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こんばんは。 新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日は8月24日、水曜日ですね。
だいぶ間が空きましたけれども、 今日もお話をしてみたいと思います。
今日タイトルに入れた通りでして、 先週末から北海道の湧かないというところに来ておりまして、
ずっと授業をやってましてですね。 ちょっとやっと今日落ち着いて、また明日もう1日あるんですけどもやっと帰り自宅を始めているというところです。
今ですね、気温が多分20度切ってるんじゃないかな。 夜になると本当に涼しくなって、本州とは全然違う感じを受けるかなと思います。
今回ですね、湧かないに来たのが土曜日なので、 土、日、月、火、水と5日目ですね。
明日6日目というので、ほぼほぼ1週間弱湧かないに滞在しました。
私のプロフィールをお存知の方はよく知っていらっしゃると思いますが、 湧かないというところは私2006年まで住んでおりまして、
もうだいぶ間が空きましたが、30代前半のほとんどの時間をここで過ごしておりました。
ですので非常に思い入れもありつつ、 しかしそこからまた15年、16年の時間が経って、その変化も感じるというところですね。
この街は日本最北というふうに書きましたが、 実質というか日本人が自由にたどり着ける一番最北の街ということになります。
厳密に言えば、北方四島が入ってきますので、 北方四島が最北、エトロフが最北ということになりますけども、
現状エトロフにたどり着くことは難しいということですので、 ここが最北ということになります。
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今回はですね、ちょうど8月の3週目、4週目ですか、 8月の後半のところで来てみたんですが、天候にも非常に恵まれまして、
毎日ほとんど雨が降らなくてですね、 非常に良い天気に恵まれました。
何曜日だっけ、日曜日だっけ、 日曜日に
日曜日に湧かない公園というですね、 カラフトを望むところに行ってみたら、ズバッと
カラフトですね、朝晴れにカラフトですねが見えましたし、 今日また学生を連れて湧かない公園に立ち会ったところ、
またバッチリカラフトが見えているということで、 非常にタイミングも良く、また今日夕方、
ノシャップ岬というところに行った時には、 日本海に沈む夕日も綺麗に見えて、
そこに色づく磁石山も見えてということで、 湧かないの夏の
一番良いシーズンの景色を大体見ることができました。 何を言いますか、
15年前、16年前に住んでたじゃないか、 ということなんですけれども、
住んでる時はね、あんまりそういうの見れないですよね。 そのタイミングを測って何か行動するというのが
案外と難しくてできません。 なので、何だろう
結局、タイミングを狙って行動するみたいなことをしていませんので、
実はあんまり住んでる時は見たことがなかったりすると。 まったく見たことはないわけではないんだけど、
様々な日頃の生活の中で、たまたまカラフトが見えましたとかね、
たまたまリジュージュが綺麗に見えましたとか、 たまたま夕日に出会えましたとかということはあるけれど、
日々それを狙って生活しているわけではないので、 あんまり見た記憶がないですね。
それから合わせてわかんないの場合は、 季節によってやっぱり大きく状況が違いますので、
夏のこの時期にはいいですけども、 ちょっとずらえるとやっぱりちょっと寒かったりするので、
あんまりそんなに積極的にそっちへ行こうかなというふうに思わないなと同時に、
この時期に意外と帰省したり、 出張があったりとかっていうふうになって、
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タイミングを外すとまた来年までこの1万円季節がなかったりするというね。 そこが現実であります。
なので逆に言うと、つまみ食いすると最高だなみたいなね。
つまみ食いしてこの時期だけ来るっていう。 そしてその時に天候がバッチリであるっていうのは、
こんなにいいんだなっていうのは非常に強く感じるところです。
新潟の話に引き付けて言うとですね、 あまりここに新潟の気配はありません。
実は今日ちょっと郊外の方に行ったときに、 この辺の郊外の村を開拓した人の名前として、
中之島の大竹寛一。 これ柴田藩のところですよね。
中之島の人とか、 あと一島家ですね。
柴田の一島家の名前が出てきたりということで、 実は少なからず一島一族、あるいは柴田、新潟の人たちと、
この辺の地区の人たちとも関係が深いんだなっていうことも たまたま知りました。
あとは、今日カラフト記念館に行って、 いろいろカラフト連盟の名簿なんかを見たら、
3ページくらいですかね。昭和の終わりくらいの時に作られた名簿で、 カラフト引上げ者でカラフト連盟に入っている人が、
3ページくらいは載ってましたって。 それくらいの方はカラフトから引き上げていらっしゃったんだなっていうことが分かりました。
ファッカラインの辺りでは、
石を投げればカラフト引上げ者に当たるっていう、 そういう例えがいいのかどうか分かりませんがね、
たくさんいらっしゃってですね、今日もいろいろお話ししているうちに、実はっていう話で、 カラフトから引き上げてきたという方とお話をしました。
若い人たちはね、全然カラフトについての印象はないんですけどね。 実は高齢の人たちの中にはかなりの確率でカラフトからの引き上げ者の人が混じっているということです。
カラフトからの引き上げ者が大量にファッカラインの街に定着したことにより、
ファッカライン市はファッカラインの街からファッカライン市に市政志向をしたというふうにも言われていまして、
それだけ大きなインパクトが、 終戦時のカラフトからの引き上げということについてのファッカラインに対してそういう影響があったということも分かっています。
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はい、あと何かあったっけ? とにかく様々な印象を今回残しました。
この間、前回の配信の時に、一号をエベツのですね、北越植民社か、北越植民社の人たちの足跡を辿った時にお話もしましたし、
決してそんなに非常に目立った形で出てきているわけではないのですけれども、確実に新潟の人たちの足跡を探せば出てきて、実は線が繋がっているんだなというようなことも分かるようになっています。
はい、というわけで、なるべく新潟の人たちにも繋げながらお話ししていこうと思っていましたが、今日はここまでにしたいと思います。
また、今朝、8時台に移動していることが多くて、なかなか配信できていないんですけれども、
明日もチェックアウトです。ちょっとバタバタしているかな。できれば明日も何らか配信したいと思います。
はい、ありがとうございました。