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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
昨日飛ばしましたので、その分今日やると言いますか。
夜でも土日でも気が向いたらやるという。
平日の朝は原則やろうとするという仕組みなんですね。
今日はちょっとこの話を交えつつなんですが、
様々ありますが、これをやるのはタスクシュートを使っていると、
少なくともタスクシュートが板についている人にとっては非常に簡単で、
グッドモーニングバイブスを平日リピートにしておけばいいんですよ。
そうすると平日の朝は絶対に登場するから、
もうやりたいと思っていることならやろうとするんですね。ここがミソです。
土日は出てこないんだけど、私はやることに一応しているので、
頭はよぎるんですよね。
そうしたらリピートを、タスクシュートクラウドではちょっと違うんですけれども、
名前のところで、グッドモーニングバイブスは記号化してあるので、
GMVなんでGって打つと出てくるんですよ、GMVが。
そうしたらできますね、こういうふうに。
これはすごいテクニカルな話をしているんですけれども、
とはいえ、グッドモーニングバイブスには45分を見積もっているので、
45分をここで投入するじゃないですか。
そうするとどうなるかというと、終わったら8時半にはなるんですよ。
これはもうなると思っておくべきなんですね。
で、時々セミナーとかで言いますけれども、
私は奥さんのですね、仕事を在宅ワークを手伝っているんですけど、
これがですね、なんと10時までに納期しろっていうやつなんですね。
で、これをこの直後にやらねばならないわけですよ。
それはまあ大体僕の最近はかなりペースが上がってきたんで、
20分もあれば容易に終わるんですけど、
もうすごいめちゃくちゃ単純な作業なんで、
速度は上がれば上がるほどいいんですよ。
なんかゆっくり丁寧にとかあんま関係ないですね。
ゆっくりやろうと丁寧にやろうと雑にやろうとどうやろうと、
結果は何も変わらなくて、しかもどうやったってスピードは出ちゃうというやつなんですね。
で、これも大体20分はでもやっぱりまだかかるんで、
8時50分じゃないですか。
しかも9時には娘と夫さんも土日は起こすということになっててですね、
この時間までに終わってないと怒られるんですよ。
非常に微妙なものを感じるんですけどもね、怒られるんですよね。
結局この時間までに終わってないと、なぜかと。
一つはですね、これは非常にグッドワイブス的なんだけど、
恐れるんですよ。
つまりまだ終わってない、納期1時間前までに、
これ全然ないですよ、そんなのは。
でも納期1時間前までに終わってないと先方の心象が悪くなると。
心象とか僕はないと思うんだけれども、
03:00
データベースを最終チェックする人以外は誰もいなくて、
ここの、しかも名前とかは書いてないわけですよ。
いわゆるIDがあるだけで、このIDに対する心象とかを残す人は不可能だろうと。
記号ですからね、あれはね。
そういうふうに考えるんだな、10時に近い。
納期がちゃんとしてないから、めちゃくちゃちゃんとしてますけどね。
8時台には終わってますからね。
心象が悪くなるって思ってるんですよ。
心象が悪くなると、
ただでさえ収益がほとんどゼロに限りなく等しいものが、
ますます下げられるというふうに、あるいはクビになると。
この感じからいくとですね、下がろうとクビになろうと痛くも痒くもないんですけれども、
だからこの仕事をやる動機を得るのはめちゃくちゃ大変難しいんですね。
このグッドウォーミングバイブスとの兼ね合いもあるから、
いくら、安全ですかね、
依頼されていること、最優先、
これはそんな言葉はないんですけど、
タスクシュートやってると、
やっぱりですね、グッドバイブスでいう即応というのは最優先になってしまうんですね。
優先順位というものが事実上存在しないタスクシュートにおいて、
一番先にやるということは一番優先しているという意味と、
常に一致してしまう。
これも非常にタスクシュートとして大事なポイントなんで、
次にやることは最優先事項ということになってるんですよ。
まして今やってることを停止して、
そっちをやるということになると、
その操作をタスクシュートは要求してくるわけですから、
それは自分のルールだから無視すればいいんですけどね、
タスクシュートユーザーとしてはやっぱりそこで停止するわけですね。
例えばこのグッドウォーミングバイブスを停止し、
そうしたら停止処理をするわけですよ。
そして新しいタスクをスタートして、
そのタスクに入るということは、
もうこれはこれ以上の優先事項が存在しなければ、
最優先感というものが出るわけですね。
最優先感はクラゾンさんが言うところの感であって、
最優先と最優先感は本当は違うんですよ。
やっぱりこれは感なんですね。
タスクシュートはこの感というのが僕はすごい実は大事だと思うんです。
最初は私たちの脳内ではそうはなっていない。
例えばこっちを優先したいという気持ちはなくても、
実際に優先してしまう行為はある。
そうした場合になぜその感覚の中で
AとBの順位が入れ替わっているのかということを
きちんと把握していくというのが、
僕が思うに最終ゴールなんだと思うんですよ。
非常に不思議な現象が起きるんですね。
これはタスクシュートユーザーで
数週間使っている人はみんな絶対体験することだと僕は思っているんだけど、
統計の取りようがないから、
いわゆるエビデンスがないんですけど、
06:00
非常に精神分析的で、しかもものすごく狭末だから、
話題にすることもあまりなく、
話題になっているのもほぼ見たことがない。
僕が一生懸命何か言おうとしているだけぐらいな感じの話なんですけど、
要するにですね、大橋さんは別のアプローチからこんな話されます。
要するに、ABCDとやろうと思ってます。
朝起きて歯を磨いて顔を洗って洗濯物を干してみたいな、
こういうやつですよね。
ほんと狭末じゃないですか。
だから話題に上がらないんですよ。
そういったことよりももっと大事なことにお話をしてくださいって話になっちゃうんですけど、
そうじゃないんですよ。
ABCDってやろうとしてますと。
でも実際の実行順位としてはどうしてもACDBになってしまいます。
っていうのがあるはずなんですよ。
でもその人は頭の中でABCDの方がいいと思っているし、
普通ABCDになるでしょうって思っているんですよ。
でも実際に実行すると何度も何度もACDBになってしまうっていうのがあるんですよ。
これはすごい大事なことなんですね。
私たちの本当に純粋に無意識みたいなところがありまして、
あるいは肉体は知っているみたいな話をしてもいいんだと、
とにかくあることはごく自然に行うと脳内で考えたようにはならないって行為があるんです。
これを見つけるのが大事なんですね。
だからこそACBCDこそが理想的であって、
ビジョンなんですという話に僕は同意できないんですよ。
そいつはビジョンじゃねえと思うんですね。
なんかよくわからないけどイリュージョンだって思うんですよ。
イリュージョンとビジョンはどう違うんだって言われると本当困るんだけど、
理想ではないと思うんですね、そういったものは。
僕はだからここで理想を諦めて現実を優先するという言い方を好きになれないんですよ。
そうじゃなくて、無意識がそこまで好んでやることや身体がスムーズにやることは理想なんだと思うんですよね。
こっちこそ理想なんだと思うんですよ。
自分は知っているはずなことなんですよ。
ついやってしまうその流れこそ理想なんですよ。
あるいは何らかの意味で理想を含んでいるんですよ。
脳内で理想だと思っているABCDこそがデタラメであって、
でもそいつが何かを邪魔していると考えるんですよ、タスクシュート的には。
少なくとも私は。
これを取り除いていけば時間が足りなくなるという現象は激減するはずだってずっと言っているつもりなんですよ。
まあいいんですけれども。
そういうことがありますので、割り込みというのかな。
かぶさってきたらそれを優先して実行するというならば、それは最優先事項として認識されていくものなんですね。
タスクシュート的にはね。いくものなんですよ。
そういうふうになるということが大事なんですよ。
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そういうふうになっていくと。
そういうふうになっていくのはそうしようと思うことよりも優先されなければいけないはずなんですよ。
なんていうのかなここは。
優先されてしまうって言ったほうがいいんですけどね。
実感としてはそうなんですけどね。
何ですかね、そういうことを運転中は起こらないけども。
例えばここから渋谷に行くにあたりまして、まっすぐ東京まで出てから半蔵門線なりに乗り換えて渋谷に出るというよりも、
横浜に行ってそこで東急と横線に乗り換えたほうがスムーズなんですよ。
だけれどもある人がなぜかどうしても東京周りにしちゃうんですというこういう時に、
それは無駄だとかそれだけを言っちゃダメだと思うんですね。
これはどうしても距離とかお金とかが出てきちゃうからどっちが無駄だとかは簡単に言えるんだけど、
そうではない行為もあるはずなんですよ。
普通の行為ってそんなふうに時間やお金の差を見ると何にも差は出てこないというケースもあるんだけど、
自分としてはこうなってしまうというやり方がありまして、
こうやってしまうというやり方はダメだから改めようという観点しか、
これまでの時間管理とかタスク管理はほぼないんですね。
せいぜい理想的な目標というものに人間はそこにまっしぐらいには向かえないから、
うまくそこに到達しましょうぐらいがあるぐらいで、
やっぱり理想がどっちであるかは決まっちゃってるんですよ。
僕はそうは思わないんですね。
この頭で考えた最初の理想なるものは一番ダメなものなんじゃないかぐらいに思うんですよ。
それが実行されないものならば何かがすごく間違ってるから、
すごくこういう意味で言葉を使うとあれかもしれませんがすごく傲慢感、
何かそういうようなものなんですよ。
偉くセルフィッシュとか、あるいは分析的に言いたいんですけど、
すごくナルシシスティックなやり方なんだと僕は思うんですね。
だから実行できなくていいことなんじゃないか。
実行した方が絶対いいとその人は思うのかもわからないんですけど、
でもそれをやらない方がいいんじゃないかと、
ということを僕たちは現実から教わってるんじゃないかと、
タスク習得的に言いたいんですね。
この言い方をしちゃうともうすごく精神分析的にもなるし、
グッドバイブス的にもなるんですよ、自然と。
どっから言っても同じ結論に何か行き着くんじゃないかなと。
これはですね、理想を諦めて現実的になりましょうっていうことではないんですよ。
そうじゃなくて、私たちはもっと理想的なやり方を既に知っていて、
内在しているっていうのかな、
全てを含み込んだ理想的な行動を取れるんだから、
その行動と自分が理想的だと思っている行動をタスク習得で言えばですね、
記録を残して突き合わせることによって、
12:01
どうしてABCDがよくもないのによく見えちゃうのかということを明らかにしたいんですね。
なんだけど、あらゆる時間管理とタスク管理は
ABCDを実行する方法論のゆえってことになるから、
ここで勝ち合うんですね、僕の感覚の中では。
どうしてもその話になってしまうという、
ここから一歩も先へ進めてないんですよ、私の感じでも。
もっと先があるんですけれどもね。
そういうことで、だんだん時刻が近づいておるわけですけれども、
つまり次に待っているのが在宅ワークをしなければならないということなんですよ。
この話、このグッドモーニングワイフスをやり、
朝、朝食の準備もするし、ごみ出しもするし、
在宅ワークもやっておくということになるとですね、
時間がですね、グッとこの時間、私はこれまで仕事をしていたんですけど、
追い出されるわけですね。ほぼほぼゼロになる。
たぶん1時間半分の仕事が、僕の場合1時間半でやることって
それなりにありますから、一切なくなってしまうと。
これをですね、常にたたきながら、
やることができるようになるんですけれども、
家庭内はめちゃくちゃ険悪になるんですね。
で、そういうことはもうしたくないので、
したくなくなっちゃったので、グッドワイフス的に。
ただ、ここの話はですね、グッドワイフスをすると、
要するに自分の実仕事ができなくなるみたいになっちゃうじゃないですか。
そこでちょっと、そうはならないという話を、
そうはならないということを、
示していきたいというのがあるわけですね。
で、そうはならないんですよ。
ただ、そうはならないということを言うためには、
まず私が長らく言ってきた1つのことを、
ご破産にしなきゃならなくなるんですね。
長らく言ってきたから、これは。
つまり、仕事は午前中のほうがはかどるのを
長らく言ってきちゃってるから、
非常にこう、ここで1つ詰まるんですよ。
自分も長くそう信じてきちゃいましたから、
これはもう10年来ぐらいそうやってきているし、
そう信じてきたから、
これを夕方にやんなきゃならないという、
特に冬になってくるとね、
この夕方にやるというのがつらいんですね。
私にはなかなかつらいんですよ。
疲れてないというふうに頑張るけれども、
なかなかつらいというのが抜けないんですね。
これを1つ、まず考えていかないといけないなというのが、
お昼というのが、
僕の中では最近のテーマなんですね。
どうしても原稿を午前中に書いていたときは早かったと。
でも今のこの状況から考えると、
午前中に原稿をすべて書き切るのは物理的に不可能で、
お昼のご飯になってしまって、
これはもうタスクシュートユーザーは分かる通り、
お昼を食べてしまったらですね、もう夕方来ますよ、この季節は特に。
12月とかはもう間違いない。
15:00
毎日昼食直後に原稿を書くぐらいなことをやらないと、
もう夕方ですよ、完全に。
日没後に書くことになる日も多々あるはずですね。
そのことをこれまで嫌だったから、
いろいろな言い方をしてきたんですけど、
今は書けるようにはなりました。
書けるようにはなったんだけれども、
やっぱりすべてが押せ押せになっていくことは、
いまだに抜けないんですね。
ここのところに2つあるなと思うんです。
グッドバイブス的に。
2つとも恐れですね。
1つは奥さんが恐れていること。
もう1つは奥さんを恐れていること。
これだけでできちゃうんですけどね。
もう少し言うならば、
家族の人が恐れていることと、
家族の人を恐れていること。
この2つがあるために、
原稿が終わらない恐怖症に囚われるんですね。
ところがこの原稿が終わらない恐怖症なんだけど、
奥さんを恐れているから、
在宅ワークを優先して先にやっちゃうから、
原稿を書く時間が11時台を突破していくから、
始めるって意味ですよ。
始めるのが11時代を突破していくから、
結局のところ17時代にもなっても
書いているという事態が発生するわけです。
これは奥さんを、
家族を恐れていることですね。
家族が恐れていることとしては、
在宅ワークが終わらないということなんですね。
ここにメスを入れなきゃいけないなと。
なぜ何のメリットを得ているとも思えない
在宅ワークというものをできなくなるなり、
心臓を悪くするなどという事を恐れているのかと。
なぜなんだろうと、
ずっと考えながら私はやっておるわけですね。
やれば彼女の恐れは取れるので、
8時台に必ずやるんですよ。
そうしていて、
間もなく半年以上を経ちますね。
ようやく取れてきて、
ようやく分かってきた。
つまり取れてこないと、
話し合えないんですね。
すごくカウンセリング的ですよね。
まず恐怖を取り、
環境としての母親なんですよ、結局私はね。
環境としての母親が気を押し出すと、
そこからポツリポツリと出てくることがあるわけです。
これ、グッドバイブスの流れでも
十分説明がつきますよね。
一つ意識ということになりますね。
恐れていることは、
要は、
自分がまず一つ、
全く働けなくなるということなんですね。
全く働けなくなる。
ここの話を、
これから、
分かりません。
全然分かりませんが、
予告ではないですけれども、
倉園さんと出していけたらいいかなと、
やっぱり時々今までも思っていました。
マンオープン、
ワンオーペとか言うじゃないですか。
ワンオーペ育児とか。
要するに、この恐怖感が
蔓延していると言いますか、
覆っているんですね。
これは女性の
18:00
断無長らく訴えてこられたことなので、
このこと自体を云々するのは、
無理があると思うんですよ、
男のままから。
ただ、これが覆っているうちにですね、
男の方の人もすっかり恐怖症に
とらわれているような気がするんですね。
必ずしも男性は
育児自体を恐れているわけではないんだけれども、
あるいは育児を恐れている人も
大勢いらっしゃいますが、
育児に絡むことを一切恐れている面が
ある気がするんですよ。
ワンオーペとか言われるのは怖いんですよ。
だけれども、
どうすりゃいいんだっていうことが出てくる。
このどうすりゃいいんだはすでにですね、
最近、倉須野さんの
グッドバイブス
攻撃のないコミュニケーションという本を
出されましたけれども、
どうすりゃいいんだは、
もう半歩間違えば攻撃になってしまうんですよ。
だからどうすりゃいいんだを言わずに
しなきゃいけないことがあると思うんですね。
でも、しなきゃいけないと思うだけでも、
攻撃に近いところがあるんですよ。
なぜ攻撃に近づくのか、
何をやっても攻撃に近づく感じが出ちゃうのかというと、
怖いからなんだと思うんですね。
これは私の経験では非常にもったいないので、
まず、
この倉須野さんとやっていきたいというのは、
つまりグッドバイブスを子育てに向けたい
ということなんだけど、最終的には。
最初パッと思い浮かぶのが
女性になっちゃダメだと思うんですね。
これを男性に打ち出していきたいと。
今までみたいに、
なんていうのかな、
グッドバイブスを、
何と言えばいいんですかね。
普通に当然そうなるんだけれども、
一般論みたいに語るのではなくて、
少し、
今回の攻撃のないコミュニケーションがそうですね。
コミュニケーショントレーニングという
セミナーもやりましたけど、
まだなくなったわけじゃないんですけど、
今月はですね、
オミクロの騒動等もありまして、
どうするかまだ検討中みたいな話ですけども、
僕はコミュニケーション論というのは
必要だと思うんですよ。
ただ、
コミュニケーションだけじゃなくて、
子育てみたいなのも、
ありかなというふうに思い始めました。
私はもう一つ、
別のも考えたんですけれども、
様々ある中でも、
子育てというのは、
よくよく考えてみると、
まず男性にちょっと出すと、
やっぱりワンオペという言葉で
苦しんでしまうんですよね。
男性が恐れていらっしゃるのが
女性であれば、
当然男性オンリーという話では
全くないんですが、
男性が恐れていることが
はっきりあるなって思うんですよ。
だから、
ツイッターでよく喧嘩になっちゃうんですね。
喧嘩になるというのは、
つまり両者とも怖がっている
ということじゃないですか。
そしてそして、
恐れているドマンダムというのは
21:00
子育てとその大変さと
それによって時間を失うという
恐れられていますよね。
代わりに何をするんでしょうね。
これも大事な問いだと
僕は思うんですけどね。
もちろん何をしちゃいけないとか
良いとか悪いという話では
ないんですよ。
そして、
最近知人の方も盛んに
ブログで書かれていますけれども、
子供を愛せないんじゃダメだって
言われるという話を
よく書かれるんですよね。
ひとつの、
それはブログの主張になっている
感じもあるんだけれども、
愛せないということを
人に言われることなんて
私の経験では
どうでもいいことなんですよ。
愛しているか
愛していないかなどと
問い合わせを受ける必要は
まるっきりないと思うんですね。
愛してるに決まってるんで
こういう言い方をすると
ものすごくアレかもしれませんが、
ものすごくアレでしょうか。
人がいちにぐれくとしたって
愛しているんですよ。
これは僕の感じでは
疑いようはないなって感じがするんです。
自分が育てられた経験を見ても
育てた経験を見ても
愛している、いないの
問い合わせほど
無意味なものはないと思うんです。
こと親子に関して言えばね、
なんていうのかな、
私は長らく
母がドライスミル問題みたいなものに
ハマっていて、
学生時代に彼女作んなきゃ
いけない問題に
彼女作んなきゃ死ぬ病になったんだけど
それは母親が
愛してないからとかではないんですよ。
それは後から分かったことなんですけどね。
いやいや、
そんなにドライじゃなかったとか
あなたのことは好きだったとか
いう話を母から聞いたわけじゃないですよ。
あの人は依然として全くドライです。
ただ、そんなことは分かって
当然のことだっていう意味です。
私自身の娘に対する態度は
出来合いそのものになっちゃってるんだけど
これとあれとは違いはないです。
ということは分かるんですよ。
分かろうとさえすれば。
てか逆ですね。
これも倉田さんに言われたことがあるんだけど
娘さんを愛するというのに
困難があるかというと
私はゼロなんですね。
その時分かったんですよ。
母が私を愛するというのに困難はなかったと。
たたちにそれが了解される感じがあったんですね。
で、もしそれが態度になったら
母親が
母親を愛してくれるかどうか
もしそれが態度に出せないのであれば
それは態度に出すことに対する
抵抗があるというだけであって
心理的に愛していないかとか
そういう話になるはずがないんです。
これはですね
母であれば当然とか
そういうことではないと
私は思うんですね。
単純に
むしろそう考えるほうが
簡単だということですよね。
例えばキャリアに傷がつくということを
恐れなさいと
赤ちゃんがですね
24:01
親子の愛情の中で育つように
キャリアを大事にしたいなんて
思いつかないじゃないですか。
思いつくとすれば
それは教育された成果じゃないですか。
成果って言っていいと
僕は思うんですよ。
うちの娘ですら
もうあさって受験みたいな状態ですけれども
ここまでくればですね
それは順位にこだわりますよ。
偏差値に非常にこだわるようになる。
あれは教育した成果ですよ。
私が教育したわけじゃない。
塾が教育した成果です。
うちの子なんて
塾に行く前は
ほぼこの種のことにこだわりはゼロでして
今でもそれは
ゆるすぎると言われるほど
あんまないです。
でもかなりこだわるようになってます。
私の目から見れば。
これはもう一つの成果です。
功材あるにせよ
そういうふうに
それを理解しろ理解しろって
ずっと言われて
ずっと訓練されて
初めて人間はそれを理解するようになるのであって
ファールとホームランでは
ホームランの方がずっと価値があるのは
野球選手にとっての話であって
野球が分かる人にとっての話であって
そんなものどっちだって
いいに決まってるじゃないですか。
ファールとホームランだって
もしかすると10センチくらいしか違いはないわけですからね。
それが天と地ほどの開きがあるという
感覚をトレーニングした成果ですよ。
あれは当然。
だからそういうふうに僕らは
トレーニングされる中で
親子愛などというものよりも
もっと大事にしなければいけないものがあるんだと
そういう教育成果を得て
初めて時間だの
いろんなもの
自立だの
いったものを
そっちの方を愛情よりも
重視しなければならないんだと
身につけるものだと思うんですね。
これが
一つは
一種の誤作動を起こすんですよ。
もう一つは
行きすぎるんですね。
これを取っ払うことができれば
このもったいない時間の
と私が感じる
感覚から
解放される
ただしこれは女性にとって
現状の世界では
難しいということであれば
まず男性がこれをできるようになれば
いいんじゃないかなと
思い始めたんです。
これは別に
育児にもっと時間を使いましょうとか
育免になりましょうって話ではないんですよ。
そういう恐怖感が出るとすると
よっぽどその恐怖に
とらわれてるってことです。
私が言ってるのは
育児は怖いものではないと思いましょう
ってことです。
時間もかからないとか
大変じゃないとか言いたいわけじゃないんですよ。
大変じゃなくなると思いますけど
怖くなくなれば
怖いと思ってる分の大変さって
思います。
だけれども時間はかかりますよ。
タスクシュートつけてればすぐわかります。
育児に関する時間もかかるものです。
ですが
怖さというものが問題なんであって
27:01
かかる時間の問題じゃないんですよ。
で
これは防御の一種であって
要は
出来栄してしまう自分を許してしまったら
どこまでも時間を使ってしまう
共有恐怖ってあるじゃないですか。
やりたいことであってもね
自分がYouTubeを見るというのだって
いつまでもYouTubeを見ちゃうとか
みんなすごく恐れてるじゃないですか。
ゲームをやるというのも
先日大橋製造さんと
フォトキャストでも
ゲームをYouTubeで見るって話があったんで
自分ではしないんですかって聞いたら
時間を使っちゃうっていう話が出たんですよ。
僕はこれやっぱり
時間を使ってはならないものに
時間を使ってしまうということを
自分たちは心で
歯止めをかけているんだという
解釈以外は成り立たないと思うんですね。
それはゲームに関しては
それでいいと思うんですが
育児に関してはそうではないと思うんです。
育児に時間をかけるということを
そこまで恐れる理由はないはずで
だから育児に
愛情が行くのと
踏みとどめてしまうものは
何なのかと
特に男性側がですね
これを考えればいいと思うんですよ。
というか
ここから男性側が解放されたら
ずいぶん違ってくると思うんですね。
結果としては女性にとってはですね
現状のままだと
要はこういうことになるじゃないですか
ワンオペというものをさせては
大変悪いことのようなので
ここで一つの罪悪感ですよね。
自分は育免にならなければいけないんだけど
なかなかなれそうにない
二つ目の罪悪感ですよね。
育免として
手伝っていくというだけでも
怒られるという
三つ目の罪悪感ですよね。
実際に入っていくと
上手くできなくて
怒られると
かもしれないと
あるいは上手くできないという問題を
抱え込むことになる。
四つ目の罪悪感
ここまできたらやりたくないですよ
普通の人は。
それでも義務感で頑張るんだけど
多分そんなに上手くはいかないでしょう。
そして
この上手くいく、いかないということを
ジャッジする誰かが脳内にいるというのが
最悪なんですよ。
その上手くいく、いかないということを
このジャッジする脳内にいる人は
普通に考えれば長寿がじゃないですか。
長寿がって何だろうと考えると
普通に考えると父親か
あるいは
かなり優遇の効かない感じで
何々をしなければいけません。
マストみたいな。
これは実母と
実父じゃないですよ。
散々言う通りですよ。
逆かもしれませんよ。
大事なのは母親的機能から来るマストなのか
父親的機能から来るマストなのかなんだけど
心の中です。
何かすると
私たち特に昭和の世代の人は
そういう風には教育されてないかもしれません。
育児をするのは
奥さんの仕事だと
散々言われてきたかもしれません。
そうすると
30:00
自分の中の
マストが
ぶつかっちゃうんですよ。
ぶつかってしまう。
私は上手く育児ができなくて怖い。
というのが上手く育児ができなければいけない
というマストですよね。
そういう長寿がからの
同時に
いやいや、育児は
お前がやらなくていいんだよ
それどころかお前がそんなに
前面に出てやっちゃダメなんだよ
そういう長寿がの命令が
内心から出たら
すっごい厳しいですよね。
この状態ですでに。
頭混乱しますよね。
そのようなものには近づきたくないじゃないですか。
そしてだからしょうがないので
例えば
育児日記だけはスマホでつけるとか
そういうよくわからないポジションに
育児ができるんですよね。
という話があるんですよ。
私はそれはめちゃくちゃ
もったいないと思うんですね。
本当に。
つまり育児は楽しめるんですよ。
非常に簡単に。
倉園さんの言うところの
娘さんを愛するのは
難しいかという問いですよ。
難しいはずが全然ないんですよ。
別に
愛しているならば
そう証明しなければいけないとか
愛しているんであるから
そう証明しなければいけないとか
愛している以上自動的に育免になるとか
そんな話はしてないんですよ。
これはもう
大好きなものが目の前にありますと
なんでもいいですよ。バームクーヘン好きなら
バームクーヘンがあります。
これを好きだと思うのに
苦労があるかって話をしてるんですよ。
ないでしょ。
もしバームクーヘンが目の前にあり
ぜひ食べたいと思うんだけれども
強い抵抗感がありますという人がいたら
でも血糖値が高いんですとか
こういう話でしょ。
でも絶対男性は
今の世の中では
多々持っているんですよ。
好きになりたいんだけど
というか好きなんだけど
好きに決まってるんだけど
好きになった以上
○○ということが
うまくできるはずであるみたいな
あるいは○○ということが
うまくできないものは
罪人であるみたいになるから
それだったら好きにならないほうがいいよね
というよくわからない話になってるんじゃないかと
こういう話って
やっぱり思うんですよね。
非常にそうだろうと思います。
だから受験させようと
受験というのは
どうやら素敵でないとか
あるとかいう議論も
出ちゃうかもしれませんが
そんなことは大した問題じゃないと思うんですね。
うちの子受験しますしね。
要は何しても
どう育ててもいいはずじゃないですか。
むしろそれが
そうではないように思えてくる
というほうがおかしい話であって
これタスク主導の話と
同じですけどね。
時間何に使おうと
自分の勝手じゃないですか。
なぜこれを○○とか
YouTubeとか
わけわからんことを他人に言われているような
気になってしまうのかって私はね。
33:00
本来やるべきことはやったのかという
内心の声が気になりますとか
それは内心の声じゃないですか。
外から本当に
そんな声がしてきているのかどうかを
100回ぐらいを考えてもいいと思うんですよ。
同じで
子供を本当に愛しているのならば
仕事ぐらい一時的には
辞められるでしょうという
内心の声が
それは内心の声ですよね。
本当にそういう声が
することもあるから厄介なんですけど
この話は。
でも本当にそういう声があろうがなかろうが
そんなことは知ったこっちゃないんですよ。
なんだけど知ったこっちゃあるんですよね。
結局。
だから気になるわけで
この話
結局どこから来ているかというと
もう間もなく
僕が始めることになる
在宅ワークから来ているんですね。
これが育児なんですよ。
ぜひこのことは
どこかでお伝えしてもいいかなと思いました。
半年ぐらいかけて
私が分かったことは
そうかこれが育児なんだと思ったんですよ。
娘もまだ起きていませんが
私が在宅ワークをやるってことが
育児なんですよ。
つまり
育児が怖いということは
自分が犠牲になるってことなんですね。
それが怖いんですよ。
自分が犠牲になるということが怖いから
こいつが自分をより犠牲にして
押しつけてるんじゃないか
こうなってくると
何がやりたいんだかわけわかんないでしょう。
だからこういうわけわかんないことを
私はやることになったわけですね。
奥さんに言わせると
私だけがうまく
言ってないですよ。
言わせるとこうなんだなというのが
分かったってことなんだけど
原稿書き仕事をし
人から評価をされ
なんなら大橋さんとやっていて
今や倉園さんともやっていて
納得がいかないわけですよ。
ちなみに奥さんは
キャリアを高めたいとか
仕事を続けたいとは
一切言いませんし
思ってません。
しかしながらやっぱり気に入らないんですよ。
比較してしまうからですね。
だからこそ
何かしたい。
でも自分が今できることを
いまいま選択してしまうと
コロナってこともありますからね。
これだけになってしまう。
これは当然のことながら
商業出版とかそういうものに比べると
実益も花々しさも
比較の対象ではない。
それはそうですよね。
これが実益が
比較の対象になるレベルであったとすると
もううちはほぼホームレス状態になってしまいます。
だからそんなことはあり得ない。
そういう
行き通りがあるんですね。
しかもほぼ確実に
全部無意識なんですよ。
話をよく聞いていて
少しずつ見えてくるのがそういうことなんですね。
嫉妬なんですね。
だから
そういうセミナーに行って
佐々木先生とか言われてるのが
気に食わない面がある。
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そこに生活を依存している自分の状態は
ますます気に食わない面がある。
多分ほぼ自意識の上ではないですよ。
でもまあそういうことなんですよ。
そして
それをでも
私もやるということになってくると
展開が大きく違って見えるじゃないですか。
それでも成り立つんだって
まず感じがするでしょ。
そしてこれはそこまでは
全く無意味なものではないのかもしれないと
思えてくるじゃないですか。
私は内心そうは感じていませんけどね。
多分私も内心
これが全く無意味なものではないって感じる方が
より恐怖感は取れるんでしょうね。
これはもう完全に
グッドワイブスそのものになってきてますけどね。
これが育児なんですよ。
育児をしてないのならば
多分外で仕事ができるでしょう。
そして外で仕事をしている限りにおいては
そこまで私に嫉妬する理由はなくなるでしょう。
しかも
別々に暮らすことで
生計が成り立つのであれば
余計そういう風に考えられますよね。
つまり今のを消去していくと
どうなるかということなんですよ。
うちの夫さんもそうですが
別に育児というものが
嫌なわけではないので
犠牲になっている感というものは
通常はないんですね。
あるのは私と比較したから
出てくる何かなんですね。
この辺なんですよ。
この辺のことを私は
女性にうつしていると
不毛だと思うようになるんですね。
これを男性に訴えたい。
つまり嫉妬されているんですよ。
嫉妬されるほど
自分は○○ではないと
皆さんが言うと思います。
私だってそうです。
言うほど商業出版が
花話しいだろうか。
セミナーとかに行くと
みんながチヤホヤしてくれるのかと
面と向かって
グッドバイブスに転んだとか
言われるってこともあるんだって
言いたいんだけど
そんなこと言ったってしょうがないんですね。
そんなのは体験してみなきゃ
わかりません。
ちっとも花話しくも
言うほど
あなたそれをやったら
一生続けていたいと思うでしょうか
ってやつなんだけども
サラリーマンだとそうですよね。
皆さんそう思うと思うんだけど
この話をしていくのは不毛なんですよ。
嫉妬ってのはそういうもんではないんですよ。
ガトジュがいる男に
私はみんないいなと思いましたけども
みんなそうは言いませんでしたよね。
そういうもんですよ。
だから
これが結局育児なんだな
っていうふうに
改めてなんとなく
全面的に納得したわけじゃないですよ。
この後に別の問題が控えています。
このようにして
8時台に行えていた仕事は
夜の18時台に
黙れることになる。
しかもそこに新しい
在宅ワークが
ちょうど夜の14時半を境に
39:00
やってくるという現実が
あったりもします。
この辺私は時間のやりくりの問題も
使える場所だとは思うんですけれども
根本的にはこれも
恐れなんですよ。
私はそうやって時間を
押し迫っていくということを
危機していた。
午前中は仕事がはかどると
現にはかどったんだけど
はかどると思い込んでいて
未だに思い込んでいます。
家族を恐れるということ
家族が恐れるということ
この二つが相まって
夜の18時になると
私の進捗が限りなく
微妙なレベルに
低迷していく。
慣れもあります。
十何年間朝やればうまくいくと
思い込んでいたので
このイリュージョンは簡単に
吹き飛ばせないんですね。
ところがこれも発見があったんですよ。
この発見は
短くまとめますが
今度は母ということです。
私の実母です。
早く宿題をやれと
めちゃくちゃ言ってきていたために
特に私が受験に成功して
中学が難しい中学になってからは
これはもう本当に
重荷だったんですね。
絶対終わる気がしないんですよ。
夜やっちゃったら。
しかし家に着いたら夜なんですよ。
都心の学校に出てるからね。
だからこの夜になって
しかも親はやれと言うし
母に至っては
私は英語の成績が4だったとか
平気で言うんだけど
あなたの4とこの学校で
80点取るということとは
全然違うという話をしても
通じやしないんですよ。
夜中に近くになって
三元連立法定式の会を開いていく
みたいなのをやっていると
地獄のような気分になっていくんですね。
朝6時に起きないといけない学校なんで
しかも中学それが
1年の頃という話ですからね。
というトラウマなんですよ。
これは。
すげえつまらん話ですよ。
だって原稿書くのと
連立法定式は
何の関係もないんですよ。
僕の脳内で結びついているに過ぎない
しかも原稿書くのは
宿題じゃないんですよね。
つまり夜とっぷり暮れてから
デスクワークがはかどらないのは
何のことはなく
この宿題の感覚を思い出すからだというね。
当時だって
考えてみれば私
アメリカの留学中
真夜中になっても教科書読んでました。
だってあれは
真夜中になっても読まなきゃ
読み切れませんからね。
朝から晩までですよ。文字通り。
朝になったら進むとか論外で
そんなこと言ってたら
卒業絶対できませんからね。
つまり私はそれを通り抜けてたんですよ。
なぜアメリカにいた時は
宿題感の嫌な感じが
よぎらなかったのか。
文化が違うからなんですよね。
本当にそういうもんなんですよ。
私の脳内によぎっているものが
変わったから。
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あそこでは母のイリュージョンというのは
非常に薄れました。
アメリカだからなんです。
目にするもの全部英語だし
テレビをつければ英語だし
当たり前だけど
そういう世界に母が
登場しにくいんです。
いかにこれが内心のものかというのは
分かりますよね。
それよりも後の話なのに
私は今そっちの方では
悩みはしてないけれど
影響はされている。
それは夜に宿題をするということが
罪悪感があるから。
だけど考えてみれば
アメリカでは夜にやってても
何の罪悪感もなかった。
むしろあれは夜やらないわけにはいかない。
今こっちに来てみると
今は夜やらないわけにはいかないんだけど
なんと夜にやる罪悪感というのが
上がってくるんです。
だから午前中仕事が
はかどるという話に
提供できる話ではありません。
あくまでもこれは私の
極めて個人的なやつです。
だから時間管理とかは
すごく個人的で
パーソナルなところに踏み込まないと
役に立たないんじゃないかと思うんですよ。
一般論として
午前中お日様があるときが
進みますとかいうのは
所詮は一般論であって
私の場合間違いなく
あの宿題の罪悪感を
振り払うことができれば
多分朝も夜も進捗
速度も集中度も
何も変わらなくなります。
ただこういう方は
僕は多いか少ないか知りませんが
少ないんじゃないかと思っているんだけれども
でも夜だと進みませんという人は
その人なりの
パーソナルな何かを
見出さなければならないんですね。
そしてこのことはやっぱり
育児というものに対する
男性の恐れというのが
僕なりに反映しているわけです。
結局
在宅ワークを
午前中にやるのが育児だとすれば
そんなの奥さんにやらせなさいと
うちの母なら言うでしょう。
あれは昭和の戦後
ほぼ2年というレベルで
生まれてきている人だから
絶対そういう風に言うでしょう。
つまりそれは僕の内心の
ファルスですけど
母親のファルスが
そのように言う
そこにもう根拠も何もないです。
育児さんにやらせればいいんだと
お前は原稿を書けと
間違いなくそういう価値観が
柱みたいにズドンと
僕の脳内にあるんですよ。
だからこそ夜
仕事を進めるというのが
20人も30人も罪悪感が
上がってきて
進まなくなってしまうという
問題を今
振り払っている
真っ最中だという
そういう話だと
思いますね。