1. 西日本新聞ゆるり政治考
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2026-03-10 41:31

51|東日本大震災から15年、あのとき首相官邸は

日本の国政の中心地・永田町で日々取材をする西日本新聞東京支社報道部の記者たちが、本音をぽろりして、政治を身近に感じてもらえるように、ゆるりとニュース解説や裏話をする番組です。

東日本大震災から15年。当時、東京報道部で首相官邸を担当していた相本康一支社長があのときを振り返ります。「悪夢」と後に批判された民主党政権の対応を見つめ直します。いつものようにゆるりしつつ、脱線もしつつ…。

◆出演:久保田かおり(MC/東京支社報道部デスク)、岩谷瞬(東京報道部記者/官邸キャップ)、小川勝也(東京報道部記者/自民党担当キャップ)/坂本公司(東京報道部記者/首相官邸担当)/ゲスト=相本康一(東京支社長)/音声編集:中富一史(販売部)

※相本支社長の経歴の中で「北京支局長」とお伝えしましたが、「中国総局長」の誤りでした。

◆収録日:2026年3月6日

◆東京支社報道部
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◆西日本新聞me(7日間無料)
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◆収録スタジオ「N-Studio TENJIN」(福岡市)
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#西日本新聞 #西日本新聞me #西日本新聞ポッドキャスト #西ポキャ #西日本新聞東京報道部 #政治 #首相官邸 #永田町

サマリー

このエピソードでは、東日本大震災から15年という節目に、当時首相官邸を担当していた西日本新聞東京支社長の相本康一氏をゲストに迎え、民主党政権下の震災対応を振り返ります。相本氏は、地震発生時の官邸での状況や、記者たちが泊まり込みで取材に当たった過酷な日々を語ります。特に、官房長官として連日会見に臨んだ枝野幸男氏の奮闘ぶりや、「エダノネロ」という言葉が生まれた背景についても触れられます。また、原発事故という未曽有の事態への対応が、当時の政府にとって二重の困難であったこと、そして「安全神話」が機能不全を招いた可能性についても考察します。番組後半では、民主党政権の対応が「悪夢」と批判されたことに対し、当時の状況の複雑さと、政権交代後の政治体制の課題についても議論が及びます。ジャーナリズムの役割や、国民が政治に関心を持ち続けることの重要性についても言及され、15年という時間の流れと、未だ続く課題が浮き彫りにされました。

番組紹介とゲスト紹介
西日本新聞ポッドキャスト 皆さんこんにちは西日本新聞ゆるり政治考この番組では日々長田町で取材をしている
西日本新聞東京報道部の記者が本音をポロリして政治を少しでも身近に感じられるようなニュース解説 そして裏話をゆるっとしております
収録日は今日3月の6日であってますね。前回ちょっと日付すら間違えたということで失礼しました 引き続き特別国会最中の長田町から元気にお届けしています
今日はですねニャンと放送50回突破記念ということで そうなの?
今日は実は51回っていう刻んでるんですけど 突破記念ということでそこそこのゲストを呼びました
そこそこです。残念ながら政治家ではないんですけれども 政治家をよく知る人ということで我らが西日本新聞東京支社の相本浩一支社長ですよ
よろしくお願いします。ありがとうございます。手前みそかんね。ありがとうございます。一部役員ということなんですね
失効役員ということでそこそこ偉い。微妙な偉さがあると。ということで相本さんどうぞよろしくお願いします
今回企画してくれたのはレギュラーメンバーの自民党担当キャップ小川勝也さんと 今自民党から微妙に足場をスライドして首相官邸担当の坂本浩二さん
よろしくお願いします。四郎です。司会はデスクの久保隆織が務めます。なぜそこそこゲストの相本さんをお呼びしたかというと
簡単に皆さん知らないと思いますんでとか言ってて、ひょっとしたら署名記事とかで読んでいただいている方もいらっしゃるかと思いますが
ざっくり経歴で言うと本社社会部が長くて東京支社報道部で官邸キャップなども務められた
その後に北京市局長も歴任されて本社で何度目かのまた社会部をやったりデジタル部門をやったり
いろいろ経験を踏まえて社会部長的なポストも務めた後に昨年夏から東京、昨年夏でしたっけ
そうです。昨年夏から東京支社長にご出世されたと。ありがとうございます。
ありがとうございます。私も昔から大変お世話になっております。
新人時代から知ってますからね。
そうですね。お世話してました。
私がお世話した。
そうでしたっけ。
これ誰も求めてないのでサクサクいきましょう。
東日本大震災発生と官邸の混乱
この収録が放送しているのが放送されるのがおそらく3月10日ということで翌日はもう忘れもしない。
3月11日15年前を振り返ると東日本大震災が発生したあの日という節目になります。
当時相本さんは東京報道部におられて我々上川さんとか同じ立場で一線で取材をする立場だったと。
というわけで今日はいささか真面目にテーマを東日本大震災から15年ということで
当時は民主党政権だったんですけど危機管理をちょっと当時を振り返りながら考えたいなという真面目なテーマ設定をさせていただきました。
素晴らしいと思います。
ありがとうございます。ではよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
進行はどっち?
具体的な質問を考えて少しざっくりした進行を考えていただいたのは
私が。
坂本さんが具体的に聞いてもらいましょう。
坂本から聞きさせていただきます。
2011年3月11日、15年前でございますね。
当時相本さんはどういったお仕事を東京でされてて、まさにその3月11日どんな感じだったかちょっと伺ってもらえますか。
2時46分。
当時は私は報道部の記者で官邸キャップをしていました。
政治のグループのキャップを。
大丈夫です。みなさん分かっています。
それで地震があった時は首相官邸の地下ですかね。
記者クラブに。
記者クラブに。
近くのトイレにいまして。
すぐあれですね。記者クラブを出て、出るか入るかすぐ右手か左手か。
そうですね。
近場と同じ建物ですよね。
同じ造り。
地上から言うと1階になる。
1階になる。
僕らが入る時は3階だったんです。
そのトイレにいて、まさに強い揺れを感じて、急いでまず記者クラブに戻ったんです。
そしたらテレビで、ちょうどその時は通常国会の最中で。
そういう季節ですよね。
当時の総理大臣は菅直人さん。
国会審議中だったんです。
国会審議はそこで止まってですね。
これはもうただごとではない。
揺れだと。
それぐらいの揺れだと。
これはもうすぐ審議は中断になって。
災害対応しなきゃいけない。
ということで総理以下の出席者はみんな引き上げて。
官邸に戻ってきたということです。
そこから永田町も霞ヶ関も大混乱になりますよね。
そうですね。
連日我々は、私は福岡でその時いたんですけど、皆さんもそれぞれの所得先にいたと思うんですけど。
福岡では期間になってない。
その若さアピール。
覚えてます。
そこから現地の中継家、官邸の中継家がずっとテレビで流れるような、
一般の番組も全部飛んで、
日本全体が震災のこと、これが一体どこまで被害が、まだ全然わからない状況でしたよね。
なので災害対応で政府はもう完全に普段と違う形になりまして、
私たち記者も泊まり込みになりまして、
あ、泊まったんですか。
官邸に泊まりましたね。
記者会見場の床で私少し寝た記憶がある。
会見場の官房長官が朝夕会見する、あの。
夜中とかね。
つまり随時記者会見。
主に枝野幸男さんが当時官房長官だったんですけど、
もちろん菅直人総理も会見をしましたし、
様々な政府の発信が当然ありますよ。
それで私たちは泊まり込みで、
覚えてるのは数日間家に帰れなかったですね、私もね。
数日後に家に帰ったら、マンションに帰ったらですね、
これはもうどうでもいい話ですけど、
もう冷蔵庫の中の物は全部出てるし、
本棚は倒れて、全部出てるし。
藍本さんは当時都内に居住だったんですよね。
都内に住んでました。
もうテレビはポキッて折れてるしね。
あれが折れてるか全く分かりませんが。
柱がポキッと折れて、
部屋の真ん中になぜか移動して、
まあぐちゃぐちゃでした。
どんなテレビかちょっと気になります。
まあいいや。
とりあえず家の中もめちゃくちゃ、
寝るぐらいの揺れ出さ。
要はその福島第一原発が、
これは翌日だったと思うんですけれども、
1号の建屋が吹き飛ぶっていうのがありまして、
これはちょっと深刻な時代になってきたので、
人が流れましたね。
3日後に計画停電も始まりましたので、
いつも華やかな銀座のネオンも全部ピタンと消えて、
コンビニエンスストアはですね、
電気全部消して、
営業してたんですか。
ものもなくなりましたし、
まあそういう、もちろん東北の被災地に比べたら、
比べようもないんですけれども、
東京もそれなりの非日常的な人並みが、
しばらくは続いたということでしたね。
じゃあ官邸クラブも、
官邸クラブも全国から、
あるいはNHKさんとか民放、
それから我々のような地方全国市、
何市も加盟している、
さっき言ってた官邸クラブ、
あそこもかなり人の出入りとか、
日常じゃなかったわけですよね。
大混乱。何が起きているのかわからない。
普段のもう何倍もの記者が出入りして、
しかも特に原発の事故が深刻化してからが、
いつ記者会見があるかわからない。
夜中とか未明に記者会見がある。
急遽、今から5分後にあります的な世界なので、
ローテーションでしばらく止まって、
張り込む形にして、でしたね。
普段の平常時でしたら、
大体当時も変わらないと思うんですけど、
会見通告っていうのは、
大体1時間前ぐらいにはないと、
こっちはテレビ局側も準備ですとか、
我々もカメラマンや記者の準備があるので、
そういういろんな取り決めをしながら、
きちんと取材対応が可能な時間を
お互い探ったりもするんですけど、
そういう事態でもないってことですもんね。
政府側もいち早く情報を発信したりし、
記者側も当然それは当たり前だということで、
それを伝えられる体制を、
おっしゃる通りです。
各々作られてたと。
原発事故の深刻化と情報発信の難しさ
だから我々側も大変だったんですけど、
当時トレンド入りしたようなネットで、
ありましたよね、原発事故の進展というか、
深刻化に応じて。
僕は当時記者になったばっかりで、
福岡県内の市局にいたんですけど、
九州は皆さんご存知の通り、
そんなに大きな被害はほとんどなかったので、
テレビで見てるだけだったわけですけど、
テレビに一番よく出てきてたのは、
当時官房長官だった枝野由紀夫さんでしたね。
枝野由紀夫さんが、
それこそ深夜であれ未明であれ、
会見をしていろいろ、
原発の状況を発信されてるって言ってた記憶が非常にあります。
その時に、
インターネット上でトレンドになった言葉が、
覚えてらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんけど、
エダノネロという言葉が流行ったというか、
そんなことになりました。
相本さんは当時、
枝野さんの顔をずっと見てたというか、
取材してたと思うんですけれど、
当時会見しながら、
当時の様子を思い出して、
どんなことを考えていらっしゃったかって。
いや、
エダノネロという言葉がトレンドになったのは、
誠に頷けるというか、
私たち記者も、
この枝野長官はいつ寝てるんだ?
というふうに思うぐらいの、
過酷な状況でしたね。
ご存知の通り、官房長官というのは、
官邸、政府の中枢で、
様々な情報が官房長官のところに来て、
裁く役割ですよね。
なおかつ、
国民に発信すると、
わかりやすく説明しないといけないという役割が。
スポンクスマンという、
2つの大きな役割がありますね。
そういう仕事なので、
例えばアメリカのホワイトハウスの、
報道館というのがいますよね。
記者会見でいつもする、トランプさんこうですよ、という。
あの人は別に閣僚でもなんでもないわけですよ。
だけど、日本の官房長官というのは、
同じスポンクスマンでも、
ちゃんとした閣僚で、
極めて権限が重たい人。
ナンバー数ですからね。
閣僚の中でも。
喋っていいですか?
いや、様々な大きな災害があって、
それぞれ深刻なわけですけれども、
特に東日本大震災というのは、
特徴があって、
かなり広範囲に渡って、
津波、地震と、
津波による被害が広範囲に渡ったというのが1つ。
もう1つ、これが極めて特異的なのが、
福島第一原発事故。
つまり、地震と津波による被災者の支援、
まず命を助ける、
そして生活を立て直すという仕事と、
同時に原発をどう食い止めるかというね。
事故の深刻化をいかに食い止めるか、
原発がある福島の皆さんの避難をどうするのかとか、
そういったことの仕事があるわけですよ。
つまり、2トラックで審査会議を。
同時並行で2つにするんですね。
それを、その元締めを官房長官が1人でやると、
なかなか厳しい状況だったろうなと。
そうですね。日本の災害史でも例がないわけですよね。
おっしゃる通りだと。
阪神大震災でしたら、幸いなことに原発は関係はなかったですし、
我々の九州のエリアでいうと、
熊本自身も前代未聞の震度7が2回という悲惨なのでしたけども、
幸い原発は絡まなかったという不幸中の幸いでしたけども、
東日本の特徴はこの原発と被災と地震の被害という2つが、
しかもどちらもものすごく重たいもの。
強烈な被害でしたからね。
なので江田野さんは当時比較的若い年齢で官房長官をされていました。
普段から縦いったに水の面接でされていましたけど、
さすがにこれはもうくたびれてるなという感じは時々受けていました。
これは何日かとか記憶はちょっと定かじゃありませんけれども、
戦国ヨシトさんってわかりますか?
民主党のベテランの政治家で、江田野さんの前の官房長官ですよね。
彼はいろいろ国会で発言をめぐって問題になったりとかして、
選革の時の対応でも批判を上げましたよね。
問責に決議案を出されたりして、
結局その内閣改造で官房長官を去ってるんですよね。
その戦国ヨシトさんを菅直人さんが呼び戻すんです。
その震災の対応ですか。
官房副長官に任命して、官房長官だった人を外して、
戦国ヨシトさんをわざわざ呼んできて、官房副長官をやってくれる。
前代未聞ですよね。官房長官だった人を。
官房長官を補佐する副長官に持ってくると。
まさにそれは枝野さんをサポートしないと矢をいかんというか。
おっしゃる通りです。
周辺取材で聞いたのは、枝野を少しでも少し。
負担軽減ということですね。
軽くしてやらないといけないということで、異例の人事なんだけど、
ここは国家存亡の危機でもあるし、
戦国さんも矢もやりますということで入ったと。
戦国ヨシトさんが津波被災地を中心とした、
避難者、被災者の生活支援、建て直しみたいなところを事実上戦国さんがやって、
枝野さんが原発も含めた避難計画、福島の話だとか計画定理とか、
そこもようやく分かり分担をやったというふうに当時は聞いてました。
これどこまで正確か分かりませんけど。
官房長官なんで。
最後はおそらく枝野さんなんでしょうけど、
そのよく言う前さばきというか、役所からの情報収集とか、
いろんなことをひょっとしたら整理されてたのかもしれないですね。
枝野さんで言えば原発系で、やっぱり直ちに影響ないという言い方が、
かなり九州から聞いてても伝わりづらいというか、
直ちに言って何?
でもいつかこんな建屋があれしてて、その後2号機3号機、いろんな、
そこを確かにパニックにさせない、首都圏までも避難される方とかも当時いらっしゃったり、
やっぱり日本全体をどうにか崩壊させないために、
今分かっていることを冷静に務めていようとしたのが、
多分直ちに影響ありませんというワーディングだったと思うんですけど、
ちょっとあれはやっぱり個人的に失敗だったんじゃないかなと、
もっと言い方とか科学的に術はなかったのかなとは思うんですけど。
あとでちょっと話になると思うんですけど、
原発事故がどうなるのかっていうのがちょっと見えない時期がしばらく続いたので、
直ちにという言葉もね、その時点ではそういうのが最も、
かろうじて誠実に、間違いのない日本語の意味として間違いのない意味で伝えようとされたのかもしれないですね。
非常に感情的になることもなく、さすがだなと当時は思いましたけど、
ちゃんと説明されようとはしてました。
だけどそう受け取る方もやっぱりいらっしゃいましたしね。
やっぱり災害時の情報発信っていうのは極めて難しいことですよね。
政府内の機能不全と異例の人事
今に通ずるところは、やっぱりさっきのエダのネロもそうですけど、
ネットが日常になった時の災害だったので、結局新聞、我々テレビが伝えることと、
ネットの中の方たちがそれをどう受け取るかと、ネットの一時情報みたいなところの。
波紋の引っかかり方みたいのがやっぱり早かったんですよね。
違って、誠実に政府としては言おうとしたんだけども、
え、それ嘘じゃねえみたいなね、そんなわけねえじゃんみたいな。
ネットの中で率直な意見がブワッと増幅して、
政府が隠してるんじゃないかとか、党で守ってんじゃないかとか。
やっぱりそういうふうに見えちゃった部分が、
それが原発神話みたいなところにもつながるのかもしれないんですけども。
あれですよ。
当時、政府内で想定されていた最悪のシナリオというのがありましたね。
これはリアルタイムではなくて、後に判明されるやつ。
これは原子力委員会の幹部が、総理から依頼をされて、
シミュレーションをしたやつですね。
このまま原発が収束しなければ、数千万単位で避難をしなければならない。
それは東京も含めてである。
つまり首都圏にも人が住めなくなるという可能性がありました。
それは日本という国そのものが極めて危うくなる。
そういう危機の一歩手前まで行ったんだということなんですよ。
さっき熊本さんがおっしゃったように、当時外国の大使館がいっぱい東京にありますけれども、
大使館はもう皆さん国外に戻ったり、大阪とか西日本に移したりという動きがありましたし、
いろんな企業も拠点を関西に移したりだとか、そういう動きがありましたね。
そうやって普通に個人でも移住される方が当時いたぐらい、どうなるんだろうかということが見えていなかった。
そういう厳しい状況ではありましたね。
我々九州にもね、避難される方、自主避難という形で結構おられて、
たぶん取材されましたよね。
九州とか沖縄とかね、結構ちょっと流行った。
南へ南へ逃げられる。
当時まだ3月ですごく東北は厳しい寒さだったので、温かさを求めてってこともあられたのかなとは思うんですけど、
なかなか緊迫の。他に何か江田野さんの会見で、
大本さんが今でも覚えているフレーズだとか、何かこういうことあったなとか、何かあります?
江田野さんの会見がどのものという以上のよりは、
例えばですね、これは有名な話ですけど、朝5時頃ですかね、
菅直人さんが東電に乗り込むというんで、今から東電に行くと。
その前に総理官邸でエントランスでぶら下がりをやりますと。
確か5時ぐらいだったと思うんですけど、
私泊まり込んでたんで、たまたま私がそのぶら下がりに行ったような記憶があるんです。
時間間違ってたらごめんなさい。
だけどそういう菅さんも尋常ならざる顔をされていましたしね。
政府全体がそれはとても日常ではない感じでしたね。
なので私もその後被災地に福島とか沿岸とかですね、
取材に行きましたんで、現地の被災状況みたいなものは国民には覚えてますけども、
同時に災害直後の政府の機能がどんなことになるのかっていうね、
これやっぱり強烈に体験しましたんで、いろいろ思うところがありましたね。
菅さんはあれですよね、東電と日常的にも危機管理センターとかで、
おそらく官邸にあったやつとテレビ会議でかなりやってたのは、
当時よく映像でも見ましたけど、
シンプルに業を癒したってことだったんですか、東電の対応の遅さというか。
あのですね、当時菅尚人さんのすぐそばにずっといた人、
愛学新聞という人に私翌年取材してるんです。
記事されましたね。
記事しました。連載記事を書いたんですけれども、
その人は国民に当時のことをノートに記してるんですよね。
それも見せてもらって、差し支えないところを写真に。
それでいろいろ証言を聞いてたんですけれども、
あのあれですよ、なんて言うんでしょう。
官邸は情報過疎地になりかけてたんです。
東京電力の幹部、原子力保安院の幹部、原子力安全委員会の幹部、
日本の原子力発電、原子力行政に関わるトップクラスの人が、
官邸で総理のそばに詰めているわけなんですけれども、
情報がうまく総理のもとに届かないっていうことがあって、
先ほど最初に言いましたけど、1号機が縦が吹き飛んだ。
12日ですかね、1日明けてですけれども、
その時もテレビを見てみんな呆然としてたと。
爆発はないと原子力安全委員会のトップは繰り返し、官さんに断言してたのに爆発したと。
爆発しないって言ったじゃないですかと、官さんが言ったんだけど、
原子力安全委員会のトップは前の部に頭を抱えて動かなくなってしまったというような場面が、
かなりあったらしいんです。
これ阪神大震災の時に村山富一さんが当時の総理大臣です。
彼のところに阪神地域で大きな震災が起きたっていうのは、
政府に伝わって連絡が来ずに、朝、テレビで知ってるんですね。
ラジオだったかなどっちか。
それを教訓にだいぶ支線として、
どう集約管理をちゃんとしようということでやってはいるんだけれども、
今回の特に原発事故に関しては、非常にうまく当初機能していなかった。
それは証言を聞いていてもよくわかるんです。
なので、これは坂本さんが聞きたかったのかもしれないけど、
民主党政権は悪夢だという。
震災対応失敗したねと。
これ自民党政権だったらもっとうまくやってたよねっていう声がありますよね。
要するに自民党の安倍晋三さんが政権を奪還した後に、
槍玉にあげるということですね。
やったことないくせに。
私はそこもちょっとイライラしてますずっと。
これは結局のところ、私は自民党政権であっても同じように苦労したと思います。
確かに民主党政権っていうのは、私3年間ずっと取材しましたけれども、
自民党と違って初めて政権を勝って政権交代を成し遂げて、政権を動かすと。
優秀な政治家たくさんいるんですけど、政策を作る面では。
ただ大きな政府を動かす術を知らない人が多くて、まあまあ苦労して。
言うならば自民党がプロとするとややアマチュア的な政権運営がどうしてもあったと。
なのでなかなかいろんなことがうまくいかなかったっていうことはあるんです。
あるんですけれども、この震災対応、特に原発事故対応がアマチュアだからできなかった。
カンナオトさんだからできなかったっていうのは、やや短絡的というか迷っている。
結局本質は、そんな大きな原発事故は起きないのであるという、それがいわゆる安全神話ですね。
原子力安全神話。
これ、証言を聞いた取材した監査のそばにいた人が言ってるんですけど、
安全神話っていうのは、このプレイヤーたちが、原子力に関わるトッププレイヤーたちが、
安全神話を本当に信じてたんだと。
そんな事故が起きるはずがない。
なので事故が本当に進展し始めたら、投資者能力を失っちゃう。
ない前提でずっとやってきてるわけですからね。
カンナオトさんは大学で少し原子力を稼いでいたこともあるもんだから、ますます物足りなくなっちゃって。
俺が行くと。
そういうことなんですよね。
なるほど。
乗り込んだ時は、東京電力が現地から撤退するという話があって、
これは実は東電側と少し見解の相違が後に言われています。
真相がよくわからないんですけれども、ただ私が取材した証言者も含めて、政府にはそういうふうに伝わっているというので、
これはいかんというのでカンナオトさんが乗り込んだ。
ヘリで現地に。
そうですね。あの映像も。
上から見ている写真が残ってますね。
だから総理がそんなことを細かいところまでやるのかというのは、
組織のリーダーシップ論としては当然あるべき指摘だと思いますが、
カンさんが何もわからずにやったというよりは、
カンさんを支えるべき原子力に関わる様々なプレイヤーたちの投資者能力がやや。
そこが機能不全になっていたからということですね。
機能不全になりかけていたので、もう出ていったという方がむしろ真相に近いのではないかというのが、
私の取材した印象ではありますね。
なるほど。
民主党政権への批判と政治体制の課題
思い出しましたけど、その時によく想定外という言葉がすごい出てきました。
それもトレンド。
トレンドみたいな。
流行がありましたっけ。ごめんなさい、ちょっと記憶が悪いですけど。
非常にそれも聞いたら当時を思い出すような。
そうですよね。
象徴的に出てきますよね。
やっぱり原子力村の中で原発政策をずっと、それを作ってきたのは自民党政権ですからね。
その通りです。
その原発事故が起きないという前提、こんな高い津波は押し寄せないということで、あそこに原発を作ったわけで。
だからそこを今、安倍晋三第二次安倍晋三政権も選挙の度に悪夢のような3年3ヶ月ということを繰り返して、
それを民主党の駄目さを強調することで、自民党への信任に変えたっていうのは、ずるいなという気が、私はずっとしてましたので。
そこからまた、今は民主党政権を、坂本さんが詳しいですけど、民主党もなくなり、立憲民主党になり。
そうですね。ちょうど2月の選挙では、本人も思うところでしたけど、枝野さんも落選してしまいましたし。
かつての民主党政権の中心人物だった人が、ほぼほぼいなくなってしまったということで、この15年という期間の、時間の流れも改めて感じるし。
今の特に若い世代の人は、民主党政権がうまくいかなかったということから、むしろその物心がスタートしているような人が多いんですね。
首相といえば安倍さんというような若い人は、もう多いですもんね。
2009年の政権交代が起きた衆院選は、私、やっぱりカンテキャップだったので取材しているんですけれども、その前の自民党政権は、言葉は悪いですけど、ボロボロだったんです。
小泉さんの後、安倍さん、第一次安倍さんの政権、それから福田康生さんになり、一年ごとに総理が変わってですね。
事務所費問題と言われる政治と金の問題だとか、消えた年金記録の問題だとか、多くの国民有権者の方々が、自民党にこのまま任せておいて、大丈夫かなという統治能力的に言うようなことでした。
なので2009年に民主党に期待が詰まって、政権交代できたんですけども。
さっきも言ったように、なかなかアマチュアリズムというか、それとガバナンスですよね。
そうですね、ガバナンス。
いろいろ政策を併せ込みながら、最後はまとめるみたいな、決めないといけないみたいなところなんですけど、民主党の政治家の方々はそういう経験が薄いので。
我が我が、俺が俺が、みたいになって足を引っ張り合ってしまいますね。
与党と野党で何が違うか。
昔。
そこまで行く?
ここまで行く。
気持ちよさそうだから。
どうぞ。
与党と野党の違い。
野党としては経験があったけど、与党としても民主党としては経験がないってことも同じですね。
与党は団体戦、野球と一緒であると。監督がいると。コーチがいると。で、エースなりオーダーがあると。監督がサイン出して、いちいちそのサインないよって言わないですよね。これが与党の振る舞いであると。
野党は個人プレーの競技。野球じゃなくて。自分が目立たないといけない。じゃないと目立たないから。政府を追求したり、政策を提案したりする意味でも自分が目立たないといけない。その違いがあるんだけど。
与党に入った民主党がそういう野党の個人プレーのようなことをそのままやってたようなところがあって、うまくいかなかったなっていうことを当時政治家に聞いたんですけど、脱線しましたね。
脱線した。回収してあります、ちゃんと。でもそういう個人プレー主義っていうのは、もうその中道、今は中道改革連合になる。その前の立憲民主党、州で言えば。でも通ずるものがあって、結局トップになった人を支えられない。ちゃんと支えられない。
で、派閥ではないんだけどもグループがあって、そこがごちゃごちゃしてたりして。我慢しきれないっていうのは感じますね。あとはこれまでも何度も分裂病というか、すぐ意向が自分の思い通りにならなかったら分派しちゃうみたいなところで、政治的なエネルギーを勝手に自分たちで消耗しているなっていうふうに思うんですよね。
だからそこがまとまりながら苦労しながらでも数として影響力を保ち続けることを最優先としてきた自民党との最大の違いかなと自民党褒めてるわけじゃないんですけど。で、その数の中でのおごりや緩みがあって、やっと野党に風が吹いて私は威力拡大するんだけど、そこでもう一歩突き抜けれない。政策で独自性を出せないとか。
というのは当時から変わってないのかなというふうにちょっと思っちゃいますね。
脱線ついて30秒話すと。
30秒ね。きっちり30秒。
つまり首都政権が苦労しながらももう少し続いていれば、続いていればここも経験詰めるわけですよ。
与党政権。
与党政権、政権与党の経験をね。
そしてまたその有権者の支持がなかなかね、支持を受けられなくなったらまた自民党が戻って、その時は経験豊富なまた野党が出来上がるわけですから、個人プレーじゃなくて。
まとまって。
同じ野球の試合ができるような与党になって政権交代ができるのが理想。
いわゆる二大政党制ですよね。民主党がずっと夢見てきたという。
それがね、なかなかそういう状況に日本の政治はなっていないなという。
ならないままその他とかしちゃって、結局自民党を立してるという。
良くないと言っちゃっていいのかわかりませんが、その混沌としたような状況がね続いてしまうと。
なんかちょっと真面目に。
いやだいぶ政治体制論にまで。
まで行って。
そうですね。
リスナーからのメッセージとエンディング
元々震災だったときに。
相本さんね話長いんですけど。
いやいやすいません。
テレビコメンテーターとしても。
すいません。
経験豊富です。
申し訳ありません。
じゃあそこそこのゲスト。
これは実は前編ということで、後編もありますから皆さんお楽しみに。
じゃあ前編はこれぐらいでよろしいでしょうか。
いいですか?危機管理の大事なところって大体伝わりましたよね。
伝わりました。
相本さんの苦労も少し理解した気がしますので。
ありがとうございました。
それではエンディングです。
長時間お付き合いくださりありがとうございました。
我々西日本新聞東京報道部と一緒に長田町の成長をウォッチしたいという方は、
ぜひとも西日本新聞またはスマホアプリ西日本新聞民のご購読をお願いします。
概要欄にリンクを貼っています。
番組へのメッセージをお寄せください。
紹介されました方から抽選で毎月3名の方に移動販売のお豆腐屋さん、
東吉郎の900円分ギフト券をプレゼントしております。
ここ何回か言ってた効果があったのか、実は番組に心温まるメッセージをいただきまして。
素晴らしい。
最後に少しご紹介しますね。
ラジオネーム東京のカリノさんという方です。
東京の方が一地方紙のポッドキャストを聞いてくださるというだけでカリノです。
胸アツなんですけれども少し読みします。
日々取材活動を行っている皆様目線のお話を楽しく聞かせていただきました。
素敵なコンテンツをありがとうございます。
ただこれだけ野党全体が苦境に立ち、高市総理が実態以上に世間から評価されているように見えることは、
メディアの政権への監視、中ぽつ、批判機能が正しく働かず、
適切な民意形成が行えていないことも大きな原因だと考えています。
丸カッコでもちろんこれは記者の単独の問題ではありません。
記者というのはあなたの新聞ということですね。
テレビネットまで含めた大きな問題です。
丸カッコを閉じると。
どうかこんな時代だからしょうがない。
永田町や自民党があれだからしょうがない。
国民がバカだからしょうがないみたいな考えで済まさず、
どうか皆さんお一人お一人も風見取りになるだけではなく、
どうしたら社会や政治が良くなるのかという模索を続けていただきたいと考えます。
結びに私は西日本在住じゃないのですが、記者にはジャーナリズムがまだ生きていると感じて、
Xをフォローさせていただいております。
全然がないなみたいな。
難いですね。
共同部が号泣ということですいません。
今ほぼ全文を紹介させていただきました。
ありがとうございました。
もちろんこのような応援メッセージだけではなく、
いやあなたたち違うだろうというご批判とかご意見、
あるいはもっとこうしろとかいうご提案もお待ちしておりますので、
これから我々も皆さんの飛沫をしに、
でも少し役立てるように一層頑張っていきたいと心を新たにした次第です。
もう桜が咲くというような時期にもなりましたので、
先ほどの東日本大震災の話じゃないですけれども、
やっぱり平穏でお花見ができるような日常が続けばなと思いつつ、
今日はこの辺でお別れにしたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
41:31

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