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2023-02-10 30:05

【735】100チャレ編 現実に計画を押しつけない

「現実的な」タスク管理をしましょう

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おはようございます。キクセラピー、今日は100チャレ編をお送りしたいと思います。
2月10日、金曜日9時ですけれども、要するにこれを撮って出しするという予定ですね。
100チャレ編というのはですね、現在私、知恵松崎さんと一緒に100日チャレンジというものを主催しておりまして、
こちらでですね、タスクシュートにこれから取り組みたいとか、以前に挫折しちゃったといった方向けに100日間チャレンジしようというところから始まりまして、
現在ではですね、タスクシュートのみならず、タスク管理一般のことも、タスク管理一般のチャレンジもしたいという方向けの一般コースというものも合わせて設けている。
一応こちらのですね、方向けに、こちらの方だけじゃなくて聞いていただいても全然結構なんですけど、こちらの方向けにポッドキャストを配信しているのを100チャレ編と名付けてやっております。
私、今週3回一応配信してるんですけど、月水金を目標にね、どの曜日に100チャレ編が入るかはわからないけど、週に1回予定。
もう一つがですね、今3カードという、これは岡野淳さんという方と添恵さんという方と3人でやっているノートのマガジンがあるんですけどね、
添恵さんと岡野さんは一応漫画家でして、漫画を書いてくださる。
私だけ素の文を書いてたんですけど、なんかちょっと最近素の文を書くのに、なんとなくこう、だれかむっていうのかな、ちょっともういい加減ちょっと飽きたかなっていうところがありまして、
10年、5年以上、フリーランスやってる間中ずっと私は物書きをしていたんですけど、物を書くのに飽きたというよりは、同じテーマでずっと書いていることにそろそろ飽きた、タスク修道いっぺんみたいなところありますからね、私は。
読んでいただく方にはね、タスク修道の話をさらにどんどん書いてくれっていう方がいらっしゃったら大変ありがたいんですけど、
私はもうずっとそれを書いてきたので、どうしてもね、まあやっぱりだれかむみたいなのかなというのがありまして、そっちでもこのポッドキャストを配信したらどうかと言ってくださる方が数名いらっしゃったんですよね。
岡野純さんが最初に提案してくださったんですけど、これがやってみたらちょっと意外に好評だったので、しばらく週3のうち、月3期のうちの一つは3カード。
こっち月500円とはいえ有料なんですよ。だから有料の方のみにお聞きいただける。
で、200シャレ編と3カード編と埋まると残り1個しかなくなるんですよね。だからこのキクセラピー一般編というのかな、そんな名前はないけど、一般向けには週に1回配信ということにしばらくなります。
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これね、私実は700回を超えて、全然飽きるとかだれるとかがなくてですね、今も喋ってる間中楽しくてしょうがない状態が延々続いてるんですよ。
最初の方はほぼ日間で、途中から平日日間に切り替えてやってたんですけど、これはね、ネタが尽きるとかではなくて、ネタはとっくに尽きてるんだけど、同じようなことをぐるぐる喋ってることも多々あるんですけどね、だから聞いてる方は飽きてる可能性はありますが、喋ってる私はですね、一向に飽きてないんですね。
同じ話ばかりする年寄りみたいで恐縮なんですが、そういう感じなんですよ。だから別に毎日に戻すとか週4回やればいいなと思ってたんですよ。
2023年はまた平日日間にするかぐらいな、なんならもう毎日にしちゃうかぐらいに思ってたんですけど、これは物を描くよりはですね、どこでもそこでもできないんですよ。
物を描くなら電車の中とかカフェにいたとしても描けるときに描けばいいんだけど、これをカフェで僕はやる気には絶対になれなくて、しかも最近マイクを少し選ぶみたいなね、今もそれをやっている、いろいろ私こういうのに詳しくないんで実験中だし、しかもお金があんまり、最近少しお金回りが若干増しになってきたから、だからマイクとかの機材を急ぎ取り揃えようと頑張ってるんですけど、
やっぱり出先では仮に静寂な場所でこれをやって差し支えない場所に恵まれたとしてもですね、ちょっとマイクがそこに持っていけるようなものは持ってない。
素手取ってみたりするんですけど、iPhoneとか、すごい音質としては落ちる。聞いていて結構これはダメだろうな、前はそういうので平気でやってたんですけどね。
で、こうなってくると、物を書くのに比べるとですね、やっぱり場所と時を選んじゃうんですよね、音声収録は。
例えば、さっきもあったんですけど、不意に電話がかかってくるということも絶対ないわけではないんですよ。
そうすると、物を書いている最中なら電話に対応して即座に続きを書くということが私は一応できるんだけど、これはね、そうはいかないんですよね、やっぱりね。
途切れると繋げるのがなかなか簡単ではない、それも今盛んに挑戦中なんですけどね、細切れでも収録できるようにしようということで。
だけど前に何喋ってたか思い出せないから、聞き返すとなると結構ね、手間なんですよね。
上げてもいない物をまず聞き返してからまた上げ直すと、その間更に電話でもかかってくると、もうなかなか目も当てられないと言いますか、でもそれでも構わず頑張ればいいんですが、
さすがにちょっとやっぱり物を書くのに比べて取り回しが悪いというか、そういうことがありますので、どうしても日刊には戻せないなと。
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ついでにですね、今日はここから本題に入って軽くいこうと思ってるんですが、その前にCMをしたいんですが、いきなりここでCMかよって感じですけどね、
明日ですね、橘隆さんという方とクロストークというのをやるので、まだまだというかとにかく、私はこれで今メインの告知をするということにだんだんなってきているんですが、
クロストーク、企業体制という本を出された、企業メンタル体制かな、出されておりまして、そちらの本のお話を橘さんがされて、
私はその企業メンタルといったものについてのお話をね、多分不安というのがあると思うので、これとの取り扱いみたいなお話をしたいと思っていますね。
ぜひ明日、来ていただける方というかオンラインになってお申し込みいただければと思います。
で、今年は忙しいんですよ。平日日刊とか本当にとんでもなくてですね、
今のところ私はこう、自実家の方に頻繁に戻り、家族もそういうの、私のというよりは家族の様子なんでね、
合わせるように動かしていたら、非常にレギュラーで、非常に大変なんですよ。
で、向こうに行ってこれができるかというと、向こうに行くとがぜんやりにくくなる。まあそもそもマイクがないしね、マイク買わなきゃなんだよな。
持ち運びできてこれと同じ性能に近いとなってくると、高いんですよね結構ね。
で、果たしてそれを今後どれぐらい持ち運ぶのかっていうことを考え始めると、もう買えなくてですね、そういう諸々があるわけですね。
というわけで非常にイレギュラーな日々を送っておりまして、そこへ戻ってきて体調を崩したり、なんかまあこれイレギュラーな日々を送ってたせいなんだろうけれども、
偉い北方とかに行って戻ってきてですね、体調を崩したりしてですね、全然こう収録がする余裕がどこかしこにあるわけではないということがだんだんわかってきてですね、
週3日が今のところいいところだなと。その日に撮ってみたり、土曜の夜に撮ってみたり、あれこれしてやっと週に3日分を確保できるというのが現状なんですね。
これが現実であるといったところ。で、ここの話を今日はしてるんですよ。つまり、タスク管理というものをですね、やっぱり考えていく上で、先にどうしても決めてしまうという、言ってみればですね、
それがそうであって当然だというのがもう染み込んでしまっているんですね。
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そのタスクシュートというものもそうですし、今日は一般のタスク管理であってもいいし、私の考えではですね、先に決めることほど事態をややこしくする要素はないんですよ。
先に決めてしまう、例えば平日日間にするぞみたいなのを決めてしまうことによる、ありとあらゆる弊害がタスク管理というものを簡単にダメにしてしまう。
でもこれをですね、うまくいかないとき、平日日間が例えばうまくいかないじゃないですか。そうすると、例えば自分を責めるというのが一番やりやすいやり方ですよね。
平日日間できたはずなのにできなかったらダメじゃないかというふうに自分を責める。これにどうしてこういうおかしなことが起きるのかと。
これは平日日間と決めさえしなければ、そのようなダメな自分を責めるということはせずに済むのに、わざわざこれを作り出して自分で自分を責めるネタを用意すると。
この辺に私はね、カウンセリング心理とか臨床心理とか心相心理という問題を持ち出してきて考えたりもしているんだけど、そういうことをしなくてもですね、要はこれをやめればいいと言いたいわけですね。
先に想定を作り出さなければ、そういう基準、平日日間しなければならないという基準を作り出さなければ、この問題は最初からなかった問題なんですね。
これを言っても、私が何度言っても全く受け入れられないというぐらい、すっかりこの発想は定着している。
だからしょうがないので、私は例えば一つのアプローチとして、そもそもその基準どこから来たんだっていうことをせめて問い正しましょうねと。
それが論拠がしっかりしていて、例えば平日日間がポッドキャスト、私の例えばリスナーさん、百数十名というふうになっているんですけれども、
これを毎日というか、少なくとも週3日聞いてくださっている方が百何十名もいらっしゃるというのは非常にありがたいことだと思うんですよ。
これあれですよね、だって会場に百何十名もいるって考えたらすごいじゃないですか。
なんか人気講師みたいですよね、予備校の。そういう講座ってありましたよね、予備校受験とかで。
まあいいんですけど、つまり平日日間にするとしろと百五十名中百三十名が言ってるって言うなら、それならお話は少しはわかるわけですよ。
それだったら平日日間にできなくてダメじゃないかと思うのも無理はないですよね。
だって百三十名もの方が私に平日日間にしろと言ってるんであるから。
だけど私が週3日にするとポツポツとフィードバックいただいて、週3日くらいじゃないと全部は聞けなかったからちょうどいいですねみたいなのが来るわけですよ。
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だとすると平日日間にすると決めるその根拠は何なのかってことなんですよね。
でもこれはタスク管理ではね、平気で私たちはやっているんですよ。
これは毎日やらないとダメだとか、これは今日中にやらないとダメだとか、絶対そうであるようなものはそうですけれどもね。
そうじゃないものがいっぱい混ざっているというケースがめちゃくちゃ多く見られる。
場合によってはですね、論根拠がはっきりしないタスクが9割を占めるなんてこともあるわけですよ。
その9割を占めるうちの半分を黙って根拠がないという理由で削除してしまってもまだまだ全然多すぎるんです。
私の考えでは根拠もなく他人が依頼しているわけでもないタスクは一つも入っているべきじゃない。
これは極論だっておっしゃる方がいるんだけど、私はとんでもないと思うんですよね。
これが極論であるはずがないと思うんですよ。
だってあれはやらなければいけないこと。
タスクシュートで言えば、タスク管理一般で僕は言いましたけど、タスクシュートで言えばね、
あれはリアルにやったことをベースにしなければ基本的にはならないと僕は思うんですね。
開始時刻を入れるところからタスクが開始されるんだから、そこから先のことっていうのは全部一応仮の予定ですからね、言ってみれば。
架空の話なんで。
例えば今日とか関東地方雪が降ったじゃないですか。
これでもう予定、今日レギュラーだと考えていた、毎日毎日やってるから実行確率99%だろうと言われていた、今日のタスクですよ、今日の。
明日以降のとかではなくて今日のタスク。
ですら多分大きく崩れるはずなんです。
これを崩れたって表現するじゃないですか。
乱れるとか崩れるとかポンポン出てくるんですよね。
なぜ乱れるとか崩れるっていう風に考えなきゃいけないかというと、そこにタスクリストがあったからなんですよ。
なければこれは崩れても乱れてもいないんですよ。
雪が降っただけなんですよ。
そうじゃないですか。雪が降っただけじゃないですか。
なぜこれが崩れたとか乱れたとか。
つまり正って言いますよね、正解の正ですよね。
正のリストここにある。
でもそれは自分で勝手に決めたリストなんですよ。
これっていうのは私はですね、はなはだある意味では人間の傲慢だなって思うんですよ。
だって現実にこの地球に雲があって雪が降ってくるっていうこの極めて強烈な、強烈なというのかな。
強力なというかカッコとした現実が行動を変容させているのに人間の側の。
私の頭の中で作ったこのリストの通りに世界が動くことが正しいって言っているわけだから。
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これってすごい態度だと思うんですよね。
作ってる人がキム・ジョーンだって言うならばかなりのことは言えると思うんですよ。
でも先日もね、昨日の夜ニュースでパレード見ましたけどね。
ああなりますからね、これを実現してしまうと。
私はあれを見ているとやっぱりグロテスクだなってちょっと思うんですよね。
人の国のことですけどね。
どう考えても人の頭で作った現実をリアルな現実に押し付けていくと
ああいうふうになるんじゃないかなって感じがするんですよ、ちょっと。
私のリストは所詮小さいリストですし、
私の権限はごくごく関東の西のほうの地図上で表すとミリにも達しないレベルの現実だからいいと思うんだけど。
でもやっぱり現実に自分の意思を押し付けるというのは、
よほど考えるべきことだと思うんですよね。
本当にやるならば。
そして多くの場合失敗するんですよ、それをやろうとすると。
権力ないからね。
ので、できればですね、やっぱりまずそこに何かの基準を作るというのは
気づかないときはしょうがないんだけど、一切やめにしておくと。
気づかないときは今しょうがないと言いましたけど、
例えばですが23時には寝るんだとか決めると。
この話もほとんど突き詰めて話し合うと情報してはいただけないんですよ。
23時に寝ないと私調子悪くなるんですって必ず言われてしまうんですね。
でも23時に寝るっていうのは先にただ決めただけじゃないですか。
さっきの話と同じことをやっているわけですよ。
平日日刊でポッドキャストっていうのは変わらないわけですよ。
あるいは我が国が世界で一番強くなければいけないっていうのと同じなんだと僕は思うんですよね。
現実がそうじゃないのに、私の意思と私の願望ですね。
願望で現実がこのリスト通りに動かなければいけない。
私の身体を含めて。
そのようなことは通常あり得ない。
だから私は今イレギュラーって言ってた。
イレギュラーというのはつまりそれがデフォルトだってことなんです。
ここのところが逆転するんですよ。
レギュラーがデフォルトだって思い込むというのが僕らの悪い癖なんですね。
それは主にやっぱり現代社会の雰囲気というか社会の構造と、
多分工業化社会というもの。
金融業も多分にそういうところあるけど、すごく工業的なんですよね。
多分工業で作り始められたことなんだろうなと。
農業はここまで現実に押し付けようとしても、
やっぱりしくじりますからね。
ある程度現実と妥協感というものが得られないと。
妥協点を見出せないと。
多分これは工業化社会で急速に発展した発想なんだと思うんですよね。
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期限いついつまでで何日までにこうこうこうしてこういう工程でっていう。
PDCAみたいな考え方も完全に工業の考え方ですから。
我々はでも工業製品じゃないんでね。
タスクリストも工業製品のように作れば作るほど、
僕は必ず息苦しくなるか破綻するかのどっちかにしかならないという話を
いつもいつもしているわけですね。
さっきの23時に寝るもそうなんですよ。
23時っていうのは霧がいいとか、
明日になる1時間前であるとか、
そういう諸々の意味、自分が考えているところの意味で。
を中心に作り出した1つの勝手なルールであって、
23時に今日寝られるとか、寝るのが望ましいとか、
寝ないと明日が辛くなるといったその法則はどこにもないんですよ。
あると思うかもしれないけどないんですよそんなものは。
だからこの23時に寝なければいけないとか、
平日日間でポッドキャストを出さなければいけないというのは、
そう決めた瞬間からそれを破られる可能性というものが発生し、
現に破った時に自分を攻撃したり、
人を攻撃したり、電話をかけてきた人を攻撃したり、
仕事をたくさん振ってきた人間を攻撃したり、
あるいはずっとゲームをしてしまうというのと、
そういう自分というものを切り離して考えて、
そういうことをしてしまう自分を、
23時に寝たい自分がコントロールしなければいけないとか、
そういう発想になったり、
23時までに寝なきゃいけないという自分が、
実際に寝ることができた自分を褒めたたえる。
こういう時に肯定感というものを得たり、
あるいはそれを失ったりするという諸々の事象を生み出す。
ので、こういうことを本当はですね、
長々といろんなところでコメントしたり、
喋ったりしていきたいんだけど、
今言ったようなことを全部コメントすると、
たぶん毎回毎回3000時ってことになって、
多くの人がヘキヘキすると思うんで、
うんざりだと思うんですよね。
だからこうやって喋ることによって、
それの代わりにしようというふうに、
心がけてはいるわけです。
で、文章はもうちょっとこれを短くお伝えできて、
しかもですね、
誰も傷つかない形でこれをお伝えしたいんですよね。
なぜなら、これで傷つく理由はないはずだからなんです。
つまりこういうことなんですよ。
学校で算数、国語、理科、社会って書いてある通りに動けなかったからといって、
子どもがそれによって深く傷つけられたりする理由はないと思うんですね。
ところが、私が今、
子どもがそれによって深く傷つく理由はないんだから、
国語、算数、理科、社会をやらなきゃならないにしても、
別にもっとマイルドで曖昧でいいでしょうって言うと、
人が傷つくっていう世界が今出来上がってる感じがあるんですよ。
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一部かもしれないけどね。
結局この通りにやりたいっていう話が始まった時に、
どうすればこの通りにできるでしょうかと尋ねられていて、
で、私はどうやってもその通りにはできないですって答えてるわけですね。
なぜならば、世の中そうできてないから、
そして現実とはそうあるべきでもないから。
だけれども、そう言われると傷つくという話にだんだんなっていくんですよね。
これはめちゃくちゃ無理があると思うんですよ。
言うならば、うちにミニトマトを植えておいて、
まっすぐ伸びると、ちょっとでも曲がっちゃダメだという風に、
誰かが考えてて、まっすぐでなければないほど、
無理やりね、支柱って言うんだけど支柱に沿うように、
無理やり縛りつけてまっすぐにさせると。
でもまっすぐにならないんです。どうしたらいいでしょうって農家の人に聞いて、
いやまっすぐにならないんだよって言われて、傷ついてるような話なんですよ。
これは全くこの通りの状況が今生じている気がするんですね。
ある種のところでは。
まっすぐにならないんですよ。
だって一本もなってないし、なるようにできてないんで。
だからさっき言ったんですよ。工業製品ならばまっすぐにできるように、
支柱がまっすぐであるようにできるんだけど、
工業製品じゃない以上、そういうわけにはいかないんですよ。
だからどうしてもと言うならば、多少の矯正はできますよ、支柱使って。
でもやりすぎていいことは何も起こらないので、
なるべくやめておいた方がいいわけですね。
なるべくやめておくためには、最初からこの基準値というものは、
守るためのものじゃないんだと。
では何のためなんだというふうに尋ねられるんですけど、
それがタスク管理の話で言うならば、
リアルなタイミングというのかな。
リアルなログを獲得するためのものぐらいに
思っていただければいいと思うんですね。
つまり、頭の中とリアルは不一致だよということが分かればいいんですよ。
分かれば私たちは黙っていても、
リアルなものを作り出せるような、
あるいはリアルなそういう、
例えばこれのフォトキャストが週3回であるように、
リアルな結果を残しつつ、
自分のやろうとしているゴールを、あるいは成果を得るための方法というものを
無意識と他人と関係している他者と関係者との間で形作っていくように、
徐々に方向を付けることができます。
これを僕はタスクシュートと呼んでいるんです。
クラスのケイゾーさんという方は、
ウッドバイブスで総力と書いて、総力を上げるのを総力で、
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全て力と呼んだりしているんですけれども、
全力もそういえば全て力だなと僕は思ったり最近したんですけど、
要は総力なんですよ。
これと同じ意味じゃないかもしれないけど、
私の中ではおおむねこの意味なんですよ。
自分の無意識が強いんですよ結構。
だって無意識にサボっちゃうということをしてしまうから我々は、
自分で書いた通りになんかできないわけで、
その無意識、そして関係している人、
全てがそういう方向に協力してくれるように持っていける。
ただそれはリアルだからなんですよ。
自分が望んだ通りだからじゃないんですよ。
さっき北朝鮮みたいなお話をしたのはそういう意味なんですよ。
リアルな人を無理やりこの通りにさせようと、
例えばこのポッドキャストやってる間は絶対電話がかかって来ないようにしようという話を
始めてしまうと、そうすれば真っ直ぐになりますよね。
リアルに書いた通りになりますよね。
絶対勤力みたいなものが小世界であれ必要とするんですよ。
家庭内の某君みたいな人っているじゃないですか。
あれはこれを目指そうとするときに絶対に発生しなければならないんですね。
ってことはリアルじゃないってことなんですよ。
みんながそれをやることがそれほど苦しみもなくできるんだったら、
それは現実のことじゃないですか。
みんながこのポッドキャストを私が週に3回やるんだったら、
そんなに苦労することなく協力できるよって言うんだったら、
そこに暴力はいらないですよね。
それが暴力的になってしまう。
例えば毎日毎日週7回アップしなければいけないんだと、
お前らこの時間には絶対寝なきゃダメだと声を潜めておけと、
電話もかけて誰も来ないようになってほしいみたいな、
こういう願望で全部叶えようとすれば、
全部叶えることによって自分が書いたリスト通りに行動できると言うならば、
それは多分相当暴力的な何かを周りに押し付けないと無理なんだと思うんですよね。
例えば小世界だったら、
でも大概の人は私も含めてそんなにわずかな権力すら持ってないから、
この暴力が自分に向くんです。
そして自分を責めなければならない。
その自分は大変な思いをして、
そこで私なんかにご相談にいらっしゃると。
苦しくてしょうがないから、苦しくなくこれをやる方法はないかと。
だから私としてはお答えできるのはこの暴力をやめるしかないんですよね。
この暴力をやめないと苦しくてしょうがなくなってしまうと思うんです。
この暴力をやめるためにはリストを現実よりも先行させないこと。
リストを現実に対して優先させないことですよ。
そうすれば現実というものが通るようになる。
現実が黙ってても通るようになれば何も暴力いらないんで、
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強い力というのかな、それがいらなくなるんで。
そうするとしかし望んだ結果が出ず、
残念な現実を送ることになるっていう話になるんだと。
そこが現実に対する実はこの問題の一番根深い問題。
現実に対する不信感っていうものがあるんですよね。
現実のあるがままの自分、つまり工業製品じゃない自分として振る舞い、
普通の現実に通るような行動をとっていたのでは、
人生の質が低下するっていう考えっていうのは、
つまり現実よりも自分の頭の方が優れていて、
自分の頭に沿って現実を書き換えなければ、
残念な結果をその主体は享受するという話をしているわけですよね。
これはつまり現実に対する不安と不信が根深いってことだと思うんです。
だから書き換えなきゃいけない。
そして工業製品のように改善しなければいけないという風に考えられている。
最終的には僕はやっぱり自然界を見ましょうと。
あとは生きている自分の、今この身体感なんですけどね、私の中ではね。
今自分が、例えば心臓が脈打っているみたいな、呼吸をしているみたいな、
こういうものを実感してみて、これって結構すごくないかと。
これは作り出せるだろうかと。
呼吸しているこの感じね、心臓とかをずっと動かしていると、こういった感じ。
これを自分で作り出そうとして作り出せるもんだろうかというような問いに戻って、
そこに至っていくんですよね、私は最終的にはね。
今自分がここで生きているってことなんですよ。
なんつうんですかね、これはなかなかすごいことだと思うんですよね。
私が書いたリストなんかよりもはるかにすごいものだと思うんですよね。
ここはもし逆に見えるという方がいらっしゃるんだとすると、
僕にはなかなかわからない。
私にはそうは感じられないんですよ。
自然をパッと見てね、今日もそうですが、水漏れが降ってますが、
やっぱりすごいな、自然ってのが。って思っちゃうんですよね。
これに任せていると自分のライフの質が低下するっていうほど、
つまり私のタスクリストを優先することによってこのライフをもっといいものにできるんだとは思えないんですよ。
最終的にはそこ。
ここはでも、いやこの水漏れは大したものではないし、
自分が書いている、今日青空で通勤電車に乗っている方がはるかに現実は良かったっていう話をされると、
ちょっとそこはもう感覚の差かもしれないなって思わなくはないです。
でも現実に不信感を持っている状況というのは、
はなはな厳しい世界だとは思いますね。
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