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2023-05-29 39:18

【790】グッドバイブス編 今この瞬間から全ては始まる

在ることとやり方では比較にならない
100日チャレンジ編について
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
5月の29日の7時37分ですね。
どうしてもこの発送はグッドバイブス的ではない…
あ、今日グッドバイブス編ですね。
グッドバイブス編をお届けする予定です。
ただですね、今日はなんとなく100日チャレンジ編も混ざってくるような気がしているんですよね。
その場合にはその場合でまたちょっと考えるところがあるので、
今日はグッドバイブス編なんだけど、
100日チャレンジの方にも同時にお届けする形になっているかもしれない。
しゃべってみないとちょっと分からないんで、
その辺はいつも通り、出たとこ勝負でいきます。
6月3日から、つまり今週の土曜ですね、
100日チャレンジの第4期がスタートします。
半分以上埋まってしまったので、
とはいえ今週まだいっぱいお持ち込みいただけます。
のですが、たぶん3日を前に締め切る可能性が濃厚だと思うので、
いつもの流れから考えると。
ただ今回はですね、手帳編ということで、
ちょっと今までとニュアンスが違うかなというのは思うんですけど、
ただ、満席になる程度はあまり変わらないので、
3日まではどうかギリギリのラインかなとは思っています。
あと、あれ不思議なんですよね。
なんか訳があるんでしょうけど、
80名を超えると早いんですよ。
埋まってしまうのが。
それまでのペースと全く変わってしまうんですよね。
そういうことがありますんで、
まだお持ち込みいただけますけれども、
そろそろ気になる方はチェックしておいてください。
3日からですね。
これが今回のお知らせ。
長期計画について
もう一つがですね、
6月に入ったら何度も言ってますけれども、
対話編ですね。
対話編を無理やるでもやらせていただきます。
この場合は交通費だけ上乗せさせていただいて、
多分なんですけど都内の場合は往復で2000円はかかりませんので、
そのぐらいだと思っていただければ。
横浜とかだったらね、
往復でも1000円ちょっとだと思うんですけどね。
そういう感じなので、
なるべく一番安いルートで行きますけど、
あれなんですよ。
乗り換え案内とかの一番安いルートを見つけると、
とんでもない行き方になって、
しかもごくごくわずかしか安くならないので、
あれで行くとアホくさいんで、
実費をいただこうと思いますので、
もし対面というのがご希望の方はですね、
よろしくお願いします。
はい。
何を話そうと思ってたかというと、
グッドバイオス編のですね、
100チャレ編が混ざってくるような話になっちゃうんですが、
私もともとタスクシュートでですね、
というかタスク管理とかで一番話題になるのが、
私からするとこれは、
筋違いっぽさがあるんですけどね、
一番話題になるのが長期計画なんですよ。
私はそもそも長期計画は、
これはもうグッドバイオスを聞いてからとかではなくて、
長期計画は一切放棄していたのは2011年ぐらいなんですよ。
理由は震災なんですね。
あれがあって以来、
僕は長期計画というものを全く信用しなくなったんですよ。
いろんないきさつがあったんですけれども、
とにかくね、
渋谷でのセミナーとかも全部キャンセルに、
当時としては当たり前だったんですけど、
なってですね、
全部なくなったんですよ。
向こう6ヶ月ぐらいまであったんですよね、最長で。
全部なくなって、
それは特殊事情かもしれませんけど、
何事情であったって、
そういうことは明日にも起こる、
というか今日にも起こるんですよ。
だからまずもうそれだけでもですね、
こんなものを私がやる理由はないと思ったんですよね。
国家がやるとかはしゃあないと思うんですよ。
いろいろ事情があって複雑だから。
でも私だけで言えばですね、
なんていうのかな、
そんなに複雑で長大なプロジェクトを
組む理由がないと思うんですね。
だから辞めたんですよ。
その時から急速に辞めて、
もう辞めさせられたっていうのが当時は、
私の意識の中ではまずありましたからね。
もうだってセミナー会場も閉鎖するとか、
そもそも電気がね、
節電でものすごかったんで、
計画停電とかもあったんですよ。
夏のやたら暑い中で、
90何%とかって出てくるわけですよね。
夏のバス盛りに90何%で、
今もうちょっとで電気が使えなくなりますみたいなのが出ると、
パソコンとか落とすんですよ。
こんな中で長期計画も何もあったじゃないですか。
私なんかまず、今は記憶がやや薄れかけてるんですけど、
まず車のガソリンを入れるのに
宿泊していたんですよね、しばらくの間は。
本当にギリギリで、
よっぽどのことがなければ車での移動はできるようにして、
何しろガソリンスタンド開いてないわけですからね。
たまに開いてるなと思ったら、
もうすごい長蛇の列で当時は朝飯に住んでたんですけど、
あるガソリンスタンドなんてですね、
最長で7キロぐらい。
7キロとか並んでて意味ないじゃないですか。
7キロぐらい並んでるみたいな話になってて、
もうやってられないなみたいな感じでですね。
多分入れられなかったと思うんですよね、そういう時に並んでても。
そんなようなことがありまして、
とにかくいろいろな混乱があってですね、
やめたんですよ、長期計画というのは。
その時を境にですね。
まずやめさせられて、
次にもう組む意欲というものを完全に僕は失っていて、
この状態で長期計画をやろうという気持ちになるって難しいなと、
私自身は思ったんです。
難しいなというか無理だなって思ったんですよね。
地震時の状況について
まずその頃は、
死のシャープみたいなヤリンヤリンってやつがですね、
頻繁に、本当に頻繁になってて、すぐ揺れるんですよ。
私当時はマンションに住んでて、しかも5階だったんで、
めちゃくちゃ4とかでも波を打つように揺れる時があるんですよね。
5ぐらいだったのかな、5弱とか。
本当に長期計画も何もあったもんじゃないなという感じでした。
その日その日のことで精一杯みたいな感じで、
でもその時にまさにこれはタスクシュート的だなっていうのは思ったんですよ。
タスクシュートってそういう時はもう本当に、
別につける意味なんてなくなるんだけど、
朝ご飯を食べて、昼なんか子供の相手をして、
朝ご飯を食べて、夕方にはお風呂に入って、夜寝たみたいな、
そういうですね、あってもなくてもいいようなものだったんですけど、
それで私は記録をつけてては自信があったみたいなのを書いてたわけですよね。
特にこれに意味を感じてたというのではないんだけど、
長期計画的なものでは全くなくなったんですね。
その時に私は一つ思ったんですよ。
ああ、まだ生きてるなと。
死ぬというにはまだね、そんな風に思うこともなかったんだけど、
毎日毎日思ったんですよ。
朝になると、ああ、自分まだ生きてるなと。
夜寝る場合になると、ああ、今日も生きたなみたいな感じで思ってたんですよね。
生きるのがプロジェクトみたいな感じになってたんですよ。
その時に、私、時々長期計画ディスカッションが当時起きたと。
その1、2年後なんですけどね、セミナーとかで会った時には必ずそのことがよぎるようになったんで、
そのことを意識するようになったんで、
あんまりディスカッションが続くようだとこれを持ち出すんですよ。
生きてるじゃないかと。
結局タスク管理なんて、生きるのが目的でやるわけでしょうと言いたいわけですよ、当時の私としては。
今ならもうちょっとですね、今ではあまり変わらないか。
でも当時はもうちょっとど真ん中ストレートでこれを言っちゃってたんですけれども、
生きてるじゃないですかと、いうことが言いたかったんですね。
締め切れを守るんだって、要は信用を落としたくないと。
なんで信用を落としたくないかというと、
まあそんなのは個人事業主の方が切実な部分あるんですけれども、
要は食い口が得られなくなっては困ると。
それどういう意味かというと死にたくないってことですよね。
つまりプロジェクト、そういう意識はないでしょうけれども、
プロジェクトの締め切りを守りたいというのは、
ある程度以上は死にたくないっていうことを案に言ってるんだとやっぱり思うんですよね。
そういう部分もあるだろうと。
そういう部分だけではないんだけど、
でもそういうところは深刻な意味としてはそういう意味ですよね。
じゃなければ深刻じゃなくなってしまうじゃないですか、結局。
だからこそ私は、今生きてるということはあなたの目的が達成されてるんですよと。
今なら少なくともこのぐらいは言うと、
当時はこれすら言わずに本当にこれだけを言ってたんで、
伝わってたかどうか本当に微妙なところかもしれません。
けれどもやっぱり同じだったんですよね。
言わんとするところはタスクシュートをするということの終局的な目的は、
生きるということなんですよ。
だから生きるということは、
生きているという段階で既に目的は完全に達成されているわけですから、
長期に目標とか目的なりを仮に小さめのね、
生きるということに比べればどんな目的も小さめですよね、
の目的を置くことはないですよね。
またそれに起点というのかな、
そもそもプロジェクトなりタスクシュートなりができるということは、
生きてるってことじゃないですか。
つまり土台として生きてるっていうところがあり、
目的として生きるってことがあるんですよ。
在り方とやり方
その間にあることを我々はやっているはずで、
それが何であれですね。
生きてなきゃできないことをやっていて、
今生きているのであれば、
土台は既に得ていて目的も既に達成しているんですよ。
だからその間にあることはですね、
少々うまくいかないように見えても、
実はそんなことはないんですと、
まあそういう話を、
会わないんですよね、なかなか会わないんだけどタスク管理とは。
それでも自分はそういう話を、
あの頃はしようとしてたし、
そういう意識が強かったし、
実際してたなと伝わってた云々は、
別としてもしてたなということを、
最近よく思い出すんです。
なぜ最近思い出すかというとですね、
だんだんやっぱりコロナもそうですし、
地震もそうなんだけれども、
離れていくとですね、
だんだん私たちはなぜか目的が歪症化していくんですよね。
どっちでもいいようなことが、
何かさも重大なことみたいに思えてきてしまってですね、
それで間に合うのかとかね、
それで本当にうまくいくのかとか、
それはすごい大事な問いのようでいて、
私にはどうもそうは感じられないんですよ。
福祉雲というのかな、
グッドバイブスで、
倉野さんも生きるってことは、
そんなに簡単なことじゃないっていう話をですね、
セミナーで何回かされてですね、
私はすごくそれがですね、
本来合ってないはずのアプローチから来てるのに、
妙に合致してるなと感じるところがあった話なんですよ。
今日はだからグッドバイブス編と100チャレ編が混ざるというのは、
こういう感覚を最近持つことが多いんですね。
時々この話を説明するために、
在り方とやり方って出てくるんですよ。
つまり生きることに価値があるとか、
存在しているだけで意味があるっていうのは、
在り方の問題で、
それとは違ってですね、
ライフハックとか方法論はやり方の方で、
そっちで価値を高めていくのも必要だから、
在り方とやり方で考えればいいっていう話があるんですよ。
私はそれは話を成立するためにはいいお話だから、
それでいいと思うんだけれども、
私の中で在り方とやり方の比重が非常に違うんで、
それを横に2つ並べることには、
実はかなり強烈な違和感があるんですね。
つまり僕はあることを1万とすると、
やることの価値って1ぐらいしかないと思うんですよ。
運転と生きること
いや、これも数字に直して比較するのは変なんだけど、
あることができなきゃ、
やることなんか何にもできないじゃないですか、
っていうのが何よりもあるんですね。
人間ですから、やっぱり我々は、
在り方といったら生きてるってことなんですよ。
生きてることに比べれば、
そのやり方ってやつは所詮あれじゃないですか。
私、やり方って言うとまず何を思い出すかっていうと、
運転なんですよ。
これは本当にやり方の世界だったなって思うんですよね。
運転って日本のちょっとお国事情なんだけど、
ちょっと特殊じゃないですか。
技術について、かなり技術的ですよ。
スキルフルなものです。
テニスとかスキーとか、
大体運動系になっちゃうんですけど、
やってて思うのは、
運転ってのは相当機械操作不安だなって感じなんです。
しかもそれも割と至高のリスクが。
例えばテニスやってて死ぬ人って中傷くらいなものなんですよ。
それはテニスで死んだとは言い難いと思うんですね。
でも運転で死ぬ人は結構残念ながらいらっしゃいますよね。
そういう意味であれはスキルフルだし、
ひどく真剣なスキルなんですよね。
私は運転するということと生きるということは
天秤にかからないだろうと思うんですよ。
運転犬しかけるみたいな人とか、
F1ドライバーとかいう話になってくるとちょっと違うんだけど、
我々のはそうじゃないですよね。
運転免許取れればいいわけじゃないですか。
あれがやり方の世界ですね。
やり方とあり方を天秤にかけられないでしょうっていうのは
本当にあることの方が私にとってはね。
ですけどね。
あることはやることに比べてやる価値は
圧倒的に高いと僕は思うんですね。
僕はそう思うってやつなんですね。
あることさえできればなんとかなりそうな気がするんですよ。
今すぐはどうこうできなくてもですね。
なんとか健全にあるっていう状態さえ維持できれば
やることなんてのは何とでも本当になるんじゃないかなと。
それがですね。
本当に聞いてて
え?っていう感じなんですよ。
心の中ではね。
例えばこうエヴァノートのレビューが終わりませんとか
どうでもいいじゃんっていうことなわけですよ。
生きるってことに比較してみたら
エヴァノートの整理が終わらないとか終わるとか
そんなことが何なんだろうみたいな
そういう感じなんです。
僕はその中で
本の締め切りが
例えばこれが本の締め切りだとしてもですね
エヴァノートのレビューよりは
ずっと真剣に受け止める必要があると思うんですけど
でも自分が生きしてることに比べると
表現はちょっとしょうもないですけど
絵でもないよねって感じな気が僕はするんですね。
何回かこの番組ではお伝えしたと思うんですけど
私は死にかけた経験というのが
意識の上では3回ぐらいあって
いずれもですね
シャレにならなかったわけですね。
締め切りを破るかどうかの日ではなかったんです。
あの時に自分は
自分はよっぽど現実というものを愛してるなって思った記憶があるんですね。
つまりそういうことだと思うんですよ。
この現実の中にまだいたいですと。
未練たっぷりですってことだったと思うんですよね。
死にたくないってそういうことだと思うんですよ。
私には。
それに比べると別に
あることが大事なんです
レフィルできない人かは
だからといって
なんかもう
5分後には忘れるぐらいな。
それは本当にこう
最近調子いいんですけど
3点差で勝ってた千葉ロッテが
9回裏に逆転された時の絶望感程度なものなんですよ。
これは人によってまた違うと思うんですよね。
当事者であるのかどうなのか。
私は要するに遠くから眺めてる一番ですから
絶望はするんですよ。絶望はするんだけど
でも
ノーション使えるだとか
使えないとかいうのとか
それこそね
私は留学してから東フルで
600点以上取れるかどうかっていうのは
割と視覚問題だったんだけど
でも600点以上取れるか598点でした。
598点ってことがあったんだけど
どこでもいいことなんだと思うんですよね。
それと生きるってことは天秤にならないだろう。
つまり
あり方とやり方っていうのを
丸でやっぱり書いた時に
同じような大きさには僕には絶対ならないんですよね。
やっぱり1万倍から1億倍ぐらい
あり方の方が大事な
あり方が大事というか
あることが大事なんです。
あり方は僕あんまりそういうのも
長い間やっぱり生きてきて
得意としないなっていうのはあるんですね。
あり方みたいなのは。
あるじゃないですか。
呼吸法とかね。
私は結局ちゃんとやる気が
いまだかつてしたことがないんですよね。
僕あり方に興味が多分ないと思うんですよ。
姿勢を何とかとかいう本って
読んだことがないですもん。
歩き方とか姿勢とか
あんまりいいと思わないんですけど
自分のそれは。
興味ないんですよね。
あることっていうのは
そのまんまでいいと思っちゃうところがあって
呼吸法とかもそうなんだけど
多分興味ないなと思うんですよね。
これはもう欠点に近いかなと思うんだけど
しょうがないかなと思っています。
だからあり方ではないんです。
あることとやり方なんですよね。
あり方とやり方
あることの方がずっと大事だっていうか
あること抜きには何も語れないという
語るっていうのはあることの上に乗ってますし
やっぱりこう
しかも語るってことは
目的もあることのような気がするんですよ私は。
その間にやり方というのが
本当にちまっとしたものとしてある。
そんな感じなんですね。
そしてそれはすごく自分の中では
僕のこの感じは
もうずっと本当に
区切りの意識を手放す
2005年ぐらいからは
ずっと根底にあって
それはある意味当然
誰にでもあるだろうという風な感じで
いましたので
真剣にはしゃべる必要はあると思うんですね。
締め切りを守るとか
どういう風に本を書いていくとかは
真剣に考える必要はあると思うんだけど
それは結局でも
真剣に考える必要はあるんだけど
本来どっちでもいいことみたいな感じなんですよね。
あることに比較すると
比較の対象ではないというか
焦点は常にあることの価値の方に
置いておいた方がいいと思うんですよ。
存在としては価値があるが
スキルをアップする方の価値を求めなければ
自分は有用とは思えないみたいなのを
並行して考えてしまうと
なんで並行して考えられるんだろう
というのが僕の本音なんで
なかなかそこのところは
難しいんですけれども
並行して考えてしまうと
嫌な気分になることしか
ないような気はするんですよ。
やっぱりあれなんですよね。
ハロー人生ゲームなんですよね。
あれで再開になることによって
身体的な罰を受けるみたいな
なんかそれって
納得がいかないというか
ゲームを真剣にやることとは
無理やり何かを
積み込んでいるような感じがして
とっても感じ悪いなっていう
印象を僕は持ってしまうんですよ。
それに近いことが
Tofuruとかで起きるような気がするんですよね。
600点なのかどうなのかみたいな
600点ってあれなんですよね。
大学に
アメリカの大学に行くときに
どこでも選びたければ
まず600点取っとけみたいなのがあるんですよ。
昔はね。
今はそれがコンピュータベースになって
300点満点になって話が変わってると思うんだけど
昔紙だった時代はそうだったんですよ。
600点というのが
一つのポイント。
最高点が意味不明な点なので
667点みたいなね。
そういうようなのが
あったんですね。
最近ですね。
多分あれは最近なんだと思う。
クラゾノさんの
Good Vibesの
ミッドナイトラクザかな。
つまりフォッドキャストで
お話しされてたんですけれども
僕はあのワークが
今の話を
多少
体感覚的に得るために
いいと思うワークが
紹介されていて
どういうのかというと
時間の起点を
意識するのをやめる
っていうワークなんですよ。
ワークって言うべきなのか
これやると分かるんですけど
別段ワークではない気もするんですよね。
そういう意識づけみたいなやつですよね。
要は
あれですよね。
このポッドキャストもそうなんだけど
23分前に始めたんですが
これを意識するのをやめるというか
これを忘れるって話なんですよ。
これも実に面白い話だったんですけれども
カップラーメン
タイマーを
押し忘れると
今何分経ったのかが分からなくなる
っていう話を
私そういう経験が全くないので
つまりカップラーメンを作るときに
開始時刻を意識せずに
始めるということをしたことがないので
それが
本当にそうなるのかどうなのかが
分からないんですけれども
押し忘れるってことが
僕はなかったんですよね。
そもそもあんまり食べたことがない
ということもあるんだけど
開始時刻を意識せずに
その種のことをやったことがないので
分からないんだけども
本当にどうなるのかというのが
でも何を言ってるのかが
よく分かります。
その開始時刻というものをつまり忘れると
これはすごい私は
いいワークだと思ったので
グッドバイブスの話をするときは
この話を最初にすればいいんじゃないかと
最近思ったりするぐらい
でもこれは
一時停止なものかもしれないですよ。
今妙に僕が受けてる
時間の感覚を失う
っていう可能性もあるんですよね。
でも私はこれを
今随時やるようにしていて
こういうふうに
測られちゃってるものはしょうがないですけど
レコーディング中24分って出ちゃうので
これを
上限の時間が
決まってるんで
でもですね
確かに
このポッドキャストがそうなんだけど
全然意識に入ってないんですよね。
どのくらい前に
喋り始めたかとか
私これ本当に出たこと勝負で
喋ってるんで最初の頃何喋ってたのか
もうほとんど完全に忘れかけてる
なんか手帳編のCMしたなーぐらいな
それもなんか
1日前ぐらいの感じがするんですよ
私の感じの中では
それがこの
僕がポッドキャストやってることの
大きな感覚の中の
意味なんですけどね
これをやってると時間の間隔を
相当崩すことができる
というのがあります。
睡眠中ほどめちゃくちゃになることは
ないですけれども
すごいじゃないですかね
体がうんと疲れてるときは
寝てから2秒ぐらい
かなと思ったら10時間とか
ってことが起こるじゃないですか
藤子不二雄さんがよくね漫画家で
徹夜してたから
そういうものの凄さ
ってものを書いてたんですよね
あーよく寝たなーと思って
1日経ったのかと思ったら
3日経ってたみたいなそういう話が
3日経ったか忘れましたけど
そういう話が載っててつまり
48時間以上
ぶっ通しで寝てて
そのことに気づきもしないみたいな
あの時間の間隔が一番
ポッドキャストの意味
いいなって思うんですよ
思うんですけど
なかなかそういうところまで
徹夜とか僕したことないんで
そんなに疲れたくはないな
っていうのを今は思いますしね
この起点意識しない
っていうのは本当に
良いワークだと思います
先ほど私がちょっと前に
喋っていたような
つまり
在り方みたいなのに近づくには
一番これが必要なんではないかと
前タスクシュートやってて
起点忘れるとかって
無理だろって思われると思うんですけど
起点は忘れられるんですよ
これは
誰にでもできることではないかもしれないんですけど
タスクシュートで開始時刻を
押して
数秒と経たないうちに
その何時に押したとかは
頭から消えているんですよ
これぐらいにならないと
絶対に押し忘れがないっていう
のってなかなか実現しない
と思うんですよね
ほとんど無意識に押してるぐらいじゃないと
だからこれはですね
人にオススメできないんですよね
このままの形では
ほとんど無意識に
開始時刻を押すぐらいにならないと
なかなか絶対に
押し忘れないだろ
押したらすぐ忘れちゃうだろっていうような
芸当にならないと
これ芸当みたいになっちゃってるんですよね
これをうまくお伝えできると
いいんですけどね
私タスクシュートやってて
これもつい先日も
喋ったばっかりなんですけど
時間っての番地だって
本当思うんですよ
1丁目1番地の3みたいなやつで
今も8の0号みたいな
空間に
つけられている
ラベリングでし
かないんですよね
この間の経過しているなんとかとかは
本当にナンセンスな感じしかし
ないんですよ
ある時は
ある時なんですよね
その空間は805だった
次に見た時は827だった
っていうそういう番地なんですよね
これはね
これが僕は正確だと多少
思ってるんですよね
地球動いてるから時刻って決まるわけじゃないですか
地球動いてるってことは
そこを宇宙空間の中で
右も左もないから測れないんだけれども
位置付けってものに
変化が起きていることは
一応確かなんですよね
相対的な位置付けの変化ってものが起きてるの
だからこれ番地だと思うんですよ
その番地の
どこの番地で
その行動の
開始というものが
意識されたかみたいな
話をしているのであって
よくクラウドさんもおっしゃる
時間を帯状に捉えること
これは関係ないんですよね
本来は
こういうふうに思うんですけれども
ただこれをそう思ったからといって
そういうふうに
使いましょうっていう
タスク修道と宇宙論みたいになっちゃうんで
それはそれでおかしいかなとは
思うんですけれども
大げさかなと思うんですけど
でも終局的には
そういうことを意味しているはずだとは
思うんですね
えーと
とにかく
起点を意識しないっていうのは非常に
良くて
起点意識しないといっても
しちゃいますっていう場合に
どうするかというと
今始めたことにするっていう
クラウドさんがおっしゃってたのはそういう話で
あれがまさにいいと思うんですよね
例えばこの番組も
リセットと疲労について
今始めたことにする意識の上で
この番組を開始したんだと思う
そうすると
とても楽になれるんですよね
変なもんなんだけど
でも考えてみると変なのは
積み重なったという
感覚の方なんですよ
あのーそうだなー
私お寺にいたんでですね
子供の頃リンゴ磨きっていうものをさせられて
いつまで経っても終わんないなーという
リンゴ200個ぐらい
磨くんですよ
綺麗になるんですよめちゃくちゃね
なんかこうルビーのように光り始めるんだけど
200個磨いていたいかというと
そういうわけではないのでね
リンゴ磨きっていうのはしてたんだけれども
いやこれで
150個目だとかやってると疲れるんですよ
でも考えてみると
不思議なんですよ
200個やって終わったーと思って
ゲームとかするとすごく楽になるじゃないですか
あれおかしいと思いません
もしリンゴを磨いた
数の分だけ疲労が蓄積されているのであれば
200個磨いた後
何をしようと
200個磨いた疲労プラスゲームとかになって
疲れば溜まる一方のはずなんですよ
そうはならないですよね
多くの場合
これって
つまり
200個磨いたことを忘れさえすれば
実はその疲労というものは
かなり心理的なものだったということに
気づくんですよ
気づけるんですよね
これを多分くらどのさんは
おっしゃってるんだと思う
そういうワークなんだと思うんですよ
特にですね
長時間続けて疲れたと思ったら
即その場でリセットをかけると
なんなら
そこが変だと思うんですけど
そこでタイマーかけても
面白いんじゃないかと思うんですよね
会社に来ましたと
来てからかれこれ5時間です
すごい疲労困廃ですとなったら
タイマーをリセットしてゼロに戻すと
今来たことにする
ファン部がそういうことだと思うんですよね
それはおかしいと思われるかもしれないけど
だったらですね
会社を出た時に
どうして疲労が飛んだような日が
少しでもするのかと
する人いっぱいいると思うんですよ
出た瞬間ああやったみたいな感じで
でもおかしいじゃないですか
会社に8時間いて7時間59分の
この時はもう疲労のピークでしたみたいな
出た時は8時30分
8時間30分後で
うわもう楽になったって思うけど
人は
今まで蓄積されていた8時間分は
疲労積積分になるじゃないですか
もしそんなことを言うのなら
私はそういう風だったんで
心理的な疲労と罪悪感
出た瞬間に
一気に体が軽くなるみたいな
それおかしいですよね
その体の重さはつまり
全部心理的なものなんですよ
本当に疲労蓄積分はあったと思いますよ
身体的な
でもそれはその時意識していたものに比べると
はるかに少なかったんだと思うんですよね
本当に体が疲れていた分ってのは
ほとんどが意識に
一心理的なもので
それはつまり
時間の積み重ねているものを
意識しちゃうからいけないんですよ
だってですね
もし疲労というものがどんどん蓄積
時間と共に蓄積されるんだとすると
私はもう49年分の
蓄積でネロペロで
たぶん立ち上がることもできないと
思うんですよね
私はこういうアプローチで
抑鬱的な状態って
説明すると非常に興味深いなって
思います
抑鬱的な方というのは
時間の積み重なりというよりは
罪悪感の積み重なりなんだけど
その罪悪感が
積み上がっている重荷に
耐えかねて起き上がることも
できなくなっている感じなんですよ
だけどそれは心理的なものですから
だって罪悪感ですから
感ってのは
その人にしか意識できないから感なんで
他の人がその罪悪感ってものを
少しでも意識するのは無理じゃないですか
だからそれは実態は
ないものだから
飛ばすことはできるはずなんですね
その人の責任感とか
そういったものが邪魔をするんだけど
その邪魔さえなければですね
一発で飛ばすことができるんですよ
だからこの時間の
帯状に見るっていうのをやめるっていうのは
すごい大切な話なんですね
私はそれと
あり方ではなくて
あることなんだけど
あることの価値ってのは
多分等しいと思うんですよね
つまり
私は生きてるんだから
もう目的は達成したってところで
過去の全てに関しては
完了したと完了済み
時間の概念の問題点
っていう風に見出してしまって
いいんですよ
このことをリチャード・バックという
カモメのジョナさんが書いた作家さんが
イリュージョンってまたこれもそういうタイトルなんだけど
イリュージョンという小説の中で
書いてるんですよね
これまであなたが
何か言われてちょっとくじけそうになった時は
こう言いなさい
私は全ての義務をもう果たしました
そういう風に言えっていう言葉が
あるんですけど全く僕は
あの通りだと思うんですよね
全ての義務はもう
果たし終わったんですよすでに
この瞬間には
そうじゃないと
現実に何か欠落した部分がある
現実ってないじゃないですか
なんかここの空間だけぽっかり
穴が開いていて見えないみたいな
そういうSFみたいな世界ってないじゃないですか
現実ってのは常に完成されてますよね
私たちもそうじゃないですか
生きてる時には生きてるなりに
現実ってのは
常に完成されているんで
量子力学と現実
多分私たちは
これもなぜかタスクシュートでよく説明しちゃうんですけど
やるべきことは全部やってきているんですよ
大体これと
ディスカッションになっちゃう時
議論になっちゃう時ってのは
いやいや私はまだ義務を果たせてないし
このままでは未達なことばかりで
深刻な問題を引き起こすんです
っていう話をされる
というのは
今のことを全部備えると
自分は完成されているんだけれども
未完成だと信じたいんです
っていうように
おっしゃってるように聞こえるんですね
私はそんなことを
望むはずは本当はないんじゃないか
と思います
だから
リセットするっていうのはすごく良くて
なぜならリセットは事実だから
私は
この感覚を得るのに若干
抵抗が発生した時は
もっと極端な真似をして
今この瞬間何かを始めた
ではなく今この瞬間私は生まれた
にしちゃうんですね
これってそんな事実ではないだろう
って思われるかもしれませんが
量子力学ってやつね
的に言うと事実だと思うんですよね
あれはその瞬間その瞬間
ごとに現実の在り方
決まってるっていう考え方を取ってますから
あれそうなんですよ
月とあなたの位置関係は
あなたが月を見るまでは決まらない
っていう考え方なんですよ
ただ大きなもの量子の世界では
本当にそういうことが起こるんだよ
つまりこの電子がどこにあるのかというのは
観察する瞬間まで決まらない
ランダムに決まらないんですよ
その近くにいたとかいないとか関係ないんですよ
それは観測可能な話なんですよ
つまり事実なんだけど
電子がいっぱい集まってできている
大きな物体は
あんまり次に現れる
空間の位置が
極端に離れたところにはならない
っていう法則があるんですよ
だから確率の問題なんですよ
あくまでもものすごい高い確率で
同じような場所に再現
再現を出現するけれども
あくまでもそれは確率の問題なんですよ
全然違うところに行っちゃってるかもしれない
ということですよね
そういうことは実際には起きないんだけど
確率が低すぎて
だから私はこの瞬間に
生まれましたっていうのは嘘ではないんですよ
さっきの瞬間と
この瞬間の間に
なんていうんですかね
テレポーテーションなんですよね要するに
そういうことは瞬間移動ということ
ものすごく量子の小さな世界では
現にそういうことは起きているので
ただそれが
バカでっかいから量子の世界から
見るとバカでっかいから
再度ほぼ同じような場所に
出現しているその可能性が
その確率が極めて高かったから
ほぼ100%そこに再度
人生の自由度の高さ
出現しているんだけど
そういうふうに
その法則の観点から見ると
今この瞬間にここに
現れたっていうのは嘘じゃないんですよ
私そのこと
最近はすごく意識するように
しているんですね
そうすると何がいいんで
まず全然疲れずに進みますよね
あと過去からの
整合性を取るとか
そういう話はもう本当に
全くナンセンスな感じがしてくるので
えらく自由になれる
感じがします
これもさっきのと同じで
そうは言っても人間社会に生きているから
ほぼ同じような
つまり人が想定している私の姿
っていうのがあるから
ほぼ同じような活動を
確率で再現するんだけど
それはあくまでも確率の問題だと
そういう話ですね
だからここまでややこしい話を
申し出さなくてもいいんですけど
カップラーメンとタイマーの話
カップラーメンの
スタートを
タイマーをスタートするのを
忘れるというのは
私はとってもいい方法だなと
カップラーメン作るときはダメですけどね
いい方法
いいワークだなというか
ワークなのかなこれはでも
ご視聴ありがとうございました
39:18

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