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西日本新聞鉄ガクの旅!
ご乗車ありがとうございます。
この番組では、西日本新聞のノリ鉄記者が、鉄道旅の魅力について、広く深くマニアックに語っていきます。
ご案内します車掌は私、宮下正太郎。旅人は中原岳さんです。中原さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず最初に中原さんについてちょっと説明しますね。
中原さんは佐賀のご出身で、2013年に入社。記者として北九州西支局、長崎総局で取材を担当され、他にも氏名編集、記者を経て現在は人事部で新卒採用を担当なさっています。
これまで記者時代に鉄道の取材なんかもなさったんですか?
そうですね、やってました。もちろん北九州西支局だったり、長崎総局っていうのは鉄道のことばっかりやる部署じゃなくて、地域の街の話題だとか、事件事故とか、行政とかも取材したりすることもあるんですけれども、
例えば北九州だと、小倉北区にJR九州の車両センターがあるんですね。そこで車両の改造だとか、お披露目とかがあるんですけれども、
例えば今JR九州の人気の観光列車である列車っていうのがあるんですけれども、そのある列車のお披露目の時とかは、自ら手を挙げて取材に行かせてほしいと。
なるほど。
直談判しました。
談判して行ったわけですね。趣味と実績を兼ねて。
そうですね。
なるほど。これまで鉄道に興味を持ったきっかけっていうのは何だったんですか?
先ほど紹介のところで、佐賀の出身というふうに紹介いただいたんですけれども、私が生まれた町は広北町というところでした。
佐賀県のほぼど真ん中なんですけれども、この町には、今、広北駅っていうところがあるんですが、今から2年ほど前までは、
伊勢山口っていう駅だったんですね。
2022年の9月に名前が広北って変わったんですけれども、その広北駅、もとに伊勢山口駅の近くで育って、小学校も近くだったんですけれども、
この伊勢山口っていう駅が何がすごいかというと、佐世保に行く佐世保線と長崎に行く長崎本線の分岐点なんですね。
小学校に行くときは、まず佐世保線の線路を渡って、次に長崎本線の線路を渡って、2階踏切を渡って行ったりとか、
自分の家の庭からも電車が見えていましたので、やはりこの環境に住んでいたら、好きにならないわけないじゃないですか。
なるほど。子供の頃から徹茶の。
そうですね。少なくとも小学校1年の時には目覚めていたんです。
これで会社に入って、今回のアイコンも車掌姿で笑顔の中原さんが映ってますけど、
こちらの鉄学の旅って書いてますけど、これって何なの?
これは、もともと私が2022年の8月まで、西日本新聞長官のMOD九州という面で連載していた、九州の鉄道旅行の旅行記のタイトルでした。
これをまた2年ぶりに復活ということでやってるわけです。
そうなんですね。今回のポッドキャストの鉄学の旅なんですけど、今回記念すべき第1回というところで、九州のどちらの路線を紹介していただけるんでしょうか?
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いや、今回は九州ではないんですよ。
そうなんですか。
鉄学の旅っていうのは、私の中原学の学から名前が来てるんですけど、鉄道を楽しむっていう学と、鉄道を学ぶっていう学もあります。
なので、別に九州にこだわらなくてもいいかなとちょっと思ったりはしてるんですけど、西日本新聞もやっぱり九州の会社ですので、
これからはなるべく九州の鉄道についてご紹介していきたいと思うんですが、ただ第1回だけは、すみません、許してください。
アメリカのことをご紹介します。
いきなりですか?
はい、いきなりです。
アメリカなんですけど、いつ行かれたんですか?
そうですね。ちょっと遅めの夏休みをいただきまして、6連休いただいたんですけれども、
今回はアメリカの東海岸のほう、ニューヨークとかワシントンがあるほうの東海岸のほうに行きまして、
東海岸のほぼカナダの国境に近いところにボストンという街があるんですけれども、
そのボストン周辺と、中部のほうの湖のそばにシカゴという街がありまして、主にこの2つの地域を中心に回ったというところなんですね。
時期的に大谷翔平選手の試合を見に行ったとか、そういうのも目的だったんじゃないですか?
と言いたいところなんですけど、大谷選手よりは鉄道を乗りたい、見たいということで、
しかも6連休しかなかったからですね、大谷選手の試合を1回も見ていません。
向こうでは相当報道されていたんじゃないですかね?
ちょうど行った間にですね、大谷選手がホンルイダ50、トールイ50を達成したんですよね。
現地の新聞でも取り上げられてはいたんですが、日本ほどフィーバーはしていなくてですね。
一面の新聞の目次みたいなところにちょこんと載っていて、あとは中面のモノクロの面で特集されているみたいで。
西日本新聞も大谷選手のホンルイダ50、トールイ50のことは大きく一面で取り上げていましたけども、
意外とアメリカの新聞はあっさりしていない。
なるほど。
哲学の旅の1回目は、九州と全然関係のないアメリカ東海岸編ということですけど、それでいいんですか?
いいんです。というのもですね、アメリカと九州は全然違うじゃないかと思われるかもしれませんけども、
現地に行ってみると、これ九州なんじゃないかなという風景があったりとか、または九州と実はすごい縁があるものがあったんですね。
私はそういうものを見たくて、今回現地に飛びました。
それでは早速、気になる中身について教えていただいていいですか?
わかりました。まずですね、旅が始まったのは9月の18日でした。
もちろん福岡空港から飛び立ったんですけども、香港経由で行きまして、福岡から香港までだいたい3、4時間かかって、
そこで乗り継いで、香港からボストンまでだいたい15時間、エコノミー席に乗りっぱなしで移動しました。
ボストンに着いた時は、夜の10時過ぎとかで着陸する直前は、結構ボストンは天気が悪くて霧が出ててですね、
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市街地の上に飛んで、そろそろ着陸するなと思ったら、もう着陸寸前でもう一回急上昇しまして、
多分霧が深くて着陸できなかったんでしょうね。
その後またボストンの上空をぐるっと旋回して、やっと夜中の11時前ぐらいにようやく着陸できました。
無事に入国審査も終えまして、アメリカの地に初めて入国したわけですけれども、
このボストンの国際空港から市の中心部にボストン南駅という、福岡で言うと博多駅みたいなターミナルの駅があるんですけども、
そこまではバスで移動しました。
このボストンの空港と市街地なんですけども、これなんか福岡とすごく共通点があったんです。
何だと思いますか、アクセスの良さとか。
確かにアクセスも良かったんですけども、それと話と似てるんですが、すごく市街地の中心部と空港の距離が近いんですよ。
空港と市の中心部の間にはちょっと海があるんですけど、そこに海底トンネルがあって、
ボストンの国際空港からバスに乗って、博多駅みたいなボストン南駅までバスで行けるんですけど、たった12分で着いちゃったんです。
近いですね。
しかもこのバス、無料なんですよ。
そうなんですか。
この点は福岡空港より良いなと思います。
さらに驚くべきことに、これちょっとすごく理解が難しいところなんですけども、
このバスの終点がボストン南駅だったんですけど、
普通バスって駅の外にターミナルがあるじゃないですか。
このボストン南駅行きのバスなんですけど、なんと地下鉄の改札の中が終点なんですよ。
なので、そのまま改札の中を移動すれば、地下鉄から地下鉄に乗り換える感覚で、
そのまま地下鉄に改札を通らずに行けるんですよ。
ホームに着くってことですか?
ホームとは別のフロアだったんですけど、そこから移動していけば中まで行けるという。
珍しいというか、日本にはない可能性ですね。
そうですね。さらに日本だと、地下鉄の改札に出るときはICカードをタッチしたり、切符を入れたりするんですけど、
現地は改札のゲートに近づいて行ったら、自動的に改札の扉が開くので、
バスと地下鉄を乗り継げば、わりと遠いところまで無料で行けるんですよ。
これはちょっと感動しました。このホームシステムには。
なるほど。
その後、本当に地下鉄の方に乗り換えていきまして、ボストンの中心部の宿に泊まったんですけど。
ボストンってもう…。
前々から聞いてましたけど、宿泊代が高いんですよ。
そうなんですか。
今回はどうせ寝るだけだと思って、ドミトリーのベッド1つだけ予約して行ったんですけど。
ドミトリーって分かります?
ベッドだけが並んでて、知らない人とも同じ部屋に寝泊まりするんですけど。
ベッド1つ、いくらだと思いました?
日本だと6,000〜7,000円というか。
そう思いますよね。
ただ、ボストン。今回いろんな予約サイトに比べて、一番安いところの一番安い宿を見つけたんですけど。
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ベッド1つで15,000円もかかりました。
設備は新しかったですし、宿のスタッフも、私も英語があまりできないので下手な英語でしたけど、フレンドリーに接してくださったんで、すごくいい印象だったんですけど。
ベッド1つで15,000円かと思ったのはちょっと驚きでしたね。
先行きが不安になりますね。
そうですね。やっぱり今かなり円安が進んでいるのと、物価高もあるんでしょうね。
そういったもので、ベッド1つで15,000円ということだったんですが。
でも割と静かだったんで、安心して眠れまして。
予定通り起きまして、ボストンから最初の目玉のところへ移動しました。
先ほどはボストン南駅の話をしたんですけど、ボストンには北駅という、北の方にもターミナルの駅があって、
そこからアムトラックといって、アメリカの旅客鉄道があるんですけども、
そのアムトラックの列車に1時間半ほど乗りまして、メイン州のウェルス駅まで行きました。
なぜこの駅に行ったかというと、このメイン州のケネバンクポートという街に、
シーショアトロリーミュージアムという、トロリーという名前があることで、路面電車の博物館があるんですね。
ここは世界各地から集めた路面電車のコレクションがすごく充実していて、
実際に動く状態で保存されているんですよ。
結構、円の中が広くて、もちろん本物の電車が走れる線路とかがあって、
河川もしっかり敷いてあってですね。
こういうアメリカ国内とか海外から集めてきたコレクションの実物の車両を、
円内にいろんなところに車庫があるので、そこに展示したりとかしていまして。
ここに、やっかり来たかったんですよ。
どういう目的としてここに行くのか、ちょっと伝わってこない部分があるんですけど。
私は路面電車も好きなので、可愛いじゃないですか、路面電車。
長崎にもいらっしゃいましたけども。
長崎はですね、路面電車の音が聞こえるところに住んでいましたね。
わざとその線路の近くに。
そうですね。
こちらは特に何を見たかったという目玉みたいなのがあるんですか?
そうですね。この路面電車の博物館なんで、見たかったというか、見たかったものは確かにありました。
それはまた後ほどお話ししようかなと。
ここは路面電車の博物館なんですけども、路面電車以外にも地下鉄の実物車両があったりとか、アメリカを走っていたバスがあったりとか。
基本的に路面電車はメインですけど、乗り物の総合博物館みたいな。
それはもう夢のような場所ですね。
本当に私からすると、着いた瞬間に興奮しましたもんね。
今回、先ほど宮下さんから何を目的に行ったかと言われましたけども。
もちろん、そういった本物の電車を見たいというのは、昔の路面電車を見たいってあったんですけど。
そこで一番私が見たかったのは、そのうちの一両なんですけども。
上の方がクリーム色で、下半分が緑色の路面電車があったんですけど。
小さくて可愛らしい路面電車だったんですが、実はこの電車。
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ここでまず一つ目の九州ゆかりのもの。
九州二つ目ですね。さっき博多空港と博多の街の話をしましたけども。
ここで二つ目の九州ゆかりのもの。
ある意味、これが一番九州そのものなんですけど。
実は長崎から64年前に寄贈された路面電車が一両、ここで保管されているんですよ。
これ、長崎で走っていた車両そのものなんですか?
そうですね。もっと言うと、これはもともと1911年に作られまして、
もともと大阪で走っていたんですけども、その後福岡でも実は走っていたんです。
福岡の市内の路面電車でですね。
その後戦後になって、この上半分の車体の方は長崎の方に送られて、
長崎は原爆でひどい被害があったので、その後の戦後復興だとか、
不足していた車両を補うために持ってこられたらしいんですけども、
長崎でしばらく走った後、1960年のアメリカのケネバンクポートの路面電車博物館に送られたそうなんですね。
この電車についてはですね、また次回、第2回目の方で。
低売りになっちゃいましたね。
はい。じっくりとご紹介したいと思いますので、次回の方もぜひお楽しみにしていただければと思います。
では、ご乗車ありがとうございました。
ありがとうございました。