本題に入る前の導入
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1168回をお送りします。
4月15日火曜日、7時52分です。
まずはちょっとテイク2ってやつで、なんて言えばいいんですかね。
まあ出だしにとじったわけですよ。まあでもよく出だしなんて僕はいつもとじってるわけで、そんなの無視して撮ってるのに、
基本に限ってなぜテイク2なんてやろうとしたのかを思っていて、まあ今のところよくわかっていないんだけれども、
まあまあ、そんなことを言っていても仕方がありません。考えてても、ちょっと考えてたんですけど、わからんなと思ったんで、まあとりあえず考えるのをやめまして。
3ヶ月チャレンジ10期のCMをしたいんですけどね。
それをしようとするとどうしても、本題に入ってしまうんですよ。結局これ3ヶ月チャレンジの話をしてるから、
3ヶ月チャレンジとは何をしているのかってことをしゃべると、それは本題になってしまうということがございまして、
CMなのか本題なのかわかんないのは、これの差がみたいなところはあるんだけど、今特にそうだなと思いまして、しょうがないので本題に入りつつ、
檻に触れて思い出せたら、告知を間に挟もうと思った次第で、それでやり直してるんですね。これが一つの理由か、
半分ぐらいの理由だな。だからといって取り直す理由にはなってないような気がするんですけど、まあいいや。
心理臨床と個人の葛藤
あのー、寂しすぎてレズ風俗に行きましたれっていうですね、長田花火さん。私の本の表紙も書いてくださったことのある方なんですが、
本当に小さなコマで、要するにちょちょっと書きました、みたいな感じで、あの方はそういうある意味、画風でもあるんですけど、
カウンセリング受けに行ってるんですよね。 そのカウンセリング受けに行ってる中で、そんなのいいから抱きしめてくれても、要するにカウンセリングで言葉のやりとりですから、
抱きしめはまずしないはずなんで、抱きしめるということをするとすれば、もうそれは相当野良中の野良で、なかなかヤバい感じ。でも、
あのね、よーく考えてみると、あの例のあれですよ、「野の医者は笑う」は沖縄のヒーリングとか、要するにスピリチュアルとか、
まあ自己啓発とかいろいろあるわけだけど、非正規の民間セクターなわけですよね。で、
あそこでマッサージやってるけど、あれは同じじゃんっていう感じ。ハグはそれこそしてないけど、結局それは意味付けでしかないよなって感じもちょっとするようには私はなったんですよね。
まあ私も絶対マッサージはできない状況におりますが、マッサージはできる気がしませんからね。それで何かが良くなる、体は良くなるかもしれないけど、
とは思うんですよね。で、そんなのいいから抱きしめてくれ。ここはなぁ、もっと大事だなぁとは思ったんですよね。
これはね、だからこの辺なんですよね。私が今やっている仕事の一つは3ヶ月チャレンジで。やっぱりですね、カウンセラーさんに丸投げすればいいはずなんですよ。
向こうが専門家だ、正規だっておっしゃるならば。でも、そんなのいいから抱きしめてくれは多分二度と言ってないんですよね。
あれが相手が正規だったとしてですね。だとするとそれは究極的にはですよ。そういうことを僕は言いたいわけじゃないけど、究極的にはそれは専門家の失敗だって思うんですよ。
そんなのいいから抱きしめてくれは、かなり本題に迫ってるのに、そこで相手がもう来るのをやめてしまってるというのはですね、私はやっぱりそれは
残念ながら十分ではなかったと。この言い方ね過酷すぎると僕は思います。だからこそ自分のような活動はやっぱり意味があると思いたいというか思っているというかそういうことですよ。
つまりやっぱり利用者の側が少しリテラシーを日本の場合はですね、心理臨床に関しましては上げていかないと多分
変異性恋愛が少なくとも恋愛でないにせよ変異が起こりそうになっているところで中断してしまうというケース
そこをもう少し利用者がまあこれね、そうであってはならないという論は、筋論としては正しいと思うんですよね。
いやそれを患者側が意識しなきゃいけないのはダメでしょうっていうのは僕もそう思います。けれども実際には現状のままだとここで途絶えるというケースは多々あるだろう。
ここを果たして利用者側が救い取ることに本当にどのぐらい意味があるのかと言われると
えーとちょっとそこは僕にもわかりませんが、これってあれなんですよね。昔スミングスクールに帰ってた時のことなんだけど僕はやっぱり幼稚園生だったからまあまともにね言われてる通りなんかできやしないわけですよ。
そこでやっぱりある程度気の利いた先生でありかつやや短期な要するに教えるってことについてある種の待てない人は僕のことを抱えて
手はこうだみたいな感じで私の手を掴んでぐるぐる回しちゃうわけですよね。でもこれって意味ないじゃないですか。それをされてもその時は形よくなるでしょうけどすぐに元に戻りますわねそれはね。
でもやっぱりね私あの高校の頃大学かテニススクール開発した時にやっぱこれをやっちゃうコーチっていて面白いなと思うんですよね。
あ、で、なんか伝わるものもあるんですよ。手を使われていや私のサーブはこうだからって感じでこう、もうこうみたいな感じで手首とかももうなんかその先生の手によってひねられるんだけど
あ、そうなんねっていうのはなんか伝わるんでこれは無駄ではないんですよね。無駄ではないけどやっぱり元に戻るわけですよ。
でここにはねもう一つの問題があって正解がある幻想みたいなテニスはありますよある程度相当程度私ぐらいすごい下手っぴだった場合それでもねやっぱり身体というものは全員違うし
身体の形も全員違うし手首の筋力というものも全員どころかその瞬間ごとに違うんでやっぱり正しいやり方はあっても結局どっか自分流でやるしかないんですよ。
僕これは泳ぎで確信してるんですよね。泳ぎに正しい方はないんですよ。あるように思うですけれども早く泳ぐっていうことだけが目的ならそれはありますよね確実に。
でもないんですよ泳ぎ方なんて千差万別でそもそも泳げない方が溺れた時に生き残ることもあり得るのがだから正しい泳ぎ方って相当疑わしいんですよ。
ですがしゃーないですよねそれはね。しゃーないんだけどそれと似てるんですよね。カウンセリングに行ってユーザー側が
カウンセラーをフォローしてどうするんだってのはあるんだけどでも現実にはですねやっぱりああいうこう
あの寂しすぎて風俗レズ風俗いったわけですよねで私これについてはあのノートに書いたことがあるんですよ
風俗に取られているとは言わないが結局でもこの人風俗に言ってるよねっていうでこれはですね
今思っても誤解を招く書き方ですよね私は風俗に行ったのは悪いことだとは思わないんですよ
で そもそも何か言いたいかというとですね
風俗と心理臨床が並んでしまった時にどっちがいいと誰かに判定できるだろうかとあそこでは考えて
無理だよなどっちがいいっていうのは無理だよなと僕が思ったんですよね
でも あそこの音という番前に書いてしまうとどうしたって心理臨床正規の方がいいに決まっている論にし
どっかでしなきゃいけないですかこういう圧力が世の中にはあるよねってことを私は多分書いたつもりなんですけど
誤解を誤解されるっていう言い方なんですけど僕は誤解されるのはずっといいことだと思うんですよね
何にも伝わってないなって気がしたんですよで何にも伝わってないことを書くことによって実現して何になるんだろうと思って以来
ノートって書く日が僕はすごい伏せているわけですねまだここでここで喋ってる方がはるかにマシだと誤解はされるかもしれないけど
少なくとも誤解はしてもらえる多分誤解よりはマシなものが伝わっている
あれだとなんかね書くっていう行為はもっと高正規に寄っていくんだなっていうのを実感して嫌になってきているわけですよね
各ことによって何かを伝えないということを実現してしまう誤解を伝える方がずっといい っていう気持ちが残ったんですよ
誤解すら伝わらないなんかもう何にも伝わらないじゃんそれじゃあっていう 何にも伝わらないのがすなわち誤解が伝わってるってことのかもしれないけど僕はもうそう
思えなくなってるんですよね自分の感覚の問題なんだと思うんですよねあれはね結局 どうせ誤解は伝わるしどうせ何も伝わらないってことも起こるし
それはどうやっても何がテーマでも同じことなんだけど各この分野は8それがひどい で私にとっては特にこう
自己分析の深層
全く都市空見館だけがなんかもう拳を振り上げて原爆と戦おうみたいなノリになっている という
まあそれは大げさですけどとにかく何かをしないためにそれをしましたってなやだなと思う ってことですね
でこのレズ風俗に行きましたレポは私はすごくあの 熊なく読んだぐらいなんですよ別に食わなく読みましょうねって話じゃないですよ
僕は熊なく読んだってことね僕は多分ここら辺で長田神さんのファンになったから本の あの表紙も依頼してみたりしたわけですよ
そんなに飛ぶように売れたわけじゃなくて申し訳なかったなぁとは思ってるんだけど それはそれでビジネス紹介はそういうもんだからそこはそこでしょうがないなとも思って
るんですけど いずれにしても
本当こう なんて言えばいいんですかねいい本だなぁと思ったんですよねあのレズ風俗行き
ましたレポ本当にその結末からしてもいい本だったなぁと思ったわけですよ なぜこうなってるのかは読めばだいたいわかるんだけどそれでもよくわからない
ところがいっぱいある一つにはやっぱり えっと
自己分析だからなんだなぁって思うんですよね あれは自分が言ってるんだから間違いはないんですけど一切解釈が入ってこないん
でまぁでも絵になってるということがね えっと何かを自分に可能にしていくんだと思うんですけど
絵にかけるってすごいことだと思うんですよねだって絵描いてる間ずーっとそのことを 意識してなきゃなんないじゃないですか
これは厳しいと思うんですよそこを乗り越えているすごさというものとまあ すごさというか
気力ですかね というものと
でもなんかこう 抱きしめてほしいから心理臨床が途絶えてレズ風俗に行って抱きしめてもらいました
お母さんに だと思うんですけどね
定位 変異なんだけど
それがこう東映同一化で終わっているというか 終わってるというのもおかしいんだけれどもそれは悪いことみたいにない方になっちゃってる
からですね 定位が起きるんだよなと
対抗してますよね抱きしめてほしいわけだから子供に対抗している機能シンデレラは 階段を転がるように
通りていくわけで階段を転がるように子供に戻っていくわけででお母さんに抱きしめて ほしい
まあ美音は言いましたねあの断片的なところしかにみんながいいをするところだけを僕は まごびきするんだけどあれですよ
だからこういうことを学者はしてはいけないことになってるけど学者だってすると思うん だけど僕学者なら絶対するよ
8ですねあの クラインは対抗させてはいけないというまあくらい場合ストイックですよね
クラインは対抗させてはいけないという対抗するに決まってるじゃないですかそんなこと クラインだって知ってると思うんですよ
ミニコットは対抗させる必要があるという私は美音は私は対抗 患者は対抗すると言おうって言ったって言うね
は対抗しますよねただ対抗すると言うを言ってるだけじゃ一番しょうもない感じが するんだけど
美音のすごいところは読んでると8しょうもないことをずっと言ってやってるように見えて 一番すごそうなことをやってるっていうところが彼のすごさかなぁって思うんですよね
あのまあ人 カウンセラーはというよりは人間というのは核ありたいものだと僕は思うんですけどね
なんかこう昔このポッドキャストで自分は100円ショップのプラスチック製品でありたいと 思ったんですけどこの感覚が保持さえできていればなっていう
空気のような存在で痛いっていう表現もあるんだけどなんか空気って結構 大事じゃないですか
なんかね大事じゃないように生きていきたいって思うんですよね 生きていきたいというかただずーっとそうでありたいみたいな感じなんですよね
道って偉いなって思うじゃないですか道路こんなに役に立つものもないんだけど 写真に撮ろうと絵に書こうとこんなに生えないものもないですよね
なんかこういうものであるのが一番 いいんだけど壁とかね屋根とかだいたいそうなんですよね
こう なんかね進歩がない進歩とか変化とかがほとんど見受けられない
神経症とは何か
することはすると思うんですよ 竿だけはなぜ潰れないのかっていうのが大ヒットしましたね竿だけ
でやっぱり未だにあるじゃないですかでさほどの進歩は見られませんよねいくらか は見られるでしょうけど竹じゃないしね
でもまあそれでいいんですよねティッシュペーパーとかも本当ないとみんなすごい困るのに あの普段は全く試みようとしないですよね
まあまあこういう感じですよね 帰り見るかな
ああ
で変異なんですよ私がずーっと考えてるのは 8フロイトっていうのは本当にすごいなと時々やっぱり思い知らされるんだけど
彼は店員して神経症を治すことがまあ言ってみれば 心理臨床の目指すところであるみたいな
つまりここにクライアントがいらっしゃる なんでもいいから抱きしめてくれという神経症がそこに現れる
だって彼女はあのね着ぐるみになっても人と 抱きしめてほしいって思ってレジ打ちやっててもあの
逆に抱きしめてほしいってなことできないじゃないですか そうでなくてもセクハラということが厳しくなっているこの時代に女性の店員をいきなり
ハグするということに大変なリスクを犯してまで そんなことできないじゃないですかでもこの人に抱きしめられるということが物理的に
狙うその人が望むといかに難しいことになってしまうかという私もあれは学生 時代にあの
彼女を作ってすぐホテルに行きたかったからなぜホテルに行きたかったのか当時さっぱり 今で思うとさっぱりわかってなかったわけですよね僕は
セックスしたくなかったんだから何をお前はしたかったんだって感じなんだけど まあ神経症とはそういうものなんですよ重度になると神経症水準も精神病水準もあったもん
じゃないなって思うんですよね 完全に検出検討が怪しくなるレベルまで神経症が進んでいくんですよね
孤独の表現
それはよくわかるんですよだからレジ打ちやっててあの目の前に買ってきてくれる おじさんにハグされたいと思ってしまうわけですが
されたらされたで全然違う反応になるんじゃないのかなと思わなくはないんですけどね ここでとにかくそれを寂しいとしか表現できないと
まああの私どっかで x かな x に投稿しましたけど武器たくんはあの私僕の心胸には穴が
開いていてっていうのがリアルに穴が開いちゃっていて あれは象徴投下物だと思いますけれども
あのリアルに穴が開いてしまっていて風が吹いているわけですよ それを見せると途端に風が吹き出すという
服を着てる間は風吹いてなかった 風が具体象徴になっているわけだけど心の隙間って言うじゃないですか
もちろんそれはメタファーなんですけどあれあのこの番組で喋ったことあると思います があのメタファーそっくりの実話が実はですから
多分松木国色さんが書いていてあの私の胸の中には助成器が入っていて の助成器は人からもう見えてしまうんで夏でも厚い服を着てコードで隠していない
とあのみんなに白い目で見られて困るんですよっていう あのまあこれは精神病の方ですね
でこれは 胸に助成器があってそれが上がってくる人に見られるっていうのはですね
あの心の中に8女性への性欲があってそれが人にバレてはまずいってこう言えば 普通じゃないですか誰にでも通りますよ
これを具体水準で喋ると途端に意味がわからなくなりますよ でも具体水準ということはそれだけ切迫してるってことだからやっぱりこのその切迫感は
象徴的な言葉を使ったのでは伝わらなくなってですよ だからあのレズ風俗に行きましたレポの人ももう具体水準へ具体水準へと
彼女が欲しているのは情緒的な分かち合いみたいなものなんだけどそんなことを言っ ててもダメなわけですよ
だからカウンセリングに行っても何にもされている気がしなくて具体的に抱きしめられ なければ
8ダメだと言ってるわけですよねそれはその 思考がやっぱり思考が思考の形をなせなくなってきている
具体水準に大きくこうシフトしてきているわけですね 寂しさがあまりにも酷いから寂しさがあまりにも酷くなってくるともはや寂しいという
言葉には何の意味もなくてもう一段と進んだ言葉が必要になるはずなんですよ それは寂しいということの本質をついているはずですよ
つまり例えば あれもどこかにあったな私は透明人間だっていうあの妄想に囚われて人からは見えていない
というねすべての人から無視されている 自分は見えないわけだってこれは寂しさをやっぱり一段と先へ進めている
水準だと思うんですよねそれが精神病なのか新柔道の神経症なのかっていうのは 一旦置いといて3カ月チャレンジで一旦置いておくわけですよ
フロイトは精神分析科だからその神経症をここに持ってこさせるんだっていう あの何かの前の話にあったじゃないですか
私は生まれつき短期でえっとこの短期を何とかして欲しいって言って あの坊さんのところに行くとその短期をここに出してみろって坊さんに言われていやあの
今は短期はないからって言ったらそれだったら生まれつき持ってるわけじゃないんだと お父さんとお母さんのこと悪く言うのやめようねっていうそういうまあトンチみたいな
あの話なんだけどあれはつまり フロイトあれを地でやってるわけですよねそういう説教するんじゃなくて本当にここに
持ってこさせるわけですよ 持ってくるまではとにかくあの来てもらって夢の話でも何でもいいから
濃い話を濃い人間関係の中で週に5回あるわけですから 週に5回あって自分の中の一番人に言ってないことや夢での話をことごとくフロイトには
するってことをやっているうちに神経症が ロイトにの目の前で現れてくるわけですよね
それが転移神経症でこの転移神経症を精神分析で治療してあげれば この人は神経症というものをあの
扱いながら日常の生活世界でも生きていくことができるっていう なかなか立派な理屈なんですよ
でも私は精神分析やってるわけじゃないからこの通りのそもそもこの通りの出来事が 本当に起こるのかよっていうのもあるんで
まあつまり何をやっていたかというと同じようにはできないが しかしこういう話を繰り返し繰り返しやっていればそういうことが自然と起きるかも
しれないじゃないですか で私がそのままそしらぬふりをしてやり過ごしていればですね
知ってはいるってことなんですよ 変異があるということは知ってます神経症があるということは皆さんノイローゼですから知ってます
よね みんなが知ってることですよね
変異があるということを知ってノイローゼがあるということを知って 変異神経症というものがあることも知ってつまりあの転移っていうのは具体的に
カウンセリングルームで人工的に作り出された神経症ですから とはいえ神経症であることに違いはない
うーんと話が分かりにくいという方のためにですね 私は人に会うのが怖いんですって言っておきながら
なぜかその人カウンセリングにはひょうひょうと会いに来ちゃってるじゃないですか お前人に会いに来るのが怖い人人が怖いのどこ行ったって話なんだこれはさっきの
半期が生まれつきでって話とよく似てるんですよね で
一体対人恐怖症なんですよと言いながらフロイトのところには何か兵器で来て 結構いろいろなことをしゃべるとその状態では治療を始められないわけですよね
ある意味だけれども フロイトがいつの間にかコープなんていろいろ喋ってるうちにですね
これが変異神経症ですよその人の対人恐怖症みたいなものがちゃんとカウンセリング ルームでもだから何かにつけてキャンスローしするようになるとか
この辺にこのいわゆる心理臨床のややこしさがあるんですよね 対人恐怖症そのものを全然見せもしない
対人恐怖症は治せないけど一旦その人が対人恐怖症を本当に発症し始めると カウンセリングに来ること自体ができなくなるわけですよ
これを取り扱うことによってだからキャンセルとかドタ犬はものすごく重要な意味を持つ んですよ
心理臨床の難しさ
あの精神分析ではですね 実際に対人恐怖症というものがついにはいフロイトにも発症したとここに来て初めてそれを
まあダイレクトに取り扱うことができるようになるという ロジックなんだけどとなるとその時にはほら中断しちゃうわけですよね
だからそんなのいいから抱きしめてくれが発症したら あの人の場合は節日なんて発症が早いわけですよ
ハグしてほしいというのがすべての人に適応されるから当然カウンセラーには適応される わけですよね
ここに持ってきなさいがここに持ってこられてるんだけどその時ハグしてくれないから ああもういいやってことで来なくなるっていうこれを引き起こさないようにするためにそもそもこの
知識が事前に入っていることが大事なんですよ 少なくとも専門家の方にはでも私は専門家の方だけに入っていても実際には中断が
大きい しかも私は現状のこの国では残念ながらそれはすごく頻繁に起きる気がするのでいろいろ事情が
ありましてその辺の事情を書いているのが山崎高木さんが例えば書いていて戸綾隆さんも 例えば書いているわけですけど
あの精神分析のある方はまさにその辺の事情をこと細かく書いてくれている本なんですよ 何度も喋ってますけどねこのことはね
で私はそうは言ってもそれを画面越しに取り扱うって言ったって変異神経症だとか言っ たってダメだと思うんで
変異神経症についてお互い知っておくということをとっていて そしてそれが大きなとしても今まさに起きているからさあ取り扱いましょうみたいな
急に転移開始開始しますみたいな理由には理由をやったとしても何かのそれはままごと みたいになっちゃうからそこを意識しながら頑張ってなんていうのかな頑張って普通の
関係を続けていくと 結果として
8 結果として相互に取り扱ったり取り扱わなかったりするということが断続的に発生するの
ではなかろうかという まあなかろうかではなくて起きて欲しいなみたいな感じなんですけどねどっちかというと
起きて欲しいなって思っているわけですよ なんか起きそれらしきことが起きたり起きなかったりする中で
そのこれがアレなんではないだろうかっていうことにあの思い当たっていく それは私が思い当たってもいいし
あの 利用者さんが思い当たってもいい参加者さんが思い当たってもいいんですよ
これと現実に行っていることがあのリンクしていく まあそれを僕は経営リンクのようなものと言いたいわけですけれどもね
とにかくリンクしてリンクを壊すってことをしなければいいんだって思うんですよ リンクしていくということは出来事に対しての抽象化象徴化が進行するはずなんで
だって物事っていうのは似ることはあっても同じことは絶対ないわけですからね だから似ているっていうのは記憶の産物じゃないですか
一期一会ですからねこの世の中は 改善って言ったって全く同じことを改善することはできないわけですから
あくまでも似たもの同士でしかないわけですから だから似てないっていう主張がそこに具体象徴ってことが出てくるわけでしょ
他の人は寂しいとか言ってるけど私がそうじゃないんだ レズ部族に行ってハグしてもらわなければならないんだって言ってるわけですよね
これは他のものとは違うんだってことですよね それが具体象徴というものの持つ重みですよねある種の
あの 女性性器が胸に上がってくることは胸が性欲でいっぱいになるなどというレベルのこととは
違うんですよ
わかんないけど私にはそれはわかんないんだけどそしてそれがバレるということの恐ろし たわ
いやあった頭の中はセックスのことでいっぱいでさあみたいなレベルではないっていうこと なんですよ
それがバレた時の恐ろしさは現代の日本でも逮捕されるんではないかと そして人生少なくとも破滅するんではないかという恐怖なんですよ
だから分かち合えないわけですよ それを分かち合う人が心理臨床化なんだだと思うんですよね
でこの転移神経症 最近読んだ本では転移精神病って言葉もあるということを知ったんですがそれはたちょっと
やっぱりなかなかあの 素人水準では厳しい世界だとは思うんですけどねでも
そんなことを言ったって 柔道の神経症と精神病を分けてみたところでそれは分かれますけど
現実検討って意味で確かにあの長田神さんのあれはやっぱり神経症水準であると思うん ですよね
無意識の理解
だって着ぐるみを着てハグされようっていうのは現実についての検討がちゃんとついてるし しかも着ぐるみだからハグできるっていうこともちゃんとわかってるじゃないですか
ここはやっぱりあの 寂しさで胸に本当に穴が開いてそこに霊風が本当に吹き晴れてしまっている
武喜多くんの水準とは少し違うと思う あそこまで行くとやっぱりホラー漫画のネタみたいになってしまってるわけですよ
だからあれを書いている
ちょっと名前忘れたなんとかかなこさん あの人はこの水準のことがやっぱり描写したい動機を持っていらっしゃるんだなと思って
やっぱり僕は武喜多くんはほぼ全巻読んだわけですよね 読みたくなりますよね
読めば何かが改善できるというような話では全くないけれども全くないけれども あの読みたくはなりますよね女の子がめちゃくちゃ太ってるうちに8幼虫になっちゃってそして
さなぎになって出てきたら美しくなるんだけど美しくなると武喜多くんとうまくいかなく なるというこのこのストーリーはめちゃくちゃ
臨床に出てくるような話そのものだなって思うんですよね本当に 直してないけどあの話の中で
いぬきかなこかなあの人の話は僕はどれも非常に好きです あの絵も僕はホラーという割にはなかなかコミカルでいいと思うんですよ
まあ不気味っちゃ不気味ですけど女の子が幼虫になったりしてるんで でもまあ
そういうもんですよねグロテスクってなそういうことですか やっぱりこう話がちょっと脱線してますけどグロテスクってのは8あれです病理
行動体にはよく出てくるんですよ ローゼンフェルドの世界ですよね総敵防衛
あの つまりギャング団になってみたりそそどかされている世界なんですよ
あの暴走族になってみたりえっともうちょっと女スパイとかに女性がこの なんつーのかな
あの総敵防衛と病理構造体で割と高シンプルに言っている ケースでは真っ黒い不幸ピチピチの真っ黒い服着てるとかね
そういう夢を見ているわけですよそしてあのなんだっけ あの自分の夫の元ガールフレンドのところに行って無知で打つとかね
あのいたってわかりやすいなって感じもしなくはないんだけどここには長寿が的な ものがあるでバッシュてるわけですよね
ある意味でもバッサれているのは実は自分自身なんですけれども 装的に破壊していくって感じなわけですよ
意識と無意識の関係
非常にわかりいいなこの世界のことはとは思うんですけれども 分かり良ければそれをじゃあ
なんていうんですかね治療するにはどうしたらいいかそれはまた全然別の話で全然 話がわかりよくはならないだって
カウンセラーだって処罰の対象にすぐなりますからねそういう場合はカウンセラー を処罰するのは簡単でえっともうやめます
もう二度と来ませんさようならってこうして治療失敗するわけですよ そして困るのは残念ながら利用者さんがだから私はやっぱり
の3ヶ月チャレンジというもの プラスアルファーを10期から用意したいんだけどここでなんとかこう心理臨床を利用する
というこの中には非正義が入ってても全然僕はいいと思うんですよね 今では私だってどっちかというと正義
には助けられなかったとは言いませんがやっぱりグッドバイブスに私は大いに預かる ところがあってこれで私はもう言ってみれば
まあ最近は j 松崎さんのどちらかというとあの 中のかな決め台詞みたいになってますけど行動によって価値は上下しないっていう
のを手に入れた感じがあるんですよ 私は自分の人生なりやることなりビジネスを
あれで pdca によって改善しようという気はない 仮説も立てないいきなりやっちゃうっていういきなりやっちゃうという日
これもやっぱりだからそのクラウドの形状さんなんですよね あのあれですよカーラー数ですよあの
カーラー砂じゃなくのをひたすら歌わされたあの話 私はやっぱり愛話をいい話だなぁと思ってあっすり捨ててしまうという方が残念ながら
残念ながらなかなかああいうのをやっぱり僕だって結局 あの頭で理解しているだけなんだけど
こう ただ歌うん
にだけの人はそれができないんだっていうこと 彼はだから100回も1000回もこのフレーズだけ歌わされているうちにただ歌うって
なんかそのすごいやっぱりああいう話って響くなぁと思うんですよね あの弓と前を王立に思い出したんですよだから私弓と前をグッドバイブスにつなげるって
本を書こうとして飛んだしたんだけど だいたい私にやっぱりその種の体験が足りなさすぎるんですよね
僕には明快にあるが2つじゃないんですよ 一つはその散々パラ言ってる
幼少期の頃に頭が真っ白になるまで泳いでいた あの体験なんですよねもう一つはタスクシュートでちょいちょい得た体験なんですよ
やっぱり版中の方が1万時間の法則みたいなもんですよね そういう言い方をすると何かの訓練みたいなんだけど訓練の体は取ってるんだけど
あの弓と前がそうじゃないですかあの的を狙っちゃダメだとうまくなろうとしちゃダメだと えっとそもそも目的もって弓引くなと繰り返しそれしか言ってないですよね
でそもそもそういうことを考えるのやめろと尋ねるな質問もやめると とにかく稽古しろと
この訓練のようでいて実は全然訓練じゃないと だけどあれを習ったのは折り
平原さん オリゲル平原さんちょっと名前これも忘れたんですけど何しろあの人は関東学者みたいな
人なんでいやその目的と意図を持って弓を引くんだみたいなことを言って1回波紋に 合うんですよね
だけれどもやっぱり彼が大徳した話っていうのはそうなんですよね つくづくそうだなって思うような話なんですよ
まあカーラスの話と全く同じ話をしてますね で版か何回なのかわかんないですけど何万1万回とかなのかもしれないですよね
はい続けてって言ったと 言われたことがあると
このだから続けるのとそうでないのには明快な差があるわけですよ 違いっていうのかな
であの弓の市販も言ってましたけど赤ちゃんはちゃんと弓が弾けると習ったことが ないでもあなたはできないと
習ってるせいだとそういうような言い方ですよね うまくは言えないんだけどもそういうもんなんだとそういう話ですよね
あの私あのあの話も非常に好きなんですけど 今回は脱線し続けてますねこのポッドキャストはでも僕が言ってることって結局同じ話
なんですよね僕はよく十分わかってないから ぐじゃぐじゃ言ってるだけなんで
あれですよの雲は巣を張るとそう張ってる目的は知らないし 8その後何が起きるのかもしれないし
おそらく雲の場合あの脳みその量の飛ぼしたからすると自分が雲の下がってるなんて 知らないですよね
しかしそこに生えがあの入ってきてでもはちゃんとそれによって食事にありつくことが できると全部無意識ですよね
いう人間の言葉で言えば確実に全部無意識ですよね 私はやっぱり
まあクラウドの計像さんもドバイブスで合宿とかすると あの自然を見るってことやるわけですひたすらひたすら自然を見るみたいなそういう
ワークをされてたんですよね あれは本当に正しいと思うんですよ
私たちは意識の方が無意識よりもものが理解できていて自分を良い方向に導いて くれるとでも思ってるんですけれどもそれはそれで別にいいんでしょうけど
明らかにこう世界ってものを見ているとこれら全部無意識に動いてるわけですから 自分の無意識を信用する方が自分の自意識なんぞ信用するよ
よっぽどいいだと思うんですけれども かなかこれは言ったって通らない上に自分だって十分これがやられてると思えない
ただ まあせいぜいできることは私はタスクシュート協会の理事でもあるからせいぜいできることは記録に
残ったことはどこか絶対無意識の意図というものが無意識の糸って変なんだけど 反映されていてこれがどれほどまずくなっているように見えてもこれこそが正解なんですよね
雲はいっそう貼ってなければすぐ上地にしちゃうわけですから でそう貼ってるのなんて多分認識すらできてないって
私だって絶対巣を張ってるんですよマック気づいてないんですよそのことには この結果によって起きたことを否定しちゃダメだと思うんですよ
いかなる意味でもダメだろうと思うんですよね だからあの俺も暮らすの系同産にあるセミナーで言われたんですけど
今日は一人しか来ませんでしたねって言った時に咲さん一人が最も良かったんですよきって言った やっぱりこれがかなり彼の場合はそこに近づけている瞬間が時間として
多いなとは僕は思ったんですよね 10人読んで一人だと9人来なかったって感情を持っちゃうんだけどこれが意識が持つ
感覚なんですよね 無意識には全然違う意図があるっていうそれは自分らでは気づくことがないけれど
でもそれは多分私たちを最もいい結婚 この現実のにあり得る中ではおそらくベストに近い状態に私たちをこう
改善の幻想
なんていうんですかデザインしてくれている しかしそのデザインに僕らは自ら気づくのはほぼ無理だって言う
これが残念だと人間意識というのは思うようになぜかできている この不思議さがあるんですよ
多分それはものすごく不思議なことなんですよ 自分の心臓が動いているのは残念だと思っているのに限りなく近いんですよ
心臓止まればいいのにぐらいに持ってんだけど止まったら止まってめちゃくちゃ騒ぎ出す んですよ
でもしょうがないんですよねなぜならば人間という生き物はそういうふうになっている 無意識の働きを残念があるようにできている
だから改善するとか人工的にうまくやるというのがとんでもなくいいことのように思うん だけど多分それはとんでもなく悪いことがそこに含まれているんだろうなと
だからせめてそれを それがあまりにも自分の生活なりライフを脅かすようになったら
それが神経症ということから始まると思うんですけど なんとかそれを無意識の力を借りてと言いますか
要するに自意識というものでそれを何とかするのをやめようと 特に人がちょっと前に大流行りした今時そんなに流行ってないからもういいかなと思うんですけど
あれですよ tdca 的な思考あれを止めようと だから僕はその
3ヶ月チャレンジのセッションでとにかく黙る黙れてないと思うんですよね たぶん僕とやってる人はみんないやいやお前言ってることでやってること全然違うやんって思わ
れてると思うんですけどこれもまた あのアレなんですよ無意識のなせる技だと僕は思って感受することにしてるんですよ
ウェニコットもよく言ってたんですよねその何にもしないみたいなことを言いながら 見ることとやたら論争しちゃうんですよね
すぐこうやり合うすぐディスカッションする言ってることとやってることっていうのは一致 できるようにはできてないんですよね
北村おさむさんがこの辺得意技ですよね あの人の話を聞けと言って人の話を聞いている途中に寝てしまうのが私たちだっていう
でもね寝てのはなんかその意図があると思うんですけどね僕はね 眠くもないのに寝てしまうのは変異だと思うんですよ
お前に私の話を聞かせてはやらないよって言われてる気がするんですよね だから私は十分寝るんですよ最近はもう2度寝してても10時間くらい寝るんです
眠気は全部飛ばしておかないとこれがある種のやっぱり精神分析化がする訓練の一種 だと思うんですよ
自分の側はなるべく持ち込まない 持ち込まれているものを吟味しなきゃいけないからそこのところだけはあの科学的に
やりたいなと私は思う無理ですけどね だから喉を乾かさないお腹すかせない眠気を飛ばしておく
そうすればにもかかわらずトイレに行きたくなるにもかかわらずものが食べたくなる そして寝てしまう
これが起きたということは たとえ画面越しであったとしてもそこに典異的なものがすごく強く働いていて
どんなにその人が必死に佐々木さんは話聞いてくださいと言いながら私には聞かせ たくない話がある
気がつくと私は寝ているとか意識が飛んでるということが起きて聞かれては困る話を その方はされている
そういう時に私はここを乗り越えて話を聞きたいと思うだろうかと自分に問うと その話の中身が
どうであるというような話じゃないんですよ その中身を問い始めたらいやそれは別にどってことないじゃんっていうこの
無意識の力の理解
意識的な判断が起こるんですよ大事なのはこの話はできないなと しょうもない話であればあるほどそこには大きな意味があるじゃないですか
しょうもない話なのにその人は無意識には人に話を聞かせられないと思っていれば 寂しくもなるじゃないですか
だって一番大事なことは誰もわかってくれない 自分透明人間だっていう妄想とそっくりですよねこれは一番大事なことは私は誰とも分かち合え
ないっていう意味になりますよねこれはわざわざお金を 運満円払って話を聞いてくださいということになっていてセッションでさあなたの話を聞き
ましょうって言ったら 無意識が手を回して私を眠らせてしまうとこれは寂しいですよね
このまま世の中に出ていってもその人はその人にとって大事な話は誰も聞いて くれないっていう結果を迎えていくわけですよ
これを取り扱うということがしかしサーチャレは 複雑ですねダイレクトでは無理だと
したがってこれを取り扱わないふうを装いながらというか 取り扱うぞという意思は持たないままに無意識の力でを借りてお互いのお互いが
定義というものがあります転移性恋愛 転移性神経症変異性精神病すらあるということを知ってます
そして無意識という力がここにうごめいています 意識できていない否定するかもしれないでも5名手はいるんですっていうことをどっかで
インストールお互いにしておけばそいつらが勝手に作動してくれて私が分析科ではない 知ってますよね
言ってます正規ではないこれも知ってますよね言ってますこれは心理現象ではない という網をくぐり抜けて無意識がうまいことをやってくれることを強く祈っているのが
3ヶ月チャレンジです 十機よろしくということです