1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 働かないアリにも意味がある。
2023-01-30 30:11

働かないアリにも意味がある。

風邪から回復中、ですが意外に体力がなくなってふーふー言いながらやってます。

いろいろ考える気力もなくて「なんでもいいや」っていうモードになって、結果的にみなさんが動いてくれていい感じになってます。

考えてみたら人生をがんばって生きてもがんばらないで誰かに代わりにやってもらって生きても、人生時間は同じ(つまり、がんばれば人生時間が長くなるわけではない)なのだから、がんばってもがんばらなくても同じだね、みたいなことですかね。


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こんにちは、IKUKO Laboです。 1月30日、月曜日の朝、もうじき9時という時刻です。
先週は寒い日が続きましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。 私は家でダラダラしておりました。
席が止まらなかったのは先々週の話になるんですけど、
なんかその後も1週間結構体がだるくて、 一説によるとこれはインフルエンザだったのかもしれない疑惑なんですけれども、
熱が出て出なかったので、結局検査をせず、 なんでインフルエンザだったかどうかはわからないっていう感じですね。
で、一昨日ですかね、先週の土曜日に初めて、 ハピフォレの3月のイベントの練習が初めて、1回目ですね。
ありまして、行ってきたんですけど、場所が2階にあるんですけどね、階段を登っていくんですけど、
階段を登った時点で、なんかハァハァ言ってて、 体力がすごい落ちてて、
1週間、2週間ぐらいダラダラ寝てたっていうだけとは思えないぐらい、やっぱり体力が落ちていて、
やっぱり何かのね、インフルエンザだったと仮定すると、 あーなるほどねって、なんかウイルスの働きで、やっぱりこの体の外側じゃなくて内側からこうなんか疲れてるっていう感じでしたね。
で、まあとはいえ1回目が始まったのでなんとか、 全て私が段取りをしなくても、なんやかんやみんなでやれたので、本当に良かったなっていう感じです。
そういうふうで私がその、先頭に立って何かができないっていうね、 体力でもあったので、いい感じでした。
結局あのみんなに動いてもらいたいなんて、先週もずっと、先週まで言ってたんですけど、
なんていうのかな、動かない人が出たら、 あのよくある例えでほら、会社とかでね、人間の上位2%が全部仕事を動かしていて、
で、その会2%は本当に何もしない、 ただのお荷物な人で、みたいなね、その中間がまあ普通の人みたいな、よく言いますけど、
あれって上位のその2割が抜けると転勤とかで、そうするといつの間にか前へ普通の人としていたはずの人たちがリーダーになって稼ぎ頭になるっていう説があって、
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で、一番下の働かない人たちを取り出す、何だろう、転勤させたり辞めさせたりしていなくすると、
生産性が上がるんじゃないかと思われがちですよ、そうするとなぜか、今まで普通に分類されていた人たちの中から一定の割合がダメな人になって、
やっぱり生産性の低いお荷物な人っていうのは2割ぐらいできちゃうんだっていう話があって、これは何かアリか何かで、働きアリとか8だったかな、そういうので実験した結果そうなるんですって、
で、なぜそうなってるんだっていうところはまだまだ仮説なんですけど、
生物学の人たちは働かないことで力を温存している、何かピンチが見舞われて働ける人たちが働き尽くして過労で死んでしまったりするっていうことがあるので、
日頃からサボっている、つまり体力を温存しているっていう割合を一定数確保するっていうその自然のね、知恵なんじゃないかというふうに考えてるっていうのはどこかで読んだことがあります。
で、それ一つの考え方で、また別の考え方として、心理カウンセラーの大島信寄さんっていう人の本をね、かつて結構たくさん読んだんですけど、彼のこれも自称というか、大島さんが考えた理論なんですけど、
集団でいると、お互いがこうなんて言ったらいいかな、寒伝するっていうか、例えばイライラ、イライラしてる人が一人いると、周りもなんかビリビリするじゃないですか、そんな感じで、
身に見えない電磁波のようなものが人間の周りにあるというふうに仮定すると、それが集団でいるとき、そのビリビリの強い人から弱い人までいるわけですよね。
で、ビリビリの強い人、影響力の強い人、これがリーダーとして約2割いるとしたら、
その人たちの放電する力が強すぎて、力の弱い人たちは寒伝させられて身動きできなくなってしまう、思考停止になってしまう、動けない、石ころみたいになっちゃうっていう理論を大島さんは言っていて、
これはこれで例え話として面白いなと思うんですけど、一族一族、一グループの中ですごいできる人たちがいたら、それほどでもない人たちから見ると、ああ私ってダメなんだわみたいに、やっぱりなるし普通に、
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で、また自分が働かなくても周りがそういうリーダーの人たちがバーってやってくれてできちゃうじゃないですか。したらやる理由もないっていうのか、やらざるを得ないことにならない。なので必然的にこうサボる人というか、動けない人っていう風になっていくっていう理論で、
これがこれで一面の真理があるなと思うわけなんですよ。
自然に起きるようにプログラムされていることなのかもねって思ったり。
なので、何だろうな、
自分が動かないっていうことが周りの人を動かすのに非常に有効だっていうことを私は何度も考えていて、3年前になりますかね、腰痛でほっと丸1ヶ月はまるっと何もできなくて、その後も普通には動けなかった半年ぐらい調子悪くって、
その間、私ずっと20年ぐらい辞めたい辞めたいと思っていた筆文字の仕事から離脱できたんですよ。何分動けないので、意見も言わないので、だって分かんないし、でも痛すぎるときってあんまり複雑なこと考えられないので、全然話し合いでとしても無理だったんです。
何を聞かれても、ああちょっと今そういう話する気分じゃないって言って、ぐったり寝てるみたいな。したら相談されなくなったんですよ。気がつけば完全にその仕事から離脱することができていて、
腰痛から復活してまだ私がそのことに興味があれば、当然参加するので、また元に戻ったんでしょうけど、そもそも本当に興味がなくて、むしろ嫌いで、辞めたい辞めたいって20年ぐらい思い続けたのに辞めれなかったのが、わずか数ヶ月で完全に離脱できちゃうっていうのは、
こんな方法があるのかと。演技じゃなくて本当に本当に体調が悪かったのでせざるを得ないっていうところに彼も追い込まれたんでしょうね。人って追い込まれると動くんですよ。
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前回もこの話してたかな。相談に来る来ないみたいな話で、追い込まれた人って誰から構わず相談に行くし、行った方がいいよって言われなくても、いてもたってもいられないので、相談に行きまくるみたいな状態に自然となるし、
それくらいの意欲があると、どんなボンクラなアドバイザーであっても、何かかにかヒントをね、自分で取っていくっていうか、で何とかなっていくっていうことはあると思うんですけど、問題はというかほとんどの人は多分近くに助けてくれる人がいるんでしょうね。
なので、そこまで追い込まれないので、その問題を解決する勢いというか、そういうのを得ることができずってなっていく。
一部上場企業の正社員で定年まで職が保障されている、例えば非正規とかじゃなくて正規雇用なんで、っていう状況があるとしたら、それそのものがすでに助けてくれる状況であって、それさえやっておれば最低限生きていけるわけですから、それ以上のものっていうのは追い込まれないですよね。
復業を頑張ろうとかね。理想論であって、できたらいいなっていう話であって、本当にやらなきゃどうしようもないなってなったら人ってそんな動き方はしないよねっていう。
主婦の方が、旦那さんが大手企業でっていう人もこの界隈には多いわけなんです。基本的に豊田帝国の愛知県ですので、ほとんどが自動車関連産業で生活してるっていう感じです。
なので旦那さんの収入が高め安定してるってなったとき、奥さんが必死になって自分の復業というか個人事業をどの程度必死になってやるだろうって言ったときにやっぱり追い込まれてないので、遊び程度なんですよね。
最近ではそれでいいのかなって、遊びなのかなって思うぐらいなんですけど、以前はそういうのが許せなくてね、だから本気になれないのよとか思ったんですけど、本気になる必要がない人は本気にならなくていいっていう、ただそれだけの話だったなって最近は思って。
だから私から提供できることっていうのは、遊びの人たちをどう楽しく遊ばせてあげるかっていうことに尽きるのかなって思ったりして、本気の人って別に私が手を差し伸べなくてもガツガツと探し回るので、なんてことなくいろんなものをサッとクリアしていかれるであろうと思われて。
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ってことは私、遊び場を作ればいいのかなって、最近ではね、そういうふうに思うようになりました。
そういう本当にやらないっていうか、遊びでやるっていうことを本当に以前は馬鹿にしていたし否定していたんですけど、例えばお絵かき一つにとってね、水彩画とか油絵とかやってみたいなっていう憧れがあったとして、習いに行くじゃないですか。
習いに行って、できることっていうのが本当に、それ専業でやっている人と比べたら100分の1ぐらいしか量的にも質的にもできないんですけど、それでいいのではないかなっていう感じですね。
もちろんそこからのめり込んで、どんどんどんどん毎日毎日家でも絵を描いているって人も実際いるんですけど、そういう人はそういう人、そうじゃない、たまに絵描いて楽しかったで終わるっていう人もありと。
だって、人間って生きている時間が限られていて、もちろん最低限の生活するための仕事とかをしなきゃいけないとして、今それが確保できてるんだったらもうそれで後が自由じゃないですか。
それ以上に自分のビジネスを起こして起業しなきゃいけないとか、そんな決まりはどこにもないし、余っている生活費を生活費と使って、余っているお金があるんだったらそれを使って習い事をして、旅行に行って、遊びに使うということで何ら悪くないし、それでいいんだと。
この人たちをプロにしてあげる必要はないんだ。私で言えばウェブの作り方を教えますって言うけど、それはプロになるためにとか、そこで本当に売り上げを上げるとかっていう道筋が本来なんだと思いますけど、そこまでしなくてもいいけどちょっと作ってみたくてっていう遊びみたいな、私が習った水彩画みたいなレベルですよね。
それでよしとしないと、何やってるかわからない、本気じゃなかったらやっちゃいけないとかって言ってたら何にもできないし、もしそのこと言われたら私のダンスでさえ、今ダンスチームがあってやるわけですけど、こんなのもやっちゃいけないってことになりかねないっていう。
全然上手じゃないんだし、遊びだし、でも一生懸命やってるので楽しいんですけど、だから一生懸命やってて楽しいんだったらそれでよくねっていうことですね。レベルがどこまでいってようが、お金が稼げようが、いまいが関係ないなって。
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トータル的に必要なお金が回ってきているのだったらお金的にはそれでokだし、その中で水彩画描いてみたいとかウェブサイト作ってみたいとか、なんかその人その人で憧れみたいなのがあるんだったらそれを楽しんでやりゃいいじゃんっていう。
私もウェブの家庭教師っていうのでやっていこうと思って考えていて、なんですけど、家庭教師だから、例えば東大に合格するための家庭教師っていったら東大に入れてあげないといけないっていう感じなんですけど、中には一人だと勉強しないから遊んでてもいいから面倒見てやってくださいっていうご家庭もあるわけなんですよ。
実際私学生の時そんな感じのお家に世話になっていたんで、勉強は塾でさせますから、家でも机に向かうっていう時間を作りたいのでって言って、中学受験の小学生を教えてたことがあるんですけど、その人たちのニーズがそうなのであればそれが仕事なんだよねって。
じゃあウェブサイトもそのレベル、必ずしも突き詰めて全部わかるじゃなくてもなんとなくふんわりと作れればよしだったらもうペラ一で十分だし、で、できたっていう喜びを感じれたりするのならそれでいいし、感じられなかったとしてもやってみたっていう体験が得られるっていう、それだけでいいし、どっちにしても何を得られるかはその人次第っていうか、
その人がやりたいことをやればいいだけで、私の方がそんなたくさんの何にでも対応できるわけじゃないので、今できる技術と知識、本だけって決まってる。それを提供していくしかなくて、どれくらい真剣に捉えて勉強してくれるかは相手の問題なんだなっていうふうに。
なんか、そのどこまでが私の責任で、どこからが相手の責任なのかっていう責任範囲がね、きゅっと小さくなったような気がして。
ここ2、3日の話ですけど、私は先まで、一歩先まで考えちゃって、この知識や技術を手渡した後、本当にその人ができるようになってほしかった。
以前ずっとね。それを言うから、すべてのことがうまくいかなかった。だってやらない人がほとんどですもん。
ちょっと教えてパッとやってくるし、本当に10人に1人とかそんなもんでしょ。残りの9人は分かんなかったとかっていう感じで、やろうと思ったけどできなかったとか。
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言いながら、1年も2年も勉強会に通うって、何一つやってないのにただ通うっていう人がいたなっていうことを思うと、
人間って別にそれでいいんだ。働かない有であって、いけないわけじゃないんだ。働かない有がなぜできるかということについては諸説あるっていうことで、何でか分かんないけど、
それでもその人がお金を払って習いに来るって言うんだったら、全然いいじゃんっていう風に、なんか自分の中で切り分けができたっていうところで、
そういう風に思っておくと、教える気になった時に自分も気が楽だし、あと自分が専門外のことをする時、例えばダンスをやる時とかも、別にやっていいじゃんって好きなように。
関係ないじゃん、誰がどう思うとか。そう思うと気が楽だし、っていう感じになりました。
そうですね、土曜日の日に久しぶりに、2週間ぶりかな、ダンスの午前中にハピフォレの自習練があって、昼から通常習っているジャズダンスがあって、
2つ続けてやったら、ほんとにヘトヘトになっちゃって、帰ってきたんですけれども、
習いに行っているから、その先生がやることをそのまんま真似してやるんだっていうことでもないんだなって最近思って、
自分が楽しいように踊らなかったら、行っている甲斐がない。通って何しに行ってるんだかわからないなと思うようになって、どこまで勝手に自分らしく、自分らしくっていう言葉がちょっといまいちあれなんですけど、違うなと思うんですけど、
っていうことをちょっと思うようになったりまして、だったら、その先生の振り付けが全てでもないわけで、ほんとYouTubeを見れば山のように流行りのダンスだったり、そのダンスの解説動画だったりがいっぱいあったりする中で、練習すれば自分で家でできちゃったりする中で、
なぜお金を払ってダンス習いに行くのかなっていう感じに最近なってきていて、そうしていくと、やっぱりハピフォレのような自習グループがあると多少の励みになって、
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本番がいついつあるんだからそれまで頑張ろうみたいにして、頑張ることができて、これがなかったらダンス何が楽しくてやってるんだっけみたいになっていくなと思って。
なので、ハピフォレの運営に関してはね、ほんとにちょっとこれはなんとかしなくちゃと思ったんですけど、もちろんなんとかしなくちゃに決まってて、次回やるときは役割分担をみんなにお願いしないと、とてもじゃないけど、継続は難しいと思うんですけど、
それでも、白か黒かっていうね、1なのか100なのかじゃなくて、その間の30、40、50、60みたいなとこ行ったり来たりしながら、なんとなくぬるーっと続けていった方が私にとっても参加者にとってもいいんじゃないかな、あんまりギジギジにね、
じゃあ誰々がこれからの係でみたいにやり始めると、また辞めたい人が出てきちゃったりして、今みんなねほんとやれるときしか来てないので、だから新人を入れないと、前出た人がもう今回出れないとかがあるので、っていう感じなんですけど、
でも、だんだんそれっぽいチームっぽい形になってきてるかなっていうのはちょっと思うので、これで最後にするとか、つい先日まで思っていたんですけど、そこまで思い詰める必要はなく、ゆるーくやっとけばいいかなっていうことを思いました。
何分まだ本当に体力がね、戻ってない感じ、気温もそんなにポカポカ容器になったわけではないので、まだ寒いし、そんなにいきなり頑張らなくて、ちょっとずつやっていこうかなという感じでございます。
何にしてもあんまりこれはこういうものでこうしなくてはいけないとかっていう考え自体を、ちょっとキチキチすぎたなと思うので、緩めて、何でもいいと。
でも、人生時間っていうのを考えると、何もせずにいるよりは今できること、今日できることをできる範囲で精一杯やっていこう。
それが家庭教師なのか、教材作りなのか、YouTubeなのか、はたまたこのポッドキャストなのか、分かんないんですけど、その時できるなって思いついたことしかできないわけだから、それをやっていけばいいのかなってなんとなく思ったりしています。
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本当に若い頃はというか、40代50代の半ばぐらいまでは、努力していればある日いろんな状況がパッと好転して、大成功みたいになるというふうに思って考えていたので、頑張らないといけないって。
サボったり遊んだりしている場じゃないと思い続けてきたんですけど、そういうふうに思っていると、そういう状況が続くだけだなっていうことが分かり、じゃあ遊んで暮らすって言っても別にやりたいこともないし、みたいな感じなんですけど、
それでも、人生でこれをやらないといけないとか、これをこういうふうにやらないといけないとかっていう、そういうルールっていうのは本当にないんだっていうのが分かっちゃうと逆に、じゃあどうやって、何をして生きていこうってなっちゃうんですけど、
唯一、好か不好か、時間的なリミットがあるっていうところを考えると、じゃああんまり悩むことにずっと時間を使っても何のメリットもないなって、悩んでる暇があったらできることを一つやるぐらいでいいのかなって思ったし、悩むほどの、悩む意味があるっていうのは回答があるからですよね。
すごい考えたら正解があって、正解が見つかるって言うんだったら、悩んだり考え込むことにも意味があるかもしれないけど、多分ですけど、正解っていうものがそもそもなくて、やっていて楽しいかどうかっていうことはあると思う。
でもその成果がどうなったら幸せですかって言われて、別に有名になったら幸せかっていうと全然そういうことでもない。お金が潤沢に入ってきたら幸せか、それは幸せですね。
終わらない収入源みたいなやつがあったら、でもそれで幸せっていうよりかは安心であって、その時にじゃあ余剰のお金がたくさん手に入りましたら、さあ何しますって言った時に、やりたいことなんかないってなったら、あるいはもう体が動かなくてどこにも行けないとかってなったら、
せっかく儲けたお金も使い道がないって言ったら、もうなんかその価値が10分の1ぐらいですよね。お金さえあれば何でもできるって以前は思っていたんですけど、そうじゃなくて人生時間を買い戻すことができない。
お金っていうそれがお金の限界で、世の中のありとあらゆるものがお金と交換ができるかもしれないですけど、自分の人生時間だけは何兆円積んでも買い戻せないんですよね。
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今本当に100兆あげるから10年若くしてってできないわけですよ。若返り施術とかできたとしてもそういう意味じゃないですよね。人生を巻き戻して50歳に戻りたいんだとか40歳に戻りたいんだ。
それができるならいいですよ。どれだけでもお金儲けにだけ邁進しても。でもそうじゃない以上、どこかで折り合いをつけて、お金さえ儲かればでは解決できない、解決じゃなくてなんていうのか手に入れられない、そして何かもっとすごく大事なものがあるじゃんってことに最近気が付いてきてるっていう感じなんですね。
一回気が付くとあれ、どうして今まで気が付いてなかったんだろうぐらいになって、その優先順位の逆転が起きて、悩むなんてことも時間の無駄でしかないとかって思うし、悩んでて楽しい間はいいんですけど、同じこと堂々巡りし始めたらもう本当に時間がもったいないので、
多分考える必要がないようなことなんですね、堂々巡りするって。だって人って追い込まれたら必ず解決策を見つけるってことは、解決策を見つけてないってことは別にどうでもいいことなんです、その問題というのが。だからぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃずっと考えてるんだなっていうふうに思って、もういいやと。
いろんなことをまだ完結してないようなこととかもいろいろあるけど、そのまま積み残して先に進もう。そんなふうに、今ね、そんな気持ちになっています。
実は昨日の昼、午後ですかね、13年飼っていた猫が亡くなりまして、もともとかなり前から調子が悪かったので、いつかはこの日が来るということだったんですけど、実際にこの1匹猫が減るだけで、こんなにも何かが消えた感がするのかと思い、
で、たぶんそういうことにも影響されて、ちょっと心境が変化したかなということになっております。はい、本日は以上です。お聞きいただきありがとうございました。このチャンネルは、育コラボの日常のおしゃべりを配信しています。よろしければフォローお願いいたします。コメントもお気軽にお寄せください。お待ちしています。
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