1. 西日本新聞 戦国山城Podcast
  2. 39|【筑前六端城】対細川の最..
2025-11-09 13:01

39|【筑前六端城】対細川の最前線・黒崎城を解説

この番組は、福岡県内だけでも1,000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力を、現地探訪を交えて紐解き、熱く語り合う番組です。山城研究は地理学、歴史学、軍事学、地域経済学などいくつもの側面があります。かつて、その地で暮らした人々の息吹をあなたも一緒に感じてみませんかー。

今回のテーマは筑前六端城の一つ、黒崎城について。遺構が多く残っている城ではないですが、残された石垣から当時の築城事情について考えます。

◆出演:堀切凡夫(お城映像クリエーター)、中山紘一郎(しかのすけ/販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:中山 紘一郎(しかのすけ/販売部)/ディレクション:坂本信博(報道センター総合デスク)

◆収録日:2025年9月28日

◆me会員特典「天神ビジネスセンター」の飲食店街でお得な優待体験
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1319605/

◆「空から攻める」堀切凡夫Neo2(YouTube)
https://www.youtube.com/@horikiri

◆城・九州戦国ドローン(関連記事)
https://www.nishinippon.co.jp/serialization/castles_in_kyushu/

◆西日本新聞me(無料ダウンロード)
https://nnp.link/3B8F9X1

◆西日本新聞(紙)購読申込はこちら
https://f.msgs.jp/webapp/form/16701_jsy_1/index.do

◆西日本新聞Podcast番組一覧
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1294904/

◆X公式アカウント:「#西ポキャ」をつけて投稿お願いします。
https://x.com/nishinippon_poc

◆メッセージ受付フォーム
https://x.gd/O5RFS

#山城 #ドローン #山城ドローン #空から攻める #九州の山城 #西日本新聞 #西日本新聞me #西日本新聞ポッドキャスト #西ポキャ #鷹取城 #黒田藩 #母里太兵衛

サマリー

このエピソードでは、黒崎城の歴史や特徴が詳しく語られ、城跡が公園化されている現状や石垣の特徴にも触れられています。また、石切り場や近世の城郭の建設に関する興味深い歴史的事実も紹介されており、リスナーは福岡の城についての理解を深めます。筑前六端城については、黒崎城の石垣の目的や歴史的背景、さらにその地理的な重要性が解説されます。

黒崎城の概要
西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
この番組では、福岡県内だけでも1000近くあったとされる、戦国時代の山城の魅力をお話しいたします。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞身の横山智則です。
こんにちは、西日本新聞の鹿之助こと中山幸一郎です。
こんにちは、お城映像クリエイターの堀木立音です。
今回は黒崎城、前回の若松城のすぐ近所じゃないですか。
そうですね、すぐそばに。
そうですよね。北九州市、いわゆる黒崎。黒崎駅のすぐそばですか。
すぐそばにあります。黒崎駅の北東側ぐらいですかね。
遠隔で行きますと、道海湾の南岸にそびえる、道博山だと思うんですけど、道博山山頂に位置します。
丸田長政が関ヶ原合戦の後に、地区前に入部した後に築かせた地区前六波城の一つでございまして、
十四の井上市が一万七千石の黒鷹にて封じられた場所なんですけど、
こちらも同じく現代の一国一条連で廃墟となっています。
城の南側が長崎街道の黒崎宿として発展を見せたということでございます。
あの辺りは街道なんですね。
そうですね。長崎街道をよくお菓子となぞられて、
結構そういういろんなお菓子の店がずっと連なったりしている長崎街道の黒崎ですよね。
どんなお城だったんでしょうね。
ここは結構低い山で標高62mの山なんですけど、
現在山頂部にも大きい貯水槽が建設されていて、建設の際に山頂周辺の移行がほとんど壊されてしまっているので、
詳細な状況はわからないんですが、江戸時代の映像を見ると山頂部に方形の主角本丸があり、
その北側と西側に奴隷と石垣を巡らしていまして、
北側にはうち松形小口と思われる小口を備えてずっと続いているという城跡になっています。
現在公園化されていて、山頂側まで車で登れるんですけど、
お城跡というかはほぼ残されていないんです。
駐車スペースの側に石積みが、石垣というかちゃんと見えるところがありまして残っているのと、
公園の中にそういう石がバラバラ落ちているんですけど、
その中に矢穴、石を割る時の楔を打ち込んだ矢穴というのがあるんですが、
それが見受けられる石がいくつかありまして、それを持っておそらく石垣を作っていたんだなというのを感じる痕跡があるぐらい。
ちょっと本当に公園化できれいに整地されちゃったので、
どこからどこまでが城跡なのかというのはちょっと分かりにくいところではあるんですが、
そういった場所で、黒崎の麓から見たら明らかに山が台形になっているので、
ここに何かあったんだろうという想像をすることができる感じの城跡となっております。
城跡と歴史の探求
矢穴が、ちょっとすみません、ヒントが来なかったんですけど、
矢穴ですね、自分まだ全然勉強できないので、詳しくは説明できないんですけど、
石垣を積むにあたって大きな石と小さな石と、サイズをどんどん積み上げていく中で石を整形をしていくんですけど、
その中でもおそらく古い時代では木の楔を使ってハンマーで刻んでいって、
それが矢穴で、だんだんそれが江戸時代、近代になっていくと鉄製の楔になって、
あくまで傾向ですが矢穴が小さくなっていくらしいんですよね。
その矢穴の大きさ小ささで年代をどのくらいの年代かを把握していくという研究、あくまで手法の一つではあるんですけど、
そういう考察とかなされているんですが、
なので四角のラインで刻んでいるものが矢穴でございますので、
主にそういう近世定覚では見ることができるものなので、
もし気になった場所があったら、行かれたらそれを探してみるというのも面白いかもしれないです。
資料の地図にもここありますよ。
黒いポツポツと映っているのが、これが穴?
穴です。これを繋いでいってバリンって割って、
どうにかこうにか引っ張り出して、さらに石垣のこのパーツに組み込もうということで整形をして積んでいって、石垣をやっていく形ですかね。
だからよく大きな、例えば近世定覚の城跡があったら、近くに岩場の山があって、そこを石切り場としてよく痕跡がいっぱい残っています。
そういうことになるんですね。
よく話は全然脱線するんですけど、
一つ大阪城を築城するというところで、大阪城は天下不振なので、
秀吉の大号令でみんな、全国各地から持ってくるんですね、石を。
特には瀬戸内海にある小戸島とかからは、石垣が切った穴の跡がいっぱいありまして、そこから切り出して船で運んでいるんですよ。
船の底に石をくくりつけて運べばちゃんと運べるみたいで。
船の上に石を乗せるんじゃないんですか?
船の下に。
海中を?
でもそれが本当にできるみたいで。
それが小戸島の例で。
江戸城で言ったら、半島の伊豆がめちゃめちゃ石切り場があって、そこから運び出してるんですけど。
最近では、それこそ水中ドローンとか海底潜って調査をされてるんですけど、まだあのあたりいっぱい、船で運ぼうとしたけど運びきれなくて、沈没しちゃって落ちた石がゴロゴロあって。
本当につい最近ですけど、調査をされてるみたいで。
それからまたいろんなことが読み解けていけるということが進んでるみたいでございます。
石切り場の重要性
結構大事ですね。
大事ですね。
これも後々小倉城とかの時があればいいんですけど、小倉城の石切り場が、あっちの行く橋とか神田町の無人島があって、そこにいっぱい石切り場がありまして。
去年に訪ねたんですけど。
そういうことですか?
そこの場所です。
でも潮が引けば行けるんですか?
行けるんです。行ける場所で、おそらく潮が引くそういう場所だったので、例えばですけど、潮が満ちる前に船にいっぱいくくりつけといて、潮が満ちたらそこからバーッと運び出していったのかなと思ったりしたんですけど、そういう痕跡がゴロゴロあって。
石切り場を見るっていうのも面白いですね。
ヤンジロウだけじゃなくて、それを作る石がどこから運んだのかも、やっぱり歴史として残ってるところには残ってるんですよね。
足立山の元にも石切り場が2箇所あるみたいで、そこからおそらく切り出して、例えば、例えばですけど、丸太がいっぱいあってゴロゴロゴロゴロゴロゴロその上を転がして、石引き道って言うんですけど。
それを神田までは引っ張ったんじゃないかっていうのが仮定されたような仕事でした。
でも足立山から神田城、神田から神田城。
小倉城、さっきの小戸島とか言われたら また全然違うけど、まあありますよ
石がこの石が適してるっていうのを見抜いて そこから切り出したっていう
センスとかがやっぱりすごいなっていうのがあって
そういうたけた人が全国各地にいたんだろうな っていう感じがしますし
いろんなことを想像しちゃいますね
黒崎城の石垣とその目的
やっぱりあれですよね 石垣作るってなかなかだってことですね
黒崎城にしても、例えばですけど石垣の目的もさまざまなんですけど
ここはおそらく、車を作平面積を増やすために 石垣を作ってるんですが
この山自体が岩山だったっていうことなので それをもうおそらく見抜いてというか
それでふもとから引っ張っていけばいいわけですね
岩山だったらですね
あるいは岩山の上から切ってそのまま住めばいいので
っていうのをやって作ったっていう部分でも やっぱりここは良かったんでしょうね
最適だったというか
そういうことすぐ隣は細川さんの小倉城がありますよね
結構、もう本当にここは国境警備隊ですね
そうですね
おそらくこの城跡の記録っていうところは 小倉城以前どうだったかっていうのはないので
もしかしたらここがいきなりその時に 作ったのかもしれないんで
ですし、蓄善側から言うと一番やっぱり国の隅っこの
言ったら武善との間の いわゆる要のお城なんでしょうけど
細川さん側からするとですよ
結構近いところまでなんかを
そうですね
なんていうの、喉元まで来てる感じしますよね
何しようとやるみたいな
ありますよね
福岡城があっての若松であり
その黒崎って言うと
いわゆるかなり距離がある場所の
いわゆる国境ですけど
小倉城から見た時の若松黒崎って言ったら もうすぐそばですよね
なんしようとやってからですよね
実際戦闘があってからそういうのは 残されてはないんですけど
そこに立ててるってこと自体がもう
何とでも取れるので
そのぐらい緊張状態だったのかなと
思われます
一応江津には山の北側の岬には
お船入りと横矢がかかった石垣で
護岸された矢倉台があったそうでございまして
実際の大正時代とかではここまで 海だったんですね手前まで
今は工場とかがあったりするんで だいぶ目立ってるんですけど
だったのでそういった問題山城
石垣の山城でもありもしかしたら 船が横付けできる
海城の機能もあったのかもしれないですね
でもそれが石垣があったそうではあるんですけど
この六波城の時のものなのか
もしかしたらもう廃城になった後に
普通に何かいろいろ物流で作ったものなのか
もう定かではないので
何ともわからないそうでございます
確かに黒崎は
いわゆる戦国山城の文脈でいくと こうやって後ろですけど
その後のいわゆる明治時代の話の方が
八幡製鉄所に始まってっていうところの 歴史の街ですからね
何ともそういうそれから開けていったって考えると
ちょっとどの時代かわからないっていうのはありますけど
ここに石垣があったっていうのを知るだけでも
結構意味はあったかなという感じもしますね
歴史的背景と文化
ありがとうございました
ということで六波城も残すところあと一つとなりますが
次回もお楽しみくださいということで
ここまで聞いていただきありがとうございました
堀切さんの空から攻めるはyoutubeで好評配信中です
そして西日本新聞の城戦国ドローンプラスは
西日本新聞とスマホアプリの 西日本新聞民で連載中です
ぜひご購読をお願いいたします
本日はありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました
あなたの匿名取材犯です
西日本新聞で検索
13:01

コメント

スクロール