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2024-07-03 22:25

お悩み相談の難しさ【1011】

象徴等価物は分かりませんが。
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おはようございます。
働く人に送る精神分析チャット、第1011回かな、となります。
7月2日火曜日、21時7分、夜ですね。
こちらを明日の朝に予約配信しておきたいと思っております。
昨日かな、働く人の、これとよく似たタイトルにしたんですけれども、
働く人のための個別相談室というものを、要するに3ヶ月チャレンジでやっているセッションを1回きりのバージョンでご用意いたしました。
どちらかというと書きましたけど、掛け込みデラ的に使っていただければいいかなと思って、
これからXとかでもお知らせしていきますので、ちょうど1週間までの間に予約を受け付けます。
つまり、今日は7月2日ですので、7月8日までのどこか90分の私の空いている枠をご予約いただけると、そういったサービスになります。
90分で9000円という感じにさせていただいております。
別にこれは1回やったから3ヶ月やらないとかそういうことではありませんので、お気軽にご利用いただければと思って用意しました。
早速お申し込みもいただいておりまして、これからちょいちょいそういうものもあったなと思っていただければいいかなというふうに思います。
今7月なんですけど、これ今3ヶ月チャレンジの第6期の最終月となっておりますので、
今月中にまた次回の第7期3ヶ月チャレンジのお申し込みを募集させていただきます。
今回は3ヶ月まるまるフルスペックのやつは2名、1ヶ月お試し版を4名募集させていただくことにしましたので、一応気になる方はチェックしてみてください。
その前にこの1回コースでお試しいただくというのもありかなとは思っております。
では告知を終えて、ちょっと短めに今日は切り上げたいと思っているんです。
いろいろ事情があるんですけども、それも含めて今回お話しするのは、私あまり得意としないというかずっと悩んでいる部分の話なんですね。
なぜこの話をしたいかというと、しながらおいおい話していきましょう。
象徴投下物という言葉がありまして、これも精神分析のならではの用語だと僕は思っておりましてですね。
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というか多分そうなんですよ。他で聞くことまずないと思うんですよ。
象徴というのはシンボルね。投下物というのは等しいものなんですけど、この象徴投下物というのは本当ですね。
精神病水準の人と話していて、この人の話わかりにくいなと思ったときにですね。
象徴投下物という言葉の意味がわかってくると、よくわかんないんですよ、象徴投下物正直言って。
でもですね、これがわかってくるとすっごく楽に話せるようになるというものでして、
これも東映同一課と並んで絶対こうですね、教えてほしいなって思うんですよね、学校でね。
聞いたこともない言葉だったんですよ。本当困るんですけどね。
で、象徴投下物というのは要するに具体的なものでありながら象徴でもある。
例えば鳩は平和の象徴みたいな時の鳩っていうのは具体的な鳥じゃないですか。
でも平和を象徴してますよね。基本的にそれが要するに具体象徴と呼ばれているものだと思うんだけど、
問題なのは象徴投下物っていうのは具体象徴ではない。具体象徴だったらわかるんですよ、我々にもね。
具体象徴ではなくて、ある特定の人の中で具体的なものとして、しかし象徴的な内容を含んでか意味するようなもの、説明になってないんですけどね。
松木さんのパーソナル精神分析辞典という、パーソナルなのに辞典なんだっていうすごい本が、野心的な本があるんですけど、読む人によっては野心的なね。
彼が書いているんですけど、具体象徴の病理型が象徴投下物、つまり象徴投下物は病的なものなんですね。
だから精神病水準の人の話には非常にわかりにくいところがあるのは、この象徴投下物が言葉の中に挟まっちゃってるからわけわかんないように聞こえてしまうんですよ。
例えばテレビが私に何か電波を送ってくるとか、そういう話がそれに近いんですね。
これどうやって理解するかというとですね。
例えば、まあいいや、これはもう本当にそのパーソナル精神分析辞典にもあった、他のところにもあった内容なんだけど、そのままちょっとご紹介しちゃうんですけれどもね。
私たち例えば、私なんかが大学時代まさにそうだったんですけど、心の中はいつも精欲でいっぱいだみたいな、そういうの。
これっておかしな表現なんだけど伝わるじゃないですか。
なんならちょっと俺精欲強すぎて困ってるみたいな、これでもいいんですよ。
とにかくこれは何を意味しているか、実はわかってないんだけど、相手の人には多分、多分僕が言わんとしていることは伝わってないんだけど、伝わった気がしますよね。
これが象徴の正しい使い方なんですよ。
そうですよね。精欲って象徴じゃないですか。
実は何を意味しているのかは人によってかなり違うし、男であるか女であるかによっても結構違うし、子供であるか大人であるか、あるいは中年であるか老年であるかによっても随分違うと思うんですよね、僕は。
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けれどもこれで通ってしまう。それが象徴の正しい使い方なんです。
実はこの正しい使い方にはかなりの高度な何かがあるんですよ。
マジで心は精欲でいっぱいだと言ったって、心という容器があって精欲というものでいっぱいになっているって思わないですよね。
そういう意味じゃないのはわかりますよね。心が精欲でいっぱいですって言っても。
ところがですね、この今言った心というものを洗面器みたいなものにして、精欲というものをタオルみたいにしていっぱいだっていうのをまんま具体的にイメージしてしまうというケースが起きてくるわけですよ。
病理型になってくると。
松木さんが紹介してたのがですね、確かこんな話なんですよね。
私の胸の中にある男の人がですね、どんなに熱くても今だったら大変ですよね。
熱いコクションみたいな、圧電のトレーナー着ていたと。
なんでかというと、胸の中に女性精育が入ってるんだっていう紹介してたんですよ。
こういう話って聞くわって私思ってね。
これで何かわかる気がするんですよ。
胸の中に女性精育が入ってるんで、見られたら大変な目に合うんだって言うんですよ。
それが見えないように、要するにトレーナー着てるって言うわけですよ、どんなに熱くてもね。
こういう行動をとるんですよね、ある種の方ってのはね。
なんかこう、ある種の事情、非常に複雑で大変な事情を抱えているために、人から見るとちょっと不思議な、例えばどんなに熱くてもプーラーかけないとかね。
お金がないとかならわかるんだけど、そうではないんですよ。
この女性精育って言ってるものが、彼にとっての性欲なんですね。
こういうことなんですよ。
具体的なもので、象徴で本当は伝えないと伝わらない言葉を具体的なもので伝えてしまう。
これが象徴投下物ということなんですね。
だからさっき言った私が心が性欲でいっぱいですっていうのを、この統合主張書の男性の感覚を通して喋ると、胸に女性精育が入っているって言葉になるんですね。
胸は心をたぶん象徴してるんですね。
でもやっぱり具体物になっちゃってるじゃないですか。
具体物に具体物じゃないですか。
だからこれがですね、赤ちゃんが、メラニ・クラインが言うやつですよ。
赤ちゃんが悪いおっぱいの胸の中にはうんこが詰まってるみたいな、そういう具体物に具体物になってるじゃないですか。
そうではないんですよね。
おそらく言いたいことは、この、例えば何でもいいんだけど、このトマトは味が全くしない。
これは伝わるじゃないですか。
この味が全くしないというのは、実は味が全くしないわけではないっていうのを我々は知ってますよね。
これが象徴の正しい使い方ですよね。
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これの中に何かこう、何でもいいんですけど。
何かこう、わけのわからない何かが詰まっているみたいな言い方をすると、
途端に伝わりにくくなるじゃないですか。
だから、具体物というもので象徴させるだけでなく、それが全く特殊な使い方であって、
何かを意味しているようなんだけど、その意味がまるで伝わらないみたいなのが、
その象徴統括物なんですよね。
だから、結局のところこれは病理型だってことになるわけですが、
この病理型の感覚っていうのは、やっぱり早々期の赤ちゃんの考え方に、
よく考え方ではないんだけど、考え方に似ているというふうに、
アレゴリーとして、比喩として考えているというか、
そういう発達のモデルを用いているのが対象関係のモデルなんですね。
そういうふうに考えていって、初めてご視聴者の旧世紀のような人が、
一生懸命喋っている言葉の意味っていうのが、少し分かってくるわけですよね。
そして、だからなんで分厚いトレーナーを着なきゃならないのかとか、
心っていうのは、あった目からは裸で歩いていようと、
決して見えるものじゃないっていうのを、
それは象徴が使える人は、つまり心とは象徴だから、言葉としては完全に。
具体物でないから、分かるんだけど、
それが非常にそういうのを扱うのが難しい水準、
それが精神病水準だってことになるんですけれども、
なってくると、心を具体物にしてしまうしかないので、
それが胸とかになってしまうわけですよ。
そういう意味なんだと、松木さんが精神分析辞典でパーソナルだと、
つまり松木さんだけが書いた文字辞典ってことになるんだろうけど、
そこで説明されてました。
非常に私はですね、何がこれが大事かって、
我々はもうすぐ逆だってことなんですよ。
ここは私すっごい毎回毎回、私の職業から考えることなんですね。
我々は逆なんですよ。
決してこういうふうに、象徴透過物でコミュニケート取ったりはしません。
だからもちろん分かるような気がするんです。
しかし、分かりあえてないんですよ。
特に悩みが深くなってくると、
つまりどうして象徴透過物ってものが出てくるかというと、
この男の人は自分の言葉で、そして自分の状況というものを、
しかも象徴をうまく扱えなくなってしまった心で、
一生懸命伝えようとするからこういう表現になるわけじゃないですか。
つまりものすごくパーソナルな問題になって、逆なんだけどね。
要するに、何て言えばいいのかな。
ありきたりな問題なんだけど、
人にとっては決してありきたりには表現できない問題というものを、
ものすごく深い、何て言うんですかね。
その人をものすごく苦しめる水準で語っているから、
こういう表現になっちゃうんだと思うんですね。
悩みってそうなんですよね。
フロイトとかビオンが言った通りなんですよ。
あなたは今、不幸で痛ましい状態にあるけれども、
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それをありきたりの不幸に変えましょうって。
つまりそれは、極めて具体的な悩みをお持ちだけれども、
それは多くの人が象徴化できている悩みなんですよっていうのを、
もうだいぶ噛み砕いて言っているわけだと思うんですよね。
僕はどうしてもショレドーラを思い出してしまうんですけれども、
ヒカルゲンジの話だってそうですよね。
貴族の男っていうのはあっちこっちにいて、
特にモテると浮気ばっかりしてるんだけど、
やっぱり苦しみになるわけですよ。
お互いにとってそうだけど、特に女性にとってはですね。
だから鬼の面を被って夜踊ってたりするわけじゃないですか。
あれはヒステリーに限りなく僕は近い表現形態だと思うんですけれども。
物も言えない。
抗議もできない。
でも怒りはあるっていう。
でも夫が浮気するというのは、
された人間にしてみれば、
決して何かの取り替えが効かないほどの苦しみかもしれませんけど、
世の中にザラにあると言えばザラにあるじゃないですか。
ここに象徴なのか具体なのかっていう問題の非常に難しい、
オンラインみたいな、
この線上にこの問題はありますみたいな、
ボーダーな問題っていうのが出てくるんだろうと思うんですよね。
私たちはそれを象徴だとして軽く扱うことは当事者にとってはとてもできない。
だけれどもそれを軽々しくそこら辺の人に分かち合うこともできない。
だからカウンセラーという商売の人がいて、
しかもそこではこういう語られ方に近づくと思うんですね。
具体象徴というケースもある。
だって具体的な話するじゃないですか。
夫が浮気してるんです。では始まらないじゃないですか。
じゃあもっと詳しく話してくださいってことになりますよね。
それはつまりあなたが体験している具体的な話をつぶさにやってくださいってことになりますよね。
まずそこに最初から苦しみがあります。
で、浮気してるんですとか不倫してるんですっていう言葉で言って済むぐらいなら、
そもそも高いお金を払って時間かけて話に来ないわけですよ。
つまり完全な抽象化は土台無理な話なわけですよね。
それが何か公式みたいにして浮気をしている。
だから離婚するみたいなそういう展開で済むぐらいだったら、
誰も困らないと言えば困らないわけですよ。
僕らの商売というか仕事というのは、
ビジネス上の基本的なお悩み相談に近いところ、
あるいは言ってみればビジネスの改善、
ビジネス状況の改善、仕事状況の改善といったものを目指しておりますから、
もっともっと抽象的な話をしていられるはずなんだけども、
でもやっぱりお悩みですから、
その人その人の具体的で個別具体的で、
抽象化できないお話というものを伺っていかなければならないです。
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ここでさっきの問題とはちょうど逆の問題が起きるんですね。
松木さんのようにこなれた人でないと、
なかなか胸に女性正義が入ってるんです。
何言ってるのかよくわかんないっていう感じになっちゃうんですけど、
ああいうこなれた人にしてみると、
あ、要するに心に性欲がいっぱいで苦しいんですねっていうことが、
サクッとある意味わかるわけじゃないですか。
それは訓練の賜物なんだけれども、
でも別の意味で我々の世界はお互いのコミュニケーションの中に難しさを含むんですよ。
なぜならばお互いが象徴は十分使える者同士で、
つまり非精神病水準で喋っているために、
お互いが個別具体的にどんな意識でいるのかというのが、
分かりにくい水準で、
高度に象徴化された内容を使ってコミュニケートしてしまっているので、
お互い話が分かったような気になりやすいんですよね、ものすごく。
だから先送りが続いて、先送りが続くのは大変ですよねって、
これで全くお互いが何にもそこなく了解できてる気になってるわけですよ。
なってるわけなんだけど、
彼らは聞かされた方は先送りが大変なんだ、
税務の処理とかがめんどくさいんだろうな、みたいな感じで考えて、
時間も取れないんだろうな、タスクシュートでもやればいいのに、
とかそういうノリになっちゃってるんだけど、
喋ってる方の人にしてみればですね、
例えば奥さんが実家の悪口をいっぱい言っていると、
その実家の悪口をずっと聞いていると、なんだか知らないけども、
ある種の仕事をやる気が全く失せてくるっていう状態で、
それを先送りと呼んでるのかもしれないわけですよ。
で、そうなってくると、実はそこにあるのはですね、
精神力度みたいなものを使わないと分かりにくい話なんだけど、
誰もそうは思わない。奥さんもそう思ってないし、
当事者もそう思ってないし、聞いてる人もそう思ってないので、
では朝から一番最初にファーストタスクで何とかの処理をやりましょう、
みたいな話をしてしまうんですよね。
そして話が一歩も前に進まなくなっていき、
毎日先送りをしている自分はダメ人間でとか、
さらに荒らぬ方向に話が進行していってしまうんですよ。
こういう時に象徴と過物という言葉を知っていることによって、
この人の言葉の中の特に具体水準で象徴的なつもりになって
喋っている内容は何なんだろうと思って耳を傾けているとですね、
いきなり見えてくることがあるわけなんですね。
そういうことを得るヒントになるものが何にもないと、
多分僕らはひたすら象徴の上を滑っていく感じになって、
全然記号化された世界でお互いが了解、了解、了解、了解、
分かりましたってことになって何も分かってないっていう自体が
進行していると私はずっと思ってきたわけですね。
だからこの象徴と過物って言葉はすごい大事だなって思うんですよ。
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だいたい性にまつわるケースが読んでいると多いんですけれども、
それといえば性にまつわることは一つは生々しく象徴化しにくく、
もう一つは他の人とちゃんと情報共有していないんで、
性にまつわるその人特有の悩みっていうものがですね、
全然語られないままくるんでどういうふうに伝えれば
他人に伝わるのかがよくわからないってことが多いんだと思うんですね。
藤山直樹さんの偽装されているサンプルなんだと思うんですけど、
臨床例に自分のペニサを曲がっているっていうのがあるんですよね。
あれは象徴と過物っていうものではないのかもしれないけど、
結局のところ自分の性欲、特に男性としての女性を、
女性にある程度喜ばれるとかそういう能力に関して
著しくいびつな形で機能していないということを、
象徴的に語っているつもりなんですよね。
つもりというか、おそらくそういうことだ。
そういう意味では象徴と過物って言っていいのかなって感じもするんですけれども。
特に、例えばですけれどもお父さんみたいな、
あるいはそれこそ筋肉マンな人、
そういう男性的ですごくたくましそうに見える人間に比べるとか、
そういうことをやっているんだと思うんですよね。
これはあくまでも一つの推測みたいな話ですけど。
こういうことが理由で、例えばですけど仕事が進まないとするじゃないですか。
しかも我々そういうことを口にもしないじゃないですか。
だから我々はどういう表現を取るかというと、
結構会社に行っても自分に自信が持てないんですみたいな、
そういう表現になっちゃうじゃないですか。
これはまさに象徴的な表現だから、自分に自信が持てない、
何言っているのか全然実は分かんないのに、
我々はこれは分かった気になるわけですよ。
女性が言うところの自己肯定感が低いっていうのと、
男性が言うところの自己肯定感が低いは全く意味が違うケースが、
私は聞いていてたくさん実はあるんだなということを、
ようやく理解できるようになってきたんですよ。
例えばある男性に、僕なんかもそうだけど、
ある男性にしてみると自己肯定感が低いっていうのは、
油風呂に入れないぐらいな意味なわけですよ。
ちなみに油風呂に入れる男っていうのは、
世の中に一人もいないと思うんだけれども、
これは象徴なんですよね、やっぱりね。
非常に奇妙な象徴なんだけど、
でも油風呂っていう、あの油ぐつぐつなところに不良みたいなやつが入って、
ぬるかったとかっていう漫画があんなに受けるところを見るとですね、
やっぱり男の人っていうのは、
そういう精神性なのか肉体性なのか非常に分かりにくいところに、
過剰なほどの万能感を持つということによって自信を深めるっていう、
それが誰に喜ばれるとかではないですよ。
そうすれば女性に喜ばれるって信じてる男性っていうのは、
僕はそう多くはないと思うんだけど、
だってそうじゃなかったら、
みんな火傷を負って黒焦げになってみんな死んじゃうじゃないですか。
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そんなはずはないんだけれども、
でも自己肯定感という言葉で、
差も分かった気になるっていうのは、
そういうことでしかないわけですよね。
自分に自信を持つとかも、
自分の何にどういう自信を持つのかとかではないってことなんですよ。
象徴だから。
これはあくまで比喩なわけですよ。
例えばある種の人にしてみれば、
朝から晩まで作ったリストをですね、
上から晩まで全部、
上から下まで全部ズバッとやることによって、
男としての自分に自信を持つとかそういう話になるんだけど、
それは男関係ないでしょって感じになるんだけど、
自分はやっぱり具体的な意味では男なので、
そういうことを意味しちゃいかねないんですよ。
そういうふうにして、
スーツかなんかを着てビシッとしていると、
自分に自信が持てますみたいな、
そういう話になっていきやすいってことですよね。
その時に僕はすごく具体象徴、
象徴投下物は病理かもしれないけども、
病理じゃないところにおける具体象徴が、
何を意味しているんだろうってのを探ろうとするだけでも、
全然話が違って聞こえてきて、
これは大変大事なポイントになってるんじゃないかなと。
すいませんね、短くてね。
まだこの話、僕の中でも相当生に得たってことなんですよ、これは。
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