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2025-03-14 44:20

「行動化」はいいのか悪いのか【1155】

精神分析的に見ることと、ライフハック的に見ること。
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サマリー

このエピソードでは、「行動化」という概念について深い議論が展開され、精神分析におけるその重要性や注意点が説明されます。行動化が失敗の予兆や警告にどのように繋がるのか、またその文化的背景について考察されます。「行動化」はさまざまな文脈で重要な役割を果たし、外部の環境や状況によって行動の解釈が変わることが強調されます。精神分析におけるアクティングアウトとアクティングインの違いも提起され、行動化のメリットとデメリットについて考察されます。アクティングインとアクティングアウトの概念が議論され、行動化が心のプロセスにどのように影響を及ぼしているかが掘り下げられます。また、精神分析の観点から行動化の重要性やその課題についても触れられています。「行動化」のアンビバレントな側面について議論が行われ、考えなしに行動を起こすことの危険性や、意識的な行動への移行の重要性が強調されます。

00:06
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1155回をお送りします。
3月14日、金曜日、9時9分です。 実はこの回もちょっと楽しみにしておりまして、
なぜかというと、1155なんですね。 この1155という数字は、相当どうでもいいんですけど、3×5×7×11なんですよ。
後で計算していただければいいかなと思うんですけど、 素数を指示したからかけ上げていくと、この数字が出てくるという数字なんですね。
私はこういう数字が割と好きで、やっぱり約数多い方が計算しやすいよねっていうのがあるのと、
平方数をここの中に含まない。 3×5×7×11は3×3とかが入ってこないので、9では割れないみたいなね。
本当はここに2がかかってなければいけなくて、だから偶数じゃないとダメなんですよ。
そうするためにはあと1,155回やらなくて、2,310回か。 その辺に行かないとダメなんですよね。
私210って数字も結構好きで、あれ2×3×5×7なんですね。 これ簡単ですよね。
で、どうでもいいことなんですよね。 だから1155はちょっと前からチェックはかけていて、
ついにここにたどり着いたなと。 なんてことはないわけですが。
はい、お知らせ、最後のお知らせですね。 明日、山崎隆さんと新井さんと私とでセミナーやります。
夜の6時から9時まで。 3時間。 渋谷でやる方は満席となりました。ありがとうございます。
オンラインの方はまだ引き続き余裕は当然ありますが、 結構な人数ご参加いただいて、動画配信の方もかなりご予約いただきまして、
急いでですね、基本取っ手出しをまず出させていただき、 必要に応じて編集をかけたやつを後日また出すというような形にしようかなと思っております。
動画編集って私ほとんど全然したことがない人間なんですけど、 少しはしようかなという、カットぐらいはしようかなというのを少しだけ思うようにはしないような気もするんですけどね。
だいたいせずに済むことは何もしないという、 今日そういう話もしたいと思っておりますが、引き続き最後のお知らせということになります。
もう30名を超えて、総勢でね、動画配信予約まで含めると30を超えていって、 うまくいけば40いくんではないだろうか疑惑があって、疑惑じゃないけど、
ぜひ今回のは面白くしたいなと思い、ちょっと力んでおりますけれども、 力んでいるぐらいなんで楽しみにしていただければと思います。
では本題で、今日はですね、めったに言ってこなかった、言ってこなかったのには一定のわけがある、避けてた面もある話として、
行動化の概念と影響
聞いたことがないかももしかするとあるんですが、行動化という言葉があります。
私この行動化という言葉が精神分析の本で出てくると、必ず強烈にそこに興味を持って読むという習慣がありまして、なぜかというと、
いかにも精神分析的で時々危ういことが出てくるのは基本的にこの行動化だからなんですよ。
行動化を取り上げてないってなったら、それは失敗の予兆みたいな話になっていて、わかんないですけど偉い人から怒られるのかもしれないし、不穏なんですよ、とにかくね。
この不穏さを真正面から取り上げていらっしゃる方の一人が藤山直樹さんで、彼の精神分析という営みという、
どちらかというと彼の新しい、もしかすると実質一番最初の本、実質というのは要するにそれ以前にいろいろ論文とか絶対書かれるしわかんないから、
実質一番新しい方の本のさらに一番最初に行動化の話がしかも劇的な形で出てくるんですよ。
つまり患者に殴られたって話、患者の行動化なんですよ、殴るっていうのはまず確実に。
不穏じゃないですか、患者に殴られたとかってね、非常に怖い話がいきなり入ってきて、これはいろんな効果があって、
やっぱりこれは良い本だなと読んだ時にすぐ思ったのがこれなんですよ、まずいきなり行動化が出てくる。
行動化ってある意味失敗なんで、だって患者に殴られるって決して良いことじゃないじゃないですか、自分被害者ですけど、
とにかく失敗談なんで、書きたくはないはずですよね、もし本当にあったことなら余計。
だから行動化について触れるっていうだけでも偉いと思うんですよ、読者としては。
でもそれはあくまでも良い話ではないわけですね、本人にとっては。
で、当たり前ですけど。
もう一つが、これは軽症なんだろうな、やっぱりっていう。
下手にね、ノラカウンセリングとかしてるとこういう目にも合うんだよっていう警告なんだろうなと。
こういう警告って聞かないんですけどね、あんまりね。
二通りの理由が僕あると思う。
一つは、自分もそんな目に合わないよと、あっさり鷹をくくられるというケース。
ノラやる人っていうのはある意味ずぶといわけですから、やっぱりいろんな意味でね。
だから自分例外にあっさりしてしまうというタイプの人が多いと思うので、
この手の軽症は結局気の弱い人に抑止がかかるだけであって、そういう人は最初からノラとか手を出さないと思うんで、
この手の軽症っていうのはどのぐらいの効果があるんだろうと時々思う。
もう一つは、仮にこういうことが起こるのだとしても、
そういう目にも合ってみたい的な不思議な心理の人っていうのもいるじゃないですか。
怖いもの満たさの方にむしろ近づいていってしまうみたいなね。
これも軽症効かないですよね。むしろほぼ逆効果的な何かがありますよね。
世の中の人の発想って様々なんで、
これらのことを藤山直樹さんのことだから、もう含み込んでここに置いたんだろうかと考え始めて、
なんだかそこでずっと空想をしてしまうのが私の読み方なんですよ。
私が読んでる時はこういう空想がずっとしていて、そこから全くページが進まなくなっていくと、
なんなら最初から読み直すみたいなことが起こるわけですね。
1ヶ月ぐらいかかりかねないわけですよ、もうここだけで。
それぐらいでもインパクトはあって、やっぱり本の書き出しはこうじゃないとなと、
本を書く人間としてもちょっと考えながら読んでた。
これが行動家のお話の、僕がやっぱり一番パッと思い出すのは簡単。
こんな喋りながらでも簡単なんで、やっぱりこれはいいところに置かれているいいエピソードなんですよね。
まあいいエピソードじゃないかもしれませんけどね。
行動化の文化的背景
で、私がやっぱり扱わなかったというのは、一つはこれは思いっきり精神分析的な話なんですよ。
だからこの番組では精神分析的ラジオっていうのは扱えよって話なんですけどね。
扱いにくいところはやっぱりあるわけですよね。
第一に行動家っていうこの言葉がほぼ悪い意味で使われているのは、
しかしそれは精神分析だからの話なんですね。
大体世の中、特に私たちはライフハック畑にいたわけですよ。
ライフハック畑で一番何を主張するか、行動しろじゃないですか。
行動家が悪い意味を持つっていうこと自体がものすごく実は価値観として真逆を向いている兵庫なんですよね。
どちらかというと我々はですね、考えてばっかりで行動しないってことをものすごく低く見積もる癖が、
特に2010年代は強かった気がするんです。
とにかく行動しろと何でもいいから動けみたいな。
行動家を抑止するって発想そのものがもう真逆なんだと思うんですよね。
だから私は精神分析というものをライフハックにむしろ組み込むことは到底できない。
知っておくだけは、明日そういう話を少しさせていただくことになると思うんですけど、
存在を知るっていうのがすごくいいと。
特にライフハックにのめり込む人はこの存在を知っておくっていうのはとってもいいことだと思う。
何しろ行動家とか言っちゃうから。
つまりそれはよく考えろっていう話なんですよ。
考える代わりに行動を起こしちゃダメだと。
ほとんど逆じゃないですか。
多分ね、私はそういうことを書いたことはないつもりなんだけど、
ビジネス書にはあったと思いますよ。
考える前に行動しろみたいなことがね。
これは行動家よりもなおなんか行動的な感じですよね。
つまり行動家が悪いことだということ、悪いとまでは言わないまでも、
決していいことではないよっていう概念を持ってるという段階ですでに取り上げにくいんですよね。
非常に取り上げにくい。
なぜならば行動家っていうためには前提として精神物質的を前提としちゃってるわけですね。
つまり要するに患者さんが殴るというのは非常に極端ですけれども、
殴っちゃダメじゃないですか。
やっぱり殴りたくなりましたっていうのはすごくいいと思うんです。
でも殴るってのはダメですよね。
すごく良くはないか。
でもまあいいことだと思うんですよ。
殴りたくなりましたと考える。
なぜ殴りたくなったんだろうと考えるっていうのはいいことなんですよ。
殴ってしまう。
考える代わりに行動に出てしまうっていうのは良くないわけですよね。
ここのところにすごく違いを見るためには、そもそもそういう設定がいるということなんですよ。
設定がないと行動家なのか何なのかがそもそもわかんないじゃないですか。
基本的に松木邦弘さんはすごくそこのところをクリアに書く。
ある意味ストイックな方なんで多分。
まず絶対行動家を考えろみたいなことが最近取り上げてるパーソナル精神分析事例にあっさり書いてあるんですよ。
用語辞典かなちょっとタイトル精密じゃない性格じゃないかもしれません。
あのとにかくとにかく行動家だと思えみたいなところがあるんですよね。
だから偶然行動を起こし始めたと思っちゃダメだっていうわけです。
しかもその行動が良い悪いは関係ないく基本的に全部行動家であって治療者としては失敗しつつあることに反省しなさいみたいなそういうノリで相変わらずこう容赦ないなって思うんですけれども。
あのつまりですね。
例えばえっといかにも行動家って言うんだとまあ結婚したくなりました恋愛しましたとかえっとあと転移ですよね。
転移ってことはつまり治療者に告白しちゃいますみたいな。
なんなら抱きつきたくないこれ行動家ですよね完全にね。
つまりなんで好きになったんだろうと考える代わりにもう好きというのを行動に移すと。
これもよくあるじゃないですか。
うじうじ考えてないでさっさと告白しなさいみたいなそういう行動家をむしろ促すみたいなのが世の中には十分あるんですよ。
だから行動家すなわち反省しろみたいなのはやっぱり特殊な文化なんですよね。
でまあ私はその特殊な文化の方を必死に取り込もうと必死になっている面があるわけですけれども。
だからといって私は精神分析やってるわけじゃないから。
やってる人がやってる人がっていうのはつまり例えば3ヶ月チャレンジの参加者さんが行動を起こし始めたものを行動家とは呼ばない。
だからこれを取り上げるのは難しいんですよ。
なぜならば3ヶ月チャレンジというのは精神分析と違って設定が曖昧で設定が脆弱といえば脆弱なんで。
全ての行動家をやめさせて演技関係に持ち込んで何なら行動家はここでやりなさいみたいな。
だからアクティングインとかって言うんです。
持ち込ませるみたいな。
つまりここに集めろって言ってるわけですよね。
外に出させんなと。
外では極力穏やかに過ごさせなさいみたいなそういう。
だから外で行動を起こすのは全部ダメなわけですよ。
ということになってくるとやっぱりビジネス界隈の世界としてはビジネス界隈の世界としてはさすがにそれは行き過ぎだろうと思うしそうはできないですよね。
そう解釈のしようがない。
そこまでその外側で起きてるのは本来カウンセラーに話し合うカウンセラーとそこで検討を加えるべき事項なのにそうではなく行動になってしまってるんだとまで言い切るためには。
やっぱりそこに設定をガッチガチに固めていかないとそういう判断すること自体ができないじゃないですか。
行動化の明確な定義
例えば遅刻は行動化の現れなんですよ。
電車が遅れたとしてもそうなんですよ。
だから遅刻が行動化の現れですと言うためには遅刻というものを厳密に定義しないと成り立たないじゃないですか。
3ヶ月チャレンジではそんなことしてないんで別に2、3分遅れてくるとかは全然ありみたいな状態になってるんでそれを行動化とは呼ばないわけですよ。
だから行動化というためにはやっぱり設定を厳密にしなきゃいけない。
だから精神分析は設定設定と厳しいわけですね。
お金を封筒に入れて1000円足りませんでした。
それも行動化なわけですよ。
単に間違っただけですとかは認められないというか認めないわけですよ。
そうするとお金は絶対取るってことになるわけじゃないですか。
キャンセルはもちろん行動化だし、外で滅多にやってない人がデートをするそれも行動化だし、
多分話に出てこなきゃ分かんないことだけどマスターベーションの頻度が上がりました。
当然行動化ですよね。
全部行動化なんですよ。
それを全部この精神分析のセットが始まったからそういう行動化が起きたんだとまで言い切るには
やっぱりこの精神分析のセットというものがすごくしっかりしたものでないと
そういうふうに解釈していいものかどうなのかが分かんなくなって曖昧になってしまう。
行動化の概念
この曖昧さを極力排除するために設定をがっちりと固めて何でも行動化だと考えて
行動化が起きているということは何かが間違っているというか何かが不十分であるというか何かが未熟であるというか
そういうような話にしていくわけですね。
でも私はそういう話にするわけにいかないので
外で例えば資格試験の勉強を始めましたって言ったらいいことですってことに
これをまさに資格試験の勉強で書いてあったんですけど
松木さんの時点だと資格試験の勉強だからいいってことにはならないっていうふうに書いてあって
それは最もなんですよ
つまりそれは行動化だからですよね
しかもアウトじゃないですか
アウトってのはアクティングアウトっていうのはつまり面接のセットの外で起きていることですよね
面接の中に持ち込んだらアクティングインで行動化なんですよねどっちも
どっちも行動化なんだけど持ち込みなのか外出しなのかということが分けられている
分けられているのではないのかもしれないけど多分分けて考えるんだと思うんですよ
アウトを減らしてインを増やさせれば基本的にいいわけですよ
その分精神分析に入ってきてるわけですよね
そしてしかもインを増やさせてそれをさらに行動には移させないという
そうすると転移がどんどん進行していくっていう多分そういうことなんだと思うんですよね
だから外で人にガーって怒る代わりに外では穏やかになってんだけど
面接室に来て私とかにガーっと怒るみたいなそういうことが起きる
だからこれは精神分析ではないからそういうことは言えないんだけど
面接室とか私の場合オンライン対面ですけれども
私に対して抜刀するとか批判するとかこれやってても全然役に立ちませんとか
佐紀さんは能力全然足りませんとか野良ですとか言われるのはとてもいいことだってことに
まあとても良くはないかもしれないけど基本いいことだってことになるわけですよ
ここに集まってきているからここで集まるということは
ここで集めてここで取り扱うということができますよねっていう話なんですよ
外に出てっちゃってたら私の手の届かないところに行っちゃいますよね
で一番手の届かないところに行く要するに行動化として中断というのがあるわけですよね
だからこれが中断なのかそれとも治療がうまくいった集結なのかをはっきりさせるためにも
やっぱり設定が設定をきっちりしておくことが大切と
なんとなく辞めてしまったのはこれはうまくいったからいい集結だったんだとか考えちゃいけないってことなんですよね
それは行動化であってしかもある意味最悪の行動化なわけですよね
行動化の影響
まあ基本的に仕事を一つ失うわけですから
だけどここまではやっぱり言えないわけですよ
私の場合3ヶ月で終了することになってんでその時の終了が良かったのか
それともただ3ヶ月が来ちゃっただけなのかは
私の方ではある程度検討がつくようでないとダメかもしれないけど
でも究極的にはわからないところもあるじゃないですか
いろんな事情があってこのいろんな事情ってのが癖もので
その事情を自分で作り出すのが私たちですから
しかも無意識に作り出すのが私たちですから
結局のところそれはアクティングアウトでしかなかったのかもしれないわけですよね
しかも3ヶ月チャレンジは都度払いじゃないんで先にお金取っちゃうんで
こういうふうにですね都度払いにすることで
アクティングインなりアウトなりが見えやすくなりますよね
その時お金をごまかそうとするとか払いたがらないとか
いろんな行動化として現れ始めるんで
それはその人の考えが行動に現れているという意味で
考えられるようにはまだなってないということをある意味意味していて
考えられるようにすることを
エンパワーメントするんでしょうね
考えるということを支援するってことに
支援はしないのかもしれないけど支援するってことになるんでしょうね
ここのところだけ私はそうしてるんですよ
つまり行動化というものが基本いいものとはみなさん
別に精神分析みたいに行動化というものを全部捉えて
なるべく全部捉えて解釈するとか
全部を転移関係に集中させるということまでを
する気は全然してないですけれども
何でも行動したがるというのがライフハック的ですから
ここを脱却するというこの行動を取りたくなるというのはどうしてなのかと
典型的なのがあれですよね転職ですよやっぱり
転職とか休職とかこれがもう
つまりそれについて考える前にもう転職を始めてしまうと
ただこれがですね人生においていいか悪いかはまた分かんないじゃないですか
だから松木さんのように定義をしっかりするということになるわけですよ
それについて考えてないということが問題なのであって精神分析的には行動化なんだけど
我々的には行動じゃないですかそれは行動化じゃなくてですね
だからそのこと自体を止めたり避難したりするってのはおかしいし
また特に私の立場であればそれはしないんで
基本的に現状維持を良しとするぐらいには私は考えてるんですけれども
でも別に現状維持しなければいけないとも思わないですし
離婚ってのは多分アクティングアウトなんでしょうけれども
だけれども離婚を進めるってことは私は絶対しないですけど
だからといって結婚生活絶対維持しなければいけないっていうのものでもないじゃないですか
結局そういうのっていうのは設定をよほどがっちりしない限り
行動化だというわけにいかないしその行動に良し悪しを言うこともできないので
行動化と生活
あれですよねなるべく検討を加えたいというところに留まりますよね
設定が十分がっちりではないのであれば
3ヶ月チャレンジで3ヶ月チャレンジなりの設定はありますけれども
それはせしむせぎみたいなものではありませんからね
だからここのところはすごい私としてはすごいなんていうんですかね
ぐるぐる矢印が向こうを向いたりこっち向いたりを繰り返さなければならないんですよ
でも一つあるのは何もしないということに何の罪悪感も感じないようになるっていうのは
私が一つ一応意識する方向の一つなんですね
何もしないということができないという何もし行動を取らないで考えているということが
いきなりもう悪みたいになってしまうっていう
そういう行動を原理主義みたいな長時間に押されるっていうことがしばしば起きるんですよ
やっぱりライフハッカーっていうのはですね行動が好きなんで
行動家とは言わないまでもそういうのを捉えられるようになるっていうのは
一つの方向性として持つんですよね
これを持ってると次に起きることが100日チャレンジですら実は起きるんだけれども
アクティングインみたいなことが起きてくるんですよ
ここに持ち込まれ始める
つまり私が怖くなったりあるいは長時間が怖くなるから私のことを
なんて言えばいいのかな
怠惰の勧めをしている人みたいに批判されるって方が出てくる
これは私は基本的にはやっぱりいいことなんだろうなと
いいと言わないまでも起こりうる変化の一つとしてはっきりあるよなっていうのは感じるわけですね
だからいわば行動家の外に外出しが減ってきているわけですよね
持ち込むっていうのもオンラインだと持ち込めないので
だからこれが面接室という設定は大事なんですよ
持ち込むっていうことがはっきり出るじゃないですか
例えば飲み物持ち込むとか
何にも特に言われてないですから私も考えたことがあるんですよ
大船のカウンセリングをやっていたときにですね
暑いじゃないですか夏とかね
飲み物ってあれって感じなんですよ
つまり飲み物を持ち込むというのは
もうこれニュートラルなものは何もないんで絶対アクティングインになるわけですよ
何かそこに意味があるわけですよね
何があるかはその都度その都度考えなきゃいけないんだけど
とにかく何かがあるわけですよ
でもまあ喉が渇くとか何しろ最近は温暖化で猛暑なので
めちゃくちゃ暑いのは確かじゃないですか
つまり行動化ということを考え始めるときりがないわけですね
服装が変わるのも行動化ですよねアクティングインですよね
だけれども夏になれば服変わるに決まってるじゃないですか
見当を加えているかどうかってことが大事なのであって
これも私の身内の話になっちゃうんですけどやっぱりですね
なんていうのかな精神病水準の人っていうのは服装が微妙に分け
服装がすごく不思議なんですよ
だからそれは行動化という言い方をすることができるようにするには
設定が大事ですよね
そうするとこの人がどうして服を変えてきたのかの意味っていうものが
きり見えやすくなるわけですよね
それはどんな服を着てもいいはずっていうかいいわけですよ
いいからこそ行動化ができるわけだから自由なんですよ
多分飲み物もそうなんだと思うんですよ
僕持ち込んだことないですけど
飲み物を飲むからいけないってことはないじゃないですか
でもいいとも悪いとも言われていないし書いてないんですよね
こういうところに何かがあるんですよ
つまり自由に選択できるということは
この自由な選択によって何々をどう思われるだろうって思っちゃう人もいるでしょうし
そんなの自分の自由じゃん
何ならもうめちゃくちゃ露出度の高い服を着ていくことも
私は男ですけど自由じゃんっていうことを言う人もいるでしょうし
この服装でいったら変に思われるかなって思う人もいるでしょう
この変にっていうのだって
実は精神分析的心理療法科か
とにかくカウンセラーさんがどんな人なのか知らないんだから
わかんないですからね
どんな人なのかは全く知らない
名前しか知らないんですからある意味では
だからこの辺が精神分析でないって
3ヶ月チャレンジとかはないと私が言う
なぜなら私はどんな人間かをベラベラ喋ってるし
ものすごく自己開示が多めの人間になっているので
どんな人間かがもう先入観がついちゃうじゃないですか
つまり変異が不十分なものになりやすいですよね
ある程度これはわざとしているところもあるんだけれども
とにかく精神分析のようにはならないようにしているわけですよ
ある意味では
ものすごく意図的にそうしているってわけじゃないし
入ってくる人の中にはこの番組とか一切聞かないし
僕の方も一切読まないっていう人もいるわけですから
いらっしゃるわけですから
分かっていないとは限らないとも言えるんだけれども
読むことを強要するわけにはいきませんからね
この辺も結局自由ですよね
どう思われるかなどというのは
どう思われるかをそもそも気にするというのは
その人の内面に関わる話であって
みんなが気にするわけでは全然ないじゃないですか
だから飲み物を持ち込むとか
ある種の服装で行くとか
どんな種の服装で行ったってある種の服装ですからね
だからやっぱり考えるようになりましたね
僕もね
私なんかいつも同じような服着てるけれども
考えるようになりました
つまり考えるってだけでももう行動化の一種だと思うんですよ
こういう場合は
今まで無造作に服その辺にあるのに
何か考えてから着るようになるみたいなことが起こるわけですよね
だから服を変えるっていう行動化は
当然かなりいろんな意味を持ち得るものではあるわけですよね
そういうの全部取り上げられたわけではないですけど
取り上げる素材としては
いくらもあり得るということになるわけですね
中でもやっぱり遅刻とか
キャンセルはでかいですよね
これはもう別に精神分析とか全然知らなくても
キャンセルというものが無意味に起こるものでないっていうのはよくわかります
扱いもすごい難しいっていうのもよくわかります
第一、下手なことを言いたくない面もあるけど
黙って言いたくもないみたいな
こういう葛藤を生む行動化っていうのは
すごく注目せざるを得ない
ずっとこの人来なくなったみたいなね
連絡をするべきなのかするべきでないのかとか
悩むじゃないですか
この悩みを生み出すということはすごく意味があることなんですよきっと
もちろんそれをうまく扱えるかどうかは別の問題だけれども
少なくともそこに扱うべきポイントがあるというのは
私なんかは服なんかよりはずっと
そういうことは考えさせられますよね
服はあんまり普段から考えてない方なんで
もっと考えなきゃいけないんだろうなと思いつつも
全然僕は考えられない人間なんで服については
奥さんが言った通りの服着ていればいいだろうぐらいに
行動化の概念
思っちゃってる人間ですからね
これ自体がすでにある意味行動化の一種のような
気もしなくはないんですけれども
でこのアクティングアウトっていうものが
言ってみれば減って
そうなればいいってもんじゃないと思うんだけど
アクティングインというのが増えて
しかもそれが行動化ではなくて考えられるようになっていけば
大筋良い方向に向かうでしょう
っていう感じなんだと思うんですが
ただそれは一つはそう簡単ではない
こういうことを本で読んで知ってるからできる
っていうようなもんではないなっていうのは確かですよね
もう一つは私はこっちの方が重大だと思うんですけれども
もう一つは意外と取り上げにくい時が少なくないということですよね
結構センシティブですからこの話は
取り上げなければいけないなと思うからといって
ホイホイ取り上げられるというものではないし
しかもその設定が曖昧で
割といい加減な設定である以上ですね
考えることはそれについてできたら
オンの字ぐらいな感じでいないと
全部それについて定義だのアクティングインだのって言ったって
なんていうのかな
的外れというのとはだいぶ近いようで違うような気もするんですけれども
ややこしいよねというのは確かに言えるような気がするんですよ
オンラインですからね
分析の重要性
だからオンラインでやっちゃダメだってことになるんでしょうね
私は思うに
でもこれは分析じゃないですからね
これもすごく私がもう本当に
定義もそうですけど
行動化って言葉をやっぱり知るようになってから
分析と分析でないものというもの
精神分析なのかそうでないのかというものを
一応区別できるようになり
そして別に分析というものを
純金コンプレックスみたいに意識しなくてもいいんだということが
ようやくなんとなく腑に落ちるようになったんですよ
行動化について集中的に読んだり
何か分析の本を読む度に
行動化ってものを意識するようにしているようにしていたら
こういうことはできないし
こういうことはしてないなと
だからそうなんだ
そういうふうに言えるんだなっていう
言えるってのはつまり分析というのは
分析でなければできないんだみたいなことが書いてあるわけですが
全くその通りだよねっていう感じがする
これだから寿司屋に例えるのとかってどうかと思うんですよね
開店寿司は寿司屋じゃないお寿司屋さんじゃないのかっていうのって
無理があるじゃないですか
分析は分析じゃないものは分析じゃないけれど
お寿司屋さんはなんか銀座のね
ああいうふうに寿司って書いてあるところだけで
寿司屋だって言うべきだって言ったって
不毛な感じがするんですよ
私カンザスシティのメキシコ人が握ってるお寿司屋さん行って
あれは寿司じゃないって
仮に言ったことに言うことに意味あるかっていう
あれは野良って言えるかって言うと
私は何とも言えない気がするんですよね
日本政府が出て行って
あなたお寿司屋さん名乗っちゃダメですっていう権利はあるだろうか
ない気がしますよね
そうしたところで
そうはできないでしょうけれども
そうしたところでなくなりはしないでしょうね
それとはなんかちょっと違うような日が最近はしているので
なんか寿司に例えるってのは最初はすごくピンときたんだけど
最近はいまいちピンとこなくなったりもしてます
話がまた盛大に脱線しつつありますけど
あのですね
資格試験の勉強もいいと思うんだけど
何だろうな
要は
全部をまず
分析だったとしても
私は分析の話はできませんが
分析の話をしまくってるけど
分析そのものの話はできませんが
分析だったとしても
全部を面接室に集めるなどということは
現実にはないなと思うんですよ
そんなことは起こらないだろうという感じがする
で持ち込む外に出すっていうのって
面接室っていうはっきりした空間がある場合は
ともかくとして日常生活ではそうではないじゃないですか
しかし持ち込む持ち出すってあるじゃないですか
例えば家の中の問題を外に持ち出すなっていうご家庭ってあるじゃないですか
これアクティングアウト的な感覚を
ニュアンスとしては伝えてくるじゃないですか
そういう見方をすればいいですよね
あるいは仕事を家の中に持ち込むなっていう人いるじゃないですか
こういうのもアクティングイン的な雰囲気ってものを
考えさせられるじゃないですか
ある意味それは行動化じゃないですか
何にもなく無造作に持ち込んじゃう人もいるわけですよね
残業するの嫌だから
私は持ち込むって言って夫が怒り出すみたいので
家に持って帰ってやるよみたいなことを
女性が言って家に持って帰ってきて大量の仕事を始めて
何かを旦那と子供がいい顔しないみたいなことって
怒ると思うんですよ
アクティングインって言わないですけど
そういうのは精神分析じゃないから
でもこれは持ち込んでますよね
そして考えられてない何かがありますよね
明らかに行動に訴えてますよね
例えばですけど
家のことはしたくないというような考えが
この行動として現れてるって考えるのは
たぶんケースによっては
社会における行動化
ヒットな感じがしますよね
逆もありますよねおそらくね
家の中ではすっごいニコニコ
これはね絶対ありますし
いくら回るとも家の中ではすっごく表面的にね
家族と接してるんだけど
外に行って旦那の家がーっと言うとかね
これはまあ普通にいっぱい
どこにでもあるじゃないですか
考えるということの代わりに行動で
洗い流してしまっているというか
家の中で話し合うということも一切せずに
家の中というものは取り繕われていて
外に向かってガーッと出すと
この逆を考えると
何で家の要するに
カンセリングというものを受けるだけでも
例の日常生活における
社会適応が進行したりするのかが
わかる感じがしません
私はそういうことだけでも
それなりにこの概念を保持しておくのは
意味があるんだろうと思うんですよ
つまりあの面接室に行って
自分が腹が立ったり傷ついたことを
全部ガーッと出せるから
外では穏やかにできるようになった
みたいなことが起きると思うんですよね
これは松木さんがわざわざ書いていて
この表現は実に考えさせられると思ったのが
この行動化について
週1の設定等だと
進展が進むことがあるよ
みたいなことが何か書いてあって
ヘッと思ったんですよ
だから週1しか得ないから
わざわざここに集約的に持ち込む人って
絶対いると思うんですよね
患者さんの中には
クライアントさんの中には
週に1回1時間だから
早口に幕立てるぐらいな感じで
松木先生に向かって
会社でこんなことがあって
こんなことがあってみたいなことがあって
本当ぶっ飛ばしてやりたいみたいなこと
バーッと言う
でスッキリみたいな感じで
これで1週間仕事できますみたいなね
でもですよ
週に1回ってのは
精神分析じゃないことになってるじゃないですか
精神分析的心理療法だって書いてあるじゃないですか
松木さんはその行動化のところに
わざわざこれは精神分析用語なのであって
例えば医学臨床とかでも
行動化とかいう人いるけど
本当は精神分析的には好ましくないんだみたいな
ザラッと書いてあるから
この批判だか何だか分かんないな
微妙だと思うんだけれども
でもそりゃだってね
お医者さんはこの言葉を知ってたら
使いたくなりますよね
ある場合ある種の場合
外で行動を語ったり
そのお医者さんに話聞いてもらいたくなって
持ち込んだりするってことが
精神的な障がいとは限らず
起こり得ることじゃないですか
場合によってはですよ
だからさっき服装の話をしたんですけれども
私というのは本当に疎いんで分かんないんですけど
普段は全然違う服着てるのに
そのお医者さんの前になると
急に妙に目を引くような服を着て
女性が現れると
これは行動化じゃんって
思いたくなるじゃないですか
知ってればね
それに乗っかっても
精神分析じゃない場合は
ダメとは言えないっていうか
そういうことは起こり得ることじゃないですか
実際問題として
だってお医者さんと結婚したいって
思ってる人はいっぱいいるわけでしょ
僕よくそういうことも
うどくてよくわかってないんですけど
いっぱいいるわけじゃないですか
でお医者さん独身だったりすると
そうすると
どうでもいいような病気に
しょっちゅうなっては
いろんな服を取っ替え引っ替えして
そこのお医者さんに通ってくるという人がいて
僕は別に全然不思議なことだとは思わないんですよ
でよく僕は申し上げますが
けびょうは
自覚がないほどいいじゃないですか
この場合病気になるのも
自覚がない病気であればあるほど
いいじゃないですか
下心があることが自分に明らかであるよりは
そうじゃないほうが
なんだかむしろですね
いや本当に先生のところに来ると
病気よくなって先生名医ですみたいなことを
あのなんて言うんですかね
思い入れたっぷりなんだけど
しらじらしくなく演技できれば
最高な場合ってあるわけじゃないですか
これに乗っかる乗っからないは知らんですよ
こういうのが
アクティングインとか
アクティングアウトっていう言い方が
できないとは思わないんだけど
精神分析的にそれは望ましくないんだ
つまりこの用語は精神分析のためだけに
使うべきなんだっていうのは
ストイックに言うとそうだろうなと思うんですし
今のようなのがいいとも思わないんですけれども
でも現実社会って
そういうものが
うごめいてるじゃないですか
力動が
そういう力が働きまくってるわけじゃないですか
そういう動きがですね
あの
私も若い頃は全然そういうのが分からない
あの二分豚勝ち
みたいな人間だったんだけれども
今はさすがに50になって
そういうものはいっぱいあるよな
はっきり言ってとそういう観点で
見ればですけどね
そりゃもうそこら中に渦巻いてるし
ある意味そんなんばっかりじゃんみたいな感じは
するわけですよやっぱり
よし足はもうこの際置いといてですね
そうすると
こうアクティングインっていうのを
まあ
思いますよね
でこれに対して週1だと
すごく目に見えて
出てくることがあるんだみたいなのは
そうだろうと思うんですけど
でも週4以上のことを言うんでしょ精神分析って
精神分析のためだけにとっておくんだ
って言うんだったら
週1についてより起こりやすいとか
言うのはなんかダメなんじゃないかなと
そういうのはあれですよ
上げ足取ってるような世界ですし
僕は別にあの本すごい本だなと思う
一人で書かれるとか
ほんとありえないわと思うんで
余計なことは申し上げたくない
っていうか余計なことを言ってますよね
僕はねって感じがしますけれども
でもすっごい思う
そこのところは思ったんですよ
結局言葉ってだって便利だもんね
っていうですね
どんなに
美音が言ったんだっけ
精神分析用語を大量に正確に知っていて
精神分析家らしく
振る舞っている
人間は精神分析家とは全然違うんだ
そうなんだろうけれども
そりゃそうだと思うんですけど
だから僕が自分やってることに対して
やっぱりある種のコンプレックスがあるんだなとは思うんですけど
このコンプレックスこそが
3ヶ月チャレンジなのかもしれないな
って最近は本当に思うようになりました
真逆ですから
あっきり言って
行動化をある意味促している
つまり考える前に
資格試験の勉強をしましょう
考える前に結婚して
考える前に出世して
行動化の二面性
っていうのがある意味
ライフハックらしいじゃないですか
考える前に習慣化して
この良い習慣でもって
自己改造してみたいなものが
僕はそこをあまりやりすぎるのは
良くないだろうみたいに思いながらやってたんで
そこもアンビバレントだったんだけど
逆にアクティングアウトは
全部なくした方がいいんだみたいな
アクティングアウトでは穏やかになっていて
情緒の嵐は
面接者の中だけにしてもらいましょうみたいな
しかもできればそれについても考えられるようになって
つまり行動が
鳴りを潜めますよねそれはね
その方がいいと今は私も思う
それはそれで
それを検討していかないとやっぱり
生きていくのがすごくややこしくなりやすい
っていうのは分かるので
今はそういう風にしてるんですよね
別にじいちゃんになったから
行動の重要性
穏やか路線に切り替えましたってわけではなくて
ないつもりでですね
そうなのかもしれないけどね
だから
だからではないんですけれども
この行動化って言葉は
言葉そのものが
私にとってはアンビバレントなものを
ふつふつとさせは
します
だから今日まであんまり
ほとんど全くね
時々言ってましたけどね
不穏なところありますからやっぱりね
いきなりそのね
患者さんが
まあね
だっていろいろありますよね
転移性恋愛だって不穏は不穏じゃないですか
ユングはあっさりなんか
言っちゃってたみたいですけれども
よく
心配にならないよなっていうか
心配になってたかもしんない
やむを得ずそうなってたのかもしれませんけど
昔私が本当に
子供だったか中学生だった頃に
高校教師みたいな
教えたことがありまして
まあ知りませんけど内容
ほとんど先生と生徒が駆け落ちて
どっか行っちゃうと今だったら
もう犯罪者扱い
ですよね多分ねだから
不穏なものってあるわけですよ
絶対に
まあ私は絶対それは先生に対して
父親転移をしてしまうんだろうし
そういうことはやっぱり
ありうるしありうるから
やっぱりこう危険物扱うように
頑張ってそこを
上手に取り扱わないとダメなんだろうな
と思うんだけれども
でも昔からですね
文学には駆け落ち
ものなど真珠ものなどは
人気があったりするわけじゃないですか
知らんですけど
私は得意分野ではまず
なかったんですね
でもまあロミオトジリエットでさえそういう話ですよね
ある意味ではまああれは
変異ではないと思うんですけれども
でも要するに
そういうことってやっぱり山ほどある感じが
するんですよ
資格試験の勉強を始めましたっていうのは
もう来伯的にはいいことでしかないから
行動化という
わけにはいかないわけですよね
でも
そうであったとしても
やっぱりそれは
考えられないことが
行動に移っているというふうに
まずみなすべきなんですと
そうしないといろいろな失敗が
ですねまあそれはわかる
キャンセルが相次いで
結局中断してしまうっていうような
失敗にちゃんと行動化を
取り上げないとそういうことが
害して起こるっていうのは
さすがに私も
これはこれこそこれもまた
来伯のセミナーとかやってても
ああそうかああいうのが
行動化でもまあそんなこと
言ったってやっぱり無理だよねっていう
感じはあるんだけど
でも行動化という概念を知っておいて損はないなって
やっぱり自分に対して
困惑した状態を突きつけるもの
なんだけどそれだからこそ余計ですね
あの
これを知っておいて損はないなという
ふうには思います
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