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2021-06-18 14:59

一戸信哉の新潟のへラジオ LIVE Vol.44 2つの白根と中ノ口川


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はい、みなさんおはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日はですね、しばらくぶりなんですけど、だいぶ間が空いてしまいましたが、
いろいろ調査をしたりして、ネタはたまってきてまして、
なかなかやっぱり大学が動いている間は定期的に配信できなくて、つらいところなんですけど、
今日はですね、白根の話題をもう一回持ってきました。
画像は中野口川、白根の街中で撮ってきたものなんですが、
先週ですね、先週の金曜日、だからもう一週間前ですね、
一週間前に学生たちが白根の方に取材に行っていたので、
私も後から追いかけて一緒にいろいろ見てきたので、そのお話をしようかと思います。
一度、ゴル24で蒸気船交通と大洪水分水というお話をした中で、
白根の話を少ししていますが、それの実地調査というか撮影みたいな感じになっています。
先週行った時には、工事の関係者の方がいらっしゃるなと思って、
後で聞いたら、ガードレールを元に戻しているという話で初めて知ったんですが、
白根大凧合戦、今回無観客でやったのかな?やったんですよ、今年ね。
それでやったんだけど、やる時に、川の堤防の上のところの道路ですよね。
そこの道路を使ってやるんですけどね、大凧合戦。
その時に、毎年ガードレールを外すんだそうです。
それ知らなかった。確かにね。
大凧合戦をやっている時に見に行くと、川の道沿いは何もガードレールとかなくて、
そのまま車がゴロンと落ちてしまいそうだなと思っていたんですけど、
実はそういうことなんですね。
というので、ガードレールを一旦外したガードレールを元に戻していたということだそうです。
で、今回行ってみたら、ちょっと遅れて行ったらですね、
学生たちがいろんな人を紹介してもらっていて、
ちょうど行ったところで、いわゆる街歩きガイドみたいなのをやっていらっしゃる方を
学生が紹介してもらったタイミングで、
そのお話を聞きましょうかみたいなタイミングだったので、
いろいろ話を伺うことができました。
皆さんどうでしょうね。
もちろん南区関係者の方はまたちょっと違うと思うんですけど、
私自身の印象としては、
白根あるいは南区というのは、
国道沿いにたくさんお店が並んでいて、
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白根という独自の街があるというのはもちろん知っているんですけど、
ただ国道沿いのロードサイドのお店というのは、
大きくて綺麗なチェーン店みたいなのがいっぱい並んでいるわけですよね。
だけどあまり白根独特の文化みたいなものは、
ロードサイドではあまり感じられなくて、
いわゆる郊外の街みたいな感じで見えていたんですけど、
ちょっと中に入ってみて、
たぶん大田工合戦を見に行った時にちょっと見ていたんだと思いますけど、
商店街がかなり寒酸としている状況とかも見ることになりました。
これは白根だけの問題ではないと思うんですけどね。
ただ、加速化が進んでいる白根の街中には、
川に密接にくっついた形でできていたということで、
川というのは中野口川という川ですけど、
中野口川と生活が密接に結びついていたということが、
行ってみてよく分かりました。
この間、川蒸気という船の交通の話をして、
その後、鉄道ができてという話もしたと思いますね。
関谷とか、一時期白山まで行っていたんですか。
という鉄道が1999年だったと思いますが、それまであったわけですけど、
この鉄道の話をすると、一応に白根の人の反応が微妙で、
そんなに乗ってなかったみたいなことを一応でも言う人が多いわけですよね。
あれは白根じゃなくてという話で、どういうことなのかなと思ったんですけど、
実は白根と言っても、白根駅と言っていた駅は、現在は南区ですけど、
旧白根市の白根ではなくて、西白根というところだって言うんですね。
よくわからないんですけど、さらに西白根というのはどういうことなのかということが、
今回言ってわかりましたが、
タコ合戦の対岸側ですね。
対岸側はもともと味方村ですかね。味方村という味、味方って書いてあるのかな。
味方村の側に、味方村の白根というところがあったんです。
だからそれは、白根市の白根と味方村の白根というのが、川を挟んで両側にあって、
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両方白根と言ってたんだそうですね。
それが味方村と白根と合併している時に、
味方の側の白根の方が、ある種譲った形で西白根という名前になったということなんですって。
だから白根は白根でも違う白根。
違う白根のところに、電鉄の白根の液というのがあったという経緯が、ようやく意味が私もわかりまして、理解したところです。
というわけで2つ白根があったと。
この2つの白根の間に、不月橋という橋が架かっていて、
いろんなことが言われました。
不月橋という橋は、要するに歩いて渡る橋で、
万代橋の時にちょっと出てましたけど、橋渡るの有料みたいなね。
船で川を対岸に渡ってた時の名残なんだと思うんですけどね。
ここでも有料という話が出てましたが、途中から無料化するというので、
不月橋という、富月と書いて不月橋というのが、白根と味方川の間を繋いでいたと。
多分それは電鉄を利用して移動している人は、その橋を使って移動するという風になっていたんだと思います。
ただ、この橋は水害で流されてしまうのかな。流されるのか損傷を受けるのか。
というわけで、ここで要するに川の治水の問題が出てきて、
川の堤防を高く上げていくわけですよ。
結果、その橋は掛け替えということになり、不月橋という橋の名前は今も残っているんですけど、
もともとあった場所にはないという状態のようですね。
今回取材に伺った中で、学生たちが訪ねていったところで、六太郎食堂というのがあって、
六太郎食堂というのは不月橋が掛かっていたところにあるんだそうで、
六太郎食堂とその隣に三原市屋という、いかにも三原市が良さそうな旅館がありまして、
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ここのところに橋が掛かっていて、
足方側の橋を渡るところに、足方側との間を行ったり来たりすると、
橋のところに町の中心部が形成されていた。
そこが入り口になって商店街に入っていくという感じになっているんだということが分かりました。
なんですけど、三原市屋のところの橋は定房を上げていく中でもなくなってしまっているということで、
でも後に車が通れない橋を作っていまして、それがたこみ橋という橋になっています。
ガイドしてくださった方の説明では、たこみ橋のところに行くと、
大田甲合戦の両側の声が聞こえるので、両サイドで声を掛け合っている様子がよく分かるんだよみたいな、
そういう説明を受けまして、なかなか車通れないので、
地元の人は結構歩いているみたいですけど、
車で通っていると気がつかない場所にあるということになります。
三原市屋とか六太郎食堂とかのあたりは、みんな傘上げをして水害に備えていくんですけど、
何回か水害があったみたいなんですが、この辺のあたりのいろんな展示ですね。
先ほどの街歩きガイドしているグループの皆さんが、
いろんな城根の地域であったことについて、
昔の写真なんかを展示しているボードがいろんなところに貼られているんですけど、
六太郎食堂のあたりに貼ってあったのは米田原事件というのがあって、
昭和36年の水害では、川が決壊しそうになって、
それで備蓄してある米田原を倉庫から出してきて、
それを積み上げて水を止めたという出来事があったんだそうで、
米田原事件として語り継がれていると。
語り継がれているけれども、今そこに展示してあるということは、
みんなもうだいぶ忘れられつつあるということなんだと思いますけどね。
というので、この川との戦いというのが、
城根の歴史の大きな部分を占めているし、
当然その水運の中で発達した街でもあるということが非常によくわかるところなんですね。
最後に一つ、その川に引っ張り付くような形で商店街が形成されているんですけど、
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川のところにかさ上げしていくと、高い壁みたいなのができちゃうわけですよね。
そうすると商店街の人たちがそこへ出入りするのが非常にしづらいということで、
川のところにへばりついて立っているお店から川の方に出ていきやすいように階段がついているんですよね。
階段が結構急な階段なんですけど、
各家庭のところに階段がついていて、街屋なんで結構細長いわけですよね。
細長い街屋の裏側のところから階段を登って川のところに出られるようになっていて、
それもみんなで共有とかじゃなくて、各家庭ごとに1個ずつ階段があるということがわかりました。
なんでできていたのかはよくわからないですけど、
ガイドさんがおっしゃるには、おそらく定房を作っていく時の予算の一部で、
川のところに出ていく利便性が失われるわけですからね。
その部分の保証みたいなもので、各家庭に川の方に出ていくための階段がつけられたのではないか。
多分それは推測だと思うんですが、そういうことをおっしゃっていました。
しかも街屋の裏側から出ていく階段というのが、
真ん中につぎ足したみたいになっているんですよ。
真ん中に階段の踊り場というか、ちょっと区切られたところがあって、
もう一回上に上がるみたいな形になって、一休みできて良さそうなんです。
結構急な階段なので一休みできて良さそうなんですが、
一休みの目的で作られたのではなくて、
おそらくは、2段階に分けて川を低坊高くしていったということではないかと伺いました。
というような話で、実はこれ今学生が取材をしていて、
この白根の川というか交通の話を何か作品にするというつもりで、
いろいろ取材をしていますので、またまとまってきたらまた新しい話題。
今度またもう一度取材に行くと言っていましたので、
また新しいことが分かったら話題として取り上げたいと思います。
今朝も聞いていただき、どうもありがとうございました。
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