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2025-03-26 19:29

22|今年も現役続行する43歳「ムネリン」川崎宗則選手の素顔

西日本新聞で記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大窪正一記者が、アスリートの素顔や裏話、スポーツの可能性についてお話しする「西日本新聞スポーツ余聞」。

プロ野球の福岡ソフトバンクホークス時代に明るいキャラクターで「ムネリン」と愛された川崎宗則選手が、6月に44歳を迎える2025年シーズンも現役続行します。2020年から加入する独立リーグ・栃木ゴールデンブレーブスが今年2月20日に契約合意を発表。イチローさんに憧れ、野球を愛する「野球小僧」を地で行く川崎選手の素顔を語ります。

◆出演:大窪正一(スポーツ記者/宗像支局長)、中富一史(販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)、音声編集:中富一史、映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年2月20日

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サマリー

43歳の川崎宗則選手が現役続行を発表し、独立リーグでプレーを続ける姿勢が語られます。また、彼の高校生時代からの素顔やチームメイトへの配慮についても触れられています。川崎選手の43歳での現役続行の背後には、彼の思いやりや優しさが見えます。このエピソードでは、彼の野球への情熱やメジャーリーグでの経験、取材者との関係性についても語られています。

00:01
西日本新聞ポッドキャスト
西日本新聞スポーツ余聞
この番組では記者生活の大半をスポーツの現場で過ごしてきた大久保さんが、アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話ししています。
こんにちは、福岡のニュースアプリ西日本新聞民の横山智則です。今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。西日本新聞の大久保昭一と申します。
西日本新聞社の中富一文です。よろしくお願いいたします。
川崎選手の経歴
今日はなんですけど、僕が大好きな選手でしたね。元フォークスのムネリンの話です。川崎・ムネリンの話ですね。
それこそ、まずは中富さんから川崎選手の略歴紹介。
じゃあご説明します。川崎・ムネリン選手は、ドラフト4位で2000年に当時の福岡大英フォークスに入団。
瞬速高打のショートとして活躍。WBCに日本代表としてもプレー。
2012年シーズンからメジャーに挑戦し、マリナーズやブルージェイズ、カブスでプレー。
2017年にフォークスに復帰。戻ってきましたよね。
2018年に体調不良で自由契約。それから2019年は台湾でもプレーし、2020年からは栃木で野球をやっているということでございます。
今見たら。
僕も2000年入社です。
同期みたいなもんね。
じゃああの頃から今日までずっと野球してるんだ。
そうですね。
福岡さんが会社に入社してから酒ばっかり飲んでる間に。
すごい。
で、それこそ大久保さんが初めて川崎を見た実際にしたっていうのはずいぶん前の話じゃないですか。
実際今43歳でまた現役続行を、いわゆる今独立リーグの栃木の方にいるんですけども。
そこの契約が発表されましたので、だから44歳になるシーズンもまた現役選手をするということで。
川崎選手との思い出
野球大好きな野球小僧という川崎選手のらしいなというような生き方を感じました。
私自身が川崎選手を知るきっかけになったのはもう川崎選手が高校生の時です。
私が当時鹿児島の新聞社の方に勤めていまして。
川崎選手は高校3年生。
鹿児島工業というところにおりまして。
鹿児島といえば鹿児島実業とか湘南とか。
あと今だったら上村学園。
そういうところが強いイメージですけど。
鹿児島工業というのは後に甲子園に出たりするんですが。
この頃は無名校で。
その中で鹿児島の県大会ですね。
県大会の取材から帰ってきたうちのその当時の写真部のカメラマンが
今日撮影してたらとっても足が速くてとってもかわいい子がいたんだよ。
ほら見て見てと。
撮った写真を見せてもらったんですよ。
すると確かにすごいかわいらしい。
ジャニーズアイドルみたいな感じですよね。
爽やか系のね。
爽やかな顔をしていて。
話を聞いたら足がとっても速かったよっていうような話も聞いて。
当時私はスポーツの部署ではなかったんですけども。
スポーツ自体に興味があったので実際に見に行ったり調べたら
やっぱり知る人と知るじゃないですか。
先ほどから川崎さんのイメージをおっしゃってますけども
明るい感じでチームを盛り上げるような選手だったとか聞いたりとかですね。
あとプロの注目も結構浴びている選手で
さつまの一郎みたいな。
同じ左打ちやすしで足が速いしですね。
ポジションは違いますけど。
そういうようなイメージ。
そういう選手なんだっていうふうに知っていたら
先ほど中富さんが紹介していただいたように
ドラフトでフォークスの方に指名されて入団したということで
入団したんだっていうふうに思っていたら
私の方も縁あって
西日本新聞社の方で働くことができるようになって
なおかつスポーツの部署になることになって
さらにフォークスの担当をするという
この後編がありましてですね。
だから結構印象に残る選手の一人が川崎選手です。
川崎選手がとっても明るいイメージ皆さん持っているんですけど
私はもちろん明るいイメージはもちろんあるんですけども
もう一つすごく印象に残っているのは
とっても気遣いで細やかで
ものすごい優しい選手だなという印象が残っていることがありましてですね
それを今日はちょっとお話しできると思っています。
明るくて元気までやね
一部にしては
そうですね
私も2009年からフォークスの担当になりまして
以前の国母さんの会とかでお話ししたこともあるんですけど
私その30半ばでプロ野球の取材を初めてすることになって
右も左もオールドルーキーみたいな感じで入っていたので
その時に川崎選手にも自己紹介して
鹿児島の新聞社から来たということも話をしたら
すごく川崎選手がチェストとか鹿児島の方言とか
それを使うように鹿児島愛がすごい強いんで
えっ鹿児島から来たんですか先輩みたいなことを言って
すごい気にかけてくれるようになってですね
もう宮崎キャンプでバックネット裏が当時記者室だったんですけど
そこに各社の記者がその日1日取材したのをそこで原稿書いて
いるとシーンとなっているところで
私は慣れないからもう悪戦苦闘してるわけですね
すると練習を終えて帰りのバスに乗り込む川崎選手が
社室にバーって入ってきて先輩ちゃんと仕事してますか
という感じで声をかけてくれるんですね
これは今から覚えれば川崎選手からしたら
こういうオールドルーキーの人だけど
選手ともこうやってコミュニケーションが取れるぐらい
なるほどなるほど
選手が張り込んでるんだぞ
親しんできてるんだぞとか言った人もいますからですね
そういう意味合いも込めてだと思うんですよね
もう川崎さんのことだからですね
ちなみに多分2000年入団なので9年後ですかね
だから27、8ぐらいの年齢川崎選手が
いろんなもちろんレギュラーを獲得している時期です
ちょうどこの年はWBCがあった年なんで
もう日本代表にも入るぐらいの
要はベテランまで中核というか主力選手になってるんで
そういう選手と宮崎キャンプから
僕がプロ野球選手の取材をすることを始めたんですけど
そんな日にか経ってないな
これで仲良くできてるんだみたいなことを
多分川崎選手は気遣ってやってくれたんですよきっと間違いない
というのもキャンプ期間中って川崎選手っていうのは
鹿児島の出身の選手とかゆかりのスタッフとか
そういうのを集めて食事会を夜したりする期間中に
鹿児島会議する
そういわゆる鹿児島会議
当時は打撃投手とかにも
鹿児島の湘南高校の方がいらっしゃったし
ブルペンの担当の保守のスタッフとしては
鹿児島実業でそれこそ甲子園で有名だった内野倉さんがいらっしゃったりして
そういう方々が結構集まって
皆さんで食事するみたいなところに
私も呼んでくれてですねそこに
嬉しいですよね
呼んでくれてそこで飲み会に参加して
そうするとそういう方々と
日が浅いのでまだいろんな方知らないですけど
知ってくれてですね
今後の取材にも役立つだろうということだと思うんですね
川崎先生そういう和に溶け込ませようとか
すごく周りを見てされる
そこはすごく
チームメイトへの配慮
私自身そういうすごい感謝の気持ちがあるんですけど
こういうのって川崎選手って当然ですけど
選手にもそういうことすごいされてたんですね
例えばなんですけど
僕がタカバンといういわゆる
ホークス担当の記者会してる時に印象に残ってるのに
イ・ボンゴっていう選手
韓国の選手が入団した時があったんですよ
これは韓国代表にも並んだ方で
2009年のWBCで決勝戦で
ダルビッシュ投手が同点
韓国側が同点に追いつくタイムリーを打ったような勝負強い選手だった
めちゃくちゃ覚えてます
ダルビッシュから打ったんですね
日本側からすれば
そうそうっていう瞬間だと覚えてます
その方が入って
松田信博さんと三類争いだみたいな
感じの状況になってたんですけども
やっぱり韓国から日本に来て
言葉も通じませんし
環境も韓国のプロ野球とはまた違うので
慣れなくて
本来の持ち味がなかなか出せない状況だった
宮崎さん覚えてるんですけど
川崎選手はすごくも
言葉全然通じないんですよ
よくメジャーでもやってらっしゃる
通じないんですけど笑顔で
ボムちゃんボムちゃんって言って
すごく話しかけているんですね
溶け込む
身振り手振りでコミュニケーションしていてですね
ボムちゃん飲みに行こうって
キャンプ中にストレスを発散させたいと思ったんでしょうね
今だから言っていいと思うんですけど
夜中の1時ぐらいまで
飲んだとかいうことを
ボムホ選手から僕聞いたことがあるんですけど
同い年なんですね
なんで川崎選手とイボンムホ選手が
そうですねありがとうございます
イボンムホ選手は胸が大好き
落ち込んでたらね
彼はいつも声かけてくれるんだって
言ってたのをすぐ覚えてるんですよね
選手にも記者にもね
なんだろうすごいですよね
結果的には
1年でフォークスから離れるボム選手ですけど
もうすごい川崎選手とは
つながりが深かったのを覚えてますし
内川誠一さん
もうさんですね
内川さんがフォークスに入ってきた時もそうだったです
11年シーズンだったんですけど
まだ僕も当時担当してた
この時も内内声かけて
内川さんはお酒あんまり飲めないんです
だけど食事に誘って
チームの選手ですね
上に入っていきたいようにして
内川さんもすごくそこ感謝してたのを
すごい覚えてます
あと昨年現役の引退した福田周平選手
もう周平さんになりましたね
いたんですけど後輩ですごい可愛がってて
ポスト川崎
胸鳴りみたいな言われた時期もあったんですね
結局外野の方に回ったりして
でもスペシャリスト足が速かったんですよね
もう本当に実習トレとかも一緒にしたりとか
いろんなアドバイスをして
川崎選手がフォークスを離れて
メジャー挑戦する時も
メールとかで福田さんに連絡をしたりとか
川崎選手の思いやり
すごい気を使ってましたし
実際福田さんが昨年8月引退した時には
花束贈呈で川崎選手がサプライズで登場したりとかして
思いやりというか
一度つながったこういう神儀というか
そこを情が厚い川崎さん選手らしいなと感じたところです
だって昨年8月でまだ多分シーズン中だと思うんですけど
時間を割いていったんでしょうね
シーズン中ですよね
ただですね私記者なので
新聞記者はお話を聞いて記事に書く
これがお仕事なんですよね
なので記者としてはですね
記者仲性な一面がありました
今言ったように気遣いがきて
根が基本的に優しいからですね
自分も先ほど言ったように
日本代表とかには自分の言葉が持つ発信力というか影響力とか
そのあたりはすごい考える
だからこの言葉をしゃべると
誰かがどう思うかっていうのを
気を使ってあんまりしゃべれなくなるということですね
そうですねだからもう当たり障りのないですね
頑張りますとか
なるほど
変なこと言うとそうなんですよ多分
いろいろ気使うから
われわれは特に当時は
西日本スポーツというスポーツ誌も書いていたのでですね
スポーツ誌はどっちかというとエッジをかける
そうですね
ちょっとこう
ちょっとパワードみたいな
だれだれと勝負だみたいな
ちょっと威勢のいいような原稿も書いたりするんですけど
そういうようなリップサービス的な質問に対して
リップサービスを求めるような質問は
百戦錬磨の取材経験を持ってるんで
こういう記事にするなというのを直感で分かるんですよ
絶対に答えなかったです
川崎さんから記事を原稿を作りにくいというのはありました
それこそ記事でいくと
ちょうどYouTubeでは今回西スポの昔の一面をですね
そうなんですね
これはいつのどの時
これはですね2009年の3月29日で
これ僕が西日本スポーツで初めて
一面の川崎君の記事を書いた紙面なんです
この下にね
この下にズラズラズラって記事が書いてあるんで
書名が僕の書名が入ってるんですけど
僕これ記念に撮ってるんですけども
この時はWBCから帰ってきて
なるほど
まだ開幕前ですね
そうですそうです
WBCから確か帰ってきてきっちりにやんだして
もう開幕OKだというような記事を書いたんです
まだこれは試合だったからですね
試合だから試合の状況と試合のコメントは
リップサービスと関係ないからですね
そういうので記事を書くんですけど
オフシーズンとかですね
そういう試合がない日に原稿を作る
難しいですよね
これ言い方悪いですけど
原稿をどうしようかという時の記者泣かせ
なるほど
の一面はありましたということですね
で2012年ですかね
一郎さんになってますね
憧れてメジャーを一緒にプレイしたいという思いもあってですね
メジャー挑戦されてホークスを出て行かれたんですけどもですね
戻ってきて戻ってきた時も
私は東京の運動部でまだ
ホークスが関東近辺の試合に来る時には
取材に行ってたんで
お会いすることがあったんですけど
少しちょっとメジャーに行く前と
様子がちょっと違うなという風には感じていた
感じてたところ
心と体がバランス崩されて
ホークスの方は自由計画という形になって
一度休憩ということになったんですけど
根が野球小僧
野球大好きな選手ですから
そこから台湾でプレイしたり
今所属している日本の独立リーグ
コチギでプレイして
現役をずっと続行されているというので
これが川崎さんらしい
現役続行の情熱
すごいですね
44になる年なんですね
多分スポーツは違いますけど
カズさん
ああいう感じだと思うんですね
その野球の引退っていうのは
自分の中で
川崎さんというのは変わるんじゃないのかな
野球をやり続ける限り
やり続けるんじゃないかなと思うんですよね
そうですよね
心の部分をちょっとそういう一時休むこと
ありながらも
こういう自分なりのやり方で野球
今も多分いろんなものを考えながらでも
自分らしさをどう出して
野球をやっていくかってとこ
考えてやってらっしゃると思うんで
だからぜひぜひ
来年も元気
来年も元気って
胸で元気
そうですね
胸でずっと元気
僕も定年まで一緒に
そうですね
川崎と共に
中田さん今日どうでしたか
僕が大学の時に
ちょうど多分入団されてから
活躍されてるんで
今でもね
現役でということなんですけど
だから25年か
すごいですね
ただその頃から
多分まだ印象って全然変わってなくて
本当に野球大好きな
少年のまま
今まだいるって感じなんで
すごいなと思います
そうですよね
ありがとうございました
エンディングの前に2つお知らせです
西日本新聞ポッドキャストに
また新しい番組が誕生いたしました
番組のタイトルは
星野松本のしゃべりぃよ
番組では記者たちが
就職活動や新人時代
プライベートの生活など
ザックバランにしゃべっています
配信は毎週火曜日です
よかったら聞いてください
それともう一つ
スマホアプリの
西日本新聞ミーでは
4月1日
学校の先生の人事堂に合わせて
福岡県内の
転任する先生の名簿を公開します
先生のお名前や
学校名で検索できる
知る人ぞ知る
西日本新聞ミーの
人気コンテンツです
ぜひ利用してみてください
それではエンディングです
ここまで聞いていただき
ありがとうございます
大久保さんの記事が読みたい
この番組を応援したいと
思っていただけましたら
ぜひ西日本新聞もしくは
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ご購読をお願いいたします
本日はありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました
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