、すごく。
実際にはみんな知ってるんですよ。
数秒惜しんでるわけでも
数秒何かしゃべることによる疲れで
疲労困廃するわけでもないことは知ってる。
いちいち言ってられないというのは誤解なんです。
それはもうみんな知ってるんですけど
なぜかそう思っちゃうんで
そう思わないようにするには
っていうことを考えてみて
こうやって考えてみるのもありだと思うんだけど
一つ一つエネルギーを十分投入するという
これが本気でやるって話なんだけど
エネルギーを十分投入すれば
黄泉の乱の野が泳ぐだったら
自分は間違いだと思うっていうのは
全然簡単です。今言っただけです。
めちゃくちゃ簡単です。
ここでなぜそのいちいちそんなことを
それに聞くなっていうことによって
何かがセーブできる気がするんだろう。
実際にはそういうことじゃないですか。
多くの人がセーブしたいって思う。
毎日毎日ただ元に戻るだけのことを
36:02
繰り返していてすごく疲れる。
一回も元に戻ったことはない。
私はここ引っ越してきたとき少し思ったんです。
ミニマリスト的なことを思っちゃったんですね。
マイブースまた全然シロマヤ。
この家に何も物を置きたくない。
そうはいかないじゃないですか。
元にも絶対戻らないんですよね。
使うんだから。
使わないんだったら建てる意味全くないですし。
新しくするっていうのは
馴染まないと思うんですけれども。
今日実に長くなってるな。
新しくクリエイトするっていう感覚は
馴染まない人にはなかなか馴染まないと思うんですけど。
定着しちゃえば実は決して無理はない考え方です。
この話は後日にしたいと思うんですけど。
本当にそういうのってありまして。
自分も部屋が、自分最初庭でそれを考えたんです。
庭ならすぐなんですよ。
生き物ですからね。
新しくなっていく感じってあるんだけど。
人工物の片付けってなかなかそういう感じがしないんだけど。
本の配置にしろ、何の配置にしろ。
完全に元通りにするってことはないので。
だって寸分多数で不可能ですからね。
だからクリエイションするっていうのは
別に無茶言ってるわけじゃないというか。
完全に何かをごまかしてるわけでは決してない。
むしろ元に戻すっていう方がよっぽど
ある意味では何かをごまかしているんですよね。
でもやっぱりこの話は後日にまたしたいと思います。
37:51

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