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おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日は連休が終わりまして、今日から平常運転に皆さん入る方が多いかなと思います。
私も今日から普通に大学での仕事がスタートしますけど、
大人になっても連休明けというのは、なかなかスタートエンジンかからないような感じがあります。
例年と違って、去年、今年とほとんどお出かけしないで過ごしていたので、
体力は温存されているような気がします。
今日は、おととい新潟市の美術館に行った時に、
新潟島ヒストリアという、これは誰が作っているのかな。
西大旗朝日町文化施設協議会という、
偉人池の会という方が作った、新潟島に関するパンフレットをもらってきたので、
そこでバンダイバシのことも書いてあったので、
これは新潟市で小学校を通った人とかは勉強するのかなと思いますけど、
私も知らないことが結構あったりして、
それではお話ししたいと思います。
はちさん、おはようございます。
今日はバンダイバシの話をしたいと思います。
佐渡の話もいろいろまだネタがあるんですけど、
また今度お話ししたいと思います。
今日は新潟市の話です。
バンダイバシですけど、
重要文化財になっている、
国の重要文化財に指定されている橋で、
非常に新潟市のシンボルみたいな存在なんですが、
これは現在3代目の橋だそうで、
新潟においてなったことは分かると思いますが、
新潟島という川向こう側と新潟駅側の間をつなぐ橋としては非常に重要というか、
大河ですので、
大河の河口付近の人の往来を保障しているものですので、
非常に橋というのは重要なんですね、新潟市の場合ですね。
新潟駅の近くにバンダイバシ東詰めという東を詰めるって書いてあるモニュメントがあって、
なんだろうこれと思っていたんですが、
だいぶバンダイバシから離れているので、
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よく意味が分かっていなくて、
そしてまたそれはあまり深く追求していなかったんですが、
昨日いただいてきた新潟島のパンフレットを見て意味が分かりました。
短くなったんですね。
ここに今いただいてきたパンフレットを見ると、
初代バンダイバシができたのは1886年、明治19年で、
これが後に火事にあって、またかけかえになってもう一度1909年、明治42年に作られて、
それが昭和4年、1929年まで使われていたということです。
続々と皆さんおはようございます、どうもありがとうございます。
ということで2代目までバンダイバシがあったんですが、
この頃までバンダイバシは782mあったんですが、
現在の橋は3分の1とどこかに書いてありました。
短くなっているんですよね。
これは何でかという話なんですけど、
初代の橋は最初個人所有の有料橋だったっていう、
お金払ってたんです。
今みたいに橋がたぶんいっぱいあった時代ではないので、
たぶんバンダイバシに頼ってみんな生活してるんだけど、
川を渡って川向こうに渡ろうとすると、いくら払ってたんでしょうね。
お金払ってたということですね。
これいくらだったかっていうのはまたお話ししたいと思いますが、
初代の橋があって、これは個人所有の橋だったんだけど、
個人所有でお金を取っている状態だとうまくないというか、
みんなの橋にしないとまずいよねということで、
買い上げたんですかね。
お金持ち、そうなんですよ。
お金持ち確か、ちょっと忘れました。
お金持ちです。
新聞社の社長さんが作ろうとして、
今の北越大使の経営者の方がポンとお金を貸してくれたみたいな話。
新潟日報がまだない頃です。
新潟日報ができる前ですか、新潟新聞とかそういうのだったと思いますが、
でも前進ですよね。
新聞社の社長さんが橋を架けるみたいなことを言って、
それで作ったというような話だったと思います。
これまたね、今度確認してお話ししますけど。
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という橋って、それを民間のものだったものを買い上げして、
みんなが渡れる無料の橋にしたんですが、
それは後に舵にあって、もう一回架け直してというような話だったと思います。
今日は短くなった話をしたいんですけど、
短くなって3分の1だったと思います。
短くなっちゃったことにより、もう一回架け替えるのかな。
たぶん2台目の橋を残したまま、その横にもう一本架けたのかな。
だったような気がしますが、もう一本架けて、それが今の万代橋になっているということですね。
で、なんで短くなったかというと、これ知らなかったです。
他の話でもどこかで、蒸気船の話の時にちょっとしましたけど、
川の流れがですね、大きく変わったんですよね。
これはいつかというとですね、横須分水なんですよね。
横須分水が作られて、そして川の流れが変わりまして、水量が減っちゃうんですよ。
結果、河口部分の品の側もぐーっと水量が減っちゃって、川幅も狭くなるんですよ。
それで橋を架け替えるということになって、できるのが今の万代橋ということだそうですね。
万代太鼓って八さんが書いてくださってますけど、万代太鼓はどのタイミングかわからないですね。
万代太鼓。でもこの橋ができてからでしょうね。
この橋ができてから、昭和4年にできてからかなでしょうね。きっとね、おかしがね、だろうと思います。
というわけで、現在の橋は当初の幅の3分の1だったと思いますが、本当に短くなり、現在に至るということになります。
その短くなった橋は橋として、過去の橋の一部が柱として立っているのが東爪ですね。
流作場御砂路っていう、新潟市の方はわかるんですけど、流れる作る場所って書いてある流作場っていう地名があって、そこのところに柱のようなものが立っていますよね。
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そこが橋の多分起点だったということだったと思いますね。
で、その他の橋の2台目の橋に使われた部分については、万代橋クロッシングといって、いまいち活用されていない万代の地下道ですね。
新潟ってあんまり地下道の商店街とかはね、発達してないんですけど、
万代の通りの地下道が一箇所あってですね、そこに展示されているものが少しありますよね。
ということで、それがわずかに万代橋が長い橋だった頃の痕跡を残しているということなんですよね。
で、現在に至ると、その後どうなっていたかというと、川に沈んでいた部分、流作場ごさるまでのですね、今でいうとバンダイシティとかメディアシップとかですね、
今の新潟市のバンダイシティの中心部の部分がおそらく川にもともと沈んでいたということですよね。
で、なのでその部分が後に要するに新たに陸にあったので、そこを民間に売り払って、そしてそれをどうしたって言ったか。
でもとにかくそこに新たな商業地が出来上がって、それを売り払ってそこに新たな街が出来ていったというのが今のバンダイシティというようなことになるようですね。
はい、ハッチさんがオーコーズ分水修学旅行で行きました。
オーコーズ分水もね、オーコーズ分水もあれですよね、私もあれで行きましたけど、オイラン道中とかやってるときに行きましたけど、あそこもなかなか面白いですよね。
要するに相当な県の予算の何割つったかな、それぐらいの予算規模でものすごい国会予算を投入してやった工事ですよね。
あれの話もまたいずれしたいと思います。
はい、皆さん今日はたくさん来ていただきありがとうございました。
今日はですね、川と海の間に浮かぶ島という新潟島に関する冊子をいただいてきてですね、そしたらそこにバンダイバシの長さが短くなったという話があって、
ひょっとしたらこれ新潟市内の小学生はみんな勉強するみたいな話かもしれないんですけど、ちょっと私はね、よそ者なのでそこは知らなかったので、
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改めてバンダイバシが短くなったと、昭和4年にできたときに長さが短くなりましたよという話をしました。
ここね、他にも北前舟とかですね、税関長所、県政記念館とか、お屋敷とか、花街とかですね、花町とか、いろいろ書かれていて、
まあまあ新潟市内にお住まいの方はね、よく知ってるっていうか、存在としてはみんなよく知ってるものですけど、
これもいちいちね、あんまり深く追求したことがないもので、また少し勉強してみてお話したいと思います。
はい、では今日もまた連休明け皆さん一日元気にお過ごしください。
はい、じゃあ配信を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。