2022-04-13 28:43

【583GMV】やりたいことなのにやりたくなくなる?

自由意志を条件次第に発揮するおかしさ
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今日はですね、いつもと違うやつをCMしたいんですが、
昨日公開になった、岡野淳さんとZoeさんという方と、
3人でやる3カードというタイトルでですね、
定額マガジンというやつです。
それ以上の500円で、3人で書くコンテンツを見放題。
お二方が、つまり岡野さんとZoeさんはマンガを書かれるだろうという以外は、
特に私が、こういう内容が週何回連載されますというようなことはタッチしていなくて、
1月に1回ぐらいは上がるだろう、最低でもと思うんだけれども、
それも確実にできるかというと、意外とそうじゃないと私は思うんですよ。
僕、マンガを書けないから、そのコンテンツを作る負荷がどういったものになりうるのか、
知らないって言えないってこともありますが、
私自身はですね、今のところは目標として20本は出したいかなと思ってます。
20本は出したいかなと言っておきながら、4本とか5本とかになりうると思うんですね。
そのぐらいのばらけ方はするもんだと思うようになりました。
コンテンツを向こう5年とか出し続けようと思うと、
調子のいいタイミングであれば20本ぐらいは言うにいけると思うんですが、
例えばオミクロンになりましたみたいになったときにですね、
4本吹くのも難しいかもしれないっていうことも起こると思うんですね。
そういう月間のものです。
本当は多分月間してこういうのでは成り立たないと思うんですけど、
実際はこれでも成り立つと思うのでやってみたいと。
もはやですね、私も長らくこういうものをやってみて、何度も何度もやってみて、
いろいろどうしてもですね、グッドバイブス的に言えば過去は繰り返さないんだけど、
過去のデータは脳内に蓄積されちゃうんですよね。
そして自分が思い描いていたようにならないということだけはよくわかるようになりました。
これはですね、500円のコンテンツが出てこないんだったら、
500円は払う値はしないというご意見も全くその通りだと思うんですが、
私はそういうものとして500円の価値があるかないかという話で、
この種のものを出してうまくいった試しはないので、
そういう考え方はやめてですね、
このスリーカードに関しましては、
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応援したいと思う人をまず募りたいって強く思うようになりました。
幸いにですね、昨日出したばっかりなのにもう登録者があるんですよ。
登録していただいた方がいらっしゃるんですね。大変ありがたいんですよ。
これを見ても今回私が考えている方に近いなと思ったんですよ。
何しろコンテンツまでありませんから、ゼロ本ですからね。
本当に空っぽなんですよ。
それでも登録してくださる方がいらっしゃるというのは、
そういうことなんだと思っておいた方がいいかなと。
Zoeさんなり、じゅうさんなり、私なりを、
なんて言うんですかね、僕は寄付という言葉はここでは使いたくないんですよね。
何にも出さないっていうのはないと思うんです。
ただ、難しいんだけども、空に困らないようにしておいてやらないと
コンテンツって出しようがなくなるじゃないですか。
そういうニュアンスでここに出していただけると嬉しいかなと。
これが500円の価値があるのかどうかというのではなくてですね、
この人たちが生きていくのの足しみになったらいいなぐらいに思っていただけるとありがたいなと思います。
私はそういう趣旨として、ここにほぼ何でも投入しようと思っています。
書きかけの原稿とか、ありとあらゆるもの、例外は仕事の現在連載しているものと、
タスクシュートクラウドのブログに連載しているもの、
あの2つは無料で出し続けることになると思うんですが、
他に出すもの、つまり有料で出すものは基本ここで読めると。
ただし、例えば本の原稿などはボツになっているということもあるし、
大幅に修正されるということもあるから、
同じものじゃないものが読めるという例はいそうだし、
逆に言うと不完全なものであるといえばそういうことになります。
編集の手が入る前の段階のものだって。
これも考え方次第だと思うんですよね。
僕はラフを出しますというつもりはないんです。
編集さんに提出するときには、
基本的にはこのままでもいけるはずだというものしか出さないつもりでいるので、
でもそれが丸ごとダメですということも起こるんですよ。
それはやっぱり何度もお話ししている通り、
僕の主観の域は出ませんからね、絶対に。
だから編集さんとか読者さんというのがいらっしゃるわけですよ。
客観というものが存在、なんていうんですかね、
受け止めるということはそういうことだと思うんですよね。
僕の主観の外に出ると。
それが客観であるというのもまた正確じゃないかもしれないけど、
そういうことだと思うんです。
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だから私としてはこれは売り物として出しますが、
編集さんの手が入っているわけではないと。
多分これは他のお二方のものもそういう趣旨になると思うんですね。
そういうものとして500円で、月額500円でチェンジ図を終了するので、
ほぼチェンジ図で書いていたのは最後はこの3人。
もう何人かの方も書いてくださいましたけど、
最後まで連載という体裁でずっと続けていたのは
おおむねこの3人だったと思うので、
同じ金額ならそんなにコンテンツとしておかしくないかなという
言い方もできると思います。
そんな感じで、ノートですね。
ノートの月額有料課金のやつで出していきたいと思うので、
先ほど申しました通り、フロイトが言ったんですよ。
精神分析に通う人のやるべきことは2つあって、
1つは自分を良くすること、もう1つは精神分析化を食わせることだと。
あれはとてもフロイトらしいという感じもするし、
頑竹があるという言い方もできると思うんですが、
そういうものだと思うんですよね。
あれはコンテンツというのとは違うと思うんだけど、
カウンセリングというのはそういうものだと思います。
カウンセラーがいなくなったら困るでしょということなんですよ。
困るはずなんですよね、そのクライアントさんにしてみると。
お父さんの世話になっていなくても、
お父さんがいなくなったら困るでしょというのと
ちょっとニュアンスは近いと思うんですけれどもね。
だいぶ違うんですけれども、精神分析の方が
遥かに頼りにされているという側面はあるので、
でも親の方が頼りにしている面ってあるじゃないですか。
親に何かをしてもらっていないんですよ。
私たちは親じゃないですけどね。
つまり私は漫画を子供の頃読んでいたときに
そういう部分ってあるなって思ったんですよ。
特にこれは個人的な感覚なんだけど、
横山みつせるさんと最近亡くなった塾藤英さんは
私は要するに養ってもらっているから
お金を払っているみたいな感じだったんですよ。
350円とかは当時そのくらいだったんですけどね。
なんていうの、どう虫コミックとかなのかな。
ああいうやつは350円、70円くらいだった時期もありましたが
安いなと思いました。
私は小遣いはほとんど漫画に過ぎ込んでいたような時代もあったので
安いなと思ったんですけれども、
彼らがいなくなったら困るのは僕の方だって思ったことは
真剣に何回かあるんですよ。
そういうような意味でもいいかなと。
あのコンテンツは370円の価値をはるかに超えていると思うんですけど
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でも代わりに買う人の数が半端ないですからね。
だからある意味そうなるんですよね。
フロイトとか、あの種の人たちのところに1万人とか押し掛けたら
アウトじゃないですか。仕事できなくなりますよね。
だから1回1万円とかしちゃうわけですよね。
その辺の塩梅で価値が全てを決めるわけではないし
でも価値がないとまずいしっていう
そういうもので、ここのところ話している話と通じると思うんですが
そういうものであったらいいかなと思っています。
ついでになので、そのスリーカード絡みではないけれど
書き上げるということについて
書き上げ塾というのを倉園圭三さんと一緒にやって
まもなく6期目に入りますけれども
要するに募集かけているわけですけどね
書き上げるというのは何でやるかっていったら意思でやるんです。
これはですね、先日そういう話にたまたまなって
再度考え直してみたんだけど
意思でやるしかないんですよ。
勝手に手が書き出すことはないですから。
それで意思っていうと自由自在な感じがあるし
自由自在であるから意思なんだけど
自由自在なものであればですね
塾に行ってそれを発揮させてもらう必要はないじゃないか
って話になると思うんです。
この話はタスクシュートを使っていると
実行力が増す系の話と似てるんですよ。
本当はそういうことはないわけですよ。
タスクシュートを使っているから勝手に活動できてはいけないと
私は思うんですよね。
前にドラえもんのたとえ話を出したんですけれども
何時何分になったら何をするというのが
自動的に発生しちゃ困るんですよ。
だから意思でやっているに決まっているし
それは自由意思というやつですよね。
自由意思というものが何なのかという議論もあるけれど
とりあえずここでは自由意思としておくと
それは自由なんだから書き上げ塾に入っていようといまいと
タスクシュートを使っていようといまいと
自由に発揮できなければおかしいんだけれども
つまり条件付きであったらおかしいんだけれども
でもなぜか私たちの意思力はですね
条件付きで発揮される傾向が強いように感じられるんですね。
一番簡単なのは
寝なければどうなるかということなんですよ。
二晩寝なければ多分普通の人は意思力をまるで発揮できなくなりますよね。
ということは条件はついたわけです。
睡眠は必要であるという条件が。
自由なんだったらですね
全く寝なくったって自由に意思が発揮できるはず
ってことになるんだけど
実際にはそうはならないんですよ。
これは睡眠は相当わかりやすいんですが
食事もそうですよね。
結局この自由意思っていうやつは
12:01
だからなんですけども
だからまず主体はなんだって話に今度はなるんですよね。
必ずこの話は主体はなんだって話にならざるを得ないわけです。
寝てないとどうして私は自由意思が発揮できないのかというと
私が変わっちゃうからですよね。
私の主体を同じ状態では済まされなくなる。
私の主体というものは実体がないので
実はここを我々はすごく誤解するんですよ。
自己同一性って言うじゃないですか。
私というのはいつも普遍で同じもんだって思ってるんだけど
結局のところ一晩徹夜した時に
私の主体というものが相当壊れていきやすいのは
体は寝たいという意思を発揮し始めるからなわけですよね。
体としては。私は脳だと思うんだけど脳も体なんで。
この脳は私とイコールじゃないんですよ。
グッドワイブス流に言っても言わなくてもそうなんですよ。
グッドワイブス流に言えば私と脳はイコールじゃないんだけど
多分私は脳科学的に言っても私と脳はイコールじゃないと思うんですね。
私は自己同一性というものにひどくこだわっているので
だからタスク管理という時にいつもおかしな話になるのは
この時間に書いておいたことを私が書いたことを
私がその場で実行できなければおかしいって議論になっちゃうんですよね。
でもその時の私は他の人になってるんで
書いた時とやる時は別の人なんですよ、本当はね。
このズレは小さなズレだとみますか、大きなズレだとみますかは
様々な考え方あるでしょうか。
ズレどころでないのは間違いないですね。
間違いなく別人なんですよ。
これを認めようとしないから私が理想だと思っているものを実行できないのは
諦めだとか妥協だとかいう話になっちゃうんだけれども
そういう議論は本当は成り立ってないってことです。
3分前に私が理想だと思ったということと
3分後に同じことを理想だと思うかどうかっていうのは
同じことじゃないんで
私が違うんだったら、つまり別の人は同じ理想を抱かないでしょう
って話なんですよ、これは。
だからタスクシュートを使っていても
グッドバイブスを知っていても
自由にしはっきできるんだけれども
一見条件がつくように見えるのは
私たちが自己同一性というものにこだわっているせいなんですね。
だから私が変わってしまったということを認めなければですね
当然条件がつくっていう話になってしまう。
だけれども、だけれどもっていうのかな
これは社会の中では自明のことなので
社会の中ではそうですよね
自己同一性が保たれているのは当然ですということになるわけです。
殺した時の私と今の私は違うんですって
15:06
それに近いことを主張したい人はいっぱいいると思うんですよね、本当は。
でもそれ通らないんですよね。
いや、お前は同じ人間だってことにされてしまうわけですよ。
だから過去の自分がやったことに対して
現在の自分が責任を取れという話になって
未来までしばらくの間
同じ建物の中に閉じ込められなきゃならない
とかいう話になるわけですよね。
一瞬一瞬変わっているから出してくださいと言っても
出しちゃくれないわけですよね。
そういうふうに僕らの世の中はできているから
条件つきで意志力を発揮するしかなくなるわけです。
自己同一性を保っていることにしちゃっているので
本当は空腹時と満腹時では
ダイエットに対する意志力が変わるのは当たり前なんだけど
それを認めようとしないので
満腹時に決意したダイエットを空腹時も守れない人間は
ダメ人間だという議論を平気でやるわけですよね。
そういうことがあるわけです。
なのでかき上げ塾というか
かき上げるということのために必要なのは
意志力だけであって
本当はこの意志力には条件はないはずだけれども
自己同一性に配慮しながら発揮するのであれば
しょうがないから条件がつくわけです。
つまりかき上げるという意志力を発揮しやすい条件というものが
発生してしまうということになるわけですね。
そのうちの一つが私の中ではタスクシュートを使うということなんですよ。
これを使っていると自己同一性にこだわったまま
意志力を発揮しやすくなっちゃうんです。
しょうがないんですよね。
そういう意味で睡眠もたくさんとっておいて
空腹を満たしておくと
これは一見すごく理にかなっているわけですよ。
だからライハック界隈でも人気がある考え方なんですね。
自分の条件を良くしておきましょうと。
ただこれは実はこれにかかずらわりすぎると
すっげえややこしいことになっていくはずなんですね。
ご飯をいっぱい食べたら今度は眠くなりましたとか
様々な条件が完璧に合致するような条件を
整え続けるというのは不可能なんですよ。
これもまた僕らが認めたがらない。
結局自己同一性にこだわっているせいなんだけど
これはもうひどく認めたがらないので
そういう時間あるはずだとまず一つのイリュージョンがあります。
つまり物を描いたり何かをするのに
最適な時間というものが
相対的に言えば最適な時間はあるのかもしれませんが
とにかくそういう最適な条件があるはずだという幻想が一つあります。
もっとひどい幻想になってくると
そういう状態を維持できるはずだという
こっちのイリュージョンはもう完璧にイリュージョンで
そんなことがあるはずはないんですよ。
人間例えば3分の1から4分の1は寝て過ごして
18:00
寝ているときは物を描くのには全く適したないので
物を描くのに適した状態をずっと維持したいなどというのは
問題外でそんなことができるはずはないんですね。
これが世に言うところの隙間時間の活用とか
ふんだんに時間を活用しましょうという理屈なんです。
土台無理なことをやっている。
つまりいつも同じ条件を成立させようというのが
そもそもおかしいわけですよね。
気圧も変われば空気も変わるし
気温も変わるし
会っている人も変わるし
自分の気分も変わるし
生理的な状態も変わると。
変わり続けているのに
いつも書くのに対しては同じ最高の条件を
これを言う人は本当に多くてですね。
特に研究関係の人が論文を書きたいとなると
みんなこれに近いことを普通に言い出すんですよね。
あんなに頭のいい方が
しかも研究されているわけだから
その研究対象が何であっても
世の中の諸現象というものが
ほとんど普遍ということはありえないというのは
ご存知なはずじゃないですか。
めちゃくちゃ目まぐるしく変わる
生物だろうと
社会だろうと経済だろうと
めちゃくちゃ目まぐるしく変わっているのは知っているのに
自分が論文を書くという状態だけは
あらゆる一日の中に
その最適の条件を見出したいという話になっちゃうんですよね。
だからノイズキャンセリングとか
最適な公式で最適なこぼれるカフェとか
そういうものが人気なんですよ。
つまりそれは
状態を維持する条件を整えるというのが
やりやすい状況を探しているという話です。
そういう条件がないければ
自分の自由意志というのが発揮されない。
つまり自由意志なのに
条件次第で発揮できたりできなかったりしないと
自由意志次第で発揮できたりできなかったりしますという
話になっちゃっているわけですね。
それは要するに
一つには自我同一性へのこだわり
それがほとんど全部か
もう一つがイリュージョンです。
どっちも同じようなもんだけれども
僕はものを書くにあたって
それじゃダメなので
つまりそれを言い出せば言い出すほど
書くための最適な条件などというものは
短くなっていく。
当然そうですよね。
この条件で細かく見れば見るほど
実は無理が出てくるわけです。
気圧も最適、気温も最適、人間関係も最適
空腹、血糖値もちょうどいい状態
睡眠もバッチリとれているというのを探してみると
多分8分とかになっちゃいますよ。
これを教えてくれているのが
タスクシュートですからね、ある意味では。
タスクシュートというのは
例えばある時間、同じ時間にやろうとして
10時ちょうどに書くんだということにしても
10時はとてもいい時間だから
ところが10時になってみると
奥さんがすげえ怒っているとか
21:00
素晴らしい時間帯というものが
いつも全く同じ状態ではやってこないということを
あれはよくよく教えてくれます。
普通に暮らしていれば
僕なんかは相当環境条件が安定している方です。
自宅のみで仕事しているわけですからね。
ほとんどの人はそうじゃないので
もっともっと不安定な状態で仕事をしているにも関わらず
10時という状態が全く同じ状態だと
信じようと頑張る。
まずそれはあれを使っているだけでも
わかるはずなんですよ。
そんなことはあり得ないんですよ。
ちょっとの条件はちょっとの時間で
頻繁に変化するので
その、何て言うんですかね。
手に入れようと思いさえすれば
つまりある程度の条件変化に目をつぶりさえすれば
意思を発揮できる条件などというのは
実は結構広く取ることもできるわけです。
私はつまり今言っているのは
どんな条件でもというのは無理なんで
条件次第なんだけど
なるべくその条件を大雑把にしていきたい。
究極的に大雑把にすれば自由意思なんですけれども
そこまでは無理でもですね
日に1時間を見出すという程度であれば
条件をつまり細かく問わないようにすれば
いいわけです、当然。
非常にこれは単純な話です。
要は場所を問わず
天気を問わず、気温を問わず
人間関係を問わなければ
相当幅は広くなってくるわけです。
ついでに姿勢を問わず
ガジェットを問わなければ
ますます幅は広くなっていくんですよ。
そういう方向性を見出さないと
多分つらくなる一方だと思うし
描けなくなっていくと思うんですね。
そもそも条件付き意思になっているのに
その条件が細かくなるということは
意思が発揮されないと言っているようなもんですから
意思が発揮されればされるほどいいということになれば
条件は問わなければ問わないほどいいんですよ。
この観点がライフハック的に見ると逆だと思うんですよね。
ライフハックはこの観点を
より条件、スペックという条件に
より条件、スペックという条件ですから
コーヒーメーカーとか買うときに等でしょ。
条件が少なければ
条件が全くないならば
何買ってもいいわけじゃないですか。
でもデザインとか香りが引き立つとか
アイスコーヒーも入れられるとか
全自動にするとか条件が狭まれば狭まるほど
買うのに躊躇するようになるはずなんですよ。
値段はこのレンジの間にないとダメとかいうことになってくると
買えなくなってきますよね。だんだん。
意思力ってそういうもんだと思うんです。
買い物をするときの躊躇するかしないかみたいなところに
物を買うときはもっとシビアになりますから。
結局買い物だったらお金を出せば買えるわけですからね。
意思力だともっとシビアな感じがするんですよ。
自分の負担が大きいから。
24:00
だから書き上げるというときに
もろもろ条件つけてしまいがちなんですが
言ってみればそれを極力開放して書く方向に持っていくっていうのが
書き上げ塾の趣旨かなと思って
すっごく大雑把に言うとそういうことになるかなと思います。
条件に本当は寄らない自由意思ならば
さっき言った通り入っても入らなくても
タスクシュートみたいなものがあってもなくても
眠くても眠くなくても書ける。
実際そうだと思うんだけれども
僕らはアイデンティティにこだわればこだわるほど
逆に書けなくなっていく。
しかもこだわる。
なので有効に対応するんだと思うんですね。
これは本当は書き上げ塾の一つにはとどまらなくて
ほとんどどんなことでもこの問題なんだと思うんです。
アイデンティティへのこだわりとイリュージョン。
自由意思を発揮するというのが
自由自在にできる人にしてみれば
何もいらないんですよ。
だけれどもそういうところで自由意思を発揮しやすい条件を
整えてもらうというのは
嘘っぽいんじゃないかと思われるかもしれないんですが
実際には私たちはみんなそうやって生きてきた面はあると思うんですね。
子供の時にお母さん見ててねって言うやつあるじゃないですか。
お母さんが見てないとできないってことですよねこれは。
これ本当はおかしな話なんだけれども
でもこれは幼児には多々起こることですよね。
普通にあることです。
見守ってればできると。
つまり条件次第で意思力が発揮できたりできなかったりすると。
ある意味では倉園さんに
倉園さんにあなたは価値マックスなんだから自由に意思が発揮できるんですと
言ってもらえれば発揮できるっていうケースは
全然おかしな話じゃなくなるんですよ。
こういう文脈で考えると。
私にもそれが起こっちゃうわけです。
本当は起こっちゃダメだっていう考え方を取るっていうのはあると思うんだけれども
それを言うならばアイデンティティーにはこだわっちゃダメだと思うんですよね。
自分は何がなくても全部自由意思でできるって言い切るためには
自己同一性なんかにこだわっていては多分絶対無理だと思うんです。
でも今の世の中って非常に不思議なことに
アイデンティティーに徹底的にこだわりつつ
そのアイデンティティーの自由意思を最大限発揮せよって話をしてるんですよ。
その結果はとっても頑張ってストイックに体を犠牲にするしか多分なくなるんだと思うんですね。
眠くても眠くなくても自由意思は発揮できると思うんだけど
これをいわゆる寝不足の中でやるということは
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自由意思じゃなくなっている証拠だと思うんです。
自由意思だったら多分寝ますよね。
寝たいというのが意思なんで。
つまり自分がいつも同じことを目論んでいたり
同じような価値観を保ち続けたまま
ありとあらゆる状況で同じことをしたいと思うのが
多分今の世の中でいうところの意思力なんでしょう。
それは一部なぜかできちゃうという人がたまにいらっしゃるんですよ。
ひどくショートスリーパーだったり
人との関係がよっぽど奸悪になっても
かまわずやるみたいなことができると。
でもそういうふうにしたいと思う人は非常に少ないので
だから仕組み化って話になるんですよね。
条件を整えると。
でもこの条件を整えるというのは
大きな罠があるということです。
言ったらそういう話になっちゃいましたね。
そういう方向にしようと思ったわけじゃないんですけど。
条件を整えるというのの大きな罠というのは
これは恣意的に決まっているから
どこまででも条件を追求していくことができると。
自分の不快感みたいな問題ですから結局。
寝不足というのもそうじゃないですか。
温度というのもそうです。
25度がいいですっていうのだって
結構条件をきつくしているけど
いや25.3度じゃないと欠けません。
こういう話になっていくと
その人はどこか当てにならないなって感じがすると思いません。
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