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2022-12-29 12:58

Vol. 209 村上の鮭漁が藩士子弟の教育資金に


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おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。今日は12月29日、木曜日ですね。
年末になりまして、仕事収め終わったという方もいらっしゃると思いますが、年末に向かっているんですね。
新潟市内は今日は天気が落ち着きまして、先週あたり結構雪でいろんな影響を受けていました。
今日はちょっと落ち着いているかな、昨日は少し落ち着いているような感じがしています。
今日はですね村上の話を持ってきました。
12月24日も結構雪がひどかったんだと思うんですけど、
12月24日、NHKのBSで、「よみがえる新日本気候」というので、昭和53年放送の
エチゴ酒物語、新潟県三尾手川、いわゆる三尾手川の酒寮のことを扱った昭和53年のドキュメンタリーが放送されました。
何回かご紹介したことがあったと思いますけど、「よみがえる新日本気候」を結構ずっと定期的に録画して、なんか面白そうなのをぼちぼち見ています。
昭和のテレビ番組の映像なので、いろんな意味で映像の作り方とかは古めかしいところもあったりするんですけど、
ただ記録としては非常に貴重なもので、私からすると自分の子供の頃の各種の映像が出てきて、その当時の自分は全然面白くなかった。
今見ると面白いということと、懐かしいということも地域によってはありますし、もちろん子供の頃はそんなにいろんなところに行っていませんから、ほとんどの場所に行ったこともないようなところの話なんですけど。
ということと、それから同時にもう一つは、昭和の時代に撮った映像のこの場所が今どうなっているかというのを撮りに行って、これはなかなかいいですね。
という話を前にしたことがあったようになりますが、今回は村上市の宮本川の酒寮の話をしていました。
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今どうなっているんでしょうね。
もちろん村上市は酒の町として知られていますけど、10年くらい前かな、村上に行った時にはネムロンって書いてある酒の入れ物が置いてあったりして、
村上で酒が加工するための酒の原料を十分調達できていないのかもなと思いながら見ていた記憶があります。現状はどうなんでしょうね。
村上に行くと居覚屋会館っていう建物があって、何だろう居覚屋って思ってたんですが、居覚屋っていうのが酒のことなんですね。
酒と共に暮らしを立ててきた村上の歴史というのを辿ることができる会館なんでしょうね。入ったことがないです。
今回の番組でやっていた話は、青人武兵衛寺という村上藩氏の話が、青人武兵衛寺は出てきてたと思うんですが、村上藩が水産資源の管理を江戸時代にやったという話ですよね。
卵殻から酒を守りながら持続可能な酒量のモデルを作った村上藩の取り組みっていうのがあったんだという話で、川を2つに分けて、
自然に孵化をさせて、ちゃんと産卵をさせて、また川に戻してやってっていうのをきちんとやって、それで卵殻による酒が取れなくならないように資源管理をしながらやるという仕組みを開発。
おさらいっていう言葉があるんですけど、おさらいっていう資源管理の仕組みというのを作った。
種川っていうね。種川っていうのは多分川の支流を作って、支流の方では種をちゃんと残すような仕組みをやったっていうことでしょうね。
っていう話が出ていて、今日タイトルにつけたのはその後の話。
この仕組みは江戸時代、明治以降もこの仕組みを続けていって、これで地域の人たちの収入源としていった。
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具体的には、種族の人たちが多分このビジネスモデルを会社にするのかな、とにかくそこを村上の地域資源として残していって、
それを種族が生き残っていくための収入を得ていくための手段としていったという話だそうです。
さらに出てくるのは、この団体だったのかな、団体はですね、プールしたお金を村上城の村上城跡の保全に充てるっていうことと同時に、
種族の指定の教育資金、教育への援助に充てた、奨学金ですかね。奨学金のような形で運用していって、
その明治維新の後、種族の滅落っていう事態が全国で起きたわけですけど、村上藩はそうやってその種族の人たちの指定たちの教育が続けていけるように手当てしたということなんですよね。
昭和53年のこの映像の中でも、この資金で、酒の子として教育を受けた人たちがまたこの団体の運営に携わっていたりとかですね、というような話が出てきて、すごいなって。
現在もこの団体は財団法人村上城跡保存育営会、昭和53年も出てました。村上城跡保存育営会という形で存続していて、どうなんでしょうね。
奨学金みたいな制度が現在もあるのかどうかは調べていませんが、たぶん村上城跡の保存活動というのを続けているということなんじゃないかなとではないかと思います。
一つにはこの村上の身表が下流の酒漁の仕組みというのが説明されていて、後半はですね、もう一つの話は朝日村の上流の方の酒漁の話になっていて、
この下流の酒漁の仕組みからこぼれる、ちょっと上に登ってくる酒を狙って採っている、酒漁をしている村人たちの話をやっていましたね。
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村上市の布部って出ていて、ちょっと見たら、この辺、身表側沿いなんですけど、朝日村の、
朝日マホロバインカのあたりの、元山の方ですよね。そこからもっと山の方に入っていったところに、布部っていう地域があって、そこでの酒漁のことも紹介していました。
その当時、昭和53年に新しい酒の種側の仕組みを近代化したような仕組みっていうのが下流で作られていたんですけど、それに伴って布部の酒漁は結構壊滅的な打撃を受けるみたいなことがちょっと紹介されていて、
上流と下流の間の利害対立があるというようなことが少し説明されていましたね。
村上市布部は当時多分朝日村という村だったわけですが、現在は村上市布部になっていて、どうなっているんだろうなみたいなところなんですけど、
布部やなばっていうのは検索すると出てくるんですが、布部やなばはGoogleでは営業って書いてあって、これいつ営業したんだろうなとか色々気になりますよね。
でも、数年前の口コミとかは残ってますので、この辺りまではまだ残っていて、発売営業してたのはコロナ禍以前は営業してたのかなと思います。
でもちょっと見ると焼きあゆとか書いてるから、酒がどう残るのではないんだろうね。
そういうところが残っていたということも出てきます。
残念ながらこの番組ですね、最後の方がですね、私の家だけか他の所とか、多分内側だと思うんですけど、雪でBSのアンテナが多分不調になってしまって、多分最後の方見てないんです。
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だから昭和53年の映像を撮った後のいわゆる振り返りで今はこうなってます。
これはまだ確認できていないので、もし再放送あればまた見るかなと思いますが、もしご存知の方、ご覧になった方がいらっしゃったら教えていただければと思います。
昭和53年放送の、よみがえる新日本気候で昭和53年の酒の、
新潟酒物語、新潟県三表川という回ですので、もしご覧になった方がいたら最後の方どうなってたのかというのを教えていただけたらと思います。
今日はここまでにしたいと思います。ありがとうございました。
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