1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
  2. 私たちは不機嫌で無気力な人に..
2024-07-02 40:11

私たちは不機嫌で無気力な人になりやすい【1010】

投影同一化はそこら辺にある。
00:04
おはようございます。
働く人に送る精神分析チャット。
1010回ですかね。
うっ、なんかちょっと、自信がなくなってきましたが、
多分1010回ぐらいだったと思います。
今日はですね、7月2日火曜日、
朝の10時26分、少し遅くなりました。
今日は非常に動きがですね、あやふやで、
朝からですね、私はトマトの継ぎ木、
あと昨日の風邪でやっぱびっくり折れてたんで、
急いでですね、麻ひもを使って、
支柱を立てて、縛って、
なんとかこう、継いでみたわけですね。
これがどうなるか。
まああの、ぱっと見は、何の問題もなくすくすく育つんだけど、
そっから先のトマトが、
いまいち全く味がしないとか、
そういうことが起こるんですよ。
まあまあ、そんなね、
のんびりしたことをやっておりますが、
今日は、しかし昨日に一転してめちゃくちゃ暑くて、
もうこういう音がしてしまいますね。
これはもうちょっとご容赦ください。
しばらくはね、作戦を考えます。
そもそも早朝に取れるのかという、
もうここから先はですね、
多分真夏に近くなっていくんじゃないかという感じがします。
7月入りましたからね。
お知らせです。
7月21日の日曜日、17時からですね。
多分17時からになります。
間もなく公開しますけれども、
私の本のトゥードゥリストは捨てていいの、
出版記念イベントをオンラインで開催いたします。
無料です。
無料というのは、本を基本買ってくださった方につき無料です。
買ってくださった方はですね、
Zoomで参加いただいたときに、
一瞬でいいんで、買った書類をカメラで見せてください。
そうしていただければ無料。
一般参加というか、本を絶対買いたくないぞという方は、
2000円でご参加いただきたいんですけども、
本は絶対買いたくないのに、
この本の出版イベントにお金を払って参加されるという方が、
どのくらいいらっしゃるのか分かりませんが、
世の中の方の考え方は様々ですので、
一応2000円で、これ本より高いですからね。
参加費をいただいて、参加いただくこともできます。
この場合は、書類を見せていただく必要はございません。
基本的に書類は全ての方から見られるものと、
判断してこの数価格設定にいたしました。
はい、えっとですね。
だけれども、ここをちょっと考えているんですよね。
動画はどうするのかというですね。
動画もね、ほとんどこの無料同然のものを、
03:03
ある種の価格で売ってもしょうがないような気もするんですけれども、
2000円で入っちゃうという方が、
もし万が一にもいらっしゃった場合は、
動画を無料にするというのもどうなのかなという、
余計なことを考えなければならなくなったから、
ちょっとこの価格設定も、
改めて真剣に考えようと思っておりますけれどもね。
でも動画ってのはですね、
今回のようなちょっとしたイベントっぽい、
セミナーというよりイベントっぽいものに、
動画で撮ったもの、
もちろんそれを見たいという方がいらっしゃれば、
配信したくてしょうがない方なんですけど、
そうは言ってもですね、
同日とちょっと違うようなこういうものはと、
情報っていう、情報を出しますけどね、
いっぱいなるべく、
が出るのもどうなんだろうというのは、
少しこの件に関してありながら、
ちょっと考えようと思っております。
今日はですね、東映同一化というですね、
もうこの対象関係論の世界に、
対象関係論のものを読んでいくうちに、
いやでもおでもぶつかる、
あれ何なんだろう英語では、
プロジェクティブアイデンティファイなのかな、
プロジェクティブアイデンティティなのか、
とにかくその、
東映は形容詞だったんですよね英語ではね、
だから昔東映制とか訳していた本も、
結構あったんですけれども、
今では東映同一化が、
こなれてるんじゃないですかね、
東映同一誌っていう言い方もあるんですよ。
その辺について松木、
もうほとんど今回このところ、
松木邦博さん以外の名前が出てきてない感じになってきますが、
それは私が読んでる本が松木邦博さんの、
著者松木邦博か、
編集松木邦博のいずれかしか読んでないから、
になってしまっているんですが、
その他ではもう、
平安関原っていう漫画をその合間に読むみたいな、
そういう生活を最近送っております。
別に平安関原は、
徳川家康とか関原に興味があるというのでは全くなくて、
むしろ私こういう漫画の読み方を、
最近やっぱり年取ってするようになったんですね。
絵の描き方がすごく面白くて、
なんでこういう絵にするんだろう、
みたいな感じですね。
あの著者さん名前も今出てこないくせに、
割と好きなんですよ。
戦国とか描いてる人ですね。
でもそれはほとんど絵を見てます。
話を見てるというよりは、
関原の話はね、
いろんな解釈があるのは分かるんですけど、
すげえ関原に興味津々だぜってことは、
僕は全然ないんで、
本当に大筋知ってれば、
基本OKだろうぐらいなノリなんでね。
豊臣家の子貝の武将が、
なぜか徳川家康のためにガンガン働いて、
後々何か損をしていくっていう、
06:01
一幕として僕は見ているところがあるんですよ。
静岡家の七番槍の人たちがね、
福島雅成とか加藤清雅とかあいつたちが、
後々非常に損臭い気持ちになっていったんだろうな、
というのの一幕として、
あれを感じているんですけれども、
そんなことはどうでもよくて、
東映ドイツカ。
で、東映ドイツカを昨日ね、
見たと思ったんですよ。
いや、そこら中で見られるんですけどね。
本当に小田原のショッピングセンターに行って、
奥さんと買い物をしていたわけですね。
そういうのんきなことをやっているわけですが、
その最中に、
私がね、エレベーターで待っていた。
私が一人でちょっとね、
一旦車の方に荷物を置きに行った途中で、
エレベーターで待っていたら、
あるご夫婦、やり取りをしていて、
奥様の方が旦那に対して、
たぶん旦那のお母さんに、
なんか買って行こうよって言っているわけですよ。
割とよくあるやり取りだなと思って見てたんですけど、
旦那がいいよとかって、
なんか怖い感じの旦那なんですよ。
これはたぶん見た目の問題なんだけど、
ちょっと怖い感じなんです。
僕とかから見ればね。
で、
すごい不機嫌そうにいいよって言ってて、
これが東映ドイツカだよなと、
私は思った。
こういうことをね、勝手に人に当てはめてはいけないと、
松木さんの本にも書いてありまして、
いけないなと僕も思いながらやってるんですけど、
後々の参考とかね、
いろいろ内心の言い訳はしつつですね。
分かんないですよ、
実際のところどういうことなのかなってね。
ただ分かったことは一つ、
奥様はたぶん旦那のお母さんのために、
割とおいしいものを売ってるからね、
そのモールみたいなところだから。
いいんですよ、銀だこのたこ焼きとか、
何を買おうって言ったわけじゃないんで、
何かを買って行こうって言ってたんでね。
何か買って行きたいんだろうなと。
まあそうだよね、奥さんとしてはって思ったわけですよ。
で、旦那は何でとかって、
なんかこう、えらいテンションが低いわけですよ。
明らかに面倒くさいんだろうけど、
実はもっと他のことがあるよな、
ここにはと思ったんですよ。
で、旦那は結局ね、
何か買ってった方が良くないって奥さんが
やたら気をもんでるのに対して、
ますます不機嫌になっていくんですね。
で、まあよくある光景で、
こういうんだから旦那ダメなんだよみたいなことを、
Xとかで書かれたりもするのかもしれないなと
思ったんだけど、
僕はそうは全く思わなかったんですよ。
全然違う光景なんですよ。
僕の、僕のその愛、
投影同一化的には違う光景に見えるんですよね。
まあその、分かりますよ。
旦那良くないですよ。
でも良い悪いってのはここでは
ほぼ超自我的な意見なんですよ。
良くなろうとか、
社会的に見て、
まともな旦那のようになろうとか、
常識的になろうとか、
優しくなろうって、
全部非常に意識的なものじゃないですか。
09:01
しかも社会的な圧がそこに、
多少何とも絶対かかってくるじゃないですか。
自然に振る舞うといいよ、
面倒だからみたいなノリなのに、
行く行くみたいになるのは、
無理なノリをしているわけじゃないですか。
だけれども、
なぜそこでそのノリは無理なのかってことなんですよね。
買い物、もうエレベーターの前にいるから面倒だって、
多分そのご主人は思ってると思ってると思うんですよね。
思ってると思い込んでるんですよ。
そういう面倒くせえ。
いいよ別に、
うちのお袋なんかのために何か買っていかなくてもって、
思ってるつもりでいるんでしょうけど、
そんな事実は僕はどこにもない。
だって面倒くさくないはずです。
あの旦那、自分がすげえ腹減ってたら、
危機として銀だほ買いに行くだろうなって思ったんですよ。
それはエゴイズムとかでは全くないと僕は思うんですね。
で、
この旦那を起源に、
ある意味しているのが奥様なんですよ。
ここが難しいんですよね。
奥様は旦那を不機嫌にするつもりはさらっさらないんだけど、
なんかやっぱね、あの奥さん、
僕ほどじゃないと思うんですけど、
この旦那を少し恐れてるんです。
これ以上不機嫌になってほしくないなって、
絶対思ってる感じがひしひしと伝わってくるんですよ。
これが、この旦那を不機嫌にしていくんです。
なぜならば、
不機嫌な旦那を投影しているんですね。
それだったら私のせいなのって奥様に怒られるかもしれないんですけど、
奥様のせいではないんですよ。
普段から旦那さんは不機嫌な様子をしょっちゅう見せるから、
そういう不安になるのは最もだと思うんですね。
だけど不安というものを投影されると、
しかもあの旦那さんは、
そういう投影を非常に簡単に真に受けそうな方だったので、
こっからびっくりっていうのは難しいんですけど、
この旦那不機嫌になりそうだなっていうこの、
何て言うんですかね、目線っていうのかな、
だから投影なんですけど、
プロジェクトしてるわけです。
このプロジェクトの、
投影ドイツカーの面白いというかすさまじいところは、
プロジェクトした通りに相手が振る舞っていくんですよ。
特に親しい間柄であればあるほど、
至近距離であればあるほど、
この力に逆らうのはかなり難しいですね。
だから旦那不機嫌になりそうだというのは、
旦那不機嫌になれみたいなオーラと、
同じ意味になってしまうんですね。
その旦那に対して不機嫌な旦那オーラというもの、
投影ですよね。
だからプロジェクト、
あれですよ、
あるじゃないですか、
私セミナーでしょっちゅう使う、
投影するやつ、投影機ですよまさに。
プロジェクターって言うじゃないですか、
文字通り言ったんですよね。
あのプロジェクターで不機嫌旦那をセットして投影すると、
旦那がみるみる不機嫌になっていくんですよ。
これがオカルトっぽいんだけど、
僕らみんなやってるんで、
決してオカルトではないんですね。
これは犬にとかにもできちゃいますからね。
犬を不機嫌にしたりご機嫌にしたりするのは、
投影次第で一発ですよ。
飼ってる人は絶対知ってると僕は思うんですよ。
僕が知ってるぐらいだから。
12:01
僕昔犬飼ってたんだけど、
そんなに超可愛がってるとか、
めちゃくちゃ面倒見いいとか、
犬の気持ちは何でもわかるみたいな人では全くないけど、
これはできる。
絶対に誰でもできると思いますね。
子供がそうです。
子供っていうのは親の投影をめちゃくちゃ間に受けるんで、
だからそうなんですよ。
このご主人と奥様の会を見てて、
この旦那子供っぽいなってまず僕は思ったんですよ。
これはもし臨床の場で言えば、
これは逆転ってことになりかねないなって思うんだけど、
まあまあそこはいいとして、
とにかく投影をしていくと、
その投影通りに振る舞ってしまうご主人だったんですね。
だから不機嫌にしてしまうんですよ。
だからいいよって言わざるを得ないんですよ、ご主人としては。
絶対そういう解釈はXあたりでは成り立たないんですよ。
めちゃくちゃ炎上しますよね、こんなこと大まじめに一回。
でも、こういう視線は欠かせないと僕は思うんですよね。
こういう視線を持ってるだけで、
この旦那を銀だことかに連れて行かない。
糸も簡単なんで。
ご機嫌に銀だこに行く旦那というものを
強烈に投影すれば絶対その通りに動くはずなんでね。
これができればなあみたいな感じで私はいたんですね。
でも旦那はそもそも何でいいよって言ってるかっていうと、
これは多分ですけどね、これも僕の推測なんだけど、
もちろん不機嫌にさせられてるんですけど、
それでも旦那、この旦那がだから不親切だって思うな、
僕はすごい間違ってるってよく思うんですよ。
この旦那は親切のつもりでこう言ってるんですよ。きっと。
つまり面倒くさいだろうって言ってるわけですよ、奥さんが。
あの奥さん最後にかなり情報して、
じゃあ私が買いに行くからって言ってたんですよ。
これにもご主人いいってって言うんですよね。
このいいってって面白いじゃないですか。
自分が行くわけじゃないんだから、
面倒くさいも下手くれもないわけですよ。
自分は車の中でちょっとあんまり良くないけど、
アイドリングで吹かしてクーラーの効いた涼しい車の中で
待ってりゃいいわけですよ。
なんかラジオでも聞いてね、知らんけど。
これもすら嫌だってのは、奥さんに対するこれで
思いやりのつもりなんです。
なぜかってことなんですよね。
この旦那は奥さんを応援してるんですよ。
で、奥さんは何になってるかというとですね、
心配症の奥さんになってるんですよ。
奥さんは旦那さんのお母さんに気を使っている
心配症の奥さんになってるんですよ。
でも別に不思議ないじゃないですか。
でも旦那さんの目線がそうだから、
奥さんはその答えをモロに浴びて
同一化していくわけです。
だからお互いでお互いを答え同一化して
不機嫌な旦那と心配症の奥さんを
作り出しているわけですよ、お互いに。
僕の目にはそう見えたわけね。
当たってるかどうかは知りませんよ。
これ絶対正しいですっていう言い張るつもりは冒頭ないです。
所詮エレベーターの一瞬の一幕。
トータルで1分も見てなかったくせに
そこまで分かろうとすんなアホみたいに言われればアホですが、
そういう目線で僕は見ちゃうってことですね、今はね。
15:01
様々な訓練の事情でそういう風に見てしまうし、
あんまりこういうところでしゃべってるのは
よくないかもしれないけど、
誰ってことは特定できないし、
架空の話しかかもしれませんしね。
いくらでもありそうな話でもあるし、
しかもこれが100%の間違いであるということも
あり得るんですよ。
別にそれはそれでいいんですよ。
臨床やってるわけじゃないですし、
そういうもんですからね、この種の世界ってのはね。
エビデンスはない世界なんでね。
ただ、お互いがお互いの様子を作り出していく、
現実の振る舞いを動かしていくってことは、
精神力動学と呼ばれている世界では
ごく自然に起こることであって、
私にはそう見てもそんな不自然なことではないと思ったわけですね。
で、ご主人はつまり、
奥さんがそんなにお前心配しなくていいんだよ、
自分で心配性なものを作り出しておきながら、
それもないんですけど、
心配しなくていいんだぞって言ってるわけですよ。
だからもしかするとね、
下手に銀だことか買っていくと、
今度は奥さん、旦那のお母さんは文句言う人なのかもなって思ったんですね、私は。
こんなの買ってこなくていいのにってわざわざ言われたくないから。
だってこれやると誰もが嫌な気分になるじゃないですか。
そういう意味でも思いやりのつもりがあったのかもしれないなっていう、
てか多分そうなんだろうなって感じがしたんですよね。
だからいいって言葉が出てくるわけですよ。
何も分かってなくてそういうことをやってるわけじゃないわけですね。
ただこのお互いがお互いを作り出していくという東映同一化というのもですね、
その原点をメラニ・クラインは赤ちゃんに見ていて、
最近面白かったのがですね、
このプロジェクティブアイデンティファイなのか、
アイデンティティ、ちょっと英語を今すぐには引けないので、
引く気もあまりしておりませんので、
後で調べておきますが、
この東映同一化の役としてですね、
大月さんは2×3で6通り実はあるんだと。
つまり日本語にはプロジェクティブの部分に当社と東映があって、
2×3じゃないか。
とにかく6通り考えられるんだけど、
大月さんは3通りを提示してるんですね。
3通りの可能性があると。
当社同一化、それと東映同一化、
そして東映同一視、この3つの役が考えられて、
大月さんはそれぞれのレベルを変えてるんですよ。
この一番具体的である意味、
原始的で、だからすなわち精神病水準に近いのが、
当社同一化なんですね。
これが赤ちゃんがお母さんにやっちゃうやつなんですよ。
赤ちゃんとお母さんの関係っていうのは、
もう東映同一化というよりも、
もっと生々しい。
心肺症の奥さんって抽象的じゃないですか。
心肺症って誰にでも使えるじゃないですか。
赤ちゃんは悪いおっぱいとかって言うわけですよ。
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それってめちゃくちゃ具体的じゃないですか。
おっぱい出ない悪いおっぱい、もっとひどいんですよ。
赤ちゃんが想像してるのはもう、
なんかうんこが出てくる悪いおっぱいぐらいなんですよ。
だって赤ちゃんの手持ちの知ってるものってすごい少ないから、
そういうことになってしまうわけね。
で、大事なのは赤ちゃんは東映ではなくて、
当社をしてるって言ってるんですよ。
さっき言ったその不機嫌な旦那っていうのは、
不機嫌な旦那像っていうのは自分自身とは違いますよ。
自分自身は言ってみればプロジェクターであって、
不機嫌な旦那像っていうものを旦那に向かって投げているわけだから、
この投げている像は誰なんだっていうのは本当微妙な問題なんですけれども、
だから内的対象って言うんですけどね。
でも投げてるわけですよ。
でも当社同一化って言った時の当社は赤ちゃん自身なんですよ。
赤ちゃんがボーンって投げられるわけですよ。
この中間にあるのが先週も昨日も散々言っていた、
あのスーパーマン変身するってやつ。
変身って当Aじゃないじゃないですか。
当社じゃないです。
自分自身スーパーマンに変身するぞ。
自分自身が億万長者になっちゃうぞ。
自分自身がバットマンになるぞって全て変身するわけですから、
自分自身がもう変わってしまうわけですよ。
だから当Aではなくて、
ここのプロジェクトは当社だっていう表現を当ててみるのも面白いんではないかぐらいな感じで、
松木さんが本に書いていた。
さっきの夫婦のやりとりは、どこにも当社はないですよ。
自分自身が不機嫌な旦那になってるわけでもないし、
旦那の方も心肺症の奥さんになっちゃってるわけじゃない。
彼らは精神病水準に程遠くて、ちゃんと神経症水準に留まっているから、
お互いに投影はし合うんだけど決して当社はしない。
当社すると赤ちゃんはもうお母さんの悪いおっぱいになっちゃうんで、
すっごい辛いわけですよ。
まあ俺悪いおっぱいだわみたいな。
世界に生きてるわけですよ。
投影ってのはちゃんと自分の自我があって、
そしてそれに対して相手というものと自分というものは違う存在で、
だから相手に対してある種の像を投げて、
相手はこんな人間だと思い込むとか、
佐々木は精神分析を知ったかぶりする人間だと思い込むとか、
思い込みじゃないかもしれませんけど、こういうの投影なんです。
人に対してある種のレッテルを張るってことですよね。
そういうものだとみなすみたいな。
だから普通にみんなやってるじゃないですか。
相手に対して勝手な印象を持つっていうのはまさに投影なんですよ。
投影っていうのはでも健全なんですよ。
自分自身がそれになってないから。
グロテスクなホラーとかになってくると、
相手に飲み込まれるとか怪物に食べられるみたいなシーンが出てくるじゃないですか。
ああいうふうに当社ってのは私自身が何かになっちゃう。
ゾンビみたいなものに何か捉えられて何かされると、
自分もゾンビになっちゃうみたいな。
あれが当社の世界。
当社っていうのはもっと恐ろしいわけですよ。
恐ろしいしグロテスクなわけですね。
なぜならば生々しい世界。
ああいう世界を見ると私なんかよく思うんですけど、
21:04
子供っぽい世界だなって思います。やっぱり。
赤ちゃんのありそうな空想ってまさにああいう感じ。
自分というものがはっきりしてないから、
いろんなものになっちゃったりするわけですよね。
だからすぐ変身するわけですよ。
かぼちゃは馬車になっちゃうわけですね。
そういう世界で起こるのを当社というふうに呼んで、
当社で同一の存在になる。
つまり私はもう悪いお母さんになってしまいました、
みたいなのが赤ちゃんの世界。
だから当社同一かっていうふうに言うといいんだみたいな。
同一死の場合は、
投影にして同一死にすると今度は一番健全な世界になるわけです。
まず投影ってのはさっきも言った通り、
プロジェクターである自分と映し出されている像は別だってわかってますから。
映画見てるとなるのが当社同一死だったと思うんですよね。
松木さんが言う、
同一死ってのは同一化よりははるかにマイルドですから。
なった気持ちみたいなやつじゃないですか。
だから映画館に行ってスパイダーマン見ていて、
俺スパイダーマンのように活躍するみたいな。
これって自分スパイダーマンじゃないこと知ってますよね。
スパイダーマンのようにだから。
だから投影していて、
同一化はしてないわけです。
俺スパイダーマンになったではなくて、
ように活躍するで、
すごく抽象的で、
象徴的なんですよ。
だから投影同一死っていう風に言って、
その当社同一化と、
投影同一死の間にあるのが、
投影同一化だと。
そういう風に考えてみるとですね、
そこら中にあって当然なんですよね。
しかし人間同士の間柄で、
自分が投影したように相手が振る舞い出す。
相手が投影したように自分が振る舞い出す。
大体これをやるから喧嘩になるわけですけれども。
だからそのお夫婦も、
エレベーターの中で微妙に喧嘩っぽくなっちゃったわけですよ。
なんか買ってこいよみたいなこと言って、
いいって言ってるんだろうみたいな。
ノリになっちゃうわけですよ。
これは不機嫌な旦那を作り出し、
心配性の奥さんを作り出すっていう、
お互いが投影しあって、
お互いが投影されたものに同一化しようとしている結果の中で、
起きた現象なんですね。
やめようと思えば、
こういうことはほんとすぐやめられるんですよ。
自分は投影の外にいる存在だってことを思い出せばいいわけです。
不機嫌な旦那の一面あるかもしれないけど、
俺不機嫌な旦那そのものじゃないからっていう部分を思い出せば、
つまり自分には投影されたのではない面がある。
相手にも当然ある。
いう風になればですね、
もっと力学がですね、
力度がかかってこなくなってくるんで、
すぐ抜け出せるはずなんです。
なんなら別にリンダコ買いに行きゃいいわけじゃないですか。
そうすれば不機嫌な旦那とか一発で解消できるわけですよ。
その時間が多分ないとかそういうことではない。
不機嫌な旦那増点を投影させられたので、
その役割を演じなきゃならないような気になってる。
これが思い込みになるんですね。
24:00
あるいは心配症っていう役割を振られてしまったんで、
心配症の役を演じてるうちに、
心配症の奥さんになっちゃったんですね。
もう今さら辞められないわけですよ。
まあ別にいいか、買わなくてもっていう、
ただこれが言えばいいだけなんだけど、
もう言えなくなっちゃったんですね。
心配し続けるしかなくなってしまった。
これが非常に不思議なことに僕らの間では、
しょっちゅう起きてると私は思うんだけど、
全然これが認められてないというかね、
自分の中では不機嫌だな不機嫌だななんでしょうってことになって、
私が作ってるわけじゃないとか、
心配症なのはあいつが勝手に心配してるんで、
俺が心配症にしてるわけじゃないんだと、
お互いが頑張る世界に僕らは生きていて、
つまり個人個人は別々で、
そんな東映の力学科なんかに置かれていないと、
みんなが信じるような世界が今できているから、
この問題が一旦始まると、
抜き出しならないという変な事態を招いているような気が、
少なくとも学校でだから教えようよって、
私はいつも思うんですけれどもね。
東映同一科みたいなのを書いていて、
そういう説明があった後に、
精神分析をそこら辺で適用したらならないみたいな、
いましめの教訓みたいな文章、
必ず松木さんも藤山さんもみんな書くんですけど、
分かるんですけど、
勝手に臨床するんだよみたいなのが分かるんですけど、
なんかですね、不便だなっていう感じが、
だってこんなに、
ふんふんなんか問題一つとってもですね、
正直言って、
他の本って甘いと僕は思うんですよ。
そういう不機嫌なことばっかりやってると、
老後に面倒見てもらえなくなります。
なんかね、ずれたことを言ってる気がするんですよね。
だから機嫌よくしなさいみたいな、
それって結局抵抗と長寿がみたいな話になってくるわけですよ。
藤山さんも書いてましたけれども、
無駄な抵抗はやめて、おとなしく出てきなさいみたいな感じになってしまうわけですよ。
なんかこうですね、旦那は無駄な不機嫌はやめて、
機嫌よくして出てきなさいみたいな感じなんだけど、
なんかそれってこう、
そうならないしな、
あとそうなったとしてもですね、
釈然としないと思うんですよね。
釈然としないっていうことのことじゃないはずなんだけど、
そんなことばっかりさせられていて、
よく言うじゃないですか、
親の言う通りにして勉強ばっかりして、
いい子でばっかりいる子供は将来が怖いですみたいなことは、
割と言うのに、奥さんの言う通りにして、
いつもニコニコしている機嫌のいい旦那になっておけばいいことですってのは、
なんか僕はバランスが狂ってるような気がするんですよね。
別にそれで全然構わないはずなんですよ、機嫌よくて。
でもそんなことを言ったら、
子供だっていつも優等生をぶっていても、
全然構わないはずじゃないですか。
人間ってのは、
そういう社会圧みたいなものに沿って、
沿って、沿って、沿って生きていくっていうことをやっていると、
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結構苦しいように見えるんですよね。
それが全然苦しくないんだったらですね、
子供だって、
子供だって親の言うこと聞きたいわけですから、ベーシックには。
全然そんなことが辛くなるはずないんで、
それが辛くなるのにも関わらずですね、
そんなに優等生みたいな旦那ばっかり、
昨日見かけたその旦那が、
あの旦那さんが優等生的に振る舞うっていうのを、
圧で頑張るとなったらすごく大変。
それはすごい大変な思い込みなんですけど、
全然簡単なことなんだけど、
それぞれ大変だと思っちゃうだろうなという感じはしたわけです。
今の時代はちょっと合わないんですけどね。
これももう一つ奥様の心配性も同じで、
結局これは、
なぜ心配しているかというと、
自分が投影する感じだと、
結構たぶん厳しいんだと思うんですよね。
旦那は不機嫌だし、
旦那のお母さんもきっと何か、
自分が心配しているかどうか、
旦那は不機嫌だし、
旦那のお母さんもきっと何か厳しいんだと思うんですよ。
それはでも、自分が投影している分、
ますます自体が厳しくなっているっていうのが、
その自分にとっての心配性っていう自体に、
じわりじわりと近づいていくように、
日々が平成されている感じがあると思うんですよね。
だからここすっごいね、
ややこしくなっちゃうわけですよ。
そうしたいと思うと、
いきなり下脱するみたいになっちゃうんじゃないですか。
先のことは心配しないとか、
人のことを機嫌でも傷つかないとか、
そういう難しいことを考えなきゃ何だかなるじゃないですか。
私それは、この話には釣り合わないなって思うんですよね。
そんなことを考えるよりは、
とにかく自分は投影をするんだ。
これを伝えることすら今の時代は、
なかなか難しい。
昔から難しかったかもしれませんけどね。
今はますます難しい。
だから、旦那不機嫌じゃんって言われると、
旦那は不機嫌なんですよ。
だけれども、不機嫌な旦那に対して、
不機嫌投影を追加するということが、
メリットがないんですよ。
僕らはニュートラルには物を見られないんですよ。
これを見てみるとカメムシがいます。
カメムシは今年大量発生しています。
これは投影なんですよ。
何を投影しているかというと、子供の時代の悪いもの。
うんことかね。
そういうものが悪いものと親にならったりするじゃないですか。
だから、そういう虫とかが湧くみたいな光景に対して、
投影が自然と入るわけですよ。
じゃなかったら、トマトに虫が付いているからという理由によって、
それによって唐突に害をなされるわけじゃないわけですから。
30:00
でも、なんか嫌だなって思うというのは、
投影をするってことで、我々は投影をするんですよ。
虫は害虫だったりしますよ、もちろん。
だから不機嫌な旦那、不機嫌なように虫も害をなすんですが、
その害に対して私がおぞけを振る、
そのおぞけは多すぎるってことなんですね。
なぜ多いかというと、投影しているから。
ものすごい量投影するから。
多くなっちゃう。
これを単純に言うと、
私がする。
私が投影をする。
私はプロジェクターなのである。
だから電源を切れば、
そこに虫はいますし、旦那もいるんでね。
ライブ減るだけでなく、
引き込むことによって、
自分の投影している像を自分に引き込むことによって、
あの像自分なんだってことに気づけるんですよ。
これがすごい大事だなと、
最近思っているわけですね。
赤ちゃんは泣く。
泣くときには必ず投影をしている。
赤ちゃんは周りの大人はひどいって、
投影しているわけですよ。
いいおっぱいをくれないって言ってるわけですね。
投影するしかないわけですよ。
ホラーのような大人たちによって、
虐待されていると感じているんですよ。
実際はあやされているんだけど、
虐待されているって感じているわけですよ。
だからものすごい泣くじゃないですか。
ホラーのような大人ってのは、
赤ちゃんにそんなこと言ってもせんないことですが、
ホラーのような大人ってのは自分なんですよ。
自分の攻撃力のすさまじさに気づくってことが、
とてもいいことなんですよ。
自分のすさまじい攻撃力で自分を攻撃するから、
虐待する大人にそれを姿を変えさせてね、
自分の攻撃力というものを、
攻撃力を持った親という姿に変えさせて、
そっちから攻撃が来ていると。
そういうふうな像に、
自分で自分を苦しめるために作って使っているから、
すっごい苦しいわけですよ。
赤ちゃんはしょうがないんですよ。
ここは通らなければならない道なんで、
親が完璧でない限り完璧でないって親はね。
絶対にそうなんですよ。
だけど僕らは一旦このパターンをインストールして、
大人になってもここから完全には抜け出せてない。
完全には抜け出せないんですが、
完全に抜け出せればもうそれは下脱に近いんじゃないかと。
ほぼブッダだろうって思います。
だからおかしくなるんですよ話が。
あの夫婦にお互いに悟れっていうのはおかしいだろうって思うんで、
でもそこまでしなくていいはずなんですよね。
そこまでいけなくていいはずなんですよ。
だって世の中には別に夫婦円満の夫婦もいますからね。
で、みんながみんな下脱してるわけではありませんからね。
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全然。で、私も全く下脱してるわけじゃないんだけど、
みんなここに行くのは何ら問題ないですから。
ここに投影をするという、投影はするんだけど、
投影元は誰なのかという話。
投影してないと頑張らないことなんですよね。
投影してないんだったら、
世の中に良いものと悪いものなくなってしまうんですよ。
世の中に良いものと悪いものって本当は元々ないですから。
別に汚いものだから悪いっていうのは人間の都合なんで、
常に良い悪いがあるってことは投影しているはずなので、
投影元は自分なんですよ。
投影元が自分だということは、
この悪いものの攻撃力というものの正体は
私の攻撃力なんですよ。
これは私はすごいことだと思うんですよね。
これほど自分を苦しめる自分の攻撃力というものが
これほどのものだと自覚できればですね、
自分を非力だとかヘルプレスレスだとか、
思う必要がなくなるじゃないですか。
そして、良いものだと思ったもののような、
そして良いものだと思ったものの良さってすごいじゃないですか。
反面ね。これも全部自分の投影なんですよ。
世の中は元々良いようにできているとかでは別にないので、
自分の投影なんですよ。
デコレーションケーキが素敵とか、
自分の投影なんですよ、あれは。
だから自分が良いと思えるその良さというのも
なかなかすごいじゃないですか。
この2つがですね、自分発だと思えるか思えないかの差って
大きいなと私は思うんですよね。
その奥様が自分のお母さんのために
たこ焼き買ってくる、
たこ焼きだってことにしちゃってますが、
たこ焼き買ってくるのをアイドリングの車の中で待つことも
煩わしく感じるほど自分が弱いと思う必要は
さらさらないはずなんですよ。
自分それってすごい弱いじゃないですか。
そんなのすら我慢できないっていうのは本当に弱々しくなっていますよね。
どういう事情があるにせよ。
その弱さってのは投影された弱さなんですよ。
結局危険な人間だというものを
それって素晴らしい人間だと奥様は思って投影してるわけじゃないですからね。
危険な人間だという投影ってのは
大したことのない投影なんですよ。
大したことねえなーって投影をされてるわけ。
それに沿って自分も全く大したことのないところに
人間になって振る舞ってるわけですよ。
そういう着ぐるみを着て動いてるようなもんだってことですよね。
着ぐるみは着ちゃうんですよ。
これをやめるってことはできないですね。
でも着ぐるみ着ているからといって
直ちに自分はアンパンマンになりましたってことはないじゃないですか。
アンパンマンとして振る舞ってもいいけれども
それは自由ですが
振る舞わない自由もあるんですよね。
この自由が地域のことに全然嬉しくない気がするほど
我々は多分役を演じるという生き方を
子供の頃から叩き込まれてるんでしょうね。
だから私は不機嫌で弱々しくて面倒臭がりの男です
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っていう役を振られてしまうと
その通りにやらずにはいられなくなってくるという
これが多分力道のとてもとても不思議なところ
そして人間の生き方というものの
何と言うんですかね。
ちょっと嫌がらせるような
ちょっと嫌な感じですけど
宿命っぽさがありますが
この宿命は宿命という割には
割と簡単にやめることもできるんですよ。
本当にこれは
特にイライラしていて無気力っていうのが
すごくてなんでこの催眠術みたいになってしまうんでしょうね
っていうぐらい
よく見かける光景じゃないですか。
私なんか男子校に行ってましたから
昼休み後の5時間目っていうの
の授業中の男子生徒ってすごい
機嫌だし眠そうだし
でもあんなに不機嫌で眠い連中じゃないんですよ
別にその時間に
ハンドボールでしかもハンドボール好きですって
異常なまでに元気なんですよ。
つまり本質ってものがそこにないってことだと僕は思うんですよ。
ただ演じさせられている役割を
期待されている役割を演じるという
特訓を連日積んでるんで
めっちゃそれが上手になっちゃってるみたいな感じの
人たちに見えるんですね。
当時からそういう印象ってありましたから不思議だな
この光景と思ってたんで。
私はいわゆる私立中でできない方でしたけど
こいつらうぜえとか言ってるんだけど勉強とかめちゃくちゃできるわけですよ。
何なんだろうな。
でもみんなが期待された通りに振る舞うという
この不思議さっていうのはっていう
夫婦感なんて絶対そうなりますよね。
そうならないほうが不自然ですよね。
だからそこは難しさもあるとは思うんだけれども
なんかもうちょっとですね。
僕らは役から降りられる。いつでも降りられる。
降りるがすげえ簡単だってことなんです。
陶芸って嫌な気分になることめったにないですよね。
陶芸ってのは当社もそうなんですけども
赤ちゃんの陶芸がそうであるように悪い時ほど強く働くんですよ。
なぜかというと悪いものが自分の中にあることが嫌だからです。
赤ちゃんが何に苦しんでるかというと
例えば空腹ですよね。
いいおっぱいがもらえない。
その理由は私にあるって思いたくないわけですよ。
この苦しみは相手のせいだと思う。
相手のせいだと思い込む。
だから悪いことほど陶芸しがちなんですね。
僕らのはその癖がすっかり染み付いてるんで
しょっちゅう嫌なものを人から陶芸されちゃうんですけれども
引き受けなきゃならない時もありますよね。
そういう。
でも常に引き受けなければいけないわけでは全くない。
これは自分をちゃんと持つとか
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そういう話になりやすいような
気もするんだけれども
そういうのでなんとかなることもありますけどね。
どっちかっていうと自分が陶芸しないことによって
相手から陶芸されてるっていうのにも
気づきやすくなるんですよ。非常に。
相手が陶芸してきてるのには
それなりの事情がありますから
振り返るということも必要な時はあると思うんですけれども
引き受けるっていうのも全然できるんですよ。
所詮陶芸ですからね。
さっきと言ってることが違うようであれなんですけど
陶芸というのは力があるように見えますが
それは多分に思い込みで
陶芸はかなりプロジェクトなので
光が当たってきてるだけなんで
本来はそのように振る舞わなければいけない理由は何一つないんですよ。
これはやっぱり人間の性に近いですね。
陶芸に沿いやすい。機体に沿いたがるという。
機体された役割を演じたがるという。
しかもなるべく上手く演じたがるという。
つまりリアリティがあるということなんですよね。
リアリティなんか全然ないんですけどね。
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