震災当日の記憶
下れない非常階段 簡易版
このポッドキャストは、オドリバのボイスログです。
起こった出来事を、ただただ脱線しながらお話いたします。
時刻は、2026年3月11日です。
ご機嫌いかがでしょうか。
3月11日
東日本大震災から15年経ちました。
会社の方では、震災が発生した時間に合わせて、黙祷をさせていただきました。
毎年、黙祷をしながら、あんなことがあったな、こんなことがあったな、と思いながら、東の方を向いて、目を瞑って、亡くなった方たちに哀悼の意を表する日なんですけど。
岩手県に住んでおりまして、沿岸の方ではなくて内陸の方に住んでまして、15年前も、仕事をしている時に地震が発生いたしまして、みんな一斉に外の方に逃げました。
外の方に逃げても、揺れの方はまったく収まる気配はなくてですね。
ずっと揺れてるなーっていう感じでした。
外に集まって、ちゃんと整列してね、避難訓練をやったように整列して、情報を待ってた覚えがありますね。
ラジオからはニュースが流れてて、津波が来る津波が来ると放送していたのを覚えてます。
揺れも収まったんですけども、停電になってしまったので仕事にならないということで、みんな帰るようにということで帰りました。
停電になっているので信号は消えてます。
田舎なので帰るまでに信号が2個ぐらいしかないので、車に注意して帰りました。
家に帰るとお袋がいて、食器棚からは食器が全部落下して片付け終わったところで、
家の被害はそれくらいだったような気がします。
タンスも倒れてましたが、引っかかって中途半端な倒れ方でした。
大変なことになったと思ってコンビニに走ってペットボトルの水、
でもここでいっぱい買ってしまうのも申し訳ないなということで、1本だけ買って帰りました。
飲み水は出ませんでしたけども、田舎なので山の水というのがございまして、水は止まることはありませんでした。
あまり飲むには適さない水なので、それは出っ放しでした。
親父と連絡がつかなかったんですが、みんな家に勢ぞろいだったので家族は無事でした。
停電になっているので暖房器具が使えません。
テレビもつきません。電気もつきません。
電気がなくても使えるストーブがあったので、ダルマストーブを出して暖を取りました。
親父が会社から発電機を持ってきて、発電機を回したので、
あたりは真っ暗ですが、私の家だけ電気がついていました。
携帯電話、まだスマホはないです。
携帯電話を充電して、テレビもつけました。
ただ、ケーブルテレビも停電しているので、地上波は映りませんでした。
つないでいなかった簡易式のBSのアンテナを無理やりテレビにつけて角度調整したら、NHKのBSが映りました。
ニュースの時間、津波の映像が延々と流れていました。
宮城県の名取の映像が今でも目に焼き付いています。
津波に追われる車、逃げる車、あの人たちはどうなってしまったのか。
ガスはプロパンガスなので、リセットボタンを押したら使えました。
調理もできました。ガス釜だったのでご飯も炊けました。
停電によって冷凍庫のものが溶け出しました。それを食べてしばらくしのぎました。
夜、また揺れるかもしれない。みんなそのままの格好で寝ました。
枕元には逃げれるように靴も置きました。
停電はしていましたが、ラジオはありました。
ラジオをつけると地元の放送局がずっと沿岸のニュースを言っていました。
都会のラジオ、TBSさんですね。帰れない帰宅難民の人たちのことをお話ししていました。
あの時ラジオから流れたビートルズのミスター・ムーンライト。今でも聞くとあの時を思い出します。
震災後の生活と情報
次の日、会社に行きました。ガソリンは少ししかありません。
会社に行っても停電で何もできない。すぐに帰りました。
ガソリンを入れて帰ろうと思いました。
停電なのでガソリン屋も閉まっています。
まっすぐ帰りました。
食料を調達にスーパーに行きました。
停電なので店も外での対応でした。
一人ずつ、何人かで店に入ってそこに並べてあるものを買う状態でした。
何から何まで変えたわけではありませんでした。
電池を買った覚えがあります。
何日かして、次の日だったかな?
次の日もダメか。次の次の日。
停電が復旧しました。
近所のガソリンスタンドに渋滞が発生しました。
とりあえずガソリンを入れなければならない。
情報を探してガソリンを入れにまた並びました。
ガソリンがもったいないので、エンジンを止めながらガソリンを入れるのを待っていました。
エンジンを切ったまま、坂道でエンジンを止めました。
ニュートラルにしたら進むかなと思って、エンジンを止めたままニュートラルにしました。
めちゃめちゃハンドル重いのな。
パワーステ、エンジン止めるとめちゃめちゃハンドル重いの。
危なく事故りそうになりました。
ガソリンは10リッターしか入れられませんでした。みんな10リッターでした。
ガソリンが減るので自転車を買いました。
自転車で買い物にまで行くようになりました。
国道を自転車で走ると、車が全然走ってませんでした。
あんなにいつも走ってる。全然車が走ってません。
調子こいて国道の真ん中を走りました。
人探しと記憶の継承
近所の幼馴染が、お姉ちゃんと連絡がつかない。
沿岸に住むお姉ちゃんと連絡がつかないというので、SNSを駆使しました。
当時ミmixiに人探しの方を書きました。
あれほど見つけられなかった友人のお姉さんを見つかりました。
無事に連絡がつくようになりました。
SNSすげえなと思いました。
ボランティアもしました。
ものすごい量の服が内陸の体育館に送られてきたのを分別しました。
ゴミみたいな服から高級なブランド品まで。
ものすごい量の衣類が送られてきました。
あれから15年………………娘も入ってきました。
当時のことを末っ子は覚えていない。
15年前。3歳ですね。
こうやって震災を知らない世代が増えてきます。
こういうことがあったんだよというのは、風化していくものだと思います。
忘れては、いや忘れられないですね。忘れられないです。
また1年間、きっとみんな震災のことを忘れてしまう人もいるんでしょうけど、
また1年後、今度は来年16年目、またその時に地震の時を思い出すんだろうなと思います。
ちょっとまとまらなかったですけど。
つらつらと15年前のことを思い出してお話してみました。
くだらない非常階段、オドリバでした。
またお会いしましょう。
See you next time. Bye bye.