1. グッドモーニングボイス
  2. 自分の手に負える問題に手を当..
2023-09-14 42:27

自分の手に負える問題に手を当てる【GMV845】

外に原因があるよりはウチにある方がはるかに楽。

サマリー

ボイスさんは、iPhoneの新製品について悩んでいます。また、Apple Watchの操作性についての不満も述べています。さらに、タスクシュートの新機能や18日のイベントについても話しています。 彼は、自分の気分の悪さが外部の要因ではなく内部で作り出されるものであると考えています。外部の要因によって自分の気分が悪くなると感じる場合、それは自分が自己原因を認めたくないために外部に原因を投影していることを意味します。彼は、これによって社会正義の議論が生じることもあるが、過剰なケアや家族の問題によって特に起こりやすいと言っています。 彼は、過剰なケアに向かっていく気持ちが理解できないという話から、自分の心に原因があれば、自分の心をケアすることで問題が解決できるという考えに至ります。彼は、自己原因ということについて話し、自分がつらい状況を作り出していることを理解し、自由に自分の選択をすることが大切だと言っています。

iPhoneの新製品とApple Watchの不満
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
はい、9月14日ですね。14日木曜日、7時36分です。
昨日ではなかったかな、一昨日かな。そうですね、iPhoneが発表になったじゃないですか。
実は私、XRなんですよ。いくらなんでもいい加減にしないといけないなと思って買い替えようと思いました。
思ったんだけど、果たして15にするか14にするか、はたまた13にするかというですね。
3択あるな、14ないなっていうふうに昨日、いろいろ例のかなり便利な比較できるじゃないですか。
比較表を見て、14はないな、やるなら13か15だなと思ったんですけど、
というのはですね、13はスイングになるんですよね、結構ね、相対的に見れば。
僕からすると14と15の違いは、Type-C以外は何もない気がするんですよ。
だから、しかも値段もあんま変わらない感じがするんですよね、片落ちの割には。
だからですね、節約のためにライトニングの14を、
15をただライトニング化したような、それは正しくない言い方ですか。
14買うのはこれはちょっと、僕としてはないから、13か15ということになるんですけど、
13となると2つ片落ちじゃないですか。
XRをそもそも買い直す理由はですね、
いい加減バッテリーが下手っているのと、
あんまりやっていると切られるよね、いろいろアプリっていう話なわけで、
13にするとですね、ここでまた、しばらくはいいんですよね、素晴らしいと思うんだけど、
多分数年経った時に、15にしとけばよかったと思う日が必ず来るんだろうなと思いながら、
実はですね、一番欲しくなってきたのはApple Watchのシリーズ9だったりするんですよね。
9ね。僕はApple Watchが4なんですけど、この9はいいやと思ったんですよ。
あんまり話題になってないのかな。僕非常に思うところがあるんですよ、Apple Watchは。
これ変端的なものだとされているわけじゃないですか、まあそう思いますけどね、
ロケットはもはや思えないから、大きな問題を感じるんですが、
僕左手にはめてるんですよね。
で、左手にはめると何が起きるか、まあ右手にはめても全く同じなんだけど、
左手では操作できないんですよね。
何をアホなことをと思われるかもしれませんが、iPhoneって皆さん、
多分右手が使えない時に左手で操作されていると思うんですよ。ちょっと苦しいですけどね。
左手の親指で絶対操作する時はあると思うんですよ、iPhoneは。だから小さいといいんですよね。
つまり左手で持つ、右手で操作するのが自然かもしれないけど、
Apple Watchってそもそも右手で操作する必要ってほとんどないはずじゃないですか。
だって左手で持つって感じじゃないのに持ってませんもんね、左手空いてますもん。
左手が空いているのにApple Watchって左手では操作できないようになってるんですよ。
手首に巻いてるからね。物理的にそうなのであってAppleのせいとは言えないんですけど、
これナンセンスだろうと特に庭いじってる時に思うんですよ。
これだとiPhoneの方が便利なんですよ。左手で操作しながら水まけるんだけど、
Apple Watchはそれは不可能なんです。
結局左手で水まきながら右手で操作するみたいになるんだけど、これもう無理なんですよね。
タスクシュートの新機能と手帳の問題
なぜならば操作するように手を動かすと水が荒らぬ方向に飛んでって偉いことになるのでダメなんですよ。
だから結局これって両手を使わなければならない原因になってしまっていて、
これを難易度は改善しにかかってきてるんですよね。
左手の動きでこれを操作することができるという。
私これは試してみないとわかんないなとは思うんですけど、大変画期的だと思うんですよ。
ずっと僕がApple Watchに抱いていたかなり強烈な不満に割と直球で手当てしてきてくれていて、
これはすごく発想としては僕は将来はきっとこうなる。
だから音声でやるっていうのが話題になってたんだけど、
どうも音声入力というようなやつは一人でいるときはいいんだけど、これと同じで人前でやれないじゃないですか。
人前と一人でいるときで操作の仕方が大幅に変わるというのはどうもダメだなと。
特にApple Watchしてるときというのは人前にいることが非常に多いので、
結局音声操作はしなくなってしまったんですよね。
気にしなければいいのかもしれないんだけど、僕はやっぱり気にしてしまうって無理なんですよ。
結局どうなるのかというと、左手で支えて右手で入力するという、
iPhoneよりも自由が利かない不思議な状態になってですね。
これが僕は非常に納得がいかなくて、悶々としていたわけですよ。
だからこのQはすごくね、これまさに私としては腕時計だったらこうなってほしいをほぼ実現しているんで、
女性みたいにこうやってもダメだな、こっちでやったって。
右翼のところはそこに手が届くはずがないですもんね。
ダメなんですよ。片手で操作できないという腕時計は実に不思議なものなんですよ。
なんていうのかな。しょうがないですね、これはね。
あとはもうiの遺伝子みたいに脳内インプラントしかないですよね。
あれに近い状態なのがAppleの新しいビジョンなのかもしれないんですけど、
とりあえず現状はこの指を擦ると操作されるみたいな、これの操作性をストアで検証していきたいと。
いつになるかわかんない話ですが、思っていたりします。
結局iPhoneは何を買うかがまだ決められていない状態ですね。
告知がありまして18日、これは何の日だ?
経路の日ですね。9月18日月曜日3連休の最終日に、
J松崎さんとタスクシュートジャーニーというのを4時からやります。
多分間もなく満席になると思いますんで、結構な人数なんですけど、
たぶん間もなく満席になると思いますので、こちらぜひよろしければ。
2度もボイシーでJさんと告知、割と気合い入れてさせていただいたんですけど、
おかげさまで結構、僕の感覚ではJさんどう思ってるかわかりませんが、
私の感覚では大変出足好調だったので、
よろしければ、彼とは今非常に割と時間を許す限りっていうやつですけれども、
集中的にいろんなプロジェクトをやっておりますが、
意外とですね、よく順調に動いているなと。
例えば、Zoeさんに作っていただいているタスクシュートライトも、
すごく動作もきびきびしているし、
早い展開でいろいろとタスクシュートらしい機能が実装されてきていると思うんですよ。
あとはもうタスクシュートクラウド街に近いタスクシュートクラウドライトですね、
これを正確に言わないといけないよってことをJさんによく言われておりますので、
正確に言っておきますね。
Zoeさんのタスクシュートクラウドライト。
これがタスクシュートクラウド2と、おそらく同期を取れるようになる。
ここまでくればですね、僕はもういいんじゃないかって正直思うんですよ。
公式から出すものとして、将来的にはともかくとして、
将来的にどうこうっていうのはまたあるかもしれないじゃないですか。
そもそもiPhoneも将来ずっとあるかどうかだってわからないわけですからね。
でもこの現状でiPhone、Android、いずれでも使えて、
ブラウザでも同期が取れて、しかもそっちの同期が取ったときには、
いろんな機能が自由に使えるようになると。
この形がやっぱり一番王道かなっていうふうに思うんですよ。
現状のデバイスのテクノロジーから考えるとですね。
その辺の話は18日にはどのくらい出るか分かりません。
もちろん聞かれれば何でもお答えいたしますけれども、
そういう話とはちょっと違ってですね。
今や手帳も出るように、手帳ちょっとね、公式に出せるかどうか。
手帳ってのは本と違うんだなってのを今、各種折衝していて、
痛感しているところでして、やっぱ物販は本とは違いますよね。
売れ残ったときどうなるんだって問題が、本よりもある意味厳しい。
本だって本当は厳しいと思うんだけど、本は値下げできませんからね。
ここが価格競争とは無縁じゃいられないですよ。
やっぱりちょっと違うんですよね。
再販制度がある。しかし手帳に再販制度なんてないですからね。
売れ残っちゃったらもう本当に、いわゆる在庫処分、大セールみたいになっちゃいますから。
まさにあれは簡単には出せないんだなという。
18日のイベントと収益に関する話
見込みが本と同じくらいありますっていうのは素晴らしいですねと言われ、
ただそれで終わってしまうということになりかねないので。
なりかねないことが分かりました。
そういうわけで手帳も出る中で、タスクシュートっていうのは改めてどういうもので。
Jマスタキさんはね、バーニングについて喋ってくれるというので、
これはこれで面白いと思っているんですけどね。
そういうわけでですね、18日。
これはぜひダイレクトにですね、やり取りしたいので。
同じなんだけど、できればアーカイブ市長よりも直接参加してほしいと。
これはね、金曜日の29日もそうでして、
アーカイブ市長で済ませるのが一番皆さんにとって都合がいいのは当然なんですよ。
場所と時間を選ばないわけですからね。
でもなるべくインタラクティブにやりたいじゃないですか。
やりたいじゃないですかってやりたいのは主催者だけかもしれないけど、
質疑応答はですね、アーカイブじゃできませんからね。
もう今はリアルがいいかどうかはこのコロナのこともありますし、
いろいろそれこそ場所を選ばないっていうのが大事なのが分かってきたんですよ。
でも野球場とかにはやっぱりみんな行くんだけどね。
でも時間はやっぱり動機取れてる方が面白いんじゃないかなと思いますので、
動画を見るよりはですね。
なるべく18日、単に収益だけで言えば動画を見ていただくのも、
直接Zoomでやり取りするのも、Zoomじゃないかもしれませんけどね。
変わらないんですよね、収益だけ言っちゃえば。
でも実際にやり取りさせてもらった方が、
僕らとしてもおそらくご覧になる方にしても面白いんじゃないかと思うので、
18日できれば時間とっていただいてですね、
見てお話しさせてもらうとありがたいなと思います。
そして10分が経つという。
10分でボイシーとかJさん終わらせてるケースもありますもんね。
10分だと何にもしゃべらないで、
僕の場合終わってしまうケースがほとんどだと思うんですが、
今日はですね、そんなにケアしなくてもいいんじゃないか問題と、
僕このネーミングが大きな間違いだと思ってるんだけど、
いいネーミング考えつかないんですよ。
何が言いたいかというと、
昨日メラニー・クラインの話をガチャガチャしましたけれども、
メラニー・クラインの考え方に排出というのがあります。
これも排出と言ったり昔してましたからね、
本当に嫌なものを外に出すというものなんですね。
内容としては倉津野圭三さんがGood Vibesで
罪悪感を持ちきれなくなるから外に出していくっていうのと、
ほとんど完全に被る内容になります。
選手権とか関係ないんで、
これはですね、カウンセリングの場では必ず起きるので
みんな意識はしてるんですよ。
多かれ少なかれですね。
で、どういう話かというと、
例えばなんですが、
朝、朝っぱらからTwitterでこんな嫌な広告が流れてきたって言って
腹を立てるっていう人も、またそういうこともあるじゃないですか。
朝から見たくもないこんなCM、あんまり品の良くないの見せつけられちゃって
みたいなことを言って閉じましたって言って、
自分の気分の悪さの内部要因と外部要因
ちょっとこうネガティブになっている方がいらっしゃるとするじゃないですか。
これは自分の中に入ってきたストレスを、
これはクラインの解釈ですよ。
こういう解釈をして、いいとか悪いとか、
この解釈は正しい絶対にとかいう話じゃないです。
クラインの解釈として、
入ってきた、自分の中で発生した気分の悪さというものを
外に出したってことになるんですよ。
なんでって思われるかもしれませんけど、
その悪いとされている広告が、
ただ人間が、そうだな、人類ゼロだとしましょう。
今この世の中で。
人類が滅びちゃったとしましょう。
でもその広告は何らかの形で、
なんかSFみたいですけど流れました。
これは悪かって言うと、僕はそうは思わないんですよ。
ただその広告がただ流れているだけだというとき、
もっとこういう広告の話だとSFみたいになるから、
有害図書みたいなのあるじゃないですか。
有害図書とされる本ね。
それがそこに本がただあるだけで悪かって言うと、
悪だって言う人もいるかもしれませんけど、
例えば読む人はゼロです。
悪かって言うと僕はそうは感じられないんですね、全く。
ただの本ですよね。ただの紙ですよ。
いや、あさっぱらからそんなの見せつけられてしまって、
自分の気分すっごい悪くなったから。
悪ですって言うのは、
こういう言い方をすると怒られるかもしれませんけれども、
やっぱり読まなきゃよくないですかっていうことになっちゃうわけですよ。
これはですね、本人がですね、
なんていうのかな、
それを読んで文句言ってるのがよくないよっていう話ではないんですよ、
私が言いたいのは。
これはつまり、自分の中にその原因があったのか、
自分の外にその原因があったのかについて、
検討する必要があるというか、
その検討をおそらくする余地があるだろうということですね。
つまり、外にあるという話になるのであれば、
自分というものがその時、消えてなくなっていくんですよ。
いきなり外からやってきたものによって、
何か悪い気持ちというものが生じせしめられたっていうんですかね。
英語でメイクなんとかってあるじゃないですか。
ちょっと今ぼんやりしているんで、
ぼんやりって言うのかな、
そっちに頭回ってないんで、
全然思い出せなくなってるんですけど、
とにかくその、生じせしめられるじゃないですか。
その外側にあるもののせいで、
自分の心の中に何かが作り出されたと言ってるわけですよね。
でも、さっきも言ったように、
読まなければいいという考えがあるということはですね、
読むことに原因があったと考えてもいいわけじゃないですか。
読むことによって、
たまたま自分にとって気分の悪いものが目に入ったので、
自分の脳がですね、それに意味をつけたわけですよ。
だってこの意味をつけるってことができなければ、
有害だと認識することは不可能ですから、
たぶんそれをですね、
全く知能指数が極めて高いボノボチンパンジーとかが見て、
何かを見ているとか、
それが何かであるという絵とかだったらね、
分かるかもしれないけど、
すごい気分悪くなったってことはできないと思うんですよ。
なぜならば意味をそこにつけることが不可能だからです。
それは意味をつけてるんじゃなくて、
意味があるんだって言われるかもしれないけど、
意味はないと思うんですよ、やっぱりね。
その絵なり言葉なり、
それ自体が意味を持ってるとは僕は思わないですよね。
やっぱりそれは意味をそこに見出すわけですから、
見出すための能力がいるわけですよ。
その能力を発揮してるわけですよ。
それは全部私たち側にあるものですよね。
私たちの脳なり心なりというものが、
そこに意味を見出してるわけですよ。
すごく細かな話をしていると思われるかもしれませんが、
やっぱり読まなければその事象は起きないと思うんですよね。
いやでもそれを読みたくて読んでるんじゃなくて、
ツイッターが読みたくて、
たまたまそれが目に入ってきているんだから、
やっぱり外から来てるんじゃないかって思われるかもしれないんだけれども、
あくまでもそれはツイッターを読みたいから、
それを読みましたって話であって、
たまたまなんにせよ流れてきたにせよなんにせよですね。
そもそもツイッターってたまたま流れてくるものを読むものですから、
自分にとって気分が良くなるものだけが絶対に流れてくるという、
代物ではないですし、
そう思ってないでしょ読んでる時だって。
多少気分が悪くなる可能性については検討してると思うんですよ。
自分の大好きな人だけをフォローしているんだから、
ああいう変な広告を読めて、
大好きな人のフォローだけ読ませろって思うかもしれませんが、
大好きな人のフォローだけ読んでたって、
気分が悪くなる可能性はゼロにはできないじゃないですか。
そしてやっぱり読んでるんですよ。
自分にとっての能動的な恋が目に飛び込んできたと僕ら言いますけどね、
言いますけども、やっぱり目に飛び込んでは来ないと思うんですよね。
このさっきのボノボチンパンジーとなぜ言ったかというと、
彼らの目が我々の目とそう違いはないからなんですよ。
外部要因に対する抗議と社会正義の議論
違いますけどね、全然。
でも目には飛び込んでくるわけじゃない。
でも同じ事態は発生しない。
やっぱり我々はですね、目で物を読んでるわけではないですから。
あくまでも脳でそして心で読むので、
これは私たちの心の中で能動的に作り出した結果、
気分が悪くなるわけです。
気分の悪さも作り出しているはずなんですよ、必ず。
勝手に気分を外からのものが強引に悪くさせるってことは、
少なくとも脳科学とか認知神経科学とか、
心理学とか臨床心理とか精神物理学、
どれも絶対にそれは認めてないんですよね。
外から勝手に何かを脳に作り出させる力がありますという科学は一つもないんですよ。
これはあくまでも僕らの表現なんですよね。
目に飛び込んできた。
飛び込まないんで、写真は。
目に飛び込まないじゃないですか。
文章も目には飛び込んでこないですよね。
ヒューってこないですよね。
僕らがやっていることをそういう表現で喋っているにすぎないんです。
だから外に意味はやっぱりないんですよね。
いかに意味あり得であろうとも。
たぶんアラビア人、イラン人の人とかアラブ語の人たちですね。
日本語のそれを見ても写真の意味はわかるでしょうけど、
同じように気分が悪くなるかどうかは思いに疑わしいですよね。
それは日本語の力を借りているわけですよ。
あるいは母国語の力を借りてですね。
それによって我々は象徴機能を通じて意味をつけているわけです。
やっぱりだからつまり少なくとも科学的に言えばですね、
自分が能動的に作ったわけですよ。
でも外にあるこれのせいで自分の気分が悪くなったというときには、
何を外に置いたかというと、
意味付けの原因を外に置いたんですよね。
だから排出というわけです。
意味付けの原因は絶対自分の中にもともとあったものだから。
でもそれが自分の中にあると認めるのが、
例えば幼いからまだ難しいとか、
今はストレスいっぱいだから自己原因だと言われることに
1ミリも同意できない。
そういうふうに同意すると心が耐えがたいと感じている。
だから外に出すわけですね。
外に出すのは原因ですね。
これを投影と言うんだけど、原因です。
外の何かのおかげで私の気分が悪くなった。
これに抗議したいわけですね。
僕はこの抗議というのは何を意味するかというと、
何を意味するかというか、
非常によく見られる現象として、
とっても不思議ではないけれども、
興味深いなと思うのが、
でもここですごい難しいことが起こるんですよ。
社会正義みたいな話が出てくるんですね。
私は社会活動が悪いとは思わないし、
必要だったケースがあったとも思うし、
いろんな意味でここでこの問題に閉塞するのは、
気分的には気が乗らないんだけど、
この話ってでもものすごく実は出てくるんですね。
つまり外のせいにするというのは、
外のものを良くするという意味に変わっていくんですよ。
そうですよね。
例えばさっぱらから品の悪いものを見せつけられるのは、
とても気分を害すると。
私はいいかもしれないけど、
ここに僕は嘘があると思うんですけど、
私が良くないと思っているんだと思うんだけど、
その人が良くないと思っていると思うんだけど、
私はいいとしても、
他の人ももっと嫌な思いをする人もいるかもしれないから、
こういうのを規制するべきじゃないでしょうか、
っていう話になっていくじゃないですか。
規制とは限りませんけれども、
何らかの形でこれを改善する必要があるんじゃないか、
って話になるじゃないですか。
つまり社会正義っぽい話にここで変換されていくじゃないですか。
で、このことの良し悪しは、
このことは起こるから、
必ずそういう運動なり、
活動なり、
そういう言説なりが発生しますから、
私はこれはそういうものは起こるものだと思いますが、
これを私のところに、
たまたまセッションなり対談なりされに来た方がですね、
こういう心理状態を持ったまま苦しんでいるならば、
その理由はですね、
その理由っていうのかな、
その理由の一つ、
その原因の一つで、
一つは、
過剰なケアになっちゃっているっていう事実について、
少し注目してみましょう、
という話はします。
過剰なケアと家族の影響
つまり、
なんであなたが今そんなに辛い状態なのに、
社会の面倒まで見ようという気になってるんでしょう、
っていう話なんですよ。
実際にはちょっと違うんだけれども、
でもそういう話になりかねないんですよ。
だって社会正義ってことになるってことは、
社会を良くするために私が人肌抜きますっていうことを、
多少とも意味するじゃないですか。
それだけではないですよ、もちろん。
それだけではないけれども、
そしてここには少しねじ曲がった話がありますが、
でもやっぱりそうなりやすいんですよ。
これが家族とかのことだと、
一層そうなりやすいんですよ。
あの、私がここで、
別に私はいいんだけどっていう枕言葉を必ずつけて、
私がここで言わないと、
例えば大棒な父のせいで、
大棒な夫のせいで、
子供に悪影響が及ぶ。
だから私がここで頑張るんです、みたいな。
なぜ?
だいたいその種の方はですね、
もういっぱいあるんですよ。
大概の場合、
タスク管理で私のところには大概最初は来られるからですね。
タスクはもう24時間の中に180時間分のタスクが埋まっていて、
しかも全部やらざるを得ないことになってんですよ。
僕の言葉を使っていただけるんですよね、
そういう場合の。
いやこれはやってもやらなくてもいいこととか、
やるべきこととかやった方がいいことじゃなくて、
過剰なケアに向かっていく気持ちの理解
全部やらざるを得ないことなんです。
っておっしゃるわけですね。
そしてもう本当に、
でもうつうつとしていて、
日々怒りと悲しみに苛まれていますと。
体調も最悪でボロボロなんです。
でもここで子供のために、
夫の横暴を私がケアしなければ、
ケアしなければとおっしゃらないけど、
その行いを正さなければいけない、
みたいな話になってくるんだけど、
そのケア無理だろっていう感じがやっぱりしますよね。
さらにそういう話の延長線に、
そもそも夫の横暴ってのは、
男が横暴だから、
やっぱり男の認識を変えなければいけない。
それは必要なのかもしれないし、
多分必要なんだと思うんですよ。
ただその状況の中で、
男の認識を世の中に変えるって、
なかなか無理があるような気がするんですよね。
でも不思議なんですよ。
そこは不思議なんですね。
不思議じゃないかもしれないんだけど、
やっぱり不思議なことがあって、
こういう時ほど人はそこに向かっていくんですよね。
なんかですね、
よそその人の手には追えなさそうなところに向かっていくんですよ。
これはいろんな理由があるんですけど、
やっぱり興味深いなと思って、
僕は過剰なケアって内心では呼んでるんですよ。
なんかいいネーミングじゃないなと思ってるんだけど、
いつも過剰なケアなんですよ。
私が全世界の面倒を見てあげないと、
世界は悪くなる一方だっていう思いで苦しんでいらっしゃるんですよ。
まず大事に、私が世界の全世界をケアすることができるっていう人は一人もいないし、
その人の状況では一層難しそうなんだけれども、
なぜかそこへ向かっていくんですよね。
ことがうまくいってる人ほど、半径5メートル言うんですよ。
倉園さんもそうおっしゃるんだけど、半径5メートルね。
自分のできる範囲内のことをやるって話ができる人は、
だいぶ心理的には健やかな状態にあるんですよ。
だいたい不思議なんですよ、本当に。
心身ともに、もう心身衰弱というのは確実に言えるなっていう人ほど、
財務省とかね、なんかこう強大なところに向かっていくんですよ。
相当の人が、それなりにうまくいってる人が、
100人ぐらい集めて始めてもなかなか簡単じゃないなみたいなところに、
都市空間で行っていこうっていう話になるんですよ。
でも今日のお腹の調子もままならないっていう方がですね、
いきなり財務省とかそういうところに行きたくなってしまうという、
この話から入ることが実はとても多いなっていう感じがするんですね。
そしてその時にいつも思うのが、いつしかこの方は無理なケアに向かっていっている気がする。
気がするわけですね。
例えば、私が告知するじゃないですか。
そうやって佐々木さんもSNSで告知ばっかりしていると、
フォロワーが離れたり、フォロワーが傷ついたりして、
良くないっていう話をされることがホイホイあるんですよね。
ちょくちょくあると。
これも僕、ケア過剰な感じをいつも抱くんですよ。
私のフォロワー、全フォロワーの気持ちというのを、
僕ごときにフォローできるわけがない気がする。
どうしてもそう思うんですよね。
半径5メートルが狭いとしても、半径10メートルが良いところなんですよ。
私の場合は、家であればだいたい家の中。
家の外のことって無理ですもんね。
お隣さんは半径ここから見ると30メートルぐらいか。
四方八方、領土内にありますけど、
そこで例えばですね、
おじいさんとおばあさんが喧嘩してますみたいな。
仲裁に行かないですね。
私はやっぱりね、ちょっとお気の毒だから
お互いの言い分聞きに行きましょうみたいにならないんですよね。
このレベルのことすら、そんなに簡単じゃないじゃないですか。
ややもすると大いに失敗しそうじゃないですか。
このレベルができなくて、どこにいるともわからない。
そして何人いるのかも不明瞭である。
Twitterで私のを見ている人の気持ちをケアしようってのは
無駄に無理があるんですよね。やっぱり。
僕らそういうことを思うばかりガチですけど、
よく考えてみると全然現実的じゃないなって感じがするんですよ。
だってさっき言った通りなんですが、
大体の人は目に飛び込んでくるぐらいに思ってますから。
目に飛び込んできたものは、
出したやつが悪いぐらいに思いますからね、簡単に。
そういう状態にある人に、
何がどう響くかなってわからないし、
わかるわけがないし、しかも
こう書いておけばその人の気分が良くなるっていうのだって
相当疑わしいじゃないですか。
この辺の外のことをケアできるっていう風に
感じてるわけじゃないんだけど、
でも結局のところ、投影ですよね。
排出して物事の原因を外に置くというのは
最終的にはですね、
外のことをケアしたいっていうか、
ケアしなければならないって話になりやすいんですよね。
というか、大体その集の心理は
そういう風に動いてしまうんですよ。
よく話をしていると、
上司の人がこういう状態ですっていう時にもですね、
上司のケアみたいなことが
その人の心の中で始まっている気がするんですよね。
出なければもう攻撃したくなる。
どっちかになりやすいんですよ。
ケアするというのは相手の認識を変えるとか、
認知を変えるとか、
その意識を変えるとかなんですよね。
それは良いことだって話じゃないですか。
自分の心に原因があれば問題解決
良い方向に向かって意識を変えて、変えなければいけないって話は
やっぱりケアって感じがするんですよね。
ケアっていうのはその場合、多分正しくないんだろうな。
なんか面倒を見ている感じがするんですよ。
私のコントロール下に置くべきものなのかっていう感じを与えますからね。
そこにすごい無理があるなと
やっぱり思うことが多いんですよね。
家ですら無理ですからね。
家だから無理なんだって言われるかもしれませんけども、
私は奥さんの気持ちをコントロールするのを
完全に手放そうと思えるようになってから、
手放せたとは言いませんが、
そうと思えるようになってから、
我前夫婦関係は楽になったってことなんですよ。
この人が怒りたい、怒鳴りたいというのは
この人の自由なんだってことなんですよね。
この人の領域にある話なので、
私がその気をつけることによって
怒らせないようにするとか、
機嫌を取ることによって、
今怒っている気持ちを怒りじゃない気持ちに
転換するとか、そういうわけにはいかないんですよね。
そういうわけにいかなくないと思っていたから
頑張っていたんだけど、
その頑張りが、なかなか無理があったという話なんですよ。
そうすることによって、
相手は実はそんなに怒っていないということが
簡単に見えるようになるだけでも全然違うんですよね。
怒らせないとするという観点、視点を取る。
すごい怒っているように感じる。
機嫌を良くしさせ、機嫌を取るって言うじゃないですか。
機嫌を取るっていうのはやっぱりケアなんですよね。
そこにあまり頑張りすぎると、
機嫌なのはいちいち目につくじゃないですか。
子供とかでもそうですよね。
子供の機嫌というものについて、
過敏に考えていると、辛くなってくるんですよ、親は。
そして面白いことに親っていうのは、
辛くなると子供に怒るんですよ。機嫌良くなれと。
機嫌良くなれって怒られて、
機嫌良くなるはずがないじゃないですか。
コントロールしようっていう、ケアしたいっていう意識なので、
別に悪いことじゃないと思うんですけど、
不器用なんですよね。
これはきっとやっぱり。
そして過剰なんだという感じがするんですよ。
ケア過剰って僕が感じるのも、
過剰な感じがするんですよね。
そこまで私がやらなければいけない、
義務がないっていうのかな。
そこまでを私がやらなきゃいけないと思い込まなくていいってことなんですよ。
この人の機嫌が悪いときは、
この人の機嫌が悪いままでいいんだってことなんです。
そうすると、これが不思議なんですけど、
それほど機嫌が悪くないことが見えてくるんですよ。
こういうことなんじゃないかなっていうふうに、
いろいろと思う。
グッドバイブスイーダー。
この外にある。
外にあるという思いはしかし、
そういう、
例えば朝っぱらからってよく人が言うのは、
朝不機嫌だからなんですよね。
つまり自分の中にあるっていうふうに考えることができない。
自分の中にあるほうがどれほど楽かということが、
ここが大事なんですよ。
この話は結局専門用語で言うと、
外に全部を置くとどうしてもPSポジション、
放送分裂ポジションになっていくんです。
悪いおっぱいを吸わされている子は泣くんですよ。
悪いおっぱいというのは多くの場合、
おっぱいをくれないっていうんですよね。
雷の母親っていうんだけど。
これはものすごく混乱しますよ。
あれですよ。
仕事と私どっちが大切なのっていうのと同じなんですよ。
赤ちゃんが言いたいことは。
お母さん仕事してたりするわけですよ。
仕事と私どっちが大切なのと言ってギャン泣きしてるわけですよ。
この時の赤ちゃんの混乱ぶりはものすごいわけです。
全原因は外にあるわけですよ。
すっごい辛くなってくる。
見落としてるんですよね。
そして外に置いて、あげくに外のケアまで始めようとしちゃうんだけど、
外にあるとどんだけ辛いかってことを
外に向かっていくと無力感に苛まれる
なんとなくしか覚えてないんですよね。
赤ちゃんだった時の記憶ってないじゃないですか、我々。
だからこの無力感、
自分に原因があると思えることの良さは、
自分にコントロールが十分効くっていうさなんですよ。
ケアする対象は外じゃないってことですよ。
社会とか財務省とか、
男女差別的な意識とか、
そういうものをケアしなくても、
まず自分の心に原因があれば、
自分の心をケアすれば済むじゃないですか。
これをやれればどんなに楽かと。
外に向かっていけばいくほど、
僕らはだいたい無力感に苛まれる。
よっぽど社会活動家で、
ものすごく能力の高い人でも、
絶対いつも欲打つと戦ってると僕は思うんですよね。
だって世の中を動かすって簡単じゃないじゃないですか。
いろんな女性の議員の、
野党の議員の方が、割と綺麗な方が、
ものすごく首相に食ってかかるパフォーマンスを頑張ってますけど、
全然事態改善された。
彼らの目から見ればですよ。
自分の議席増えたかっていうと増えてないし、
首相の支持率が下がってはいるんだけど、
自分の支持率が上がったりは一向にしてないじゃないですか。
あれはやっぱりやれるってことは、
自分の欲打つ状態というものを、
何とかするのに日々努力されてると思うんですよ。
じゃないとすぐうつうつとなっちゃいますよね。
あの有名な犬の電撃ショックと同じで、
何度も何度も失敗しました失敗しました失敗しましたって、
自己原因について
そのまま1000回ぐらい失敗し続けると、
やる気を失うんですよ、普通の生き物は。
犬でも。
まして人はやる気を失いますからもっと早くですね。
だから外のケアをするってのは大変なことなんで、
まずその何歩かって言うんだけどね、
北海道弁で。
いくらかでも、
いくらかでも、
自己原因っていうのかな、
結局でも簡単に言うとツイッターは読まなきゃいい。
読まないってことの方が、
よっぽど流れてくるものをコントロールするより、
簡単なんですよね。
ここを僕ら逆に考えてるところがあるような気がする。
読まないことはできませんっていう感じじゃないと、
読まないことはできます。
非常に簡単です。
読みたくないと思えばですね、
もう一つ、
読んでもすぐ忘れればいいんですよ。
これもものすごく抵抗されるんですよね。
忘れるなんてできませんって。
佐々木は超人だぐらいに言われてるんですけど、
忘れるのは簡単ですから。
みんなめちゃくちゃ忘れてるじゃないですか。
去年の重大ニュースとかはほとんど思い出せなかったりするじゃないですか。
あんなに大騒ぎになって。
覚えておこうとさえしなければ。
この辺はミッドナイトラクサかな。
裏園圭三さんがポッドキャストでよくよくおっしゃってることですけれども、
不満を持つとかいうのは意思なんですよ。
だから嫌な記憶をとどめておくのも、
こう言われるとつらいかもしれませんが、
嫌な記憶をとどめてるのは意思なんですよ。
努力してやってるんですよ、心はね。
無意識に近い部分が大きいと思うので、
ままならない感じがしちゃうんですけれども、
ままなるんです。
我々はそんなに物覚えの良い生き物ではないから。
昨日一昨日起きたことをありありと思い出せるというのは、
やっぱり思い出そうという意思を持ってなければ、
到底不可能。
外からのインパクトがどれほどでかい出来事が起きたって、
僕らあっという間に忘れると思うんですよ。
風化するって言うじゃないですか。
人を失ってはいけないとか、
人はみんな覚えておかなきゃいけないとか、
ああいう時に冗談言ってるわけじゃないと思うんですよ。
ひどいことが起きたんだから、例えば津波とかね、
覚えておかなきゃって思うんだけど、
どんどん忘れていくじゃないですか。
やっぱり生き物にとって覚えておくってのは無理があるんですよね。
とっても不自然なんですよ。
日々身体の状態はどんどん急速に動いているのに、
実は変わっているし、夢も見るし、
もうめちゃくちゃしっちゃかめっちゃかなのに、
そして新しいインパクトがあることもどんどん入ってきますから、
でも特定のことを覚えておくというのは、
覚えておくための相当のエネルギーと仕掛けと仕組みと工夫が、
そこに働いているんですよ。
自由な選択をする
だからそれを実は、
へばなしちゃうというのが簡単なことなんですね。
で、
それは自己原因だとでも思わないと無理じゃないですか。
外からやってきたことが勝手に目に飛び込んできて、
勝手に脳内にストレスを作り出して、
勝手にそれを記憶として定着させ、
嫌な気持ちをどこまでも植え付けるんですって話になったら、
絶対手が出せなくなりますよね。
世の中変えるしかなくなる。
だから僕らは、外にある方が、
原因が外に本当にあってですね、
自分を痛めつけていると考える方がですね、
本当は自分がそれを作り出しているという状態よりも、
はるかにつらいんですよ。
だから自分が自己原因だと思えてですね、
思えれば、
それは自分のいわば権利ですから、
好きにしていいわけですよ。
忘れてもいいし、
読みたくないと思うものは読まなければいい。
先日ですね、
分厚い本が読めなくて罪悪感が募るんです。
読まなきゃいいんですよ。
こういう自由を僕らはですね、
持ってるってことなんですよね。
読むべき本というものを読まさせられる。
また生じせしめられるんですよね。
つまりそれって、分厚い価値のある本を自分が読むという形で、
ケアしなきゃいけないっていう話になってるじゃないですか。
ちょっとここでケアっておかしいなとは思うんだけど、
なんかそういう感じがするんですよね。
私が面倒を見てあげなきゃいけないみたいな。
そんなことはないということですよね。
どういうことであったとしても。
42:27

コメント

スクロール