1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
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おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
昨日ですね、ちょっと新しいことを始めてみまして、今までこのスタンドFMは全部ライブ配信で、
こんな感じでお話ししたものを何もサイクせずにそのまま公開するというふうにしてたんですけど、
ちょっとサイクを施してBGMとか入れてですね、別のプラットフォームにもPodcastとかで流してみようかなというので、
少し実験を始めました。
アンカーFMで使って、スポティファイとかGooglePodcastとかいろんなのに流れるようには設定してみましたが、
まだ昨日ちょっとやってみたという感じです。
2回目3回目とこちらの方で流したものをまた加工しても意味あるかなというものについて流していこうかなというふうに思ってますが、
まだ一個一個編集しながらの作業なので、どんなペースで流していけるかというのはわからないところです。
さて今日はですね、昭和44年の神原平野、新日本気候が映す昭和44年の神原平野というタイトルにしてみました。
最近NHK新潟放送局が開局90周年の企画で、
昔の新旧NHK新潟放送局が今まで撮ってきた映像をいろんな形で紹介していて、
実はそれ東京で作ってた、アーカイブされてたもので東京でも放送されてたものをもう一回放送してたりするんですけど、
そのシリーズの中で4Kで蘇る新日本気候という、多分これもBS4Kか、4Kで最初放送されたものだと思うんですけど、
それがですね、NHK新潟放送局でも再放送されたんだったと思います。
その前BSでやろうとして中止になったとか、いろんなことあったんですけど、
とにかく最近放送されまして、学生たちとも授業の中で一緒に見たりということをしました。
昭和44年ですからね、詳しくは言いませんけど、私も生まれてませんので、
当然学生たちから見ると出てくる人たちは、小さい子供で出てきた人がひょっとしたらおじいちゃんおばあちゃんなのかぐらいの、それぐらいの映像ということですよね。
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昭和50年経ってますからね。
登場してくる方の中でご存命の方も本当に、私たちの世代が子供、私は生まれてないので、現役の世代はかろうじて子供として出てきてる人たちが出てきてるかなということですよね。
現役だけじゃないですね。今も現役を退いたような年代の人も、子供、せいぜい若者ぐらいの世代だったというものだと思います。
内容はですね、要するに昭和44年というのは、米の流通というのが変化しつつある状況の時ですよね。
自主流通米が出てきてとか、米商人が登場してとか、原短はまだ言ってなかったかもしれません。米余りが続いているというような話が出ている。
そんなような時期の話で、でもその時代に、要するに缶バラ平野で米作りしかないんだよと言いながら、言ってみれば愚直に米作りを続けている人たちのお話、
お話というかドキュメンタリーという感じでした。全体的にはNHKすごいなというか、昭和44年の映像作りというのをいろいろ感じるんですが、NHKすごいなと感じるのはここで使ってる、アイコンで使ったような、
これ新潟市オープンデータの写真ですけど、こういう空撮映像ですね。空撮映像をやっぱりふんだんに使っていて、おそらくそのためにヘリコプター飛ばすわけですよね。これはちょっと多分贅沢な使い方だよねと。
新日本気候って全国のいろんなものを映し出している素晴らしい番組だと思いますけど、でも、なんだろう、子供の頃一生懸命見たっていう記憶はないですよね。なんというか、ちょっとやっぱりNHK的な境地を感じる番組ではあるものの、みんながみんなかじりついて見てるような人気番組かというと、そうでもないですよね、きっとね。
というようなものなんですけど、やっぱり空撮を入れているとか、あと撮り方もいろいろ写真を直撮りしたものをパンしているとかね。いろいろ撮り方は面白いなと思ったんですけど。
全体的に出てくる場所はですね、横腰、当時横腰村、現在横腰村、神奈川区、新潟市神奈川区ですか、横腰とか、キーワードとしては横腰、八彦、新津、岩室ぐらいだったと思いますね。八彦村、八彦以外は全部新潟市になってますよね、現在ね。
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それぞれの農村の風景、農村の人々というのを描き出しているというものですね。横腰のところでは北方文化博物館が紹介されますね。そういう名前では出てこないんですけど。
神原平野の大仁主は5人いる大仁主のうちの1人。いたですよね、いた。大仁主の1人の邸宅ですというのも、これも空撮から入るっていうね、でした。
神原平野っていうのはこういうところで、神原っていうのはやっぱりガマの神原なんですよね。湿地帯を切り開いて田んぼにして、この人たちは農業で生計を立てるようになったというか、その土地を代々引き継いでやってきたんだと。
で、その農村というのが転換期を迎えているっていうような話でしたね。転換期の話はいろいろ出てくるんだけど、でもやっぱり今となってはもう出てこない風景として、稲刈りですよね。機械化されていない稲刈りとか。
あとはさぎで乾かしてるっていうような映像とかですね。これはもう失われた風景でしょうかね。そういうのは出てきますよっていう。そういうのも紹介されていたり、でも農村はどんどん変わっていますよということで、
米商人が来て、米商人という言い方はしてましたけど、農業以外の事業者さんが農村を回って、農業から離脱してこっちに米出資化しませんか、みたいなことを働きかけていると。
農協はそれをボロっていうかな、農協の方も一生懸命砂に留めようと頑張っているっていうような、そんなような話が紹介されていました。
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やっぱりでも結局面白いのは、やっぱりこの人たちが、この土地がどのように変わっていったかっていうところで、このシリーズは古いやつを30分番組でやった後、今どうなってるかっていうのをやるんですよね。そこが面白いところで。
ただあんまり、最後の方で5分10分ぐらいで、今の神原平野の風景っていうのが紹介されていて、米作り自体はもう全部機械化されていてっていうような話とか、あと米の自主流通という意味で言えば、海外への販売っていうのも自分たちでネット通販でやってる人たちがいるとかですね。
っていうような、一般的な話が出てくるんですけど、やっぱり50年経っているので、なかなかどうなんでしょうね。そこまで力を入れて調べなかったっていうことかもしれませんが、ほとんどこの昭和44年の映像に出てくる人たちが今どうしているかっていうことは出てこないんですよね。
そこがなんというか、もやもやするとまでは言わないけど、どうしたのかなっていうふうに思うような作りになっています。
特に気になったのは昭和44年のこの時に横腰だったと思いますけど、農村とはいえですよ。
今から見れば、今の私たちから見れば、まだ都会化されていない農村という感じの風景が見えますけど、でも当時はもうすでに都市化の波が農村にも入り込んでいるみたいなことで、多分収農者が減っていくような懸念というのがあったんでしょうね。
なので、そういう中にあって横腰の青年たちがブルーサファイアーというバンドを組んで、
ブルーサファイアーで公民館みたいなところで演奏して歌っているわけです。
ロックみたいな曲をやっていて、何だったかな。忘れましたけど、有名な曲だったと思います。
その曲を演奏していて、なんとかの家の息子のなんとか君が参加してっていうような映像で、農村の若者にも西洋文化が入ってきているというような映像になってました。
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だからね、そうするとその頃20歳とかそれぐらいだとすれば、農村で音楽を一生懸命やりながら農村で暮らしていた人たち、この人たちが50年経ってるわけですから、20歳だとすれば今70歳ですよね。
どうなっているのかな、どうしているのかなっていうのは気になるところなんですが、出てこないんですね、これがね。年齢的にもいろんなことがあると思うので、元気な方もいればそうでない方もいればいろいろいる年齢ですので、何とも言えないんですけど、ほとんど出てこない。
有名人で言っても、北方文化博物館の伊藤文吉さんですね。8代目でしたか。
お元気で活躍されているのだと思ってましたが、この番組見て調べてみたら2016年に亡くなっていて、番組の中でも伊藤文吉さんは、
継承する息子さんの方がいないので、伊藤文吉さんという名前は8代目で途切れたということで、鳩子の方が北方文化博物館の理事長になっていると、そんなお話をされていました。
このNHKの新潟放送局90周年というシリーズは番組日を見るとちょこちょこ続いてまして、新日本気候もいくつか流れましたし、それ以外にも直近の、そんなに昔じゃないけれども前のことを振り返っている映像とかもNHKの方で再編集して放送しています。
今日は新日本気候の昭和44年の神原平野に関する映像ですね。
収穫の平野、新潟県神原地方という番組についてお話をいたしました。どうもありがとうございました。
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