1. グッドモーニングボイス
  2. 自分の気持ちが損なわれてない..
迷惑とは他人の万能感を損なうこと

サマリー

今回のエピソードでは、パーソナリティの好心好愛的な性格や万能感について話されています。彼女の存在自体の価値を否定されつつあることを、ある種母子一体感と勢力が合流するところで取り戻そうという、そういう妄想なんですが、それに近い妄想を使わないと難しい気がしますね。万能感が傷つくこともあるのです。人の万能感を傷つける行為が迷惑行為であることについて考察し、自分の万能感を傷つけないように生活する努力をしています。迷惑行為について考えると、私は迷惑にならない限り何かをすることはありません。万能感が損なわれることによって行動する必要はありません。自分の気持ちが損なわれていないなら迷惑な行為などやるはずはありません。

完全無欠な存在
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
7月13日の木曜日、朝8時58分です。
ちょっと遅いんですよ、9時近い。
なぜかというと、これテイク2なんです。
久しぶりにやらかしてしまったというか、僕はしょっちゅうやらかしてますが、
いや、これはでもですね、一発撮りで納得ができないという久しぶりの経験で、
ほんと100回ぶりぐらいな、嘘かもしれないですが、経験で、
ああ、なんか久しぶりに納得いかないなと思って、38分さっき撮ったのを撮り直してるんですよね。
だから実は、最初のやつは7時40分ぐらいにスタートしたのがあったんですけど、捨てちゃいました。
あんまやんないですよね、僕はこういうことを。
こういうこだわりのない方の人間なんで、あんまりやらないんですけど、
これはやっちゃったな、久しぶりにと。
一つ原因としてあるのがですね、途中でね、やっぱ頭がホワイトアウトしたんですよね。
で、今日涼しいんで、ちょっと油断してたんですよ。
涼しいから今日は大丈夫だろうみたいな感じで、あまり暑さ対策を適当にして始めて、
最初は全然調子よくし、ガンガン喋ってたんですけど、
やっぱり喋ってると、だんだん熱が上がってきて、
気がつくと、何喋ってたんだっけみたいな感じになってですね。
そういう時、意外とうまいこと喋ってたりもするんで、いいかなと思ったんだけど、
ちょっと気になってやめました。
やめてシャワーを浴び直して、なんだりいろいろしてから、
水を浴びてきたりしてから、今撮っている次第です。
はい、えっとね、7月17日ですね。
こちらのお聞きの方で初めてという方は、あんまりいらっしゃらないと思うんですが、
7月17日の15時から、これももうさっきから2回目喋ってるんですが、
倉座の慶三さんとぶっちゃけ相談、リアル。
池袋から東武東上線でちょっとだけ行った上板橋という駅からすぐのところで開催します。
お値段3000円くらいだったと思うんですよね。
しかも食事もつくと。
この後懇親会もあるということで、しかもオンラインはないと。
オフラインリアルのみであるということで、ぜひ会場にいらしていただくと非常に嬉しいということですね。
はい、よろしくお願いします。
さてですね、さっき喋ってたようなことを、さっき途中でただ頭ボワーンとしてよくわからなくなっちゃったんですが、
冒頭で喋ってたようなことを、喋ろうと思っています。
忘れてたわけじゃないんですよ。忘れてはいないんだけど、
とっかかりをですね、なかなか思い出しきれないんですよね。
もうだいぶ2時間くらい前に喋ったことなんで、とっかかりはね。
そうそう、私のね、このポッドキャスト、グッドモーニングボイスを取り上げていただいたんですね。
Twitterでですね。
非常にこう、非常にありがたいということで、この話をさせてもらおうかなと軽く思いました。
僕が何回もこの番組でファンザファンザ言ってるのが多いなぁみたいな、そういう別に多いこと批判されてるわけじゃないんだけど、
いや何回言うんだぐらいな感じのお話で、これは聞いてる方は皆さんご存知の通り、
僕のジゾイド的なところから来るものなんですよ。
要は、僕のパーソナリティがね、ジゾイドというか好心、好愛的と言いますか、
なんかあったのかなと思うんですけど、要は口寂しいというのと、愛が足りないというのと、性欲がすべて合流してしまうんですね。
そのために、どうしてもこうなんていうんですね。
これは倉園圭蔵さんのグッドバイブスのミッドナイトラフザというポッドキャストを聞いていただけば、
この種の話はいっぱい出てくるんで、そっちで聞いていただければむしろありがたいぐらいなんですけど、
要は自分が完全無欠とか、価値マックスとか、要するに満ち足りた存在であるということを、
そう思いにくい、そういうですね、繰り返し自分が、これは私は価値マックスで、
現実には既存のないというのかな、足りないところのない存在、
足し引きできない存在だということは、僕は信じてはいるんですよ。
個人的な傷つき
これはですね、このこと自体信じにくいじゃないかって話は当然あるんだけど、
僕はそれを信じるのには、自然物を見ればいいと割と簡単に思ってるんですね。
例えば目の前にでっかい木とかがあったらですね、一発だと思うんですよね。
昔私、寺に住んでたってよく言ってますが、寺の庭にね、
私の父がだいぶ寺に入ってすぐケヤキを植えたんですよ。
で、私はなんで父はこうね、親父はこう木をやたら買ってきて植えてるんだろうというのを、
結構ちっちゃい頃は小バカにしてみてたんですけど、
やっぱりね、20、30年ぐらい経つと、そうかなるほどと思い知らされるんですよね。
ケヤキとか30年経つとすごいですよね。
実に美しくなるんですよ。でっかく大きくなるしね。
これを見に来るだけでも寺に来る勝つって出るなっていう。
こういうことはね、寺で経営してる人はよく知ってんだなって思いますね。
で、そういう木見て、これに何か足したり引いたりしたいなんて全く思わないんですよ。
ここが天然物のすごいところで。
人がやっぱり作ってないものっていうのはですね、完全無欠なんですよね。
で、死に際が素晴らしいんですよね。
人が作ってないものっていうのが多くの場合。
なんかこう、ハンダバシさんって方かな。
でもあれはちょっとあれなんだけどね。
泡ってあれじゃないですか。泡って自然物ですよね。
人工的にも作れるけど、自然の泡ってありますよね。
泡が消えるのと風船が割れるのを見ると、
人工物と自然物のこの、なんていうんですかね。
心に変な残り方をしちゃうのかそうでないのかの違いが感じられるみたいなことをエッセイで書いてて、
全くそうだなって思うんですよね。
うちじゃあやっぱりどうしてもメダカとか、そうじゃなくてもトマトとか死んじゃうって書かれちゃうんだけど、
やっぱりですね、すぐに消えてしまってなくなって、変な残り方をしないんですよね、自然物って。
ああいうところが自然物はすごいという。
すぐに自然と一体化していけるという。
こういうのを足したり引いたりできないなって思うんですよ。
私自身天然物ですからね。
誰か最新のGPTとかが僕を作ったわけじゃないんで、
昔火の鳥でありましたけどね、テラエとかでもありましたよね。
人工カプセルみたいなので人を作るみたいな。
僕そういうふうに作られたという話を聞いたことがないから、多分天然物なんですよね。
だから足したり引いたりできない存在なんですよ。
これが今日の話のポイントの一つなんですけれども、
完全無欠であるということを僕は信じているのに疑う時が多々あるんですね。
これが僕の中では好心好愛的という口に愛する、口寂しくなりやすいパーソナリティを、
口が寂しくなるというのはおしゃぶりの時代なんですか。
おっぱいを含んでいる時代。
この時代に遡っちゃうということは、こんな時に何かあったと考えられるというのは、
信じることへの疑い
よっぽど何か変なことが起きてたんだろうなって思うんですよね。
こういうのを好愛的パーソナリティって言うんですよ。
好愛サリズムと言ったりもしますね。
嫌なことがあるとおっぱい噛んでやるみたいな。
僕は多分爪噛む癖ってあった子なんで、
爪の形が小さい頃気がついたらいびつで、それをきっかけに治っちゃったんだけど、
そういうのがあるんですよね。
好愛的っていうのは調べていただくとすぐ出てくるし、
何の自慢にもならないようなパーソナリティなんですけど、
ファン座を見て万能感を取り戻したくなる。
万能感と裏園さんの言う価値マックスで書けるところのない存在。
イコールじゃないんですけど、
ここで簡単に説明すると、
僕らは多分木と同じで天然物として完璧な存在だと僕は思うんです。
これは裏園さんがおっしゃってるところの完全無欠で価値マックスってのの土台のようなことを思うんだけど、
この感覚を人間社会に出ていくときに持つのが万能感なんです。
万能的空想とも言うんだけど、そういう空想なんです。
僕は人間は空想を持って生きている生き物だと思っているので、
仏教はこれを否定するんだけど、
でも僕は人は空想を持って生きていくしかないと思っているので、
持つべき空想は唯一万能空想だけだと思うんですよ。
万能空想っていうのは一番簡単にわかるのがですね、
地球の中にいたときの私なんですよ。
地球の中にいたときの私って万能空想を持ってたと思うんですよね。
だって欠けるところがあるはずがないじゃないですか。
まずご飯食べる必要ないですか。
栄養を補給される。
解説もいらない。
何かを考える必要もないし、
立って歩き回るとかも必要ないわけですよ。
まさにこう完全無欠なんですよね。
だけどそれ、無能じゃんって人は言うじゃないですか。
この無能じゃんってところに万能感はですね、
完全無欠でカジマックスと違って、
万能感という主観的な空想は傷つく可能性を秘めてるんですよ。
傷つく可能性は秘めてるんですね。
カジマックスなんだから、
人間社会に行ったって万能だと思っていっていいんだし、
現にそう思ってないといけないんですけれども、
これは残念ながら、
他の人もその通りに見てくれるとは限らないですね。
ここに人間の生きる上での面倒くささといいますか、
厄介ごとのひとつが、
かなり原理的な厄介なポイントがあると思うんですね。
でも僕は万能感は確かに傷つくものなんだけど、
傷ついたっていいんですよ。
なぜかというと空想だから。
空想が傷ついたって、
所詮それは空想が傷ついただけのことだから、
すぐに復旧できるはずなんですよね。
これが復旧できないというのは、
つまり万能感を傷つける空想というのは、
万能感自体が空想なんだけど、
これをダメにする空想というのは、
自分の中で一生懸命やっているから、
万能感が戻ってこないと私は思うんです。
万能感というのは、
もともと持っているものだから、
死球の時にいた時に絶対僕は持っていたと思うんです。
持っているものだから。
取り戻すことが困難なはずがないんですよ。
で、ファン座を必要とするわけがない。
なのに見に行くというのは、
私が何かわけのわからない空想にこだわっちゃっているから、
昔お母さんにおっぱいを吸っていた時に叩かれたとかね、
覚えてないですよ、もちろん。
あったかどうかも分からないですよ、そういう事実がね。
でも私がお母さんに一生懸命愛を示しているのに、
うちの母ならちょっとやりそうだなと思うんだけど、
うるさやねとかって言われたと。
そういうことがあったかどうか知らないですよ。
覚えてもいないし、
もはや確認もできないからね。
でもそういうようなことがあって、
私が昨日ノートにも書いたことなんだけど、
ジゾイド的な傷つきというものを抱え込んでしまった。
それ故に自分が万能だという感覚を、
要するにこの抱え込んでしまったジゾイド的な傷つきが邪魔してるんですよ。
生い茂る環境下での万能感
私が万能かもしれない。
万能的な空想すら持てないようでは、
自分が価値マックスだと心から信じるというのは
非常に無理があるわけですね。
いやもう無能ですから自体に。
無能っていうことを言うってことは、
全然価値マックス感がないじゃないですか。
で、今地球の中の状態って言った通りで、
いやそんなのだって無能じゃないですかって言うってのは、
一点正しいようで、実は全然正しくないと私は思うんですね。
こういう種のことをさっき言ったミッドナイドラグザってところで
倉園さんがいろんな形でお話しされていらっしゃるので、
そっち聞いていただいてほうが分かりやすいんじゃないかなと思うんだけど、
ここを聞いてくださってる方は僕の話なんで、
僕なりの喋り方をしますが、
地球の中にいた時に、
例えばですね、
いやだって、
例えば万能といえば大谷翔平とかだと、
そんなね地球の中にいる若ちゃんが、
打球速度180km、
推定飛距離160mのホームラン打てないでしょうって言われるかもしれませんが、
打たなくていいじゃないですか。
というか打っちゃまずいっしょ。
地球の中にいるんだから、
はっきり言えば歩き回れるという能力すら邪魔なんですよ。
余計なものなんですね。
つまり能力があれば万能だってことにはならないんですよ。
能力ってのはしばしば、
その人の環境においては邪魔にしかならないというケースはあるんですよ。
やっぱり。
私今思い出したんですけど、
小さい頃に、
小学校1,2年の頃に、
ある男の子がね、
すっごいよく怒られてて、
あなたはね、
黙って座っていることもできないの?
って言われてたの。
よく言われてたんですよ。
今思い出したんですよ。
で、
そんなこと言うのもどうかと思うんだけど、
彼は要するに活発だったんですよね。
運動神経抜群で、
黙って座っていることはできないんですよ。
なんか規制を上げるとか、
走り回るとか、
隣の女の子の消しゴム盗むとか、
そういう能力に長けて邪魔になるわけですよ。
そういう能力は絶対に。
黙って座っているためにはね。
黙って座っているってことを求められている空間、
というか状況においては、
邪魔になる能力になるわけですよ。
で、私はそんなことは容易なわけですよ。
全然元気ない子供だったから、
黙って座っていられるんですよ。
小学校1年で、何時間でも。
でもこれは能力なのかっていうと、
非常に微妙ですよね。
そういう僕のような人間は今度はですね、
なんか違う空間に連れて行かれたときに、
「あ、それ聞こえたぜ!」とかって言われるわけですよ。
もっと声で出るのか、みたいなことは出ないんですよ。
私そういう能力持ってなかったから当時は。
小さい声なら出るんだけど、
隣の子が教室中で
全く求められていないのに
常に規制を発揮するような
あの能力は僕にはないわけです。
万能感ってのは何なんだってことなんですけど、
万能であるということと、
何でも全部他の人ができる
MAXの能力でやれるってことは
何の関係もないと僕は思いますね。
だから、必要な能力だけを発揮できれば
十分だと考えるならば、
大体の人は僕が思うに
万能感というものを持っていて
何ら差し支えないぐらいには優秀なんですね。
ここで必要とされている能力を
発揮できるという意味においては、
私たちは多分ですね、
置かれている環境との関係は
余計なジノイド的不安とかね、
欲打つ不安とか、
破滅してしまう心配とか、
路頭に迷う心配とか、
これはまあ、いわゆる
鬱における貧困妄想ってやつなんだけど、
そういう余計な妄想で
自分の目を眩ませなければですね、
与えられた環境で十分
万能にやっていく。
という、子宮にいる赤ちゃんは
子宮の中にいられる能力さえ持っていれば
十分なんですよ。
僕らは結局、酸素が多く、
植物いっぱい生い茂ったから、
酸素が多くなったところで、
いわゆる肺呼吸できるようになったから、
ここで万能なんです。
同じ能力を持って月とか行ったら
すぐ死んじゃうじゃないですか。
そういう風に、どんな環境でも
完全無敵だっていう話とは違うんですよね。
万能化は。
十分、今の状態ならやっていけます
っていうので、十分なんですよ。
僕はこれをいつもいつも、
それこそタスクシュート教会とかでね、
いつもいつも言ってるつもりなんですよね。
あなたは今のままで十分じゃないかと。
何も、やったって別にいいんだけど、
朝から筋トレとか朝活とか、
中国語の勉強とか、
自分の時間に自己計算とかしなくったって、
全然いけてるはずなんですよ。
酸素があるところで
肺呼吸をしておけばいいんですよ。
これだと流されるままだとか、
あるがままでダメだって話、
ここから繋がってくるんですけどね。
ツイッターでハンザーの話を取り上げた方も、
何をやってもいいのかもしれない。
だから佐々木さんがハンザーを好きなだけ、
好きな時間に見るのは結構なんだろうと。
どうせ誰にも迷惑かからないから。
この条件をつけちゃうんですよね。
他の人に迷惑をかけないという条件で、
何をやってもいい。
これがね、
非常に良心的でいいことなので、
これについて何かを言うっていう必要は、
僕は感じないんですけど、
確かにそう言われてますし、
そうだよなって思うんですよね、私たちは。
特に日本語における迷惑って言葉のパワーは、
強いなって思いますね。
迷惑行為とかっていう、
迷惑行為っていう四字熟語は、
ちょっと造語臭いなって思うんだけど、
それはどうでもいいことで。
迷惑かけないってのは、
なんかね、
むやみなパワーを持ってて、
迷惑との関係
ほんとちょっと禁止にしたいなって思っちゃうんだけど、
それもすごく勝手な言い分ですからね。
迷惑、迷うに、
惑は惑星の惑ですから、
迷うに惑うですか。
迷う、惑う、恋。
ね、あの、
カラスにね、
ゴミ箱が荒らされていて迷惑していますみたいな、
ああいうやつですね。
この、僕のツイートに、
僕のポッドキャストを引用してくださった方なんかも、
絶対そうだと思うんですけど、
迷惑なんかかけないんですよ、
人に。
その方はもう絶対僕は、
人に迷惑をかけるような方だとは、
とても思えないですよね。
だってさらにその上、自分に課税かけているじゃないですか。
何をしてもいい、でも人に迷惑をかけてはいけない。
こういう人が、
人に迷惑をかけるはずがないと思うんですよ。
で、こう思ってほしいというのが、
まあその、
それこそ100日チャレンジとかね。
私の話、喋っている時に私は、
うまく伝わってないかもしれないけど、
誰も、皆さんここにいる人は、
えーと、それこそ精神分析で言えばですね、
みんなこう、神経症水準、つまり正常者なんですよ。
人に迷惑なんてかけないですから、
何にも考えなくても大丈夫だからと。
あのー、その心配を、
えー、する必要はどこにもないと思うんですよ。
だから僕がファンザを見る未来とか、
うーんと、もしね、このポッドキャスでこの回数が多くて、
えーと、煩わしい、聞き苦しい、嫌だっていう方がいたら申し訳ないと思います。
それは、えーと、この場を借りて謝っておきますけど、
でも、この回数が減るとは僕は思わないですね。
訳があるんで、これは一時ナルシシズムとの兼ね合いで喋るんで、
ここをね、えーと、いや、何をやっても自由だから、
しばらくマリンズンと佐々木ローキンを応援してますよっていうのは、
このファンザにとって変えるものとしては、
僕としては非常によろしくないんですよね。
こっちにしちゃうと、あのー、
同じ含みはあるんだけど、
えー、全然一時ナルシシズムが響いてこないんですよ。
僕の中に。千葉ロッテマリンズの話じゃ。
つまり、えーと、万能感が取り戻したいわけです。
それはね、えーと、倉園三流に言えば、
簡単に取り戻せるものなんですよ。
だけど取り戻せないと。
だからファンザを見るっていうのは意味があるんですよ。
まあ、結局のところそれじゃダメなんだけど。
だから僕は最近実は見てないんですよね、言ってるほどは全然。
でも、一時ナルシシズムを取り戻す行為なんですよ、それは。
一時ナルシシズムを取り戻すために、
万能感が傷ついたから千葉ロッテの応援をしますっていうのは、
ダメなんですよ。響かないんですね。
同じなんですよ、はっきり言って。
同じなんだけど響かない。
そして人にもおそらくこれでは非常に響きにくい。
やっぱりこう、
存在自体の価値を否定されつつあることを、
ある種母子一体感と勢力が合流するところで取り戻そうという、
そういう妄想なんだけど、
そういう妄想はそれに近い妄想を使わないと難しい気がしちゃうんですね。
正当な批判の傷つき
そういうぐらい万能感が傷つくことってあるわけですよ。
やっぱり大谷翔平の半分も打球速度出ないしな、みたいな。
そんなことでは傷つかないですけどね。
だからそうなんだよね。
人は最近誰やら、ケンスーさんって方がツイート文章を書いてましたね。
誹謗中傷で傷つくわけじゃないんだと。
言ってみれば正しいことを言われたって傷つくときは傷つくよっていう話を書いていて、
非常にきちっと整理されて分かりやすいなって思ったんですけど、
要するにケンスーさんが書かれてたのは、
なんていうのかな。
彼は天然パーマらしいんですけど、
あれで天然パーマというのは恥ずかしいと。
あんなのは全然天然パーマとしてはなってないから、
もっと早く時期毛になりゃいいのにバカって言われても傷つかないと。
これは多分誹謗中傷なんだけど傷つかないと。
そうじゃなくて、ケンスーさんの書くものはこういうところがダメですと。
文章もこの点とこの点とこの点が読者に対して著しく親切で素敵説ですと言われると、
それが正しい指摘だとすると大いに傷つく。
どこにも誹謗中傷感はないけれども、正しい批判は人を傷つけますよねっていうことを書いていらっしゃってて、
つまりそれってですね、万能感の傷つきだと。
私の解釈ではそうなるんですね。
万能感と迷惑行為
ケンスーさんはそういう意図で書かれたわけじゃないからと思うので、
その辺は申し訳ないんだけど、僕の解釈では万能感が傷つくってことが問題なんですよ。
僕は本当に翔平さんのように打てないとか言われても全然傷つかないわけじゃないですか。
なぜかというとそれは僕の万能感と何の関係もないからですよね。
僕は僕がやらなきゃいけないとか思い込んでる。
私がこれでお金いただいてると思い込んでる。
これは全部思い込んでるだけなんだけど、
例えば本を書く能力があると思い込んでるわけですね。
これが万能感ですよ。
これは私は本を書く必要があるともまた思い込んでるわけです。
そういうふうに万能感というのは、
私が存在し生きていくためにこれとあれとそれが必要だと、
そして私は代替性ものを持っていると信じているのが万能感だと大体私は思うんですね。
おおむね空想なんですよ。
で、これを傷つけられる時にその内容が誹謗だろうと正当な批判だろうと関係ないっていうのは、
確かにケンスンさんのおっしゃる通りなんですね。
で、僕はこれを傷つけちゃいけないと今は思ってるんですね。
自分のも人のも絶対に。
で、迷惑行為というのはですね。
要はこれを傷つけるってことなんだろうなっていう気がするんですよ。迷惑なこと。
だから、傷つけない、僕らは迷惑行為なんてしないんですよ。
なぜかというと、なぜかというとじゃないな。
迷惑行為なんてしないと思っておいた方がいいんですよ。
思っておいた方がいいっていう方は非常にもうちょっと十分じゃないですよね。
迷惑行為なんてやっぱりしないものなんですよ。
迷惑をかけない限り何をしてもいいっていう条件をここに持ってくるということは、
私はある種の気をつけていない人とか油断していると迷惑をかけてしまうんだ。
そういう本性を持ってるみたいな。
この観点で万能感が既に傷ついてるんですね。
私、いろんな時々目にするすごいキッツめの犯罪みたいなのがあるじゃないですか。
最近でも急に強盗に入るとか。
みんなあれをすごく世上騒がせるほどのレベルでやっているすごい行為、
それこそ迷惑行為みたいなのをやってる方は、
みんな万能感がもう取り戻せないレベルで傷ついてるんですね。
だから、私は放っておくとろくなことをしないって恐ってると思うんですよね。
これは僕は大きな誤解だと思うんですよ。
私たちは子宮の中にいた時から、好きなことをしていいと言われた時に、
自分が万能であるということを疑いさえしなければですね、
子宮の中からスタートして、外へ行き育って成人して、お金稼ぐとか結婚するとかやるんだけど、
全部自分が万能だと思ってやっている限りですね、
他の万能感を傷つけたいとは絶対思わないと思うんですよ。
他の万能感を傷つけ得る存在だとも思わない。
夢にも思わないんじゃないかなって僕なんかは思うんですよ。
なんでかっていうと、万能感っていうのはそれほどいいものだからですね。
価値も高いし、気持ちもいい。
自分価値マックスでグッドバイブスの表現を借りると、愛そのものですか。
しないじゃないですか。
そのような満ち足りた気持ちになっている時に、わざわざ他人のこれを壊してやろう。
それはもうすでにそういうことを欠片ほどでも考えるということはですね、
自分が愛そのものだと思ってないっていう感じがするんですよ。
あるいはそれは自分が十分に満ち足りた存在だとは、
少しも思ってない時にしかできない発想なような感じがするんですよ。
一見したところ迷惑行為というものがあるかのように思われるかもしれませんが、
そもそもですね、こうやって考えていくと、迷惑行為というものは多分空想の産物なんで、
万能感自体が空想かもしれないですよ。
が、これは僕はみんなが最初携えて生きてきたし、
おおむね人が生き生きと活動している時は持っているものだと思うんですね。
これがわざわざ損なわれるような、
私は実は思うがままに行動すると人に迷惑をかけてしまうんですみたいな。
僕が定義した今の感じでいうと、
人に迷惑をかけるというか、人の万能感を壊して歩くんです。
そういうふうに思ってしまうということは、
その人はその前の段階からすでに自分の万能感が壊されてしまっている。
迷惑行為による万能感の傷つき
少なくとも一部既存している。
損なわれている。
その怒りがあると思うんですよ。
だって赤ちゃんに向かって、
いやお前全然ダメだから、そのままじゃ生きていけないよって伝わらないけど、
これ伝えたらめちゃくちゃ怒りますよね。
めちゃくちゃ泣きますよね。
万能感が傷つけられるというのはこれぐらいひどいことなんですよ。
だから私はこれを取り戻すためにファンザミルとかに
ここに飽きれるとか残念だと考える理由がない。
余地も全くないですよね。
ただ多分役には立たないんですよ。
これは残念ながら。
だから最近あんまり言ってるほどは見てないというのはそういうことで、
僕はもう万能感を絶対傷つけないように生きるような努力をしているんですね。
基本的に。
ほとんど傷つかなくなってきたというか、
すごく以前に比べて減ったんです。
寝て起きればまず確実に全部全回復できていて、
僕だから最近朝起きてて眠いとかありますよ。
6時間ぐらいしか寝られてない日多いんで。
眠いとかあるんだけど、
起きた時には自分は万能だって感じを回復ほぼ完全にできるように。
不完全にできるってことはないんでね。
完全にできるようになったんで。
朝起きた時は基本的にはもう嫌な気持ちで全然ないんですよ。
どうしても活動していると部分的に万能感は傷つくんですよ。
ズレがあるから。
僕は存在として赤字マックスなんですけど、
僕が持っている万能感そのものを主観として持ちながら社会活動をして、
それが万能に通じるわけではないので傷つくことは起こっちゃうんですね。
これはズレなんですよ。
私が私について考えている観点と、
あるいは私が私の人生とはこういうもんだと思っている観点と、
現実とのズレなんですね。
このズレはあって当然なんで、
あって当然だと信じることができれば本当は万能感って傷つかないんだけど、
僕はやっぱりそこを何とも信じる能力がある意味ちょっと損なわれたんで、
それこそそれが高愛的って意味なんですけど損なわれたんで、
ついついこれをやっちゃうんですよね。
妄想を持ってはわざわざ自分の万能感を傷つけたという妄想を抱いて、
傷ついたわみたいなそういう完全に妄想なんですよね。
これはもともとが空想なんですけど、
この空想に上塗りする妄想をしているんで、
本当に思考が正気を欠いていると思うんですね本当はね。
言うならばこれは全然正気じゃないと思うんです。
空想に妄想をかけて自分が傷ついた妄想を持つなんて本当にナンセンスの極みだと思うんだけど、
それをここまで考えて払拭しきれてないってところがこの問題の深みだなって思うんですよね。
でもそれでも私は自分が野放しにしたら迷惑をかけるなんて思わないですね全然全く。
迷惑ってのはやっぱり一番何が迷惑かって、
人の万能感をわざわざ傷つけに行くことなんですよ。
これをしたいとは全く思いませんからね。
子宮にいる若者に向かってお前はそうやってその無能さで生きていくことは絶対できないんだぞとかって、
知らせに行きたいと思いませんか。
これ何をしているかというと、
これをする人って僕はいないと思うんだけど、
でもこれに近いことをしたくなるケースってあるんですよ。
これは何をしたいかというと、
人に罪の意識を持たせたいんですね。
僕のこのポッドキャストの文脈で言うと反省させたいんです。
反省させると犯罪者になりますっていうのを押してでも反省させたい。
あの人はあんな事件を起こしておきながら反省の色も見えません。
みんなものすごい沸騰するじゃないですか。
何とかしてあいつに反省させなきゃみたいな。
反省させることによってその人別にお金の得もしなければ何の得もしないとしても、
それでもあらゆる犠牲を払っててもあいつに反省心を持たせようって思うんですよ人って。
これがエリフスコンプレックスだと僕は思うんだけど、
とにかくこれはつまり人の万能感を傷つけたくなるシチュエーションがあるぞってことなんですね。
すでにそんな何かをしでかした人は万能感傷ついてるから、
これ以上傷つける必要は絶対ないんだけど、そうは思わないんですよね。
いちぎるしくあいつが万能感を持ってるのがとんでもない。
これは必ずしも犯罪を犯したとかでなくても不倫していい気になってるみたいなのが発覚したときにみんなが始めるんですよこれを。
あいつは反省の色もなく今でもうまいものを食っていい気になってるっていうのを、
迷惑行為の犯人の万能感
要するにその人が万能感を持ってるっていうのは具体的な表現をしてるんですけど、
あいつの万能感をゼロにしよう、ゼロ能感にしようみたいな感じなんですよ。
人をゼロ能感にするということはものすごくひどいことしかそのとき起きなくなるんだけど、
全然そういうことを意味変えさなくなることがあるんですね、私たちってのは。
僕が思う最大の迷惑恋はこれなんですよ。
これをですね、自分が万能感を持ってるときにしたくならないんですよ、本当に。
全くならないですね。
さっき、カラスの家の周りにもあるんですよね。
ゴミの収集所にね、半透明の袋に網かけるんですよね。
カラスが手を出せないようにするために。
カラスは手を出すんですよね、頭いいんで。
で、なぜかこの網の外に動く人っていうのがね、最近いないんだけどいらっしゃるんですよね、時々ね。
これが迷惑恋ってやつでしょ。
これはなぜ万能感を損なうと考えられるのかというとですね、
片付ける人がもう本当にこう、なんて言うんですかね、
わーっと散乱している残阪みたいなものを見たときに、自分の万能感が著しく損なわれる。
ただ生きていればよかったのに、ただ普通にこれから生活する予定だったのに、
この残阪を何、俺が掃除するの?みたいな。
そういう風にして、あーもう全然自分万能じゃなかったわみたいな。
この場合に失われる万能感って何なのか知らないんですけど、ケースによっては著しいことがあるわけですよね。
非常にひどい目にあってるという感じがする。
これというのもこの網にただ入れるという、5秒で済むことをやらなかったこのバカたれのせいでね。
って思うわけじゃないですか。
これが迷惑行為だとみなされているんだけど、これがね、僕は非常にどうかなと思うんですよね。
まあ、網の中に入れた方がいいと思いますよ。
僕もちゃんと入れますしね、ちゃんとって言っちゃいましたけどね。
でも、これによって万能感を失う理由はないんですよね、本当のところ。
迷惑な行為について
片付ければ万能感はすぐ復活するんで、多分前よりも強化されてるんですね。
だから、迷惑行為ってあるのかなって考えてみると、全くないとは言いませんが、
それこそね、この私のポッドキャストを取り上げてくださったような方が、
入れかさない行為ばっかりだろうなって感じがしますね。
だから、私は迷惑にならない限り何かをします。
何でもしてもいいんですっていう、この条件をつけてしまうという形で、
ご自分のことを、私は、何と言えばいいんですかね、
万能に素晴らしいことという意味で、
人が喜ぶようなことじゃないことを放っておくとしちゃうんですって
考えなければならない理由が、それをトラウマって私は考えるんですけどね。
何かトラウマがあるのかなっていう感じをそこで持つんですよね。
それはだから、持っちゃダメだとかいう話じゃないんですよ。
トラウマ持っちゃダメだとかっていうのはおかしいと思うんで、
持ちたくて持つわけじゃないですからね、人はね。
ただ、そういう万能空想に縛りをかける必要が、
多分全然ないと思うんですよ。
さっきのカラスの例を考えてみても思うんですよね。
外に置いちゃったとしても誰かが片付いて、
その片付いた人はその人の万能感を失わないで済むはずなんでね、本当は。
実際には罪の意識を持っちゃうケースが多いですよね、確かにね。
外に置いたバカたれは、かなり犯罪的だと。
だから私はこれを片付けるという犯罪的な後始末をさせられて、
すごく私の人生が台無しになったくらいに思ってしまうケースってあるんですが、
幸いにもといいますかね、うちの近くのケースではそれは起こらないんですよ。
起こらないというのはカラスが荒らすことがないってことじゃないですよ。
当然あるんですよ、網張ってるくらいなんで。
あるんだけど、ちょうどうちのお隣さんの方がですね、
ちょっと年配の女性の方なんですけど、
私結構仲良くなってるんですけど、めっちゃ綺麗に片付くんですよ。
で、この方がちゃんとやらなかった人に対して拒発感情を持ったの見たことないんですよね。
僕は横で手伝うようにしてるんですよ、その光景を見かけた時。
で、基本的には喋んないし、喋っても全然片付けてることについての言及はないんですよね。
最近暑いですねとかなんですよ。
ものすごい綺麗に片付くんですよ、本当に。
で、この人は多分、私が言うところの万能感はこの件によっては1ミリも損なわれてないなって感じをずっと持ってるんですよね。
で、この方が片付けてるのを見て、私は横で手伝ってるんだけど、手伝わないで見てる人がすげえ罪悪感を持つんですよ。
持つかもなと思うんだけど、持つなら見なきゃいいのになって思うんですよね。
私はもう片付けてるって思っちゃうわけですね、我々に。
私なんかほとんど何もしてないんで、全然気にしてもらう必要ないんだけど、言われるがままにゴミ袋持ってるとかやってるだけなんですけどね。
でも周りの人は罪悪感を持つんですよ、しかも見てる。
で、いやもう本当にひどいわね、なんとかさ、ごめんなさいねみたいなことを言って、本当にやり場のない何かをそこに抱くんですよね。
私これは本当に人間の差がこういうもんなのかなと思うんだけど、これによって何にも損しなくてもいいっていう観点ぐらいは持てるだろうとは思うんですよ。
持たなくてもいいんですけどね、やっぱりね。
ここで罪悪があったということにしたいという気持ちもわからなくはないですよ。
学校でそういうことをよく教えてきましたからね。
だから片付けたくはない。汚いしね、人のだし。それはわかりますよ。
片付けなくていいんだから、そこは私たちがやってるわけですからね。
次に片付けたくはないが、これを片付けいる風景ない人、それこそいい人が片付けてる光景を見たくもない。
それを見てしまった私たちは気持ちが悪くなった。
この原因を作り出したやつをはっきり言って、この時の処罰感情ってなかなかのもんで、
万能感の損ない
みんなの前で正座させて、膝に石を置いてやりたいくらいに思ってる人いるんですよね。
ダンセンスとまでは言いませんけど、その人は結局、見て帰ってしまえばいいわけですよ。
そこで罪悪感を持たなければいけない理由は何もないんですよ。
片付けた我々が、他の人は片付けもしなかったとか言って、一大何とか運動を始めるかもしれないという恐怖があるのかもしれないけど、
今日僕もここに来て何年も過ごしているわけですね。
このお隣さんは片付けても20年くらい過ごしている方だと思うんですよ。
前々からここに住んでいらっしゃった方だし、僕より年配ですから。
彼女は何も言わない。たぶん今に始まったもんじゃないと思うんですよ。
きちっと形して何も言わない。何とか運動もしない。
たぶん周りの人に悪意も持ってない。普通にめちゃくちゃいい人なんですよ。
普通に喋ってますから。
なんでそれではいけないと思いたいんだろう?
思いたいんですよ、絶対に。
ここに規定的処罰みたいなものを出せれば、さっそくすっきりするだろうなと思っている人が結構いらっしゃると思うんですよ。
そうでなかったとしても、この滑稽を最初に見た人は、なんてひどいことなんだろうって思われる方はいらっしゃると思うんですよ。
佐々木さんが片付けて平気なんだろうか?平気でいるっていうこと自体がちょっと精神が病んでるんじゃないんだろうか?
ぐらいに思っている人もいてもおかしくないと思うんだけど、僕は全然平気だと思うんですよね。
だって僕はタスクシューターですから。
後始末、わーってなってるのを見ると無限の時間がかかりそうに見えるんですよね。
納豆とかね、特に残飯ですごく見えるのがあれなんだよな。
思った以上にそう見えるのはお味噌汁と何かが混ざったやつ。
カラスがぶちまくとすごい光景に見えるんですよ。
片付けて10分以上かかったことはないですね。ないですよ。
で、その後にこのポッドキャストを普通にやると。
で、終わった頃にはもう全部忘れているぐらいな勢いですから。
なんであれに対して我々はそれほど万能感がズタボロになり、もう一歩間違うとこういうことがあった場合はですね。
人によってはという話だって書くんだと思って聞いてください。
これを写真に撮るなりして、こんなことがあったと。
で、割と上げるところにあげればいいねがいっぱいついて、本当にひどいやついますよねみたいな感じでやって。
2日3日引っ張ることもできるとは思うんですよね。
で、それをやることによって私たちは自分の人生って本当にひどいもんだっていうふうにすぐ考えられるんですよ。
ここは実に独特のメカニズムですよね。
心理的なメカニズムかなって思うんですよ。
だって3日ってことは寝てますからね、その間。1回は少ない。
寝て起きてもこれを思い出せるっていう。
僕はこの種のことがあったのはもう10度ぐらいはあるんだけど、ほぼ全部忘れてしまいます。
写真には絶対撮りませんしね、そんなものは。
で、何のためにこれを引っ張りたいのかって考えてみると1個しかないですよね、最終的には。
人の万能感を壊したい。
それはやっぱりその方の万能感がすでにかなり損なわれている感じってのを持つんですよ。
で、絶対みんな全ての人が万能感を持って生きてたらみんなめちゃくちゃ幸せだし、
それを損ない合う理由ってほとんど全く生じないんじゃないかなと思うのが、それこそ無双ですよね。
万能感の壊される恐怖
そういうわけにはいかないんですけど、いかないというか、いくと思うんだけど、
そういう光景を見たことは僕もないです。空想ですよ。
でも、この中のどこかに迷惑こいって言葉が、割と品質ワードとして出てきそうな気はやはりしますよね。
そんなものは、そんなことを、僕は絶対自分がですね、それをするというのは信じられないんですよ。
なかなか人に迷惑をかけない限り何をしてもいいっていうこの条件をつける気にならないんですよ。
何をしてもいいだろうと。何したって人に迷惑なんてかからないはずなんだ。
自分が万能感というものを妄想によってかき消さない限りは、万能感を消しちゃうとね、ものすごくダメな自分になっちゃいますからね。
気持ちの上でですよ。自分の能力に変化はしないんで。
ただ万能感を失うことによって、
例えば、ツイッターにも書かれてるけど、ハンザーばっかり喋っていて、実は自分もロクでもないんじゃないかみたいな。
何書いたってどうせダメ人間の残骸みたいなものしか書けないよなみたいに思ったら、思うのは簡単なんですよ。思おうと思えばね。
ある程度思おうと思ってると思うんですよ。
思ったら、例えばですけれども、まず母親に復讐しに行きますよね。
実体あったかどうかなんか知らないんだけど。
このジゾイドの本に書いてあるのによると、
俺は赤ん坊の時、あなたのおっぱい吸って引っ叩かれたっていう経験があるらしいから、それでこういうね、ハンザーばっかり見ているダメ人間になっちゃったんだから、後の責任取ってよみたいな。
とりあえずまず口座にあるお金全部頂戴みたいな。
やりますよね。別に不思議なことじゃないですよ、これは。
そういうふうに動いている人って現実にいるし、私それ知ってます。
だからこれはおかしなことではないと思うんですよ。
そういうふうに自分の、自分が8マックスのちょうど正反対、8ゼロに無能であまりにも不足しているものの多い人間だってなった時に、
50にもなってる、まだなってないけど、今月50にもなるような人間がそう思ったら、いやもう取り戻しようがないでしょみたいな。
今日たまたまこれスレッツの方で見たんですけど、なんか平均的な男は、男性の日本男性は50代で年収700万だったんだけど、全然届かない。
届いてないし今の僕も。
でもそういうふうに自分の無能感を信じたら、本出したいんで出版社紹介してくださいって人に絶対言えないですからね。
そんなことね、そういうふうに信じたら。
だからもう絶対取り戻せないなみたいな。
自分の人生は負債だらけだわ。
なったらですね、1年勃起して頑張ろうとか思わないです。
思う日も来るかもしれないけど、思わない日もいっぱい来ますよね。
そしてむしろ母親のところに行って、責任を取ってもらうべく徹底的に自家談判して、
何なら年収700万分俺に稼いでねみたいな。
全部もらって、あと俺はもう何もしないからみたいな。
なりますよ、普通に。
だから思うにですね、これは迷惑っこいじゃないですか。
思うに万能感というのはそこがまずいと思うんですよ。
この恋がなぜ迷惑かというと、これは母親が余生を、
余生をってイメージとも2つ違うんだけど、
余生を幸せに友達とテニスでもして過ごしていると。
実に結構なことなわけですよ。
これが万能感を持っている人の行動じゃないですか。
これをわざわざ損ないにいきたくなるわけですよ。
私の人生がひどいものだったから、それを作った原因のやつが
のほほんとすき焼き食いながら、このくそ暑いのにすき焼きはないけど、
すき焼き食いながらテニスとかしてる。とんでもないことじゃないですか。
迷惑行為についての考察
だから生き地獄を見せてやろうみたいな。
このセリフこの間漫画で読んだんだけど、絶対このままじゃよくないということで、
生き地獄を見させに行くわけですよ。わざわざ電車チェーン払って。
これが迷惑行為だと思うんですよね。
これは迷惑を人にかけない限り何をしてもいいって思わなくても、
こんな行為をしに行くとは絶対に自分では思えないですよね。
だから網の中にゴミ袋も入れてますし、
でも外に入れたからってそれは迷惑行為になるかどうかってのは
さっき言ったように意外と微妙な先手もあるんですよ。
一個一個について細かく今みたいに考えていくとですね、
おそらくあんのか持ってる人が迷惑行為なんてしないと思うんですよね。
したとしてもそれは本当にごくわずかなことが、
多くの行為の中でいくつかどうしても生じてしまう小さな相互であって、
それについてはそれは申し訳なかった。
こんなに性的な話して気分悪かったらごめんねぐらいで
済ませられると思うんですよ。
聞いてる方の人が、メガワークがそうであってほしいと僕は思うんですけど、
万能感というものを通常は持っていらっしゃる方であれば、
これが許せないっていう感じは抱かないと思うんですよね。
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