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2022-08-26 17:02

Vol.183 北海道で見た新潟県出身者の足跡


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おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。今日は8月26日ですね。
金曜日。もう金曜日ですね。金曜日になります。
今日は久しぶりに、ゆっくりお話しできそうな感じですが、スタートがちょっと遅くなってしまいましたね。
先週の金曜日の朝に出かけて行って、ちょうど丸々1週間北海道へ行っていました。
この間、宿の方でちょっと1回お話ししてみましたけど、やっぱり変な時間で喋ったので、あんまりリアルタイムで入ってきてくれる方がいなくて、ちょっと寂しかったですが、
いずれにせよ、なかなか旅先で忙しく落ち着いてお話しする時間が取れませんでしたので、だいぶ間が空いてしまったかなというところです。
仕事で行ってましたので、ずっと実は授業をやっていたわけですけど、
とはいえ、日頃の職場環境から一旦離れていますので、いろいろと頭の整理をしたり、北海道の中でいろんなところを見に行ったりということも多少はできたので、その話をしてみたいなと思います。
詳しくは、またもう一度機会を設けてお話しできればと思いますが、
先週の金曜日は1回ライブ配信を試みて、なんかうまくいかなかったような気がしますけど、
江別市の越後会館、越後村があるところに行ってきました。
ここはですね、北越植民者というところが、かつて北海道移民を募集して、そしてまとまって入植していったという場所でして、
これは以前にもお話しましたけど、またもう一回多分しゃべれるぐらいの分厚い内容があります。
新潟県の人たちがはっきりわかる形で、まとまって入植していった場所としては一番わかりやすいところではないかなと思います。
あと他にということで言うと、江別の前にウポポイの方に行って、
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アイヌの歴史とか、その取り扱い方みたいなやつもいろいろ見てきたんですけど、
その日札幌に泊まった後、翌日土曜日から一番北の輪っか内の方に入ってました。
輪っか内の方ではカラフトに関連する作品を、私が授業をやらせていただいている
育英館大学の方で制作していまして、カラフト引上げ者に関するいろいろな作品、カラフト引上げ者だけじゃないんですけどね、
その作品を上映する会に、私のゼミの方で作った作品も混ぜていただいて、一緒に上映会をやるという機会がありました。
カラフトのこともですね、いろいろ授業でも取り扱ったりして、いろいろ調べていたんですが、
カラフトの関連の資料もやっぱりね、輪っか内あたりに結構いっぱい蓄積されているものがあって、
カラフト記念館に行ったら資料がいっぱいあったので、ちょっとパラパラ見てたんですけど、
カラフト連盟という団体が、全国カラフト連盟という団体が数年前まであったんですけど、
そこが作った資料を見たらですね、3ページくらい新潟県の会員の名前っていうのが入ってまして、
結構いろんな方の名前が見つかりました。
今だったらちょっとああいう名簿を作って、一般のところに公開しておくっていうのはちょっとないかもしれないんですけど、
当時そういうものを作ってたんですよね。
昭和の時代なので、もうちょっとその方々が今ご存命なのかとか、
遺族の方がその辺にいらっしゃるのかってわかんないんですけど、
結構いろんな新潟とか柴田とか、いろんなところで暮らしてらっしゃる引き上げ者の名前が書かれているのを見かけました。
それから今ここに挙げている赤レンガ通信所っていうですね、
ここは和久内市の郊外にあるんですが、海軍が通信所として大港の海軍の文献隊みたいなのが和久内にいまして、
ここが通信所として新城湾攻撃の新高山のぼれを打電したと言われている場所なんだそうで、
そこを見に行きました。そこに行ったら渓北とか幕別とかいう場所で、和久内の中でも郊外の場所なんですけど、
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和久内ってどちらかというと海の周りに集落が出来上がっていて漁村なんですが、
渓北幕別のあたりは林業でしょうかね、森があるようなところなんですよね。
そのあたりの始まりを聞いたらやっぱり新潟の方の名前があがって、
大竹寛一っていう後に貴族議員になった方、中野島の方ですけど、大竹寛一さんが始めた農場がその地域の開拓の始まりで、
大竹さんと新潟の市島家もお金を出したという形で、お金を出したのは市島さんなのかな。
ちょっと詳しいところはあまり現地の方もお存じなかったんですが、
渓北幕別のあたりの開発というのは最初、現地に住んだわけではないと思うんですけど、
新潟の人たちが出資してそこの開発を始めたというようなことをお話になっていました。
入職した方も新潟なのではないかというぐらいですかね、というような話でした。
またちょっとこの話でまとめてみたいなと思います。
それでその人たちが切り開いた土地のうちの一部を寄贈して、海軍の通信所にしたというような経緯だというような説明を受けています。
大学の図書館でパラパラめくってたら、隣の町の豊臣町という渡辺市の隣の豊臣町という豊臣温泉という温泉がある場所があり、ここは洛能の町ですよね。
洛能の町なんですが豊臣町にも越後集落みたいのがあったっていうのが豊臣町市にちょっと書いてありましたね。
だからこういう北海道開拓についてはそれぞれの市町村の町市とか市市町市をめくっていくときっといろんなところに新潟の人が入っていって、新潟の人だけじゃないですよね。
全国からいろんな方が入っていったんだと思います。
入っていった経緯っていうのは多分いろいろ調べていけばわかるんだなということがわかりました。
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町名とか市の名前とかに入っているところは別にしてですよ。
北広島みたいな感じで入っているところは別にして、それ以外のところではなかなかここに例えば新潟の人が入っていってみたいな歴史は見た目にはわからないし、もうほぼ忘れられている歴史だとは思うんですけど。
いろいろ掘っていくと、実は新潟県民も胸圧となるような様々なストーリーが各市町村に転がっているんじゃないかなという気はいたしました。
新潟市場から外して考えると、この赤レンガ通信所もそうですし、カラフトのこともそうですけども、先週は北海道は本当に天気が良くて、私が泊まっているところにも続々とライダーたちがやってきて、
みんな6時半に夕日を見に行って、めっちゃ感動して帰ってくるみたいな時間を過ごしていました。
寒い時期も含めて、ずっと6年間若ないという街で暮らした立場からすると、ここだけ見たら本当にいいんだなっていうのをすごく感じました。
この間もお話ししましたけど、そういう意味では本当に一番良いシーズンの若ないを見ていた人が若ないのファンになって、その人たちがふるさと納税をしてくれて、それで若ないという観光にもまたリピーターで来てくれてっていうのが、若ないという街を支えているんだなということがよく分かったところです。
バイクに乗っている人たちは、大体新潟を経由して船で小樽から入っているみたいな話を、宿のロビーで喋っているのは聞いてました。
北海道に行くのでワクワクしている人たちは、あまり新潟に興味を通過点として扱っているとは思うんですけど、新潟の人もそこでちょっと興味を持ってもらえるような、新潟がまさにデスティネーションとなるような、そういう仕組みでいい時期をつまみ食いしていってもらえるような仕掛けがあったらいいのかなということも。
よく思いました。
今コメントをいただきました。
北海道入植の歴史はほとんど勉強する機会ないので興味あります。その過程の先住民との争いの史実は簡単に知ることも難しいと感じました。
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そこから失礼しました。
ありがとうございます。
新潟あたりの話と大きく違うのは、村の歴史とか地縁、血縁みたいにがっつり固まって暮らしてきた、ある意味重苦しい歴史とは違っていて、たかだか明治維新以降、ほとんどそうですよね。
幕末から明治維新以降に人が入っていって、そこで暮らしてきた歴史ということですので、それぞれ暮らす人たちにとっての重さは違ったのかもしれないですけど、やっぱりなかなか足跡を辿るのも難しい。
新潟あたりだとやっぱり寒いので、高齢になるともうちょっと南の札幌で暮らしているみたいな、病院もちゃんと整っている札幌に引っ越しましたみたいな話もあったりして、実はなかなか高齢の方がその場場地元で残っているというケースももちろんあるんですけど、数としてはその分減っていたりするので、なかなか足跡を辿りづらいというところもあります。
あと先住民の歴史もですね、今回またちょっと調べてみましたけど、だいぶやっぱり私の思っていた通りで相当濃淡があって、白尾井とかあの辺の周辺ではそれなりにウポポイができたところで、社会的な関心というのも高まっている一方で、
宗谷あたりまで行くと全然貼っちゃうんですよ、ゴールデンカーの上のなんとかとかですね、ウポポイのなんとかみたいな、いろんなところに貼っているのを目にしましたけど、でも関心はあんまり高くないかな。
いろんな方に聞いて回ると、やっぱり昔、宗谷犬の人が暮らしていたとか、クラスメイトにそういう人がいたみたいな話は、ある程度の年齢から上の人は聞いたりしますけども、
そうですね、例えば今の大学生たちの間では、多分ほとんど認識ないというか、ほとんどそういうことを学ぶとか、そういうものに接するという機会は失われてしまっているように思いますね。
そこまで行ってしまってから、どうやってその歴史を今おっしゃっていただいたような、先住民との争いというところまで含めて、もう一度回収していくのかっていうのは非常に難しいですね。
以前調べたときにわかったのは、宗谷犬という人たちと、それからカラフトから引き上げてきたカラフト犬という人たちが、一時期、わかめ空港のあたりに住んでいたとか、それから豊臣の方の集落に戦後引き上げてきたとか、というようなことはわかっているんですけど、
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それもほとんど地元では注目されていないような気がしますよね。それはまた、意図的に和人というか行政の側が、意図的にそれを無視しているっていう可能性もなくはないですけど、どちらかというと、豊臣なんかはまだそのまま残っている方がいるのかもしれないけど、
その人たちもまた積極的に自分たちのルーツというのを語らないできたっていうような経緯もあって、そのことに対する関心というのもあまり高まってないっていうかね。
というようなことなんじゃないかなと。そこはね、なかなか調べていきにくいところなんですけどね。
ということで、今日はちょっと50%ぐらい、新潟濃度50%ぐらいで北海道の話をいたしました。
北海道のこと自体はね、いっぱいしゃべれるんですけど、一応今日新潟縛りということで、ある程度新潟のことに寄せながらお話をしてみました。
飛行機は本当に快適というか、まあ快適といっても小さい飛行機がね、ちょっとやっぱりなんか気になりますよね。
満席の状態で飛行機に乗るとね。まだそこは気になるんですけども、なんとか無事に戻ってまいりました。
ということで、今日の配信はここまでにしたいと思います。コメントもいただきました。どうもありがとうございました。
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