1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
  2. Vol. 246 沖縄平和祈念公園「..
2024-03-09 13:15

Vol. 246 沖縄平和祈念公園「新潟の塔」と中野小屋


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サマリー

ラジオパーソナリティの一戸信哉さんは、新潟の塔と中野小屋について話しています。

目次

沖縄平和記念公園の実体験
お送りします。新潟のへラジオ一戸信哉です。今日はですね、1ヶ月ぶりの配信かなというところですけども、
前回やった2月の11日だったかな、
10日頃だったんですが、その後ですね、
2月13日から1週間ほど、1週間だったかな、4日間、沖縄に行ってきまして、
その後も沖縄のいろんなことを整理している間に、結構時間が経ってしまったんですけど、
なので沖縄の話がいっぱいあるんですが、今日はちょっと、
新潟の話ということで、新潟の塔の話をしたいと思います。
これ新潟の塔は、前に話したことあったかなと思うんですけど、ちょっと記憶がさなかではありませんが、
何回か私自身は行っていたんですけど、今回は授業として行きましたので、
学生を連れて沖縄平和記念公園、その前に姫売りの塔に行ってきました。
姫売りの塔の平和資料館は非常にインパクトがあって、
学生たちはやっぱり一番、いろんなところに行ったんですけど、一番記憶に残っているのは姫売りだと言っていましたけど、
そこから15分くらい、移動したところに、いわゆる平和の石寺と言ってですね、沖縄戦で犠牲になった沖縄の人たちのお名前がずっと入ってくる公園ですよね。
沖縄戦の話とか、沖縄に関する話題でよく出てくるところ、あそこが平和記念公園というところになりますが、
そこに行ってきました。平和の石寺という名前が入っているところは、実は沖縄の人の名前がいっぱい入ってますけど、
沖縄戦を含めて、南方の戦線で亡くなった各地域の戦没者の名前も入っていまして、
新潟県だれだれとか、青森県だれだれとか、この名前が入っています。
ここはですね、修学旅行の子どもたちがやってきてですね、それぞれの県のところで説明を受けながら見てるんですけど、
まあ、なんというかね、でも一回来るのはいいと思うんですけどね。
来るのはいいと思うんだけど、なんかテンションがあまり、ちょっとその場にそぐわないようなテンションで、どうかなと思いつつ、
じゃあうちの一緒にいた学生たちがどうなるかというと、まあ学生たちはね、もうちょっとやっぱりいい大人なんでね、
そんなキャキャンやったりはしませんけど、でもやっぱりね、ちょっとそういう場所でどういうふうに行動したらいいのかみたいな、いろいろ考えさせられるところがありました。
で、沖縄のこの平和記念公園と、あと近くに資料館があって、そこも修学旅行していたんですが、
あんまり人が行ってないところに、レイティゾーンという名前になっている、ちょっと高くなったところのエリアがありまして、
そこに行くとですね、ランダムに各都道府県の、それぞれの県ごとの戦没者、戦没者というのは南方で亡くなった軍人軍族というのが主な対象だと思いますが、
そういう人たちを慰霊する等がぽつぽつと立っているんですね。主には県ごと、それから、あとは戦域とか、職域とか、いろんなタイプのものがあるんですが、いろいろな方々が沖縄で後期生になっているというのがよくわかるようになっていますが、
非常に広い地域で、全部回るのはなかなか大変ですよね。今回見た中で、初めて、初めてじゃなかったけど、これあるなと思ったのは台湾、台湾は最近、台湾の軍人軍族で沖縄戦で亡くなった方の慰霊室というのが、たぶんそんなに古くない時に建てられたんだと思いますけど、
西英文さんの名前とかリトークさんの名前とか入っているので、だいぶ後になって作られたものだと思いますが、そういうのが以後設置されていたり、それぞれ、あとあれですよね、ちょっと経路が違うものとしては、
32軍司令官の伏島中将と町勲さん、お二人が自決した場所と言われるところに建っている霊名の日、霊名の土地、そこも今回初めて行きましたし、
霊名の日の下のところに空布団なんかもあったりして、いろいろなところの人たちを慰霊するものが建っていると思うんですけど、空布団とか今後どうしていくんだろうなとか、いろいろ考えてしまうんですけど、県ごとだと県がそれなりにいろんな形でケアすることができるかもしれないですね、というようなものを見てきました。
平和の石寺とその名前の由来
これはね、実は平和記念公園の外側にも、多分公園が作られる前に作ったものなのか、いろんな事情があると思うんですけど、外の方にも北海道とか大分とか公園の外に建っていたりして、必ずしもそこに全部集めたというわけでもなく、いろんな経緯を考えさせられますが、
新潟県は一番最後というふうに聞きましたけど、昭和40年代に作られた新潟の塔というのが設置されています。
お米の形をした石碑なんですよ。
新潟前の形をした石碑で、石は安田の石を使っているというような説明になってましたね。
その石碑を作った後で、また80年代ぐらいに募集しているのかな、何回か手を入れている感じが残っています。
このエリアは、私が行った日は修学旅行生はやっぱり来ないんですよね。
そっちに行った方がいいんじゃないかなという気もしますけど、なかなか歩くの大変で、歩いているうちに学生たちも結構疲れたなという感じになっています。
でも、新潟の塔は見に行ってよかったんじゃないかなというふうに思います。
今日、中野小屋というふうに書きましたが、何回か行ったんですけど、今回初めて見たような気がするんですけど、
新潟の塔の裏側に中野小屋専募整備費だとか、そんな大きな塔ではなくて小さな道場の石碑が一つ建っていて、
実は中野小屋って知らなかったんですよ。私は中野小屋ってなんだろうと思って、その場でみんなで中野小屋ってなんだろうって知らなかったんですけど、
ちょっと検索してみたら知名でしたね。中野小屋っていう村が現在の新潟市西区にあり、
その中野小屋出身者を慰霊する塔が裏側のところに建てられています。
この中野小屋、西区中野小屋市役所の出先としても中野小屋連絡所っていうのがあるので、それなりに独立した地域として認知はされていると思うんですけど、
私は知らなくて、西区の方に授業を教えたり行ったりしてますけど、知りませんでした。
というようなところがあります。
中野小屋の塔のところをざっと見た感じでは、多分海洋博物館っていうのが書いていたので、
新潟の塔と中野小屋
沖縄が本土復帰した後、いろいろ観光の歴史を見てみると、最初からみんな暖かくて海が綺麗なリゾート地沖縄みたいな沖縄観光というのは非常に人気があったわけではなく、
どちらかというと、沖縄というのは75年とかこの時期は、やっぱり異例に行くっていう人が多かった。
つまり本土復帰前は沖縄戦で亡くなった自分の親族の異例に行こうにも、簡単には沖縄には行けなかった時代が長かったということもあるわけですよね。
なので復帰以降ですね、沖縄に行って異例に行こうというような流れもかなりあったんだろうと思います。
中野小屋の石碑には海洋博に中野小屋の人たちが農協観光のツアーで行って、それをきっかけにしてこの石碑が建てたみたいなことが伺われることがちょっと書いてあって、ちょっと調べてみようかなと思っていますが、
そういう沖縄、つまりその石碑そのものも沖縄観光というものの状況をいろいろ考えさせられるような、そういうものになっています。
そういうこともあって、新潟のところはちょっと長く見ていたんですけど、それ以外のところも各県それぞれにいろいろ当時の思い出のあるような石碑が建っていて、一個一個見ていったらなかなか勉強になる面白い発見があるんじゃないかなとは思っています。
何分広いので、やっぱり回るのは大変で、今回2月に行きましたから、そんなに暑くてぐったりとかってことはないですけど、夏の時期に沖縄に訪ねて行ったりみたいなタイミングだったら、もっとしんどいかもしれないですね。
というような経験をしてきました。
他にも沖縄で見ているものはいろいろあって、お話できることはいろいろあるんですが、とりあえず新潟関係ということで、新潟の都に行ってきたという話をいたしました。
ではまたお話ししたいと思います。
13:15

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