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西日本新聞ポッドキャスト
西日本新聞スポーツ余聞
この番組は記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大久保昭一さんが、
アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話しするポッドキャストです。
こんにちは。福岡のニュースアプリ西日本新聞民の横山智則です。
大久保さん、今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そしてスタジオにはもう一人、西日本新聞社販売部の中富一文さんです。
今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はですね、今年2024年で引退したプロ野球選手のお話を聞きたいと思っております。
大久保さん、よろしくお願いします。
引退といえば、まさかの和田…
そうですね。
…投手の引退って本当に驚いたと思うんですけれども、
私自身、もちろん注目度から言ったら全然違うんですが、
同じサワンの元ホークスの投手の引退がすごく注目して感慨深かったので、
そのお話をできればと思います。
その選手というのは、今年はヤクルトにいました、
香山信也投手です。
中田さんはわかる?
香山さんはですね、沖縄出身でサウスポーなんですけど、
元々森福投手のいたポジションの香山さんがワンポイント投手としてすごくいいピッチャーだと思います。
さすがですね。
僕が言うことがないくらい話してくださって。
調べてきたんじゃない?
スクラスラーと言われてもそうですね。
本当、中止さんがおっしゃるようにすごく中継として欠かせない投手で、
2017年から6年連続で50試合以上に交番し、
18年には31試合連続無失点。
中継なんで長いイニングは投げてないんですけど、
9段待機力だったんです。
これを作られて優勝とか日本一に貢献したんですけども、
2023年、昨年のシーズンで戦力外放送となって、
ヤクルトで勝負をかけたシーズンだったんですね。
今年は結果が出なかったということで、
引退を決意なさったんですけども、
それがまた和田投手と同じタイミングになったということなんですけど。
そういうことなんですね。
4度のリーグ優勝と6度の日本一に欠かせなかったってことなんですね。
もういないとですね。
左バッターにめちゃくちゃ強くて、
もうその左バッターに対して香山さんが出るみたいな。
一人をいわゆる仕留めるためにとか。
そうかったですね。
そうなんですね。
やっぱりあんまり知らない。
和田って言われたらわかるけど、国馬って言われたらわかるけど。
多くのファンが結構好きな方であれば、
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もう香山投手が好きな方も結構多かったかもしれないですね。
やばい時に出てきてビシッと終わらせると。
仕事人ですね。
そういうことですね。
その香山投手を国馬さんはいつ頃から取材されてるんですか?
私はですね、タイミングが良かったのはこの入団会見。
入団したシーズンから。
入団っていつ?
2011年。
なので入団会見自体は毎年の12月なんですけど、
11年に入られたんですけども。
僕は以前伝えたように国馬さんの担当ではあったんですけども、
その他も取材するというので、
入団会見とは全員を体制で取材していたので。
私はこの時たまたまですけども、
香山投手を取材することだったんですけども。
忘れられないんですけど、
入団会見で涙を流し出してるんですよ。
目頭を。
珍しいですね。
本当に珍しい。
あれどうしたんだろうと思ったら、
声が震えてて、
今日の日が迎えられて嬉しいということをですね、
涙流しながら言ったんですよね。
それはプレー野球選手になれたという喜びですか?
プレー野球、ここにたどり着けたという喜びですね。
その入団会見が終わった後に、
なんで泣いたの?みたいな話を、
私だけじゃなくて取材記者みんなで聞いたりしたんですけど、
なかなか厳しい歩みをなさっていた投手です。
中止さんがおっしゃったように、
沖縄の出身なんですけども、
石垣島という島の出身で、
八重山農林高校というところなんですけど、
そのめちゃくちゃ強い高校でもないんですよね。
広辞苑常連校とかじゃない。
ちなみに八重山商工というところには、
大峰裕太、ロッテに行った投手がいるんですけど、
それも石垣島なんです。
こちらの方は結構高校時代から、
高校時代に有名だったんですけど、
農林の方はそこまで有名な高校ではなくて、
なおかつ最後の3年夏の県大会は、
1回戦敗退。
しかも香山投手は2番手のピッチャー、
エースではなかったんですよ。
なるほど。
なので、これはもうこのまま、
自分自身も終わると思ってた時、
ちょうどその頃ですね、
長島にビッグ開発という不動産会社があるんですけど、
そこがベースボールクラブを立ち上げて、
沖縄の選手をというところの中で、
引っかかったというか、
そこに拾われる方で始まった野球の人生というか、
引っかかりそうになったんですね。
結局、不動産会社ですから、
練習は午前中して、
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午後は管理物件の掃除をする毎日。
ちなみにちょっと話戻す。
沖縄県の県大会の1回戦敗退チームの、
2番手投手って言ったら、
ある意味普通の高校生だよね。
どこでもいる高校生。
そうだよね。
ちょっと野球が上手かったぐらいの子だよね。
ちょっとそうだよね。
逆によくそこに油断できましたよね。
入社かな。
ただ1番手のエースだった選手は、
結構有力な選手だったので、
多分その選手を見る中で、
スカウトが来てたんですね。
そういう中で、さやま投手も、
ちょっと面白い。
中止さんが先ほどおっしゃっている、
左キラーというか、
個性を持っている投手だったので、
多分そこで磨けば光るんじゃないか、
みたいな形での、
拾われた感じなんですよね。
ただそういう先が見えない生活ですね。
要は日本生命とかトヨタとか、
社会人野球の名門チームとかではないので、
どうなるか先がわからない。
野球して掃除してという。
何回も石垣島に帰ろうかな、
というふうに思ってたんです。
だけど3年間そこでやってた中で、
徐々に急速も伸びて、
結果も出るようになったところに、
エネオスという、JXエネオスという、
これは本当に名門ですね。
社会人野球の名門なんですけど、
ここと練習を見てもらえるような機会があったのが、
その機会に面白い投手だということで、
移籍しないかということで、
ただ正社員とかではなくて、
あくまで業務委託じゃないですけど、
野球をするという形での、
ここもまだ不安定。
まだプロ野球まで行き着かないですね。
まだ行き着かない。
ただ一つ成り上がったんですね。
エネオス、関東の方に来て、
そこでさらにレベルの高い中で、
磨かれた中で、
ドラフトに指名される。
ドラフト5位ですかね。
かなり弱い階ですね。
しかも社会人を経てるので、
結果が出ないと、
襲点力です。
育ててくれるという目線ではない。
そういう形での入団ではなくて、
入ったからには結果出さないとという形での入団になる。
なるほど。
で、プロに入ってからはどうだったんですか?
転機というかですね、
1年目は4試合くらいだったんですかね。
あまりそこまで活躍できなかった。
やっぱり危機感を持っていたんですけども。
まさに中止さんがおっしゃってくださったように、
その変則サースポーの森福投手への自主トレ。
一緒に練習、オフシーズンに練習してくださいと、
1年目が終わった後に志願するんですよね。
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もうタイプ一緒ですもんね。
へー。
身長とか体重とかも本当変わらない。
170ちょいで、60代で、
一般の人と同じような体格なんだよ。
あんまり変わらない。
171㎝、65㎏って僕たんも変わらないかもね。
森福投手は2011年のシーズンというのは、
先ほど日本一になされていましたけども、
あ、前回ですね。
日本一と言いましたけども、
その日本シリーズで森福の11、9と。
有名ですね。
有名な、もう中止さん。
中止さんどうぞ。
ピンチのところで森福が、
絶対絶命のピンチのところで森福がそこを、
なんとかしのいだのが、
昔、エナスさんが。
エナスさんの何級ですかね。
何級だったかな。
そういう本当印象的な活躍。
確かノアとマンルイで押さえたんですよね。
そうです。
めちゃくちゃピンチの時に。
これをしのいで、
そういうのがあって日本一にたどり着いたので、
すごくこのシーズン、
森福投手の株がグッと上がったシーズンで、
森福投手はそれまで、
杉内投手、同じ3番。
先発と中月で違うんですけど、
杉内投手に自主トレの方を、
以前はお願いして、
そこで力をつけて、
ということがあったので、
自分もそういう後輩から来たら、
恩返しというか、
そういうことをしてもらったことをしようということで、
受けたみたいですね。
で、このシーズン、
自主トレの効果もあったんでしょう。
40試合ぐらいに当番。
今度2年目。
いきなりすごいですね。
で、足掛かりをつかんだという。
中田さんがおっしゃるような、
左キラーとしてかっこたる地位を築いていったというところですね。
フォークスにはなくてはならない人材になっていくということなんでしょうね。
そうですね。
プロ野球選手はいろんなタイプがいる。
すごくギラギラとした勝気な選手もいれば、
寡黙な選手もいれば、
いろんなタイプがいるんですけど、
香山投手は今言ったように、
ひょうひょうとしているんですかね。
おこなしいというか。
そんなにガチガチとしている感じではないですけど、
そういう結果をもらうということで、
すごく応援したくなる選手の中では1人でした。
入団した年を思い出したんですけど、
まだその時は合宿所が斎戸崎だった年なんですけど、
あそこはめちゃくちゃ寒くて。
風が。
風が、海が近くて。
そうですよね。
寒い年で、南国石垣島出身で、
関東に行ってた時は基本的にそういう。
育ちがそうですからね。
早くこの寒さから抜け出すためには、
ドームに行けばいいよって。
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一軍へ。
応援してたのをすごい覚えてます。
ちょうど見えますからね。
斎戸崎から福岡都心ドームかな。
ドームが見えるので。
そうか。海の向こうにっていうかね。
ちょうどですね、夕方ぐらいになると太陽の光線で
ドームの屋根がキラキラキラキラ光るんですよ。
なのでキラキラ光るあそこがあそこに行きたいって思いで
バッと振ったっていう選手も結構いて、
結構斎戸崎は斎戸崎で、
見えるところ、
蓄豪は蓄豪でもちろんすごいんですけど、
あそこはあそこでそういうハングリー精神を養う上では
すごくいい場所だと思います。
目標が見えるからね。
そうなんですよ。
実際に選手お金がまだそんなに稼げてないときは
あそこ斎戸崎から船が出てるんですね。
車とか買えない選手が、
一軍に呼ばれたり、
ドームで2軍の試合があったり練習するときあるんですけど、
そういうときなんか、
お金ない選手は船で行ってました。
ももち浜で着いたんですね。
ももち浜に行くのかな。
あの船で行ったり、
そういうのも格差ではないですけど、
活躍すれば合宿所からいい車で、
ドームに選手が来れば、
そういう意味では僕はいい意味は。
確かにハングリー精神は養われます。
養われますね。
船小屋?
ヤグの方じゃちょっと見えないからね。
そうなんですね。
それこそ大久保さんが知っていれば、
これも僕好きな話なんですけど、
最後に大家族の話をちょっと聞けて。
そうですね。
本当にやっぱり沖縄って子供、
子たくさんな地域性があるんですけど、
中でも香山投手は、
それも入団会見が終わって、
年末年始は石川市場に帰ったら、
65人ぐらいの親戚から、
みんなで集まって、
頑張れよみたいな応援された。
えーって言って、
65人もいるの?みたいな話をしたら、
いや、たぶん親戚で言ったら、
130人ぐらいいると思いますよって言って、
えーってなって。
すごいですね。
自分親戚100人以上知らないです。
知らないよ。
なおかつ一軍で投げるっていう風になったら、
みんなで大応援団観戦ツアー組むぞみたいなことを
言われたんですよみたいなことを、
その練習の合間で言ったりして、
なんかすごくほのぼのとした。
やっぱそれは石垣島特有なんですかね。
そんなに親戚が異常に多い。
多かもしれませんね。
兄弟が多いとかあるし、
そういうのもあるかもしれません。
本当にやってきたんだろうか。
観戦ツアー実際にあったと思います。
130人で。
はい。
すごいな。
彼のまた、
もう一つ人柄の良いなと思ってたとこは、
沖縄って戦争です。
太平洋戦争で非常に被害があるとかするところだったと。
そういう沖縄戦で非常に犠牲者も出た。
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そういうことを追悼するような日というのが、
6月23日に異例の日っていうのを沖縄に分けて、
そこで追悼式とか毎年。
毎年されてますよね。
それに対して、
石垣島、沖縄を離れてフォークスに来ても、
それこそ縁根を進んでいった時から、
その6月23日はちゃんと手を合わせて、
お祈りをするということはずっと続けていたんです。
これは多分、僕の人生の中で生涯欠かさないと思います、
みたいなことを言ってたんですよね。
そういうのも思い出したり。
多分そういう人間性とか、
そういうのも野球の神様とかよく言いますけど、
後押ししてくれたんじゃないかというサイズが、
そんなに大きいわけでもない。
なんかキワキワのところを飼いくぐって、
プロまでいってほしいですね。
そうね、野球選手には小柄なしが努力されたんやろうね。
ひょうひょうとしてるっていう表には映っててもってことだよね。
そうですね。
加藤さん、今日はどうでしたか?
いや、香山選手はほんと渋くて、
すごく自分も好きなピッチャーだったんですけど、
引退されても野球に携わっていただけたらなとは思いますけど、
どうなんでしょうね。
話ではこっちに戻ってくるというような話、
福岡に戻ってくるというような話も聞いたりもして、
楽しみですね。
楽しみですよね。
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ここまで聞いていただきありがとうございます。
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本日はありがとうございました。
ありがとうございました。