1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
  2. Vol. 178 子供は飽きるけど意..

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はい、おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。今日は8月16日火曜日ですね。
ちょっとね、お盆明け、今日も私もまたいろいろ打ち合わせとかで外出るんですけど、
ちょっとね、やっぱり家から仕事で出かけることがない日が数日あったので、結局祭典とかやってるんですけど、
何でしょうね、やっぱり曜日の感覚が崩れてる感じがありますが、
今週また、今日から動き出すという感じなので、頑張っていきたいと思います。
ちょっとね、もう9時になっちゃいました。いつもの皆さんにどれくらい聞いていただけるかちょっとわかりませんが、お話ししてみようと思います。
昨日は終戦記念日ということで、8月15日回りの報道もいろいろあって、
戦争回りのことも、昨日原爆疎開の話をしましたけども、
今日はちょっと戦争の話は一旦止めまして、
関谷分水、オーコーズ分水と関谷分水についてのミナトピアの展示をですね、
この間ちょっと見てきましたので、お話ししたいと思います。
こちらミナトピア、ミナトピアというのは新潟市歴史博物館というですね、
佐渡線のフェリーターミナルの向かい側ぐらいにある博物館で、
あれ何の建物?ごめんなさい、実は何の建物かよくわかってないので、
昔から建物ですよね。
ちょっと下の方にあるんですけど、新潟市のランドマーク的な場所でもあるんですが、
こちらの新潟市の博物館の方で、7月17日から展示が行われていて、
8月28日までだそうです。あと少しですよね。
というので、大洪水分水、関谷分水の展示会についての企画展というのが行われています。
6館リレー展というふうに書いているので、他の博物館でも同種の展示が、
お互い多分資料を共有してね、やるんだと思いますね。
後ろにありました、つばめ市分水領館資料館、つばめ市長禅館資料館、
それからミナトピア、それから大洪水、新潟川大洪水資料館、
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長岡市立科学博物館、それから長岡市の新潟県立歴史博物館というところで、
それぞれ大洪水分水だね、大洪水分水の企画が行われるということですね。
新潟市はそこに関谷分水をくっつけたという感じですよね。
新潟市の市内という意味では関谷分水というのも大きい存在であり、
それから関谷分水50周年でしたっけね、ではあるんですけど、
やっぱり大洪水分水に比べると若干扱いが小さいかなという気がしましたが、
多分そういう背景でしょうね。資料的にも今回は企画展としては六感共有で、
大洪水分水のことを企画したんです。
これは面白いですよね。
去年の映像制作で学生が作った映像を受賞した県のコンクールの、
表彰式というか上映会というのに、
今年の2月か3月か、3月だったかな、に行った時に1回話をしましたが、
やっぱりね、この川をテーマにした作品というのは去年あたりも結構あり、
去年大賞を取ったのもその作品だったんですけど、
もうね、あっちでもこっちでも、
新潟県というのは水と戦ってきたということがよくわかる。
信濃川の治水をめぐる様々な問題というのが、
あっちでもこっちでも行われていてという話がいろいろ出てきます。
で、新潟市その周辺で言うと、
西区の方ではうちの新川、新川の開作というのが一つ大きかったし、
それから北区で言うと松ヶ崎堀割って言うんですね。
今の松崎のところですね。
あれも堀割をやっていって、やっていくうちに、
赤戸川ができちゃうっていう話で、
実はこの赤戸川ができちゃうっていう話が、
確かなんかね、
館内の映像で紹介されてたなと思って、
それを見に行ったんですよ。
で、見に行ったら、いやそれだけじゃなくて、
実はオーコーズ分水、石油分水そのものが、
今企画展になってたということで、
より詳しいですね、
資料を見ながらの展示というのを確認することができました。
そのね、3分か5分かの常設展示の映像を見るだけだったらよかったんですけど、
企画展の沼に入りまして、
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じっくり見始めたら結構長くなっちゃいまして、
まあね、しょうがないなと思ったんですけど、
小学生の子供が途中で飽きちゃって、申し訳なかったなって、
ちょっと内容難しかったと思います。
適宜ググッと丸めてお父さん解説みたいなのをやりながら見たんですけど、
まあでもやっぱりちょっと飽きちゃったかなっていう状態でした。
でもね、内容は非常に面白かったですよ。
ざっくり言うと、
オーコーズ分水が作られるまでという話と、
作った後の新潟の港の話と、
関谷分水の話かなっていうような感じになってました。
オーコーズ分水の作られるまでの苦労というのはなかなかすごくて、
やっぱり最初やめるんですよね。
江戸時代からの念願で最後に出来上がるんですけど、
明治維新直後ぐらいの時期は金がないみたいな話で、
やめるってやめた経緯が書いてましたね。
地元からは何とかしてくれみたいなのが来るんだけど、
オランダ人技師を連れてきて、
いろいろ調べてもらったけど、
やっぱり無理っていうか、
コスパ悪いというような話で、
結局定防案という話なんですよね。
定防を作っていくんだけど、
でもやっぱり定防ではうまくいかず、
横田切れとか有名な横田切れとか、
あともう一個曽川切れっていうのがあって、
それでオーコーズ分水を作ることになると。
これもまた莫大な予算をかけて、
お金をかけて作っていくんだけど、
途中でうまくいかなかったりして、
自在石陥没っていうのは昭和の時代にあったのか、
もう一回何か作り直して稼働石を作るという経緯があります。
ここが一番大きなところで、
これは多分各博物館での履歴展示というところになるんじゃないでしょうかね。
江戸時代の悪水抜きの話はいろいろ出てきて、
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隣の集落とかと揉めるんですよね。
こちらを建てればあちらが建たずみたいな問題で、
そっちの水を抜いちゃうとこっちに水が来なくなるじゃないか、
みたいなことをほぼでやってるんですよね。
という話ですね。
分水が作った後、
白根豪あたりで高地を整理して、
白根分かれて発展していくという話とかですね。
あと新潟港はどうなるんだろうな。
新潟港は多分水位が下がって、
大型船が入れなくなるわけですよね。
大洪水に水を流し込んでしまったために、
水位が下がって万代橋は短くなり、
新潟港の港としての機能が危ぶまれるというようなことで、
結局いろいろ作るんですよ。
水深を確保するためにいろんなことをやってやりました。
これに伴って埋め立ても行われましたし、
加工部の改修、
春節はやるんだけどね。
というようなことはちょっとごめんなさい。
資料を持ってるんですけど、出てきませんね。
というようなことが出てきます。
その後、第2型実行と、
博覧会も何回も行って、
新潟の都市としての新潟市。
これも新潟市の博物館なのでフォーカスしてますね。
産業観光大博覧会。
博覧会は結構何回も行われてるんですよね。
というような話とか。
最後に赤矢分水が付け加わるんですよ。
赤矢分水を作っていく背景のところに、
新潟地震のこともあるし、
地盤沈下の話も出てましたよね。
赤矢分水の時代からだいぶ後になって、
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赤矢分水を作る必要が出てくるという話ですよね。
これも赤矢分水を作るために立ち抜きというのが出てきて、
立ち抜き交渉みたいなのに結構苦労するみたいな話も出てましたし、
それをやっていく途中で、
新潟地震が起きて、
新潟地震が多分一つ追い風になってるんじゃないですかね。
あ、そっかそっか。
だから国が引き取るんですね。
国が引き取って行ったというようなことも出てきます。
今日はあまり要領を得ないですね。
いっぱい見たんですよ。
いろいろこの黄金土水、赤矢分水の話ね。
なかなか面白いですよ。
企画戦なんで500円かな。
大人500円みたいな。
小学生無料なんですけど。
小学生無料だけど、小学生には苦業かなみたいな感じでしたね。
小学生がコラボチラシみたいなの作っていて、
入り口のところに置いてあったのでちょっと見てみたんですけど、
あまり黄金土分水とか赤矢分水とか関係ないようで、
小学生この難しい展示見てこういうの作ったのかなと思ったんですけど、
いやそうではなかったようですね。
ということでもうちょっとちゃんと読んでからまたお話ししましょう。
というわけで、とにかく8月の終わりまで、
28までですか、ミラトピアで展示をやっていますので、
ご覧になっていただければいいんじゃないかなと思います。
今日は新潟市歴史博物館で行われています、
黄金土分水、赤矢分水と新潟市についてお話をいたしました。
どうもありがとうございます。
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