言語化と子どもの権利
あれですね、言語化の呪縛って言ってたのは、
あのー、子どもの権利の授業行ってきたんですよ、PTAでね、コホでね。
ほんとですか?
あのー、やってることはなんかこう、皆さんは皆さんで幸せになる権利があるんですよ、みたいな話をしてくれてるんですけど、
その中で国際、国連だったかな、子どもの権利の基準が、子どもの権利が定められて、それに日本が批准しましたし、どうのこうのってやつ。
まあ、ちらっとだけ紹介されて、ちなみにこれは英語で言うと、Respect for Children's Opinion じゃなくて、
Children's View なんですよ、って説明をしてくれて、
ああ、そうなんだ、と思ったのが結構一番、私の中では、学び、私のための学びじゃないけどさ、子どもの授業をただ取りに行っただけだから、私の中で気づきが起きて、
ビュー、言葉に、オピニオンってもうなんかこう、私は高齢に賛成です、反対です、みたいな意見をはっきりしたイメージが、私の中ではあったんですけど、
ビューってもうちょっとなんか、こんな風に見えてるんだよなー、ぐらいの感覚。
で、ああ、そうか、そういう、それは言葉にできないから、子どもの方が、英語化はできないから、
子どもの視点、子どもからの見え方っていうのは大事にするんですよって意味なのかって思って、
と思ったんですけど、広げて大人どうかって言うと、オピニオン求めてくるじゃないですか。
オピニオンね。
それは、なんか、どうなのかなって思い始めた感じなんですよね。
意見の表現と職場の文化
どうでしょう?
オピニオン。
オピニオン?
そうだ。
アラボーナのリンゴプロセスですら、意見を求めるじゃないですか。
ね、そうですね。
意見結構難しいよねって思うっていう。
意見ね。あ、意見、オピニオン、意見。
でもアラボーナって意見は、でも意思がない?
意思は、思ってる人が意思決定するっていうのは合意なんですけど、意見がある人は意見も言っていいよって書いてあるじゃないですか。
言ってる。
意見になる前の段階の、なんかちょっと納得いってないんだけど、みたいなのは言えないんですよね。
そうね。確かにそこはなんか、排除してる感じがする。
言葉にならないものは取り入れませんっていう線引き?
そうね。
してるなぁと思って。
そうですよね。
仕事とかしてると言葉にならないものはもう全く受け付けてもらえないですね。
ないものとして扱われるじゃない?
でもそこに仕方あるのに言葉にならない。
仕方あるし、絶対これこのまま言っちゃまずいみたいなところはわかるのに、
このまま言っちゃまずいって言ったらダメだよなと思って言わない。
まずいだけだと聞いてもらえない。ちゃんと論拠を言えないと聞いてもらえない。
その論拠も相手の言語レベルで納得するぐらいはっきりしないと聞いてもらえないし、
なんなら逆に罵倒されるっていう。
確かに。
ことを考えたら黙ってた方がいいなみたいな感じで黙ってるときも結構ある。
そうですね。言えない言葉にできないっていうのもあなたの能力不足ですっていう。
そうそうそう。
気持ち悪くなってる気がして、私が悪いんですねっていう。
そう、これが今後さらに促進していくぞって感じがしてて。
AIのプロンプと書きなさいなんてまさにそれじゃないじゃないですか。
本当ですよね。
AIにわかるように書かないのがいけないんですみたいな。
え?いいの?それでっていう。
本当ですよね。でもそっか。
なんか結構私こう、なんとなくいい感じの文章にしてとか言っちゃいますけど。
しますよね。実はだからAIはさ、返してくれてる。
返してくれる。そうね、ちゃんと聞き入れてくれる。
聞き入れてくれてる。プロンプとも今AIに作ってって言ってるかな。
言語さえ全部してくれてるんですけど。
そっか。AIはしてくれる。人間はしてくれない。
AIはしてくれるけどなんだろうな。
人間、もっと的確に一発でAIに伝える文章を書ける方が能力的に上であるっていう文化も多分出てくるような気がしてて。
出てくる、出てくる、出てくる。
法律とコミュニケーションの難しさ
そうするとさらに自分たちのふわふわっとした感情はもう言わないっていう文化になってくるんだろうな。
なってくる。うわ、言えないふわふわがたまっていく。
ねー、いいのこれでーと思ってたっていうのが。
そうですよね。
勤めてる会社が海外の駐在員向けの
海外におけるリーダーシップとかマネジメントとかについてレクチャーする
e-learningのトーカーだったりとか研修を提供してるんです。
で、だからそのグローバルなんとか力みたいな。
セミナーではそのグローバルマネジメント力が学べますみたいな感じで
その授業のセミナーの企画とかをしてるんですけど
何がセミナーで聞けるかっていうところをきちんとお伝えできるような
に考えるんですけど
セミナー来てくださる方はその研修を導入することを検討してる
人事の方だったり海外事業部の方なので
今人事だったり海外、人事系の人って何が気になるワードなのかなと思って
HRプロってあるじゃないですか、サイトのトレンドワードを見に行ったら
言語化とか人事の言語化とか
スキルベース組織とか
やっぱそのなんかね、人的資本経営的な流れから
スキルの定義化みたいなところが関心になってるようで
スキルが動かされていくと
かなり線引きが進むと思って
加速を私もしかしたらちょっと担ってしまったかと思ったタイミングが
言語化の呪縛を書いたときの気持ちでした
流れとしてはそうなのよ、可視化とか言語化とか
ちょっと怖って思ってますけどね
元々結構古い研究からあるじゃないですか
コミュニケーションで捉えられる情報の
7割は非言語であるみたいなやつ
だっていう結論は出てるのに
言語だけの世界に押し込めようとしてる感じ
そうですね
もっとたくさん情報量もいろんなものも生み出してるので
全部シャットアウトして言語に行くんだなっていう
怖さを感じております
ねー
ほんとだー
言語だー
言語化
これはなんで奈良ちゃんと話したかったかというと
これが私最多のものが法律だと思うんですよ
あー確かに
言語にしなきゃいけなかったってことでしょっていう
ルールとして書かなきゃいけない
それこそルールが本当に言葉で書いてあるから
せめて図にしてくれよってくらい
たまにわかりにくい法律もたくさんあるんだけど
なんで図式ダメなんだよと思うんだけど
フローチャートとかいいですよね
そうそうフローチャートしてくれよこの順にこれをしたらこうじゃなくて
条件分岐で書きゃいいじゃねーかってやつもあるじゃないですか
それもあるんだけど別に図にするって意味ではなくて
ただルールとして言語にするっていうのにつながってるなと思って
なんで法律つくんなきゃダメなのかしら
人類って思って
私が法学部行きたいって思った理由が大きく実は2つあり
1個目は前回語ったこれまでの歴史の集大成としての
日本国憲法の三大原則っていう
感動だったりするのに人類の集大成だと思って
圧倒したからもっと学びたいみたいな
続々感が1個なんですけど
もう1個は白黒をはっきりしたいみたいな
みたいな気持ち
白黒はっきりさせるのに
法律が全部きっとはっきりさせてくれるみたいな
思い
全然フラットに聞いていただければいいんですけど
私の両親が10年ぐらい離婚するか否かみたいな
離婚するか否かで10年間あらせたんですよ
白黒が全くうまくはっきりできない
それは離婚していいけど
そこに粘る父親
彼は別に離婚とかじゃなく
非婚姻を分担したくないからなんですけど
でもなんかはっきりしないみたいな10年間あって
これでもはっきり本当にできないのか
みたいなことを自分の目で確かめたく
学びに行ったみたいなところもあるんですけど
そしたらやっぱり民法の世界はかなり
はっきりできないみたいなことが分かって
やっぱちょっと
刑法ははっきりしてないと危ないから
民法はどっちかわいそうかな
こっちかな
公にやっておりなんだよそれって思ったっていう
入って面白かった反面
やっぱはっきりしないと裏切られたみたいな
言葉でしっかりしてるけど
でも読んでみると確かになんか抽象的
権利の乱用とか
確かに確かに
それは反例が積み重ねてくれるんですけど
ここまではOKみたいなのが
今回ここまでいったみたいなのを積み重ねてくださるんですが
あんだけめちゃめちゃ頑張って言葉にしても
曖昧な世界なのねと思った
感はあります
曖昧としてその場の判断ができるような文言にしたっていう感覚もありますよね
そう
白黒させたいよく
そうじゃないと社会が安定しない
同じ一人の人間として
両方に過ごすのに
やっぱり一律のルールを課したいから
白黒さはっきりさせたりよく
ずっと悩んでるのが結構辛い
ずっと悩んでるのが辛いから誰かにすがるみたいな
それを神ではなく法に求めたって感じ
曖昧なものを曖昧に残せないやつかもしれない
そうか
宗教は曖昧で残してくれますよね
どっちかっていうと
結論でも
仏教とかは違うけど
神を信じればみたいな
神を信じれば
神の発言も結構曖昧だなみたいな
そうね
どっちとも取れるよなこれみたいな発言が多いっていうのは
白黒はっきりは柔軟性がなさすぎると思っちゃうんですよね私は
多分
そうね
業界としてセキュリティの業界にいたから
絶対未知なことが起こるんですよ
新たなやり手が来るんですよ
なるほど
だから最初から全部これで塞げますみたいな
これで止められますみたいなことは
絶対言えないし
言うなという教育も受けてくるっていうか
セキュリティが100点ですなんてことは絶対ないみたいな
ことを
受けていて
最初からこうしますああします計画みたいなのが
まあ絶対崩れるよねみたいな感覚でいる
無理無理みたいな
最初の計画立てたところで絶対守れないからみたいな感覚が
システム開発してるところもあるんでしょうね
段階的にものが見えてくるからさ
言語化のリスク
ものづくりってみたいな感覚があるから
ルールで言語化するとか
絶対違反者出てくるからな
ルールの穴ついてくるやつ絶対いるからなとか思いながら
いるんでしょうねきっと
ルール化する方がハイリスクって思ってる
ルールをハッキリ書きすぎる方がハイリスクって思ってる
民法とかで例えば離婚の話とかで
離婚するときは両者の負担は1対1ですみたいなことを
ハッキリ書いちゃうと絶対ケースバイケースじゃんみたいなやつが
出てくるっていうのが
そのすべてのケースを人間が先に予測して
全部ルール化するのは無理って思ってるっていう
無理って思いながら書いてますよね
正しい法律ができます
運用ってどうなるのかなみたいなガイドラインだったりとか
パブリックコメント見るとケースバイケースみたいな
逃げてると思って
おーおーおーみたいなスコアなんかちょっと
ぼやっとしてたりとか
ハッキリさせませんよって書いてるんですよね
できなかったみたいな
できなかったじゃなくていやーだって未知のケースは起きるからっていう
そうですね
未来予測はできないからっていう話だと思って
そうですよね
いろんな人いる
なのにね
なのにただ何の話したんだっけ
言語化の話したんだっけ
そう言語化の呪縛
言語化の呪縛
だからハッキリさせませんよって書いて
今まで人類が多少余白を持たせていたのに
これからどんどんさらに具体化してくるような気もする
教育と共感
言語化のレベルを上げてくるような気がしますけどね世界が
今までケースバイケースですって言ってたのもケースの例を
AIが上げてくれちゃいそうな気がして
本当に上げてくれますもんねこの例出してって言ったら
なんか追い詰められますね
なんかもっときっちりそのね直線にしか歩けなくなっていく感覚
本当だなんかあの教科書通りの学校教育
じゃなく探究学習とか
みたいな方向感あるじゃないですか
そっちの方が生きる力がついてくる
興味のあることを自分で失敗させながら学んでいくというか
そこと言語化の話は被る
言語化教科時代の突入と
わからないものにわからないまま飛び込んでいく世界観
探究学習はまだあれじゃないですか
分かりにいってるから
分かりにいっている
その曖昧なところに飛び込んで整理整頓しようとしてるんだろうなっていう感じは
あるから曖昧なものは曖昧なままでは残していない気がしますね
なるほどそっか明確に明確さに進む方向の
その方向感が一緒
古き科学みたいなすべては人間が理解できて整理整頓できるはずだみたいな
おー奢ってますな
探究学習にそこまでのことは考えてないと思うんですけど
それを小学生でやられちゃったら困るんですけど
探究っていう手段自体は整理しに行ってるから
むしろ言語化に明確にしに行ってるから
その曖昧さを寛容にするとはちょっと違う気がする
そうか
曖昧なのを曖昧なままにしておこうとかは
どっちかというと学級界とかそっちの方ですよ
学級界?
決まんないなとか
あるある
誰かが100%納得はありえないんだなっていう
あるある
集団意思決定系ですね
集団行動系は曖昧なものを曖昧なままにしてる気がする
白黒はっきりさせないようにしている流れがありますね
納得する人もいれば納得しない人もいるよねみたいな指導が起きてるし
道徳とかもそうじゃないですか
相手の気持ちも考えようみたいな感じの
あるある
道徳もそうだとしたら国語もそうでしょ
日本の国語って基本感想文の世界だから
ここでヒッシャーはどんなことを思っていたでしょう
4択って意外とめっちゃ難しいみたいな
どっちもありえんだろうみたいな回答しか出てこない
何?
日本のわりかし教育は昔から一人一人がいろんなことを考えるよね
を大事にしてきてる
聞きました
エフォーグウィークリーだ
先週の
作文
日記の宿題
日記か
日記ね
作文もそうですけど読書感想文とか
読書感想文はイジでも譲らなかったらしいですよ
なんでなんだろう
そうなんだ
明治時代に作ってそこから戦後教育でもっとはっきりした教育にしようと
それをアメリカに対して残したっていう
読書感想文じゃなくて感想文か作文文か
あそこの文かへー
すごい外国人難しいらしいですけどね
ここについての感想を書けっていうアンケートとか
感想?みたいな感じになるらしいですよ
そうなんだ
真ん中ってシロクルつけらんないでしょ
何を思っても自由度をね
自由度
シロクルつけてるのは文法とか言葉遣いとか
漢字とかはそりゃ
これは違うよみたいなのもあるけど
テーマは自由よねっていう
ね
かなり一人一人を大事にする文化は
わりかし日本の方が伝統原なんだなと思っている
そうですよね
読書感想文の金賞銀賞は一切謎なんだよな
評価基準が
みんな一度は思ったことがある
なんでこれが金でこれが銀なのかよくわからんだろうな
読書をして
そこから何か抽象化
学び終えて
自分に
当てはめれたら
金賞なんだろうなって思ってた
そうらしい
当てはめて明日からこうしますみたいな
なんか
主人公はこうこうこういうところがある
私はこうこうこういうところがある
ここが違う
そこのギャップを埋めていくみたいな
こういった考え方もあるんだ
そういうことに生かそうと思いました
っていう構成
それできなかったんですよね
できなかったんですけどね
日本の気持ちとしてしか扱えなかったから
そこからそう読み取るのねみたいな
感じですけど
なるほど
相手の空気を読んで
共感して
自分の学びにしていくっていうのが
日本の国語教育なんですって書いてあって
そうか
文化の影響
空気を読むっていう文化は国語なんだなって思ったし
教育って
めっちゃ揺らされませんでした?
主人公の気持ちとか
登場人物の気持ち
筆者の気持ち系を
筆者の気持ちまでね
説明文で筆者の気持ちってなんやねんって思いながら
自信がしたいだけだわって
それはこんだけ訓練されたら空気読むわなと思った
本当ですね
すごい教育によって
恐ろしいぐらいずっと揺らされてますよ
その上だってできた人が点数上行くからさ
それ空気読むの?
読むよね
空気読むよ
大学入試ですら国語そうじゃないですか?
する
あれ絶対100点取れないっていう科目の一つですよね
どっちもありんじゃんみたいな回答にしかならないやつ
ツッコミ待ちかなみたいな
ボケてんのかみたいな
その後この問題がどうだったんだ議論とかで出てくるのも
どっちもどっちだけどなみたいな話を聞いて
日本の教育でできてるんだなと思います
怖いですね
ちょっと飛ぶんですけど
この1週間3回聞いた言葉があって
目の前に困った人がいたら助けたいじゃないですかって言われたんですよ
1週間3回も聞いたんですか?
別に現実的だけじゃなくて
NHKのアサドラを最近見てて
アンパン
アンパンでも流れたし昼に流れてるトト姉ちゃんも最近見てるんですけど
そこでもセリフ出てきて
主人公がね
目の前に困った人助けたいじゃないですかって出てきて
それで2回
プラス佐藤さんも言ってた
そういう感情は自然じゃん
別の話をしてたんですよ
なんだけど
このセリフ3回も聞くって思うぐらい
すごい叩き込まれてるんだなと思ったの
NHKの2回同じ日に聞いた時は
これはもう染み付けようとしてるなって思ったんですよ
してますね
目の前に困った人がいたら助けたいと思うという感情は自然である?みたいな
そうか
批判はしないよ
思うのもわかるし私も思うとは思うけど
余裕があれば助けたいですよ
ただこれが自然な感情なのか
いろいろな教育によってつけられた感情なのか
わかんなくなってきた
ちょっと疑い始めますね
空気を読むのも自然な態度ではなく
教育でつけられているスキル
道徳でも同じことやってた
困った友達を助けましょうやって
ルールを言語化していく話
ルールが法律になっていくみたいなことに
何も私違和感なく過ごしてきたなって
ここ1週間ぐらいそう思ってたんですけど
鍋屋に書き込んでいただいて思ったんですけど
幼稚園小学校がキリスト教系の
聖書があるの
聖書を毎日読む
そこに言葉で何か教えが書かれるみたいなことが
割とデフォルトになっていたのかもしれないと
その仮説はあるのだろうかみたいなことを
ふっと思い浮かんだことを思い出しました
確かに名文化する文化は西洋ですよね
西洋というか一神教文化ですよね
そうか西洋書もコーランもそうだわな
西洋じゃないか
一神教文化だ
中東もそうだ
別に何か教えというか
お話が書いてあるだけなので
法律っぽくはないんですけど
法律っぽくないですけど
あれもあそこから読み取れ感すごいですよね
読み取れ感すごいですね
本当に日本人得意な分野ですね
日本人があれを読むと
どっちもあれよりじゃんみたいなことを考えながら
いくんだけど
たぶん元からキリスト教の人たちは
あれプラス神社さんなのか
誰かからの教えで叩き込まれていくんでしょうね
正解を
どっちとも読めるけどなーみたいな
神様も結構心変わりするよね
みたいな感じのやつあるじゃないですか
それはそうやって読むんじゃないんです
こういうことなんですみたいなとこまで
セットでたぶん教えられてるんですよね
そうですね
今年の場合はあれですね
工学部だから
言語化の意義
工学部でシミュレーションとかやってる人だから
どのようなルールで人が動くかっていうのを
あえて明言化して書いてシミュレーションするんですよね
これを受け取ったらこれをリアクションする
みたいなことを一つ一つ書いていくから
名文化されていないルールも
たくさんあるっていう認識があるんですよね
そうですね
空気読みましょうなんて
あんだけ訓練されてるけど明文化はされてないじゃないですか
とか人が笑ったら笑い返すなのか
向こうは喜んでると判断するなのか
こういうのも別に明文化されてないけどやってる
だから結構明文化されずともやることはたくさんあるのに
あえて明文化するって何なんだってなりますね
OBライン的な
境界引きたい
そこを最低限やってくれ
ルールって最低限の約束をするために作ったのに
なんでビジネス上ではあんなに言語化言語化言うんだ
そうなんですよ最低限のルール
ワークショップとかやるときにグランドルール
とっても大事だと思うんですけど
とっても大事だと思う反面初めて見たとき
結構それわざわざ言うんだって思った
思った思った
そうでしょうって思ってしまい
こういうルールもあるなって今思い出しました
確かに
最低限じゃない
そのコミュニケーションを取りましょうみたいな
ワークショップするときによく
ダニエル・キムだったかな
モデル出して
思考の質っていうのは関係性の質に寄ってきて
みたいに出すんですけど
だから関係性の質を良くしなきゃいけないんですよ
っていうのをわざと言うんですけど
考えたらなんでいい大人に人と仲良くしなきゃいけないですよ
つってんだろうと思って
そうよね
それコミュニケーション仲良くやれやって思ったんですよ
なんでわざと仲良くすることはビジネス上大事ですみたいな
普通にさ人間なんだから仲良くしなさいよと思って
そうよね
仲良くしちゃダメな理由もないだろうと思ったんですよね
仲良くしちゃダメな空気があるんでしょうね
ビジネスに
仲良しこよしにならなくてもいいんですよ
みたいなことをよく言うんですよ
そうじゃなくて適切なコミュニケーションを取りましょう
みたいなことを言うんだけど
仲良しこよしでダメな理由もないけどなと思ったんですよね
なんで仲良しこよしダメなのって思って
癒着しろっていうのはダメですよ
癒着してさ判断おかしくならない
それはダメなんだけど
普通にコミュニケーション取ろうよっていうのが
そんなに言わなきゃダメ大人がって思って
そうね
社会人おかしくなってるなと思って
自分で何とか言って
自分で言ってるときは気づかなかったけど
人の言ってるのを聞いて
今更なんで仲良くなんなきゃいけない理由を話してるんだろう大人にさと思って
仲良くできないんですね
言われないと仲良くできないってこと?
仲良くなるのがいいこと
仲良くできないんじゃなくて
仲良くしていくことは大事ですって言われないと
相手が仲良くなりたいかどうかが分からない
グランドルールかどうかが分からない
仲良くならないのほうが基本形なのかな
どうなんですか
自分がなりたいなりたくないっていうと
別に仲良くしていけばいいじゃんって思ってるのかもしれないけど
相手が嫌がるかもしれないって思ってる
分かるかも
相手は仲良しこよしでルンルンやってるのを嫌うかもしれない
相手に思うってことは自分が思ってるってことですよねきっと
そうじゃない人もいる
自分が仲良くしたくない人もいる
目の前にいる人がそうとは限らないけど
今ちょうどその場に居合わせた人と仲良くしたくないって思われることもあるかなみたいな
不安があるからグランドルールつくじゃない
グランドルールでよくあるやつが
相手を尊重しましょう
聞きますね
尊重しない場なんてあるのかって思いますけどね
しろよって思いますしね
尊重しましょうじゃちょっと広すぎるのかな
話は最後まで聞きましょうぐらいまで言わないと
人の思惑にかなわないのかな
尊重って言葉も人によって捉え方それぞれだからね
尊重しましょうっていう人の
それが具体が話を最後まで聞きましょうみたいなことだったとしたら
話を最後まで聞きましょうって言っちゃうことが相手を尊重してない感がするから
相手を尊重しましょうになっちゃうのかな
話を最後まで聞くという行為は別に
必ずしも尊重とは限らないじゃないですか
そうね
ずっと長いのを話してて
5人チームがいるのに1人で全部使いやがったみたいなやつ
尊重してないねみんな
それはみんなで止めに行こうよっていう感じじゃないですか
具体行為言っちゃうと逆に不具合が起きるんだ
そうですねケースバイケースだから
ケースバイケースだから尊重にするんだ
尊重にするとかそうですよねその場にとって一番いい
そうそうそうケースバイケースで自分で判断しろって言ってるんだよね多分
それも結構当たり前の話ですね
当たり前だけどその当たり前結構ずれるから
全体のバランス見てその長い話を止めた人もいれば
最後まで聞かなかったって思う人もいるし
むず
むずいなと思う
尊重の一言ではグランドルールにはならんのではないかって思う私は
そうですねグランドルールと尊重って難しいかもな
話を最後まで聞きましょうはそうとも限らない時もあるみたいな感じもするしね難しいな
本当そうすれば何でそれわざわざ言ってるみたいなグランドルールになっちゃう
コミュニケーションのルール
じゃあみんなでグランドルール考えましょうってなっちゃったらすげー時間かかりますね
私みたいなやつが多分尊重ってどういう意味ですかとか言い出すから
そうね時間かかりますよね
本当に合意しようと思って本当にクリアにしようと思うとめっちゃ時間かかるんですよねきっと言語化って
うんかかるね
まあいけるかなぐらいでとどめて進めてるのが今の人間社会なはずで
言語化しちゃいけない部分も多量にあるんだろうなぁと思った今
そうね
なんかね実は今ちょっと不快でしたとか
言わんでいい時ありますもんね
それが続くなら別だけど1回会議のこととかで一瞬のことだったら
みたいな感じで飛ばす時とかある
全然飛ばせる
かといって繰り返し繰り返し自分にとってちょっと嫌な振る舞いをされてしまうと
いつ言い出すかって話もありますけどね
実は嫌でしたもん嫌ですもんね
嫌だねそう言ってほしかった
早く言ってくれればいいのにみたいなのがある
グランドルールかグランドルールでも決めます私確かに
ワークショップの時じゃなくて
チームビルディングとかワンオンの時
ワンオンとか後輩と自分とかだったら
厳しくやるのがいいのか
雑談だけでいいのかとか
のグランドルール決めてるわ毎回
ワンオンとかチームビルディング
このグランドルールはしっくりくるな
このチームではこれを大切にしましょうとかね
曖昧でもいいとか騒いでもいいとか
騒いでもいいじゃないなんていうのかな
簡単しokっていうのをしてるんですけど
いいっすね
わーとかあーとか
簡単しokいいっすねとかね
してるしてる
そういうグランドルールは作ってるから
あえて意識的に作ってるから
ワークショップで急にポンと与えられる
グランドルールをどう読むのかな
どう
でもあれもそうね言語化って意味だとそうか
私はグランドルール言語化してんなチームの時
でも簡単しokは全然言語化っていうか
その先のものが言語化されてないから
その先のものが言語化されてない
だからうちはビューokなの
オピニオンじゃなくて
ビューokですよね
それを結局みんなで合意して決めてるから
いいのかも
ワンオワンもどうする
実践的なアプローチ
じゃあこうする
どうしよっかみたいな
とりあえずお互い事前に何も準備しないでこよう
っていうルール作りました
あーいいっすねいいっすね
準備をしないっていうルール
俺も準備をしないも言語化排除されてる
そうそうそう事前にもうたこえないっていう
ルールに
ビューokなの
ビューokですね
ワークショップの言語
ワークショップのグランドルールは一方的に与えられるんですよね
だから講師側がこうやりたいっていう意図なんですよね
でもそこのストーリー語ってもらえると結構納得する
法律は私第1条の目的を見るのが面白いので
背景を読むと
なるほどいろいろ大変だったんですね
あたみえとしゃくぜれがあって
そっかそっかあの土砂の法律ができたんですね
みたいなのを見るのが面白いんですけど
それもなんかふわっとした
ふわっと与えられるあのグランドルール
講師がテンプレで使っちゃってるやつがダメってことですよね
ダメですね
講師が講師の思いでグランドルール作んないとダメなんだきっと
ダメなんですよ
今日はちょっと皆さん問答無用で
私はこういう場で行きたいんですっていう
シリーズですもんねグランドルール
そうその手で行く
当然意図的に作るんだけどなあれ
そこまでやってる講師いるかな
それ説明したらかなり雰囲気変わりますけどね
尊重って書きましたけど
例えばこういうケースの時にこうなってほしいんですよってことでしょ
それがちょっと言語として100%表現できてるか分かんないけど
尊重って言葉にしましたって言ってくれれば
そうそうそうなんか良いですよ
そしたら守ろうって思うもんな
守らない気はなかったけど守ろうって思うもんな
そうなんかその場を一緒に作りたいと思ってそのワークショップに参加してるから
一緒に作ろうって思えるかな
多分言語化されたものグランドルールに限らず言語化されたもの全てにおいてそれが言えるというか
説明を本来はあった方がいいんでしょうね
読書感想文の影響
もちろんワークショップの流れで今は仕掛けを隠しますけどってのあると思うんですけど
実はこうで仕掛けされますからね
ありますね
そうですね
読書感想文の思いをちゃんと先生に伝えてもらったらもうちょっと前向きに書けたかもしれない
どうしても義務として書いてたからな私も
宿題感がすごすぎて
とりあえず書いてこいみたいな3枚書いてこいみたいな感じ
宿題感と量として8文目まで埋めなきゃいけないっていう
何あれ
本等は強制されて読むものなのかみたいな
思いを語ってますから先生がこういうことを思って
この宿題を皆さんに渡しますって
空気の読み方を学ぶってことでしょ
そうやって与えられるとちょっと
他人の振り見て我が振り直せをしてるわけですよねきっと
結局は
他人の振り見て我が振り直せを経験していただきたいので読書感想文を出しますって言われたときのこの
どっか
大人になったからそうかって思うけど
それはいいのかしら
女が聞くとまあまあです子供がね
聞くと
そんな話で1時間経ってた
文化的背景の考察
いやー深いっすね
いろいろそんな
多分教育と
あ違う読書感想文
国語教育か国語教育と
目の前の人を助けなきゃいけない
すり込みかすり込みが
なんか面白かったです
あれゾクゾクしますよね
ゾクゾクします
あれですあの
論理的思考の文化的基盤化
っていう本で
各国の国語教育と各国の歴史教育を4カ国
比較した論文みたいなのがあって
あれ読んで最後が日本で
日本人が書いたんですけどね
あへー
めっちゃ高いです5000円する本だったから
すごいこうちょっと
買うまで勇気出してから買ってから読んで
勇気出して
で最後日本の本
どこ来た時に
あれもこれもこんな教育されてんだ私
って思ってゾクゾクしましたもん
あ私そう買ったんですよ
Kindleで
読んでないけど
日本の部分だけ読んでも面白いですよ
そこが
されてるされてる私こういう教育されてる
と思ってちょっと
他人中心
他人中心
他人中心というか他人の
をおもんばかる
ねー
そしてこれ日本だけだったんだ
っていうやつ
言いましたね
それもでもね
粘って日本人が残した
この文化の粘りは何だったんだ
っていうのが今わかんないですけどね
あそこ知りたいですね
そこ多分教育士とか
別の行かないといけないんでしょうけど
買えなかった後だけ買いに行って
それ知りたいな
ただの意地とかだったら面白いな
それだと確かにちょっと面白いな
実はただの意地でしたなぐらいで
面白い
ちょっとすいませんみたいな粘っちゃいましたみたいな
具体的な
残した人の人名まで書いてあって
そうか意地だった可能性
ありですよ
全部が買えられるなんて耐えられなくて
許せるかもしれないか
確かにそっか
それはそれに納得しちゃう
この国民性もすげーなと思うけど
多分私ちょっと好きになっちゃうもんね
ちょっとね
頑張ったねみたいな
分かった頑張って残すわちょっと
って思ってしまう
たてつけ変えようかなみたいな
そう
でもそう残すと思う
こんだけ意地を張られたら確かに
残しはするわ確かにね
と思って
引き継いできたっていうのに弱いのも
日本人らしいですからね
弱い弱い
私弱いわ
それはそうじゃないけど100年企業なんか
そんな残らんわなと思う
引き継いできた系を
消せない
ないね
そんな話でした
じゃあ
いい合宿にしてください
引き継ぐんですか法人
って思っちゃったんですけど
いやーちょっとさっき色々会計的な問題が
自分で見つけてしまってちょっとやべーと思い
ながら言いました
すみませんありがとうございます
じゃあまたぜひやりましょう
お願いします
はいじゃあ止めます
止めます