1. グッドモーニングボイス
  2. 徳を積み重ねても天国にはいけ..
夢を信じても夢は現実にはならない。
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
えーっと、1月の…何日だ?
あ、違った。ごめんなさい。2月の2日でしたね。
昨日落としたと思うんだけど、2月になって、これが初めてということになりますね。
いやー、2月になり、しかも今日は、昨日やたら暖かかったじゃないですか。
今日はやたらと寒いんで、あのー、猛烈だなと、思いますね。
たぶん、冬というのは今日ぐらいな感じだと、いつもは思うんですよ。
今年はたぶんかなり暖かいから、今日みたいな日はすこぶる寒い感じがしますね。
えー、2月2日。えーっと、中学受験。ま、ど真ん中だと思いますけど、
えー、皆様、これを聞いている方に中学受験する方はさすがにいないんじゃないかなと思うんですけどね。
まあ、いたら頑張ってくださいね。
僕もやりました。中学受験は2月1日、雪の日にですね。
えー、あそこに受かってしまったのが私の不幸の始まりで、
えー、受かったときは、えー、すげー幸福の絶頂みたいな感覚でいたんで、
いかにこの良いことと悪いことに関する因果関係というものが知り滅裂かというのを、
僕は実は中学受験のときに考えたことなんですね、一度。
中学受験のときじゃないんだけど、中学生活のとき。
まさかあれでこんなに不幸になると、と思いましたね。
だから、分かんないんですよね。
落ちたら不幸だと思う方はいっぱいいらっしゃると思うんだけど、
私はあのとき落ちてたら幸福だっただろうな。
まあ、この種のたらればね、ほぼ完璧に無意味というか、無意味なんですけどね。
タイムマシンないっていうのと、もう一つは時間は途切れない。
要するに、出来事が途切れないと言ったらいいんですけどね。
だからこういうことをいくら考えても無駄なんだけど、
まあ、一つの私が喋っていることの補強事例としてね、
いいことが起きたと思って、それで喜ぶのは結構なんだけど、
多分それがいいことかどうかは分かんないんですよね。
まあこれは採用が馬なんでね、タイムウィルテルなんで、
あんまりこれを今更っていうところもありますけれども、
逆もしっかりでしてね、すごい不幸のどん底だと、
今日はその話ちょっとしようと思っているんですが、
思ってもですね、それは実に素晴らしいことなのかもしれないんですよ。
僕らの目にはそれが見えないんで、それはもう仕方がないんですよね。
フロイトが何度も何度も、事後性、事後性、事後ってのはつまり事後ですよ。
ことが起きた後の性格、あれ多分ドイツ語を直訳してないんじゃないかと思うんですよね。
事後性って変な言葉だと思うんだけど、
とにかくカウンセリング中に起きたことは、いいか悪いか絶対に当事者、
当人にはカウンセラーを含めて、精神分析を含めて分からん。
それはもう分からん構造になってるから、絶対分かることはないってことが、
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分かんないと始まらないみたいな話なんですよ。
後になると分かる。
そうそう、藤山さんの僕が読んだ本の一番冒頭のところで、
いきなり藤山さんが殴られるというシーンが出てくるんですよね。
カウンセラーをやってて、クライアントにいきなり殴られるところから始まるんですよね。
で、その殴られる直前になって、あ、俺殴られるんだと気づいた。
だけれども、よく考えてみると自分が殴られるということはずっと前から明らかだった。
その書き方が面白いんですけど、いろんなヒントがあった。
そういえば、クライアントはボクシングジムに通い始めた。
あれは俺を殴るためだったんだと。
だけど当時はそうは全然思えなかったし、
多分クライアントも全くそうは思ってなかったと。
ずっと上手くいかないクライアントさんが社会人になるにあたって、
もっと自分に自信をつけるためにボクシングジムに行くようになったんですと言ってたし、
それをまるまる信じ込んでいたし、
多分言ってる人もまるまるそう思ってたんだと。
ちょっと変な話にも聞こえますけどね。
でもまあそう思ってたわけだし、そこに不自然な流れは多分なかったわけですよね。
でも実はそれは無意識の中で着々と殴る準備をしていて、
思えばほとんど出会ってそこまでは書いてなかったと思うんですけど、
でもあの書き方ってそうなんですよね。
結局そのカウンセリングが始まった時から既に、
今日殴られる運命にあったような気がするみたいなノリなんですよね。
これが自己性というものをすごく表してるんでしょうけれども、
僕らの人生ってこれに似てると僕は思うんですよね。
分かってるつもりで言いますよね。
だからPDCAとか言うんだけど、
僕はこれに対してやや批判的なことを言ってますけど、
でも実際僕らやりますよね。
そういう極めて目先の操作をして、
極めて目先のメリットを得ていくってことをやるんだけど、
この見えてないものがあまりに多くて、
しかもそのうちのいくつか目に入ってるんだけど、
その時は無関係だと思ってるから分かんないんですね。
だから気がつくとそうなってるんだけど、
でもそれも含めて、
例えば藤山さんはそのおかげであれほどインパクトのある話が、
いきなり割と世の中で読まれにくい類の、
しかも値段も安くない本の冒頭にボンと読むことができたんですよ。
あれを受かれると、
編集さんとか出版社さんは、
この本ならいけるみたいに絶対思いそうなもんです。
僕ならそう思います。
ビジネス書だったとしても。
だから悪かったことなのかどうかも何とも言えないんですよね。
当時は良くも悪くも多分ない、
すごくびっくりさせられることだという感じで書かれてたし、
間違いなくあれほどの分析家の方でも、
びっくりしたことはびっくりしたと思うんですよね。
だから分からないっていうのがもうめちゃくちゃ大事で、
その分からなさっていうのは、
僕らが生きている、
06:00
うまく言えませんが、
大きな流れの中には、
分からなさというものが最初から含まれているって感じがいたします。
のでしょうがないんですよ、これはね。
分かったと思って一気一入してもいいと思うんですけれども、
だんだんこの経験が増えるにつれ、
あるいは倉園さんなりのお話を何度も聞くにつれ、
分かんなくてないんだろうなっていうのが、
一気一入を少し柔らげると言いますか、
透明化していくと言いますか、
一気したいしするんだけど本当は喜んでないみたいな、
一応するべきところだししちゃうんだけど別に悲しんでないみたいな、
心理状態が引き起こるんですね。
こういう話をすると今度は、
それは感情が薄まってつまらないんじゃないですかって話になるんだけど、
これもまたそういうことではないんですよ。
でもこの辺の話はまた追々していきたいと思いますね。
そうだな。
12月の4日から書き上げ塾が始まりますね。
終わるんだ。
4日、9期の書き上げ塾が終わります。
10日、10期の書き上げ塾が始まります。
直近ではそのぐらいかな。
これは別に告知になりませんね。
10期始まりますから来てねぐらいな感じだけど、もう間もなくです。
あとは3ヶ月チャレンジも今期の始まったばっかりなので、
ちょっと今は告知期間ではないですね。
タスクシュードジャーニーというのを井上新橋さんとJ松崎さんと3人でやるんで、
これよかったら聞いてくださいっていう感じかな。
2月の10日ですね。
オンラインでやります。
そうそう、私多分今日は少し声が弾んでるんじゃないかと思うんですけど、
ついに終わったんですよ。
一切合作を僕は終わりにしました。
構成ですね。
3校が終わった、年校が終わった、
全校やると思ってなかったんで、
やってよかったと思うんですけど、
でもこれを言ってると、4校も5校も全部やった後はやってよかったと思うので、
思うに決まってるんで、
やってよかったなと思いますが、
結構大変でした。
ぜひ今後こういう風にやっていきたいと、
本気づくづく思いましたね。
僕は50何冊か知りませんけれども、
本書いてて、
多分今回が構成やってて一番よかったなと思いました。
いつもとものすごく全然全く違うのかというと、
93%ぐらいまではいつもやってることは基本同じです。
いくら今回新しくいろいろ書き上げ塾で学んだとか言ってもですね、
気の入れ方も違ったとか言っても、
今までは全然ああいうことをやらず、
今回だけ初めて全部やりましたなんてことはないです。
7%程度の違いが大きいんですよ。
本当にそこまでは言わないにしても、
かわいはやおさんが以前書いていた、
このカウンセリング受けて私は変わりました。
360度大幅に変わりました。
何もかも変わりましたって言ったけど、
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360度変わると元に戻るじゃんと、
かわいはやおが言ったという話ね。
あれは実にいい話でもあり、笑い話でもあるような、
そういう話がいい話だと思いますけど、
そういうのに似てると思いますね。
Good Vibesもそういうところがあるのが、
僕はいいところだなと思います。
180度変わるのはまずいと思うんですよね。
今日はその話もしたいと思っております。
いずれにしても構成が終わって少しウキウキしてると。
これもさっき言った通りですね、
これがいいかどうかはわかんないんですよ。
ただ僕の小さな脳と乏しい視線の半径ではいいことなんですよ。
だから喜んどけばいいんですよ。
それでいいってことなんですよ。
夢を見てるんですよ。
ただ夢を見ていてもいい夢を見てたら、
喜んどけばいいんですよ。
悪夢を見たら悲しめばいいんですよ。
それはどっちも夢なんで、
一喜一憂するには本当は値しないんですね。
目が覚めれば。
目が覚めたら夢のことってどうでもよくなるじゃないですか。
少し記憶の片隅に残って、
上巻に何かを残すことはありますけども、
だからといって夢を見ていたから、
あの夢のこのシーンでこうするべきだったとか、
真剣に考える人はいませんよ。
それと生きていることの出来事ってのは、
よくほとんど同じような意味しかない。
だけど我々は本当の意味ではブッダじゃないんでね。
現実世界での夢から完全に覚めるという瞬間は、
滅多に訪れないので、
時々訪れると思うんですけど滅多に訪れないので、
このことがよく分かんなくなってしまうんですね。
夢に巻き込まれてしまうんです。
このことを繰り返しになっちゃいますけど、
ヴィオンという人がね、オルフレットヴィオンかな。
夢を見ている夢見る人と、夢を解釈する夢見る人が中にはいると。
この2種類の人に違いないじゃないですか。
夢見てることに違いないですよね。
ただ解釈してる子が少し目覚めてる感じはするかなという。
つまりこれは第2者って意味なんだけど、
第1者に比べればその人は目覚めてると言えるかなと。
だから対象関係というのは、
どっちかが目覚めた人で宗教やってるわけではない、
っていうような含みもあるんだろうと思います。
で、本題に入りますとですね、
ちょっと私もテレビはほとんど見てないし、
最近SNSも全然自分がツイートするときだけ見ているみたいな、
それでちょうどいいぐらいに思うんだけど、
テレビ見ているとなんかちょっと大変悲しいことが起こったようだ、
っていうのが、自信の話ではないですよ。
自信は大変ですよね。
でもそっちじゃなくて、なんかあったみたい。
僕よく知らないんですけれども、
セクシー田中さんだっけかなっていう漫画があるんですよね。
ちょっと読んでみようかなと思ったんですけどね。
そういう話ですね。
で、私はこれは非常に簡単に一言で言ってしまうと、
12:03
何らかの形で誰かが、無理なんだけどね。
これもさっき言ったとおり、タイムマシンないんでね。
でも僕は一つ思うことがあるんですよ。
この種のことが起きたら、
僕らの周りには、自分でもいいんですけれども、
死ななくていいんだって言ってあげる人がいるといいと。
難しいっていうのはよくわかるんですよ。
難しいんだけど、これしかなくていい。
これしか言わなくていいんじゃないかっていう状況が、
たまたま起こるなと。
たびたびっていうのかな。
うつぱんというコミックを、
この番組でも東京ライファー研究会でも紹介しましたね。
彼にはみんな思うと思うんですよ。
いや、そんなことで死ななくていいんだよと。
いや、生きてたほうがずっといいし、
みんなも君、生きてたほうがいいと思ってるからって言ったから
伝わるかというと伝わりにくい心理状態なんですけど、
これを言う人がもっともっといれば、
伝わっていくんだと思うんですよ。
なぜかね、ああいう人の周りには通しすぎると思うんですよね。
死ななきゃいけないと思い込んでるのは本人なんだけど、
周りの人はもっと言うべきことがあるんじゃないかって思うわけですね。
お母さんは梨をただ出してる場合じゃないんじゃないかって思うわけですよ。
うつばん、梨が好きじゃないとか言っちゃってますしね。
この辺のやり取りはすごく興味深いんだけど、
大学受験に彼は非常に受かってよかったなとあのシーンも思うんですけど、
番号がなければ、番号がなければと言って線路をじっと見てるわけですよ。
誰かがやっぱりこれは言ってあげたほうがいいと思うんですね。
言っても無駄だっていう意見もあるんですけれども、
そうじゃないと私は思うんです。
なぜならば、これは簡単ですよ。
私たちは夢をいつも見てるからなんですね。
これを片時も忘れるなんつったって。
土台無理なんて。
だからビオンが言った通りなんですよ。
夢を解釈する夢を見る人が周りにいて、
あなたとそれは夢だからと夢を見ながら言ってあげるんですよ。
こういう朦朧としたやりとりを我々はしているっていうのを、
この番組でもしつこくしつこくアホみたいに繰り返しているわけですけれども、
僕自身が朦朧としてるわけだからね。
だからこの朦朧としている中で、
これは夢だからねっていうことを繰り返し言うと、
夢だから許せるわけじゃないですか。
倉園さんのおっしゃってる通りですよね。
倉園圭園さんがグッドバイブスで、
夢だから許していいわけです。
何があろうと思うんですね。
現実じゃないんだから許せばいいと。
これは罪で罪悪で絶対罰しなければいけないという夢を見てるんです。
だからその罪の重さと軽さに関わらず許していいんですよ。
思いも金もないから夢なので。
っていう話なんですよ。
大学事件に陥るというのは思いも金もないわけですよ。
15:02
そもそも罪でもないわけですが、
倉園さんは罪だという夢をどっぷり見てるから、
死ななきゃダメだってなってしまうわけです。
罰としてね。
親に迷惑をかけて、受かりもしない大学を受けて、
その時間を無駄にし、その金を費やして、
しかもその負担を親に背負わせた罪深い人間だから、
これで受かればまだ免罪されるけど、
落ちればもうその罪は一生消えることがないっていうことに
償うことはできないってことになってしまうわけじゃないですか。
でもそんなことはないというのは周りの人は分かるわけですよね。
周りの人も夢見てるんだけど、そういう夢は見てないから、
いやそれは夢だと。
そんなことで人は死ななくていい。
俺だっていっぱい大学をしてると。
私なんて大学トータル含めて11校をしてますからね。
もうヘトも思ってませんからそんなこと。
もう忘れてますから。
もっと落ちてると思う。
数を数えてないからね。
親に迷惑はもちろん金銭的な負担をかけたというね。
めっちゃかけてますけど。
もう全然なんとも思ってませんから。
大体親だってなんとも思ってませんからね。
僕があれほどうめきながら中学受験したときに、
中学受験のことを思い出すね、この時期だから。
中学受験したときに四ツ谷大塚という塾に通ってですね、
ずっと塾会員になろうと超頑張ってたあの四ツ谷大塚を、
あのうちの母はあの時はやたら怒って、
やたら僕を行かせた割に、
先日三ツ谷っていう塾があったわよねとか言ってましたから。
そんなもんですからね。
もちろんそれは何年経ってるかな。
12だとすれば48年は経ってないね。
38年。
40年近く経てばそんなもんですよね。
親にしてみれば一層そんなもんですよ。
自分70後半でどうでもいいわけですよそんなことはね。
だからこういう夢を見ちゃうのは我々はしようがないと思います。
見ちゃう生き物ですから。
でもそれは夢なんだということを、
どっかで誰かが自覚したらそれを告げてあげると。
あんたは夢見てるだけだからねと。
現実はそういうこととは関係ないところで動いてるから。
そういう夢を言う人がいればですね、
たぶんひっくり返るんですよ。
ひっくり返る瞬間が来る。
で、先日Good Wives TVというのを収録していて、
倉田のけいぞうさんに、
僕は半ば意識せずにですね、
僕はだんだんそういう役割なんだけど、
もうだいぶ前からそうなってるんだけど、
彼から何かを引き出したくて、
自分は人から聞いた悩みだの、
自分がかつて持ってた悩みだのを、
持ってくるんだなっていうのに気づいたんですね。
先日はヒットしたっていうのがあった感触としてあったんですよ。
これは言ってみればですね、
皆さんの目から見ると、
佐々木は何かを信じ込んでしまったみたいに思うと思うんですよ。
18:03
つまりそれは宗教なんじゃないかって思うと思うんですよ。
人に迷惑をかけても全然罪の意識を感じないとか。
日本人としておかしくないと、
頭がちょっとどっか行っちゃったんじゃないかという心配をする人もいると思うんですね。
それは宗教なんじゃないかと思われると思うんですよ。
僕はこれは宗教だと思うんですね。
なぜなら信じるってことを起点にしてるから。
私がこれを宗教だとこういう宗教を信じるようになったのと同様に、
かつては逆のことを宗教として信じてたんですよ。
これをグッダワイオスTVで蔵殿さんに行ってみれば語ってもらったんで、
引き出せたって感じが僕はしたと。
もちろんそういう話はしょっちゅうしてるんですけれども、
こういう文脈で、こういう形で、
何かはっきりしたものとして言ってもらった。
要するに言ってもらいたいんだなっていうある意味で、
はっきりさせてほしいんだなと。
はっきりしてるんですけどね。
でもはっきりさせてほしいんだなと。
そういうのが大事かなと思ったんです。
今回のその漫画家さんの不幸なことを見てですね。
やっぱこう言われなくてもわかってるっていうふうに人は言っちゃうんだけど、
でも言われる必要があることってある。
つまり今回の事件で僕が思うのは、
加害者とされている人々もいれば被害者とされている人々もいて、
いろんな意見が飛び交うんだけど、
一向にこの点だけはみんなが変わらないなと思うのが、
この話はすごく深刻な問題になってる。
もちろんこれは不幸なことがあったら深刻な問題になっているわけですけれども、
私はこれが不幸なことがたとえ起きてなくても、
これは深刻な事態なんだと皆さん思っていらっしゃる。
という僕には宗教に見えるんですね。
この宗教を信じるか、
私が今信じている宗教の方を信じるかという話であって、
どっちかはニュートラルに事実を見てるわけじゃないっていうのは、
僕はこの番組で山のように言ってきているつもりです。
山のようにっていうのも変な理由ですけど、
とにかく繰り返しそれこそ反復的に言ってるつもりです。
つまり我々は世の中をニュートラルに見ることは決してできない。
必ず何かを信じちゃうので、
だったら私はもう、
罪と罰の宗教は信じたくないっていうことでしかないんですよ。
僕が信じている宗教と、
その罪と罰の宗教を言ってることが逆だから、
私の本能はいかにも事実に反する宗教のように感じられるんだと思うんですね。
世の中一般でこっちの罪と罰の宗教の方が信じられてるから、
でもそれは信じてるだけなんですよ。
その人たちからするとそれは事実であるって思うかもしれない。
だから私はニュートラルに事実を見ているんだと思っていらっしゃるかもしれません。
テレビであることないことを言ったことにされてしまうと、
21:02
ひどい信用をそれまであった信用とか人気とかファンとかが一切合切崩れてしまう。
それは事実じゃないか。
そういうことになってひどいことになるというのは
耐えがたいじゃないですかっていうような罪と罰の世界があるんだと思うんだよね。
あると信じているんだと思うんですよ。
僕はそれはそういうふうには見えない。
だからそれはニュートラルに事実は見ていない。
事実に対する深い解釈がそこに入っていると思う。
フツパンさんが大学に落ちたら、耐えがたいじゃないですかと、
罪深いじゃないですかと、一生償えないよ私じゃと、
そのお金を全部親に返すことができないし、返す必要はないと思うんですけどね。
返すことはできないし、絶対それは償えないんだというのは、
人によってはいやいやそれはちょっと宗教っぽいなって思うと思うんですよね。
つまり信じてるか信じていないかによって、
事実の見え方が大幅に変わるってことを僕ら知ってるにも関わらず、
ある種の事実に対してはですね、彷彿にそれを事実にしちゃうんですよね。
それはつまり信じてる程度が深いってことだと思うんです。
ニュートラルだ私はって思った時ほどニュートラルじゃないと僕は思うんですよね。
そもそも僕らは絶対ニュートラルではない。
多分その宗教を信じてる人にしても、深さと温度差は絶対あるんですよ。
だから大学院に落ちたら親に迷惑をかけるのは申し訳ないなっていうところから、
生きてはいられないってところまでは相当の開きがあるんですね。
同じような信念を抱いて、これは信念ですからね。
信念を抱いていたとしては。
私のようにそのようなものは迷惑でもなければ罪でもなく、
そんな過去はちょっとと忘れ去るに限ると。
だから私は猛烈に過去を今忘れてしまってるんで、
過去のログみたいなの基本的にはもう見返しやすいようなところに一切置いてないので、
見返すこともほぼないわけですね。
当然そうすると未来への見通しみたいなのも一切なくなるわけですよ。
最近だからフットワイブスでクラウドの形像とかいう人に吹き込まれていない、
佐々木はウカツになったよねみたいに思う人は多分僕の過去をよく知らないんですよ。
僕は彼と出会う遥か以前からずっとウカツな人間だったんで、
僕のことを以前はきちんとしていると思い込んでたのは、
それはそれの一つの深い信念と解釈に過ぎなくて、事実とは何の関係もないんです。
僕は子供の時からウカツなので有名だった子供なんですよ。
よく親にそういうことで叱られてたし、
意地の悪い先生なんてそのことで僕をいじってばっかりだって先生が小学校5年の時に言ったんですよ。
あれは鬱陶しかったね。
僕はウカツなんでやらかすんですよ、いろんなことを。
で、やったらその先生はそういうのをいじるの大好物みたいな人だよね。
ずっとそれやられてたんですよ。
24:00
ということを今思い出したんだけど、
つまり僕は別に子供の時からきちんとしてたわけじゃないんですよ。
きちんとしていると誤解していた人はいましたけれども、きちんとしてたことなく全然ないんです。
先生ってのはやっぱりきちんとした方が好きじゃないですか。
あの時代はそうだった。
だから私にはむしろ怒りを覚えがちなんですよ。
いじってた先生は怒ってたんだろう。
つまりきちんとしてると思ってたのにお前そんななわけっていうこの失望感とギャップがね、
ギャップ萌えのギャップですよ。
ギャップに失望するわけですね。
普通ギャップには失望しますよね。
だからあなたそんなに清楚そうなのに何それっていう風にそれをギャップ萌えになるんだろう。
僕の場合はギャップで怒りを買うわけですね。
一見しっかりしてそうだから。
でも実は全然しっかりしてないから。
っていうのが怒りを招くっていうのはすごい度々経験してきた。
度々というか山のようにそれこそ経験してきたんで。
しっかりはしてないんですよ私は。
もともとグッドバイブス突き込まれようとなんだろうと関係ないんですね。
もともと迂闊なんです。
で、それは全然問題じゃないんですよ僕が生きてる上で。
それは迂闊ではなくては生きていくのが不利であり危険だという信念を持ってると大変恐ろしく見えるかもしれないけど、
それはうつぱんさんの大学受験と何ら変わらない。
一つの解釈と信念。解釈と信念に前途がないんで。
その解釈や信念をしているから良いとか悪いはないんで。
するならしょうがない。
ただそれは解釈ですよっていうのは周りには伝えても伝えるだけの意味があると思うんですね。
悪いという話はしないにせよ。
それで死ぬ必要はないよ。
つまりどっちでもいいなら死なないでしょっていうことなんですよ。
なぜならそれは夢だから。
死んでしまうと夢と現実の端境に定食してしまいますからね。
夢は夢で終わらせるのがやっぱりいいと思うんですよ。
どんな夢を見ようと自由だけど夢と現実を非常に定食させない方がいいと思うんですね。
夢なんだけどそれをやってしまうとあなたの現実に直接かかってきちゃうよっていうこの言葉がいると思うんですよ。
だから夢を解釈する夢見る人、美音に寄せればそれは精神分析家ってことになりますが、が必要になるわけですね。
これを倉田野さんも繰り返しやってることなんですけど夢を解釈する夢見る人なわけです。
僕は彼をブッダだと思ってるわけじゃないですからね。
目覚めた人だと思ってるわけではないので目覚めることが普通の人より頻回に多いかなぐらいには思ってますけれども、
それだったら我々だってないわけではないんですよ。
目覚めることはありますよ。目覚めた人はブッダで目覚めた人っていう意味なんだけど、あれはずっと目覚めてるという人なんですよ。
だから特別なんですよある意味ではね。そういうふうに僕らならない。やっぱり何かを信じているし、
27:04
信じてることはおそらく現実でないのでっていうことが起こるんですね。
で、倉園さんがおっしゃっていたところのつまりこれは宗教だという、僕らがみんな信じ込んでる宗教っていうのはどういうものかというと、
つまり過去に悪いことを積み重ねると未来は悪い未来が待っていて、
過去にいいことをいっぱいやっていくと善行を積むっていうじゃないですか。
やると天国に行けます。つまりいい世界に行けますという宗教を、僕らは確かにこれは宗教なんですよ。
これを倉園さんから引き出したっていうのが僕がずっとyocbで、ああそうだって思ったやつなんですね。
これは宗教だというのは僕もずっと昔からいつも感じてたことで、
寺だからね家がね、こればっかり言う。で宗派を問わないここが問題だっていつも思うんですよ。
宗教っていろいろあるんだから宗派問えよって思うんだけど、これはクリスチャンであろうと仏教であろうとやってるんですね。
だからその意図が正しいと思うんですよ。
これは一種のエリプスコンプレックスであって、閻魔大王がやってきて何とかをちょん切るぞって言ってるのはものすごく虚勢感が強いんですよ。
それ虚勢だろ絶対って思っちゃうわけですね。
私なんかはあんなちょきちょきやるのを持ってる偉い人でおっさんじゃないですか絶対に。
あれが女の人であるという像を僕はまだ見たことがない。あるかもしれないけど。
でちょきちょきやってるわけじゃないですか。
それは絶対エリプスコンプレックスでしょって思うわけですよ。
つまりそれ超自然的な存在じゃないよね。
お父さんですよねそれはと。
お父さんの前で子供がブルブル震えている状態じゃないですかあれは。
閻魔長とかいうのはお前悪いことしたな悪いことしたなっていうのはあれですよ。
あれを僕らはフロイトが言った通りなんですよ。
人間の脳や心の構造にはこういう構造を持ちやすい傾向があるので。
だからユングが最初フロイトと仲良かった頃に世界中を旅したり文献漁ったりしてる。
そうして調査したわけですよね。
世界のどの神話にも同じ形があるんだと。
そこにフロイトに言わせれば世界のどの神話にもエリプスコンプレックスがあるよねってことなんですよ。
僕らみんなでそれを神話ですからねまさに信じてるわけですよ。
悪いことをすると地獄に。
その前に閻魔様がやってきて閻魔長を見てお前の悪いことはこれとこれとこれだみたいな。
これはつまり我々の罪悪感の記憶なんですね。
過去にこんなことをしたあんなことをした。
これほど善悪完全懲悪みたいなものは信じてませんよっていう人も多いと思うんですけど。
しかしながら僕らはこの構造はまんま受け継いじゃってるんで。
だから先日なんですよ僕が。
虫歯が怖くなってみたいな話をですね。
うまいこと話を引き出すような悩みが考えつかないときは悩んでるのかどうなのか非常に曖昧で昔悩んでたなみたいなものを引っ張ってくるんだけど。
30:09
しょうがなく虫歯っていう割と僕の中ではしょうもない例だったんだけどこれがヒットして。
つまり虫歯ってのは悪いことをしたからなるものだって思ってる人が多いんですよね。
僕もそう思いがちだったわけです。
だって親にそう言われるから。
甘いものばっかり食べてる方でしょうとか。
歯ちゃんと磨いたのとか。
帰ってきたらすぐにだんだんエスカレートしていくじゃないですか。
こういう良い歯ブラシを使いなさいとか。
なんかね歯間ブラシは絶対使えとかね。
つまりこれは善行なんですよ。
善行をやっぱりいっぱい積み重ねておけば虫歯のない健康な歯でいられるという天国に行けるわけですよ。
それに対して結構厳しいですからね現代のね。
虫歯という悪いことをいっぱい甘いものを食べ歯も磨かず寝てみたいな悪行をしていると歯医者に連れて行かれておじいってやられて地獄が回ってるわけですよ。
これは宗教なんですよ。
いやいやそれは事実でしょっていう人はいるかもしれないけどこれは僕は事実じゃないと思うんですよね。
第一にそうした人が全員虫歯になるわけじゃないっていう問題を無視している。
もっと問題なのはこっちの方がずっと問題だと思うんだけど僕もそこからなかなか抜けられないんだけど。
歯医者さんを縁馬大夫だと思ってる。
これが我々の恐怖と苦痛を増幅させてしまうんですね。
これを100%やめてみれば虫歯の治療を受けた時の多分痛みと苦しみは100分の1以下になるだろうなって気がします。
僕らはこのエリフスコンプレックスをどんだけ恐れているかを軽く考えてるんですよ。
プロイトがしつこく主張したのは僕はそれだと思うんですよね。
僕らエリフスコンプレックスをものすごく過大評判している。縁馬大夫になっちゃってる。
だってお父さんですからねあれ間違いなく。
あんなとんでもない奴じゃないわけですよ。
でも僕らにそう見えるわけですよね。縁馬大夫に見えちゃう。しょうがないですよね。
だって1歳児から見ればお父さんが怖いお父さんとか縁馬大夫に見えてたと思うんですよ。
これを僕らはやってる。つまり信用というものを積み重ねてきたと。
これをみんな言うじゃないですか。テレビとかでもね。みんな言う。信用積み重ねてきた。
つまりこれは何のことはないですよ。
キリスト教でいうとこのカルマみたいな話をしてるんですよ。
禅功にすぐ禅功を積み重ねてきたのにこのねテレビに出るということによって一瞬にしてそれが消え失せて地獄に行ってしまう。
というのが恐ろしいわけじゃないですか。
そういうストーリーがあるわけですよ。
過去に何々をしてきた。その積み重ねによって未来のあなたの幸せか不幸が回ってる。
だから僕は冒頭で言ったんですよ。そのようなことはわかんない。
33:00
中学に受かるのに私は僕を積み重ねてきたわけですよ。
小学校4年の半ばからね。ほぼ毎日勉強図ですよ。禅功にすぐ禅功をやってきたわけじゃないですか。
で、早稲田中学という天国に行ったわけですよ。で、そこが地獄だったんですよ。
こういうことがあるってことをこのストーリーは無視して。
全然この種の話には頓珍感なところからすっごいいい加減なんですよ。
人間のこのごくごく短いスパンの中でしか測ることのできない因果律の力を持って、
えらい長い期間、2年とか3年とか下手すると10年とかでこれを適用しちゃう。
僕らがわかってる因果律はおそらく数分の単位でしかなくて、
それですら正しいかどうかが相当怪しいのに、この数分ですっかりいい気になってですね、
過去と未来ってものを作り出せると思っていて、これを10年先取でやるわけですよ。
10年うまくいく方法みたいになっちゃうわけですね。
この5分のスパンでも測りきれてないものを10年に適用したら間違うに決まってるんだけど、
これを人生にまで適用し出すんですよ。
だから絵馬代表が出てくるわけじゃないですか。
100年単位になっちゃってる。
善行を積み重ねれば100年後にいい世界に行けますと。
完全に老後に安心するためにお金積み重ねるってことですよね。
浪費が悪事なんですよ。
浪費という悪事をやるとお金のない老後という地獄が回ってる。
全然変わらない、これは。
キリスト教でもやたら言ってることだし、仏教でもこれを言う。
みんなどの宗教に行ってもこれを言うってのは、宗教の考え方に真実が含まれているというよりは、
僕らの心の中にこういうふうに人生なり時間なりを解釈したいという発想があるわけですね。
僕はこれが面白かったんですよ。
先日ちょっとライフハックに興味のある社会学者っていう人がライフハックの話を書いてて、
僕も読んでる最中ちょっと腹がよじれそうになるほどおかしいところがあったんですけど、
いやこれこの人あの人でしょっていう、
それがすっごい霊々しく登場するんでね、社会学の文献なんで、
ライフハック研究会というのが開催されている。
私はそれを調査に行ったみたいなんです。
読んでるだけでも多分おかしくはないんでしょうけど、
僕はやっぱりその中にいた人間としては、
これ調査の対象とかになるかなみたいな、
どっちかっていうと釣り好きおじさんたちが集まって、
日曜だっていうのにみんなで釣りに行くっていうのを、
釣りに行くおじさんたちを調査したみたいな、
そういうのが論文になってるみたいな、
そういう独特のおかしみがあったんですけどね。
それでその中に出てきた、これはいい言葉だって思った。
現代は時間が物心化したみたいな、
36:00
これはすごいいいなと思ったんですよ。
時間が物の神になってしまったんですよ。
だからそれこそ倉殿さんが宗教って言った通りなんですよね。
つまりどういうことかというと、
僕らは時は金なりって言ってるんだけど、
時は神なりになっちゃっているわけね。
これがもう世の中に神を作り出した時に、
そこに虚偽が含まれてないケースはないですから、
これで一つでいけるなと。
社会学者っていうのはさすがにすごいなと思うんですよ。
時間が物心化したっていう、
このごく短い文章で、
こんな来伯研究会を調査していた文章の中で、
やっぱこういうの出てくるんだなと思って、
時間が万能になってしまった。
つまり時をかければ何でも解決するかのように、
僕らは思って未来へ未来へと、
いい未来へいい未来へと作り上げていく。
その中では時というものも触れることができないわけですよね。
時というものの中で良いことをすれば、
時が必ずそれを良い方向に導いてくれるかのような、
つまり神ですよね。
完全にそうなっちゃったんですよ。
時間が万能空想の領域に入った、
そういうことなんですよね。
万能空想というものを持つことほど、
リスキーなことはないっていうのは、
この番組では時々お伝えしておりますけれども、
例えばお金とかね。
お金は万能だってなった瞬間に、
僕らは恐怖にとらわれるわけです。
お金使っちゃったよ、どうしようってことになるじゃないですか。
こんな万能なものでガム買っちゃったよみたいな、
そういう恐怖があるから、
お金が万能だと思ってとことん信じた人は、
お金を1円も使うことができなくなる、
そういう病気ってあるわけですね。
これが清潔が万能だと、
手を洗わずにはいられなくなるとか、
そういうことが起こるわけですよ。
だから時が僕らの世界で万能と化したんですね。
時というものはもう絶対なわけですよ。
過去があり、未来がある。
それを司る時というものは、
手を触れることもできない。
失くすことも、壊すことも、減らすこともできない。
そこに厳然として存在してる。
存在してないんだけど。
ここら辺が神様らしいんだよね。
存在してないのに厳然としているんですよ。
で、それが時が厳然としてあるために、
過去に何を積み重ねてきたかっていうのも、
消すことができなくなってるわけです。
これをアーカイブみたいなもので、
僕らは記録に取ると、
より一層確実にそれが残っていくっていう、
誤解を抱くんですね。
この誤解を抱かなければ、
写真とかいくら撮っても全然OKだと思うんですけれども、
この誤解を抱くんですよ。
過去はあったってことにして、
しかもそれに一瞬も触れることができない。
過去を書き換えることができないってことなんですよ。
しかもそれが未来に繋がってる。
だからさっき言った通りのことになるわけです。
甘いものばっかり食べてると虫歯になるわけですよ。
それは何かSFチックなんですけど、
ある線の中に書き込まれていく、
現実、実現化していく現実。
39:00
それを司ってるのが、
木という神様なわけです。
木がそれを実現していくんだっていうね。
だから時間は万能になったわけです。
そういう世界に生きていると、
例えば年収という形で時間の万能感が証明されてしまうわけですよ。
頑張ったからいくらいくらというのが保証されているかのような。
つまり、何て言うんですかね。
時というものがすべてを作り上げていくんだっていう感じを抱くわけですよね。
時間が物心化したと。
全くそうだなって思うんですよ。
だから時間を無駄にするっていうことほど恐ろしいことはないですよ。
それは神様を無駄にしているようなもんですから。
昔はこれが神様なことなんですよ。
それが今は時間になったと。
姿を変えて繰り返し登場するんですね。
僕らの心がそれを作り出すから。
人間の心が人間の心である以上、
こういうものを作ってやまないみたいなところがあるんだと思う。
だからテレビに出て、今まで積み上げてきたものが崩れてしまう。
そして多くの人に迷惑をかけてしまう。
この罪は償えないっていうような宗教的発想になるんですよ。
この夢をみんなが、みんなは無理でも周りの人が、
僕らはこれからですね、この夢をみんな見てますから。
僕も見てますから。
お互いにそれは夢だからと。
だからこれは難しいところがあるのは、
みんなで見る夢ほど覚めにくいというのがあるわけですね。
僕らは集合の社会で生きているので、
というか社会で生きているので、
みんなで、これがだから吉本隆あたりが言ったことですよね。
共同幻想というものを見てるんで、
この夢を覚めて行動したり言動したりするのは難しい。
僕が結局Good Vibes TVでフラトノさんから引き出せたというか、
言葉に直してもらったっていうのはそういう意味なんですね。
みんなで信じてる夢の反対は口にすることすらはばかられるじゃないですか。
こういうところに言論の自由っていうのが意味があるんだと思うんだけど、
僕がこの番組でも躊躇なく喋るように今してるわけですよ。
ちょっとは躊躇。
このちょっと躊躇するっていうのが僕が結局ね、
こういうふうに喋っていながらもなお、
そういう不安にとらわれるという、
つまりかつて信じていた宗教の心の中に残っているものがあるわけですよ。
やばい、なんかここでね、
僕はこれを信じてはいるんだけれども、
でもなおですね、
つまり逆に言うと閻魔台を信じてないんだけど、
それでもここまでみんなに培ってきた信用みたいなものを失っちゃうんじゃないか、
みたいな不安にとらわれるわけですよ。
これはもう全くイリュージョンなんですよ。
だから例えばですけれども、
僕がそうだな、
なんでもいいんだけど、
グッドバイブスでもタスクシュートでもテレビで喋るじゃないですか。
それをいいように編集されて、
いやもうタスクシュートクソですみたいになぜか喋ったことになってると。
ああもうおしまいだみたいになるわけですよ。
42:01
気持ちの上でね。
で、ならないんだけど僕は。
で、なるとするとどういうことになるかというと、
それはつまりこれを喋ることによって、
私がかつて気づいてきた得ですよ。
何の得だかよくわかんないけど、
タスクシュートは素晴らしいと1万回も唱えました。
これは得なんですよね。
だから多くの人がその言葉を信じて、
タスクシュートの素晴らしさをブログとかで書くと。
これがもう本当キリスト教っぽいですよね、こうやって言ってると。
日々、永遠と教会の牧師のように日々得を積んできて、
あんまりファン座とか見たり、
陰光に浸ることなくタスクシュートの良さをね、
一生懸命こう広めていたわけですよ、コツコツと。
これが得というものなんですね。
なんか似てるじゃないですか。
非常にキリスト教的にも見えるし、仏教的にもこういうのもあるし、
神道的にもなくはないし、
儒教にもこういうのあるし。
最近で言うと習慣化というものがこれにとって変わってるんです。
宗教なんですよ、これは。
で、そうすると少しずつ信者が集まってきたみたいな表現って
めっちゃありますからね、この人の。
少しずつタスクシュートを信じる人たちが現れて、
このみんなで得が広まっていったんだけど、
テレビでね、あの日が喋ってたら適当に編集されて、
タスクシュートクソです、みたいな。
僕はかつて信じたのは実は全部嘘です、みたいなことを言って、
もうみんながいなくなった。
J.マスザキさんとか大橋えつおさんとかに迷惑をかかって、
もう一生償えない、みたいになるわけ。
こうなってるはずなんですよ。
人に迷惑をかけてうつうつとしてるというのは。
僕は今冗談のように喋ったし、
こんなのは冗談だとしか思えないんだけども、
現実にこういうことが起き得るじゃないですか。
起きたとするじゃないですか。
どこが一番おかしいのかというと、
一つは得を積んできたというその感覚がおかしいと思うんですよね。
そんなものは得でもなんでもない。
僕が勝手に好きでやっただけで、
しかもそれは積み上がっていないんですよ。
時間を物心化しなければ。
今ここにしか現実がないというのは事実なんで。
かつてそういうことがあったと思ってるのは僕の記憶だけなんで。
みんなで幻想を見てるっていう意味ではこれは共同幻想なんで。
そういう事実はないんですね、第一に。
だから積み上げてきたものなんてないんですよ。
積み上げてきたものがないのに、
それを失うということもないんですね。
なんと言おうとですよ。
もう一つは、それによって私が、
ここはまあ宗教的に聞こえるんでしょうけど、
信用を失うということすら、
僕はおそらくないだろうなって思うんですね。
で、現に私は今まで言ってきたことの真逆なことを平気で言ってるじゃないですか。
先日も本見ていて、ああ逆だなって思うんだけれども、
そういうことを言ってきてるわけですよ。
でもそれによって、例えばですよ。
うちの親が私の信頼を損ねた。
そんなことはないわけですよ、うちの親はね。
こうやって言うと、いやいやそれは親だからだって言うでしょう。
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だから全部やっていきますけど、
それによってうちの子のあるいは妻の信頼が失われたかったと、
別にそんなことはないと。
これで僕にとっては身近に確実に接する人の信頼と、
この一瞬で逆のことを言うと失われる論っていうのはひっくり返るんで。
この辺のことはですね、
信用を失うって人が言った時には多分無視してる事実だと思いますね。
誰と毎日接するのかっていうのをよくよく考えておく必要があると思うんですよ。
まあでもその人たちはお金くれないでしょうって言うので、
言われると思うんで、お金くれる人に目を向けると、
例えばJ松崎さんとかね、
いやあれはテレビで言ったのは編集適当にされちゃってって言えば、
彼は分かってくれますね。
多分テレビを見た瞬間から100%僕への信頼を失うってことはないと思うんですよ。
これで経済的な話は一つ決着がつくんですよ。
で僕は彼からのみ、彼とのみ仕事してるわけじゃないんで、
本書いたりしてますからね。
多分その話をした場合、
本が書けなくなるとは思えないんです。
だからこれも別にそれによって、
丸々そういうことを僕がしてしまったとしても、
それによって僕がこう思う実害っていうのは、
ここにも発生しないんですよ。
こうなってくるとほとんど発生しない。
大橋一夫さんはね、
でもこれも分かってくれそうな話はするんですよね。
彼は少し心配はしてくださるでしょうけども、
多分分かってくれないとは思わないんですよね。
どっちだか分かんないけども、
これも分かってもらえるものだとしてしまいますね。
それで倉田慶三さんですよ。
これはもうほとんど問題にならないと思うんですよ。
このケースにおいては。
そうすると僕の収益上のマイナスは発生しないんですよ。
あとはファンの人たちっていうことになるんだけど、
これをやってしまった場合、
多分この番組なりノートなりでガーッと出すと思うんですよ。
いや、私はタスク修得クソだと思ってないですから。
あれ言ってもいないですからっていうのをやると、
やるとどうなるかというと、
信じる人と信じない人には分かれると思いますね。
ところがこれは、もともと私を信じてくださっていた人の方が
信じるままになる降参がおそらく極めて大だと思うんですよ。
この辺に宗教って言ってることとの関係があるんだけど。
これによって、
あんなことを平気で言うようなやつじゃんみたいなことを言って
見限るっていう人は、
もともと私を多分あまり心よくは思ってなかった人に多いと。
これは僕はおかしな推測じゃないと思う。
この推測いらないと思ってるんだけど、
でもおかしな推測ではないと。
もともと僕の話に非常にうさんくさいものを感じていた人が
あのテレビを見て決定的に嫌になったっていうことはあり得る。
でもこれらの人、もともとファンだったとは
僕の中では思えないんですよね。
どっちでもいいんですよ別にね。
だけれども思えないんですよ。
48:00
ということはつまり、
これによって失うものってビビったようなものだから。
だけどそれは、
私のもともとの人間関係なり信用なりが
もともと小規模だったからじゃないか
って思われるかもしれないんだけど、
仮にそうだとしても、
僕のもともと持ってたものが少なく
規模が小さかったんだとしてもですね。
このように、
ある出来事が起きたときに
起こされていることが起きないケースがある
っていう点ではまだ変わらないと思うんですね。
つまり、
私がテレビじゃなくても全然いいんですよ。
新聞とかだっていいですよ。
新聞とかでも全然違う話になっていて、
信用を一気に失うって、
今回はみんなそういうことをテレビの中で言ってますからね。
信用を一気に失う恐ろしいんだっていう。
恐ろしくないって思うのと、
信用は失わないっていうのがある。
で、そういう事例はおそらくいっぱいあると僕は思います。
なぜならば、
こういうことは今回初めて起きたことでは絶対ないからですね。
だけれども、みんなが深刻にしゃべっちゃうんですよ。
ここが僕の問題だと。
みんなが恐ろしいんだって言うんですよ。
そうすると恐ろしいんですよ。
恐ろしいと思っている間は恐ろしい。
だから、
これを逆にするのは無理だと思うんです。
皆さんが信じる上で、
これを、罪と罰は一切存在せず、
罪と罰が存在しないのに迷惑なんてものに
意味があるわけないじゃないですか。
何ならもう躊躇なく言うと、
迷惑というものはないと思うんですよね、僕は。
だから、これを新聞でやろうと、
テレビでやろうと、何であろうと、
僕はそれによって人に迷惑をかけることは本当はないと思うんです。
あると感じてしまうのは、
僕の過去を信じていた宗教の残余みたいなもんですよ。
だから、それは夢なわけですよ。
夢から完全に覚められないから、
しょうがないとしても、夢は夢なんで、
私自身の現実は傷つかないんですね。
これがつまり、プラゾンさんがよく言うところの、
価値マックスであることは変わらないとか、
Jマスザキさんだって言いますからね、
あなたの価値が下がることは少しもない。
行動によって、彼はそういう意味ですよね。
行動の遺憾によって価値は変わらない。
どこへ行こうとあなたの価値は一緒だっていうのはそういうことですよね。
どこにテレビとか新聞で連れて行かれたとしても、
価値は変わらないんですよ。
これは宗教だと言われれば、信じるという意味で。
だから最初に言ったんですが、信じることが起点になる。
代わりに他の人方は、つまり迷惑をかけることに恐れを抱くっていう人は、
そうじゃない宗教を信じてるんですよ。
罪をいっぱい積み重ねていくと、
その罪は積み重なっていき、
時間というものによって記録に刻まれるようにして、
物の神と化した時間によって記録に刻まれていき、
その時間が未来を作り出していくんで、
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あなたは地獄という世界が待っていますっていう宗教を信じてるから怖いんですよ。
これを信じたら怖いに決まってるじゃないですか。
ただしそれは嘘っ端ですから。
私が天国の中学に入って地獄を見たようにですね、
そういうものはハナハナいい加減にできてますからね。
全然真実じゃないわけですよ。
でも言いましたからね、私の周りの人たちは。
いやいやお前は天国に入ったんだけどそこでサボったから地獄に落ちた。
いつまで経ってもそれをやめようとしないんですよね。
嘘ばっかりついちゃうわけ。
だからいいんですよ。
彼らが嘘をつくのはそういう夢を見ている。
だけれども信じないってことが大事なんです。
信じたくなければ。
夢なんだから都合のいい部分だけ信じて、
都合の悪い部分は信じないってことができるわけです。
私は今はそうでもないけれども、
最初に倉殿さんのグッドマイを好きだときは、
これはそうできるなと思ってそうしたんですよ。
あれの独特の画期的なところはそうなんですよ。
天国側だけ信じるということが一応ご都合主義的にできる。
本当は両面になるからやめたほうがいいんだけど、
最初はそれでも構わないと思うんですよね。
自分に都合の悪いものは全部夢だってことにして、
自分に都合のいいことが起きたら、
これは全部現実だってことにするっていうのもありだと思うんです。
それぐらいどうでもいいものってことなんですよ。
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