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西日本新聞鉄ガクの旅、ご乗車ありがとうございます。
この番組では、西日本新聞のノリ鉄記者が鉄道旅の魅力について、深く広くマニアックに語ってまいります。
ご案内します車掌は私、宮下正太郎、旅人は中原岳さんです。中原さん、よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
今回第3回目ということで、アメリカ旅行編なんですが、前回までは、メイン州にある路面電車博物館に基づかれている長崎県の路面電車について語っていただきました。
今回はどのようなお話になりますか。
はい、今回はですね、今回アメリカの東海岸、ケネバンクフォートという、メイン州ケネバンクフォートという街に、路面電車の博物館があるんですけれども、
そこからまたですね、今回アメリカ入国の際に到着した、同じく東海岸のボストンという街に戻ってきました。
実はこのボストンという街にも、九州、ゆかり、ゆかりというか九州に関係があるものが実はあってですね、それを今回見に来ましたので、その旅のお話をしようと思います。
先ほど申し上げたように、アメリカのメイン州の路面電車の博物館を見た後、同じくメイン州の街の方で一泊しまして、
翌朝ですね、ボストンに戻るために、またアメリカの旅客鉄道のアムトラックという列車で、また1時間半ほど乗りまして、ボストンの方に戻ってきました。
このボストンという街はですね、皆さんは世界史でボストン茶会事件を覚えていますか?
写真と絵がありました。
そうですね、絵が載っていましたね。あの事件でも有名な通り、港町なんですね。
結構船とかですね、小さい船とかが街の底かしこに泊まってたりとかしてて、そういう海の沿いの街なんですけども、この港にですね、まさに当時、日本と関わりがあるものがあったんですね。
ボストンの北駅というターミナルの駅があるんですけれども、そのターミナルの駅から歩いて20分ほど行ったところにありました。
こんな感じで港の沿いのですね、道を進んでいくと、こういう軍艦と言いますか駆逐艦が泊まっておりました。
この駆逐艦ですね、名前がカシン・ヤングという名前なんですね。この軍艦と日本とどういうふうな関わりがあると皆さん思われますか?
戦時中に実際に日本に侵攻してきたということですか?
そうですね、おっしゃる通りで、この駆逐艦カシン・ヤングはですね、実は日本との戦いに投入された船だそうなんですね。
この現地のですね、案内板によりますと、ちょうど沖縄の近海にもやってきたことがあるそうでして、この船が出来たのが収益したのが1943年ということなんですけども、
その後ですね、1944年の10月14日に魚雷の攻撃を受けたと。さらにですね、戦争末期の1945年4月12日と7月30日に2度の上風攻撃を含む戦闘行動を受けたというふうに書いてありまして、
一例の戦いでですね、23人の無理組員の兵士が亡くなりまして、118人が負傷したという、そういう歴史を背負っている船だそうなんですね。
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中野さんの写真を見る限りは綺麗というか、外観がすごく異なっているように見えるんですが。
そうですね。動画をご覧になっている方はイメージしやすいかと思いますが、側面に793という番号が振ってあってですね、全体は非常に綺麗にできているんですけども、
飛行機が上風攻撃というとですね、日本だと日本の戦闘機がアメリカの船にですね、搭乗員もろとも突っ込んでいくという、そういう映像を見たことがある方もいらっしゃると思うんですけども、
まさにその攻撃を受けた船ということで、攻撃を受けたときは壊れたようなんですけども、そういった傷跡はあまり見られなくて、おそらくその後修復されたんだろうと思われます。
こちら、停泊しているように見えるんですが、中も入ることができるんですか?
はい、そうなんです。この船は観光施設というか、当時の歴史を伝える施設として一般公開されていまして、しかも無料で入ることができたんですね。
もちろん船の中には寄付を受け付ける募金箱もあって、やはりアメリカというとチップを払ったりとか、寄付をするような文化があるので、無料で受け入れつつもお気持ちをいただくという、そういう料金というか、施設になっていたんですけども、
実際、中の方に私も入りまして、少し中を見てみたんですけども、実際に船の甲板の前の方から後ろの方まで、あと中も含めて見ることができるようになっていまして、
実際に現地のアメリカの方だと思われるんですけども、船の中をいろんなところを見て回っていました。
この船に乗った入り口のところには、おそらく大役軍人の方だろうと思うんですけども、軍服を着て、軍装のようなものを胸に着けた方がですね、
ムネタとか着けた方がいらっしゃってですね、アメリカの観光客の方に熱心に説明されてありました。
確かにこの船というのは、アメリカ側からすると、アメリカが戦争に勝ったことを、ある意味意気承認のようなものなので、
どちらかというと、戦争に勝った側の歴史を通じて紹介されていたんですけども、
ただやはり日本というのは、今もですね、いろんなところで問題になっていますけども、歴史的なものを壊して再開発したりとか、
もう維持ができなくなったから解体してしまおうという、そういうふうな動きがある中で、
アメリカではこういった、戦争に勝った記念のものというものもあるんでしょうけども、
しっかり実物を残して、一般の方に歴史を知ってもらう取り組みをやっている点は、やっぱりアメリカの方はすごく評価できるなというふうに思いました。
中原さん以外にも、見に来られていた方というのはいらっしゃるんですか?
そうですね、他にもいらっしゃいました。若い方から、お年を召した方までいろんな方が来られていました。
アメリカ人なのか、アジア系の方なのか?
見たところ、アジア系の方というのはあまりいなかったですね。
実際にこういった中も、しっかり撮影も自由にできて、
撮影はできるんですか?
やっぱりもう退役してしまっていて、観光施設も一つになっているので、こういった形で見て回ることができて、
中の方も、いかにも軍家の中というようなものが見れて、
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私もなかなかこういったものは映画の中でしか見たことがなかったので、
本当にこういったものがあるんだということで、驚きながら見て回ったんですけども。
でもやっぱり本物を見ることができると、当時の歴史というのもわかりますし、
先ほど最初の話に戻るんですけども、この船に突入していった日本の戦闘機というのは、
もしかすると鹿児島の辺りから飛び立った飛行機だったかもしれません。
なので、そういった意味では、この船も九州と少し繋がりがある船という言い方もできるんじゃないかなと。
先ほどおっしゃっていましたが、実際に沖縄近海まで来ていたという記録はあるんですかね。
はい。この船が沖縄近海で攻撃を受けたというのは、現地の説明版でも書いてありました。
実際に中田さんのおっしゃる通り、映画なんかでは見るし、
客触されたというか映画向けの映像で見るのと、こうやって実物を見るというのはやっぱり違うものなんですか。
そうですね。やっぱり実物を見ると、80年前の出来事ですけど、よりやっぱり身近に感じることができるので、
やはりこういったものは、可能であれば本物を残していく努力というのは日本でも必要なんじゃないかなというふうに思いました。
この船を見終わったと、近くの船着き場から渡船に乗りまして、次の旅を前に進めていったわけですけれども、
現地の渡船がこういった形で、本当に小さい船で、航海も鹿野島とかに行く船とか、
北九州にも若戸渡船とかありますけど、まさにそういう細部間の渡船がありまして、
この渡船を使うとですね、結構ボストンの街中って道が入り組んでたりとかしててですね、
移動がしづらいんですけど、この船だと港を一直線に繋いでくれるので、結構割と早く移動できたんですね。
結構ボストンというとこ、レッドソックとかですね、最近話題にもなりましたけど、
街並みとかってなかなかボストンって知らないんですけど、結構都会なんですか?
そうですね、ボストンは結構都会ですが、やっぱりアメリカの中でもヨーロッパ人の方が入職してきた、
割と早い時期に入職してきた時期なので、結構歴史的なレンガ作りの古い建物も結構残っててですね、
歴史と都会の両方を体感できるような街で、
ただ都会とはいえ、そんなにこうめちゃめちゃむちゃくちゃ人が多いわけでもなくて、
結構落ち着いた街でしたね。
この船に乗ってですね、アメリカのボストンの街並みを見ながら移動しまして、
今度はボストンの市街地の南部の港に着きまして、そこからまた歩いてですね、
ボストン茶会寺県ゆかりの博物館の近くを通ったりとか、
こうしながら最終的にはですね、ボストンの博多駅、ボストン南駅の方まで行きました。
このボストン南駅まで行きまして、私はこの後ですね、夜行列車に乗りました。
私、夜行列車も大好きでして、やっぱり夜通し、夜景を見ながら移動するのが好きなんですけども、
この列車に乗って、今度はですね、アメリカの中部のシカゴという街まで、
車内で一泊して移動しました。
その旅の続きはですね、また次回にじっくりしていきたいと思います。
夜行列車というと、ずっと乗って、昼はいいんですけど、
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夜は見るところもなくて、ずっと乗っておくのって、
普通の感覚からすると苦痛にならないのかなっていうところがあるんですが、
そこはやっぱり気持ちの持ちようじゃないですかね。
やっぱり移動を楽しむっていう、そういう姿勢があると、もう楽しいですよ。
別に移動中、ずっと外を見なきゃいけないわけじゃなくて、
別に本を読んだり、スマホをいじったり、車内を散策したりとか、いろんなことができるわけ。
その移動も楽しむっていうのがコツなわけですね。
そうですね。はい。なのでその夜行列車の話は、
次回にまたじっくりとしていきたいと思いますので、
次回もどうぞご乗車お待ちしております。