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西日本新聞ポッドキャスト。
西日本新聞スポーツ余聞、この番組は記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大久保翔一さんが、アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話しするポッドキャストです。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞MEの横山智則です。大久保さん、今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
スタジオにはもう一人、中富 和文さんです。どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日はどんなお話ですか。
今日は、昨年のオープンに驚きがありました。和田投手の引退ですね。和田投手についてお話しできればと思います。
和田投手といえば、イケメンさん。
プロ22年。
43歳で書いてますね。
個人的な話で言うと、大学時代ボールボールしてた時の唯一残ってた選手だったんですよ。
そこからまだ元気でいるってことが信じられないくらいなんですよ。
大学生の中富君が、20年前にお父さんになり、その間ずっと投げてたと。
入ってから、引退されるまでそんなに顔変わらないんですよね。
イケメンで若いし。
宮崎キャンプで引っ込みなさった後も、バレンタインのチョコレートをもらう数は一番でした。
ずっと一番とかだったんですよ。
和田投手っていうのは、体格が恵まれない中でも、投球も真っ直ぐで三振が取れるというピッチャーとして一時代築きまして、
1980年度生まれの松坂世代、この世代で国内で最後の現役選手という形になりました。
和田さんのほか、荒垣投手さんとか杉内さんとか。
懐かしいメンバーだね。
だいぶ前の方って感じですもんね。
そんな方と一緒だったのに、昨シーズンまで売れ済んだ。
それこそプロ野球の選手生命というか平均在籍期間って、ちょっと調べたら7,8年と言われる。
平均してそのぐらいですよね。
だから18歳で高校出てプロ野球選手になって、平均しても25歳までってことなんですよね。
高番をしてた時も選手の中でやっぱり一つの目標が10年一軍というかプレーヤーを続けるっていうのが目標ぐらい、やっぱり生き抜くのが難しい。
その多くの選手が目標とする10年の2倍以上ですね。
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すごいなあ。
本当にすごい。
本当すごいと思うんですけど。
どっちも大変だけど、バッターとピッチャーだったら、俺ピッチャーの方が大変じゃないかと勝手に思うんだけど、それは素人かね。
ピッチャーの方が寿命は長いと思うんですよね。
そうなんですね。バッターの方が難しい、長苦労は。
うまく配置を変えていければ、例えば先発で投げていくのが中継ぎや押さえとかの役割、ワンポイントになるとか、そういう生き方ができればですけど、先発1本でやってきたからで長くっていうのはなかなかすごいですよね。
そうですね。
だから和田投手の場合、スピードはそんなに出ないんですけど、回転とか動きとかでやっぱりカバーしてるから、それで補ってるような感じですね。
球が速く、とにかく急速以上に速く見えるピッチャー、とにかく球離れというか球が見えてくるのが遅いらしいですね。
フォームの形、多分それも研究なさったんだと思うんですけど、
フォームが、ボールが見える瞬間が他のピッチャーより遅いから、すごい近くからボールが来る感じになって振り遅れちゃうんです。
ただ三振があれだけ来れるという。
決してその球が速いピッチャーではない?
マックス140ちょっとですよ。
そうですね。
フォークスの、ドームは結構急速が速く出たりするので、ちょっと後半が出たりとかしますけど、150台とかではないですね。
今フォークスの山川選手が、今まで対戦したピッチャーで一番速いと感じたピッチャーは誰ですかって言った時に、和田投手らしいです。
へー、140キロ台でも。
だから体感、打席での体感がめちゃくちゃ速いんですよね。
そんな違うもんなんでしょうね。
だから本当に、体格からしたらですね、そんなにプロ野球の世界でいけばそんなに恵まれた体格でもない、どちらかと言ったら華奢な部類に。
そうですよね。
でも、一つ僕が担当時代も感じたのは、やっぱり走る、とにかく走り込みというかですね、走ることに対して下半身をつけるんですかね。
これに対しての意気込みというか、思いというのは強く感じましたですね。
高校も、島根の時代はそれほど目立ったピッチャーではなかったけど、やっぱり早稲田で活躍できるようになったきっかけがやっぱり走り込みで下半身を安定したからだと言われています。
へー。
だからその一端というか、僕は長い期間を和田投手を見たわけではないですし、どちらかと言ったらその野手担当、高番時代は早かったもので。
でも宮崎キャンプとかは、投手と野手が一緒に空間でいる時間が多いので、よく目に入ったのはやっぱり走る姿がすごく目に入りました。
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特に全体の練習が終わると、ロッカールームから出てくる選手を記者は待っていて、それを囲んで話を聞いてみたいなことをするんですけど、
和田投手が出て、全体練習が終わって疲れたところだと思うんですけど、ランニングできる格好で出てくるんですよ。
へー。
で、宮崎は行き目の森っていうところを練習する選手なんですけど、そこって宿舎まで約10キロぐらい離れてる。
そこを毎日ランニングして帰ってました。
他の選手はバスだったり。
基本はバスですね。バスが時間になったら定期的に来て、この時間に帰る、この時間に帰るという形なんですけど。
それこそ和田選手以外に走る人とかいるんですか。
あまり見なかった。自転車とか行ったりもしましたけど、じっくり走り込む。それも毎日のように走り込んでらっしゃる方は、和田投手がすごい。僕が担当してる時代は印象に残ってますね。
今はもしかしたらいらっしゃるかもしれない。
やっぱりその基礎というか、が最後43歳までを培っていくんですよね、毎日が。
積み重ねの方なんだと僕は思いました。
そういうお話をする中でもすごく記者の質問に対してしっかり考えて答えてくれる。
疲れていたりしんどい状況のところだったら反射的に答えてしまうことも人間ですのであったりするんですけど、和田投手は質問に対してしっかり考えて答える印象が強かったですね。
大久保さんが国防監督の話をするときも結構そうですけど、やっぱりこの一流の選手っていうのはやっぱりそうあるんですかね。いわゆるグランドを離れてもちゃんとしてるんですかね。
全員が全員じゃないかもね。
さっき言ったようにいろんなタイプが。
やっぱりギャンチャな天才派みたいな人たちもいると。
身体能力が溢れてる方というのは突き詰めて考えなくてもあれなのかもしれないですけど、国防さんのときもそうでした。
国防さんもそのめちゃくちゃご自身でも不器用だと言ってましたし、すぐに何でもパッてできるタイプではないから練習量が俺は必要なんだというお話を聞いたこともあります。
多分和田投手もそういうふうに自分にとってこれが必要なんだってものを考えないと生き残れないという思いもあったんだと僕は思いますね。
恵まれた体格ではないからこそ努力しとかないと人よりもっと。
とはいえですよ。ドラフト1位でしたっけ。で入ってそこから1年目からずっと活躍してるんですよ。
1年目14勝して新人を取って。
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同挙は。
同挙か何かしましたね。
僕が担当ではない、当時は違いますけど見た記憶がありますね。
1年目で14勝してますね。
これってすごいですよ。
すごいです。
これはすごいですよ。
プロに入ってからもしばらく下積み自体があったんですねみたいな話の雰囲気でしたけど、決してそうではない。
一発目がやっぱり天才だったと。天才が努力するからなお天才と。
努力する才能ですよね。
そうか、そういうことか。
自分の能力を最大限に引き出すタイプの選手だったんじゃないか。これは僕個人の思いです。
自分の分析力ってのも高いですよね。
高いです。
だからフォームもすごく勉強なさったんだと思います。先ほどの話につながりますけども。
それこそ優勝パレードかなんかの後のテレビにインタビューで答えてたけど、来年は沿道でね優勝パレードを見たいって言ってました。
確かに。
沿道かな、球場まで遊びに来るかな、感謝ではそのままするから、どっちかで見たいですって言ってましたけどね。
ずっと活躍する選手だったから、たぶん裏方というかその影で見るとかってあんまなかったですよね。
そうですね、確かに。
球場で見るとか。
観客としてね。
そんな経験はない。
ちなみにそれこそグラウンドを離れたらどんな人なんですか?
そうですね、グラウンドを離れて、例えばシーズンだと月曜日とかが試合がない日とか投手練習だけとかドームであるとかそういう時あって、
そういう時取材したこともありましたけども、やっぱりすごく記者、そういう時に記者と話をする機会を意識的に設けてくださった印象がありましたね。
すごくきめ細やかな聞くばりというか、そういうことができる方という印象が、僕はすごく多くの時間を一緒にという時間を過ごしてないですけども、
オフに、毎年このシーズンが終わったオフに、フォークスの担当の各新聞社の記者を集めて食事会なんかも開いてくださって。
私は参加したのは一度だったんですけど、西陣の方で食事会があって、
呼んでくださって、皆さんに多分、僕との距離関係性というか距離感はそれほどないのにも話しかけてくださって、いろいろ話をして。
気さくな方なんですね。
そうですそうです。クールなイメージがあるんですけど。
真面目とかクールとか。
結構ダジャレ的なことを言ったりも。
意外ですね。
どんなダジャレかはちょっと名誉もあるんですけども。
お酒も飲まれるんですか?
お酒も、めちゃくちゃ防韻するわけではないですけど飲むことは。
そういう一面もあるんですね。
そうですね。またあとそういう社会的な貢献というのも考えていらっしゃる。
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これは有名かもしれませんけど、球を投げることになるんですね。
ワクチンを10本分、途上国にいくとか。
そういうのをやったり。
2005年から投球数ですね、先ほど言った。
成績に応じたワクチン寄付の活動をされたりとか。
そういうことも支援やってたり。
東日本大震災の時に覚えてますけど、福島の高野連邦にバスを送って、マイクロバスみたいな。
すごいですね。桁が近い。
で、地元の島根では和田俳みたいな少年野球みたいな会館を開いて、
自分以外の環境というか、そういうところにも目が行っている。
すごいなと。
野球。
僕だったらもう野球だけで余裕がないんですけどですね。
僕が仮に選手だから。
はいはいはい。そうですよね。
でもイメージは今後コーチしたり監督したりされていくような雰囲気は持ってらっしゃる気がするんですけどね。どうなんだろうか。
そうですね。
ぜひやってほしいんですよ。
福岡のことが好きだということをですね、おっしゃってたのがすごく嬉しかったですね。
もうずっとというような離れずに。
一体会見で言われてましたね。
そうですね。一体会見でそんなことをおっしゃってましたね。
いいお時間ですね。高冨さん今日はどうでございましたか。
高冨 僕は最初の頃から好きな選手だったので、今後もね、福岡にいて、ぜひいずれはコーチ監督まで期待していきたいなと思ってます。
ありがとうございました。最後に一つだけお知らせをさせてください。ニュースアプリ西日本新聞MEでは、今、新規入会者にAmazonギフトをプレゼントするキャンペーン中です。概要欄から簡単にお申し込みいただけます。どうぞよろしくお願いいたします。
ここまで聞いていただきありがとうございます。大久保さんの記事が読みたい、西日本新聞やこの番組を応援したいと思っていただける方、ぜひ西日本新聞、もしくはニュースアプリ西日本新聞MEのご購読をお願いします。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。