おはようございます。 佐々木正悟の自由連想第1415回をお送りします。
お早くもなんともないんですけどね。 11月8日、水曜日、夜22時35分です。
はい。 まあ、いつもとはちょっと環境が違うわけですが、
朝、本当は収録しようと思ってたんですよ。 しかし、まあ、ちょっと全然全く無理で。
で、まあ、 気がついたら、もうこの時間というぐらい、今日は慌ただしくてですね。
まあ、 ここのところね、異常に慌た…あ、そうそうそうそうそうそう。まずこの話をしておきましょう。
私、タスクシュート協会の一応、似合いもせん理事というね、 肩書きでやっておりますが、
この度、これはもう一般公開されている話ですからいいと思うんですけど、 理事3人しかいない理事のうちの一人が大会されまして、
J松崎さんという、まあこの界隈では一番ビッグネームなんですが、 という流れになりましてですね。
まあその、タスクシュート協会の話をするわけではなくて、 その話はもう協会の方で色々と動いているんですけど、
私は精神分析でこの問題を考える人間なわけですね。 で、そうすると、
これはつまり、対象喪失ってことにはならざるを得ないでしょう、 っていうことなんですね。
対象喪失というのは、まあ非常に難しい話だなって私最近思うんですよ。
というのは、まあ私がよくまだ分かってないせいなんですけど、 モトメランコリーっていう有名なフロイトの、
フロイトの論文は全部有名っちゃ有名なんですけど、 五大省令とかですね。
結局モトメランコリーは中でもやっぱり有名な方だと思うんですが、
これにですね、対象を喪失することによって人は鬱になっていくっていうのが、
多分そんな話がやっぱり、あのように合理的に説明されていた話としては、
当時としては画期的で、今読んでも画期的だよなと。 あそこに書いてある通りかどうかはともかくとして、
あのようなことはあるでしょう実際っていう感じが、まあするわけですね。
失礼。なんか今日くしゃみ出そうな日がしてきた。
ここで喋ってるとやっぱりね、他のところで喋るのはわけが違うんで。
ちょっとこの問題を今取り急ぎ、解決しなければならないような気がしまして。
えーと、
これが不在という問題であって、つまりおっぱいが不在だって話は散々してきましたけど、不在っていうのは
直ちにそこが悪いものによって埋められがちなわけですよ。 いなければいけない人がいないということは、ただただそこ、いないってことはですね、
基本的にはそこに空隙があるだけであって、つまり何もないわけであって、何かがあるわけじゃない。この話散々してるんですけど、我々はよくこれをやっぱり、
というか人間は概念上ですね、ないことは悪いことであるっていうケースが実際あり得るわけですよ。
例えば、そうですね、自分家が亡くなりました。 これは、あ、もともと家なかったよね。では済まないわけですよね。
家が亡くなった、例えば火事で亡くなったってことになったら、あるべき、ここにあったはずの家が亡くなったって話になる。
でもそれは本当はおかしいわけですよね。あったはずだとか、前まではあったとか言ったって、それは記憶の話であって、現実にはないわけですよね。
でも人間はそうは捉えない。現実にはただないだけであるっていうふうには決して捉えない。変化というものを捉えてしまうわけですね。
だからここにあるべきであるものがなくなったって考えるわけですよ。そうすると、いやしかしあるべきであるから、
これはあるべきであるものがないってことは悪いことが起きたのであるって考えて、悪いおっぱいが発生しちゃうわけですね。
これがつまり、夜のトイレに出てくる花子さんなわけですよ。 そこに本当は誰もいないんだけど、子供にしてみれば、そこに自分を励ましてくれるお母さんとか、
一人でトイレに行っても大丈夫だと見守ってくれるお母さんがいるはずである。いるべきである。それがいないということになってくると、それは恐ろしいものがいるっていうふうに、あまりにも怖いからね。一人でトイレ
に行くのは。
大人の人はそう思わないって言うかもしれないけど、そんなことはないですよ。
たぶん大人の人でも廃屋になった学校のトイレに、夜たった一人で行かなきゃならないってなると、トイレの花子さんがいることになっちゃうと思うんですね。
ここが、いないものがいないというのは、ただ存在しないのであるではすばされずに、悪いものがそこにいるのであるになっちゃうわけ。
で、だから悪いおっぱいっていうのは、なんかデカ悪いおっぱいとかそういう話をしてるんじゃなくて、恐ろしいものがそこにありますって話をしてるわけですよ。
良いおっぱいがあるっていうのは、死状なんですよ。ユートピアなんですよ。
1歳児とか0歳児の話ですからね。良いおっぱいがあるっていうのは、ユートピアなんです。
悪いおっぱいがあるというのは、もう地獄なんですよ。だから天国と地獄なんですよ。
それは0歳児の心の世界なわけですね。ここに対象喪失、対象喪失はつまり、悪いものがまず発生するってところからスタートするわけです。
だから対象喪失というと、やっぱり最もですね、我々がよく知ってる世界で言うと喪失ですね、喪失。
喪失こそまさに対象喪失に対する我々の物作業の社会版なんですよ。物作業とは喪失のことを言ってるわけです。
喪失の時に決まってやるのはですね、まあこれは皆さん誤解されているケースが多いと思うんですけど、
霊を鎮めてるっていうことになってるわけですよ。霊を鎮めてるというのは何のために、喪失ってそもそも何のためにやるのかと。
喪失ってそもそも誰のためにやるのかと。死者を弔ってるって言うんですけど、どう考えてもあれは生きてる人のためにやってるわけです。
生きてる人は何をしようとしているかというと、この人がいないというのは現実にいなくなっただけなのであるというか、いなくなったことを受け入れるしかないのであると。
それは当たり前じゃんって思われるかもしれないけど、そんなことはないわけです。喪失するインパクトというものは私たちの心に欠損という恐怖を呼び覚ますわけですね。
それは本当はなきゃいけない。なきゃいけないものがないのは大変なことになるでしょ。
例えば水がなきゃ我々は生きていけないのに水がない時に水がないだけですとかって言わないじゃないですか。
大変なことになったから早く自衛隊から水をなんか供給されなければ大変なことになるということで、多分暴動とか起きますよね。
つまり欠損というのは恐怖を引き起こすわけですよ。
だからどなたかが亡くなったということは、ただ亡くなりましたということでは済まされない。
それは我々はないことを受け入れなければなりませんよこれからはということで、弔いということをしなければならないわけですね。
弔いをしなければならないということになると、まずは悪いものがそこに発生しましたという物語ができるわけですよ。
それがつまり霊とか幽霊とか死霊とかそういうふうに言われているものですよね。
でまずその死霊というのは死者のせいにされるわけですよ。我々が勝手に死霊というものを見てる癖してですね。
あるいは幽霊ってものを見てる癖して、そこにはまだ天国とか極楽とかに行き着くことのできずに彷徨っている霊魂があるのだっていう、これが悪いおっぱいってやつですよね。
ないから、トイレの花子さんもそうです。悪いおっぱい、だからホラーに近いんですよその世界。悪い○○はホラーに近いわけです。
不在だって言ってんのにお亡くなりになったんだからいなくなっただけに決まってるわけですよ。
なのになんかこう迷ってしまうわけですよ。死者の国に行けず迷った生者の魂がそこら辺にいるってことにするわけですよ。
実に都合のいい話なわけです。だから非常に霊っていう幽霊とか死霊とか呪いとかいうものは我々のナルシシズムをよくよく表しているわけですね。
我々の都合なんですよ、あれは。我々がないってことを受け入れられない。いなくなったら急にいなくなると受け入れられないじゃないですか。
まだ生きているような気がします。まさにこのまだ生きているように気がするっていうことこそが霊魂ってやつじゃないですか。
まだ生きているような気がしているのは死んだ人の方じゃないんですよ。生きてる人の方の記憶としてそういう意識があるということだと思うんです。
どう考えでもその方が辻褄が合ってると思うんですよね。死者がまだ自分生きてると思ってるぜっていうのはいかにもおかしな話であって、
でも生者の方が死んだ人がまだそこに生きているような気がすると全くおかしな話じゃないので、いかにもおかしな話と全く変じゃない話のどっち選択するかって言ったら
合理的には全くおかしくない方を選択する方がいいわけですよ。ただ受け入れられない。
したがってお亡くなりになった人がまだ実はお亡くなりになったんだけれども、生者の世界に彷徨っているので、だからこれはPSポジションなわけですね。
Dポジションになったらこの霊魂を生み出しているのは自分の心であるというふうにわかるんだけど、多席してるわけですよ。死んだ人のせいにしてるわけ。
死んだ人が彷徨っているからまだここにいるような気がするんだ。そうなんだ。じゃあこれはやっぱりありがたいお経でも唱えてあげなければいけませんねということ。
その人のせいにしてあげる。その人のためにお経をあげている。そうすることによってその人が鎮魂されて、あの、めでたくというのかな、穏やかにあの世に旅立ってめでたしめでたし。
私たちもそれを受け入れられるようになりました。というのにかかる日数が49日だから49日ってことになるんでしょうし、ケースによっては1年かかるから1回帰り、1周期なんでもいいんですけど、1周期だね。
1周期を迎えると。で、これはビジネスになるぜってことがわかると、今度はあの戸村雄法もいやいやまだまだあのまだ
さまよってますからということで、3回帰りとか7回帰りとか、だんだんすごくなってくると14回帰りとか、あの100回帰りとかやるわけですよ。
これにはあの坊さんが儲けたいという理由ばかりではない。大体そのあれですよ。多くの人は100回帰りとかしないですからね。
やっぱりこれはですね、あの生きてる人のためにやるのがお葬式なんで、みんながみんな葬式のお題をあのけじりたいと思ってるとは限らなくてですね。
親戚同士で集まって、飲めや歌いやしたいっていうこともありますんで、この時だけはあの亡くなった人がまた戻ってきてくれるのが達績なんですよ。ここでもね。
生きてる人の都合が常に優先されているということです。これは当然ですよね。だって生きてる人のための催しのものなんですから。
で、このように考えてみたときにいくつか考えざるを得ないことがあると思うんです。
まあその葬式のビジネス云々は置いといて、この葬式というものはですね、基本欠損を受け入れるための儀式なんですよ。
これはもう確実だと思うんですね。お亡くなりになっているんだから欠損はあります。欠損があるんだからそれに対して何かをしているということは、欠損を受け入れられないから何とか欠損を受け入れようって話だ