1. 西日本新聞 戦国山城Podcast
  2. 37|【筑前六端城】後藤又兵衛..
2025-10-26 14:35

37|【筑前六端城】後藤又兵衛の城!益富城について解説

この番組は、福岡県内だけでも1,000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力を、現地探訪を交えて紐解き、熱く語り合う番組です。山城研究は地理学、歴史学、軍事学、地域経済学などいくつもの側面があります。かつて、その地で暮らした人々の息吹をあなたも一緒に感じてみませんかー。

今回のテーマは筑前六端城の一つ、益富城について。大坂の陣で活躍した後藤又兵衛の居城ですが、いったいどんなお城だったのでしょうか。堀切さんの解説で振り返ります。

◆出演:堀切凡夫(お城映像クリエーター)、中山紘一郎(しかのすけ/販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:中山 紘一郎(しかのすけ/販売部)/ディレクション:坂本信博(報道センター総合デスク)

◆収録日:2025年9月28日

◆me会員特典「天神ビジネスセンター」の飲食店街でお得な優待体験
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1319605/

◆「空から攻める」堀切凡夫Neo2(YouTube)
https://www.youtube.com/@horikiri

◆城・九州戦国ドローン(関連記事)
https://www.nishinippon.co.jp/serialization/castles_in_kyushu/

◆西日本新聞me(無料ダウンロード)
https://nnp.link/3B8F9X1

◆西日本新聞(紙)購読申込はこちら
https://f.msgs.jp/webapp/form/16701_jsy_1/index.do

◆西日本新聞Podcast番組一覧
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1294904/

◆X公式アカウント:「#西ポキャ」をつけて投稿お願いします。
https://x.com/nishinippon_poc

◆メッセージ受付フォーム
https://x.gd/O5RFS

#山城 #ドローン #山城ドローン #空から攻める #九州の山城 #西日本新聞 #西日本新聞me #西日本新聞ポッドキャスト #西ポキャ #鷹取城 #黒田藩 #母里太兵衛

サマリー

筑前六端城や増泊城に関する解説が行われ、歴史的な背景や構造が詳しく紹介されています。特に、秀吉の九州支配に関わる出来事や城跡に見られる出丸の特徴が述べられています。筑前六端城、特に増泊城についての解説が行われ、秀吉による一夜城の伝説やその歴史的背景が紹介されています。また、城の規模や利用用途についても触れられています。

戦国時代の城の魅力
西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
この番組では、福岡県内だけでも 戦地核あったとされる
戦国時代の山城の魅力をお話しいたします。
こんにちは、福岡のニュースアプリ 西日本新聞民の横山智則です。
こんにちは、西日本新聞の鹿之助こと中山康一郎です。
こんにちは、お城映像クリエイターの堀木立音です。
今日はよろしくお願いします。
僕は前回、細川さんとバチバチだって言ってた時の
想像してた地図が間違っているということに
収録を渡りまして、細川さんは熊本に住んでるから
熊本から攻めてくるんだろうと。
小石原あたりが国境線だったら
ちくご川は挟んで、向こうはもういわゆる
ひごの国だったのかな、なんてちょっとだけ思いながら
話をしてたんですけども、ではないですね。
あの当時の細川さんは小倉にいたんですね。
小倉対福岡で大河川を挟んでのバチバチなんですよね。
そうですね、そういう感じですね。
そっくり言うとそういう話だったんですね。
なんで僕は南から来るのにあそこにいるのではなく
東から攻められるのを守るための小石原であり
魔装城だったってことなんです。
失礼いたしました。
マストミ城の歴史
よかったよかった。
でもね、僕みたいに思ってる人もいるんじゃないかと思って
改めてでございました。
今回の城は?
今回は現在いう福岡県の鎌市に
鎌市、はい。
マストミ城になります。
それでいくと前回紹介したマツオ城
少し前に紹介したタカトリ城の間ぐらいにあるんですね。
はい、そうです。
マストミ城の遠隔から引きますと
地区方本地から地区前小石原に抜ける都城の
鎌市の中マスというところにある
裏山にある白山山頂に広がっている場所でございます。
秀吉が九州生活に来る前は
ここはいわゆる秋月市の中心人物だった
秋月種々の父の壮禅という人物の陰境城だったという記録があって
いわゆる秋月市の一つのメインの大きなお城だったとされています。
秀吉が九州生活に来た時には
ここが攻め落とされて
こちらが秀吉が陣を強いたということが記されておりまして
またその後九州平定後に黒田氏が
長政が地区前に入った時は
地区前六波城の一つとして
家臣が後藤又部が最初ここを治めるんですけど
後藤又部は後々また大阪の陣があった時に出奔をした関係で
森太平さんが高取城ですね
森さんがまたここに来ることになりました。
という形に進み
現代の一国一条例で
小石川の松代城と同じく廃城になったとされております。
現代の城跡
一国一条例で廃城になるっていうのは
結構江戸時代も早い段階ですよね
1615年ですからね
ことごとく建てたけど
10年ぐらいで潰しちゃったみたいな話
これはもう少し長生きしてるんですけど
そんなことですよね
1600年以降に作って
潰したってめちゃめちゃ全国であるので
そうなんですね
福岡に限った話じゃなくて
全国
そりゃそうですよね
いろんな場所で岩国城
山口の岩国城とかも本当に
1605年かそのぐらいにすごい時間をかけて
山頂に天守閣とかすごい作ったんですけど
それも1615年で廃城になって
破城されたりしてるので
すごいですね
全国規模で
というお城の一つなんですね
松上城は
この調査報告書の図にもあるんですけど
かなり大きな範囲の城跡なんですね
ちょっと分かりにくいんですけど
大きく二つに分かれていて
首城と外郭の城と
二つに分かれていまして
メインの城は
南の南東側ぐらいにある
松上城の中では一番高いところにあるんですけど
そこがメインの城跡になってまして
外郭の城は北側から東側にあたる
このあたりが外郭の城になってます
おそらく最初は全部
この図にもあるように縦彫りがわーっとやって
土のお城だったんですけど
その部分だけが黒田氏が入った後に
石垣化されまして
実際建物がこの場所に
4棟の組織建物
本丸に4棟あり
二の丸には1棟と
様々な建物があったとされていまして
実際大きな門も築かれてました
松上城のふもとの鎌倉のお寺に
2つのお寺に大手門と
いわゆる絡手門と
伝えられてるってことは伝ではあるんですけど
それぞれが移築されて今も残っている
残っています
移築するんですね
移築の建物を見て回るってのも面白いんですけど
全国にいっぱいあるんですよ
伏見谷倉がいろんな城にあるみたいな
伏見城っていうお城が発掘された時に
持ってきたっていう伝承の谷倉が
結構いろんなお城にあって
それって本当は一つしかないはずなのに
いくつもあるっていう話
伏見城自体が大きな城だったんで
おそらくいろんな谷倉を持ってきたんじゃないか
あくまで伝なんで
はっきり分からない
そんなのは結構全国いっぱいある
その谷倉があって
例えば明治まであったんですけど
明治に取り壊されちゃうけどもったいないからってことで
お寺が引き取って
谷倉の部分が今お寺の栗みたいな感じで
残ったりとかしてるってのがあったりして
面白いですね結構
そうですね
この伏見城の特徴があるとすれば
カテゴリーが
残りがよく各所にいっぱい残ってるのもそうなんですけど
縄張り図にもあるんですが
外城のいわゆる外側にある
お城によくあるんですけど
細胞みたいにピョピョピョピョ
飛び出してるのがいっぱいないですかね
地図を見たらいいの?絵を見たらいいの?
地図を見たらいい
地図を見たらいい
137ページの地図のほう
そうですね地図のほうで
何て言うんでしょうね
アメーバーじゃないですか
飛び出してるのがいっぱいあるんですけど
これが出丸とされていて
いわゆる家庭ですけど
お城に取り付こうとする中で
最前線の場所の砦みたいな
出丸の多さがめちゃくちゃ多いのが
松戸見城の特徴
本当ですね
本当ですね
いわゆる取り囲むようにといったら取り囲むようにですよね
そうですね
あとは現在ここは松戸見城市公園なので
大橋さんが管理されている城市公園なんですけど
本当にこの出丸だったり
いろんな部分がものすごく明瞭に残ってるので
お城ファンの人が来たら
多分大興奮される
そうなんですね
しっかり残ってる
しっかり残ってるんです
すごいいい形で買ってくださってるので
多分何も
それかお城というか意識されずに
訪れた方は普通に紅葉とかも綺麗なんで
大きな散策スポットなんですけど
お城ファンからしたら石垣のマス型の入り口も綺麗にあるので
見どころがめちゃくちゃあって
面白い城跡で
余談なんですけど
城跡の中心に駐車スペースがあって
そこから見ていくんですけど
いわゆる主要の道が校舎状に飛び出していますので
実は城内を見学しようとしたら
端っこに行って真ん中に戻って
端っこに行って真ん中に戻って
なるほどぐるっと一周するんですね
なので実はこれ結構
ガチで見ようとしたら
たぶん果たしたら一日で見れなかったりする
すごい場所なんですよ
本当に広い城跡で
見どころがあるので
増泊城の背景と一夜城の伝説
本当にこれまでそんなに知られてはいないので
おすすめな城跡の一つです
あれですよね
これ標高190メートルとか書いてあるんで
場所自体はそんなに高い場所にあるわけじゃないですかね
なだなかな場所になりますね
先ほどの通り車で中心部までは行けますので
全然中心部からいわゆる主城
メインの石垣化された城にも
たぶん数分で歩いていくことができますので
お手軽な仕事になります
これも余談なんですけど
この増泊城っていうのを
秀吉が落とした際に
南側に古書山城という秋月の最大のメイン
山城が古書山
古書山ですね
前ののぼろど氏の国書で
断念した山城ですね
古書山城を攻略するにあたって
増泊城を秋月が撤退させに
このお城を焼いてるんですけど
ここで伝承なんですけど秀吉が
いわゆる一夜城を一晩作っちゃって
作ったことで古書山城から
たった一晩で城跡がまた元に戻ったっていうのを見て
秀吉が繊維を喪失して降伏したという
伝承がありまして
それのちなんだってのもあるんですけど
毎年11月の頭に
一夜城祭りっていうのがここで
ちゃんと大きなボードで
天守閣を作って
ちゃんと手錠ゴムにかけて
下から見えるようにして
そこで結構いろいろお祭りをされている
イベントが行われているので
まだ行けてないんで
覗いてみたいなって思ってる次第なんですけど
やっぱ秀吉ってすごいですね
秀吉の一夜城ってどっか
有名な話がありましたよね
あそこもありますね
小田原城攻めの時の
しがき山城でしたっけ
そこもそうでしたね
だから一度や二度じゃなくて
しょっちゅうしてたんですかね
特技のひとつとして
そういうことなんです
びっくりするでしょうからね
そうですね
本当に多分
伝承かどうかわからないし
そもそも小所山城から
小所山城は結構遠いんで
増淞城と言われても
ちょっと天みたいな感じはあるんですけど
増淞城自体が本当にでかいので
もしそうやって
なくもないのかなって
お城としての
復活セレブっていうのが遠くから見て
っていうぐらいの大きな城跡ですので
ぜひ行かれてみてはいいかな
という城とでございました
城の役割と住環境
氷川雄介さん何か気になる点
そうですね
すごい大きなお城なんで
結構大規模戦を想定してたのかな
そうですね
思っちゃいますけどね
どれくらい在場してたんですかね
兵士としては
多分秋月という
秋月氏がずっと
1500年の頭ぐらいが
ずっとありましたので
おそらくそれからずっと続いてる
城ではないかなと思うんですが
そうですね
それが実際に黒田氏に
引き継がれていくわけなので
あとは秀吉時代が
黒田氏時代に回収されてるのも
そうなんですけど
飛行が低いので
居住してたような感じもあるので
いわゆる住めの城っていうよりかは
そういう側面も
もしかしたら秋月時代からも
上でも誰かしら暮らしてるみたいな
あったのかもしれないですね
ふもとの城下町も近いんで
どうとでも撮れるかもしれないですけど
確かに陰居次郎って書いてあるんで
山次郎に陰居するって
やっぱり僕は思ってしまったんです
最初
全然なくもない
地方が低いから
それはあり得るかもしれない
なるほど
それこそ立花城とか高鳥城
確か登った時に
普段は留守番が何人か
おるかもしれんけど
普段は使ってなくて
いざいわゆる戦だという時に
そこに建てこもるための
お城であって
普段から人が住んでたわけじゃないんですよ
って話を時々されてたじゃないですか
こっちの場合は逆に
そうではなくて
ひょっとしたら
普段から生活で使ってた
お屋敷というか
セットであったのかもしれない
そうかもしれないですね
ありがとうございました
今日もこれで今
高鳥城をスタートするとすると
今六花城を
3つまで半分まで来たということですね
ありがとうございました
ということで
ここまで聞いていただき
ありがとうございました
堀切さんの空から攻める
はユーチューブで好評配信中です
そして西日本新聞の
白戦国ドローンプラスは
西日本新聞とスマホアプリの
西日本新聞MEで連載中です
ぜひご購読をお願いいたします
本日はありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました
14:35

コメント

スクロール