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「精神分析という語らい」再々再読?【1414】
2026-11-03 44:44

「精神分析という語らい」再々再読?【1414】

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サマリー

佐々木正悟は、タスクシュートを使う意味について、行為を「してもしなくてもいい」と捉えることで、やめたいのに続けてしまう行動から距離を取れると話す。一方で排泄や避難生活の水・トイレの確保は例外的に重要なタスクだと述べる。後半では、藤山直樹『精神分析という語り』を読み返すたびに理解が飛躍的に深まる体験を語り、精神分析理論を臨床例と結びつけて考える。特に、欲望や欲動が「WANT」から「MUST」へ変わり、自我を圧倒するという「S」と「長寿が」の関係を、怒りや依存、過度な生産性志向の例で説明する。『ネズミ男』の臨床については、フロイトが微妙な転移を取りこぼした結果、よりグロテスクな形で現れた可能性や、分析期間の短さへの違和感を述べる。さらに、フロイトが後悔を抱えながらも臨床記録を書いたことを、過去の失敗を細かく振り返る「物作業」と重ねる。カウンセリングでは、怒りや不満の微細なニュアンスを素通りせず扱うことが、問題の大きな表出を防ぐと考察する。最後に、成長や成熟とは行動が変わることだけでなく、同じことをしていても何が起きているかを少し分かっている状態ではないかとまとめる。

タスクシュートと「してもしなくてもいい」感覚
おはようございます。 佐々木正悟の自由連想、第1414回をお送りします。
1414
1414というとルート2ですよね。 まあいいや。
11月の3日、あ、文化の日だ。 火曜日、8時19分ですね。
休日なんで、ちょっと変則的な時間にはなった割に、僕にしちゃ早いなと。
なんで早いかというと、今日は可燃ゴミを出す曜日だから、あんまりゆっくり寝てられないという。
まあでもゆっくり寝てしまって、本当に出し損ねることもあるんですが、 夏は無理ですよね。可燃はね、やばいですよね。1週間放置したくない。
でもこのぐらいになってくると、まあね、 だんだんうちの奥様も寛容にその辺になってきましたんで、結局自分出すわけじゃないからね。
僕が叩き起こされてっていうか、僕が無理矢理起きて出すんで、 出し損ねたら僕を怒ればいいっていう。
そういう側面がありますから、寛容にもなるのかもしれないですが。 今のような話をちょっと今日は軽くしようと思ってますが、その前にですね、
私、タスクシュート協会の理事っていうのを一応やってるわけですが、 タスクシュートは未だに一応この番組で改めて言うこともないんですけど、使ってるんですよ。
で、一体この時代にタスクシュートを使うというのはどういうことなんだろうというのは、
まあこれはここで話すよりは、どっかセミナーでも一発開いてそこで喋ろうと思うんだけど、
なんていうのかな、ただで話すには単なる面白み。 ただの話って面白くなきゃいけないと思うんですよね。じゃないと誰も聞かないと思うんですよ。
お金をいただいて話す場合、聞く人も払ってるっていう意識が入るから、単に面白い話だけを求めないと思うんですね。
ところが、学校の授業って僕は最たるものだと思う。ためになると思って聞くからためになるって側面があると思うんですよ。
同じで、ただの話をラジオみたいなの聞くからにはやっぱそれは絶対エンタメじゃなきゃいけないと思うんですよね。
だから僕はラジオで英語の勉強するとかあれ超難しいと毎回思うんですよね。人間はそういうふうにはできてないと思うんですよね。
このことはしょっちゅういろんな考え方をしてきてるんですけど、僕は精神分析でもやっぱり特に対象関係論ってこういうことに納得感を与えてくれるような、
心理臨床はみんなそうだって言われりゃ、みんなそうではない気がするんですよね。
とにかくこの金を払うことによって聞くべきものが変わるっていうのは大きいと思う。
最近じゃもう全然ねそういう側面ないですけど、僕が子供の頃結構なんか不良の溜まり場みたいに言われてたゲームセンターってやつ。
あれやっぱりね特殊な世界だったと思うんですよね。子供がお小遣い使ってお金を払うことによって
円溜めするっていうか娯楽を得るって大人のやることなんですよねそれはね。
あれ最初私、幼稚園の先生が、いやあれ犯罪でしょって言ってたのが非常に未だにインパクトを持って残っていて、あれは犯罪なんだろうかって一生懸命考えたんだけど、あれが犯罪だということは絶対言えそうにないわ
けですよ。
あれが犯罪だったら今時のカラオケは店連が入ったら全部犯罪になっちゃうんで、そんなことはありえないと思うし。
当時から射的というものはありましたしね。今はほとんど見かけなくなりましたけど。
はいまあいろんなことがあります。あとあれですね、いまだになぜかあって驚くんだけど、地方のスーパーの最上階とかには金魚すくいコーナーっていうのがあって、青森県にもありまして、あれだって結局そういうこと
ですよね。
まああれよりはゲームセンターの方がある意味健全なんじゃないかと私は今なら思いますけど、私が幼稚園の頃は、幼稚園の人はあれは犯罪だって普通に言ってたわけですよ。
まああの私んちテレビがたまたまなくてね、テレビがないのも一種犯罪だぐらいに言われてたんで、非常にやっぱりね、あれはね、まだまだ昭和ってのは面白い時代だったなと、余談をしている。
でもまあこれはエンタメなんで、もしこれを聞いて面白いと思う方がいらっしゃればこれでいいのかもしれないですけどね、まあとにかくタスクシュートはやってるわけです。
で、AIで私がやっぱりAIすごいなと思うのは、もういくつかのですねサブスクは外せてるんですよ、AIのおかげで。
つまりこれ使わなきゃっていうようなものは、AIで作れてるものが、まあ全部安っぽいものばっかりですけど作れてるわけですよ。
だからいらなくなってくるわけですよね、ある種のツールって。
これがやっぱりAIの一番すごいところで、ここまで来てなおタスク管理っているのかっていうのはやっぱあるんですけど、まあそのこれやっぱセミナーとかで話したいんですけどね、やっぱり私はタスクシュートってのは
最終的にはというか、最初の段階から同じですけど、
ある行為をするもしないも違いは生まないんだっていう、例えばダラダラスマホをしていてもしていなくてもそれによって人生の価値なり生活の価値なりは上がったり下がったり減速しないんだっていうこの感じをつかめ
ると非常に面白いことなんだと思うんですけどある意味では、やめたいなと思ってるけどついやっちゃうことは減らせるんですよ。
これある意味依存の話に近いんですよね。私は多分ですよ、これは依存の話にはまるまるは当てはめられないと思うんですけど、でも僕自身の経験からするとタバコ吸っても吸わなくてもいいやって思える方がタバコやめ
なきゃと思ってるよりやめやすいに違いないっていう、ほとんどそれと変わらないです。
だけどこれが難しいのは、結局それやんない方がいいと思ってるよねっていうのにどうやってはまり込まずに済まれるかってことなんですよ。長自画的な話なんですよ。今日長自画の話したいんですけどね。
そんな感じでタスクシュートというのは結局すべてここにあるタスクはしてもしなくてもいいものだと思えるとだいたいどれもできますよっていうことが身につけば良くて、私はそれを毎回毎回タスクシュートを見るたびに
全くそうのはずであるっていう確信を得るわけですね。
そうは言っても絶対することありますよね。筆頭が排泄ですよ。だから僕は排泄ってすごいタスクの中では抜群に特別な位置を占めてると思う。ご飯は最悪抜けるんですよ。で、かなりご飯っていうのは時間を自在に動かす
ことができる。だけど排泄は無理なんですよ。絶対にある一定のタイミングが来たら行かなければならなくなるわけですよね。
私この力があれば他のなんでもできると思う。特に今みたいな時代はですね。だからあの僕は排泄っていうのは抜群に大事だっていうふうに毎回思ってます。
まああのね、えーと避難生活を余儀なくされる方はやっぱり僕は筆頭に水をどうやって確保するかってこととトイレをどうやって確保するかってことになる。これやっぱり死活問題に一番最初に来る。これがだから私はタス
クにおいては最重要タスクであると毎回思うんですよね。
これより大事なタスクはこの世にはないはずだという感じがしますね。この感じをはっきりとつかめるようになるとタスク管理っていうのはまあ非常に簡単なものになっていくんですがその辺の話がなんかこう佐々木はとち
くるったことを言っているになってしまうのでいかにそうならないか。事実そうなってるはずだって。
はい、排泄より大事なタスクはこの世にないはずだと。たまーにありますよたまーにね。このミーティングで発言することはどんなにトイレに行きたくてもトイレに優先せざるを得ないみたいな。まあそういう事態になら
ない方がいいと思うんで事前に済ませておきましょうみたいな話ですけどね。
藤山直樹『精神分析という語り』を読み返す
はいえーそれではあのーそれではってこうやって改まって本題に入るっていうほどの話じゃないんですよ。ないんですけど私の中ではなかなか大事な話なんですよ。手元にですね藤山直樹さんの精神分析という語りこれかな
り久しぶりに何回読んだかわかんないぐらい読んでるんですけどこの本僕はこの藤山さんの現在4部作か昔は3部作と言われていた3番目の本なんですけど一番とっつけにくいなと思ってたんですね。
まあ正直なかなかわからんなとこれわかるようになるのにかなり苦労したんだけどそもそも私これ何のためにわかるようになろうとしてるんだろうと相変わらず精神分析家になるわけでもないし実際のところ今やってるさ
の11月おとといから第16期が始まってますが精神分析的ビジネスコンサルという名称でやっているあの実にうさんくさい人言われればうさんくさいサービス
このサービスのですね
精神分析という語りを理解することはどのぐらい役に立つかというとあんまりって感じがするんですよね
あんまりそんなにこれ直接役に立ったっていう感じではないなって感じの本ではあるんですよ
まあそのために書いた本では絶対ないですからねしょうがないんですけど
ただこの本ですね不思議と定期的に読み返したくなって定期的に読み返すためにですね
自分この本に対する理解度が飛躍的に向上するっていうのを飛躍的に向上するのを3回も4回も体験するというのは
1回目や2回目に読んだときいかに理解せずに読んでたかっていう本にもなるわけだけど
こういう本ってあるんですよねリトマス試験紙みたいになるんですよ
何の試験をしているのかは難しいんですけど何かの試験をしてるんですよね
今回久しぶりに本当に数ヶ月ぶりだと思うんですけど
はっきり頭から読み返してみて飛躍的に飛躍的に理解が増しているということは
前読んだ時は何だったんだって感じがするんだけど飛躍的に理解が増してるんですよ
僕こういうことをこういうふうにして自分が3ヶ月コンサルと今言ってますけど
要するに精神分析的なビジネスコンサルこれで自分がそう間違ったことはしていないっていうのを
どうやって自分で検証するかにおいて松木さんの本の理解度ってあるんだけど
松木さんは本を教科書のように書いてくださっているんで
こういうことは起きないんですよね飛躍的に前は全くわからなかった
てか前も分かったつもりで読むんですよ
吉山さんの本はそれがそもそもできるんですね
松木さんの本ってどっちかというと分かるか分からないかって割とはっきりしていて
分かった後で2倍も3倍も分かった度が上がるみたいな感じは受けないですね
分かんないなーっていう美音の解説書とかそういうことがしょっちゅう起こるんだけど
分かんないなーっていうのがあ分かったってなって
そのなんかねある種の敷地を超えちゃうとそっからはなだらかなんですよ
理解度は増すんだけどそんなに飛躍的に向上感は受けないんですよ
分かるか分かんないかの落差が大きい本なんですよ
松木さん松木邦弘さんの本はおおむね掃除で
風才論ちょっと違うけど他はだいたいそういう感じなんですよね
あの分析進展のなんだっけ分析実践の進展
あれはそういう感じが起こります
ただあれは逆に不思議と
いつまで経ってもよく分かんねえなっていう感覚が残るところが多いんですよ
すごい分かるところもあるんだけど
藤山さんの本はそうじゃないですよね
読むといつも分かった気はするんですこれがとてもいいところなんですよ
円溜め感があるってことね
だけど読むたびに飛躍的に分かった感じがするっていうこれがあることによって
自分は前の状態の時が申し訳なくなるんだけど
理解度が増しているんだなってことは分かるんですね
今回は本当に手に取るように分かる感じがしたんですよ
ネズミ男のなんだっけネズミ男の話が出てくるんですよね
フェレンティーの話が出てきたりネズミ男の話が出てきたり
ナルシシズムの話が出てきたり長寿がの話が出てきたりしてるんだけど
だいたい理論的な話が多いわけですよね
精神分析という営みだったかな
あのあたりはすごく続精神分析という営みもそうだけど
かなり臨床例が多いんですけど
この本は臨床例ってすごい少ないんですね
そのために薄くなってるんですけど
だから取っつきにくかったんだけど
この理論感が理論
あの精神分析理論の考察がすごい分かるんですよ
これは単に確かに本読んでる時にはなかなかなかったものなんですよね
なんかこう一行一行がすげー分かるみたいな感じがするんですよ
分かってないのかもなお知れないとは思っておく必要あるかもしれないけど
さすがにないなって感じがするんですよね
少なくとも前に比べりゃ全然前は結局ここがよく分かってなかったんだなってところが
何行かあったみたいなのがほぼなくなってきたって感じがするんですよね
こうなってくると少なくとも
でこうなる時に
なぜ臨床というものが必要なのかってのも分かるんですよ
同じような例はないですよ
ネズミ男とかなんで
フロイトの様子に例ですから
で例えばこのネズミ男の話を引き出しているところで
引き上げに出しているところで
藤山さんはフロイトが要するに
しくじってるというか分かってないってことを書いてるんですよね
でそれが私には分からなかったんですよ
最初読んだ時は
なんとなく藤山さんの解説を読むことによって分かる感じがしてたんだけど
実は分かってなかったんですよよく
だけど今回は藤山さんの解説がなくても
確かにフロイトはこう
もしこういう風にこういう時にこう言ったんだったり
こういう時にこういう風に食事を出したんだとすると
それがいいか悪いかは一旦また置いておくとしても
今の精神分析の普通の考え方からすると
これはないなみたいなことが
なんていうのかな
致命感になるんですよね
ってことは全く分からないってことは
自分はもうないはずだとは思えるわけですよ
だって関係ない人の臨床例を
しかも関係あんまり似たような話もなくても
こういうふうには普通しないだろうな
だからフロイトがする
これもこれもだからあるんですよね
フロイトの臨床なんだから
別に現代の精神分析的に見るとないかもしれないが
フロイトがこれをすることによって
これは分かるようにもなったんですよ
いくら何をどう考えていようと
その通りにやったっていう風に
なんて言えばいいんですかねこれはね
ここで食事はないだろうって思いますけど
でも分かることは分かるっていう感じが
できるようになったっていうか
分かるようになったわけですね
これが分かっていてやるのと
分からずにやるのとでは
違うだろうなというのは
分かるみたいな感じなんですよね
こういうことがこの長寿が最高には
すごく前よりも全然それこそ分かる感じが
前はよく分かんなかったんですよね
要するにこの長寿が最高ってやつが
でこの長寿が最高は
別にここで解説する云々の話では
全くないんですけど
「長寿が」とWANTからMUSTへの変化
長寿がって概念はすごい曖昧だけど
でもひょいひょい顔を出してくる
でもこれって何かに似てるなと思うと
対象なんですよね
どう考えても内的対象
内的対象だけじゃないですよね
唐突に出てきて
唐突に一時的に役に立つ
人様の心のモデルって結構あって
だから心のモデルってのはやっぱり
四次元の世界なんだなって思いますね
あるフェーズのあるタイミングでは
すごくそいつを使うと見えてくるんだけど
それはどういう原曲されたフェーズって
言ったらいいんですかね
どういうフェーズでは出てくるべきだけど
フェーズ全体を網羅できるような
心のモデルは描けないみたいな感じなのかな
だから長寿がって第二極書論だったっけ
で出てくるものですけど
長寿がというよりはやっぱりその内的対象が
これは私の藤山さんの読んで
私がなんとなく今
自分はそう認識してたんだなっていうのが
思えるのがですね
例えば母親対象みたいなのだと
臨床の間中ずっと顔を出すかもしれないけど
これが例えばそうですね
パワハラしてくる上司という対象みたいな
それは父親対象に置き換えたりするのかもしれないけど
でも例えば父親対象
悪い父親対象みたいなのは
一時的に出てくるだけで十分だって感じがするじゃないですか
恋愛の時に悪い父親対象とか出てくるときも
当然あると思うんですけど
全然出てこなくても別にいいわけですよ
長寿がって極書論で語るから
長寿がっていうものがいつもあるみたいな
特にある種の
強圧されている自我で苦しんでる人は
自我が強圧されて苦しんでる人は
長寿がってずっと話に出てこなきゃいけないような気が
しちゃうってたんですけど
そういうんじゃないんだっていう感じがする
今母親対象が長寿が的に振る舞うとか
今父親対象が長寿が的に振る舞うとか
そういう概念として大体扱っていけばいいのであって
だからSを代表するのが長寿がだっていうのは
フロイトが言ったことだと思うんですけど
これはやっぱりすごいあるんだなって思うんですよね
Sっていうのはこれが単に欲望とか欲動とか
性欲とか言うんだったら
そういうなんかエッチしたいよねみたいな
それでいいわけですけど
そうじゃなくて
なんつーんだろう
もっと強圧的な振る舞いをしてきた場合
結局Sなんですけど
それだって欲望というものが
マストを言ってくることがあるわけじゃないですか
冒頭でだから言ったんですよ
トイレって
トイレ行きたいなーでは済まされなくなるでしょ
ずっと我慢してると
トイレ行くべしになっちゃうじゃないですか
行かなければこうなるみたいな
これが例えば性欲に現れるとどうなるのか
あるいは怒りに現れるとどうなるのか
こいつ攻撃しないんだったら俺は死ぬみたいな
そういう風になっちゃったら大変じゃないですか
でもそういう風になるからこそ
自我を圧倒できるわけで
これだからSの代表が
Sを代表するものが長寿がである
つまりWANTがMUSTになっちゃうってことですよね
WANTがSHUTになりSHUTがMUSTになるわけですよ
だから寒いからストーブつけたいなーだったら
WANTで済みますけど
Sというほどの問題もないかもしれないけど
なんかもう凍えそうだから
今すぐ外に無理矢理巻き取ってでも
行かないとみたいになったらMUSTになるでしょ
やることは結局ストーブをつけるみたいなことかもしれないけど
そういう風にこうMUSTで
要するに長寿がってMUSTとかSHUTな世界だから
これをどんな対象でも言ってきますよね
母親対象をあなた何々しなさいみたいな
時によって母親対象ってめちゃくちゃこれが強いですよね
つまり父親が長寿がみたいなのは
非常にイメージしやすいんですけど
長寿がっていうものがもうあっちらこっちらで
要するに抱える対象みたいなのと同じですよね
抱えるのは母親だとイメージしやすいですけど
抱える対象の抱えるは
母親対象だけである必要はないですよね別に
父親対象が抱えたって構わないですよね
抱えるの部分が長寿がに近い部分であって
だから長寿がっていうものを
長寿がを独立させると
抱えるが独立しちゃうみたいな感じで
それだとよくわかんなくなるし
でも出てこざるを得ないから
しょっちゅう出てくるし
扱いに困るみたいな
扱いに困るけど扱わなきゃならない
長寿がを緩めるのが治療目標なんだみたいに
考えられる時もあるんだけど
それって持ち子体力を高めるのが
治療目標なんだっていうようなものであって
それは多くの場合有効かもしれないけど
全部の場合に当てはまるわけじゃないですよね
持ち子体力さえ高めれば
全ての精神分析で心理臨床で
最終目標は常に持ち子体力を高めることなんです
って感じがしますよね
そうじゃないケースだって
ありますよねって感じがするんで
カウンセリングの目標と子どもへの怒鳴り
だから長寿がを緩めるとか
長寿がの機能を妥当なものにするとかは
いいと思うんですけど
それは唯一の目標にはならない気がするんです
やっぱり何ていうのかな
心理臨床っていうようなもの
カウンセリングっていうようなものは
多分特定の目標を持つことそのものを
このカウンセリングではやるんです
例えばカップルセラピーをやって
夫婦仲を良くすることが
ほとんどの問題を解決すると信じますみたいな
あるいは家族仲とか
それもあると思うんだけど
やっぱり私はそういう考え方は取らないんですよ
何ていうのかな
カウンセリングの考え方って2つ
2つじゃないけど
少なくとも2つあって
技法を問題にして目標は
クライアントさんごとに違うっていう考え方と
目標を問題にして
技法はそれに合わせていくっていう考え方と
同じようなもんですが
ただ間口をどう取るかっていう話としては
違うと思うんですよね
やっぱりカップルセラピーっていう風に
あるいは家族良好っていった時には
家族の話をするんだなって
少なくとも利用者は思いますよね
もちろんそれは家族良好だけじゃないですよって
結局言うのかもしれないし
なんならじゃない
それは良いとして
ただ家族って言って
内的な家族みたいなことまで言えば
結局何でも扱えるみたいな話になるような気はするんですけど
それをどうするかは一旦置いとくとして
この生児が最高のところを読んだ時に
初めてその
なんて言えばいいんだろう
当然局所論からスタートするものなんだけど
結局局所論から離れているものなんだっていう
長寿がっていう概念は
でこのSを代表するっていうのが
藤山さんがこの中でもよく引用している
Sがあったところに自我を起きなさいみたいな
つまりそれって長寿があったところに
ある意味それは長寿がを自我にしちゃいなさいみたいな
そういうニュアンスにも取れるわけじゃないですか
非常に単純化して言えば
だけどそういうことが
どれほど困難なことかっていうのに
必ずぶつかるわけですよね
なんかある種の長寿がが
元として優遇を聞かせてくれないっていうことに
悩むことは別に
精神病理の世界だけじゃないと思うんですよ
これも非常に不思議なことに
それは世間で良いとされていることですらないのに
例えば子供を殴るのがやめ
子供が悪いことをしたときに
どなって叱りつけるのがやめられないみたいな
これは長寿が関係ありますよね
そして非常に振る舞いがS的ですよね
それがしつけ状良いことでないのは
もう自分は知っているとか
教育的に良くないのは知ってるんだけど
ついどなってしまうみたいなことって
よく言われるじゃないですか
それはそういう親は病気かっていうと
ケースバイケースではあると思うんだけど
別に決して病気ではない
例えばそんなこと言えば
うちの母はそうだったし
決して病気ではないんだけど
実際にはそういうことで
本人お悩みにまでなっていて
やめようとまでしてるのに
やめらんないという話ってありますよね
これはWANTなのかMUSTなのかっていうと
ちょっと困ると思うんですよ
好きで怒ってるんでしょって言われると
好きで怒ってるわけじゃないっていうことになる
だけど本当に死ぬほど我慢してもできないのか
って言うとそうではなくて
すっげー我慢しようとすれば
我慢できるかもしれない
って話になった時
WANTなのかMUSTなのかみたいなことを
言ってもあんまりしょうがないような
ところってあると思うんですよ
でもそれはSというのが長寿が
長寿が手がSを代表するものなんだ
っていう話になった時に
つまりSだともう分からんわけですよね
その中にはエッチしたいもん
ご飯食べたいもん
トイレに行きたいもん
子供叱りたいもん
肌をかきたいもん
なんでもかんでも入ってるわけで
そんなのはもうどうしようもないですよね
だけどそれがある特定の形を取り始めた時に
長寿がっていうのになって現れることは
すごくありそうなことで
戸畑海人さんがほら
ついつい万引きしちゃう大成功を収めた人
その人は長寿がに苦しんでるみたいな
ある意味意味不明じゃないですか
まずお金に全然困ってないのに
そんな全て社会的地位から何から失って
警察に逮捕されるような万引きをして
何になるのかと
でもその人はもちろん
ガムが欲しくて
ガム取ってってるわけじゃないわけですよね
ガムだったら自分の財産使って
100万個でも買えるっていう人なんだけど
ガムを万引きするみたいな
そういうのって何なのっていう感じになるじゃないですか
しかもそれが長寿が厳しすぎるっていうのは
いよいよ意味が分かんない
だけどそれがWANTがMUSTに変わるという時に
ある意味長寿が強すぎるっていう言い方だから
長寿が強すぎるというように
何でも長寿が的に行動してしまう人って
いらっしゃるわけですよ
そういう人が成功するってことはあり得るわけですよ
その人にWANTはないわけなんですよね
残念ながら
全部MUSTになってしまう
そうするとMUST的なことばかりを
WANTすることになるわけですよ
だからゆっくりくつろいでテレビ見るとかができなくて
例えばゆっくりくつろいでテレビ見る場合は
リゾートホテルに行くとかね
言ってる意味わかります?
そういう話って時々あるんだけど
つまりただリラックスしてくつろぐのは
ダメなわけですよ
テレビ見るのはそれは無駄なんですよ
無駄はいけないっていうのが
非常にMUST的なわけですけど
それ無駄がいけないというのは
すべてを有効活用したいというWANTが
すぐそういうのはMUSTに変わりますよね
すべてを有効活用したいって
素朴に思う人はすぐに
すべてを有効活用せねばならない
になっちゃうじゃないですか
つまり飲めんだらりと枝豆とビールで
巨人戦とか見るのはダメなんですよ
そうじゃなくてちゃんとホテルに行って
本当に優雅にリラックスして
だからリラックスできなくなるんだけど
なんか豪華なお風呂に入りながら
大谷翔平とかを見るのが
なんとなく伝わります
こういうことなんだと思うんですよね
WANTがMUSTに変わるっていうことは
で何でもかんでも
WANTをMUSTに変えちゃう人って
いらっしゃるわけで
そうすると本当に心の底から
WANTだけのことをやりたいってなった時に
何か万引きとかが出てきちゃうわけですよ
何かの役に立つことにすると
すぐMUST化するので
これが長寿がを緩めるってのだから
ちょっと変だと思うんだけど
だから長寿がSの代表である
って言ったとしても
なんか全Sが全長寿がになるほど
人間嫌なことないじゃないですか
息が詰まることこの上ない
なんとなく息詰まるじゃないですか
そのお風呂に入って
何かビール飲みながら
巨人戦見たいと思った人が
リゾートホテル予約して
何か行って良さそうなんだけど
僕は嫌だと思うんですよね
リゾートホテル予約して
何か本当にくつろげる
何か女の人にマッサージしてもらいながら
大谷翔平見るんじゃないと
くつろいだことにならんみたいになってしまったら
なんていうのかな
余白感がすごい減りますよね
だからそういうことってあると思うんですよ
これをだから長寿がを緩めるって
いうのではないような気もするんですよね
そういうような話がちょいちょい出てくると
こういう時でも長寿がって概念は確かに
やっぱり出てくる
決してここに出てくるのは
環境としての母親とかではない
だから母親ってのはすでにそうじゃないですか
いろんな人がいろんな精神物理では
特に母親を言ってますよね
内的対象としてとか
良い母親悪い母親とか
環境としてのとか
あれと似てると思うんですよ
なんか母親長寿がとしての母親
長寿がというものが
あちらこちらに出てくる
父親対象の長寿がみたいな
相互的長寿がっていうのは有名ですけど
そういう有名でもないか
あれはすごい使えるなって思うんですよね
融通が効かないけれども
特に効かない
幼い頃の長寿がだから特に効かない
要するにその時のある意味Sなんですよね
大人になった時のSと
子どもの時のSでは
子どものSの方がはるかに
本人を圧倒しにかかりますよね
赤ちゃんは泣くの我慢しよ
って言っても無理じゃないですか
大人になれば泣くの堪えながら
辛いかもしれないけどできなくはなくなりますよね
だから圧倒度が違うと思うんですよ
泣けって言われてるようなもんですよね
泣きたいなんだろうけど
でも泣けって言われてる
泣かざるを得ないようにしてやるぐらいな
キャントヘルパーNGの世界ですよね
突然なんかイディオムですけど
で
こういうことが
ネズミ男と微細な転移
読んでわかってくるということは
やっぱり
なんていうのかな
収納されたと言うべきなんですかね
自分の中に何かが収納されてるから
文章の難易度だけで言うと
5回も6回も読んでる本ですから
そんなにもう文章が難しいとか
用語がわからんとかではないわけですよ
このナルシシズムの話もそうですし
やっぱりネズミ男を読んで
藤山直樹さんが
検討しているネズミ男
特にこの臨床のノートを読みたかったんだ
みたいな話をしているところ
フロイトによる臨床考察じゃなくて
ノートそのもの
ノートそのものっていうのはわかる気がしますよね
生のデータだからみたいな
でも読んでもなんかよくわかんないことを
なんていうのかな
大事なことは何も書いてないみたいな
そういうことを藤山さん書いていて
要するにそれは
情緒的なことが伝わってくるように
書いてないみたいなことが書いてあって
そうだよねそれは
精神分析を
フロイトですからね
精神分析実践の中で
情緒が伝わってくるようにノートを書かないって
どういう意味なんだろうって
いうふうにはやっぱり
ピンと来なかったわけですよね
で例えば
すごくグロテスクな転移が
生じているということは
そもそも
サブトルなっているんですけどね
もっとニュアンス的な転移を取りこぼすから
そういうことになるんだっていうのも
なんとなく前は
言われてみるとわかるような気がしたんだけど
いやそれはもう本当にそうだわ
って感じがするようになったんですよね
自分が失敗しないんじゃないですよ
しますけど
そういうことになるだろうなって感じは
前読んだ時よりも
遥かに
差し迫ってくる感じがあった
今私
例えばなんですけど
今私
横浜のカウンセリング行ってるんですけど
奥さんに怒られると
怒られて
腹は立たないのって言われるんですよね
言われたわけですよ
佐々木さんの話を聞いていると
腹を立ててはいるし
それが味わえてもいるっていう
風言を取るんですけど
だけど腹を立てるっていう
怒ってみせるってことはしないんですね
っていう話をされた時に
こう
不意に持ちこたえる
って言葉が出てきそうになったんだけど
いや我慢しますね
って言ったんですよ
持ちこたえると我慢するって
違うじゃないですか
場合によっては僕は持ちこたえるとか
踏み留まるぐらいな感じで
そういう実感もないわけじゃないんで
言ったと思うんだけど
なんかやっぱり
数年しかまだ行っていない
カウンセラーのところには
持ちこたえると言えば持ちこたえるで
伝わると思うし
踏み留まるなら踏み留まるで
伝わると思うんだけど
私はカウンセラーの
先生との関係今の関係で言うと
我慢しますねと言って
我慢だと
いろいろと落ちちゃうニュアンスは
あるんですが
我慢しますねって言いたくなったんですよね
これが定義だと思うんですよね
結局で
我慢しちゃうんだ
っていう風に
呆れたとも
感心したとも
同情しているとも
なるほどとも
取れるようなニュアンスで
含み笑いっぽい
感じが戻ってきたんですね
僕はそれを聞いて
やっぱり我慢するで今は正解だったな
って感じはしたんですよ
これが定義が私が思う
2はサブトルナ
って言うんですかね
微妙なニュアンスの定義が
解釈されてるっていう感じを
与えられることで
これを確かに
完全に素通りされると
もっと強く出ちゃうでしょうね
いずれは
それがつまりグロテスクってことになって
いくんだと思うんですよ
あれですよ
だから今みたいな言い方をすると
専門的な感じ
しかしませんけど
要するに夫婦感とか
恋愛感とかでもいいと思うんですけど
異性が
繰り出してくる特によく女性が
不満に思う部分かもしれないですけど
繰り出してくる
微妙な不満とか
微妙な愛情とか
微妙な行為を
男の人がことごとくスルーすると
やっぱりもっと強い
不満として現れるじゃないですか
そういう話だと思うんですよね
だからフロイトある意味
鈍感だって言われてるんだと思うんだけど
だからそれは訓練してないんだから
仕方ないんだというニュアンスとともに
あるわけなんですが
でもフロイトは創始者ですからね
転移に違いはないんだけどグロテスクな転移だってもちろん
でも
グロテスクになって
伝えられていくということは
やっぱりその前の段階で
やや鈍感だったから
ないしはこれがまたわからないところ
あえて無視したのかもしれないんで
フロイトが
それはわかんないと思うんですけど
でもなんとなく気づいてなかったんじゃないの
単にっていう方が
話としては通りやすい感じがすると
藤山さんが書いていて
そのことが
この論文で
こんなに私服を裂いてまで
書くのに
値する大事なことなんだっていうのが
やっぱりわかるようになったんですよね
それがどんなに
そういう事態をややこしくしていくか
というか難しく
違うなそうじゃないな
つまりそもそもネズミ男の
これもだから
やってみてわかることなんですけど
ネズミ男の臨床の期間が
短く感じるんですよ
そもそも全体として
そういうことは全然
私は考えたことがなかったんですよ
最初の頃は特に精神分析
などというものを
藤山さんの本で
それこそ集中講義とかで読んでた頃は
このネズミ男は
そもそも短く過ぎないみたいに
思わなかったそんなことは
今は絶対そんなんじゃ
終わるはずないみたいに思う中では
小さな点を
見落とすというのに
短く終わるというのは
何事だって感じがするんです
別にいいんですよフロイトがそうするって言うんで
あればいいし
今だってブリーフが
ブリーフとか色々あるわけで
全部が全部こうやらなきゃいけない
ってことはただしフロイトですからね
精神分析やってるはずなんで
これは
6、7年とかのスパンで
考えなきゃいけないはずで
何だったら少々サブトルなのは
今この場合は
一旦ここでは
あまり取り上げずにそのまま進んで
大きめなのが
とかいうこともあるのかもしれない
わかんないですよそんなことはわかんないんだけど
色々な
道の中でこうなんです
って言うんなら
話はまだわからなくはないんだけど
そうじゃなくて最善の状態で
これなんである
だけどすごいグロテスクなのが
あっさり出てきてますみたいな
そういう話になった時に
なんかそれは
ちょっとやり方がユニークすぎないか
みたいなことは
思うと思うんですよやっぱり
多分あれがフロイトだから
別としても
それこそ私みたいな人間が
訓練中にそういうことやってたら
怒られると思うんですよね結局ね
怒られるかどうかは知らないですけど
そういうことが
ここでは描かれているんだなっていう
フロイトの後悔と物作業
この話がだからその後
長寿がの次に
ネズミ男が来ていてネズミ男の次に
フェレンチーが来るっていう感じかな
この順番はなるほどなって
思えるようにもなったわけですよ
フェレンチーとフロイト
ってのはつまり要するに
フロイトの物作業
物作業っていうことはつまり
失敗して
残念だったなあの
セッションはっていうか
ケースは残念だったなって
フロイトが思ってるってことですよね
だから物作業なんて後悔してるってことですよね
すっげー後悔してるんだ
っていうことのはずなのに
フロイトはすごいそれをあっさり書いていると
これはもう
こういうことで仕方がありませんでしたまるみたいになっていて
いやそれ後悔して
この死の2年前
これもね死の2年前に
この論文ができたっていうのを読んで
そっかなるほどって思って
なんか終わりなき分析の
話ですけれども
一生懸命読み出すと
変な片透かしを食らうっていう
話が書かれているわけですよね
で僕はそれはやっぱり
わからなかったわけですよ
考えてみると死の2年前って大変な時期
ですよねっていうことだって
あんまり多少はわかってましたけど
あんまりわかってなかったわけですよ
1937年といえば
ナチスが
行きますみたいなすでに
行き始めてたんだけど
でフロイトはユダヤ人じゃないですか
でウィンにいるわけじゃないですか
ロンドンに行くしか
コフートが何とかかんとかって
話もいろいろあったりしますけれども
マリボナパルトでしたっけ
さんが何とかかんとかって
話もありましたけどとにかく
そういう大変な時に
論文書いてるわけですよね結局ね
論文書くということは
やっぱりよっぽどその論文は
最後の論文になるんでしょうけど
だってその1年後にロンドン行って
その後死んじゃうわけですから
1939年あたりですよまだ
太平洋戦争始まってないですもんね
大変な時期ですよね
そういうことを
加味した上で
ヘレンチーがこういうことをやっていて
ああいうことをやっていてみたいな
話を書くということは
絶対後悔しているところは
あるわけだと
多少はありますよねそういうことって絶対に
私も
あるんだろうと思うんですけど
今も今までも今後もですね
これは
臨床とはそういうもんなんだっていう風に
藤山さん書いてますけどそうでしょうけど
臨床だけじゃないですよね
そういうことは当然
思い出したくもないでも忘れることが
できないみたいなことって
しかもなんか自分がやらかした感のある
ことってどうしてもそういう
気持ちになんて言えばいいのかな
実にザワザワするとかって
これをでもザワザワで終わらせてはいけない
わけですよ結局は
ザワザワするっていうのは
すごくはしょってるじゃないですか
何を
しでかしてどういう風な
ことを思ってどの辺は
ちょい込みすぎでどの辺が
罪悪感強すぎでどの辺は
ごまかそうとしているのかっていう
嫌な作業ですけどだから物作業って
嫌な作業だと思うんですけど
これをでもスルーしちゃうと
物不全
っていう話になって
結局のところ
本当の意味でスッキリは
決してできない
やれば本当の意味でスッキリするのかっていうと
それもあれなんですけどでも
一つ言えることがある
こういうことに一生懸命
頑張ってると
やりたくもない上に
何の生産性があるんだかもわからない
っていう話になると思うんですけど
こういうことにすごい一生懸命やってると
パッとこの精神分析という
語りを読んだとき
わかるわかるっていう感じがするわけですよ
あれですよ
いつもこの感覚を思い出すとき
ラプシュタのあれなんですよ
読める読めるみたいになっている
ムスカ大佐がいるじゃないですか悪いやつ
あの感じだから全然
嬉しい同一化じゃないんだけど
わかるわかるわかるみたいになったときに
ムスカ大佐になった気持ちが
味わえます
それじゃ全然魅力的じゃないんですけど
あの
そうですね
小さなものを扱うことと成熟
あとやっぱりこう
人と人が
これも嬉しいかって言われると
嬉しいわけじゃないんですけどね
例えば実家とかに帰って
親がこじれてんなみたいになったとき
こじれてるというか怒鳴ってるとかじゃないですよね
ただこじれてるときに
それを
うまく収められるとかじゃないんだけど
わかるんですよね
わかるって感じがする
前はわかってなかった
っていう感じがする
でもやってることは変わんなかったり
言い争ったりする点は変わらないんだけれども
でもわかってやるのと
わからずにやるのはやっぱり
違う気がするんですね
で私は
成長とか成熟とかいう言葉が
あまり信じられない人間の方ではあるんですけど
これを成長
っていうか成熟っていうか
っていうようなものは
こういうもんなんじゃないのかなと
でそれに
すごくやっぱり
まだ数回なんだけど
私は精子分析心理療法
ってやつですけど
を受けていることの意味ってやっぱり
大きいなと思うんですよね
こう
本当にサブトル
なんですよ
これを
救い上げていってくれる
っていうこと
だからそれをやんなきゃいけないんだな
っていう
何かの目標を立てておくとかが
やっぱりこれとそぐわない感じが
するのはですね目標を立てておくことによって
過度に
脱線しすぎないという
メリットはあるんですけど
それよりもやっぱりはるかに大事なのは
あれですよね
ネズミ男のような
グロテスクな定義に至らないように
至っちゃうことがあるとか
それがあっちゃいけないってことではない
と思うんですよ
ただいかないようにする
ためにもやっぱり
こう
小さいものを扱って
そう小さいものを扱って
いくっていうことの重要性
というかほぼそこに目的が
あるぐらいに思っておける
ように
なるためのことなんだな
これはって思えるようになりました
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