1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
  2. Vol.136 北海道で朝鮮人労働者..

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おはようございます。新潟のへラジオ一戸信哉です。今日は6月9日木曜日ですね。
今日も8時台にお話しすることができそうです。
さっきちょっと外に出てきたんですけども、今日は新潟市内の天気がすごく良く、雨降ったり、暑かったり寒かったりと、行ったり来たりの天気が続いております。
今日は天気は良さそうだという感じでした。
今日ですが、北海道で長いタイトル、もう私も全部読めない状態ですが、
昨日、情報が入ってきまして、北海道の笹野母標展示館というところの巡回展示というのが、
今日から新潟市内の新潟国際情報大学の本部キャンパスではなく、西区にある本部キャンパスではなく、中央区の中央キャンパスというところで、
展示巡回展が行われるという情報を見ました。
今日からですね。
で、ちらちら実は笹野母標展示館ってずっとちらちら見てたんですけど、何の団体なのかって実はあんまりよく知らなくて、今回初めて調べました。
何なのかって、島里内湖という湖があるのですが、そこのお寺に作られている展示館なんですよ。
で、笹野母標という映画もあるんだね。
汝名は知ってるんですけど、多分島里内というところに私自身は行ったことがないんじゃないかなと思います。
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島里内湖という湖があるんですが、ここですね。
旅々話題に出るのは結構厳しい工事が行われていて、ここにたくさんの朝鮮人労働者が戦時中動員されていたということが指摘されている、明らかになっているということになりますね。
今、サイトを見ましたら、明武線という鉄道、名寄から島里内の間の鉄道の建設着工が1935年、この辺で鉄道、武隆ダムというのも38年。
この辺で鉄道とダムの建設に大量の朝鮮人労働者を導入したというような経緯が書かれています。
1942年には3000人、そして43年に東洋一のダムと称される武隆ダムが建設される、こういう経緯ですよね。
それ以上調べていないんですが、おそらくはこの北海道の地域では大きな国家プロジェクトとしてダムの建設と鉄道の建設が行われたということだと思います。
明武線というのがどういう役割を果たしたのかわからないですが、名寄、深川間の鉄道だそうです。
北海道の鉄道工事というのは、人を動かす以上に物を動かすという意味でも非常に大きな意味を持っていたので、非常に急いでこれを建設するために朝鮮人たちを連れてきて、そこで働かせたという経緯があったということでしょう。
ここでどういうふうに連れてきたかが日韓との争いになったりするんですが、今回はそこには触れませんが、つまりは締まりないという場所でたくさんの朝鮮人の労働者たちが働いていて、たくさんの方がここで亡くなっているということがわかっているんですよね。
この笹の墓標展示館を運営している皆さんはこの遺骨収集を続けていて、それを遺族のもとに返すというようなことを掲げていらっしゃいますので、遺骨収集をしながらそれを返すとか、
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あるいはここでどのようにして朝鮮人労働者のどのような労働環境で働かされていたのかというようなことを調べていらっしゃると思いますね。
今回のタイトルは私たちの平和の作り方、骨が教えてくれたこと、たくさん骨が出てくるんですよね。それを発掘している人たちが巡回展をやられていて、
なんで巡回展をやるのかなと、巡回展をやらないことなんだけど知りませんでしたが、この笹の墓標展示館は2020年1月に雪の重みで展示館が倒壊、
それから2021年12月に宿泊施設になっていた栗が火災で消失ということで、施設が相当ダメージを受けてしまったということが背景にあるようですね。
ということで、全国巡回しながらここでの展示、それからシュマリナエコで起きたことについて理解を深めてもらおうということだそうです。
私自身もこの遺骨収集の活動までもちろん知ったことはないんですけど、いろいろ調べたことはあって、私が住んでいたあたりだと、
わっか内の隣にサルフツ村というところがあって、サルフツ村は憲法訴訟のサルフツ事件で知られているところですが、
ここもアサチの飛行場というのを、今何もないんですけど、アサチの飛行場というのを作っていた陸軍が使われないままになっていくんですけど、これもかなり突貫工事で作っていたのかな、対処線に備えるということだったのかなと思いますけど、
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アサチの飛行場というのは北海道の原野に作っていく過程で、やっぱりシュマリナエコと比べて人数がどうだったか確認しないといけないんですけど、やっぱり朝鮮人の人たちをここで働かせて、
そして途中で結構人が亡くなって、被災に埋葬されているということで、やっぱり同じようにここで遺骨収拾活動をされている方がいるというところを勉強しました。
現地は飛行場後、駅というか鉄道がもうなくなっちゃったんで、バス停しかないんです。飛行場前後みたいなバス停があって、そこはかつて天北線という鉄道がJRの民営化に伴ってすぐ廃止されちゃったところがあって、
そこにも若干痕跡がないんだよね。若干痕跡というか、痕跡はその駅があって、そこで飛行場なるものがあったんだということが確認できるぐらいです。ほとんど何もないと言ってもいいかもしれない。
というようなものが残っているのは確認しました。それ以上は私もまだ深掘りしていないんですが、またこういう厳しい環境の中で朝鮮半島から来た労働者が働いていたということは間違いないところですよね。
その遺骨も結局現地で埋葬されているけれども、よくわからなくなっちゃってるというものが多分ケースがたくさんあるんじゃないですかね。
広がって考えれば日本人も外地でたくさんの人々が亡くなって、その人がどこでどのようになったのかわからなくなっちゃってるケースがたくさんあって、朝鮮の人の場合は内地、このケースの場合は内地ですので、もう少し詳しい事情とかが伝わっていくようにできなくもなかったのかもしれません。
やっぱり終戦直後から朝鮮戦争を経てというあたりで、日韓の間の行き来が難しくなっていったとか、そこまで日本人の側にもいろいろな事情ですよね。そういう中で実態がよくわからないままになっているケースがかなりあるのではないかなと思いますよね。
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そういう意味では、締まりないというところでの犠牲というのは、いろいろいろんなところで起きているであろう現象の中で、とりわけ大きく注目されるようなことが多く、遺骨収集活動も結構注目されたりしているんですけど、
それはこの笹の墓標展示館というところに関わっている人たちが取り組んできたことだと思います。
イベントとしては、6月9日から15日に新潟国際情報大学の中央キャンパスのロビーのところで展示が行われる予定です。
6月12日には新潟市の中央図書館本舗と、本舗との中に多目的ホールというのがあるんですが、そこでシンポジウムが行われるということも書いてあります。
在日、遺骨収集活動をしてきた在日コリアンと日本人の方のお話というのが予定されています。
素晴らしい試み、取り組みだと思います。
なかなかこういう北海道の、しかも東北で起きていたことは、北海道の人でもそんなに知られていないと思いますし、まして新潟の人たちも知らないですね。
なおかつ、こういう話というのはどうしても政治的なニュアンスを感じて、どうしても遠ざける傾向もありますし、
現実の問題として、どのような経緯で人たちは日本に連れて来られた、日本に来る、連れて来られる、そこからですよね、そういう問題にもつながっているわけで、厄介な話のように見えるのは確かですが、
厄介だから遠ざけていると、とりわけこういう北海道の北の方で起きたことなんていうのは忘れられてしまうわけで、そもそもどういうことが行われていたのかということを知るという意味でも意味がある取り組みではないかなと思います。
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新潟の大学で教えているものとしては、ある種政治的にハレーションがありそうなものについて、あえて引き受けて、そして大学で展示をするということを決断したんですね。
新潟国際情報大学の皆さんには、新潟国際情報大学主催ではないでしょうけど、場所を提供することにしたというのは非常に良い取り組みだと思いますし、明日国際情報大学でも授業がありますので、そこでも紹介してみようかなと思っています。
というわけで、今日はタイトル長いですが、笹野波母標展示館の新潟巡回展というのが今日から始まりますというような情報を昨日目にしましたので、その話をいたしました。どうもありがとうございます。
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