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2023-12-14 32:42

楳図かずおさんの『洗礼』【GMV902】

無意識がドラマを作る。

サマリー

梅津和夫さんの『洗礼』は、無意識が持つ力や人間の内面を描いた衝撃的な作品であります。梅津さんの特異な絵やストーリーテリングが魅力となっております。美人の女の子役から女優になるために苦しむ女性が、脳移植をして娘の体を乗っ取り、青春をやり直すことを決意いたします。しかし、最後には娘の心が乗っ取られたことに気付かされ、脳移植の象徴的な意味や親が子供を乗っ取る問題が描かれております。梅津和夫さんの漫画ならではの独特な展開と興味深いテーマが含まれております。このエピソードでは、『洗礼』という漫画作品の登場人物やストーリーについて詳しく解説されております。ストーリーは、藤山さんと彼の息子が登場し、父親の願望と恐怖、そして母親の無念さと妄想が描かれております。息子が突然狂い始めたことから始まる話で、フロイトの理論やエリプスコンプレックスを含んだ複雑な心理状況が描かれております。

00:04
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
12月13日水曜日の21時ジャストですね。
これを明日の朝に配信したいと思っています。
山崎貴昭さんの告知
今日はですね、ちょっとその前に告知で、来年1月20日にライハック系の会という形をとりたいと思っているんですが、
山崎貴昭さんですね、いつも時々私がゲストでお招きする、前回、トーラケンライトというところでお招きした、精神分析的心理療法家の山崎さんをゲストでお招きして、
リアルになるか、オンラインオンリーになるか、ちょっとまだ確定できないんですけれども、またさらに告知もまだなんですが、
でも来年1月20日にそれをやろうとは思っておりますので、これまた、
ですね、
その日受けておいていただかなくてもですね、
アーカイブ配信もさせていただこうと思っているので、ただこれ事前申し込みに限るという形に今回もさせていただきます。
これずっとオープンにしておくというのが、ちょっとやっぱりそうすると、
ゲストの山崎さんのお話にちょっと制約がかかっちゃうかなというのがありまして、
それは気有かもしれませんけれども、一応そういう形をとらさせていただこうと思っております。
今日はですね、
今まで、
今まで、
今までとちょっとまた趣向を変えましてですね、
ある作品の、
またコミックなんですけどね、
最近noteでですね、
今日は書けないと思うんですけどね、
残念ながら、
あの精神分析をコミックでやるっていうのをやっているわけですよ。
また誰が望んでるんだか分かりもしないような、
しかも情報価値もどの程度あるんだか分かりもしないようなですね、
物好きな企画を僕が勝手にやるという、
でもこれはもう僕の生き方だなと思っているので、
あのなんかねハラハラドキドキかもしれませんね。
僕のこういう生き方はね、
全部ぶっちゃけたら奥さんとかさぞ心配するだろうなと思うんで、
基本的に全部ぶっちゃけてないんですけれども、
あの100日チャレンジみたいなね、
あの景気のいい企画だけを喋ると、
こういう一つのとってもですね、
やっぱりこう人との生き方には様々なよう、
あのなんていうの側面があるので、
こういう企画をこういうまあ人がいて、
くださるというのはありがたいなと、
いろんな意味でどれの企画の方が意味があるとか全然なくて、
私にとってはあの3ヶ月チャレンジみたいなのも非常にこうありがたいし、
やってて非常に自分としては納得感も充実感も高いんだけど、
これをやっぱりね、
あの下手に奥さんと共有はできないっていうところはありますよね。
何それ、人来るの?
それでみたいな、
で来ている人数を言ってしまったら、
あのそれはそれでやっぱ心配されると思うんですよ。
あの100チャレだけにしなさいみたいにね。
やっぱりこう仕事のそのかかる時間、
エネルギーとそのなんて言うんですかね。
まあ100日チャレンジだけにしなさいと奥さんに言われたわけじゃないし、
言うかどうかも分かんないですけどね。
これはあくまでも私の妄想なんでね。
こういうことを考えない方がいいなと思っておるんですけれども、
まあでもこういうことができているのも様々な要素、
要因のおかげなのでありがたいことなんですけれどね。
で、その、
物好きな企画の、
絶対ノートなんかやめろって感じですよね。
お前それ時間どのぐらいかけてお金どうなってるのだと。
しかもそれ何かの、
例えば集客なり本の酷使に繋がってるのかというと、
まず全然繋がってるとは僕もさすがに思ってません。
この精神分析を漫画で納得するみたいな。
私の中ではこれタスクシュートともグッドバイブスとも繋がるから、
全部と繋がってるんだけど、
そんなのはね、
僕の中で勝手に繋げてるだけなんじゃねえかっていう感じなんで。
これをどう繋がってるのかを、
明瞭に言語でみんなに納得できるように説明しろと言われると、
無理ですからね、はっきり言って。
僕の中では繋がってると。
一部の人にはそれが理解されるだろうけれども、
なかなかそれが普通に理解されるなんて思ってないとは、
僕もそれはそうです。
ただですね、
今日いいねつけてくださった中に、
スウェーデンの人って、
スウェーデン人ですね、
いらっしゃっていて、
あのノートの精神分析の話にですね、
やっぱですね、
あのこういう読者さんは今まではタイムだったなと、
僕の中ではあるので、
やっぱりこう、
まあよしとするしかないよねと。
スウェーデン人の人がトラケに来てくれるかどうかとか、
そんなことまで期待しちゃいけないと思うんですよ。
そういう問題じゃないだろうと思ってやっていこうという風に考えています。
で、
その思い出したんですよ。
漫画でっていうのを考えてるうちに、
今度どの漫画と思ったら、
ふっといきなり上がって、
できたのが、
今日ネタバレまで喋っちゃうんで、
このタイトルを聞いて、
最後まで聞きたくないということは、
最後まで聞かずに置いて欲しいんですけど、
ネタバレいかないかな。
でも途中まで絶対行っちゃいますね。
梅津和夫さんの洗礼。
これはですね、
僕は読んだ時、
強い衝撃、
めちゃくちゃ強い衝撃を受けました。
梅津さんって方は、
すごい大化じゃないですか。
ホラー漫画の大化ですよね。
でも私は、
彼はですね、
真相真理の漫画を書かせたら最高だと思うと、
ところが多々あるんです。
ちょっとエログロナンセンスで、
しかもそれがあんまり、
なんて言うのかな。
昭和のやっぱり、
おじいちゃんなんですよね。
すでにね、
大化なので。
なんて言えばいいのかな。
洗練はされてません。
はっきり言って。
平成生まれの漫画家さんは、
上手いですよね。
それは本当に。
そういう意味では、
全然こう、
まさに荒削りとはあのことなんだけど、
でも話は面白いよね。
って、
いうのがやっぱりあります。
いろんな意味で、
例えばビッグコミックスピリッツで、
連載してたと思ったんだけど、
そういう連載には向かないなとは思うんですけどね。
でもコミックを、
いわゆる単行本で読み通すと、
すごいなって感じはやっぱしますね。
本当にある種の小説を読んだ時の、
独語感と全く変わらない、
ということが時々あるんですよ。
強烈に来る。
三島由紀夫なんかはやっぱり、
数不列に感じさせる話がありますね。
三島とは全然違いますけどね、
雰囲気がね。
で、
えーとね。
無意識の力について
この先例、
何がいいかというと、
先日お話しした無意識というものが、
完全に無意識として扱われている。
まずこういう漫画が珍しいですね。
無意識って言葉は確か出てこないけどね。
あのー、
あのー、
全く意識の中に入ってこない無意識が、
人の無意識が、
人間をどんどん突き動かしていって、
大変大きなドラマというか、
事件を引き起こすっていうのが、
なんつうんですかね。
まあ、漫画においてという意味ですけど、
すごい説得力を示してくれるんですよ。
これは本当にそうだよなっていうか、
まああんなことはないですけどね。
実際にはね。
ないですけれども、
えーと、妄想というものが、
無意識をゆりどころにしていて、
そして無意識というものは、
意識できないわけですよ。
当たり前なんですけどね。
ここでも僕ら誤解してるんですよね。
フロイトの言葉で。
先日もお話しましたけど、
我々は無意識というのを、
心のどこかで分かってるぐらいに思ってるんですよね。
あるいは、ほとんど全意識と変わらない。
なんか意識しようと思えば、
意識できるぐらいに思ってる。
そうでも全くないから困るんですよ。
もうこれは仕事術において、
僕が、ここを、
絶対お伝えしたいんですけど、
ある仕事がしたくないとなった時に、
あーだ、こうだと考えるけど、
それは全く役に立たないと思うんですよね。
私は。
それは無意識がやらせまいとしているから、
そう追いそれとはできないんですよ。
朝起きられないのだって、
ある意味同じだと思うんですよね。
もちろん寝不足ってのは別ですよ。
あと体調不良とかね。
そこを除外して考えると、
起こすまいとしている自分がいるって、
思った方がいいと思うんですよ。
その無意識の力に、どうしても、
何て言うんですね。
負けるとか勝つとかいう話ではないんですよね。
もう一つの意志なんですよ。
ここで起きないよっていうね。
起きたいというのが意志であるならば、
起きないというのも意志なんですよ。
だから起きられないんです。
これを私たちは認識できないんです。
しかし無意識なんで。
潜在意識とかではないんですよ。
心のどこかでは知ってるとか、
本当に真剣に考えれば思い出せるとか、
そういうレベルとはちょっと違うところにあって、
思い出せないというか、
思い出せない。
とにかく存在しないんですね。
自分にとって。
だから厄介なんですよ。
なんで私がカレオバナ、カレオバナ、
うるさく言ってるかというと、
お化けがいるようにしか思えないからなんですよ。
自分が不安だから、
そこにお化けを作ってるという自覚を、
持てないから無意識なんですよ。
作ってるっていう自覚を持ったら消えちゃうんですよ。
逆説的なんですけどね。
非常にね。
そういうところがあるわけです。
これを描く漫画ってのがね、
ないかなーってのが、
前からずっと僕は多分探しているんですね。
で、それを最初に一番強烈な形で見つけたのは、
手塚治虫さんとかではないってことなんですよ。
梅塚蔵さんの作品の洗礼は、
素晴らしいと思いますね。
あのやっぱネタバレになっちゃうんですけどね。
これネタバレにしないと話、
用がないんでネタバレしちゃいますけど、
あのお母さんの東映ドイツ科なんです。
東映ドイツ科って無意識の働きですからね。
お母さんが要するに女優なんですよ。
で、すっごい綺麗な子役をやっていたと。
この綺麗な女の人を描くの梅塚さんはすごい上手いですよ。
あの蛇おばさんとか猫少女のイメージからすると、
美女から女優への葛藤と決意
こんなに美人描くの上手いんだなっていうぐらい上手いですよ。
あのシティハンターとかとはまた違った技なんですよ。
まあいいんですけれどもね。
で、とにかく美人の女の子役から、
で、とにかく美人の女の子役から、
女優になっていくんだけれども、
年を取っていくに従って、
綺麗じゃなくなっていくってことを、
ものすごく苦しんでるという人がいらっしゃって、
で、その醜くなっていく自分が恐ろしいので、
絶対若返るっていう決意を持つんですね。
で、どういうふうにやるかっていうと、
自分が娘を作って、
その娘の体を乗っ取る。
娘になってしまえば、また若返ることができると。
そのために脳移植をするっていう話なんですよ。
まあ漫画ですよね。
で、娘になるわけですよ。
まあ漫画なんでね。
なんだかすごい不可解なオカルトな医者が出てきて、
その医者が脳移植をやってくれるわけですよ。
で、脳移植をやって、娘になって、
で、その娘になった自分は、
昔の女優としての自分じゃなくて、
えっと、
脳移植と娘になる決意
青春をやり直すんだというわけで、
娘の体を乗っ取って、
娘の担任の先生と、
なんで担任の先生なんだって思うんだけど、
担任の先生と結婚するべく、
その担任の先生の奥さんをやたらいびって追い出すというね。
その辺は梅津漫画の非常に独特な感じで、
あの虫を仕掛けるとかね。
そんなんで奥さん出てかねえだろうって感じもするんだけれども、
まあまあそういう話なんですね。
非常によく描けてるなあって、僕はもう。
これだけ聞くと、何か、
子供の冗談の漫画みたいにしか思えないと思うんですけれども、
最後まで読むとですね、
びっくりさせられるんですよね。
梅津さんはこう、
これは所詮漫画だっていうふうに読まれてることまで、
多分計算して、
計算してないのかな?
ちょっとよくわかんないんですけどね。
おそら、多分計算してると思う、
思いたいところなんですけど、
計算してないかもね。
でもそこは計算に入ってて、
これ所詮漫画だからなと思って読んでいると、
えっと、
びっくり返されるんですよね。
あ、なるほどねって感じがします。
で、ここのどこにも無意識って言葉は出てこないんですけど、
間違いなくまず、
このお母さんと娘という関係の中には、
遠江堂いつかが働いてるんですよね。
つまり、
結局この娘は脳を乗っ取られてもいないのに、
お母さんに脳を乗っ取られたものとして動いていくんです。
ここがネタバレになっちゃいますね。
脳を、
現実に乗っ取られてるわけではないんだけれども、
そのナノ移植なんか、
本当にできるわけないよっていう話が最後に出てきて、
えっと、
あれ?
これ漫画だからだよねっていうのがですね、
ひっくり返されるんですよ。
で、読者もみんな騙されていたことに、
多分あそこで気づき始めるっていう流れがあるんだけど、
で、だったらどうしてこの娘さんは、
えっと、
先生と結婚したくなったり、
そのお母さんの願望通りに動いてるんだろう、
っていうふうに考えなきゃ、
なんなくなるわけじゃないですか。
脳を乗っ取られたから、
お母さんが思ってる通りに、
人生をもう一回やり直すっていう、
そのやり直しの人生を歩んでいるようなんだけれども、
えっと、
実はそうではないと。
脳移植なんてものは行われてないんだと。
娘の心の乗っ取られと親の願望
だったらこの娘どこ行ったんだっていう、
その娘の心っていうのかな。
乗っ取られたことになっちゃってるこの娘を、
どうして乗っ取られたんだって話になるじゃないですか。
まあ、
だからここにタイトルは洗礼っていうことに、
なるんですけれどね。
まあ、
非常に、
えっと、
ほんとこう細かいところがちょっと残念でね。
あ、
昭和だなって感じがする。
あそこを令和の漫画家に書き直させたら、
すっごい怖い話にできるんですけどね。
ところどころがちょっと笑ってしまうんですよね。
残念ながら。
そこはしょうがない。
梅津和夫さんの漫画は、
ある部分は目をつぶって読むっていうのが、
もう僕の中ではお約束ですね。
でも、
えっと、
この、
東映ドイツ歌って言葉はもちろん出てきません。
無意識って言葉すら出てきません。
そこも素晴らしいと思うんだけれども、
無意識に娘さんは、
お母さんの野心の願望と、
まあ非常に歪んだ願望ですけど、
だって娘乗っ取ろうって話ですからね。
娘を乗っ取りたいという、
強い、
えっと、
なんて言うんですかね。
もうほとんど悪魔的なと言ってもいいぐらいの、
非常にこう、
だって娘の体を脳移植して、
で、
脳は踏み潰すみたいな、
そういう、
輪がけたシーンも出て、
こういうシーンが出てこなければね、
本当に素晴らしいんだけれども、
脳を踏み潰すシーンみたいなのも出てきてですね。
えっと、
娘はもう完全に、
麻酔をかけられて、
またあの、
体ごとに乗っ取られるという、
強い恐怖を覚えながら、
えっと、
お母さんの願望通りに、
えっと、
年上の、
遥かに年上の先生と、
まあ、
えっと、
お風呂一緒に入ったりするわけですよ。
ものすごい、
なーって、
僕は思うんですよね。
どうしてこういうことが、
梅津さんは表現できるの、
しきれるんだろうなと。
少女の、
えっと、
性欲というものと、
その、
お母さんという、
お母さんから、
え、
の、
愛情を、
一心にこう、
お母さんの願望は全部叶えてあげたいと。
で、
そうなると、
自分自身は全くなくなってしまうというのを、
まで受け入れてしまって、
でも自分の性欲というものがそこで、
えっと、
思春期のね、
えっと、
十分に反映されるような形をとって、
で、
結局お母さんに乗っ取られてしまうというのを、
自らの主体で、
えっと、
実現するわけですよね。
これはもう、
私は、
えっと、
まあ、
漫画ではありますし、
実に漫画的な話なんだけど、
東映ドイツ科だよなと。
そしてそれに、
気が付くと答えさせられている先生も、
東映ドイツ科にさせられてますよね。
いや、
お、
息子の精神的な苦しみ
その先生は、
そんな、
生徒と、
お風呂に一緒に入ったって、
こんな別に少女なんだから、
えっと、
昭和ですからね、
この話ね。
いやらしくもなんともないだろうと。
で、
奥さんと喧嘩になるわけですよ。
そういうのを、
いやらしいと言う方がいやらしいんだ、
みたいな、
そういう、
あの、
昔ながら、
昔っぽい理屈を使って、
なんか、
でもこの先生、
本当にそう思ってるんですよ。
この先生は決してバカじゃないんですよね。
すっごいこの先生、
この先生が最後に、
ほぼ全ての謎を解いていくっていう感じなんで、
この先生決してバカじゃないんですよ。
で、この先生の奥さんも決してバカじゃないんですよ。
この辺もですね、
すごい表面のやりとりとは、
また別のところでうごめる部分があって、
読ませるんですよね。
もっと読ませるように書けるだろうに、
っていうところもあるんですけどね。
さっきからいちいち言ってますけど、
どうしても、
気になれば、
細かい部分はいっぱいあるんですよ、
この作品。
でも大筋は、
今言ったような、
なんかね、
こう、
ラインの方を読んでから書いたのか、
みたいな感じが、
そうではないと思うんだけれども、
思っちゃうぐらい、
のところがあるんですね。
さすが大科だなって思いますね。
そういう観点では。
あの、
具足やってた時は、
冗談みたいなおじいちゃんに見えるんですけどね。
全然冗談みたいじゃないんだなっていうのを、
ああいう作品を見て、
思い知らされる感じがしました。
で、
結局、
その、
お母さんが、
娘の意志を乗っ取ると、
脳を乗っ取るっていうのは、
その象徴なんですよね。
脳を乗っ取れば、
意志を乗っ取れる、
心を乗っ取れる、
体を好き勝手に扱うこと、
ができるっていうのは、
脳っていうところに、
脳科学がすごく進歩してきた、
昭和後期の思想を、
完全に反映してますよね。
脳を乗っ取れば、
その人間を乗っ取ることができるんだと。
そして、
親が子供を乗っ取るという、
これは、
もう、
それこそ、
今も続いてると思いますけれども、
昭和後期には本当にね、
問題、
社会問題としてあったんですよね。
親が自分の願望を、
無意識に、
無意識に、
身に近い、
でも、
意識もしてるかな。
例えば、
私が行けなかった中学、
有名私立中学に、
子供を行かせたいとかね。
こういうのは、
精神分析でも、
もう盛んに出てきます。
藤山先生の藤山直樹さんの、
あの、
臨床恋の中にも出てきます。
息子がですね、
あの、
お父さんに乗っ取られるんですよね。
お父さんが、
自分が、
あの、
お金なかったから、
この、
自分の息子に、
えーと、
野心を継がせたいと。
すっげー極端な例を出すと、
イチローが、
でさえそうじゃないですか。
イチローのお父さん、
チチローとか言われてましたよね。
自分は野球選手になれなかったが、
息子にそれを託すみたいな。
うまくいく例もあるじゃないですか。
それだけに、
余計厄介ですよね。
非常にややこしいところが、
あると思うんですよ。
ここには。
で、
まあ、
藤山さんと息子の関係
藤山さんのは、
うまくいかなかった方の例なんで、
息子さんがですね、
えーと、
お父さんの野心を叶えるべく、
すげー頑張ると。
その分、
お母さんって、
めちゃくちゃ詐欺すまれてるわけですよ。
もう、
なんかこう、
この、
臨床連の中で、
藤山さんの臨床連の中では、
全然もう、
ただ、
要するに、
家事だけやっとけばいいんだみたいな。
そうすると、
息子さんって、
お父さんそっくりになってきますよね。
でもその息子さんは、
途中で、
えーと、
ある恐怖に駆られて、
つまり、
このまま、
えーと、
自分が勉強して、
大学受験も成功して、
えーと、
望み通りの、
人生を達成すると、
お母さんとセックスすることになってしまうという、
脅迫観念が、
強烈に湧いてきて、
勉強が手につかなくなるっていう、
で、
精神分析受け始めるんですよ。
これ非常に分かりやすいですよね。
お父さんになってしまう恐怖、
っていうか、
これはつまり、
お父さんに、
させられてしまう恐怖なんですよ。
で、この臨床の話で、
一番僕がやっぱり、
あの、
すごいなと思ったのが、
えーと、
その、
息子さんは、
だいぶ回復してきて、
最後に夢を報告する、
っていうところが、
紹介されてるんですね。
最後にじゃないんでしょうけどね。
その夢の中では、
あてどもなく、
ボートを、
船かな、
船を、
漕いでいる。
っていう、
つまり、
ロを漕いでるわけです。
無意識と精神分析
ギーコギーコやってるわけですね。
これはすごいなって、
やっぱ思うんですよね。
そこまで無意識ってのは、
何かを認識してるのか、
知らないですけど、
まあフロイトは無意識、
夢は無意識の王道って、
言ったらしいんですけれども、
書いたのかな?
ロですよね。
まあ、
えー、
ハンドルでもいいんでしょうけれども、
要するに、
自分は、
やっぱり、
自分の人生のロを、
方向性を、
握ってたいわけですよ。
だけども、
ここの、
船は、
どこに向かってるのか分からない。
要するに、
人にこれを握らせるのだけは、
ごめんだと思ってるんだけど、
でも、
どこに向かってるのかは、
分からないわけですよね。
そういう病気ですよね。
結局、
お父さんに、
石を乗っ取られる、
という病気ってのは。
で、
ロってのは、
やっぱり、
ペニスですよね。
これが、
この辺が精神分析らしいんですけれども、
やっぱり、
そういう風に解釈するしかないと思うんですよ。
だから、
お母さんとセックスするわけにはいかないっていうのは、
自分はお父さんじゃないんだってことですよね。
で、
お父さんでも、
お父さんの望み通りに有名大学に入ってしまったら、
お父さんの人生にそれなってしまいますよね。
こういう恐怖が子供には、
つきまとうわけですよね。
この成功を望んでるのは、
いったい誰なんだってことですよね。
これは、
自立の問題でもあります。
これが洗礼のテーマと全く同じですよね。
結局のところ、
ただ綺麗だ、
綺麗だって、
ちやふやされて、
で、
女優、
子役やって、
女優やり、
そういう人生で終わりたくなかったわけですよね。
そうしたら、
綺麗じゃなくなったら、
自分には何の価値もなくなってしまう。
しかも、
それしか自分は人生として知らなかったから、
とっても恐ろしいっていうのが背景にあるわけで、
そういうお母さんの、
なんていうんですかね、
無念さとか、
むなしさとか、
絶望感を全部引き受けて、
で、
普通に、
普通の、
なんかそこら辺の出来の良さそうな男と、
幸せに暮らすっていう、
少女的な願望を叶えたいという自分の気持ちは、
叶えさせてあげたいというお母さんの気持ちというものと、
えーと、
どこまでオーバーラップしていて、
どこまで別個であるのかというのを、
まあ、
思春期では認識しにくい、
小学生では非常に認識しにくいんだけど、
そういう願望がすでに芽生えつつあると。
しかもお母さんの願望はめちゃくちゃ歪んでるんで、
お母さんはもう完全に、
えーと、
妄想を見てるわけですよ。
妄想の世界の中に生きてるわけですね。
で、
その妄想をそっくり投影されて、
そっくりそれに同一化していく、
少女の、
すごいこう、
危険な人、
あの、
ドラマっていうのが洗礼なんだと思うんですよ。
要するに。
で、
私はこれが無意識だなって思うんですよ。
この少女は、
自分の願望だから、
お母さんの願望だか分からないような、
この部分は、
ほとんど全く意識できてないから、
おそらく、
えーと、
自分でやっていることの大半は、
夢を見ているような感じになってしまって、
えー、
意識できてないと思うんですよね。
で、
お母さんはお母さんで、
当然のことながら、
娘に何かを託しているとしてもですね、
そのような脳の移植も何もかも、
全て自分の妄想でしかないので、
何も実現はできていないですよね。
いずれにしても、
現実に何か反映されている、
その動きっていうのは、
全部が無意識に支配されていて、
全然、
えーと、
意識的な活動にはなってないわけですよね。
だからまあ、
頓挫するんですけれども。
これが非常にこう、
ただこれは、
この、
この漫画に関しては、
部分的にどこかを引っ張り出しても、
えーと、
いや、
これが無意識ですっていう部分はなくて、
話全体が無意識に支配されているっていう部分が、
まあ、
ホラーになってるんで、
野目津和夫さん的に見て、
彼はホラー作家ですから、
あれで、
私はこの作品がホラーには全く読めなかったんだけれども、
えーと、
心理劇、
ドラマ以外の何物でもないなと思ったんですけどね、
怖いと思った部分は一箇所もないんで、
非常にすごいっていう感じしか抱かなかったんですよ。
ただ、
大変無意識的だっていうのと、
大変精神分析的だっていうのは、
読んだ時も、
えーと、
痛感しました。
で、私はこの作品はもう、
なんか、
コミックも持ってるし、
電子書籍も、
言葉も持ってるし、
っていう状態で、
えーと、
ドラマのやつで、
えーと、
ビデオを見たし、
当時VHSでしたけどもね、
いやー、
本当に、
VHSのやつも、
なかなか動画も素晴らしかったんですよね。
で、
なっちゅうのかな、
その、
僕らは、
これを読んで、
つくづく僕は思ったんですよ。
あれ、
私たちは無意識ってものを、
誤解してる気がするんですね。
無意識ってのは、
ま、
あれほどではない、
にせよ、
意識できないから無意識なんですよ。
やっぱり。
もちろんその、
親の願望というものを、
聞かされてるとか、
健全な家庭ならね、
あなたにこうなってほしいのよ、
みたいなのも言われていて、
それに縛られてるぐらいであれば、
えーと、
これは無意識ってレベルではないし、
全然、
なんとかなると思うんだけれども、
でも、
それでも、
子供にとっては、
いろんな問題を引き起こしかねないじゃないですか。
あんまり親がしつこかったり、
その願望が強すぎたり、
した場合には。
で、
でもですね、
完全にそれが知らされてない。
だって知らしを、
知らせるのは、
いかんですよね。
お前の脳を乗っ取って、
私はあなたの、
お前の体で、
第二の人生を送ってやるんだからな、
みたいな。
そういうことを、
えーと、
言うわけにいかない。
まあ、
言うわけにいかないという、
この縛りが、
この話を非常に無意識的にしている、
面白いポイントなんだけれども、
あの、
やっぱり、
こう、
言うわけにはいかない、
わけですよね。
で、
言わずに、
伝えてしまう。
で、
その、
さっきの、
あの、
藤山さんの、
臨床例もそうだったんですけど、
無口な父親。
これがやっぱ危ないよなって感じを、
感じさせられますよね。
無口な父親でと。
ただ、
父親はすっごい息子可愛くて、
一緒に釣りに行ったり、
子供の時、
キャッチボールをしたりと。
すごいこう、
父、
こう、
む、
父と息子の一体感が強いわけですよね。
だから、
そういうことが起こるんですよ。
む、
父親にしてみれば、
息子がわけわかんない、
母親とセックスしたりすることになりたくないから、
大学受験諦めるとか言ったら、
もうわけわかんないじゃないですか。
でも、
こういうことを言うことの中には、
そのお父さんの責任は極めて大だと言わざるを得ないですよね。
だから困るんですよ。
お父さんにしてみると、
そういう自覚は全然ないし、
そんなことをしている気も全く多分ないんですよね。
完全に無意識なんですよね。
潜在意識とかではないわけですよ。
えーと、
いや、強く頑張って自覚しようとすれば、
認識できたとかではないんですよね。
全然わかんないと思うんですよ。
息子の狂い始めと心理状況
息子は突然狂い始めたみたいにしか思えないと思うんですね。
でも、
一つ一つ、
よくよく紐解くと紐解くまでもなく、
そしてフロイトをちょっとでも読んだことがあれば、
わかりそうな話ではあるんですよね。
これはね。
完全に、
あん、
あの、
息子の人生のボールを握って、
俺に運転させろと。
あるじゃないですか。
あの、
範疇のかな、
実際にはないかもしれないけど、
あの、
2人で、
息子と2人でね、
例えば、
えーと、
カーレースかなんかのゲームやってて、
ちょっとお父さんにやらせろみたいなね。
これを人生のハンドルにしてしまったらまずいよっていうことなんですよ。
だって、
えーと、
お父さんは最終的には責任取ってくれないことは、
息子も、
娘であれ息子であれ、
重々承知しているから、
えーと、
まんま渡すわけにはいかないですよね。
そして、
えーと、
お母さんと結婚するわけにはいかない、
というわけですよ。
だから完全にこれ、
エリプスコンプレックスというものを、
えーと、
示唆している話でもあるわけです。
完全にそうですよね。
お父さんのお母さんを、
自分の奥さんにするみたいな話になっちゃうと。
一番まずいパターンだということに、
息子が気づいたところで、
ストップがかかるわけですよ。
このストップがどういう形でかかるにせよ、
おそらくストップはかかると思うんですよ。
その時に、
あの、
親は取り乱すんですよ。
昔は、
あんなに熱心で、
熱心に勉強していたのに、
どうして最近は、
そういうふうに、
ぐーたらになっちゃったんだ、
みたいな、
そういう話になるじゃないですか。
これはライフハック界隈でも、
実にお馴染みのテーマな気がするんですよ。
私はね。
なんで仕事をバリバリこなせないんだと。
私は十分、
それには理由があると思うんですよね。
十分。
無意識が知ってるっていうふうに、
ある意味思うんですよ。
仕事をバリバリなんてさせないよって、
言ってるんだと思う部分があるわけですよ。
話として。
いろんな戦いたい理由が、
戦うのはどうかと思うんだけれども、
自分の心が自分と戦っちゃまずいんだけれども、
やっぱり戦いたい理由はあるわけですよね。
最終的に、
よく読むとね、
先例は何度も、
一度読んだ人は多分、
二度は読むことになると思うんだけど、
何度か読むと、
読み返すとですね、
なるほどね、
っていうところがいっぱいあるわけですよ。
結局のところ、
これはお母さんの願望を、
万全受け入れてしまう部分と、
ここは抵抗したいという部分、
これは本当にですね、
梅津さんは全部計算し尽くして書いた、
とは思わないんだけれども、
まるでこう全部計算し尽くされたような、
書き方になっているんですよね。
これはこれで無意識なのかもしれないんですけど。
だから結局、
娘さんは、
お母さんのその歪な願望を引き受けて、
全部叶えてあげようとするんだけど、
ひそかに自分の、
言ってしまえば性欲ですよね。
自分の母親から独立したいと。
母親のような、
全く母親が望むような男と、
母親の望むような関係をしたいわけではないと。
結局は自分が望んでることをしたいんだ、
っていう部分がどこかにあって、
ここが綱引きをするんですよ。
自分の心の中でですね。
母親が大事っていう部分と、
私が大事っていう部分が綱引きするんですね。
だからこれは、
えっと、
とっても複雑な話なんですけども、
とっても単純な話でもあるんですね。
いや私は私の人生があるからって、
娘さんがお母さんに言うのは、
実に不審ないこと。
どこにでもある話じゃないですか。
ただこれは、
だから精神分析でも、
結局そういうことでもあるんですよね。
結局はお母さんをお父さんから奪ってうんぬんっていうのは、
自立な話をしてますよね。
そんなことを言っている間は、
少なくとも自立はできないわけですよね。
だけどこれをお父さんが押し付けてくるケースもあるわけですよ。
俺の人生が最高なんだから、
俺の人生をさらに完成させるために、
お前頑張れよってことをやるから、
えっと、
その子は永遠に自立することができないので、
結局は永遠にリフトスコンプレックスをやんなきゃなんなくなって、
困るわけですよね。
母と娘の葛藤と妄想と現実の境界
そういう話がきっと、
えっと、
いろんなところでいろんな独特のこじれ方をして、
個人差ありますから、
そして各家庭のスタイルと事情というものがあるので、
まあ、
バラエティに富んでるわけですよね。
様々なバリエーションがある。
その中でも一番僕がその、
無意識と投影と逸化といえば、
ある意味最初に思い出すのは、
梅塚蔵さんの洗礼で。
なるほど、これは、
だから彼はなんで母子のこういう、
母と娘のこの独特の葛藤をですね、
えっと、
こんな風にドラマタイズできるんだろうなっていう風に、
感心させられたのと同時にですね、
結局その、
えっと、
どっからが妄想で、
どっからが現実かの千円引きというのが、
実に難しくなるケースっていうのが、
私たちの人生では、
確かに起こりそうな感じがすると。
まあ、
漫画なんではありますけれども。
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