1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
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2022-11-23 07:00

Vol.200 彫刻家早川亜美は新潟各地の観音像も作っていた


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おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。今日は11月23日、水曜日です。
休日なんですけど、今日は私は仕事の方に出てきていまして、10分ちょっと喋ったらまた次、一月の仕事に行かなければいけないんですが、ちょっとだけお話ししてみようと思って立ち上げました。
200回目の配信ですけどね。今日、タイトルは早川亜美という人のタイトルを入れました。
先日、新潟市の県民館開館前にある導きの像という彫刻の話をしました。
新潟地震の時に子どもたちが避難する様子、先生がそれを導いている様子を表した像でしたが、
それを作った早川亜美さんについて、ちょっとその後調べてみたという話なんですが、
新潟政良大学の短期大学部の起用の中で、2008年にこの方も彫刻家の方なんですよね。
宮越俊夫さんという方が、一度早川亜美さんのことをまとめていました。
早川亜美に関する位置考察ということで、
宮越さん自身の作られた横綱羽黒山像と並んで、
越後七浦観音というのが出ていました。
七浦観音って、新潟市の西関区ですかね。
海沿いの道をずっと進んでいって、寺止まりの方向へ向かっていく途中で、
多分、舛添のあたりだと思いますが、舛添のあたりで海沿いにドーンとでっかい高さ、5メートルの長像が、観音像が建っていますが、
あれがそうなんだそうですね。
この論文をさらっと見ていくと、早川亜美さん、いろんなところで像像を作っていて、
いろいろネットを見ていくと、大内市の樽ヶ橋というところに、
上津水害で大きな損害を出した樽ヶ橋の黒川村ですね。
旧黒川村のエリアの異例の大きな観音像がまた建っているんですが、それも早川さんの作ったものだそうで、
だから実は各地の観音像は早川さんが作っていたと。
どうもそういうことのようですね。
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それ以外にもいろいろ調べてみると、岡形小学校とか、赤塚小学校、中学校だったかな、
各地の小中学校にその長像を作って収めているようで、
だからいろんなところにこういうものが残っているようですよね。
もうちょっとこの方調べてみても面白いんじゃないかなと思います。
西梁台の木を見ますと、この方は豊坂市、現在の新潟市北区の出身で、
お父さんは早川大一郎という彫刻家なんですが、その2世ですね。
昭和9年に台湾に渡り、台湾で昭和16年に王将するまで、
何年でしょうね。
長く台湾に滞在して、台湾美術連盟展調査部を起こしたと書いてあって、
台湾で活躍されていて、台湾に作品が残っているかもしれないですよね。
これも面白い。
踊る番婦という、今でいう原住民の女性の像を作っているみたいですね。
ここも何かいろいろ調べてみたら面白そうですね。
日本に帰って福音した後、南方から福音して、その後また活躍されるんですが、
日型国体の聖火台、火炎土器型の聖火台を作ったということでも知られています。
晩年ですね、マゼの銅山、マゼに銅山があったんですけど、
マゼ銅山清伝所跡にアトリエを建てて、
ここにアトリエプラステーマパーク的な、
ここに人が集まるようなものを作ろうとしたみたいですが、
志半ばでなくなったということのようですね。
なかなかこの方、面白いですよね。
もう少し調べてみたいなと思いました。
ウェブの中で検索してみると、
早川阿弥師のアトリエを訪ねて、
マゼの山中に早川さんが作ろうとしていたアトリエとか、
その周辺のいろんなオブジェみたいなのを作られているのを訪ねていた方が、
2011年に気候文を書かれていますね。
これもなかなか面白いんじゃないかなと思いますね。
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マゼなかなか行く機会は私はないんですけどね。
でも、あちの寺止まりの方に行くときに、
よく通りがかったりしていますね。
というわけで、今日は200回目の放送なんですけど、
予告通り淡々と配信いたしました。
またこれからも継続して配信を続けていこうと思いますので、
また皆さん聞いていただければと思います。
今日は彫刻家早川阿弥さんについて、
これまで分かったところでしょうかね。
ちょっとお話ししてみました。
今日はお休みの方も結構いらっしゃると思います。
充実した日をお過ごしください。
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