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2025-11-02 11:12

38|【筑前六端城】海中に沈んだ謎の城、若松城を解説。

この番組は、福岡県内だけでも1,000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力を、現地探訪を交えて紐解き、熱く語り合う番組です。山城研究は地理学、歴史学、軍事学、地域経済学などいくつもの側面があります。かつて、その地で暮らした人々の息吹をあなたも一緒に感じてみませんかー。

今回のテーマは筑前六端城の一つ、若松城について。現在の若戸大橋の真下にあったとされるお城ですが、詳しいことはわかっていません。今回は堀切さんの解説と共に若松城の歴史に思いを馳せます。

◆出演:堀切凡夫(お城映像クリエーター)、中山紘一郎(しかのすけ/販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:中山 紘一郎(しかのすけ/販売部)/ディレクション:坂本信博(報道センター総合デスク)

◆収録日:2025年9月28日

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サマリー

今回のエピソードでは、福岡県北九州市の若松城について解説されています。この城は海中に沈んでしまった謎の城であり、歴史的な背景が語られています。

00:01
西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
この番組では、福岡県内だけでも戦に近くあったとされる、戦国時代の山城の魅力をお話しします。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞Bの横山智則です。
こんにちは、西日本新聞の司会の助言、中山光一郎です。
こんにちは、お城映像クリエイターの堀木立音です。
六端城、後半ですね。
はい、そうですね。
四つ目ですね。
はい。
四つ目はどこですか。
若松城の紹介
今回は、若松城に。
はいはい。
これは、北九州市若松区の若松城。
はい、そうですね。
遠隔を、福岡県城管報局署から、
有意地で紹介をしますと、
戸端と若松との間の同界湾城に浮かぶ中島にあった城跡で、
福岡藩の六端城の一つで、
これは定かではないんですけど、
三宅若狭の神、家吉が市城主として置かれたそうでございますが、
玄奈の一国一城のように廃城になっています。
これもですね。
これもですね。
これが廃城です。
基本的に、たぶん、六端城は全部廃城に。
そりゃそうですよね。一つしか残すなというわけですからね。
そうですね。
実際の永生年間、もうちょっと古い記録にも、
城の歴史と現在
竹内二部という人物が居住をしていたとあって、
黒田氏が来る前にも城があったということになっているんですけど、
定かではないということね。
現在は大正時代の同界湾の改札によって、
中島自体が消滅をしておりまして、
若松城はおろか、中島の正確な位置すら現状はわからない状態なんですけど、
一応大正時代の地質がこちらに報告書に載っていますけど、
最も同界湾が狭くなる場所のすぐ北側なので、
若東橋が現在、
架かっている。
架かって、はい。
真下辺りに、
ちっちゃな島があって、
その島にお城を作ってたってことなんですね。
そうですね。
もしかしたら、あれでしょうかね、
お城というよりかは、本当この船が横付けできる、
取り出みたいな感じであって、
ここからが国境だよ、みたいな感じにしている場所だったのかもしれないですね。
こういうことでしょうね。
はい。
でもこれ海というか、
ちょうど海と川の間みたいなところ、
あ、違う違う、
同界湾のほう、海は海でしょうね。
そうですね。
海の上にちっちゃなお城があったなんて、
あちこちあるもんですか?
瀬戸内海とかはですね、
いわゆる村上水群の市場、
様々の島だったりとか、
来る島だったりとか、いろいろありますし、
あと、海城というところでは、
場所は全然違うんですけど、
こちらの島根の串山城というお城があって、
いわゆる岩見銀山の積み下ろしですと、
沖港という港があるんですけど、
そのすぐ外側にある島に、
たくさんおそらく船を横付けできただろう、
城跡があって、
そこで、いわゆる銀山が運び出されるのを
見張っていたという。
なるほど。
船とおそらくリンクしただろう海城っていうのは、
多分全国にいくつか例のので、
もしそういう国境というのを意識したり、
流通もあったかもしれないですけど、
そういう意味では、
全然城跡があってもおかしくはない場所なのかなと、
思っちゃうのでしますね。
もう今は海に沈んで影も形もなくて、
全くないので、
戦後、大正時代どのように
同海岸が使われていたかわからないですけど、
大きな船を通したりとかする関係もあるので、
根こそぎたぶん削られたかもしれない。
何も残ってないかもしれないですけど。
おべきなそらくさん、
ドローンって空飛ぶドローンもあれば、
潜るドローンも今ありますよね?
中で見たことあるんですか?
そうですね、あるんですよ。
水中ドローンはまだそこまで詳しくないのでわからないんですけど、
濁ってるとちょっと見えないので、
もしかしたらそれでもまたレーザー解析ができる技術というか、
水中ドローンはまだあまりにも、
これからの分野の広がりが未知数と言われている部分もあるので、
もしかするとかなり面白い活用ができてくるのかもしれないですけど。
今、若松城でしたみたいなものはもう残念ながらどこにもない。
そうですね。
確か若戸大橋のそばに若戸基線が走っているんですけど、
船つき場のところあたりに若松城跡という石器が残っているぐらいになっております。
そういうのは寂しいですね。
そうですね。
でもそういう、この報告書のフルペースにも書かれてありますけど、
こういった形で存在していたということ自体が、
それだけの黒田細川という国境線の緊張状態が伝わるのを示しているのかもしれないです。
なるほど、そうですね。
まさに国境のということになるんでしょうからね。
そうですね。
さすがに何もない城なので、ページ数も非常に少ない。
1ページも取られていない。
そうですね。
でも本当こういった形で、
これは資料に残っているのは元六十二年の若松府品フルペースってあるんですけど、
結構この上巻報告書もチラチラ出てくるんですけど、
江戸時代とかで書いて、極端な話ですよ。
当時の城マニアだったり、当時の軍学者、
当然いわゆる戦国時代に機能した時代は知らない人たちだと思うんですけど、
その方が残してくださっているので、
知ることができる場所っていうのは結構ありますよね。
やっぱりそれだけ明治大正亜時代の開発が凄まじかったっていうのもあるんですけど、
そういったものでこのフルペースを残してくださっているというだけでも、
ありがたいなと思うことは感じますね。
鹿之助さん、ここで振るのはなかなか苦しいところありますか?
何もないみたいな。
そうですね。
海中に沈んだ城の意義
ここを海道界湾にお城を建てる、築城することで、
どういう抑止力みたいな、なんか期待できるんですかね。
やっぱ山とか平地に作った方がいいと思うんですけど、
小倉城自体が結構海城というか、湾と繋がってる城なんで、
そういう輸送網を打撃するための局面みたいな。
どうだったんでしょうね。
こちらにもあるんですけども、もしかしたら鞍田氏が来る前にも、
そういう城跡というか、あった可能性があるので、
そうなっていったら、台、細川というよりかは、
例えばですけど、一つこの道界湾とかも、
向こう岸と渡る船が行き来したりするので、
単純に村上水軍の場合じゃないけど、
あそこは私たちみたいな、ここを通っていいよっていう中で、
お金もらったりとかして、それで収益にしたり、
あっちの場合は瀬戸内海が広いんで、
お金もらった分、ちゃんと敬語するからみたいな感じでやったのもあるので、
もしかしたらそういう物流の監視みたいなのをしてたっていうものだったのかもしれないです。
ひょっとしたら性格が他の六波城とは違う可能性もある。
その後で後付けで、ちょうどいい場所があるじゃんみたいな感じで、
使ったのかなとか、あくまで勝手な想像ですけど、
そういったのだったかもしれないですね。
どっちにしてもここを渡っていったらですね、
いわゆるショートカットにはあるんで、絶対渡りたいでしょうから。
そこに作れば、あそこにかがり火が立って、
いるなっていうだけでも抑止力にはあるので、
あったのかなっていう感じにします。
そういうことですね。
まあいいですね。
そうはこのくらいにしておきます。
さすがに。
でも何もないってことが、
何も残ってませんけどありましたっていうことを証明するっていうのは、
やっぱりさっき言われた通り、
当時のお城マニアの方々が何かしら残してくれたからってことでもあるんですよね。
そうですね。
結構前、全然話は変わるんですけど、
岩国とかで菊川氏とかの、
一帯でも軍学者とかで研究をしていて、
自分が作る理想の城はこうだみたいなのを残してるのが、
すごい出丸だったり生まなしだったり、
わーっと詰めた城ですとか言って、
それをまたお弟子さんとかと、
私が作る城はこういう城なんですっていうのをお弟子さんが作って、
でもここの線から攻められたら、
これはちょっとこうやって攻略は難しいかな、
ここはこうした方がいいか、赤ペンでちゃんと赤筆で修正したりとかして、
面白い図があって、
そういう、何ていうか、
いわゆる戦、直接戦ったことがない世代だけど、
そうやって軍学がこうあるべきみたいなしばき合いをしてるのが私。
そういったことを見てたら、
やっぱりみんなそうやってこう震えて残っていくっていう熱量に至るっていう部分では、
当時もそういう戦争はなかったにしても、
面白い文化があったのかなっていうのは思いますね。
勉強であり、遊びですよね。
そういったおそらくカタラだとは思うんですけど、
実際に登って、ここには縦掘りがあるって、
カタカナで縦掘りって残したりとかして、
っていうので絵図が描かれたのが、
他のページにもいっぱいあるので、
面白いですね。
そういうことなんですね。ありがとうございました。
ぜひ聞いていただきありがとうございました。
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そして西日本新聞の城戦国ドローンプラスは、
西日本新聞とスマホアプリの西日本新聞MEで連載中です。
ぜひご購読をお願いいたします。
本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
みんなのなんで?に答える。あなたの匿名取材班です。
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