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2024-12-25 13:20

09|大けがでも黙々と練習…立岡宗一郎選手「引退決めた元タカ戦士の思い出」(後編)

西日本新聞で記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大窪正一が、アスリートの素顔や裏話、スポーツの可能性についてお話しする「西日本新聞スポーツ余聞」。




今回は、今シーズンで引退した巨人の立岡宗一郎選手です。立岡選手はドラフト2位でホークスに入団するも、一軍出場わずか1試合で、巨人にトレード。移籍直後に大けがし、右打席でバットを振れなくなるも、そこから・・・・。




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◆出演・スタッフ



・出演:大窪正一(スポーツ記者/宗像支局長)、中富一史(販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)



・音声編集:中富一史



・映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)、三笘真理子(報道センター)




◆収録日



・2024年11月28日



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・収録スタジオ「N-Studio TENJIN」(福岡市)



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西日本新聞ポッドキャスト
西日本新聞スポーツ余聞。
この番組は記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大久保翔一さんが、
アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話しするポッドキャストです。
こんにちは。福岡のニュースアプリ西日本新聞MEの横山智則です。
大久保さん、今日もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
中富さんも今日も一緒です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回に引き続き、今シーズンで引退したプロ野球選手の話を、
第2弾ということでお願いしたいと思っているんですが、今回はどなたの?
今回は、第1弾で香山投手をしたんですけども、
香山投手はフォークスで確固たる成績を残して、最後にヤクルトという形だと思うんですけど、
今回紹介する選手は、フォークスでは一軍の試合出場は、
ダイソーでの一試合のみ。
この選手がでも巨人に移籍して、16年間、フォークス時代合わせて16年間プロで生き抜いて、
今期限りで引退という選手なんです。
この選手は縦岡壮一郎選手。
さすがの中富さんもそうなると知らない。
ドラフトに、瞬速で何でも打てる。
もともとは外野手だったんですけど、内野手で登録をしてたんですよね。
さすがですね、本当に。
だってダイソーの1回しかやってないんだよ、フォークスの試合は。
本当におっしゃるように言うことがないぐらい。
本当に言う通りで、すごく身体能力がすごい高い選手で、
熊本の新勢高校時代から注目される選手で、
当時僕も、藤崎大球場って熊本の。
こちらに熊本県大会取材に行ったりもしたりするぐらい、
当時からすごい注目選手でした。
ドラフトには絶対かかる選手で。
まさに相思相愛じゃないですけども、
秋山さんが監督でいらっしゃった時に、ドラフト2位で入団ということで、
本当に秋山浩二2世というふうに期待されていました。
同じ熊本ですからね。
秋山監督も、前監督も。
入団にあわせて、この年に、もともと外野手だったんですが、
ショートへのコンバを本人も志願しましたし、
球団もそういう意向だったということで。
もともと高校時代は外野手だったのにってことですね。
外野手、しかも金目のポジションですね。
ショートというポジションを希望して、ここで勝負しようということで、
ゼロスタートですよね。
その時はショート相手だったんでしたっけ?
その時は一軍には川崎選手はいたんですけど。
その時代ですね。
03:00
当時は川崎選手が海外志向もあるんじゃないかと、
そういうのも噂されていて、名言とはなかったんですけども、
川崎選手がいなくなる後山も作らないといけないというような、
ティーム事情的な時代背景があって、
そういうのも多分あったんだと思います。
ティームもショートを欲しかったんですね。
ムネリンの後が欲しかったと思う。
誰かが絶対に対等しないといけないというような状況の中で、
入団だったんですね。
ショートを打ってたんですけど、やはりトップレベルで、
プロ野球のショートのポジション、
なかなか簡単にはというところで、
そういうのが持ち味の打撃だとか、
持ち味のパフォーマンスにも影響してきたんだと思うんですね。
さらに入団、立岡選手が入団した翌年は、
今宮選手、今はもう名手。
今はときめく。
が入団してきました。
ここでまたショートの争いが、
争いというかショートをめぐる状況が変化していってですね、
なかなか厳しい状況になっていきましたね。
ただこの選手はすごい真面目だったし、
そういうのにも腐らずやってたっていうのはすごい覚えてるんですけど、
2012年の6月頃だったんだと思うんですけど、
交換トレード。
シーズン途中で。
シーズン途中で。
で、巨人に移籍するというのがありまして、
非常に私ももちろんプロの世界で結果が全てでという厳しさは知ってましたけど、
入団の経緯とか思い出も私もあったので、
非常に厳しい世界だなというふうに覚えてます。
やっぱ本人としては不本意な、いわゆるトレードってことになるわけですよね。
どうなんでしょうね。
どうなんですか。
出場機会で言うといつも今宮選手が出てきたってことは、
ちょっと出場も済みなくなるから、
本当ではどうなったんでしょうね。
ただ本人、この時その後にちょっと取材をする、巨人に入ってから取材をする機会があったんですけど、
やっぱ頭が真っ白になった。
そうですか。
じゃあショックだったんですね。
そうですね。
自分の状況は厳しい状況で、
こういうシーズンの途中でこういう形になったっていうその驚きもあって、
結構ショックだったというようなお話は聞いてますね。
確かに4年目ぐらいの年数だからですね。
余計ですね。
そうなんですね。
ところが巨人に行くとっていう話になっていくってことですか。
そうなんです。
ここで心機一転、勝負しないといけないという時に、
立岡選手この二軍戦の守備で、
左肘の人体を断裂する。
巨人に行ってすぐ。
巨人に行ってもうほんと直後ぐらいですね。
あら、よくないですね。
右バッターなんですね。
右バッターですからやっぱり左肘って押し込む。
非常に大事なところでバットが振れなくなってしまって、
ほんとこれはもう絶対説明というか、
06:02
左打ちはホークス時代からコーチには勧められてそうなんです。
そうなんですね。
だけどやはり右にやっぱりこだわってたんですけど、
中学時代にほんとかじった程度しか左打ちはやってなかったんですけど、
ただもうこれ生き残るためにはやるしかないってなって、
左打ちできますっていうのをアピールしたそうです。
できるもんなの?
まあとはいえ、瞬速を生かすのはやっぱり左バッターの方が一部の方が早いので、
距離が。
そっちの方が有利ではあるんですよ。
ただそのいきなりじゃあ左ってなかなかできないですよ。
できんよね。
素人ができるのはそうだけどプロだからだって違うやんって。
違いますよね。
だけど先ほど伝えたように身体能力。
やっぱ元々持ってるポテンシャルっていうのはやっぱ高い。
あとその危機感。
ここ後がないという状況の中で開眼するわけで。
すごいなあ。
これは本当に僕も驚いたんですよ。
翌年、翌年ですよ本当。
翌年のシーズンに5月ぐらいだったんですかね。
に遺跡を初の一軍に昇格して、
でその何日か後にプロ発案団。
すごいですね。
草野球じゃないやろ。
僕もそう思ってる。
だからあまりにも驚いて、
当時僕は東京の運動部の記者をやってたんですけど、
是非とも取材したいと思いまして、
巨人の方に行ってドームでお話をやっぱりここで聞きました。
やっぱりもう後がないしやるしかないという思いだったということを言ってましたし、
すごいなと思って結局この時は最終的に46試合出場ができて足掛かりですね。
フォークス時代4年にダイソー1試合だったのが、
一軍に46試合。
すごいですね。
だって怪我して、右打ちできないから左打ちにしますって。
それで4年には一軍でしょ。
漫画みたいですね。
漫画みたいだね。
だからそれだけやはりプロに行く選手っていうのはやっぱりきっかけというか、
身体能力はやっぱりもうどんぐりの性比べじゃないですか。
みんな持っててどうそこがちゃんと磨かれるかっていうところもあるのかなという風にもちょっと思ったチャンスをもらうという。
そういうきっかけを生かすとか、
そういうなんかプロの厳しさとともにプロのやっぱり凄さっていうのが痛感したシーズンですね。
このシーズンですね。
内野州にチャレンジしてましたけど、やっぱり元々の中堅センターとか内野州もやるようになって、
先ほど中富さんがおっしゃったようにポジションの幅も広がったので出場機会も増えていく中で。
結果としてはどっちもできますよという選手になったんですか。
そうですね。
基本外野ですけども内野もやったことがあるということでチームとしてはチョイスしやすくなるというか使いやすいですよね。
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足は速いし守備はできるというところで。
だからダイソーででも守備にどこでもつけられるから。
特にその46試合に出場っていうのは完全にレギュラーってわけじゃないから場面場面で使いやすい選手がそこにベンチに座っててくれるっていうのがありがたいですね。
レギュラーっていうわけじゃないけども。
なおさら必要なんですね。
チームにとって絶対に使い勝手がいいという言い方はあれかもしれないですけど。
そういうユーティリティー。
そういう選手はやっぱり勝っていく上で絶対に必要なので。
なるほど。
なんていうかですね。
今宮選手がグッと来て苦しい時でも本当に笑みとかは出てましたし。
前向きだししちゃったのがすごい覚えてて。
大事なんでしょうね。
本当にぜひ頑張ってほしいなというところは思ってたので。
そういうのもあって嬉しかったし。
16年間も一軍で生き抜いたんだなとこの引退を決意して。
それ今お話っていうのは2014年15年のあたりの話なのか。
そこからさらに10年選手を続けてってことですね。
完全不動のレギュラーっていうところまではなかなか難しかったですけども。
でも必要な選手としてずっと生き抜いて。
プロで10年越えてやっていくっていうのはなかなか難しい。
そうかそうですよね。
大概入団した時は花々しく入団しても数年後に育成契約になって戦力が良いというパターンの選手が。
そうですよね。
ドラフト1の選手でさえそういう選手も。
厳しいですよね。
少なくないよねむしろ。
それこそ風間投手が今期オープンに育成という形になりましたし。
ドラフト1で入っているんですね。
2年前3年前ぐらいにってことですか。
そうですね。
それこそ立岡選手はこの後っていうのがあるんですかね。
もうですね。
もう引退とともに今も巨人の3軍の外野守備兼総類コーチとして残留。
そうなんですね。
だからもう周期キャンプから今度は指導する立場に。
すごいな。
でもやっぱ苦労されていろんな経験を経てプロで花開いてというこの経験というのは僕自身指導者としてはすごくプラスになると思うんですよ。
そうですよね。
それこそ故障でちょっと具合が悪くなったような選手もいや俺もそうやったけどと言うと説得力がね。
いやそうですよ。
全然違いますもんね。
いや本当絶対絶命やったんよ。
でもそこから諦めるなっていう言葉も。
そうですね。
セカンドキャリアぜひなんか血に足つけた人生歩いてもらいたいなと。
12:00
ちょっとあの僕としては野球の話というかね。
やっぱサラリーマンのおじちゃんとしてね。
なんかねこう黒ボート響くところがあるなと思いながら中田さんどうでしたか。
いやでも本当こうやってドラフト2位で期待されてやっぱでもフォークスでは難しいんで。
でタイミングよく巨人に活躍できるってやっぱどうなるかわかんないですよね。
そうよね。
で最終的にね巨人の2コーチということで。
なんかなんとなく赤士選手今のコーチにも似てるような感じの流れですよね。
本当そうですね。
はい。
赤士選手も非常に思い入れがあるのでいつか。
そうですね。
今宮さんとのこの話し合いがありましたね。
そうかそうですよね。
このままいくとまた終わりになる展開になってエンディングでございますと。
その前に一つだけお知らせをさせてください。
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ここまで聞いていただきありがとうございます。
大久保さんの記事が読みたい西日本新聞やこの番組を応援したいと思っていただける方。
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本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
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