西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
この番組では、福岡県内だけでも戦地核あったとされる、戦国時代の山城の魅力をお話しします。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞民の横山智則です。
こんにちは、西日本新聞の鹿之助こと中山小一郎です。
はい、こんにちは、街歩きの会、中高校の教室の清太です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
山城到着しました、障子ケ岳。
今、いわば三ノ丸、二ノ丸、障子ケ岳城は、南北に250mあるんですけど、最後の大変きつい登りですね。
三ノ丸までたどり着いて、二ノ丸と上がって、本丸に。
本丸後って書いてますね。
はい、参りました。で、最長部がそこですから、そっちに移動しまして、ちょい360度見ながらお話をしたいと思います。
はい、ここまで登れば全部見えますね。
このあたりが見えるのか、カメラがここに来たほうがいい。
いいですか、いいですか。
はい、はい、はい。
ここら辺がいいんじゃないですか。
そうですね。
今、障子ケ岳城の最長部にまいりました。
障子ケ岳の最長部でもあるということなんですけど、360度見えてまして、
まず向こうから行きますか。
向こうから行きますと、高原城のところが平尾台だそうで、ずっと右に降りてきますと、奥は北九州空港があったりして、
今、諏訪奈田であります。
行く橋の町が見えているということですね。
そうですね、あそこ行く橋の町か。
はい、はい、はい。
遠くにうすら見えているのが国崎半島で、
海の向こうにうすら、多分カメラにも写っていると思いますけども。
はい、で、ぐっとここさんあたりが見えてくるということですかね。
そのあたりにいくつも谷がありますけども、ずっと谷がみれみれが見えております。
おそらく手前、やっぱりあそこが行く橋ということは、
手前真っ直ぐに見える一番近くのところ、ポコッと広がっている山は馬畑城じゃないかと思いますけど、
今日はちょっと馬畑城の話を聞かせてください。
ずっと右にまた降ってきますと、
多分鉄道川とか鏡山とかいう山だと思います。
あの下には川長という人の神社があったりですね。
古代からの話題があるところで、またぐるっと右に曲がりますと多川の町があって、
そしてこう四季間の鳴き声が。
カメラ入るかな。
音が入ったらいいですけどね。
河原岳の一の岳、石灰石を採掘しています。一の岳の真っ白になったですね。
もともと490メートルあった頂上を削って、今どれくらいか。
標高200メートルくらい。
半分くらいになっているんでしょうね。
半分にはなっていますがな。
その次が二の岳があって、右にもう一つ行くと三の岳があって、
それで河原岳、一、二、三の岳が終わりで、
そのまたちょっと右側が牛切山という山があります。
それでどうしましょう。
それでですね、これが生地形町の平面図です。
平面図でありまして。
今だから一番下の方の主角にいるんですか。
そうです。今ここに立っているということですね。
ということです。
南側の方にはやっぱり掘り切りが巡らしてありまして、
ずっと南に行くとこの生地形町、主城とはまた別の蔵、
先ほどからずっと稜線上に蔵があるんだという話をしてきましたけども、
また別の蔵もあったりして、
この生地形町本城としてはですね、主角から、
ずっと南に向かって二の丸、三の丸と、
南北250mあります。
ありました。確かに。長かったですもんね。
最後の残りを上ってですね、河原岳城領域だと思うところから、
また四角までは250mあったということであります。
それで、そしてですね、今おっしゃいましたように、
生地形町がありまして、
向こう側には河原岳の一の岳、二の岳、三の岳がありまして、
その間をですね、秋月街道、現在で言いますと国道322号線が走ってまして、
川を逃れてまして、両方の山城が退治しているという状態です。
そういうことになるんですね。
それで、ここからは天正十四年の話になるんですが、
天正十五年にですね、秀吉が翌年の天正十五年に
秀吉が本軍を引いて九州にやってきます。
その時は全国の大名を連れて九州に下降するわけですけども、
10万とも15万とも言われてますけども、
その1年前に翌年の九州への大軍の上陸がうまくいくように、
武全を併定するためにですね、武全、現在の北九州市から中津市辺り、
武全を併定するために、戦犬軍としてですね、戦犬軍として
小林川、菊川、そして黒田、吉高が軍艦で武全に入ってきます。
全然、天正十四年にですね。
その時に、武全に入ってきて、徐々に、
その時のですね、360度一望できる景色の状況なんですけども、
まず北九州方面ですね。
北九州方面、平宇沢の向こうになりますけども、
小柱城、それから御賀川通りにですね、
浅川城、小賀城、つり城等がありまして、
この4つの小さな山城はですね、島津型でありました。
直接的に言いますと島津型の秋月種々の関係。
秋月種々の関係ということは、川崎城の城主が秋月種々の実施のために、
川崎城の城主が秋月種々の実施の高橋本種でありますから、
北九州方面はですね、秋月種々あるいは高橋本種の行きかかる城々がありまして、
この島津型は高橋本種の市城でありますから、
高橋本種の兵が籠っていたということです。
で、川崎城はその高橋本種を官人が首長として対象としておりまして、
その戦犬軍であります菊川小林、黒田を迎え撃ちということで、
待っとったわけであります。
ずっとですね、南の方を見ますと御所山が見えるんですけども、
御所山はですね、部全地区全の中でも特に高橋本種の実譜であります、
秋月種々が御所山に籠ってですね、
戦犬軍、菊川小林は軍艦黒田、官兵吉坂を待ち受け取ったというような状況が、
この庄司戸だけでは頂上から360度見れるわけであります。