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2020-08-19 24:45

【GMV207】グッドバイブスの第二段階

奥さんの不安と恐れを絶えず取り除き続ける先に見えてきたもの
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
いよいよ明日だと思うんですが、人生100年時代不安ゼロで生きる技術という本がですね、
知的生き方文庫というレーベルで三笠書房さんから、明日多分出していただけるということになってます。
お手に取っていただけると大変ありがたいと思うし、
これを聞いているような方であれば、興味が全く湧かないというような内容にはなっていないと思うのでいいと思うんですけれども、
一つできればお願いがありましてですね、もしこれは万が一こういうご時世だからあれだと思うし、
これ聞いているようなこともみんなAmazonだと思うんですけど、書店さんに行って購入したよというような方がいらっしゃったらですね、
これも手間かもしれませんが、TwitterとかFacebookとかでそのことを教えていただけると大変嬉しいです。
というのは、私結局ですね、本が出ると書店巡りをしちゃうんですよ。
今年はさすがにちょっと考え中なんですけれども、毎回絶対してたんですよね。
なんだかんだ言っても、書社の人が全員やってるかは知りませんけど、私はやっちゃうんですよ。
今の時代って売れもしない、仮によほど売れれば別なんですけれども、
出した本はいつまでもその本屋さんにあるとは限らないというか、なくなるほうが自然な時代なわけですね。
だからなるべく早い段階で、なるべく多くの本屋さんを巡っておかないとですね、全然またなくなってしまうわけですね。
よっぽどのロングセラーはあるんですけれども、それだってですね、
大きな本屋さんの10階建ての5階のあるコーナーに置いてあるとかいう世界になっちゃうんで、
やっぱり平置きされてる時期に見たいじゃないですか、ということもあるので、
もしよろしければ、こういうご時世ですから、あえて行くとかしていただく必要は全くないんですけれども、
たまたま入った本屋さんにたまたまあれば教えていただけると大変ありがたいなという次第です。
今日はですね、ようやくGoodVibesでこれがやれるようになってきたかなというか、実感できるようになってきたなと、
最近そういう話を極力したいんですけど、うまく話せないんですよね。
あんまりしてこなかった体験について話すというのは難しいことでして、
気がつくとタスクシュートとかですね、話しやすいテーマに何しろその話を10年以上人前で話してきてるんで、
話しやすいことと話そうと思うんだけれども、どう言っていいかわからんみたいになりやすいことと、
GoodVibesはやっぱり私の考え出したことでもないですし、
ところどころ非常に馴染み深い話もあるんだけれども、
そこだけ急にまたいっぱい饒舌になるけれども、また別のところだと言葉が出なくなるみたいなのもあるわけですね。
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最初に言ってしまうと、奥さんとの関係なんですが、
この関係じゃないんだなと、関係なんですけどね、
どうしてもGoodVibesって最初のうちは、特にやっぱり一番最初はですね、
お母さんとの関係なんですけども、
お母さんとの関係なんですけども、お母さんとの関係なんですけども、
GoodVibesって最初のうちは、特にやっぱり一番最初はですね、平安というものを目指しちゃうんですよね。
ご機嫌に過ごすとか、ご機嫌に仕事をするとかでもいいんですけど、
要は自分のご機嫌について、意識が働いてしまう、いい価値なわけです。
いくらですね、一人では達成されないよという話であったとしても、
一人、まず自分をなんとかしたいって思うわけですね。
やっぱりそれは可能なことのような気がするから、自分の気分のことですからね。
ところが最近ですね、かなり、というかほぼ完全に奥さんのGoodVibesで、
違うな。奥さんがご機嫌であるということを根本的に、
ご機嫌な状態を保つのではなくて、奥さんはご機嫌だという状態になったんですよ。
で、これはかいつまんでいってしまうと、
絶え間なく恐れと不安を取り除くという努力を怠りさえしなければできることなんだなということなんですね。
これも今までも繰り返し言ってきたようなことであり、何ら目新しいことをしゃべってないんですけど、
これを実現できてみると、実現できてみて感じるのは、
これができるんだったら自分の機嫌なんかどうでもいいなという感じになるんですね。
これが多分今までなかなかわかんないことだったんです。
奥さんじゃないとちょっと難しいかなと思うところもあるんですよ。
四六時中その人の恐れや不安を取る対象って、
つまり四六時中その人と一緒にいるからこそ可能なことであって、
たまにしか会わない人は、たまに恐れや不安を取り除くということになるしかないですよね。
それはそうなると思うんですけれども。
これが一人では実現できない類のことだなと思ったわけです。
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自分の機嫌とか平安は普通に考えると大事なことなんですけれども、
相対的につまり奥さんの機嫌が常にいい状態を維持できる、
こういう言い方になっちゃうんだな、この言い方は正しくないんですよね。
厳密にはですね、奥さんの不安や恐れが発生する都度取り除くということができるようになれば、
本当に自分の機嫌が安定しているということは、
それに比べると大変狭末なことなんだなと。
小さなことなんですよっていう感じを理解できたって感じがしてます。
できつつあるというか、理解できたって感じがしてます。
つまり昔、倉園圭三さんがブログの中で、お部屋とピカピカの家を想像してみて、
ゴミ屋敷みたいな家だとゴミを捨てても変わらないような気持ちになってしまう。
それと同じように恐れや不安とイリュージョンまみれになっていく自分というものを、
そういう扱いにしてしまう。
けれども心の中をゴミ一つ落ちていない部屋のようなものだと思うと、
そこにそれをダメな状態にすることができなくなるっていう例があったんですね。
あれを他人にやるんですね。そういう感じがします。
つまり家の奥さんの心理状態がピカピカな状態だというふうに認識して、
絶えずそういう状態にしておくということができるようになれば、
というフォーカスで生きられれば、機嫌を損ねないように不安を感じているという感覚が、
ずっとそうだったんですが、すごく違ったものに感じられるようになるんだなと。
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生まれながらにして幸せな存在という言い方があったじゃないですか。
あれを自分に適用するより人に適用する方がある意味よっぽど分かりやすいところがありまして、
あっ、家の奥さんは本来はこういう人なんだというのを非常に簡単に受け入れられるんですね。
これがですね、多分自分は肉体の感覚があるせいなんでしょうね。
本来は自分は完全無欠な幸せな状態でいられるんだと、そういうふうに捉えることは可能なんだけど、
その一瞬後にお腹がちょっと痛くなったりすると、うっとはならないんですけどね、
本当にっていう感じが出るんですよね。
肉体感覚っていうのはやっぱり難しいっていうのかな。非常にいろんな感覚を持ってますから。
でも私は奥さんの肉体感覚って持ってないので、当然だけど。
この人の本来の状態っていうのは非常に良いと捉えるのは、非常に自分に関してやるよりは絶やすい。
これが維持できるというのはどういうわけなのか分からないんですけど、
自分の機嫌を良くしておくのの秘ではないなって感じがします。
これを自分と関係のない人に向かってできるというのは、なるほど大変なことだという感じが、
大変というのはとても難しいという意味ではなく、非常に素晴らしいという意味ですが、
そうだろうなと思えるような感じをここ数日間初めて抱けつつあるという、
こういう感覚が今まで持ったことがないという感じなんですね。
どうしてもですね、最も良くないのは、私が平安であるために奥さんをグッドバイブスにしようって話をするんですよね。
これだと全然グッドバイブス的じゃないんですよね。
なんでなのかというのがちょっとあれなんですけど、僕の今の感じの説明としてはですね、
状態を維持するという発想はおかしいんですね。
その都度やるべきことなんだと思う。やっぱりそういうことなんですよね。
だからご機嫌の良い方は、ご機嫌の悪い方は、
なんかこう、グッドバイブスは、これも微妙すぎるんであれなんですが、
ドゥなんだなって思うんですよ。ツクツク。ビーじゃないなって感じがします。
これもいろいろあるんですけどね、たぶん。
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ただ、さっきのゴミ屋敷みたいなのも、
僕さんはなんかこう、曇ってたらそれを取り除く。
これをその都度やるって感じなんですよね。
だから機嫌の良い状態を保つって感じではない。
結果として保つなんですが、
意識の持って行くかどうかっていうのは、
自分の状態を維持する。
アクションじゃなくてもいいんですけど、活動、行為なんですね。
それによって恐れと不安をなくす。
発生しそうになったらなくす。何が原因であろうと関係なくですね。
そうすると、本来の、それはグッドバイブス的な、
自分の状態を維持する。
自分の状態を維持する。
そうすると、本来の、それはグッドバイブス的な考え方なんですけど、
その人の本来の姿というものが現れてきて、
それがですね、本人がどう考えているか分かりませんが、
全然違う人になってしまうんですよ。
あ、こういう人なんだっていうのが出てくるんですよね。
本来の人って大変いい人なんだなというか、
変な表現になっちゃってますね。
うち、お寺でですね、秋になるとリンゴを仏前に備えるんですけど、
そのリンゴを磨くんですね。
あれ、やったことがある人は分かると思うんですけど、
ピカピカになるんですよ。どれほどピカピカになるんですよ。
何だこれはっていう、だから何だってことはないんですけどね。
リンゴがピカピカになったからといって何だってことはないんですけど、
本当にすごい綺麗なんですよ、これが。
ああいう感じなんですね。
これを、僕もそう思ってた時期があったんですけど、
起源を保つ合戦みたいに、
自分の平安のために人をグッドバイオスにするっていう発想だと、
どうしても自分が平安な時はいいんですけど、
そういうアプローチでもよくはないんだけど、
でも平安な時は多分問題は起きないんですが、
自分がイライラしているという時にこれをやろうとするとですね、
何とも不公平な感じがするわけですよ。
なぜ私が人の起源を取らなければならないんだって思うんですよ。
この2つの違いをですね、この2つは鮮明に違うんですけど、
どう違うのかを鮮明に説明するのは、
違いの鮮明度ほどシンプルな話ではない感じがして、
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アクションを起こすことによって、
それと不安を取り除くということは、
ご機嫌を取ることではないんですよね。
部屋を片付ける時に、
なんかこう書棚に本を戻すのでもっと簡単な、
そこら辺に落ちていた、落としてしまったティッシュを
ゴミ箱に捨てるじゃないですか。
なぜ俺が自分を犠牲にしてまで、
このゴミのために動かなければならないんだろうと考える人は、
よっぽどだと思うんですよね。
まあいないと思うんですよ。
このゴミを大半は別の人が捨てたという話ではないですよ。
自分が捨てたんでもいいです。
ゴミを片付けるのは、
自分のためですよね。
ただ、自分のためだと思う、
あえて思ってはいないと思うんですよ。
要は、そういうふうにした方がいいから、
そうするという程度のことではない。
そういう程度のことであって、
ゴミのためにやるわけじゃないですよ。
これとちょっと僕の感じでは似ててですね。
奥さんの心理的な曇りがあったら、
それを取り除くというのは、
運転中に雨が降ってきたら、
ワイパーをかけるというのと同じで、
そうすることによって視界がきれいになるんですよ。
そういう感じなんです。
そういうもののすべてが相互に深く関連しあっていて、
それによって、
それをそうすることに窓の機嫌を取るとか、
考えないじゃないですか。
窓を俺が犠牲になってきれいにしてあげることに、
どれだけ意味があるんだろう、みたいな発想ってないと思うんですね。
それぐらいですね。
この感覚を持ってしまうと、
犠牲になって機嫌を取っているということが、
発想としてすごくねじれた発想な感じがしてくる。
ごく自然な感じがするんですよね、ところが。
不思議なことに。
これを奥山さんが間違いなくバラバラ意識と呼んだんですけれども、
バラバラ意識であるときには、
私がわざわざ労力を使って人の機嫌を取るというのは不公平だというのが、
すごく理にかなった言い回しな感じがするんですけど、
それと全く違うことをやっているんだけど、
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多分解釈の仕方によっては同じになっていくんですね。
この話は別日に、明日ぐらいにちょっと違う視点から考えてみたいと思うんですが、
とにかくですね、最初はここから入るんですよね。
自分の平安。
何ですか。
だから小倉野さん、ああおっしゃってるんですよね。
家族は自分であると考える。
そう考えないと、わざわざ労力を払って自分が犠牲になるという観念に囚われるからっていう。
そういう感じでもあります。
自分だからという。
ただ、私の感じではそれ以上のものがあって、
自分の不安や恐れを取ったときとは、
全然比較にならないものが現れる感じがします。
もしかすると、それはですね、
例えばうちの奥さんなりにやった人がいないから。
私しか。
だから、それまで登場しなかった人が現れるんですね。
何か大事にされるとかっていうこととも絡みそうじゃないですか。
それとも結構違うんですよね。
やっぱりリンゴを磨くみたいな感じなんですよ。
リンゴを磨くというのは、
リンゴを大事にするのかもしれませんけれども、
リンゴが自分だと見出すというのともまたちょっと違う感じもするんですけど、
とにかく見たこともないような姿になって現れる。
ちょっと不思議な感じがするんですけどね。
それがとても大事なことだなと。
それがとても大事なことだなと。
このgoodvirusにおいてはですよ。
おいてはすごく大事なことだなと思うんですよ。
おいてはすごく大事なことだなと思うんですよ。
部屋でもそういうことってあると思うんですよね。
部屋をすっごくきれいにすると、
見たこともないような姿が出てきうると思うんですね。
で、それは、
元の姿とも言えなくもないんですけど、
やっぱり元の姿とは違うのであって、
これをクラザさんは創造する、
クリエイトという言い方をするんですけど、
僕はクリエイションはどうしても違うイメージがつきまとっているから、
なかなかこれをクリエイトと捉えるのにも時間がかかったんですけど、
この辺も最近ようやく少し見えてきたことの一つなんですけど、
作り出すというのではないんだけれども、
部屋に関してだとただ、
これはあると思うんですよね。
この汚くなった部屋をなぜ俺がきれいにしなきゃいけないんだって思わないじゃないですか。
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それとすごい似てるんですよ。
部屋の起源を取るために部屋を片付けさせられているとかって変じゃないですか。
それと全く同じように、
部屋と自分が完全にバラバラに分離しているという考え方がおかしいからだと思うんですね。
それと同じなんですよね。
妻と完全に分離しているバラバラだと考えるのはおかしいはずで、
そう捉えるということが自然だと考えているその自然さが
部屋の起源を取るために必要だと思うんですよね。
そう捉えるということが自然だと考えているその自然さが変なんですよね。
そこが変だというふうに
ちょっと違うな。
やっぱりこう、
なんていうんですかね。
そうするのが自然な行為であるという、
そこに労力とか、
わざわざとか、
自分があえてとかいうことが
改ざりしないはずのこと。
つまり、
奥さんの起源を取るだとそうなっちゃうんで、
そうではないということですね。
これは何らかの意味で他人のためにしていることではないということ。
だから奥さんが自分だということになるんだけど、
部屋の片付けにしても、
その部屋に誰かが来るからきれいにしておくってことだと、
人のためにやることになるじゃないですか。
そうではなくて、
誰も来ないんだけど自分の部屋はきれいにすると気分が良くなるじゃないですか。
これに近い。
これが、
人に関してやるならば、
とにかく不安を取り除くってことがそれに該当するんだって感じですね。
きれいにするということは、
対している相手の不安をひたすら取り除くと。
やっぱりワイパーがそういう意味では近いですね。
不安の種がどんどん降ってくるときがありますからね。
ワイパーが近いかな。
そう捉えられると、
そしてそれを実行できるように。
できるって言い方になりますね。
でも実行するようにしていると、
部屋もよっぽど頑張ってきれいにしていると、
突然この部屋ってこんな部屋だったんだっていうのがあると思うんですよね。
そういう経験って。
そういうものが見えてくる。
それは、やっぱりクリエイトしたと考えてもいいぐらいなことなんですよね。
それが、
例えば自分の奥さんであると考えると、
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すごいことだと思うんですよ。
クリエイトするわけですよ。
なかなかこれをですね、僕もうまく伝えられている感じはしないですが、
なんとなく僕は園さんによっていろいろ教えてもらったことっていうのは、
だいぶ違う文脈になってきたなって気はします。
自分が健康になるとか、自分が悪夢を見なくなるとか、
仕事が片付くとか、自分が平安でいられるとか、
健康になったというレベルとは、
全く違うものを感じる。
感じるんですね。
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